September 28, 2010

豚パン

昨日に引き続き、「気になっていたパンを食べてみました」レポート。名前は定かではないのだけれど、形がインパクト大の「豚パン」。今まで見たことなかったのに、独立記念日の少し前から見かけだして、独立記念日当日にたくさんでていた食べ物ティアンギスにもちゃっかりいらっしゃった豚さま。またもや食べ損ねて、その存在すら忘れていたのだけれど、今日スーパーに行ったときにたまたま見かけたので、購入してみた。

なんかしらんが、めっちゃうまい。それが感想。日本にもこんな味のパン、あるような。丸ボウロの味に似ているような。でもなんか、他のメヒコのパンの味とちょっと違って、甘みもおさえられていて、なんだか癖になりそうな味だった。

September 27, 2010

Pan de muerto

独立記念日が過ぎて、メヒコの次の祝日と言えば11月2日の「死者の日」である。先週くらいからセントロでは、すでに死者の日グッズがちらほら目に付くようになっていたけど、近所のスーパーでも"Pan de muerto"と見つけた。直訳したら「死人のパン」と言うことになるけど、「死者の日のパン」である。このような季節の限定物のパンがメヒコにはたくさんある。

去年も死者の日の前になるとどこでもやたらと見かけていたので、「いつでも食べられる」と思っていたら、本当に死者の日が過ぎたらどこにも見かけなくなってしまって食べそびれてしまったのだ。そういうわけで、今年はフライング過ぎるけれど、せっかく見つけたので、とりあえず一つ買って食べてみた。何のことはない、ただの砂糖のかかったおいしいパンである。デザインに何か意味があるのだと思うが、今のところ分からない。また調べてみよう。私が買ったのは手のひらサイズの普通のパンのサイズだけど、通常は直径20~30センチもあるようだ。死者の日は、日本で言うところのお盆のような日なので、お墓参りにいくために家族が集まるから、その集まった家族みんなで分けて食べるためだろうか、という気がする。真相やいかに。

Caja Ecológica

何度か書いたことがあると思うが、メヒコのレジには「品物を入れてくれる人」がいる。なので、「袋いりません」と言わないと勝手に袋にどんどん詰められてしまうのだ。その袋に詰めてくれる人たちは、一部のスーパーでは完全にボランティアでやっていて、チップだけが収入源らしいと言うのを聞いてからマイバッグを持っていくことに若干後ろめたさを感じる(彼らの収入源を奪っているように感じるので。)と言う納得のいかない状況に陥っていた。

しかし、ついに、このようなレジレーンが登場した!!!これは、ウォルマートなのだが、「袋入れマン」がいないなぁ、と思いながらいつものようにマイバッグに買ったものをつめて、清算が終わって振り返ってみると、"Caja Ecológica"という表示が。数あるレーンの中でそこだけが唯一のマイバッグ専用レーンだったのだが、これはめちゃくちゃにいい。堂々とマイバッグを使えるし、あの「袋いりません」と言う余計な後ろめたさも感じずにすむのである。

メヒコにも、エコの波、来てます!!!!といっても、ウォルマートはアメリカ資本だから、まだまだメヒコ発信と呼ぶには程遠いけれど、この流れが広まるといいなと思う。

September 23, 2010

笑うこと

「またか、おまえは」と思われるでしょうが、またお腹が壊れた。久しぶりにお腹が痛くて、痛くて、死ぬかと思った。冷や汗、悪寒、吐き気。スプライトを買いに行く余裕もない程である。仕事を早退させてもらって家に帰って毛布に包まってiPod touchでYoutubeをみるのが精一杯である。(←結構余裕じゃないか。いかんいかん。)何が悪かったのか、思い当たるのは昼に食べたお好み焼き……??それに使った賞味期限切れのマヨネーズ??ここ1週間でお好み焼を3回もしているのである。(あほである。)でも、昨日前大丈夫だったマヨネーズがいきなりだめになるとは考えにくい。やはり、最近の寒暖の差の激しい気候のせいだろうか。分からないけど。

まぁ、お腹に優しいものを、と思いにゅう麺を食べて、インターネットをしているとskypeに友だちがオンラインでいるではないか。日本は、今日は秋分の日で祝日だそうだ。時間がありそうだったので、その子と音声で話した。やっぱりメールやチャットの文字で話すよりも、直接声を聞いて、がはははと馬鹿笑いしながらやり取りするのは楽しい。友だちの笑い声や自分の笑い声を聞いていると、なんか元気がもりもりしてきた。お腹の痛みもすっかり引っ込んだ様子。やっぱり、私にとっては笑うことが何よりも効くんだな。そういや、最近馬鹿笑いしてなかったかもな。あぶないあぶない。そういうわけで、「馬鹿笑いで病気を吹っ飛ばせ」、を今秋のスローガンに決定。

September 22, 2010

うしし


やきもきするわぁあああ、と綴った午前。その後無事にあたたかいシャワーをすることができたが、なにか胸騒ぎ。ちんたらしている場合ではないような気がして、私は急いでいた。

すると、予感が的中し、チャイムが鳴る。いつもは、電力の加減でなぜか、洗濯機を回しているときに誰も来ていないのに勝手に鳴るチャイムである。今日のは、完全に誰かに押されてなった様子。下で、"Correo~(郵便で~す!)"とおっちゃんが叫んでいる。髪の毛はびちゃびちゃのままだが、ここで彼を帰すわけにはいかない。いわゆる、必死のパッチでバスルームから飛び出し、"Siiiiiii!!!!"と返事をした。

まってました、の荷物。お母さんがいっていたとおり、アクエリアスの箱に入っていた。中を開けたらでてくる、でてくる。私の好きなもの、リクエストしたもの、気をきかせて入れてくれたもの。ありがたいなぁ、荷物って。むははのうしし。届いてうれしくて、今日はこのままこれをにやにやと眺めていたいと思ったくらい。やっぱり荷物が届くのはうれしい。ありがとう、お母さん。

写真は、弟に頼んで買って送ってもらった魚眼レンズを使って撮ったもの。この間買ったvivicamで使おうと思ったのだが、vivicamでは魚眼の機能が働かず……。5050という機種にしか、どうやら対応していない模様。しかし、広角レンズとしての役割を果たしてくれそう。なので、私のvivicamでは広角レンズとして使う予定。上の写真はちゃんと魚眼に。これは、日本から持ってきた携帯のカメラで撮ったのだ。携帯のカメラとは相性がよく、ちゃんと魚眼レンズとして使えるので、久しぶりに日本の携帯も持ち歩いてみようかな、と思う。

やきもき

昨日からのやきもきしていることその1。

「シャワーのお湯が出ない」

こうなると、だいたい2~3日は出ないのででるまで待つ作戦を決め込んでいたのだが、朝晩が涼しくなっている今日この頃なので、水シャワーは避けたい。かといって、シャワーをしないわけにもいかない。というわけで、ボイラーに点火を試みることにした。

今までにも何度かトライしたのだが、点火の方法が分からずあえなく断念してきた。チャッカマンをやたらむやみにカチカチさせてみるものの、しーーーん、と何も起こらずスペイン語の説明書の字が小さすぎて、しかもちんぷんかんぷんなので、「うん、水シャワーで問題ない。うん、お湯を沸かしてバケツに入れて行水で問題ない。」と言い聞かせて部屋に戻ってくるのがオチだった。

しかし、「今回こそは!!!!」と、googleで調べてみました。「メキシコ ボイラー 点火」。えらいもんで、こんなキーワードでヒットするサイトがあった。2個ほど参考にさせてもらって、そのうちの一つはアメリカのボイラーの点火方法だった。Youtubeの画像つきで説明してくれていたからこれはいいや、と思ってみ始めたものの、おっさんの説明がやたら長くいらっとして、話半分に聞いて、最後は画像だけをさらりと早送りしてみた。

十分な知識を得て(?)、「いざ!!!」である。ガス栓をあけておかないと点火できないという思い込みから今までは、"ABIERTO(開)"というところに合わせてチャッカマンをカチカチとしていたが、よくよく見たら、"CERRADO(閉)"との間に"PILOT"とかいうのがあるではないか。Youtubeのアメリカおっさんがそういえばくどくどと"Pilot"的な単語を連呼していたのを思い出して、"PILOT"というのに合わせてカチカチとボタンを押してチャッカマンを近づけていると、なんだか辺りがガスくさい。

おおおお!!!!ガス、きてる!!!!

後はよく分からないけど、ABIERTOにして、温度のつまみのところもFRIO(冷たい)からCALIENTE(熱い)にぐりぐりまわしてみたら、種火がゴオオオオオオと猛烈に燃え上がった。1年半ここに住んで初めてボイラーの点火に成功。妙にうれしい。これから、冷たいシャワーに悩まされることもおそらくないでしょう……。

そのお湯が暖まるのを待っているわけなのだが、それと同時にもう一つやきもきしながら待っているものが。というわけで、その2。

「日本からの小包」

追跡調査をしたらものすごい速さで日本国内を駆け巡り、18日にはメヒコに到着しているという。「通関検査中」と表示されてから、かれこれもう2~3日。週末やら独立記念日がかぶっていたので、週末に到着はないな、よし、早ければ、月曜日……!!!と、いつもなら朝はそのへんにコーヒーでも飲みに出かけてまったり過ごすところを、家で無駄に待っていたのに、見事にふられた昨日。そうすると、火曜日は硬いな、と今日も朝からスタンバイオーケイ。……もどかしい。

もう今日は来ないと決め込んで、そろそろシャワーに入るべきか。いやぁ~、でもなぁ。その間に来るかもしれへんしなぁ~。と、やきもきしながら今日はYoutubeでブラマヨばかりを聴いている。漫才とかラジオとか、もはや映像いらん。ああ、ブラマヨオモロイ。

September 20, 2010

手を加える


「ええなぁ」と直感的に感じたものは割りと即決で買うことにしている。この間セントロに行ったときにチアパスの工芸品がたくさん売ってあって、その中で気に入った小さな小物入れを買った。新しいカメラを入れる絵が頭にばばばっと広がったからだ。

ウール地に刺繍が施されてあるのだが、なんだかゆるくて、とても気に入った。しかし購入後に一箇所不便なところがでてきた。閉じるためのひもがついているのだがカメラを入れると袋に厚みができるのと、ひもが短いためにうまく結べなくて、なんだか不細工だった。かたむすびにしていざというときに取り出せないのも困る。というわけで、ボタンを買って、下のひもは切り落とし、上のひもだけ残してそのボタンにくるくる巻きつけるようにした。ええ感じですやん。←まだ誰にも見せてないので自分で褒めてみた。

必要に応じて、自分で手を加える。時間がないと意外とできないことかもしれないけれど、こうして自分の好きなように改造していくことで、ますますそれを買ってよかったな、と思える。そう言うものが自分の身の回りに増えていくことは、とてもうれしい。

バランス

"You are always meeting new people. It is part of your exciting and adventurous life."

最近友達にメールで言われた言葉である。友達曰く、「たくさんの人に出会っているから、あなたの人生はおもしろくてわくわくしてるんやなぁ」ということだ。確かに、いろいろな人に出会うことは、私の生活や人生を豊かにしてくれていると思う。道端で、店で、旅先で、出会うところはさまざまだ。そして実際、いろんなところに知り合いや友達がいるのはすごくおもしろい。この町でも、世界のどこかでも。だから、たくさんの出会いやつながりには本当に感謝している。しかし、そう言う一面がありつつ、1人の時間をものすごく必要としている自分がいる。なので、一人で過ごそうとこそこそと行動していたのに不意に誰かに再会してしまったときに、がーん、と思うときがある。なんか、おもてたんと違うーー、という具合である。性格悪いなあ、そんな風に思うとは、と自分でも思うのだが事実なんである。誰かと過ごす時間と一人で過ごす時間のバランスというのは、なかなか難しいものだなと思う。これで、家族とかいて、子どもとかいる人はどうやってこのバランスを保っているのか、謎だ。

そんなわけで、なんか消化不良だなぁ、と思いながら帰路へついたのだが、帰りのバスで「これって、○番のバスですよね??」と運転手に聞くと、「そうだよ。おまえ、スペイン語上手に話すな!」と言われた。この辺りでは珍しいアジア顔の外国人なので、その割りにはスペイン語しゃべるじゃねえか、という意味合いなのだが、なんだかえらく心が温かくなった。おっちゃん、お世辞でもその言葉、めちゃくちゃありがたく受け取ります。

そんなことで一喜一憂していたらだめなのだが、コラソン(ハート)の国メヒコでは、それもまたありなのかな、と思ってみたり。

September 19, 2010

街歩き

久しぶりに1人でグアダラハラの街をほろほろほろほろと歩いてきた。無性にセビーチェが食べたくなり、そういえば、いろいろ買いたいものもあるしなぁ、と向かうはセントロ。

まず向かった先は、問屋街。キャミソールがうそみたいにぼろぼろになって、これ以上着るのは忍びないので問屋街で買うことにした。前にも一度買ったけど、これが意外と丈夫で、メヒコの強い洗濯機にも余裕で耐えてくれているので、これはいいや、と同じ店へ。そして、他のものもふらふらと見つつ、目的地はセビーチェの屋台。土曜日にしか出ていない店なのでいつも行くたびにえらくにぎわっている。一時はあほみたいに毎週通っていたけど、夏休みがあったりなんだりでしばらく来ていなかった。セビーチェとカマロン(えび)のセビーチェを食べた。ああ、うまい。やっぱりここのセビーチェはめちゃくちゃおいしい。そして、なんかよく分からないけど机においてあるラー油みたいな出で立ちのソースをかけると、酸味のあるセビーチェにぴりりとスパイスが加わってめちゃくちゃ美味。1人でもしゃもしゃと食らう。

後うろうろと回ったのは布屋さんとプラサテクノロヒア(電化製品のプラサ)。テクノロヒアは、もう買いたいものが決まっていたので台湾の姉さんとおそらくその夫が営む店舗へ直行。そのお店で既に何度か買い物して顔を覚えてもらっていて、しかもおなじアジア出身のよしみと言うことで、こちらから値切らなくてもスペシャルプライスで提供してくれる粋な店なのだ。そこでこの間買ったカメラの保護フィルムを購入。

布屋さんでは、ジャケットの劣化したゴムを入れかえるための同じような黒いゴム、それからこの間買ったチアパスの小物入れ(カメラケースとして使う予定)を改造するためのボタンを買った。しかもそれらが小売りや何十センチ単位で購入できるからメヒコの布屋さんはすごいと思う。素材王国メヒコは、「あれがこれだけあればなぁ」というニーズにばっちりこたえてくれるのである。だから、何かを作ってみようかなと言う気にさせるし(いや、これは実際に、メヒコの手作り人間人口は恐ろしく多いであろう!!)、壊れたところを修理・修繕しようと言う気にもさせてくれる。この間まで、独立記念日向けに「VIVA MEXICO」な柄の布が多くあったけれど、それらはちょっとばかり隅に追いやられて、台頭してきたのがハロウィン・死者の日柄の布。メヒコではハロウィンは特に盛大に祝われないけれど、流行って来ているようだ。近年の日本での異様なハロウィンの盛り上がり方に似ている気がする。しかし、ハロウィンの3日後の11月2日はメヒコの祝日「死者の日」があり、それも骸骨がメインキャラクター(?)なので、布の柄はどっちゃらでもええわ、という両イベントを兼ねまくっているのである。

セントロの後は、あるプラサでメヒコや中南米の工芸品市のようなものが行われていると言う情報を仕入れたので、それに行くつもりにしていたので、セントロは去ることに。……と思ったら、文房具屋街を通ったら死者の日グッズがもはや売り出されているではないか……!!!骸骨の飾り物もほしいなぁ、と思いながらいろんな店を見てみようと、結局だらだらとセントロに居続けてしまった。死者の日特別ロテリア(メヒコのビンゴゲームみたいなもの)も売っていて、これがめっちゃくちゃかっこよかった。普通のロテリアよりも値がだいぶ張るので今日は保留と言うことにしておいた。

遅くなったがちゃっかり工芸品市にも足を運んできた。メヒコの工芸品は、各地方によってカラーが全然違う。その違いが最近分かってきた。オアハカからもたくさん工芸品が来ていて、木の置物とかテーブルクロスとか去年オアハカに行ったときにたくさんみたので、それらに再びあえてなんだか懐かしさすら感じた。目新しかったのは、まだ行ったことのないミチョアカンの工芸品である。籠の作り方が、ハリスコ州のものとも、この間行ったチワワ州のものとも違っていて興味深かった。作りたての籠は、まだいいにおいがして、そのにおいはチワワの籠と似ていた。チアパスのブースでは、インディヘナの女の子たちが店番をしていて、お互いがしゃべるときに民族の言葉を使っていて、その音があまりにもスペイン語とかけ離れていてびっくりした。チアパス、絶対に行きたい。

充実のEl día del お一人様。

【写真:プラサで入ったトイレ。遠いよな、これ。……紙まで。】

September 18, 2010

刺繍シャツ

独立記念日。いやぁ、めでたい、となぜか日本人のくせに羽振りがよくなってティアンギスで買い物をした。ずっとほしいと思いつつ、買っていなかった刺繍のシャツを買ってみた。お姉さんがちくちくしながら店番をしていて、私が買ったシャツもそのお姉さんが作ったのだと言う。裏を見せてもらってびっくり。ほんまに手縫いです。芸が細かい!!!!!すごい。


そのほかにも、VIVA MEXICOとかいたピンバッヂやら、吸盤がついた小さなメヒコの旗もこうた。完全にメヒコかぶれである。……いいんです!!!!!

新500ペソ札



 
お札が新しくなったらしい。なんと、新500ペソ札にはあのフリーダカーロとディエゴリベラ夫妻が!!!!!!興奮、鼻血ぶー!!!!表のディエゴはなんか、ちょっと不細工な気がするけど、裏のフリーダの肖像かっこええ!!そして、2人の絵までプリントされている。うわああああ、かっこよすぎる!!こんなかっこええお金ははじめてみた!!!!!500ペソ、決して小額ではないけれどこれは、保存版です。使いません。しかもピン札やし。

El día de la independencia

夜が明けて16日。この日がメヒコの独立記念日である。セントロで、パレードがあるというので行くことにした。遅刻すると悪いので、というか、遅刻してしまいそうな予感がしていたから、バス停では待ち合わせず、現地集合にした。そうすると、最悪誰かが遅刻しても現地にたどり着いた人はパレードは見逃さない、と言うわけだ。

しかし、バスが待てども待てども来ない。友達も一つ先のバス停で待ちぼうけを食らっているらしい。1時間近く待ってようやく来たので乗り込むと、思っていたほど込み合ってはいなかった。独立記念日は祝日なので、のこのこ出かける人も少ないのか、はたまた、昨晩家でフィエスタをしたから朝からバスに乗るような人はいないのか、と言うことだろう。

パレードは、遅くとも11時には終わってしまうと聞いていたのだが、セントロに着いたのは11時過ぎだけど、余裕で行われていた。今年は、200周年なので気合が入っていると言うことなのか。それにしても、人が多くて様子なんて見えやしない。少しはなれて様子を伺っていると、マーチングパレードなのかと思いきや、警察や消防の人、軍隊などが歩いているだけだった。予想していたのと少し違うかったので、残念に思いながら、人ごみをかき分けてパレードをみることよりも、パレードを見ている人々を見たほうがおもしろいということになった。


▲ゴミ袋に立って、身長をかさ増しする人たち。

▲マイチェアーで参戦組み。

▲少しでも高いところ、そして陰の下で見たい人々。

16 de Sieptembre通りをはさんだ向こう側に、デゴジャード劇場がありその前の広場にたくさん食べ物のティアンギス(屋台)がでると聞いていたので渡りたかったのだが、パレードが終わらないことにはそれも不可能である。パレードが終わるとすぐに、数台の清掃車もそのあとを通った。馬もパレードに参加していたので、彼らの落し物により道路が汚いのである。清掃車が通り過ぎると、すぐに柵が取り除かれ、人がいっせいに道路の向こう側に流れていく。昨日の花火終了後の人の流れといい、今日のこの人の流れといい、メヒコ人は切り替えが早い。私たちもその波にまぎれてティアンギスを目指した。


何を食べるか吟味していると、見かけたことのないメヒコ料理が。"Burro"といって、その意味は「ロバ」である。ロバの絵が書かれたお店の看板も掲げられている。小麦粉のトルティージャの中に、バルバコア(肉の煮込んだもの)やジャガイモの煮込んだものやフリホーレス(豆)を入れて巻くと言う料理らしい。Burritoに似ているなぁ、と思いながら食べたけど、めちゃくちゃおいしかった。特に、バルバコアのところがめちゃくちゃおいしかった。皮が小麦粉のトルティージャだったので、あっさりとそしてもちもちしていて、煮込まれた具からでるスープと絡んでおいしかった。後で合流した友達に聞くと、Burritoの~itoは、小さいものにつける愛称(例えば、poco(少し)にitoとつけるとpoquitoになって、めっちゃちょっと、と言う意味になる。)で、Burritoは「Burroの小さいもの」と言うことらしい。し、知らんかった!!!しかし、なんで「ロバ」と言う名前の食べ物なんだろう?!と不思議に思ったので、wikipediaで調べてみると(信憑性は知りませんが)、「理由は細く巻いたトルティーヤがロバの耳に似ているからとも、ロバがよく背中に積んでいた毛布や荷物に似ているからとも」と言うことらしい。なるほど。言われてみればそう見えなくもないメヒコのBurroの形。アメリカのBurritoはお米とかも入れたり具沢山でもっと太っていて、最後はアルミホイルで包んでしまうから、あんまり「ロバの耳」っぽくないかもしれない。食べ物も、ところ変わればオリジナルから変化しているんだな、と言うのをこういう些細な疑問をきっかけに気付かされる。

食べ物のティアンギスもたくさんでていたけど、オスピシオカバーニャスの近くのプラサではチアパスの民芸品やウイチョール族の民芸品、手作りアクセサリーなど、雑貨系のティアンギスがたくさん出ていてこちらもめちゃくちゃ堪能した。


最近涼しいと思っていたけど、昼間に外をうろうろすることはあまりないので、昼間の太陽の強さには参ってしまった。子どもたちは噴水で水浴びをしていたけど、まさか大の大人がそんなことをするわけにもいかず……。というか、あの水の中に入って大丈夫なのか、子どもたちよ?!メヒコニーニョスは強い……。だから私は、頻繁にアグアを買って飲んだり、アイスクリームを食べてみたりと水分補給をしてしのいだ。太陽の暑さに体力を全部持っていかれたような。でも、メヒコの独立記念日を大満喫できた一日だった。

El grito

9月16日はメヒコの独立記念日だった。今年は、独立200周年、革命100周年にあたる特別な年だった。日本には「独立」も「革命」もないから、「VIVA MÉXICO!!」と国旗を降って万歳!!なんていうことは考えられない。日本国旗を振りまわって万歳、と言っているとちょっと偏った考えの人かと思われてしまうかもしれない。長い間他の国に侵略され、植民地とされていた時代を持つメヒコ。そこから「メヒコ」として独立した意味と言うのは、植民地化された時代のない日本人には理解しにくいことなのかもしれない。でも、こうして自分の国をでかい声で「ビバ!!!」といってお祝いできるのは素晴らしいことだと思う。

今年は、先にも書いたように独立200周年、革命100周年の年だったので、なかなか政府も気合が入っていたようで、私の住んでいるアパートにも、メヒコの歴史を綴った冊子が入っていたり、友達の家にはバンデラ(国旗)が届けられていたそうだ。私もその国旗、ほしかったなぁ……。

ともかく、そんなめでたい祝いである。メヒコに世話になっているメヒコが大好きなものとして、メヒコの皆さんと一緒にこの日を祝いたい、と言うことで、一連のお祝いにちょこちょこ足を運んできた。

まずは、15日の夜のEl grito(独立の叫び)から独立記念日は始まる。各市の庁舎に市長やらそのエリアで一番偉い人があらわれて(メヒコシティは、大統領。)、バルコニーのようなところに立つ。そして、その下、周りに市民が集まり市長が叫びの音頭を取り、みんなで「VIVA!!」と叫ぶのである。去年は、グアダラハラのセントロのグリートに行ったので、今年は違うところにいくことにした。記念年なので、グアダラハラセントロはさぞ盛大だったのだろう。行きたい気持ちはたくさんあったのだが、違うところをみておくのも面白いだろうと言うことで隣町のZapopan(サポパン市)のグリートに足を運んだ。

グアダラハラセントロよりはだいぶん規模が小さかったけれど、着くと夜店やたくさんの人でにぎわっていた。日本の夜店みたいに食べ物があったり、ゲームがあったりさまざまである。子連れの人もたくさんいたので、本当、お祭りである。メヒコの国旗を持った人や、国旗カラーの被り物をした人、フェイスペインティングした人、メヒコのあのでかいソンブレロ(帽子)をかぶった人、民族衣装を着た人、付け髭をした人、さまざまである。今年は、ワールドカップがあったので、メヒコ代表のユニフォームを着たり、ブブゼラを持っている人も多かったように思う。あの爆音の鳴り物をところかまわずブーブーやっているので、えらい賑わいである。

夜店では、やたらと脂っこいフライドポテトとウインナーのコンビネーションを買った。ケチャップのほかに、チレやリモン(ライム)が置いてあるのがメヒコならでは、である。脂っこいものを食べたら、さっぱりしたものが食べたくなったので、今度はnieve(シャーベットみたいなアイス)を食べることに。買って友達の待つところへ行くと、周りの人が急に「VIVA!」と叫びだしたので、一緒になって「VIVA」「VIVA」叫んだ。12時くらいからあると思っていたのに、その級に叫びだした叫びこそがどうやら本物のグリートだったらしい。私は、本番前の練習かと思いつつも、ひとしきり叫んだ。終わったころに、もう1人の友達がアイスを持って帰ってきた。

「はるちゃん、今のでグリート終了らしいで。ちゃんと叫んだ??」

「……えええええええええ?!?!」

とか何とか言っているうちに、メヒコ国歌が流れ出した。これを、去年1行もうたえずに悲しい思いをした。今年は歌えるように、と少し家で練習しておいたのが功を奏して、一番繰り返される部分はばっちりと歌えた。ふ、ふ、ふ!!!!!!



叫びそびれた友達は放心状態だったので、もっと現場に近づいて様子を見ようとぐんぐんと人ごみの方に近づいていった。すると、どかーーーんと花火が夜空に打ち上げられた。火の粉が落ちてくるほど近い花火である。メヒコカラー(赤、緑、白)の花火が打ち上げられてはみんなの歓声が上がる。

それが済むと、さっさと帰る人たちもたくさんいて、それがなんだかメヒコっぽいなぁ、と思った。ステージでは、続いて記念イベント(もちろん、マリアッチ!!)が始まる。パパパパパ~~とトランペットの音が辺りに広がり、深夜にもかかわらず爆音で演奏が始まった。一緒に口ずさむ人もいれば、音楽があればそこはもうダンスフロアと言うことで、踊りだす人もいて、それもまた、なんだかメヒコっぽいなぁ、と思った。



このまま帰っていくのもなんだかもったいないので、1杯飲んで帰ろうと友達を説得してバーへ。ちょうどライブの生演奏のあるところで、ステージにはバンデラ(国旗)が掲げられて、3人組のおっちゃんバンドが気持ちよさそうに演奏していた。途中、ディスコみたいになったときは、去年グアナファトでであったゲイの姉さまを思い出した。姉さまも、マサトランでグリートを祝っているかなぁ。いや、姉さまはきっとそんなものには足を運ばずに、バーかディスコで朝まで踊っているんだろう。



バーを堪能して、もうどちみちタクシーで帰ることが決定していたので、小腹が空いた腹を満たすべくタコス屋へいった。近所のタコス屋は12時で終わりだけど、夜通しやっているタコス屋もたくさんあるらしく、サポパンで見つけたそのタコス屋はどうやら「夜通し」タイプだった。最近はまっているビステック(いわゆる焼肉)を食べて、満足満足、で家路についた。

▲花火の後に始まったステージの様子を。かなり通りのに、音拾いすぎ!!ということで、爆音具合が伝わればこれ、幸い。笑

September 14, 2010

Plaza

基本的に、街歩きが好きなのでセントロとか、チャプルテペックといった裏路地系のところをうろつくのが好きな私ではあるが、プラサ(いわゆるショッピングモール)にも行くときもある。最近、家のにおいがなんか生活くさくなってきたので、ちょっとでも帰ってきたときによい気持ちになりたいと思っていいにおいのするものを買いにプラサに足を運んだ。

セントロとプラサでは客層が違う。特に、昨日足を運んだプラサは、基本めっちゃお金持ちの人たちが行くようなプラサなので、これは、同じ国なのか?!と感じてしまうほどだ。どうせ用はない、と思って今まで足を運んでいなかったデパートの方にも足を踏み入れてみたら価格設定の高額っぷりに度肝を抜かれてひっくり返るかと思った。

大きい家用の冷蔵庫や、ガス台などの高額具合は、あまり自分に関係ないのでピンとこない。そんなものよりも、コースターやランチョンマットの金額の方がはるかに生々しいのである。トナラというティアンギス(市場)やセントロで買えば5ペソくらいのコースターがデパート価格では15ペソである。さ、三倍!!!10ペソくらいのランチョンマットが49ペソである。ご、ご、五倍……!!!!手にとって見ても、品質に差があるとは思えない。ところ変われば値段が変わるとは、知っていたものの5倍もの差があるのを目の当たりにすると、この国の貧富の差を突きつけられたような気がして複雑な気持ちになる。貧困層がこのような高級デパートで買い物することはないんだろうな、と思うし、富裕層がセントロとかで買い物することもないんだろうなとも思う。なんか、すごく複雑な気持ちだ。正直な気持ちは、どちらにも属していない、両方をある程度楽しめる中流層でよかった、である。

September 13, 2010

Spelling

日本語にLとRの違いがないように、それぞれの言語には独特の音と言うものがある。日本語にあって、スペイン語や英語にない音の一つにrya, ryu, ryoが挙げられる。ないので、音だけで聞いてそれを綴るのは難しいらしい。私の名前は、「リョウコ」なので、日本人以外の人には綴るのも発音するのも結構難しいらしい。大体の人は、耳だけで聞くと「ヨウコ」に聞こえるらしい。(メヒコでは、綴りを言うと、上手に呼んでくれる人が多い。)

今日、バーガーキングに行ったら名前を聞かれたので言うと、上の写真のように綴られた。いくらなんでもJOKOはひどくないかい。ジョウコって……。スペイン語のカ行はca, qui, qu, que, coのように綴られるから、コをkoと綴ってくれているので、外国人の名前と言うことを意識してもらえているけれども、ryoがjoになるのは新鮮すぎる。(ちなみに、ドイツに行ったときは、ryoはdioに聞こえるといわれて、このときも驚いた。)びっくりしたので思わず写真にとってしまった。ちなみに、スペイン語の発音で読むならば、JOKOはホコである。誰やねん。ホコって。

September 12, 2010

そういう感覚

今日、朝シャワーをしようと思ったらお湯が出てびっくりした。というのも、昨日は水しか出なかったのだ。ここ数ヶ月の傾向だと、水が出たら3~4日は水の日が続く感じだったので、今日もどうせ水しか出ないだろうとあきらめていた。すると、不意にお湯が出てきたので、思わず「ラッキー」と思ってしまった。

今日、とある人のお家に晩ご飯をよばれにいった。品数の多い日本の家庭料理に舌鼓をうった。おなかは一杯なのに、いくらでも食べられる日本料理のやさしい味。どれを口に運んでも顔がほころぶという反応。

小さいことは気にならない。細かなやさしさが身にしみる。どちらも私。

September 09, 2010

お好み焼き

先週、おそらく冷えが原因で体調が悪くなってしまったけど、おそらくは野菜とかそういう栄養不足のせいで、すぐに体調を崩しやすくなっているに違いない。肩こりなども、もうこういうところに原因があるのではないかと、全ての体調不良の元凶はこの野菜をあんまり食べないめちゃくちゃな食生活ということに帰結した。と言うわけで食生活を改善することにした。でも、そうは言っても料理の知識と技術がないので、別に食卓に華はない。

しかし、お好み焼きに関して言えば、私は結構うまいお好み焼きを作ると自負している。そういえば、長らくお好み焼きを食べていないことに気がついた。セントロに行くたびに山芋を見に行ってはいるもののここの所全然見かけない。もしかしたら、シーズンがあって、それが終わってしまったのかもしれない。山芋を入れたほうがよりふっくらするから、とそこにこだわっていたけれど、そんな悠長なこだわりをしている場合ではなくなった。禁断症状である。ソースもんが体内から切れて久しいこの関西人の禁断症状は、幻覚が見えたり幻聴が聞こえたりするわけではなく、ただたんに夜中の2時くらいにお好み焼きとそれを食べることを想像してにやにやとして、ああ、食べたいなぁ、と若干切なくなる程度である。

それを抑えきれずついに今日お好み焼きを作って食べた。ああ、なんてうまいんだ。山芋がなくても、こんなにうまいではないか。ああ、お好み焼き。これを食べたら、なんかがんばれる気がする。ソウルフード。

September 06, 2010

鶏肉

私は、鶏肉が好きだ。ちなみにスペイン語の鶏肉と言う単語(Pollo)と発音するのも好きだ。そんな鶏肉馬鹿なので、鶏肉が安売りしているとついつい手にとって見てしまう。この間、ずっしりと入っているのになんだか安い鶏肉を見つけたので買ってしまった。

先週は、中ごろから腹を出して寝たせいで腹をこわす、微熱が出る、などの体調不良が続いていたので、その鶏肉のパックも冷蔵庫の中でしばらく放置してしまっていた。いい加減にあけて使う分と使わない分を分けておかないとな、と思ってついに今日あけてみた。

……やってしまった!!!安いと思ったら、細切れになっていない分で、しかも骨が多いものだった。仕方なく、また包丁を持って鶏肉と格闘する羽目になってしまった。もうこれくらいは想定内の範囲なのでなんとも思わないのだが、でかいパーツを取って下から出てきたこのパーツ(上の写真)にはさすがにびっくりした。

足て……。しかも先端。食べると言っても身もないし、どうやって使っていいのか全く持って分からない。というよりもむしろ、模様がリアルすぎるではないか。黄色すぎるではないか。1本ならともかく、ちゃんと2本ペアで入れてくるあたりは、生肉コーナーの人のやさしさと受け取るべきなのか?!鶏肉好きの私でも、さすがに凹んだ。ああ。リアル。というか、本物なんやけどな。

この間買った新しいカメラがさっそく大活躍である。

September 05, 2010

Mariachi

今日は、プラサ(ショッピングモール)に行ったらマリアッチが演奏をしていた。そういえば、マリアッチのフェスティバルがもうじき開催されるはずだ。いつだったかはっきりしないけれど。去年は、このマリアッチパレードに行って友だちができた思い出がある。去年は、このマリアッチパレードで悪い菌をもらってきたらしくその後体調を崩した思い出がある。

それはさておき、マリアッチは、メヒコに着てから目にする機会が本当に多い。というよりは、日本にいるときはマリアッチなんていう存在すら知らなかった。それなのに、最近は演奏を聞いていると、「なんかこれ、前もどこかで聞いたことあるな」と、なじみが出てきた曲もあるくらいなので、慣れとは本当に恐ろしい。パーティにマリアッチを呼ぶ家もあるし(たまに近所の家から聞こえてくる)、レストランにも流しなのか雇われなのか分からないけれどマリアッチの集団がいたりするし、バスに乗ったら乗ったでマリアッチのラジオかCDが爆音で流れているときがある。それくらいに、マリアッチはグアダラハラの人たちにとっては身近なものなのだろう。特にこちらから積極的に聞こうとしなくても、耳に入ってくる機会が多い。

それにしても、マリアッチを聞くたびに思うのだけれど、どうしてこんなにもたくさんの数の楽器を演奏しているのにそろうのか?!指揮者なんていうものはもちろんいないわけなのだが、演奏がぴたりとそろっている。だれか任せなわけでもなく、それぞれが思いっきり音を出しているのに、息がぴったりとあっているあのパワフルな演奏はほげぇ~、と思わず口をあけたままみてしまう。ヴォーカルの人もどのマリアッチのグループの人も声量がすごくて、しかも歌がうまい。

このプラサにマリアッチの演奏がくるのは、日本で言うところの、ショッピングモールに漫才師が来る、と言う感覚なのだろうか。日本でこのマリアッチが浸透するとは思えないし、メヒコで漫才がウケるとも思えない。やはり、お国柄、なのか。

世界ふしぎ発見


終わってしまった話になるが、9月4日の世界ふしぎ発見は、メヒコが舞台だったそうだ。お母さんからのメールには、「メキシコ」とだけ書かれてあって、友達からのメールには「走る民族タラウマラ」というフレーズが……!!

まさか、と思いふしぎ発見のHPを見てみると、【メキシコ断崖絶壁紀行!走る民族の秘密】というタイトルで舞台はチワワ州だった。チワワ太平洋鉄道とかタラウマラ族とか、まさにこの夏訪れたところだったので思わずテンションが上がってしまった。テレビ番組と言うだけあって、タラウマラ族の伝統的な行事にお祭りに密着するという内容だったららしく、私が訪れてみたよりももっと深くタラウマラの人たちの伝統に触れているようでとても興味深かった。

おばあちゃんにもお母さんにもそこ(ふしぎ発見で取り上げあられていたところ)からポストカードを送ったけど、そこがふしぎ発見ででていたところとは思っていないだろうから、日本がいい時間になったらお母さんにメールで知らせてあげよう。