August 31, 2010

New gear @ Vivicam

ついに手を出してしまった。と、と、トイデジとやらに。フィルムのトイカメラもいくつか持っていたけど、フィルムなので、現像したりするとお金がかかるし荷物も増えるし、と言うことでメヒコには持ってきていなかったのだ。ずっと前にホームページを持っていた頃に友だちになった子がトイデジを持っているらしく、そのブログをチョコチョコのぞいていると、これがまたなかなかええ味ぞろいの写真でおもしろい。トイカメラは、現像するまでどんな写真が取れているか分からない、と言うのも楽しみの一つだけれど、おもしろいのが撮れたときはやはりデータであると簡単にシェアできるのになぁと思うのがこれ人情なので、このトイデジと言うやつはかなり魅力的な存在だったわけなのだ。しかしこのトイデジやらトイカメラというのは、日本のサブカルの中では割に大きな地位を占めているけれど、他の国では、殊にメヒコではそういう概念(写真があえて変に撮れるようなカメラをほしがる人がいるという)があるのか、もう一つなぞである。探していると「もっといいのがあるよ」とSonyやらPanasonicを勧められたから、それらのカメラはただの「程度の悪いカメラ」と言う扱いなのかもしれない。価格帯が安いからおいてあればそれなりに売れるのだろうけど、それをあえて好き好んで捜し歩くというのは彼らからすると珍しいらしく、奇怪なアジア人だと思われたに違いない。

どうしてトイデジに手を出す気になったのかと言うと、単にカメラが壊れたのである。一眼レフのカメラはあるけれど、やはり大きいので日常のちょっとしたときに使うのには向いていないのだ。だから、コンパクトデジカメを、と思って一台日本で買ってきたのだが、それが壊れたことがついに確定した。テクノロヒアというところに以前修理に持っていったことはブログでも書いた。それが、数ヶ月経っても、行くたびに「部品がまだ手に入らなくてねぇ……」と、直る見込みがない。日本で安かったから買ったオリンパスのカメラだったけど、メヒコではオリンパスはあまり流通していないらしく、故障したときになかなか部品の調達が難しいらしい。もうこれ以上待ってもおそらく直らないと思われるので、ついに修理から引き上げてきたのだ。メヒコにいる間はもう直らない、となると、一気に安いトイデジの購入願望に再び火がついたのだ。

トイデジの事をいろいろ調べていると、日本ではVIVITARというアメリカの会社のvivicam 5050と言うものがものすごく人気らしい。それのヴィヴィッドモードと言う色彩が鮮やかに撮れるモードがおもしろいというのがその理由だそうだ。さっそく、メヒコでも手に入るのかといろいろ調べてみたが、先にも述べたようにどうやらそういうサブカル的なものを専門的に扱うようなところはないようでインターネットでは情報の収集に限界を感じた。こうなれば、機種名とかをネットであらかじめ調べて、それが売ってあるかをいろいろなところで聞いていくしかなさそうだ。KodakやSony、Panasonic、Nicon、Samsungを扱った店が割りに多く、まずはVivitarを見つけるのが苦労した。vivicamの高位機種が見つかったが、なぜかタッチパネルもどきを採用していてものすごく使いづらそうだったので、一応保留にして、もう一度家で調べ直した。日本語でのインフォメーションが一切なかったので、日本では出回っていない機種なのかもしれない。VivitarのほかにもPolaroidを候補に挙げることにして、カメラ探し2日目に突入。

まずは、ウォルマートにいってみたがかろうじでPolaroidのいい機種が見つかったのみ。あまりいいのにしすぎると、値が張ってくるしただの「高機能コンパクトカメラ」になってしまうので(まぁ、それはそれでいいんだろうけど)、注意しながら価格と機種名を控えて、次はプラサに行ってカメラを扱ってそうな店をしらみつぶしに当たった。すると、意外なところで見つかったり、テクノロヒアよりもずいぶん安い値段で売られていたりしたので、プラサも侮れないなぁ、と調査に熱が入る。相変わらずvivicam 5050は見つからないけれど、vivicam 5024という機種が見つかり始めた。これを取り扱っている店は意外にも多く、値段も覚悟していたものを下回るものだったのでかなり魅力的。しかし、ヴィヴィッドモードとやらがあるのかどうか、どの店のどの店員に聞いても「分からない」と言うばかり。その後、セントロに足を運んでまたもやテクノロヒアで聞き込み調査。また別のPolaroidが見つかったけど値段が張るので即決できない。結局、ヴィヴィッドモードがあるのかないのか分からないけれどとりあえず買ってみよう!!と腹をくくってvivicam 5024をファルマシア(薬局)で買った。私はペソから円を計算するときに10掛けしているので、それだと7000円くらいと言う計算になるけど、実際は7掛けくらいなので日本円にするとおそらく5000円していないと思われる。

家に帰ってびっくりしたが、この機種にはモードと言うものが2種類しかない。一つがカメラ撮影で、もう一つが動画(音声なし)撮影である。本体の左川につまみがあって、それをカチ、カチ、と動かすと近影と無限が切り替わる。恐ろしきカメラである。デジタルとは名ばかり。本当に、撮影したものをデータで取り出せるというところだけがデジタルである。すげえ。なんだ、このカメラ。さすが、5000円。vivicam 5050の値段を調べたら13000円くらいしているではないか。そら、半額以下のカメラだ、ヴィヴィッドモードなんてあるはずがない……。そのモードがないことにはがっくりなのだけれど、この夜にも胡散臭いカメラを手に入れた今、妙にわくわくしている。この胡散臭いカメラと、元々ヴィヴィッドな色彩に富んだこの国の風景やモノがどのようにタッグを組むのか。いやぁ、楽しみじゃないか!!!!!!

August 30, 2010

Agua

メヒコで街歩きに欠かせないものの一つに「Agua」がある。アグアとは、水と言う意味だけどこの場合は、「味つき水」のことをさす。強い日差しの中うろうろ歩いているとのどの渇きが尋常ではない。そんなときに、このアグアを買ってでかい容器を持ちながらうろうろとすると暑さが吹っ飛んでまた元気に歩けるのである。

アグアは、いろいろな味があるけれど、日本で言うところのお好み焼き同様、新しい味を試してみようと思いつつ注文する番になるといつも好きなやつをでかい声で頼んでしまうのが私のくせなのだ。私の一番好きな味はLimon con chiaというライムにチアシード(なんかの種)が入ったものだ。さっぱりしていて暑いときにはぐびぐびと飲める。アグアのカップは、大体Chico(小)とGrande(大)があるけれど、小でも500mlは入っている。大は1lである。さすがに大を買うとその多さにまだ苦戦してしまうけれど、小は本当にあっという間に飲み干してしまう。そう考えると、水分を取る量がメヒコに来てずいぶんと増えたような気がする。

今日も1人で街歩きをしているとのどがからからになったので、入ったことのないアグア屋さんでアグアを買って飲み歩くことにした。アグア屋さんによってアグアの種類がまちまちなので、いつも

"Que sabor de agua tiene?(何味がありますか?)"

と聞くことにしている。今日は暑くてにぎわっていて他のお客さんも何味があるか聞いていたからそれを盗み聞きしていると、「Toronja(トロンハ)」と言うフレーズが!!!!トロンハとはグレープフルーツのことなのだけれど、グレープフルーツ味のアグアもあるなんて知らなかった。Jugo(100%ジュース)では、よくグレープフルーツもあって、絞りたてなのでこれがまためちゃくちゃおいしいのだけれど、アグアのトロンハもあるとは、これは見逃せない。なぜって、グレープフルーツは私の一番好きな果物の一つなのだ。

飲んでみると、これがめちゃくちゃうまい!!!リモンもさっぱりするけれど、トロンハもめちゃくちゃさっぱり!!!どこにでもある味ではないかもしれないけれど、一躍好きなアグアの味トップ3にランクインである。暑い日にはアグア。これに限る。

August 29, 2010

Tianguis

やはり手作り市には弱い。それが毎週行われるなんて、なんてことだ……!!!一目ぼれ商品続出で財布はすっからかん。

ウイチョール族のおばちゃんに、
エコバッジのおっちゃんに、
旅人のアクセサリー作りの兄ちゃんに、
楽器屋の兄ちゃんに、
手作りかばんのお姉ちゃん、
手作りノートの兄さん。

魅力的な人が多すぎる。そんな、土曜日の夕方のチャプルテペックのアートティアンギス。

冷やかして、
どうやって作るのか質問攻めにして、
逆に質問攻めにあって、
たまには素通りして、
しゃべって、
値切って、
笑って、
こうて、
笑顔。

作り手の顔が見えるってやっぱりめちゃくちゃに素晴らしい。あらゆるところで、今日も明日も毎日いろんな種類のティアンギスが行われているここメヒコ。おもろすぎて、好きすぎる。

August 22, 2010

En la preocupación.

今日は、久しぶりにどきどきした。それまでは、久しぶりに1人でセントロを探検しておもしろい場所を見つけたり、チャプルテペックで変な柄のシャツを買ったり、友だちと合流してから優雅にお茶なんぞしたり、アートフェスタがやっていて手作りのかわいいかばんとキーホルダーを買ったりしてニヤニヤが止まらない一日だったのに、最後にそんな仕打ちが待っていようとは。

友だち二人は違う路線のバスのほうが都合がいいので、帰りは一人でバスに乗ることになった。まだ9時前だったし余裕余裕、と思いながらバス停へ向かった。私の乗るバスは普段から本数が少ないので、少しは待つ覚悟でいたが、いざ夜のバス停(道の角っこ)についてみると予想以上に暗かった。「まじでか……、ここで1人で待たなあかんのか……」と思いながら、でも「まだ9時前やし、バスもすぐ来るわ」と気楽な気持ちでいた。

何台かバスは通るものの全て違う路線のものばかり。通り過ぎるたびに、あああと落胆の気持ちになるけれど気は抜けないので、腕組みをして厳しい顔でバスを待った。10分、15分と待っても来ない。その代わりにシティオ(タクシー)はちょくちょく通過していくので、割高になるけどシティオを使って帰ることも考え出した。しかし、困ったことにシティオを使うにしても値段の交渉とかをしないといけないので、しばらく頭の中で「いくらですか?」「高いです!!」「○ペソでどうぞお願いします」など、安く済ませる方法ばかりをシュミレートした。心強いのは、道を渡ったところで何かを待っている家族。しかし、その家族もしばらくたつとどこかへ行ってしまった。そうこうしているうちに時計の針は9時を過ぎて大分経つ。

ふと隣を見ると、トランスバレ(バスの割引チケット)をもったおばちゃんがいた。すかさずおばちゃんに話しかけると、おばちゃんも同じバスを待っているということが分かったので、「一緒に待ってもいいですか??」と何かあっても見放さんといてな、おばちゃん!!と心の中で同盟をくませてもらうことにした。おばちゃんに聞くと「この時間ならまだバスはある」と言い切ったので、急に心強くなった。しかしバスは一向に来ない。私が待ち始めてから30分以上が経過したときにふと横を見ると、おばちゃんが地面においていた自分の荷物をよいしょと持ち上げてすたすたと歩いていくではないか。

セニョーラ!!!!!一緒に待とうよって言うたのに、1人でどこへ……?!おばちゃんにしてみれば、変なアジア人が一緒に待ってもいいですかと聞いてきたこと自体が「げ」だったのかもしれない。再び1人になって、がーん、がーん、がーーんと焦りが募ってきた。時計を見たらもう9時半を過ぎている。バスは、果たしてくるのか?!バスか??シティオか??ううううう、と考えていると、2人組の男の子たちがコーナーで待っているのが目に入った。悪そうには見えなかったので、これまたすかさずバスを待っているのか確認した。すると、これまたありがたいことに同じバスを待っているとのことだった。しかも、しかめっ面のおばちゃんとは違い、私が全くメヒコ人に見えないので「どこの国から来たの??」と話しかけてくれた。「バス、まだ来るよね??」と確認するとこの2人も自信を持って「この時間なら、大丈夫」と言った。それにしても、ああ、気さくってなんていい性質。2人で何か話していたのに、わたしに合わせてくれて、いろいろ気遣ってくれた。それでもバスは来ず、「何分くらい待ってる??15分とか20分くらい??」と聞かれたから、「いや、30分以上は待ってる」というと、「まじかよ!!じゃあ、もうちょっとバスがよく通るところまで歩いていこうか?!」と言うことになった。

そして、歩き始めたそのとき、ついにバスが来た。普段は、いかにかっこよく手を挙げてバスを止めるか、ということを考えてバスを止めている私だけど、おそらくそれが本日の最終便。今日ばかりはかっこ悪くてもいい、止まってくれ!!!!と言う気持ちのみで必死に手を挙げた。約45分待ってやってきたそのバスは、もちろんながら人で溢れかえっていた。しかし、席があろうがなかろうが、いいんです。家に帰れるめどができたそれだけで、いいんです。男の子たちは若くてもメヒコ男子なので、バスに乗るときも私を先に行かせてくれるという紳士っぷりで、しかもバスに乗ってからもいろいろ一緒にしゃべってくれた。この2人組には、本当に感謝。気がつくと、さっきのおばちゃんもバスに乗ってきていた。来ないことを覚悟して、歩いて帰っていたらしい。

いうまでもなく、友だちと別れたから家にたどり着くまでのこの時間、相当精神をすり減らした。来るのか来ないのか、不確かなものを、心細い気持ちで待つのは精神的負担がでかい。終バスが何時か分からないのは、困る。バスを博打をするような気持ちで待たなければならないとは。ああ、疲れた。それにしても、何事もなく家にたどり着けてよかった。バスで。ふうう。休もう。

August 16, 2010

え??

日本語とスペイン語、というかメヒコにおいて、全く同じ言葉で同じ意味の単語がある。何かを聞き返すときに使う「え??」というやつである。日本人はよく「え??」と聞き返すがそれと全く同じ調子でメヒコの人も聞き返す。他の国の人は知らないけれど、私が今まで出会った英語圏の人はこのリアクションはしないように思う。彼らは、"What??"とか"Perdon??"とか"Sorry?"とか言っている気がする。

私がわけの分からぬ調子でしゃべっていると「え??」と聞き返されるし、メヒコ人同士でしゃべっていても聞き取れなかったときは「え??」といっているのをよく見かける。他のところはあんまり理解できなくても、この聞き返しだけがやけに明瞭に聞こえてくるので笑いそうになってしまう。

しかし、うすうす気付いていることがある。最近私の「え??」の聞き返し方が、日本語のそれよりもだいぶん強くなっているような気がするのだ。「ワタシは、分かりませんよ!分かっていませんよ!!もう一回言ってほしいです!!」を、この「え??」という一言にこめて言うわけである。気持ちがこもってしまうのである。下手をすると、怒っているように聞こえるかもしれない。

言葉は、情熱をもって伝えねば。

信念です。その気持ちでしゃべると、決してうまくなくても、あるいはたとえそれが日本語でも伝わるのだ。友だちにもよく不思議がられる。なぜ私が日本語でしゃべっても相手に伝わっているのかを。

それは、「伝えたい気持ち」が人一倍強いからだと思う。日本語は不自由なく操れるけれど、他言語になると日本語ほど上手にはいえない。だからこそ、corazón(ハート)で勝負しているのだ。……それにしても、日本語は全然忘れないなぁ。さすが母国語。でも、ちょっとくらい日本語が怪しくなってもいいから、もっと他言語をうまいこと操りたいと思うのが、これ人情。

August 12, 2010

またあとで!!

言葉と言うものは、直訳すればいいと言うもんではない。これは、HiやHolaが日本語に訳しづらいと以前にも書いたと思う。直訳することによって、「そのとおりなんだけれど、なんだか不思議な感じだなぁ」という印象を受ける言葉の中に一つ好きなものがある。

それこそがタイトルの「またあとで」である。おそらく、Hasta prontoの直訳だと思われる。日本語でも「またね」とか「ほなまた」と言うので大差はないかもしれないが「あとで」という言葉がつくことによって、いつ会うか分からない「またね」や「ほなまた」に比べて本当すぐにまた会うようなニュアンスが加味されている印象を受ける。それが私はなんだかとても好きなのだ。別に会う約束をしていなくても「またあとで!!」と元気よくわかれるのがなんだか陽気で好きだ。(ちなみに、「また後で!」と使っているのは、この間も日記に登場したメヒコに30年以上住んでいるという人だ。その人は、それが日本語では不思議な印象を与えているという気持ちはなく使っていると思われる。)

他にも別れ際に"Nos vemos"といったりするが、これの直訳は「私たちは会う」である。英語だと"See you"とか"Talk to you later"とかで、「私からあなたへ」の印象を受けるけれど、このスペイン語からは主語が「私たち」なので、なんだか約束みたいで、次に会う意思のようなものがかなり高い感じがする。日本語の「またね」に至っては、「また会うときまでさようなら」という「次に会うのはいつか分からないけれども……」と言うすこし切ない印象すら受ける。しかも、主語も曖昧である。こうして比べると、主語の人数は

日本語→0人
英語→1人(私)
スペイン語→2人以上(私たち)

と言うことになる。別れぎわに使う言葉一つとっても、国民性と言うか言語の性質とかがよくあらわれるなぁ、と感心してしまう。

では、「またあとで!!!」

August 10, 2010

Diarrhea

メヒコに来て増えたこと。メヒコと日本、文化も風土も全然違うから挙げだせばきりがないけど、そのトップ3くらいに入りそうなのが、今日のタイトル「Diarrhea」こと下痢である。

日本では、下痢になんてものは一大ピンチである。よっぽどのことがないと下痢になんてなってなかったような気がする。しかし、ここメヒコではその頻度が確実に増した。何かあると、すぐにおなかがゆるくなるんである。屋台の食べ物も、飲み物も、氷も慣れて大丈夫になっているはずなのに、なぜか気がついたら下痢になっている。もういちいち大騒ぎすることもなく、「ああ、あれかなぁ、あれがまずかったかなぁ……」と思い返したり、スプライトを買いに走ったりしている。うちのおばあちゃんが、おなかを壊したときは「ミツヤサイダーがいい」と言っていたので、それに変わるものとしてスプライトを飲むようにしている。そして、それでも怪しいときはPepto-Bismolとかいう薬を飲む。カナダ人の友だちに聞くところによると、「子どものときに、別に下痢ではなくてもおなかの調子がよくない時に服用していたから下痢止めと言うよりはおなかの調子を整えてくれる薬」なんだとか。海外の薬は日本の薬よりも強いというイメージなので、下痢用ではなく、しかも子供用の薬くらいの方がちょうどいい気がする。友だちも、「子どもの頃」に「よく飲んでいた」と言うので、それならば安心というわけで、1錠飲む。飲むというよりは、さくらんぼ味と言うことになっているタブレットをちびちびとなめるのだけれど。そして、後は緑茶である。緑茶は本当に、腹にいいものだと感じる。飲むとほっこりする。緑茶のない国の人たちは、緑茶に変わる「ほっこりあたたか飲み物」があるのかしらと要らぬ心配をしてしまうくらいに落ち着く飲み物である。

メヒコに暮らしてもう30年以上は経つという人も、「未だによくワカラン下痢になる」といっていたので、1年ちょいやそこら住んだくらいではならないわけがないのだ。と、あきらめている。できればなりたくないけど。でも、この日記を書いていると言うことは、また苦しんでいたのである。そう、回復の兆しが見えてきたので、悠長に書きとめているのである。

とりあえず、下痢になったら、「スプライト・Pepto-Bismal・緑茶」で様子をうかがうといい。

August 08, 2010

Tequila


Tequila(テキーラ)とは、あのいわずと知れたお酒のテキーラのことだ。実は、テキーラと言うのは産地の名前でグアダラハラの近くにある町なのである。近くにあるものの、なかなか行く機会に恵まれていなかった。クリールで出会ったチャーリーがロスモチスでわかれた後、南下を続けていてグアダラハラにいるとの連絡を受けた。そして、「テキーラツアーに行くけど一緒にどう??」と誘ってくれたので、のこのこと足を運んできた。

セントロにあるホステルに泊まっていて、そのホステル主催のテキーラツアーであった。言われた時間にホステルに行くと、なんとクリールで一緒の宿に泊まっていたドイツ人カップルとも再会した。彼らも南下を続けていて、グアダラハラにしばらく滞在していたようだ。しかも、聞くと同じツアーに参加するという。偶然って、こんなにもごろごろ転がっているんだな、というか、世界は狭い。

続々と参加者が集まってくるので、大きなバスか何かで行くのかと思えば、「これに乗ってください」ト目の前にあらわれたのは乗用車のワゴンである。後ろの座席が取り外されてあって代わりにマットがしいてあった。そのワゴン車へ13人が乗り込むのである。狭い……。


テキーラにつくと、まずは腹ごしらえなわけだが、ここで出されるのはさっそくテキーラ。テキーラのグレープフルーツの炭酸割りがでてきてそれを乾杯。そして、それぞれにテキーラのショットが配られてをみんなで一気飲み。そして、料理が出てくるのだ。料理は、ツアー料金に含まれているので、メニューの中から高いのを選んでしまった。せこせこ根性丸出しである。しかし、えびの焼いたのはおいしかった。炭酸割がなくなると、さっとおかわりがでてきて、至れり尽くせりである。

炭酸割のカップを片手にテキーラの工場を回るバスに乗り換える。すでに街の景色も様子もどうでもよく、ただの酔っ払い連中である。テキーラの工場を回り製造過程を見学する。そして、それぞれの場所で、いろいろなテキーラをテイスティングするのである。テキーラの原料は、一番上に載せた写真のようなとげとげしたアガベという植物で、その芯の部分を使って作られる。1本のテキーラを作るためには、何キロものアガベが必要とされるらしい。酔っ払いながらも工場見学は熱心にし、そして熱心に試飲をして回った。

【アガベの芯の部分。パイナップルみたい。】

【だんだんテキーラのにおいに。】

テキーラを出発する頃には完全にノックアウトである。ふらふらでしかも気持ち悪くなりながらなんとかグアダラハラに到着。一緒に行ったチャーリーも完全につぶれていて、彼女は自分の部屋のベッドに直行。ちゃんとしらふに戻ったときに旅の幸運を祈ったりなんだりしたかったけれど、あたりはすでに暗くなっている。……これだけ酔いつぶれて意識がもうろうとしながらも、「ちゃんと帰らねば!!!」という意識だけはめちゃくちゃに強かったので、目は座っていたと思うがバスに乗り、無事に帰還することができた。本当、あの状態でよく帰ってこられたもんだ。完全に調子に乗ってぐびぐび飲みすぎたのは否めないけれど、旅でできた友だち、チャーリーやドイツ人カップルとの再会のうれしさがそれを助長させたのはいうまでもない。ああやって何も考えずに、みんなでへべれけになるツアーと言うのは、なかなかに、おもしろい。

August 05, 2010

GDL con mis amigas!!

ラパスからGDL(グアダラハラ)に帰ってきたその日に、日本から友だちが遊びに来てくれた。この夏は、なんと4人もの友だちがメヒコに遊びに来てくれた。日本からはえみこさんととよこちゃん、アメリカからはErinとのりちゃんである。仕事もみんなしている忙しい身なのに、時間を作ってはるばるメヒコまでやってきてくれてありがたい限りである。入れ替わり立ちかわりだったので、ばたばたとしてしまったけれども、さすが全員私の友だちだ。初対面にもかかわらずget alongしてくれたから、ほっ。それにしても、彼女らとはどこであっても、久しぶりな気がせず、まるでいつもそこで会っているような気がするから不思議だ。

知らない街をうろうろする身から一転、グアダラハラを案内する役回りになった。責任重大である。嘘である。「自分の知っているところしか案内できひんからな」、と前置きした上で彼女たちとのグアダラハラめぐりウィークが始まった。

おもしろいもので、それぞれ興味が違うので食いつきどころもそれぞれ違っていておもしろかった。変なメヒコグッズに食いつく人もあれば、陶器に異常に食いつく人もあり、布に食いつく人もあれば、一瞬で土産を買い揃えている人もいる。それを隣で見るのは非常におもしろかった。私自身初めて行くグアダラハラの施設もあったし、グアダラハラの近郊の街Traquepaque(トラケパケ)にも足を伸ばしたのだが、そこにメルカード(市場)があることを知らなかったから、再発見の多い1週間だった。

特に、未知の「食べ物」と言うのはなかなか手が出せないものである。のりちゃんが最後の数日間1人で残っていたのだが、彼女とはいくつか新しい食べ物に挑戦した。

まず1つ目が、「直射日光に当たりまくった豚肉」である。正しい名前は知るはずもないが、グアダラハラ校外のTonalá(トナラ)という街にティアンギス(青空市)を目当てに行ったときのことである。歩きながら、

「なんか、肉売ってんねんけど、あれいっつも直射日光にめっちゃ当たってんねん。大丈夫なんかなぁ~。怪しいやろう~。」

と、その肉の怪しさをのりちゃんに伝えた。その後、小腹がすいたので何か食べようと食堂や屋台を一通りうろうろ見て回ったのだが、

「何食べたい??」

という私の問いに対してのりちゃんは、

「私、あの直射日光に当たりまくった肉がめっちゃ気になるねんけど。」

というまさかの答え。まじでか、まじであの1日中直射日光を浴びている怪しい肉を食べたいといっているのか、のりちゃん?!意外とチャレンジャーやなぁ、しかし、客人の言うことは絶対、なので、思い切って買って食べてみることにした。トルティージャの中にその肉を挟んであげたタコスもあったので、それも一つずつ購入。

恐る恐る口に運んでみると、これが、美味なんである。おいしい、と言うよりも、めっちゃおいしいやん!!!という、直射日光に当たりまくっている豚肉。見てくれだけで怪しいと決め付けたらだめだという教訓を、これから学んだ。いやぁ、あれは、うまい!!!そして、安かった。



そして、そののりちゃんともう一つ試したのが「Fresas con creama」という代物である。これも、メヒコ人が食べているのをよく目にしていたもので、「Fresas con crema」を直訳すると「いちごとクリーム」という意味になる。牛乳パックのような入れ物に入ってあって、しかも、クリームと言うと「生クリーム」を思い浮かべてしまうので、てっきり生クリームのいちごが入っていると思っていたのだ。メヒコ人、甘いもの好きとは聞くけど、生クリームを箱から直接もりもり食べるとは気が知れない、と思っていたのである。

それを、スーパーに行ったときに話していると、またもやのりちゃんの一声。

「気になるな。」

ということで購入および、試食会。


予想に反して、ほじくってでてきたのはシャリシャリのシャーベット状のいちご。しかも、いちごは香料ではなく本物である。「クリーム」とは程遠い見てくれに「おおおお!!」と興奮。そして、口に運んでみると、これまた「おいしいやん!!!!!!!!!!」と、大絶賛。ああ、これなら暑い日に買って歩きながら食べる気持ちが、分かる……。

やっぱり、なんでも試してみることが大切だなぁ、と気付かされた今回の数々ののりちゃんの「気になるな」発言。

振り返ると、訪問者を受け入れる立場でありながら、同時に彼らによって気付かされたことや、初めて知ったことがたくさんあったなあと感じる。だから、単に友だちが遊びに来てくれてうれしいなぁ、だけではない、収穫の多い1週間だった。来てくれた友だちには、この場を借りて改めて感謝。ありがとう!!!!Muchas Gracias!!!!

La Paz


最後の目的地は、La Paz(ラパス)。ラパスもカボサンルーカスのようにアメリカ人まみれで英語の飛び交う街だったらどうしようかと(どんだけカボサンルーカスで衝撃受けてんねん。)思ったが、その名のとおり平和な穏やかな街だった。

ついてさっそく宿にチェックインを済ませ、昼ごはんをその辺のマリスコス(海鮮)のタコススタンドで食べていた。すると、見覚えのある首根っこのタトゥーが通り過ぎていった。

「アナ!!!!!!!」

とでかい声で呼ぶと、数日前にフェリーを降りて分かれたフランス人のアナがそこにいた。てっきりもうラパスにはいないと思っていたのでこの再会は本当に驚いた。彼女は、ちょうどバスで少し行ったところにすごくいいビーチがあるらしいからそこに行く途中だった。再び、「旅は道連れ云々」なので、便乗することにした。

バスターミナルにいると、クリールの同じホテルに泊まっていた男の人がいた。本当に、チェペ~フェリーのルートで旅する人が多いと感じる。……というか、クリールのホテルマルガリータの宿泊率、すごいなと感心する。

ラパスセントロからバスで40分ほど行ったところにあるそのビーチは、Balendra(バレンドラ)と言う。アナは「めちゃくちゃきれいなビーチらしい」といっていたが、ロスバリーレスで十分きれいなビーチを見たから、まぁ、それには勝るまい、と思っていた。……しかし、である。


正直驚いた。こんなビーチをみたのは初めてだったからである。海といえば、沖のほうに水平線が広がっているというのが常識だと思っていた。だから山に囲まれた入り江になっている波も立っていない穏やかで透明な海が目の前に飛び込んできて面食らったのだ。

えええ!!!!これが、海?!?!?!

ざぶざぶと入っていくと、何メートル何十メートルも歩くことができた。向こう岸まで歩いて渡れそうな勢いだ。さすがに、途中でついに足がつかないくらい深くなってしまったから無理だったけど、遠浅の海だってこんなに何十メートルも沖まで歩くことはできないんじゃないかと思った。眼前には茶けた山が広がって、湖のような、でも、海の風景。こういうところを、きっと楽園と言うんだと思った。やっぱり、自然はすごい。その一言に尽きる。

ラパスは、街内も落ち着いている。海沿いには遊歩道が整備されて、自転車やローラーブレード、歩きの人や乳母車までみんながゆったりと散歩しているのが印象的だった。また来てみたいな、と思わせるそんな街だった。

Los Barriles


カボサンルーカスを後にして、向かった街はLos Barriles(ロスバリーレス)。ロスバリーレスには、何もなかった。海以外に何もなかった。バスを降りるとこの風景で、宿もなさそうなので途方にくれて歩いていると、野犬があらわれた。1匹がほえると、連鎖反応のようにどこからともなく野犬がぞろぞろと集まってきた。野犬は数がそろうとなかなかのど迫力である。ひやひやしながら野犬エリア(といっても、街全体が野犬エリア。)を抜けて舗装された道に出て宿探しを続行。

ロスバリーレスで一番困ったことが、この宿探しである。結局、泊まったのが名もあるのか無いのかよくわからない不思議な「貸し部屋」。宿はないし、あっても高いのでどうしたもんかと困りながらも腹は減るので、コンビニで腹ごしらえをしていた時に、友だちが地元のおっちゃんと思しき人に話しかけられて事情を話した。すると、

「レンタル部屋。1晩400ペソ」

という看板のところへ連れて行ってくれた。そして、特に頼んでもなかったのに

「じゃ、おまえら一晩300ペソでいいってことになったから」

と値引き交渉までしてくれた。あ、ありがとう親切なおっちゃん……!!!!しかし、印象的だったのは、この街の中年男性、つまりおっちゃん世代の人は必ず1人1匹犬を引き連れていたことだ。首輪も何もしていないので、飼い犬なのか、犬がついていっているだけなのか、それすら余り定かではないのだけれど、本当に漏れなく「1おっちゃん1犬」で街を歩いている姿を見かけた。野犬が増えすぎたから、おっちゃんが1匹は面倒を見なくてはならないとか言う条例でもあるのか、と推測してしまったほど。

その「貸し部屋」は、お世辞にもきれいなところとはいえなかったが、荷物が降ろせることがうれしかった。荷物を降ろしてさっそく海へ行った。この街も、まだまだカボサンルーカスほどではないけれど、アメリカ人の余暇用みたいな高級なホテルがあった。海に行くにはそのホテルを突っ切った方が早いので通り抜けを試みたら、なんなく成功。ホテル内のプールエリアやプールバーエリアを抜けると砂浜が見えた。


さらに歩みを進めると、何もなくて、誰もいない海が眼前に広がった。この景色を見た時に、ああ、ここにきてよかった、と心から思った。宿が見つからなかったり、野犬に囲まれたりしたけれど、透明すぎるこの海を見たら全てがどうでもよくなった。水もカボサンルーカスよりも冷たくなくて、気持ちがよかった。


もう一つ驚いたのが、野生のカメがいたこと。何かたまに浮き上がってくるなと思っていたら、カメが呼吸をするために海面に頭を出していたのだった。桟橋のところから海を眺めていると、人の背丈よりも深いと思われる水深なのに底までクリアに見えて、カメが行ったりきたりしていた。


晩ご飯に食べたタコスも絶品だった。付け合せの玉ねぎに味がついていて、これがタコス全体の味をきゅっと引き締めてくれる感じ。サイズも、他のところで食べるタコスよりも一回りか二回り大きいのが特徴的だった。

カボサンルーカスで受けたバハカリフォルニアショックも、このロスバリーレスにおいて癒された気がした。

Cabo San Lucas


眠気眼で到着したカボサンルーカス。とりあえず町の中心(セントロ)に向かうべく、バスに乗ったのだが眠気が一気に吹っ飛んだ。市バスが、8ペソもするのである。まさか、ここにきてぼったくりにあっているのか?!と思ったほど。

「ここがセントロだ」

と教えてもらって降りると、目の前にはでかいプラサ(ショッピングモール)。しかも、なんだか高級そう。グアダラハラには海がないから「海が見たい」という動機で来たのだが、カボサンルーカスがこんなにもリゾートだったとは知らなかった。とにかく、第一印象は「高い」につきる。しかも、何だこの浮かれた雰囲気は。(なんだといわれても、リゾートだから浮かれているに決まっている。)

そして、悲しいことに話しかけられる言葉が全て「英語」なのだ。こちらがつたないスペイン語で話しかけても返ってくる返事は「英語」。これには閉口してしまった。どうしたんだ、メヒコ人たちよ……!!!カボサンルーカスは実際、海以外には何もなく、観光だけで街が潤っているようなところだ。そして、アメリカから地繋がりで来ることができるので、確かにアメリカ人が多い。お金に余裕のある人たちがホリデイハウス(いわゆる別荘)のようなものを所持し、訪れた際にはとにかく「バカンス」を楽しむという寸法である。だから、街には浮かれきった雰囲気しかない。高級ショッピングモールに、高級レストラン。バカンスにはせこせこした施設は必要ないのである。アメリカ人、いや、あえてGringo(グリンゴ)と呼ぼう、グリンゴたちはあたかもそこが自分の国であるかのように振る舞っている。彼らは莫大な金を落として行ってくれるので、それに便乗して彼らが過ごしやすいようにドルが流通したり、英語が通じるようになっている。なんだ、この違和感。グリンゴもメヒコ人もそれでいいのだろうけど、そのどちらにも属さない第3者、つまり私から見たらそれは「変」以外の何者でもない。ギブアンドテイクで、お互いが納得しているからそれでよくて何も口を挟むことはないけれど、でもここで我が物顔で歩いているアメリカ人たちの横柄さが気になって仕方がない。ここはアメリカではないぞ、といってやりたい。

そんなザ・バカンスの地域なので、バカンス気分でへらへら過ごすと普通に楽しい。そして、無条件に自然は素晴らしい。海がきれいな街だった。高級ホテルが立ち並ぶ側のビーチではなくて、その向こう岸に見えている少し歩いていかなければならない地元のメヒコ人が多く遊びに来て戯れているビーチの方が落ち着いたり、魚介類がうまいぜと英語で客引きしてくれるような店よりも鶏肉がぐるぐる焼かれ回っている安食堂を見つけたときのほうが落ち着いたり、英語ではなくスペイン語を話してくれるメヒコ人に会ったときのほうが落ち着いたりするのは、私はやはりひねくれ者なのだろうか。

【とにかく海はきれい。マリンアクティビティも充実していて、シュノーケリングやダイビングできれいな魚と楽しむこともできる。しかし、船の上からでもこの通り十分見ることができる。トルティージャに群がるメヒコ魚。】


【Playa del Amor(Lover's Beach)という名のビーチ】

【地元民に人気の方のビーチ。父ちゃんを埋めまくるメヒコ家族。】

August 04, 2010

Los Mochis - Cabo San Lucas



ロスモチスの暑さはこたえた。グアダラハラは、太陽こそ強いものの高原の気候なので湿度が低くわりと快適に過ごせるし、クリールに至っては山の中なので涼しく過ごせていた。ところがこのロスモチスと言う街は、海沿いの町なので湿度があって、それに加えて灼熱の太陽である。日本の夏を思わず思い出してしまった。アイスでも食べないとやってられないので、アイスを食べてなんとか昼間を乗り切った。

ホテルを出るときに旅をともにしていたチャーリーとガブリエルともお別れ。チャーリーは南下、ガブリエルは北上である。それぞれの旅が続くのだ。

フェリーの出航時間は晩の11時である。しかし8時か9時くらいから乗船が可能である。船には、個室もあり快適に過ごせるようになっているようだが、もちろん経済的にいくには一番下のクラスのチケットを買うことになる。すなわち、イス席である。さっそくイス席に向かい様子を見てみたが、ひじ置きを上に上げれば長いすのようになるので席に余裕があれば寝転ぶことも可能で、快適に過ごせそうだった。船内にはレストランもあり、1プレート分乗船料に含まれている。船の上ですることもないので、乗船したらすぐにみんな食事に向かっていた。私たちもバーで一杯ビールを飲んでからディナーにした。その後はすることもないので、就寝。疲れていたのか、ただたんにどこででも寝られる性分なのか、イスに寝転んですぐに寝た。

夜中に目を覚ますと、相変わらず爆音でテレビが流れている。知らないうちに私の足元に誰か一人寝ていてびっくりした。トイレに立つと、イスのみならずその辺の床にそれこそ死体のように、いたるところに人々が寝ていた。写真に収めて置けばよかったけど、快適なイスのベッドを取られては困ると思い、足早に自分の「ベッド」に戻った。

もう一度起きると、もう対岸のBaja CaliforniaはPichilingue(ピチリンゲ)に到着するところだった。船を下りると、ここでもう一つの別れ。アナはLa Paz(ラパス)に向かうことになっていたのだ。私たちは、さらに南の端のCabo San Lucas(カボサンルーカス)に下ることにしていた。カボサンルーカス行きのバスに乗ると、またすぐに睡魔が襲ってきた。

August 03, 2010

Los Mochis


長かった列車の旅も終点のロスモチスで終わり。ドイツ人のマティアスは、この足で長距離バスに乗ってMazatlánに向かうということでここでお別れ。他のメンバーも、それぞれ行き先が違うのだが一晩ロスモチスに泊まって動き出すのは明日と言うことだったので、そのまま一緒にホテル探しをすることに。

チェペが到着する時間を見計らってタクシーが来ているのだが、これがどうもタクシーと言うかコレクティーボ(乗り合いタクシー)らしい。そして、値段がべらぼうに高い。街まで1人50ペソとか言い出すからこれには全員怒り爆発。街までは3~4キロしかないのに一人50ペソは、高すぎる。全員でそれくらいでもいいくらいだ。結局、1人40ペソに負けさせて(それでも高いのでなんだか腑に落ちない。)ホテルに向かった。



ホテルに荷物を降ろして、おなかがすいたからコンビニに何かを買いに行こうと出かけたら、コンビには24時間営業と言う表示のくせに店に入れてもらうことができなかった。どうやら、ロスモチスでは、12時以降は防犯のため客が店内に入ることは禁止され、その代わりドアのところについている小窓から中にいる店員に指示してほしいものを持ってきてもらって、確認して購入するという仕組みになっているらしかった。店員は1人しかおらず、支払いもそこでするので、時間のかかるのなんの。要領が悪すぎて、違和感以外の何者でもなかったが、地元の人と思われるほかの客も来たがじっと待っているので、これが普通なんだろう。ところ変われば、いろんなシステムがあるもんである。

Creel - Los Mochis


2度目のチェペへの乗車。今度は、一気に終点のLos Mochis(ロスモチス)まで向かう。チワワから旅をしている人は、クリールの後はロスモチスまで行くか、その前のEl Fuerte(エルフエルテ)という小さな町に寄るというルートを取るのが一般的なようだ。私たちは、ロスモチスからフェリーに乗ってBaja Cailfornia(バハカリフォルニア)に向かうことにしていた。一緒に滝ツアーに行ったメンバーのほとんども同じチェペで出発するらしく、その後のルートについてそれぞれ検討していた。ロスモチスのホテルは高いところしかないだとか、フェリーはどちみち晩に出航なのでエルフエルテに泊まった方が経済的だし見所もあるらしい、とか情報が錯綜している。フェリーの情報については私たちも確かな情報がなくて困った。ホームページを見ても最新の情報ではないし、ロスモチス出身の人がくれた情報では私たちが乗ろうとしている日は朝に出航するといわれたりしていたからだ。みんな経済的にかつスムーズに旅がしたいという価値観の人たちなので、情報を交換しつつルートを練った。そうはいっても、遠くでいくらうんうん頭をひねっても、目の前の情報には勝るものはない。結局分からないことが多すぎるので、ほとんどみんなあきらめて「現地に行ったら何か分かるべ」と言うことで散り散りになった。

しかし、2等の列車の時間が近づくと、チケットを車内で買う人が多いため乗車場所が指定されているということもありわらわらと同じ顔ぶれが集まってきた。そこでお互いの出身地や旅の様子などの世間話をした。ドイツ人はマティアス、イギリス人はチャーリー(女の子)、イタリア人はガブリエル、フランス人はアナという名前だった。結局全員がロスモチスまで行くということだったので、旅は道連れ、世は情け。一緒にロスモチスに行くことになった。

列車に乗り込むと、席が指定されていて私はメヒコ人親子と相席になった。メヒコ人らしく、めちゃくちゃおしゃべりでなんやかんやと世話を焼いてくれた。通路を挟んだところに座っていた親子も、いろいろと気にかけてくれて、列車の見所ポイントが近づくとわざわざ教えてくれたり、写真を前に出て取らせてくれたりした。クリールを過ぎてからディビサデロ、さらに下っていくにつれて電車は山の中を駆け抜ける。というわけで、絶景ポイントも多々あるのだ。

 山を走るということもあり、曇りがちで雨も降ったりしていたけど、それはそれでなんだか絵になる風景だった。チワワ州を抜けると、すなわち山を抜けると、荒野に突入した。もうそこはシナロア州である。真っ暗な外を眺めながら風をごうごう浴びてデッキに立つのもおもしろかったが、後半は席で過ごすことが多かった。デッキにいたらいたで、いろんな人が声をかけてくれる。本当にメヒコ人は気さくでやさしい。

「旅は道連れ」の彼らと、いろいろ話していたのだが、やはり海外を個人で旅する人たちだけあって、語学に長けている。彼らのことをすごくいいな、と思ったのは、彼らはみんなスペイン語でしゃべっていたところだった。母国語はもちろんスペイン語ではないし、英語は当たり前に話せるような人たちなのだが、英語ではなくスペイン語でコミュニケーションをとっていた。私のスペイン語は彼らのそれに比べたら雲泥の差で怪しさといったらぴか一なのだが、それでも辛抱強く聞いてくれたり、理解してくれたりして本当にうれしかった。やはり、旅中のほうが、グアダラハラで日常を過ごすよりもスペイン語の必要さに迫られる気がする。それは、めちゃくちゃありがたい。

Creel 6 : 食べ物


クリールの食べ物は、コーヒー同様特にこれがおいしいとか、名物料理があるわけではなかった。しかし、これはうまかった!!というのが一つある。Rambutan(ランブータン)という果物である。ライチ科に属する果物で、見てくれはよくない。ひげのようなものが生えていて、知らずに出されたらちょっとひいてしまいそう。しかし、一度試しに食べてみると透明のみずみずしい実が出てきて、とてもおいしかった。クリール滞在中に何度か買っては食べていた。いつも同じ兄ちゃんから買うようにしていて、クリール最後の日もお兄ちゃんから購入。金額を指定して、いろいろな果物を混ぜてもらってスペシャルパックを作ってもらった。長い列車のおともである。

Creel 5 : アクティビティ(ハイキング)

クリールでのアクティビティ、二つ目はハイキング。

チェぺの一駅向こうの駅は、Divisadero(ディビサデロ)と言う駅でめちゃくちゃでかいBarrancas del cobre(銅峡谷)がある。駅から歩いて2分くらいのところに展望台があるので、チェぺも、上下線ともにこのディビサデロ駅では15~20分ほど停車するほどの場所である。そのディビサデロの峡谷を見るのにも、ツアーかチェぺでしかいけないのかと思いきや、バスが出ているという。……この情報もフランス人Olivier氏にもらったものである。しかも、ディビサデロ周辺には、公園があり遊歩道が整備されているので銅峡谷を眺めながらハイキングが楽しめるのだという。

クリールからは、バスで約1時間でディビサデロに到着する。旅の人やタラウマラの人を含む地元の人も利用するバスで、一日の本数が決められているらしくわりに込み合っていた。その間、ほとんど寝ていたのだが、たまにバスが止まるので目を覚ますと、「なぜこんなところで?!」と言うところで人が降りたり、乗ってきたりしたのが不思議だった。まぁ、家があるんだろうけれど、本当にええ!!ここで?!と二度見してしまう程殺風景なところで乗降していくのである。


ディビサデロについて、眠気で頭がふらふらしていると、目の前に銅峡谷が広がった。曇り空だったのが、その深さに迫力を加えていた。なんというか、こういう大自然の前に立つと人間は無力で、しかも私はあほなので「すげえ……。」というくだらない感想しかでてこない。でも、本当に「すごい」のだ。駅のほうに足を運ぶと、数時間後に到着するチェペに備えて、屋台の人たちは準備に忙しそうだった。主なメニューは、Gordita(ゴルディータ)。分厚めのトルティージャの間にチーズやら肉やらの具を挟んで焼いたものだ。値段は、割と高めに設定してあるな、と言う印象。それでも、列車の長旅でようやくあたたかい食べ物が食べられるし、停車時間が限られているし、となれば飛ぶように売れていくんだろう。

公園も駅のすぐ近くにあった。入場料を払って歩いていくと、遊歩道が本当にきれいに整備されてある。私の予想では、だんだんと山深いところへ入っていくのかと思っていたが、ひたすら遊歩道を崖沿いに歩いていくという感じだった。だから、ハイキングと言うよりは、散歩と言ったほうがいいかもしれない。しかし、散歩といってもあなどるべからず。目の前に広がる銅峡谷はただただ広くて深くて、見る角度によってその表情も変えてくれて見所は満載であった。チェペの停車時間だけではこんなにゆっくりと堪能することはできないので、やはりわざわざ足を運んでよかったと思った。

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そして、もう一つハイキングをしてきた。こちらは、ディビサデロと違って、ハイキングと言うよりも山登りといった方が近いかもしれない。クリールに滞在している間、どこで仕入れたのか誰から聞いたのか、なぜそんなにもいきたい気持ちになっていたのかさっぱりわからないのだが、私は猛烈に「滝」に行きたかった。その滝は、Basaseachi滝という。この滝は、北米で3番目に落差のある滝なんだそうだ。本当は、違うところにツアーを頼もうと思っていたのだけれど、そっちがだめになってしまったので、泊まっているホテルのツアーに参加することにした。内容の説明を受けていると、他にも気になっていた人がいたらしく、わらわらとツアー参加者が増えた。

メンバーは、スイス人の女の子、フランス人の女の子、国籍が分からないが流暢にスペイン語をしゃべるヨーロッパ人ぽいの男の子(のちに、ドイツ人と判明)、メヒコのおっちゃん、アメリカ人と思われるカップル(のちにイタリア人と英国人のカップルと言うことが判明)、アメリカ人の中年夫婦、メヒコ人のカップル、そして我々日本人3人組である。約2時間バンに揺られて滝に到着した。


まずは、ビューポイントのようなところに行って、遠くに見える滝を指差された。ここから滝のしたまでがハイクコースになっているらしい。そして、滝のはるか上のほうに東屋の屋根があり、最後はそこでまた集合、ということだった。目の前に絶景が広がり、またもや「Woohoo!!」とテンションは上がるのだが、山道はそうやさしくはなかった。

行きしなは、ひたすら続くくだり道。雨が降るらしく足元は悪く滑りやすいから、山道に慣れていないので無駄に精神を集中させなければならない。それに加えて、途中から野生の動物のものと思われる糞がそこら中に散らばっていたので、できれば踏みたくないのでそれを避けるためにもまた神経をすり減らさなければならないのだった。息を切らせたライフルを持った軍の人によくすれ違うから、「敵ではありませんよー。善良な市民ですよー」と言うのを無駄にアピールするために「Hola!!」とあいさつをしてすれ違った。このアップダウンを駆け回って鍛えているんだろうと思っていたら、実は山で遭難者があったそうだ。無事に見つかって保護されたそうなのだが、ハイキング気分で浮かれてあるいて二の舞になってはだめだと思い気合を入れなおした。

ようやく到着して、その頃には足が既にがくがくで、滝を眺めるのもそこそこにすぐに岩に腰を下ろしてドリトスで体力の回復を図った。降りてくるだけでこんなに疲れたのに、あろう事か残っているのは登り道か……と思うとげんなりしたが、他のツアー参加者を見てみると、ドイツ人・フランス人・メヒコ人の体力ありまくりぐみは、滝つぼで優雅に泳いでいた。メヒコのおっちゃんのカメラは防水らしく、3人で楽しそうに水の中で写真を取り捲っていた。アメリカの中年夫婦は、おばちゃんがでかいつばのついた帽子にマイケルジャクソンみたいなシャツを着てきていたから、「全然山向きの格好ちゃうやん!!大丈夫かいな」と心配していたけどそれには及ばず。やはりアメリカ人の基礎体力はすごい。トートバッグを片腕にかけながら余裕で到着である。イタリア男の子とイギリス女の子のカップルはバナナを食べているし、へばっているのは私たちだけかと感じるくらいに、みんな体力に満ち溢れていた。
滝の下はごつごつしたでかい岩がその辺に転がっていた。崖が聳え立っていて、その遥上から水が落ちてきて滝つぼに注いでいる。その崖や岩があまりにも垂直に、まるでそこに生えているかのようにあるもんだから、視覚的にそれらが迫ってきそうな感じがして若干酔いそうだった。ゴールまでの残り半分の登り道を、それこそ千鳥足のようにふらふらになりながら、しかし時間以内に到着するために必死で上った。途中、雨に降られながらもなんとか到着。


到着してしまえば疲れなんていうものは吹っ飛んでしまい、目の前の絶景がまたはしゃがせる。みんな思い思いに腰を下ろしたり、写真を撮ったり、風景に酔いしれたりして過ごしていた。しんどかったけれど、やっぱり運動をして汗をかくのは気持ちがいい。最後にみんなで記念撮影をして、ホテルに向かって出発。結構みんな寝ているではないか。なんや、みんな疲れてるんやん!!途中、虹が出ていて、車を止めてもらって、みんなでわーきゃーいいながら写真を撮ったりして、ツアーはツアーでも、こういう体力使います系ツアーは終わった後に妙にみんなとの距離が縮まるので結構ええやん、と思う。

August 02, 2010

Creel 4 : アクティビティ(自転車)

クリールに滞在中は、その自然を満喫するのが一般的な過ごし方のようだ。各ホテルからは私たちが初日に参加したようなツアーも数多く用意されてある。というのも、市バスが走るほど大きな町でもなく、かといってビューポイントがあるようなところは山深くて地元の人がいったりしないのでバスも出ておらず、自家用車でたどり着くしか方法がないのである。しかし、ツアーでしかたどり着けないのかと言うとそう言うわけでもない。私たちはクリール5日間と比較的余裕を持った滞在だったので、いろいろなアクティビティに挑戦することができた。


まず一つ目は、レンタル自転車。初日に、わけが分からぬままツアーに参加した時は地理が全然わからなかったが、数日を過ごすうちにタラウマラ人の居住区域やアラレコ湖はそれほど遠くないということがわかった。

同じホテルに泊まっていて食事の時に仲良くなったKathrynが、El Valle De Los Monjes(僧侶たちの谷)という奇岩群エリアがあることを教えてくれ、一緒にレンタルチャリンコをして見に行くことになった。その道中には、タラウマラ人の居住区や教会、きのこ岩群、カエル岩、アラレコ湖もあり、一筆書きのようなルートを取るとやく22キロのいいバイクライドの距離である。自転車に乗ることや、運動という感じで動くのが久しぶりだったのでかなりテンションも上がり、気持ちよかった。マウンテンバイクを貸してくれるので、乗って2秒くらいで既にお尻が痛くなったので、しんどさと言うよりもこの尻の痛さとの戦いの方が過酷であった。道は、砂利道や舗装道やがたごと山道風とバリエーションに飛んでいる。坂道がきついところもあるが、全体的には平坦な道が多く、スピードにも乗りやすく快適。途中、地元人とおぼしきおっちゃんに「ペソくれ~~~!!!!」とチャリンコでついてこられたのには若干びっくりした。もちろん、ついてこられたことにではなく、かなりのスピードを出していたのにそれについてこれたおっちゃんの脚力にである。

アメリカ人のKathrynは私たちよりも年上だったが、「アメリカ人」だし「レンタル自転車でいけるらしいよ」と提案してくるあたりからむやみに体力はあるのだろう思いきや、車社会の国育ち「アメリカ人」ゆえに自転車に乗るのがなんと15年ぶりと言うことで体力が追いつかず、相当きつそうであった。途中で、「もう引き返したほうが……」と言う提案をされたが、ここはイエスマン日本人に成り下がってはいけないと思い、必死で彼女を説得した。その時点で、実はルートを少し間違えていたとは口が裂けてもいえなかった。真実を知らないほうががんばれるときもあるものだ。そんな彼女を騙し騙し説得し励ましながら、なんとか22キロのバイクライドを終えることができてよかった。最後の方は、自転車の返却時間との戦いも加わったので彼女にとっては相当過酷な体験になったに違いない。
さて、El Valle De Los Monjesとは、英語に訳すとVally of the monksということになり、さらにそれを日本語に訳すと、僧侶たちの谷、といったところだ。奇岩群が僧侶たちがたたずんでいるように見えるからそう言う名前になっているのだろう。しかし、タラウマラ語ではBisarirachiと言う名前がついているらしい。その意味は「ペニスが勃起する場所」なんだそう。どちらがふさわしい名前かは、写真を見て決めてください。

August 01, 2010

Creel 3 : タラウマラ人


クリール近郊には、タラウマラ人と呼ばれる先住民族が暮らしている。彼らは、農業や放牧などを営む昔ながらの素朴な暮らしをしている。洞窟に居住している人たちもいて、その居住区域は保護区域に指定されている。彼らの手作り工芸品はとても繊細で美しかった。織物、かごを編んだり、木で何かを彫ったものがいたるところで見られた。彼らの着ている服も全て手縫いで作られている。クリールの街には、Casa de las Artesanían del Estado de Chihuahuaという博物館があって、彼らの文化や歴史を見ることができる。

彼らの居住区域とされているところに入るには、入場料がいる。アミューズメントパークかされているわけではなく、そうして彼らの暮らしが営めるように保護されているのだった。そこに広がる景色は、本当にのどかでトウモロコシ畑が広がったり、家畜が放牧されてあったり、色とりどりの服の洗濯物が風にはためいていたりとのどかそのものである。このような風景を見るにつけ、人間の心の豊かさがここにはあるんだな、と感じた。

しかし、彼らは本当に豊かな暮らしをしているのだろうか、と尋ねられれば答えに窮してしまう。彼らは経済的にはとても貧しいという現状があるからだ。観光客が訪れる湖のほとりには物売りとして子どもたちがたくさんいた。彼らは、まず自分たちのてに持っている品を買わないかと声をかけてくる。それを断ると、今度は「ペソ(お金)をくれ」といってくる。それも断ると、「ポテトチップスをくれ」と言う。他の街でも物売りの子どもに出くわすことはあったが食べ物をねだられたのは初めてだったのでびっくりした。持っていたリッツをあげるとうれしそうな顔をしてほおばっていた。本当にお腹がすいているのだろう。

友だちが、お菓子をねだってきた子どもに「食べな!!」と勢いよくパッケージを差し出すと、その子どもはぐわしっと、遠慮なくお菓子をわしづかみにしてとっていくものだから目が点になってしまった。さらに、「……ジュースもくれ。」といってきた時にはたくましさを通り越してがめつさなるものも感じずにはいられなかった。

なぜ彼らは経済的に自立していないのだろう。と言うよりもむしろ自立できない理由の方が大きいような気がする。彼らの生活スタイルは、現代社会では置いてきぼりを食らっているのかもしれない。自給自足の生活では、お金と言うものが発生しづらい。しかし、ひとたび居住区をでるとそこはお金がないとモノを買うことができない社会である。彼らののんびりとした生活を素敵だなあ、と思う一方でこのような厳しい現実を見せ付けられると複雑な気持ちになる。

でもやっぱり、目に焼きついたのはこのような時間に縛られない彼らなのである。


【牛と牛追いおばちゃん】

【お母さんたちはかごを編み、子どもたちはその脇で駆け回っていた。小さい子どもがさらに小さいこの面倒を見る。】

【作ったかごを並べて売って、その横で犬もあくび。】

【さまざまなサイズやデザインのかご。出来立てはいいにおい。】

Creel 2 : コーヒー屋事情


クリールは、小さな街だ。そんな小さな街をある日はぶらぶらと何もせずに過ごした。することもないので、お土産屋を冷やかしたり、喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら旅ジャーナルを書いたりするくらいのもんである。

レストランやカフェや喫茶店は、自宅感が強い。……というか、店に入ると普通に家庭の台所みたいなキッチンが見えるんである。そして、店主兼お母さんたちは明らかに家の食事をそこで、しかも昼ドラを見ながら作っていた。お客が来ると、「ああ、ついでに作ってもええけど」てなもんである。そんなレベルなので、残念ながらコーヒーがまずい。


おいしいところにも当たったが、カップが完全に家用だったりする。こういう垢抜けない感じもまた、この街の魅力だと思う。

Creel 1 : Hotel


新しいところについたらまずしなければいけないのが宿探し。クリールでは、"Hotel Margarita"というところを当たってみようと思っていた。チワワで友だちが去年チワワでホームステイをしていて、そのホストファミリーにあったのだが、ホストお母さんが"Hotel Margarita"なるところを大絶賛していたのである。

・きれい
・家族経営でホスピタリティーに溢れている
・夕食が込みで、しかもうまい

というのが、主なおすすめポイントである。列車がクリールについて、「さあ、探すぞ!!」と思って勢いよくホームに下りると、数人のメヒコ人に囲まれた。「な、何事や?!」と思っていると、彼らはクリールにあるホテルの客引きの面々なのであった。1日に上下合わせても2~4本しか列車は到着しないので、客を確保するためにこうして列車の時刻になると駅で客引きを行っているらしいのだ。おどろいたことに、一番最初に話しかけてきて名刺を見せてきたところが探そうと意気込んでいた"Hotel Margarita"だった。

「で、でたーーー!!!!」

とまるでお化けにでも出くわしたかのように驚いて友だちと顔を見合わせた。そして、のこのことMargaritaの兄ちゃんについていったのだ。でかい車を用意していたくせに、なぜあるかされるのだろうと思ったら、駅から徒歩2分くらいのところにそのホテルはあった。部屋を見せてもらい、連泊するのを条件に、3人で3つのベッドがある部屋で1日300ペソ(一人当たり100ペソ)に値引いてもらった。これで夕食も朝食も込みなのだからありがたい値段である。

チェックインを済ませるなり、ホテルのスタッフの眼光の鋭い兄ちゃんがしきりにツアーに参加しないかと誘ってきた。出発日を質問すると、

「おまえたちが準備できたらすぐにでも!!そうだな、15分後だ!!」

という返事が返ってきた。「きょ、今日の話しかいな!!」と展開の速さに少々驚いて半笑いになっていると、

「今日は他にも行く人がいるから、値引きするぜ。明日はこのツアーが催行されるかは分からない。保障はない。」

とさらにツアー参加をまくし立てられた。……ホスピタリティに溢れていると聞いていたんやけど……。と思うまもなく、その勢いに押されて、

「い、行きますとも!!!」

と返事。250ペソ也。数時間のツアーが2.5泊分の金額である。得をしているのか損をしているのか分からないままツアーに出発。クリール周辺の見所といわれている、クサラレ滝・アラレコ湖・タラウマラ族の居住区を回るものだった。

まず、クサラレ滝にむかったのだが、なかなかのハードコアながたがた道だった。途中、川も車でこえていく場面があったのだが、その一つで車が川にはまって抜けられなくなっていた。はじめは車内から様子を見ていたが、同じツアーのスウェーデン人のカップルが「助けましょう」といって、外に出て行った。それに続いてみんなわらわらと外へ出た。後輪がじゃりじゃりした川底にとられてはまって抜けなくなっているらしく、後ろを持ち上げてそのすきにアクセルを踏んで脱出する、や、さらに大きな車でロープで引き上げる、などいろいろ試したがどれもうまくいかず。持ち上げる際にはスウェーデンの男の人がものすごい力を発揮していた。ヨーロッパの人たち(主に北の方)は、体格がいい。骨格が元々でかいのだろう。手も足も長くて、背も高い。そんな彼がこん身の力を込めても持ち上がらない状況である。弱小アジア女は出る幕無しである。にぎやかし程度に持ち上げるのを手伝ったけど、効果上がらず。


せいぜい、写真を撮ってはやし立てるのが精一杯である。結局、気の毒だけど我々のツアーは先を急ぐことになった。何もできないけど心配だけはしてその場を去ることがなんだか後ろめたく感じる日本人、力が及ばないと分かるとあきらめが早くまた切り替えも早いスウェーデン人およびメヒコ人を乗せて車はさらに山の奥へ。

この一件のせいで、滝周辺での自由時間が短縮されてしまったと見え、滝をみにいって戻ってくる集合時間が異常に早い。滝のふもとまで下ってみることはできなかったけれど、上から望む滝もなかなか雄大なものだった。帰りがけには、はまっていた車も他の人やその地域に居住するタラウマラの人たちの力を借りて今や抜け出せるか、と言うところだった。しばらくまた手伝うことになり、数分後には無事に脱出することができた。

その後もツアーはいろいろなところを回り、連日早起きと長旅が続いていた身には少しこたえたが無事にホテルに帰ってきた。雨がしとしと降っていたけれど、おなかが異常に減っていたので街歩きがてらレストランを探すことにした。街を歩いていると、前からまっ黄色なカッパをかぶった人が歩いてきた。その人は私の顔を確認するなり、話しかけてくるではないか。……列車で会ったOlivier氏であった。氏も一緒にレストランで食事をし、さっそく仕入れたというクリール周辺の面白アクティビティ(乗馬)のツアーの情報などをくれた。そして、彼はフランス出身でしかも、パリジャンだということが分かった。