メヒコにおいて約束はあってないようなもの。だから、あまり過信しすぎないようにしていた。学校のわりにしっかりした印象を受ける事務のおじさんに、「●●を買ってきてください」と頼むと、「じゃあ、明日には必ず!!」という調子のいい返事をもらう。しかし、実際に買ってきてくれるのは2~3日後、なんていうことはざらにある。だから、しっかりしている人でも、「明日=明日ではない」と思うようにしていたし、それを見込んで物事を頼んだり、考えたりするようになっていた。
ついにインターネットの契約をしようと決めて、この間からプランを聞きに何軒か足を運んだ。その対応たるや、同じ会社でも支店が違うと違う。提示される金額も違うから、「んぁあああ??」である。
まず1件目、英語をしゃべるおじさんが対応してくれて、インターネットのみで月額369ペソだという。私の友だちで、2年前に契約したものでインターネットのみで月額249ペソというプランを使っている子がいるので、私も200ペソ台で何とか契約したい気持ちがあり、ずいぶんと高くなっているなぁ、と感じたのでとりあえず保留することにした。丁寧に対応してくれたし「日本食が好きなんだよ」などと日本のことをよく言われてうれしくもなったから危うく「お願いします」といってしまいそうになったけれど、いやいや、お金のことなのでもう少しシビアにならないと。そして、インターネットでその会社のHPを見てみると、「インターネット199ペソ~」という表示を見つけた。こらぁあああ、おっさん!!!優しい顔して、なにが369ペソが一番安いプランだ!!!
そして2件目。「あそこの店員あほやで」と別の友だちに釘を刺されていたけど、あほじゃない店員が対応してくれるかもしれないと淡い期待を抱いて足を運んだ。あほ対策として、資料を持っていくことにした。HPのページをプリントアウトして、「ほら、ここに書いてあるじゃないか!!」と見せることにしていた。それがだめといわれたら、1件目で、「今はインターネットだけのプランはないんだよ」といわれていたので、「でも、私の友だちが使っている!!!」と押そうと思って、友だちの今月の支払い票ももって行った。それでもだめといわれるかもしれないので、テレビとインターネットのパックで369ペソと言うプランをインターネットで見つけたのでそれもプリントアウトして持っていくことにした。いくら言葉が不自由だからと言って、これだけ紙の資料を持っていけば万全であろう。
しかし、店員はあほだった。インターネットだけのプランはないと言い張りだした。最初、199ペソのプランで、すんなりと通りそうだったのに、家に今現在その会社とは契約していないというと(普通に考えると、だから契約しに来店したのだが。)、その値段では無理だ、と言い出し、月額579ペソのプランしかないの一点張りである。私も必死で、
「高すぎる」
「いらない」
「テレビのサービスは要らない」
「インターネットだけがいい」
「わかりません」
「って言うか、テレビを持っていない」(これはうそ。)
と「なんでですか??」を連呼してごねた。くっそう、話のわからない馬鹿女め、とこのつたないスペイン語でかれこれ30分はごねていた。すると、見かねた私のあとに待っていたお客さんが英語で助け舟を出してくれた。私が店員の言っていることがわからないと思ったらしい。しかし、わからないのは「なぜそんなに高いのか」であって内容は百も承知である。店内に「テレビ、インターネット、電話で549ペソ」という張り紙がしてあったので、「なんで、電話が加わってるのに、おまえの言うプランより安いのだ?!」と問い詰めると、「あれは、そう言うディスカウントプランです」とか言ってくる。じゃあ、安いほうを教えろよ!!!!!と怒り爆発である。友だちは正しかった。ここの店員は、お墨付きのあほだ。わからへんからとほいほいと言いなりになって金を出すような「あほ」ではないのだ、私は。
というわけで、2件目は喧嘩別れ。
そして3件目。白ぶちめがねのファンキーなおばちゃんがカウンタに座っていた。「むむ。あのおばちゃんは手ごわそうだ」と、前述の資料をきゅっと握り締めて、「一番安いインターネットのサービスがほしいです」と挑んだ。すると、テレビ40チャンネル込みで399ペソといわれた。例によって、「テレビはいらないから、インターネットだけのプランはありませんか??」と聞くと、おばちゃん曰く「349ペソである」らしかった。しかし、50ペソ(500円くらい)出すだけでテレビが40チャンネルも見れるんである。これは、ええプランじゃないですか?!旅中に、やはりリスニング力を鍛えないとだめだ、と感じたのでテレビを見られる環境が整うのは、私にとっても都合がいい。おばちゃんはさらに、「インターネットも早いよ」とアピールしてきた。「インターネットは繋がればいいから、別に早さは求めていません、もっとおそいインターネットのプランもありますか」、と聞くと、一番遅いのでよければ、テレビと込みで330ペソがあるという。友だちがインターネットのみで249ペソ払っていると考えれば、月額80ペソ上乗せでテレビ40チャンネルは、これは悪くないな、という思いに至った。それに、現在インフレが激しいメヒコにおいて、インターネットの料金が2年前と比べると値上がりしているのはしかたのないことなのだ。そして、このおばちゃん、うまい。向こうから資料も提示してくるし、信憑性がある。契約するならこの人だな、と思った。
そのまま契約の手続きをとり、日本ならここで、セットアップの日をきめる段取りになるのだが、そこがメヒコ的だった。「10日以内に完了する」といわれた。詳しい日時はおばちゃんにもわからないというのだ。とりあえず、来る前に電話をしてもらうようにだけ頼んだ。2件目のところがあほやでと教えてくれた友だちがセットアップをしたときは、やはり同じことを言われたが信用ならないので、契約翌日にそのへんをプロバイダの車が走っていたから、その人を捕まえてその場でしてもらったらしい。私も、車を見つけたら声をかけようと思っていたが、本当に10日以内に連絡が来てことが進むのか、そこにも興味があった。だから、今週の午前中は家の中にこもり、彼らからのコンタクトを待った。すると、3日後の昼間に電話がかかってきた。全部はわからないけどなんか、明日の朝に来てくれるようなことを言っている模様で、時間を尋ねると「9時」といわれた。まぁ、電話をしてくる人と、実際に来る人は違うしな、怪しいもんだ、と思ったが電話が来た奇跡に驚いた。しかも、アポイントメントである。私はてっきり、今あんたの家の下まで来たんだけども!!と突撃でくると思っていたのだ。
そして約束の今朝9時すぎ。セットアップをしてくれるおじさんがやってきた。そして、壁に穴を開けてテレビとインターネットを開通させてくれた。おおおおおおお、奇跡。祝、インターネット開通、テレビ視聴可能環境。文明開化の心地だ。それはそれでうれしい。しかしうれしさよりも、メヒコでこんなにスムーズに仕事をする人たちがいた驚きのほうが大きい。国内カルチャーショックである。
January 16, 2010
January 15, 2010
Iglesia de Santo Domingo
オアハカの街をただうろうろ歩いていて、大きな教会を見つけて入ってみた。入った瞬間、その装飾や天井絵に圧倒されて「ほげ~~~」っとなってしまった。その教会こそが、サントドミンゴ教会だった。「地球の歩き方」によると、「1575年から約1世紀の歳月をかけて建造された大教会」なんだそう。よく通る通りにあるから、オアハカ滞在中にいろんな時間帯に眺めることができた。結局中に入ったのは最初の一回だけだったけれど、外観も素敵だった。
内部はこんな感じ。ちょうど、ミサをやっていた。
夜に訪れるとこんな感じ。クリスマス前で、ちょうどイベントが開催されていた。バンドの生演奏にあわせて皆さん、踊っていた。ほんま、バイラール(踊り)の好きな国民です。
私は、このトワイライトの時間帯の顔が一番気に入った。太陽の当たり具合によって、壁の色が白く見えたり、緑に見えたりするのだけれど、この夕闇の中で緑に浮かび上がる壁は不思議な色で見ていて全然飽きなかった。
出会い
みゃあのなかのみゃあを見て衝撃を受けたメヒコシティのバスターミナルだが、みゃあを見つけられたのは待ち時間がものすごくあったからというのがその理由である。グアダラハラから、オアハカへの直行バスはない。なので、「グアダラハラ-メヒコシティ-オアハカ」というルートを取る必要があった。グアダラハラからメヒコシティまでは8時間。自分の家からグアダラハラのバスターミナルまでは1時間。すでに9時間のバス旅である。そして、シティからオアハカまでは7時間と聞いていた。何とかがんばれば、1日でたどり着けると大まかに計算して(タイムテーブルは見ずに)いたのだが、シティに到着してから、シティからオアハカまでのバスが夜までないということがわかった。あったのかもしれないが、何せクリスマス前の込み合う時期である。空きがあったのが夜の便である。仕方がないので8時間程ターミナルで待つことになった。
次のバスのチケットを買うときに、私たちの前にいた少年がいる。彼は名をラウルといい、グアダラハラの空軍の学校で寮生活をしていて、実家のオアハカに休みを利用して帰る途中らしかった。ひょんなことから話し始め、行き先が一緒と言うことで8時間を共にすることになった。日本語を教えてあげたり、身の上話をしたりしていた。やはりここでも、「旅の指さし会話」が大うけである。本当に、この本にはことあるたびに(特に旅中や、初めて会う人とのコミュニケーションで。)助けられているなぁ、と感じる。メヒコ人には、めちゃくちゃウケがいいので、メヒコに来る人は、是非とも1冊携えてくることをおすすめする。
シティは、グアダラハラよりも標高が高いので夕方になるにつれてめちゃくちゃ冷え込んできた。グアダラハラよりも南にあるから寒くないだろうと油断していたけど、この国では標高のことも考えないとだめなんだなと一つ学んだ。温まるためにマルチャンをターミナルの外に買いに行ったりして、何とか8時間をやり過ごして、いよいよバスに乗り込んだ。寒くて疲れていたので、バスすらいい寝床だ。
オアハカに着いたのは、まだ夜が明ける前で真っ暗だった。結局24時間、つまり丸1日をかけてグアダラハラからオアハカを移動したことになる。ラウルくんは、何か書類を持っていかないといけないらしく、私たちはそれについていって、その代わりに安い宿を見つけるのを手伝ってくれた。空軍仕込みなのか、地元だからなのか、てきぱきとしていたなぁ。セントロセントロにも近いところで見つけてくれたし。そして、ラウルくんはさわやかに去っていった。
Hotel Lupita
Diaz Ordaz No314, Centro Histrico,
Oaxaca, Oax, Mexico
hotellupita_oaxaca@hotmail.com
次のバスのチケットを買うときに、私たちの前にいた少年がいる。彼は名をラウルといい、グアダラハラの空軍の学校で寮生活をしていて、実家のオアハカに休みを利用して帰る途中らしかった。ひょんなことから話し始め、行き先が一緒と言うことで8時間を共にすることになった。日本語を教えてあげたり、身の上話をしたりしていた。やはりここでも、「旅の指さし会話」が大うけである。本当に、この本にはことあるたびに(特に旅中や、初めて会う人とのコミュニケーションで。)助けられているなぁ、と感じる。メヒコ人には、めちゃくちゃウケがいいので、メヒコに来る人は、是非とも1冊携えてくることをおすすめする。
シティは、グアダラハラよりも標高が高いので夕方になるにつれてめちゃくちゃ冷え込んできた。グアダラハラよりも南にあるから寒くないだろうと油断していたけど、この国では標高のことも考えないとだめなんだなと一つ学んだ。温まるためにマルチャンをターミナルの外に買いに行ったりして、何とか8時間をやり過ごして、いよいよバスに乗り込んだ。寒くて疲れていたので、バスすらいい寝床だ。
オアハカに着いたのは、まだ夜が明ける前で真っ暗だった。結局24時間、つまり丸1日をかけてグアダラハラからオアハカを移動したことになる。ラウルくんは、何か書類を持っていかないといけないらしく、私たちはそれについていって、その代わりに安い宿を見つけるのを手伝ってくれた。空軍仕込みなのか、地元だからなのか、てきぱきとしていたなぁ。セントロセントロにも近いところで見つけてくれたし。そして、ラウルくんはさわやかに去っていった。
ホテルの前の道。手前の左端の明るいところがホテル。
Hotel Lupita
Diaz Ordaz No314, Centro Histrico,
Oaxaca, Oax, Mexico
hotellupita_oaxaca@hotmail.com
みゃー
メヒコは子どもが多い。どこに行っても子どもを良く見かける。人口は、1億人を超えたくらいらしいが、人口の割合は日本と比べると圧倒的に若い世代の多い国なんだろうと肌で感じる。そして、子どもといえどもめちゃくちゃタフな印象を受ける。かなり小さい赤ん坊を街でよく見かける。毛布にくるまれて、生まれたてくらいの赤子(まさに、この言葉のとおり、顔がまだ赤らんでいる。)も、あちらこちらで見かけるんである。日本だったら、「きみ、まだ外に出たらあかんやろう?!」というような未熟さである。
一度、プラサ(ショッピングモール)で、どこからともなく「みゃぁああ」という声がした。人間の声とは思えないような、まさに何かの鳴き声のような声である。声のほうを見ると、柔らかい毛布に包まれた赤子が。……まだ人間として泣けていない……!!!それ以来、友だちとの間で、このレベルの赤ん坊を「みゃあ」と呼んでいるのだが、旅の始まり、メヒコでの乗り換えのバスターミナルで「みゃあのなかのみゃあ」を見た。もちろん、性別の判別はできるわけもなく、彼/彼女は、「みゃ~~~」と啼いて、そして、口からは泡のようなものを(よだれではない。泡!!!)わわわわわと噴き出していた。それを、父親と思われるおじさんにぬぐわれていた。その光景を見て、たくましいなぁ……と、なぜか妙に感心してしまった。
一度、プラサ(ショッピングモール)で、どこからともなく「みゃぁああ」という声がした。人間の声とは思えないような、まさに何かの鳴き声のような声である。声のほうを見ると、柔らかい毛布に包まれた赤子が。……まだ人間として泣けていない……!!!それ以来、友だちとの間で、このレベルの赤ん坊を「みゃあ」と呼んでいるのだが、旅の始まり、メヒコでの乗り換えのバスターミナルで「みゃあのなかのみゃあ」を見た。もちろん、性別の判別はできるわけもなく、彼/彼女は、「みゃ~~~」と啼いて、そして、口からは泡のようなものを(よだれではない。泡!!!)わわわわわと噴き出していた。それを、父親と思われるおじさんにぬぐわれていた。その光景を見て、たくましいなぁ……と、なぜか妙に感心してしまった。
January 14, 2010
Feliz Año!!!!
今さらですが、本当に、今さらですが、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。みなさまにとって、2010年も素敵なよき年となりますように。
さて、一ヶ月ぶりの更新にも驚きだが、その間に年が明けてしまったのも驚きだ。この1ヶ月何をしていたかと言うと、まずインターネットを失ってしまった。といっても、もともとなぜか無料でつなげていたので、つなげなくなったからといって私がとやかく言う資格はない。インターネットがつなげなくなったまま、冬休みを向かえ、そして速攻旅に出た。その模様は、また追って写真とともにUPしていきたいと思っている。旅は、行ってみたかったOaxacaのシティ、そして、前に道端で出会った友だちをたずねてOaxacaのHuatulcoと言う街、それからメキシコシティに、夏にGuanajuatoに行ったときに友だちになった子の友だちに世話になりに行った。旅のスタイルが、なんだか「知っている知らないは別として、誰かをたずねる」と言うパターンになってきて、各地で世話になりまくりで本当に「ありがとう」の気持ちがいっぱいで進行して、そして終わっていった。次の日からまたすぐ仕事で、行事があって、ばたばたして、今日、である。
インターネットを失って、インターネットはいるぞ、と心の底からその必要性を感じている。wi-fiのところに行くとか、職場からするとか、メールをチェックする程度ならそれで事足りるのだが、やっぱりメールを書いたり、ブログを投稿しようと思ったら、ゆっくりと時間をかけなければいけないな、と感じるのだ。なので、いい加減インターネットを契約しようと思ってできるだけ安いプランを探した。しかし、驚いたことに、インターネットだけのプランと言うものが存在しないらしい。(と言い張る馬鹿な店員と何人か戦った。)いや、正確には、見つけたには見つけたが、500円上乗せすると40チャンネルのケーブルテレビが見られるというプランを見つけたので、インターネットだけ契約するのが馬鹿らしくなったのである。
このプランを月曜日に契約して、「10日以内に家に設定をしに行く」と言われた。現在3日目。まだくる様子も連絡もない。「10日以内」といわれただけで、詳しい日時は契約してくれたおばちゃんも「わからない」とのことだったのだ。9ヶ月のメヒコ生活から推測するに、10日以内には工事には来てくれないと思っている。どうなるか、見ものだ。
今はまたなぜか家から無料でどこかの電波を拾ってきてつなげているので、とりあえず、まだだった新年のあいさつにかえての更新と言うわけです。2010年も、私の目線でメヒコの様子を伝えることができたらな、と思っています。それでは、どうぞよろしくお願いします。
さて、一ヶ月ぶりの更新にも驚きだが、その間に年が明けてしまったのも驚きだ。この1ヶ月何をしていたかと言うと、まずインターネットを失ってしまった。といっても、もともとなぜか無料でつなげていたので、つなげなくなったからといって私がとやかく言う資格はない。インターネットがつなげなくなったまま、冬休みを向かえ、そして速攻旅に出た。その模様は、また追って写真とともにUPしていきたいと思っている。旅は、行ってみたかったOaxacaのシティ、そして、前に道端で出会った友だちをたずねてOaxacaのHuatulcoと言う街、それからメキシコシティに、夏にGuanajuatoに行ったときに友だちになった子の友だちに世話になりに行った。旅のスタイルが、なんだか「知っている知らないは別として、誰かをたずねる」と言うパターンになってきて、各地で世話になりまくりで本当に「ありがとう」の気持ちがいっぱいで進行して、そして終わっていった。次の日からまたすぐ仕事で、行事があって、ばたばたして、今日、である。
インターネットを失って、インターネットはいるぞ、と心の底からその必要性を感じている。wi-fiのところに行くとか、職場からするとか、メールをチェックする程度ならそれで事足りるのだが、やっぱりメールを書いたり、ブログを投稿しようと思ったら、ゆっくりと時間をかけなければいけないな、と感じるのだ。なので、いい加減インターネットを契約しようと思ってできるだけ安いプランを探した。しかし、驚いたことに、インターネットだけのプランと言うものが存在しないらしい。(と言い張る馬鹿な店員と何人か戦った。)いや、正確には、見つけたには見つけたが、500円上乗せすると40チャンネルのケーブルテレビが見られるというプランを見つけたので、インターネットだけ契約するのが馬鹿らしくなったのである。
このプランを月曜日に契約して、「10日以内に家に設定をしに行く」と言われた。現在3日目。まだくる様子も連絡もない。「10日以内」といわれただけで、詳しい日時は契約してくれたおばちゃんも「わからない」とのことだったのだ。9ヶ月のメヒコ生活から推測するに、10日以内には工事には来てくれないと思っている。どうなるか、見ものだ。
今はまたなぜか家から無料でどこかの電波を拾ってきてつなげているので、とりあえず、まだだった新年のあいさつにかえての更新と言うわけです。2010年も、私の目線でメヒコの様子を伝えることができたらな、と思っています。それでは、どうぞよろしくお願いします。
December 15, 2009
シャーペンの芯
日本の品物の質はやっぱり高いと思う。特にやはりMADE IN JAPANの文房具などは最高であるとつくづく感じる。
日本で、シャーペンの芯なんかもう何年も買っていなかった気がする。それは単に、減らないからである。あんなに減らないのになぜ40本入りとかなんだろうと不思議に思ったりさえもしていたくらいだ。そんな私とシャーペンの芯なので、ここメヒコでのその「減り」の早さには本当に脅威的である。
「なんでや?!」と考えていると、ノートの紙の質と芯の質の両方があまり良くないからである。まず、シャーペンの芯はHECHO EN COREA(MADE IN KOREA)なのだが、これのよく折れること、折れること。そしてノートはHECHO EN MEXICO(MADE IN MEXICO)で、芯が食い込む食い込む。私は筆圧が強いので、その減り方ったら、折れ方ったらもう異常なんである。鉛筆もよく使うのだが、鉛筆もすぐに先が丸くなってしまう。濃さの薄いものにしたら減りの速度は落ちるが、今度はノートに書いた文字が薄くて見えないということになる。そう言うわけで、HBくらいの鉛筆を猛烈な頻度で削りながら使っている。
これに関してイライラしているのかといえばそうでもない。この質の悪さがとてもこの国らしくて、期待を裏切らない感じがほほえましくすら思える。そしてなにより、鉛筆が減る様子は、なんだかとてもいいんである。つまりはただの文房具馬鹿である。
日本で、シャーペンの芯なんかもう何年も買っていなかった気がする。それは単に、減らないからである。あんなに減らないのになぜ40本入りとかなんだろうと不思議に思ったりさえもしていたくらいだ。そんな私とシャーペンの芯なので、ここメヒコでのその「減り」の早さには本当に脅威的である。
「なんでや?!」と考えていると、ノートの紙の質と芯の質の両方があまり良くないからである。まず、シャーペンの芯はHECHO EN COREA(MADE IN KOREA)なのだが、これのよく折れること、折れること。そしてノートはHECHO EN MEXICO(MADE IN MEXICO)で、芯が食い込む食い込む。私は筆圧が強いので、その減り方ったら、折れ方ったらもう異常なんである。鉛筆もよく使うのだが、鉛筆もすぐに先が丸くなってしまう。濃さの薄いものにしたら減りの速度は落ちるが、今度はノートに書いた文字が薄くて見えないということになる。そう言うわけで、HBくらいの鉛筆を猛烈な頻度で削りながら使っている。
これに関してイライラしているのかといえばそうでもない。この質の悪さがとてもこの国らしくて、期待を裏切らない感じがほほえましくすら思える。そしてなにより、鉛筆が減る様子は、なんだかとてもいいんである。つまりはただの文房具馬鹿である。
December 10, 2009
a mano
一人でぼちぼちと歩きながら、セントロセントロまでやってきた。まずは休憩である。私が、メヒコの、というか日本以外の国でいいなと思っていることの1つに、町の中にもベンチがあってそこに腰掛けて休めるということがある。日本では、ふと「外で本が読みたいなぁ」と思っても、なかなかそのへんの公園で、ほな読書でも、と言うわけにいかない。だから私は、海のほうまで行って、テトラポッドの上で一人ぼんやりと読書をしていたりした。
広場にたくさんベンチがあって、それぞれ思い思いに過ごす空間にいるのはとても気持ちがいい。さすがセントロセントロなので、大きな道路がすぐ脇を通っていて、交通量も半端なくて忙しい感じがするのだけれど、それでも、ベンチに座っている人たちのほうに目をやれば穏やかなもんである。読みかけの本を取り出して、本を読んだり、人間観察をしたりして小一時間を過ごした。靴磨きのおっちゃんや、待ち合わせのために待っていて連れがきたときに見せるめちゃくちゃうれしそうな顔や、おそらくゲイだというカップルを見つけてはにやにやとしてしまう。
十分休憩を楽しんだので、たぶんこっち、と勘のみでまたすたすたと歩き始めた。雑雑としたエリアに誘われて、キッチンレリア(台所用品屋さん)や、ベルトレリア(ベルト屋さん)を冷やかしながら歩いていると、やはりこの雑多な感じは、メルカード(市場)に通じていた。市場は3階建てで、まず入ったところがちょうど3階だった。3階は、靴やらDVDやらが売ってある。ものの多さに圧迫感を覚えて、しかもまた「アミーガ!何か探しているのか??」攻撃に耐え切れず、2階、1階へ。1階はもっと観光客向けの雰囲気がして、お土産になりそうなものがたくさん売ってあった。私は、ベルトとかばんがほしかったので見て回ったけど、もひとつピンとくるものがなかった。
せっかくなので、腹ごしらえでもしていくことにした。名前は忘れたけど、おいしいスープを食べた。スープを頼むともれなくトルティージャがついてくる。カウンタに座ると、目の前でそのトルティージャを焼いているのが見えた。生地を手動のプレス機みたいなもので伸ばして、鉄板の上に置く。両面を焼いたら、どんどんとお客の方に運ばれていく。歩き回ってすっかりのども渇いたので、ハマイカのジュースも飲んだ。うまい。私は一人暮らしなので、普段はなかなかメヒコ人がメヒコ料理を食べている姿を見ていない。だから、適当にちぎってトルティージャを食べていたのだけれど、メヒコ人たちは、くるくると巻いて、それをスティック状にして食べていた。……ので、ひそやかにそれを真似して食べてみると、なるほど、食べやすい。スープのときに食べるトルティージャは、巻くに限るな、と妙に納得しながら食べた。
それから、カテドラル(でかい教会)の向かいの広場の地下にあるプラサに行ってみることにした。前、平日に覗いてみると驚くほど開いている店が少なかったのだが、その中にとても気に入ったベルトを売っている店があったのだ。でかい市場の方で惨敗だったので、このこじんまりしたところをみて落ち着こうという魂胆である。しかし、前行った時には「入れ墨」と書かれたタトゥーの見本がおいてあるタトゥーやさんがあって、その前で悪そうなキッズがたまっていたので、カツアゲとかにあったら嫌だなぁ、と思いながら階段を下りていった。
平日よりもたくさんの店が開いていて、市場よりも暗いのだけど、市場のようなあの「アミーガ!!」攻撃がないから、よっぽど落ち着く。店番をしているのも、中学生か高校生くらいの店舗もあって、そんなところをうろついているアジア人は他に見当たらず、ガン見の洗礼を受けるのである。まぁ、そんなことはもう慣れっこなので別にいいし、なにより、こっちのプラサの方が心をくすぐられる手作りの品々が多い。ベルトもやっぱりこの間見つけたやつが一番いい。糸で刺繍をしたものを、皮に縫い付けているのだが、色が鮮やかでとてもきれいなやつである。やはり、手作りのものに魅力を感じる。まだ売れていなかったので、買うことにした。店番の女の子に「何人??」と聞かれたから「日本人やで」というと、「日本語で私の名前を書いて」と頼まれ教えてあげた。代わりに私もスペイン語の単語を教えてもらったり、しばらくきゃっきゃと話した。
かばんも、これまた刺繍のもので気に入ったものがあった。1回り目と2回り目で店番の人が違って、違う値段を言われた。どうやら、1回目に聞いたときはその店のお兄ちゃん(どう見ても10代。)の代わりに店番をしていたから、適当に値段を言ったらしい。だから本当の値段よりも安かったのでお兄ちゃんは不服そうだったが「さっきお姉ちゃんが言った値段にしてください。お願いします。お願いします。」と連呼しているとついに「オッケイ」を出してくれて、まんまとまけてもらった。いやぁ、ええかいもんをした。
ハンドメイド。さあ、次はどんな作品にめぐりあえるのだろう。そのためには、やっぱり街歩きをしないとだめだなぁ、と改めて思った。
広場にたくさんベンチがあって、それぞれ思い思いに過ごす空間にいるのはとても気持ちがいい。さすがセントロセントロなので、大きな道路がすぐ脇を通っていて、交通量も半端なくて忙しい感じがするのだけれど、それでも、ベンチに座っている人たちのほうに目をやれば穏やかなもんである。読みかけの本を取り出して、本を読んだり、人間観察をしたりして小一時間を過ごした。靴磨きのおっちゃんや、待ち合わせのために待っていて連れがきたときに見せるめちゃくちゃうれしそうな顔や、おそらくゲイだというカップルを見つけてはにやにやとしてしまう。
十分休憩を楽しんだので、たぶんこっち、と勘のみでまたすたすたと歩き始めた。雑雑としたエリアに誘われて、キッチンレリア(台所用品屋さん)や、ベルトレリア(ベルト屋さん)を冷やかしながら歩いていると、やはりこの雑多な感じは、メルカード(市場)に通じていた。市場は3階建てで、まず入ったところがちょうど3階だった。3階は、靴やらDVDやらが売ってある。ものの多さに圧迫感を覚えて、しかもまた「アミーガ!何か探しているのか??」攻撃に耐え切れず、2階、1階へ。1階はもっと観光客向けの雰囲気がして、お土産になりそうなものがたくさん売ってあった。私は、ベルトとかばんがほしかったので見て回ったけど、もひとつピンとくるものがなかった。
せっかくなので、腹ごしらえでもしていくことにした。名前は忘れたけど、おいしいスープを食べた。スープを頼むともれなくトルティージャがついてくる。カウンタに座ると、目の前でそのトルティージャを焼いているのが見えた。生地を手動のプレス機みたいなもので伸ばして、鉄板の上に置く。両面を焼いたら、どんどんとお客の方に運ばれていく。歩き回ってすっかりのども渇いたので、ハマイカのジュースも飲んだ。うまい。私は一人暮らしなので、普段はなかなかメヒコ人がメヒコ料理を食べている姿を見ていない。だから、適当にちぎってトルティージャを食べていたのだけれど、メヒコ人たちは、くるくると巻いて、それをスティック状にして食べていた。……ので、ひそやかにそれを真似して食べてみると、なるほど、食べやすい。スープのときに食べるトルティージャは、巻くに限るな、と妙に納得しながら食べた。
それから、カテドラル(でかい教会)の向かいの広場の地下にあるプラサに行ってみることにした。前、平日に覗いてみると驚くほど開いている店が少なかったのだが、その中にとても気に入ったベルトを売っている店があったのだ。でかい市場の方で惨敗だったので、このこじんまりしたところをみて落ち着こうという魂胆である。しかし、前行った時には「入れ墨」と書かれたタトゥーの見本がおいてあるタトゥーやさんがあって、その前で悪そうなキッズがたまっていたので、カツアゲとかにあったら嫌だなぁ、と思いながら階段を下りていった。
平日よりもたくさんの店が開いていて、市場よりも暗いのだけど、市場のようなあの「アミーガ!!」攻撃がないから、よっぽど落ち着く。店番をしているのも、中学生か高校生くらいの店舗もあって、そんなところをうろついているアジア人は他に見当たらず、ガン見の洗礼を受けるのである。まぁ、そんなことはもう慣れっこなので別にいいし、なにより、こっちのプラサの方が心をくすぐられる手作りの品々が多い。ベルトもやっぱりこの間見つけたやつが一番いい。糸で刺繍をしたものを、皮に縫い付けているのだが、色が鮮やかでとてもきれいなやつである。やはり、手作りのものに魅力を感じる。まだ売れていなかったので、買うことにした。店番の女の子に「何人??」と聞かれたから「日本人やで」というと、「日本語で私の名前を書いて」と頼まれ教えてあげた。代わりに私もスペイン語の単語を教えてもらったり、しばらくきゃっきゃと話した。
かばんも、これまた刺繍のもので気に入ったものがあった。1回り目と2回り目で店番の人が違って、違う値段を言われた。どうやら、1回目に聞いたときはその店のお兄ちゃん(どう見ても10代。)の代わりに店番をしていたから、適当に値段を言ったらしい。だから本当の値段よりも安かったのでお兄ちゃんは不服そうだったが「さっきお姉ちゃんが言った値段にしてください。お願いします。お願いします。」と連呼しているとついに「オッケイ」を出してくれて、まんまとまけてもらった。いやぁ、ええかいもんをした。
ハンドメイド。さあ、次はどんな作品にめぐりあえるのだろう。そのためには、やっぱり街歩きをしないとだめだなぁ、と改めて思った。
レリア
この間の土曜日。待ち合わせをしていた人と、連絡の行き違いでうまく会うことができなかった。いつも週末はだらだらしているから、土曜日の午前中に外出しているというのは極めて珍しい。家に引き返すことも考えたけど、天気もいいことだし、これは一人でのこのこと出かけるのにはもってこいだと思いつくなり、足はそのままバス停へ向かう。
結論から言えば、やっぱり街歩きは楽しいなぁ、と言うことになるけど、その一人街歩きの中で見つけた素敵なメヒコの顔について書こうと思う。まずは、「~レリア」について。
いつもと違うところでバスを降りて、適当に歩き始めた。最終目的地は、メルカード(市場)である。メルカード、行くのは2回目である。あの「アミーガ!!!何を探しているんだ?」「アミーガ!!!帽子買っていかねえか??」と猛烈に声をかけられるのに耐えられず、足がなかなか向かないでいたのである。はっきりした場所はわからないけど、方向はわかっていたから、まぁ、たどり着くでしょうと適当に歩き始めたその道は、「本気紙レリア」エリアだった。
スペイン語で、「~屋さん」と言うのは、~ríaというようで、papelería(papel:紙 + ría = 文房具屋さん)、pescadería(pescado:魚 + ría = 魚屋さん)、carnicería(carne:肉 + ría = 肉屋さん)といった具合である。そう言うわけで、私は「~屋さん」と表現するときには、何でも"レリア(本当なら、リア、をつけるべきだけど、パペレリアの、レリア、をとって)"をつけて呼んでいる。だから、"紙レリア"とは、私のオリジナル単語で、意味は「紙屋さん」である。
紙レリアエリアを抜けると、大きな通りに出たのでセントロセントロ(セントロの中心部)を目指して方向転換。メヒコは、専門店の宝庫である。私はそれがとても気に入っている。日本では、最近は何でも総合化してしまい、専門店と言うのが減ってきているように思う。だから、京都の街を歩いたときに「たたみ屋さん」があったり「仏具屋さん」があったり「和紙屋さん」があったりすると、わくわくしてしまう。そこには職人がいて、文化がある。そう感じるからだ。メヒコで見かける専門店は、例を挙げると、糸レリア(糸屋さん)、カレンダレリア(カレンダー屋さん)、お菓子レリア(お菓子の問屋)、布レリア(布屋さん)、カードレリア(カード屋さん)、べべレリア(赤ちゃん商品屋さん)、フィエスタレリア(パーティグッズ屋さん)、ビニールレリア(ビニール商品屋さん)、屋台レリア(屋台に必要なものを売る店)、ピニャータレリア(ピニャータを売る店)……などである。カレンダーだけを専門に扱って大丈夫なのか?!と要らぬ心配をしてしまうほどだが、それらのこじんまりとしたたずまいの店の前を歩くのがとても気に入っている。なんでも合理化してしまってまとめてしまうことが決していいことではないことに気付かされる。
結論から言えば、やっぱり街歩きは楽しいなぁ、と言うことになるけど、その一人街歩きの中で見つけた素敵なメヒコの顔について書こうと思う。まずは、「~レリア」について。
いつもと違うところでバスを降りて、適当に歩き始めた。最終目的地は、メルカード(市場)である。メルカード、行くのは2回目である。あの「アミーガ!!!何を探しているんだ?」「アミーガ!!!帽子買っていかねえか??」と猛烈に声をかけられるのに耐えられず、足がなかなか向かないでいたのである。はっきりした場所はわからないけど、方向はわかっていたから、まぁ、たどり着くでしょうと適当に歩き始めたその道は、「本気紙レリア」エリアだった。
スペイン語で、「~屋さん」と言うのは、~ríaというようで、papelería(papel:紙 + ría = 文房具屋さん)、pescadería(pescado:魚 + ría = 魚屋さん)、carnicería(carne:肉 + ría = 肉屋さん)といった具合である。そう言うわけで、私は「~屋さん」と表現するときには、何でも"レリア(本当なら、リア、をつけるべきだけど、パペレリアの、レリア、をとって)"をつけて呼んでいる。だから、"紙レリア"とは、私のオリジナル単語で、意味は「紙屋さん」である。
紙レリアエリアは、すなわち紙の問屋街のことになるが、紙レリアにまぎれて印刷工場もたくさんあった。昔ながらの機械ががしゃこんがしゃこんと動いている様子を、ちらちらと見ながら歩いた。人通りは特になく、穏やかなもんである。
December 07, 2009
dahh!!
今日は、またまた言語についての話。やはり自分が今一番格闘していることの一つだから、どうしてもトピックに選んでしまう。そうして少しでも向き合おうというわけなのだが、最近もっぱら感じるのはフラストレーションである。
もちろん、そればかりでもないから、さきにうれしかったことを上げるならば、この間旅行会社に安いフライトでも調べてもらおうと思って行ったとき、英語に頼らずにいけたことである。夏に同じく旅行会社とエアラインに話を聞きに行ったのだが、そのときはスペイン語がしゃべれなすぎて、英語のわかるスタッフが対応してくれたのだが、今回は、たどたどしいながらもスペイン語とジェスチャーと顔の表情だけで用事を済ますことができた。だから、これは○である。
一方の凹むこと、上げだすときりがないけれど、一番凹むのはスペイン語のわかる友だちのほうに話しかけられることである。そうする理由は簡単、そうしたほうが話が簡単に伝えられるし理解できるからである。四苦八苦して何とか知っている単語や英語で説明しなくても、ポンと一言日本語に訳してもらえれば、あるいはスペイン語でつぶやいてもらえれば、それで「??」は解消されるのだ。そのときに感じる自分の無力さったらない。スペイン語のできる友だちは、日本で4年も勉強していたのだから、自分よりもできて当たり前。わかっている。わかっているけど、同じ土俵で扱ってもらいたいという図々しさが、近頃の私にはあるようだ。厚かましさのほうが勝って悩みと呼ぶには被害妄想が過ぎるかもしれないが、これは地味に本気で凹む。この気持ちのジレンマもあいまって、かなりのフラストレーションを感じているのである。
もちろん、そればかりでもないから、さきにうれしかったことを上げるならば、この間旅行会社に安いフライトでも調べてもらおうと思って行ったとき、英語に頼らずにいけたことである。夏に同じく旅行会社とエアラインに話を聞きに行ったのだが、そのときはスペイン語がしゃべれなすぎて、英語のわかるスタッフが対応してくれたのだが、今回は、たどたどしいながらもスペイン語とジェスチャーと顔の表情だけで用事を済ますことができた。だから、これは○である。
一方の凹むこと、上げだすときりがないけれど、一番凹むのはスペイン語のわかる友だちのほうに話しかけられることである。そうする理由は簡単、そうしたほうが話が簡単に伝えられるし理解できるからである。四苦八苦して何とか知っている単語や英語で説明しなくても、ポンと一言日本語に訳してもらえれば、あるいはスペイン語でつぶやいてもらえれば、それで「??」は解消されるのだ。そのときに感じる自分の無力さったらない。スペイン語のできる友だちは、日本で4年も勉強していたのだから、自分よりもできて当たり前。わかっている。わかっているけど、同じ土俵で扱ってもらいたいという図々しさが、近頃の私にはあるようだ。厚かましさのほうが勝って悩みと呼ぶには被害妄想が過ぎるかもしれないが、これは地味に本気で凹む。この気持ちのジレンマもあいまって、かなりのフラストレーションを感じているのである。
December 03, 2009
好きな言葉
言語と関わっていると、好きな単語や言葉と出会う。その場合、「意味が好き」なのか、あるいは「言葉の響きそのものが好き」なのかに大別される。後者の場合、ネイティブスピーカーからしてみると、「は?!なんで?!」と思われることがある。
例えば、私の一番好きなドイツ語は「punkt」である。意味は、「点」である。なぜ好きかと聞かれても、響きがかわいいからとしか答えようがない。そう言うくだらない理由で好きな言葉は人それぞれあるはずである。これが結構おもしろかったりするから、日本語を学習している友だちがいると「一番好きな日本語の単語は何??」と聞いてみたりする。ある友だちは、「あばら骨」と言っていた。理由は、「あばら骨」と発音する時の口の動き方がたまらなく気持ちいいらしい。「あばら骨」の発音なんて意識してしたことがないけれど、それを聞いてからゆっくりと発音してみると、破裂音が多くてなんだか言いたくなる言葉かもしれない。
このような「なんか知らんけど好き」と言う言葉に出会うのは、語学の習い始めに多いような気がする。今まで知っている言葉の響きとなんだか違っていて、妙に引っかかるからだろう。前置きが長くなってしまったけど、そんな無性にいいたくなる言葉に今日出会ったので、早速紹介しようかというわけです。
その単語とは、"montón"である。「たくさんの」という意味らしい。モントン、もんとん、モン豚……。後ろの"o"のところにアクセントがあるから、もんとんという感じで、なんかわざとなまってみたような感じである。それなのに、"ん"の音が2回もあるから、なんかフランス語っぽさ(ここからはあくまでもイメージ)さえ漂っている気がする。巻き毛のおっさんたちが、コーヒーカップを片手に小指でも立てながら物憂げに「モントン……」とかなんとかつぶやいていそうである。(これは完全に妄想)
明日から、なんとかこの"monón"を使って会話をしてみたいもんである。
例えば、私の一番好きなドイツ語は「punkt」である。意味は、「点」である。なぜ好きかと聞かれても、響きがかわいいからとしか答えようがない。そう言うくだらない理由で好きな言葉は人それぞれあるはずである。これが結構おもしろかったりするから、日本語を学習している友だちがいると「一番好きな日本語の単語は何??」と聞いてみたりする。ある友だちは、「あばら骨」と言っていた。理由は、「あばら骨」と発音する時の口の動き方がたまらなく気持ちいいらしい。「あばら骨」の発音なんて意識してしたことがないけれど、それを聞いてからゆっくりと発音してみると、破裂音が多くてなんだか言いたくなる言葉かもしれない。
このような「なんか知らんけど好き」と言う言葉に出会うのは、語学の習い始めに多いような気がする。今まで知っている言葉の響きとなんだか違っていて、妙に引っかかるからだろう。前置きが長くなってしまったけど、そんな無性にいいたくなる言葉に今日出会ったので、早速紹介しようかというわけです。
その単語とは、"montón"である。「たくさんの」という意味らしい。モントン、もんとん、モン豚……。後ろの"o"のところにアクセントがあるから、もんとんという感じで、なんかわざとなまってみたような感じである。それなのに、"ん"の音が2回もあるから、なんかフランス語っぽさ(ここからはあくまでもイメージ)さえ漂っている気がする。巻き毛のおっさんたちが、コーヒーカップを片手に小指でも立てながら物憂げに「モントン……」とかなんとかつぶやいていそうである。(これは完全に妄想)
明日から、なんとかこの"monón"を使って会話をしてみたいもんである。
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