February 17, 2012

San Andrs Larraínzar 1 お店の若夫婦、の巻


サンクリストバルデラスカサス周辺の民族衣装をこの間の投稿で紹介した。サンフアンチャムラとシナカンタンともう1つ、サンアンドレスララインサールである。先に訪れた二つの街よりもさらに遠くで、山間にひっそりとある街だ。

ララインサールには、おもしろい刺繍があるというのと、"1996年に連邦政府とサパティスタ民族解放軍の間でインディヘナ(先住民)の権利と文化について「サンアンドレス合意」が行われた(地球の歩き方より)"街であるというので足を運んでみたかった。サパティスタ民族解放軍については、また改めて書きたいと思うが、語学学校でメヒコの歴史と文化を勉強していた時に「サパティスタ」という存在を知り、とても興味深いと思っていたので、チアパスに足を運んだついでに、サパティスタについていろいろと調べたり見たりしたいと思っていたのだ。

街に到着すると、実際のところ驚いてしまった。街の中心と思しき場所でコレクティーボから下ろされたのだが、小さなソカロとその前に教会があり、境界の向かいが小学校か何かで、ちょうど休み時間だったのかはたまた学校が終わったのか、体操服を着た子どもがわらわらと走り回っていた。特に店があるわけでもなく、あるといっても雑貨店ばかり。刺繍が有名なのであれば、それらしき店があってもよさそうなものだが、一向に見当たらない。とりあえず、と街を歩き始めるも、本当に何もない。こじんまりとしていて、観光客用に整備された様子もない。そんなだから、外国人を見つけて「ペソをくれ」といってくる子どももいない。

てくてくと歩いていると、すぐに街の外に出てしまった。山がたくさんあって、上の方には雲がかかっていて、道のそばで作業している人たちは、アジア顔の私がふらふらと歩いていると興味津々でガン見をしてくる。でも、「Hola~」と声をかけると「Hola~」と返してくれたり、反対に向こうから声をかけてくれたりもする。のどかだ。しばらく歩くと、小腹がすいたので、お菓子でも買おうとお店に入ると、若い女の子が店番をしていた。この子なら、刺繍のものを扱ったお店とか工房を知っているかもしれないと思い話しかけた。もう少し歩けばある、といわれたのでその通り歩いてみたのだが、一向に何かが現れる気配がない。仕方がないので、もう一度店へ引き返して、何もなかったことを報告することにした。

彼女は、22歳でニコラサと言う。戻ると、夫のフアンもいた。2人ともとても人懐っこくて、私が日本から来たというと、いろいろと質問された。「日本」というフレーズを聞いて、はっっ!!となったのは、夫のフアンくん。

「ちょっと、こっちに!!!」

と連れて行かれた先にあったのは、ニッサン車。メヒコで一番見かけると言っても過言ではないTSURUという車であった。日本では、ニッサン・ツル という車種はないけれど、実は日本でサニーという名前で売られていたものである。メヒコでは、このニッサンサニーことツルが、タクシーに使用されていることが多いので本当に各町でそこらじゅうで走りまくっているのだ。"メヒコで一番見かけるといっても過言ではない"というのはそういうわけである。

「TSURUって、日本語では鶴という意味やで」

と教えて、紙切れで鶴をつくって見せてあげた。すると、びっくりしつつも、更なる「未知の国日本」への質問をぶつけられた。中でも、「兄弟が少ないこと」や「名前が短いこと」に驚かれた。

名前が短いのには本当によく驚かれる。メヒコの人たちは、名前は1つだけの人もいるけど、大体の人がミドルネームももっていて、さらに名字については父親と母親の名字を両方名乗るので、とにかく名前が長い。そのくせに、私が持っていた携帯電話は登録できる名前の文字数が少なすぎるので困った。ファーストネームは結構同じ名前の人が多いので、名字まで入れたいのに、長すぎて入りきらないのである。

反対に私が驚いたことには、「ここの住所は何??」と聞いたら「??」となっていたことだ。前にも書いたことがあるかもしれないが、メヒコではあまり郵便というものがポピュラーではない。人に手紙を書くという習慣がないのだ。誰かに何かを伝えたい時は、電話をして済ますんだそうだ。もっとも、最近では携帯のメールや電子メールでやり取りすることが多いという。以前、お世話になった友だちに手紙とCDRを送ったことがある。彼女は22歳なのだが、「生まれて始めて手紙をもらった!!」と興奮気味に知らせてくれて、私はといえばそのことに逆に驚いたことがある。

彼らと話すのはスペイン語だが、彼らはツォツィル語ユーザでもあるので、簡単なあいさつとかを教えてもらった。

・すごい = chido = レックホイ
・まじで? =en serio? = メレル
・何? = que? = クシー?
(日本語、スペイン語、ツォツィル語)

ツォツィル語のスペルがわからないので、カタカナで書いてみたが、スペイン語と全然違う!!!う~ん、バイリンガルだなぁ~。聞いていると発音の仕方も、スペイン語とは結構違う。こうしてみると、メヒコにはバイリンガルの人が多い。(特にインディヘナの人たち。)これにさらに英語や他の言語をしゃべれる人がいるんだから、脱帽である。

そういえば、彼らに住所を聞いたくせにまだ手紙を送っていない。送ってみようかな。はたして、郵便やさんはいるのだろうか……。

February 15, 2012

Coca Cola


コカコーラの消費量世界一は、アメリカではなくて実はメヒコである。初めて聞いたときは驚いたが、メヒコにいると「ああ、そうやろうな」と納得である。とにかく、そこらじゅうでコカコーラを見かける。売られているのも、みんながコカコーラを飲んでいる姿も。

日本では、食事の時にはお茶を飲む。外食をしても、お冷が出てくる。しかも、無料で。しかし、海外では飲み物がただで出てこない国もある。メヒコもその国のひとつである。レストランや屋台に食べに行くとまず、"Que vas a tomar?"というように、「何を飲みますか??」と聞かれる。メニューを見ると、水もある。しかし、普通の水が頼まれるのはまれな気がする。水にも種類があって、Agua Frescaという味つき水(果汁が入っている)と、Agua Natralといういわゆる水である。水をあらわすアグアという単語も、単体で使うと味つき水の方を思い浮かべてしまう。それら水とさほど変わらない値段で炭酸飲料が載っている。

・コーラ(普通、ライト、ゼロ、など各種)
・フレスカ(コカコーラ社から出ているグレープフルーツの炭酸ジュース)
・ファンタオレンジ
・リフト(りんごの炭酸ジュース)
・スプライト

コカコーラ社の製品を置いているところでは、こういう組み合わせが多い。コカコーラ社ではないところは、

・ペプシ
・名前を忘れたけど、Sからはじまる名前のジュース(グレープフルーツの炭酸ジュース)
・ミリンダ(オレンジの炭酸ジュース)
・マンサニータ(りんごの炭酸ジュース)
・7UP
・名前は忘れたけど、ぶどうのジュース

という感じである。大体ラインアップは一緒である。さらに、炭酸飲料とさほど変わらない値段でビールが売られているので、ビールを思わず頼んでしまうこともしばしばである。

日本でも、メニューに炭酸飲料が載っているけど、メヒコほどみんなこぞってそれらを注文している人は見かけない気がする。(まぁ、ファミレスに行けばドリンクバーという夢のような長居システムがあるのだが。)その理由だが、私が推測するに日本食に炭酸飲料があわないからである。うどんとコーラを一緒に、というランチ、魅力的ではない。ご飯と炭酸飲料もやはりしっくりこない。そこはやはり、お茶か水をお供にしたい、というのが人情である。

ところが、である。メヒコ料理は炭酸飲料と抜群に相性がいい。思いつくメヒコ料理をあげてみると、タコス、エンチラーダス、トルタス、チレコンレジェーノ、ソペ、ソパ……。全て、あう。どれも香辛料やとうもろこしが使われており、食事としては重い。味にパンチがきいているのである。それらをおかずにしながらトルティージャをちぎったり丸めたりしながら食べすすめていくのだが、水分無しでは結構きつい食事である。これらのものを食べようと思ったら、やはり炭酸水が一番あうのである。殊に、タコスを食べる時は断固炭酸飲料である。ただの水でタコスを食べるなんて、そんなあほな!!!と日本人の私ですら思ってしまう。私の知り合いの人には「タコスには、コーラじゃないとだめ」と言い切る人さえいるくらいだ。洗脳されているのかなんなのか、事実、タコスは他の炭酸飲料よりもコーラが合うような気がする。さらに、メヒコの気候だが、高原地帯の乾燥したエリアでさえ日中太陽の下を歩いていると、かなり水分が奪われる。

そんなわけで、メヒコの人々は老若男女みなコーラを飲みまくっている。300ミリリットルくらいのちいさなボトルから3リットルくらいのボトルまで、ビンからペットボトルまで、シーンとニーズに合わせて買い分けられるという、コーラ生活におけるインフラは進んでいるのだ。(ちなみに、ビンのコーラが一番安い。)そのおかげで、コカコーラの消費量は世界でナンバーワン。おまけに、メヒコはいまや世界で一番肥満が多い国になってしまったそうだ。300ミリリットルのミニミニペットボトルは、健康を気遣って近年売り出された商品とのことだが、気遣うならもう飲まなければいいじゃないか、と思ってしまうが、そこは譲れないらしい。

友だちの家に遊びに行ったときに、その子のお父さんが友だちと「この地方のコーラが一番うまい」と話していたので、 どういうことかと詳しく聞いてみると、メヒコ国内でも微妙にコーラの味が違うんだそうだ。確かに、ビンのコーラを飲んだときと、ペットボトルや缶のコーラを飲んだときに味が違うなとは感じていた。ビンのコーラの方が、微妙に炭酸が抜けているような感じがしていたのだ。しかし、そうではなく、コーラの味自体が地方でことなっているんだそうだ。それというのも、各地に工場があるので、その地方ごとに使われている水が違うので、コーラの出来上がりにも影響するらしい。「じゃあ、ちなみにどの地方のコーラが一番好きなんですか??」と尋ねてみると、「そりゃあ、今飲んでるやつ!!」といわれた。なぜかというと、単に飲みなれているから一番美味しく感じるんだそうだ。

コカコーラに関して情熱的だなぁ、とはメヒコにきてから常々感じていたものの、チアパスの旅でシナカンタンを訪れた時に見た看板にはさすがに度肝を抜いた。コレクティーボから見たので写真を撮り逃してしまったけれど、シナカンタンの民族衣装を着た女の人がコカコーラを持って、美味しそうに飲んでいるというもので、その横に、"Bienvenido a Zinacantan(ようこそシナカンタン村へ!!)"と書かれてあった。街をうろついている時に見つけてとったのが、↑の写真である。こんな小さな村にもコカコーラ文化は根付いているとは。そしてまた、メヒコの人ったら、コカコーラをほんとうにうまそうに飲むんだわ。


この文章を書いているうちにコカコーラが飲みたくなるかと思ったけど、雨が降り続く寒い日本の冬に、「コーラ飲みたーーーい!!」とは、ならないもんだな。やっぱりね。

余談だが、コカコーラ社から出ているFrescaというグレープフルーツの炭酸のジュースがめちゃくちゃうまい。単に私がグレープフルーツ好きだからすきというのもあるが、なぜあんな美味しいジュースを日本で発売していないのか、謎だ。売ってほしいーー!!!


February 11, 2012

洞窟

ある日、いつものようにサンクリストバルの街をうろついていた。 サンクリストバルでは、なかなかいい感じのカフェを見つけられずにいたのである。3週間くらいその街に滞在するつもりでいたので、やはりゆっくりと本を読んだり、旅ジャーナルを書いたりできるところを見つけようと思っていた。

Guadalajaraでは、家の近くにあったというのと、異常に店員がフレンドリーで居心地がよかったので近くのスタバが私のコーヒー基地であった。Guanajuatoでは、Café Talという学生や観光客がたくさんいるカフェがコーヒー基地になっていた。理由は、安くて美味しいコーヒーがおかわりし放題だったのである。インターネットをしたり、勉強をしたり、本を読んだりして、日が沈むのを待っていたものだ。(坂の多い街で、私の家が一番上にあったので、日が沈むまでは暑くて歩く勇気が出なかったのだ。それに、時間もあった。)

こんな生活をしていたので、もうコーヒー基地がないとやってられん、という人間になってしまっていたのである。そんなわけで、サンクリストバルでもいきつけとなるコーヒー基地を探していたのだ。しかし、なかなか「これぞ!!」というところにめぐり合っていなかった。机の高さといすの高さが微妙であったり、長居するのに適さないBGMがかかっていたりという具合だ。なかなかのmamón(マモン:不平不満をよく言う人)っぷりである。

そういうわけで、街を徘徊していた。そして一軒の文房具屋に入った。ポストカードを買うためである。旅先からは、ポストカードを自宅に送ることを習慣にしている。家族に旅先の香りを送りたいというのもあるが、その街の消印がつくし、旅から帰ってきた時に自分で改めてみてニヤニヤできるからというのもある。いずれにしても、ずいぶん長く続けている習慣のひとつだ。

その文房具屋には、かなり年季の入った売れ残りのポストカードがたくさんあった。その中に、洞窟の写真があった。

私は、なぜか洞窟が大好きである。

なので、がっつりと食いついて店のお兄ちゃんとおっちゃんに、

「こ、こ、これはどこなんですか?!」

と尋ねると、意外にも、

「すぐそこにあるよ。車で15分くらいだよ。」

とのことであった。ま、まじでか。洞窟に15分でたどり着けるなんて、行かない手はない。そこは、"Rancho Nuevo"というところで、サンクリストバルからはコレクティーボで簡単にいけるはず、とのことだった。そういうことなら、と、早速コレクティーボのある場所と、価格調査に出かけた。私が乗ってきた長距離バスのターミナルからもう少し離れたところに、コレクティーボ乗り場があった。行き先はさまざまで、会社もさまざま。大きなバンがずらりと並び、その前を歩いていると、呼び込みのおっちゃん・お兄ちゃんがものすごい勢いで声をかけてくる。ガイドブックには、長距離バスや市バスのことは載っていても、コレクティーボなどの情報はあまり載っていない。しかし、このコレクティーボというのは、メヒコにおいて場所によっては使い勝手がよく経済的で助かるのだ。その日は、乗り場と金額を確認して帰った。

翌日、再びコレクティーボ乗り場に向かい、おっちゃんに行き先と金額を確認して乗り込む。目的地に着いたら声をかけてほしいと頼むのも忘れない。乗り込んだからと行って、すぐに出発するわけではない。乗り合いバスなので、できるだけたくさんの乗客を乗せて運転したいというのが、これ商売人。ある程度集まってからついに出発。しかし、出発してからも運転手はまだ乗客を集めたいらしく、のろのろと運転しながら歩道を歩く人々に行き先をアピールしてさらに客を集める。

意外に早く目的地についた。一人ぽつねんと下ろされた。しかし、「お前の行きたいところは、この道をまっすぐ行ったところさ!」と付け加えてくれた。言われたとおりに歩いていくと、"Rancho Nuevo"と書かれた看板が見えてきた。「入場料、車1台につき●ペソ」という表示がしてあった。私は、徒歩だから、入場料はいらんのかな?!と半信半疑で、ゲートを徒歩で通過。入り口のおっちゃんと目があったから「Hola~」とあいさつを交わすも、お金のことは何も言われないので、どうやら徒歩の人は無料らしい。

中は林のようで、きれいに整備された公園になっていた。ウォーキングトレイル的なものもあるし、バーベキューゾーンや、乗馬コーナーなんていうのもある。もっと奥に歩いていくと、売店もあった。なんだ、整備されたきれいな公園じゃないか。さて、洞窟は、と地図で確認して歩いていった。

洞窟に入るにはお金がいるらしく、入場ゲートが設置されていた。10ペソ支払っていざ、内部へ。


入ると、ひんやりとしていて上から雫がポタポタピタピタを落ちて、薄暗かった。歩道は整備されてあったけど、岩に説明もないし、電灯も普通の蛍光灯だった。日本の、秋芳洞に行ったときはいわがいちいちネーミングされてあって、それの説明が書いてあったり、カラフルなライトを当てられて凝った演出がなされていたから、てっきりそういう感じなのかと思っていたのだ。 でも、そのとりあえず歩道は整備したから後はご自由にという、工夫された感じがないのがメヒコっぽくていいなと思った。この洞窟が意外と奥行きがあって、見ごたえがあるのだ。他に誰もいないので自由自由、と「わ!!!」と声を出してみたり、写真を撮ったりしてゆっくりと見た。天井から垂れ下がっているのや、ひだのようになっているところや、以上につるつるになったところがあって、本当、自然は不思議だ。予想外で、計算されていなくて、美しい。見ていて、飽きない。「このおかずあったらご飯何杯でも食べられるわ!」じゃないけど、この景色があったらいくらでも時間がつぶせそうな、そんな感じ。でも、内部は意外に冷えていて、長時間いると寒くなってきたので、ええ加減引き返すことにした。

ニヤニヤと歩いていると、唯一いた他の客がいきなり「写真を撮ってあげましょうか?」と声をかけてきた。断るのもなんなので、一応撮ってもらったけど、なんとも微妙な笑みのピンボケの写真がこの洞窟の思い出として残ったのである。

ちなみに、この洞窟の名前は、"Grutas de Rancho Nuevo"というらしい。Grutaは、辞書で調べると「洞窟」なので、"ランチョヌエボの洞窟"ということか。そのまんまやん!!

February 09, 2012

Zinacantan2


ラッキーなのか、日常茶飯事なのかはよくわからないけど、サンクリストバルデラスカサス滞在中に周辺の村を訪れると、そのたびにお祭りが催されていた。Zinacantanに行ったときもお祭りの最中だった。

村の男の人たちは、黒い長いポンチョのような福を着て、カラフルな色のひらひらがついた帽子をかぶり円になってなにやらステップを踏んでいる。その後ろの方では、バンド隊がラッパやら太鼓やらで音楽を奏でている。なかなか賑やかな様子だ。踊っている男の人たちは、ゆっくりとぐるぐる回ったりなんだりしていて、足元がよろめいている。

不思議な踊りだなぁ、というか、これはなんなのだ?!と思って誰かに聞こうと思い周りをきょろきょろしてみたけど、もう1つフレンドリーな感じの人がいなかった。このお祭り?儀式?のほうがはるかに大切だから、というのもあるけれど、あまり外国人に興味がないというか、そういう印象を受ける。ものめずらしそうに、「外国人」を見る目で視線は感じるのだけれど、視線の方に目をやると誰とも目が会わない、という感じ。仕方がないので、地元の人ではなさそうなおっちゃんに声をかけてみた。

おっちゃんは、他州からツアーのコンダクターとしてやってきたらしく、儀式について聞いてみると、Poshというお酒を飲んで踊るお祭りだということだ。言われてからもう一度円のほうに目をやると、ボトルを回し飲みしているのが見えた。ポッシュというのは、サトウキビから作られるお酒で、日本で言うところの焼酎のようなアルコールである。かなりきついお酒らしく、たまにコーラや水も回されていた。薄めながら飲んでいるのだろう。男の人たちはそうして円になってお酒を飲み、踊らない人たちも周りでそれを見ながらお酒を飲んでいた。女の人や子どもたちは、少しはなれたところに腰を下ろしてコーラを飲んでいた。その間を、豆売りのおっちゃんがCacahuate(ピーナッツなどの豆)の入った箱を持ってうろうろしていた。

しばらくすると踊りが終わり、衣装をまとった人たちは列を作ってどこかへ行ってしまった。その間、教会の内部を見に行ったり、そのあたりをうろうろしていると、音楽隊の中の若者が1人駆け寄ってきて話しかけてきた。残りの音楽隊のメンバーは遠くの方でニヤニヤしながらこちらを見ているので、完全に冷やかしだな、と思いながら若者と話していると、彼らはシナカンタンからさらに1時間くらい離れた街からやってきたらしい。この儀式で演奏するために呼ばれたのだそうだ。

街をうろうろしていると、遠くにもうひとつ教会があるのが見えたので、歩いて行って見ることにした。すると、さっき踊っていたおっちゃんたちが集まっていた。どうやら、ラウンド2はこの教会の中で行われるらしかった。続々と男の人たちが教会の中に集まりだした。とても神聖な感じで、とても外国人観光客が入っていいという雰囲気ではなさそうだ。「でも気になる」ので、遠巻きに教会の内部をうかがってみることにした。

電気のない薄暗い教会の中で、今度は木弦楽器のバイオリンみたいなのや、アルパという琴のような楽器の音色に合わせてまた円になってステップを踏みながら踊っていた。もちろん、ポッシュをさらにあおりながらである。その様子を、写真を撮るでもなく、じいっと教会の外からのぞいていると、一人のおっちゃんが

「中に入ってみてもええよ」

と声をかけてくれた。これは予想外で、めちゃくちゃ感激して「まじですか?!いいんですか?!」と興奮気味に「ありがとうございます」と言って中に入らせてもらった。

中に入ると、普段教会に並べられてあると思しき長いすが端の方に寄せられていた。その上には、よっぱらいのおっちゃんが何人か横たわって寝ていた。踊っている男の人たちに目をやると、完全に酔いが回って、足元がふらふらになりながら踊っている人もいた。他のおっちゃんに比べると、まだ彼は若造っぽくて、目が据わっていて酔っ払いと化していた。しかし踊らなければならないので、回ってきた水やコーラをがぶ飲みしていた。そして、またステップを繰り返し、たまに力強く地面を踏み鳴らす。ポッシュが回ってきたらまたポッシュをぐいと飲み足して、踊り続ける。木の楽器の音色があまりに素朴で、その淡々とした様子は永遠に続くことかのように思われた。

しかし、黒いポンチョとひらひらのついたぼうしをかぶった人たちはこうしてずうっと踊っているのだけれど、シナカンタンのあの綺麗な刺繍が施された民族衣装を着たおっちゃんたちは、教会の中を出たり入ったり割とうろちょろとしていた。この単調な踊りと飲酒をひたすらに続けていて、いつまでするのかわからなかったので、そそくさと教会を後にした。

帰りに、乗り合いバス乗り場でサンクリストバルへ戻るバスを待っていると、また黒いポンチョのあの一団がやってきた。でも、ばらばらに歩いていたので、おそらくその日の儀式が終わったので家にでも帰るところだったのだろう。

このポッシュというお酒、このあたりではよく飲まれているものらしく、サンクリストバルに帰ってからスーパーに行ってみると、普通に棚にたくさん並べられていた。そして、値段に驚いた。確か10ペソしてなかったか、それ前後なんである。(日本円で言うと100円するかしないかである。)……や、安い。

同居人のその後

【同居人】……私が語学学校に通っていた時に同じ家に暮らしていた子。かなり変だけど、それ以上におもしろい奴で、メヒコにおける私の弟のような存在である。(各種エピソードは、過去の投稿参照。)

メヒコから帰ってきてからも、この同居人とはメールで連絡を取っている。私がメヒコを離れる少し前くらいに、日本語を教えてくれと言ってきた。以前から、興味はあったけど、勉強は別にしたくないという風だったので、私としては「やっとか!!」とか「今ごろかいな!!」という気持ちもあったけど、興味から少し進歩したところがうれしかった。ので、数字や日づけなどの簡単な単語と、自分の名前の書き方などを最後に伝授してきた。

さて、その後である。

なんと、日本語のクラスに通い始めたんだそう!!!

この気持ちはなんと表現していいのやら。まずくるのは、「え、あの同居人が、まじめに日本語学習に取り組むことにしただなんて!!!」という驚き。そして、素直に「うれしい」である。

そんなニュースを耳にしていたのだけれど、何日か前にリアルタイムでチャットをする機会があった。相変わらずそうで、日本語のことについて聞いてみたら、「テストがあるから単語を覚えないと」的な前向きなことを言っていて、やるやん、と思って画面の前で思わずにやけてしまった。まぁ、それ以外は相変わらず、いわゆるSpanglish(スペイン語+英語)というやつで、お互い英語とスペイン語の都合のいいところを使いながらしょうもない話をだらだらと。そのうちそれに日本語を交えてしゃべれるようになったらおもしろいのにな、とか思う。がんばれ、同居人。私も負けじとがんばらねば。

February 04, 2012

Zinacantan1

ある日、Zinacantanに足を運んだ。シナカンタンは、サンクリストバルからコレクティーボ(乗り合いバス)で20分くらい行ったところに行った所にある村である。地球の歩き方や、Lonely Planetにも載っているので、外国人もたくさん訪れている。チャムラは教会が独特で有名だけど、シナカンタンは織物が有名だ。到着すると、標高が高いからなのか、やたらと雲が低かった。天気もあまりよくなかったのだが、逆にそれがなんだか神秘的なムードをかもし出しているな、というのが第一印象だった。

シナカンタンに到着するなり、

「アミーガ!!私の家においでよ!!」

と子どもに声をかけられた。初対面、というか、まだあいさつすら交わしていないのに家に誘ってくるとは、いったいどういうことだ?!と不思議に思い、「あ、いいです」と断ると、

「じゃあ、私の家においでよ!!」

と別の子どもが声をかけてくる。名前を知らない人を呼びかけるときには、"amiga!(友だち)"や"señorita!(セニョリータ!:お姉さん)""señora(セニョーラ!:ご婦人)"などがある。スペイン語には、女性名詞・男性名詞という風に性があるので、これが男性に向かって呼びかけるとなると、"amigo"や"señor"ということになる。そのうちの子どもの1人が私に向かって、

「セニョール!!お金をくれよ!!」

と言って来た。ええっ、あたしセニョール??なんでやねん、と心の中で突っ込みつつ、何だこの村は、と思ったのも、最初の印象である。

しばらく街をぶらぶらと歩き回ってその疑問が解けた。どうやら、彼らの家でお母さんなり女の人が織物をしていて、その作業風景を見学させてくれて最後に、「ねぇねぇ、ちょっと買っていきなよ」というシステムになっているらしいのだ。そのいわば客引きの役目を、子どもたちがしているのであった。確かに、大人に客引きされてのこのこついていくよりは、子どもに「私の家においでよ!」と誘われた方が、「ちょっと行ってみようかしらねぇ」となりやすいのかもしれない。

それを知らないものだから、何も知らずぶらぶらと歩いていると、家の庭で織物をしている女性を発見した。織り機などは使わず、腰のほうに皮のバンドのようなものをして、そこからひもがぐぐぐと伸びていて、その先はなんと木の枝にくくりつけてあった。糸のついた大きな木を器用に操って、縦糸と垂直に通して、織られた布が丈夫になるようにとガシガシとしごく、という作業を繰り返して布を織っていた。かなりの重労働である。私がそれをぼけ~っと道路から見ていると、

「中に入ってみていいよ」

と声をかけてくれた。わ~、わ~!!すごいなぁ~!!と感心しながらみていると、おっちゃんが、「まぁ、ゆっくりしなよ」といすを出してくれた。布を織るのはおばちゃんで、おっちゃんは何をするでもなく、そのそばで自分もいすに座って、私のしゃべり相手になってくれた。

私はどう見ても外国人なので、恒例の「どこから来たの??」という質問に始まった。「日本やで」というと、日本という国のことは聞いたことがあるけれど、それがいったいどこにあるのかというのは見当がつかないらしく、続けて、「どうやってここまできたの??車??何時間くらいかかる??」と聞かれた。メヒコでは、海外旅行は高いというイメージからなのか、国外に旅行をするというのはまだ馴染みがなく (もっとも、広い国土を持ち各地にそれぞれの特色がある国なので、国内旅行をする人も多い。)、ましてや、こんな田舎の街である。こんな質問をするなんて!!と思うかもしれないが、この質問を受けることは意外と多い。私が、「日本は、飛行機で行くよ」というと、「ほおおお」と驚いて、「そしたら、アメリカよりも遠いんかね??」と聞くので、「アメリカは同じ大陸やけど、日本は海のずうっとむこうやで」というと、「何でここにきたの??」と尋ねられた。……もっともな質問である。「チアパス州は自然が美しくて、工芸品が美しいと聞いたからきました」というと、「でしょでしょ??」とうれしそうだった。彼らは、スペイン語も話すけれど、ツォツィル語ユーザーである。ツォツィル語の単語を教えてもらったり、日本語の単語を教えてあげたりしてすごしていた。その間も、おばちゃんは休むことなく一生懸命布を織り続けていた。「これ、大変なんだよ」とは言うものの、この人たちは、ふらふらと迷い込んだ私に、別にものを買えといってくるでもなく、写真をとってもいいよ、といってくれたけれど、逆にそれも申し訳ないような気持ちになり、結局写真は撮らずだった。

乗り合いバスが停車するところには、何軒か観光客を相手にした土産物屋があったが、そこの製品はたぶん機械で作られたような、どこででも見かける粗末な品質のものだった。かといって、小さな街なので店がたくさん並ぶところがあるわけでもない。だから、このように自宅に客を呼び込んで商売をしている人がたくさんいるのだろう。

他にも何件か見て回ったけれど、他のところは結構「売りたい!!」というのが露骨で、私が「あ、いいです」と断ると、「なんやねん」、という顔を露骨にされて、それはそれでなんかちゃうやろ、と思ってしまった。街をぶらぶらして、もうそろそろ帰るか、と思ったときに少年が寄ってきて、

「僕の家においでよ!!」

と言ってきた。「何があるん??」と聞くと、

「え~と、何でもある!!!じゃがいもとか!!」

という、まさかの答え。え?ジャガイモ?!なんかよくわからないけどおもしろいので、見に行って見ることにした。少年の家に着くと、家族が輪になって話したり、女の人は手仕事をしていたりした。私に注がれた視線は、

「ん??何だこの外国人は??なんか用か??」

てなもんである。しかし、客がきた、と理解すると、一家の長老的なおばちゃんがむくりと立ち上がり、「こっちにこい」と合図をしてきた。そして、次から次へと、ウイピルやら刺繍やら、帯やら、スカートやらものすごくたくさんの品々を見せてきた。「服よりも、クッションカバーとか、小物系はないですかねぇ??」というと、奥に案内され(というか、完全に民家)、乱雑に山積になったところから、いろいろなものを引っ張り出してきて「これは?」「じゃあこれは?」「これもある」と次々と見せられた。

その中に、なんだか刺繍の凝ったかわいいウイピルがあったので、

「これ、かわいいなぁ」

と手にとって言うと、おばちゃんはすかさず、

「これはね、あたしの。売りもんじゃあないのよね。」

と取り上げた。う、うける。やっぱり、手のこんだ凝ったやつは、自分用なのね、そらそうか。散々見せてもらって、本当にほしいなと思ったのはかばん1つだったのだけれど、こんなにもいろいろ見せてもらったからそれだけ買うのもなぁ、というか、小銭持ってないから困ったな、と内心思っていた。せっかくなので、何か他にも買おうかなといろいろ物色した結果、テーブルクロスとランチョンマットを買うことにした。しかし、いざ買うとなると、値切りたい魂に火がついてしまって白熱の交渉。しかしこれがいけなかった。

少年の家を後にしてバス乗り場に向かった。すると、少年がついてきて、「お金をくれ」と言ってきた。案内料といったところか。お金の代わりに、鶴を折ってプレゼントしてみると、少し興味を示してくれたがそれはそれとして改めて、「お金をくれ」と言われた。なんだか無性に切ない気持ちになった。

「お金、何に使うん??」

と聞いたら、「お菓子を買う」と言っていた。

貧しい地域ではその場しのぎのお金を渡すよりも、本当に彼らを支援したいならよりよい方法があることはわかっているが、このような場面に遭遇するためになんとも言えない気持ちになる。少年に少しだけお金を渡すと、もらった本人はしれっとしたものである。次のお客を探すために、バス乗り場の方面まで一緒に歩いてきた。

その日、宿に帰って買った品を見ていると、ランチョンマットの枚数が足りなかった。これは、意図的に抜かれたとしか思えない。安くして~!お願い!!と交渉しているうちに、おばちゃんの「ここまでしか無理」というラインを私が無礼にも飛び越えていたのだ。だから、おばちゃんを怒らせていたのかもしれない。

定価がないものを買うときは難しい。交渉は難しい。私たちは対価を払うべきである。彼らは私たちに高い金額を持ちかけてくる。だから交渉することができるのだ。お互いが歩み寄って、満足のいく金額でやり取りしなければならないのに、少しでも安く買いたい、という欲から今回のような悲劇が起こってしまった。私は結果的に、ランチョンマットが入っていなかったことよりも、おばちゃんに失礼なことをしてしまった罪悪感にさいなまれるはめになった。この日はそのことやシナカンタンのうらぶれた様子のことが頭からはなれずに、寝付けない夜を過ごした。このシナカンタン訪問は、いろいろなことを考えさせられた一日だった。

February 02, 2012

民族衣装

ここのところ、内容が時間旅行をしたようにあっちこっちへ飛んでいるが、今日はまたチアパス旅に戻り、民族衣装のことについて書こうと思う。

私は、GuadalajaraとGuanajuatoに暮らしていた。グアダラハラは、メヒコ第2の都市と言われるほどの大都市。町の中で民族衣装を着た人を見かけることはそう多くない。いたとしても、ウイチョール族の人たちか、路上で民芸品を売っている人たちくらいのものだ。彼らの売っているものが、グアダラハラのあるJalisco(ハリスコ)州ではあまり見かけないものだったので聞いてみると、彼らはチアパスからきているという。グアナファト市は小さな観光都市で、植民地時代にスペインがやってきて、銀山での労働力を補うためにいろんなところから人が集められたという歴史的バックグラウンドがあるようなので、インディヘナ(先住民族)の人たちも、グアダラハラと比較してもさらに見かけない。したがって、グアナファトしないで民族衣装を見かけることは至極まれであった。もっとも、街角でアルテサニア(民芸品)をうっているNayarit(ナジャリ)州から来ているというウイチョールのお兄さんとお姉さんのカップルはいつも民族衣装だったが。

しかし、San Cristobal de las casasにやってきてから、その民族衣装率の高さに驚いた。市場に行くと、女の人はほぼ民族衣装を着ていた。おっちゃんたちは、あまり印象がないので、シャツやジーンズをはいていたと思う。サンクリストバルデラスカサスの近郊には、コレクティーボ(乗り合いバス)を利用して訪れることのできる小さな村が点在している。各村を訪れて、なんかどの村も独特の雰囲気を持っているなぁ、と思っているとそれぞれに民族衣装が違うから受ける印象もことなっていたということに気がついた。女性は、基本的にウイピル(シャツ)と巻きスカート(筒スカート)+帯というスタイルなのだが、デザインや素材が違っていておもしろい。文字でぶつぶつ説明するよりも、旅ノートに絵が書いてあったので、それを使って少し紹介することにする。

1.サンフアンチャムラ

まずは、何度か書いたサンフアンチャムラの民族衣装。サンフアンチャムラをはじめ、サンクリストバルデラスカサス市内でも一番見たのがこのタイプ。

上の服は、腕のところが丸みを帯びた作りになっている。サテンのような滑らかな生地が使われており、色もさまざま。襟のところや、胸の辺りのデザイン、ボタン周り、腕の袖のあたりは、チロリアンテープやきらきらした糸などでデザインが施されている。その上に、 短い丈のカーディガンを羽織るのがデフォルトになっていた。

スカートは、一枚の大きな布状になったものを巻きつけて、帯で縛って固定。色は全員黒だった。絵に描いたのは、けがふわふわの素材のもので、おそらく冬場の防寒用。私が訪れたころは、防寒用ではない普通のものをはいていた人もたくさんいた。

くつは、うまいこと書いていないけど、ビニールの素材の黒いサンダル靴をはだしで履くのが一般的だった。そういえば、靴下をはいている人は見かけなかった。

女の人は、ほぼ黒髪のロングで、三つ編みにしている人たちが多かった。結構いい年のおばちゃんたちも黒々とした髪で、しかも髪質もさらさらだった。なにか塗っているのだろうか??メヒコの水にやられて髪の毛が死去していた私としては、羨ましい限りの健康髪だった。ストールというか、でかい布を肩から巻いていたり、そこに赤ちゃんをすっぽり入れて背中に背負っている姿もよく見かけた。

この衣装はチアパス内でも広く着用されていると思われる。バスに乗っていると、よくこの服が干してあるのを見かけたからだ。また、グアダラハラなどで見かけた人たちも、このタイプの衣装だった。

2.シナカンタン

Zinacantanは、サンフアンチャムラよりも規模が小さくてもう少し落ち着いた感じの村。しかし、ここの衣装はめっちゃくちゃ独特!!まず目が行くのはその美しい刺繍のマント。

大きな花の刺繍が施されたマント?ポンチョ?肩掛け??を女の人はみんなしていた。小さな子どもまでもがいっちょまえに民族衣装を着て町を闊歩しているのである。それが本当にかわいい!!!サイズもその子にぴったりで、毎日来ているので体になじんだ感じがまたさらに良い。やっぱり、民族衣装は、その土地の人が着ると本当に映えるなぁ、と感心してしまう。刺繍の色は、青・紫・水色のものが多く、たまに赤紫のような色の人もいた。

スカートは、チャムラとは違い筒状になっている。はき方は、かなり大きな筒の中にすっぽりと体を入れて、片方から順番に真ん中に向かって折る。その上から帯でぐるぐると巻くのである。

男の人も、同じように刺繍が施されたベストのようなものを着ていた。絵の左上の男の人たちは、お祭りに参加していた人たちで、変わったサンダルを履いていた。

3.サンアンドレスララインサール

ここの衣装は、とても素朴だった。そして、訪れた村の中では一番素朴で(というか、何もなかった。)、いい意味で観光客慣れしていなくてとても居心地が良かった。

襟ぐりと、腕すそのところが刺繍のデザインになっている。おもしろかったのは、その売られ方。服の状態で売られているのではなく、一枚の布の真ん中の方と、端っこの方に刺繍が施されてある。どうやら、その布を買って、自分の体のサイズに合わせて服に仕立てるようだ。私が立ち寄った小さな店のお姉ちゃんとしゃべっていて、私が「刺繍のものを探している」というと、彼女のお母さんがその布を持ってきてくれて見せてもらったのだ。しかし、服を作ることを前提に変わった位置に刺繍があって他のものへの加工が難しそうだったので、買うのを断念。

また違うところで話を聞かせてもらっていると、Mayordomo(マジョルドーモ:世話人)の衣装について教えてもらった。マジョルドーモには、女のマジョルドーマもいるらしく、彼女たちのウイピルの色は赤い。そういえば、町をうろうろしていると、白いウイピルが多い中、たまに赤いのを着ている人がいるなぁ、と気にはなっていたのだ。さらに、マジョルドーマは髪型も独特で、髪の毛をアップにして、頭の上(おでこの前??)でおだんごにするのだそうだ。

男の人のマジョルドーモは、小さな編みバッグを持っていて、赤いストライプの布をはみ出させている。その中には お香などお祭りの儀式に使うものが入れられているとのことだった。やっぱり、民族衣装には、いろいろな意味があって神聖なものなんだなぁ、と改めて感じる。

  サンフアンチャムラのもの以外は、チアパス旅で始めてみたものばかりだった。似ているようで全然違うこれらの衣装。こうして改めて比較してみると面白い。チアパスのサンクリストバルラスカサスの周りだけでもこんなにたくさんの衣装があるとは驚きである。メヒコ全土の民族衣装となると、どれだけの種類になるのだろうか……。想像を絶する。

NoとNo

先日、めちゃくちゃ久しぶりに英語を使うことがあった。日本語以外の言語は、使っていないとすぐに忘れてしまうので、使うチャンスがあるところでは使うようにはしている。メールのやり取りやFacebookが主である。しかし、しゃべる英語を最近は全然使っていなかった。まぁ、しどろもどろになるのはわかっていたけれど、それ以上に自分でも驚いたことがもう1つ。

なぜかスペイン語がしゃしゃり出てくるのである。スペイン語をしゃべろうとしても片言のくせにである。不思議な現象だ。

とくに、相槌が完全に英語ではなくメヒコ弁なのだ。

"Sí??"(そう?)
"Sisisisisisisi!!!"(そうそうそうそう!!!)
"En serio??"(まじで??)
"Chido!!"(すげぇ!!)

友だちも、若干困っていた。そのたびに「ワカリマセン」と片言の日本語で言われた。所詮、英語もスペイン語も私にとっては第2言語・第3言語。語源が違う二つの言語といっても、我々日本人にとって見れば両方ともアルファベットの言語なのだ。頭がこんがらがるのも無理はない。しかし、である。いいえ、という意味の「No」については、英語もスペイン語も「No」である。この、どちらの言語も同じ単語を使う言葉に私は一番動揺してしまった。……それを使った自分自身にである。

英語で"No"という時は、「ノー」とか強く言っても「ノーーー!! 」という感じである。(矢印であらわすと、→→→!!!という感じ)ところが、スペイン語で"No"という時は、「ノオオオオオオォオウ??」という不思議な抑揚がついている。(矢印であらわすと↑↓↑↓↑!!!!という感じ。)短く言う時も、「ノォ~」(↑)という感じである。言葉ではうまく伝えにくいのだが、これがしゃべっていると、あまりに無意識で、でも、あまりに違いすぎて、言ってしまった後にこれが結構恥ずかしいんである。日本語に比べると、英語の方がはるかに抑揚のある言語だけど、スペイン語はどうやらはるかに上を行くらしい。

メヒコにて、その「ノオオオオオウ」は多用していた。言語能力がつたないがゆえの気持ちが前に出ていたのもあるし、メヒコ人もそんな感じだったから特に気にしたこともなかった。いやぁ、環境って、いやぁ、慣れって、恐ろしいな。その場所を離れてはじめて気づくことがあるもんだ。