January 31, 2012

San Juan Chamulaその2


San Juan Chamulaは、San Cristobal de Las Casas滞在中にもう一度訪れた。一回目に行ったときに、「サンマテオ(聖人の1人)」のお祭りが近々行われる、と教会のおっちゃんに教えてもらっていたのだ。そのお祭りは、1年の中でもかなり大きなものらしく、会う人会う人に「いやぁ~、あれはいったほうがいい」と言われたのだ。

そのお祭りのあるせいか、サンクリストバルデラスカサスからの乗り合いバスは、外国人でいっぱいだった。前回行った時は、Indigena(先住民の地元の人たち)ばかりが乗り合わせていたので、また雰囲気が変わる。チャムラにつくと、道路の両脇には、お土産屋さんとか立ち並び、教会の前の広場のところはティアンギス(青空市場)がこの間と同様に開催されていた。しかし、この間と明らかに違うのが、人の量!!!と、爆音で響き渡るミュージック。一回目に行った時に聞いたあの素朴な音楽と一変して、メヒコのノリノリの曲がそれはそれはすごい音量で流れていた。それにあわせて、マスクをかぶった子どもや、牛のかぶりものをした男の人などがとにかく走り、踊りまくっていた。牛は、花火(爆竹??)が仕掛けられてあって、ズバババババ!!!!と、爆発しまくっていた。すごい煙に、すごい火花。……おもしろすぎるやろ、これ!!!!お祭りと聞いていたから、もっと厳かなのかと思いきや、このサクレツ感。めちゃくちゃおもしろい。

市場の方もものすごい人で、お祭りだからなのか、服の叩き売りのようなことが行われていて、これがみていてとてもおもしろかった。このあたりの人々の服は、各村でそれぞれ特徴的である。(どれもとても美しい民族衣装なので、これについてはまた違うときに書きたいと思う。)民族衣装なので、伝統的なデザインなのだが、よく見ていると、チャムラの女の人たちをみていると、民族衣装の上に、「胴の丈が短めのカーディガン」を羽織るというのがどうやら流行らしかった。市場にも、そのカーディガンばかりを扱った屋台がたくさんあったので間違いない。やたら女の人たちが群がったエリアがあるなと思い、近づいてみるとそのカーディガンのたたき売りがされていたのである。

真ん中に、売人と思しき男の人がいて、その人を360度ぐるりと 女の人たちが老いも若きも取り囲んでいた。そして、売人の男が手元にあるダンボールからカーディガンを取り出し高々と掲げる。掲げるというか、もう取り出した瞬間に、あらゆるところから「私!!!!!!!」「私が買うわ!!!!!」「こっちよ!!!!!」などと女の人たちが我先にと叫びまくる。そうして、その過酷な戦いに買った人がお金を渡し、戦利品を手に入れていそいそと輪から抜けていくのである。そのやり取りの早いこと、早いこと。どこの国の女の人も、おしゃれとバーゲンには目がないなぁ、と思いながら見ていた。

▲売り子のおっちゃんは、すでに埋もれてこの写真では確認できない。笑

叩き売りのすぐ後ろでは、急ピッチでステージが組み立てられていた。こんな大掛かりのステージならば、前日までに組み立てておくのが日本では当たり前かも知れないが、お祭りの日当日にのんびりと、しかし手際よくセッティングしていくのは、いかにもメヒコらしい。ステージでのパフォーマンスは、どうせかなり夜遅くに始まり深夜にまで及ぶのだろうと予想され、それまで見ているとサンクリストバルデラスカサスに戻るコレクティーボ(乗り合いバス)がなくなると思ったので、サンマテオ祭を後にした。確かに、今まで見たお祭りとも一味も二味も違ったので、見に行ってよかった。しかしまぁ、ものすごいパワーだった。

January 28, 2012

メヒコの雑貨

最近、いろんなところで見かける。メヒコおよび、中南米の雑貨。アジアの雑貨を置いているお店でも、中南米の雑貨のコーナーが拡大されてきているような気がする。

値段はまぁまぁ良心的である。日本の雑貨屋に並ぶくらいなので、ある程度品質は高い。現地では、クオリティはピンきりなので、日本の店頭に並んでいるくらいの品質の物をより分けて選んで、日本への輸送費とかをいろいろ考えると、あの値段で提供されているのはすごいな、と思う。しかも、衣類から陶器、骸骨グッズにいたるまで、幅広いジャンルのものが扱われている。遠い国の雑貨も身近になったもんだなぁ、と感心してしまう。

メヒコは広い国で(日本の5倍の面積!!)、気候やそこに暮らす民族の文化もさまざまである。そのため、服飾や民芸品にはそれぞれの地方ごとに特色がでている。同じ国の民芸品とは思えないくらいに、デザインも違えば、色使いも違う。各地方で色々見ているうちにだんだんと、「これは●●地方やなぁ」というのが分かってくるようになる。それが分かってくるようになると、「その地方の雑貨」という目線で雑貨を選ぶことができる。「かわいいけど、きっと次の街にもあるだろう」と思っていると、全然見当たらなくて「あの時買っておけばよかった」とがっくり肩を落とす羽目になる。反対に、他地方の雑貨を見かけると、「これって、●●の雑貨なのに、なんでここにあるの??」と質問してそこから話がはずんで、おもしろい話が聞けたりもする。

そんなわけでメヒコは、民芸品大国だ。しかも、日本の雑貨とはくらべものにならないくらいに「ゆるい」。素朴というか、作りが甘いというか。型にはまらない発想が自由なのも、メヒコ雑貨の特徴だと思う。伝統的な民芸品がそういう感じなので、新進気鋭の手作り雑貨作家さんたちの作品を見ていても、それが感じられる。私が一目ぼれをして買って、友だちに見せびらかしまくっている「ふくろうのバッグ」も、「発想が大胆で、作りが甘い」という、まさにメヒコ雑貨の代表選手のようなやつだ。しかも、素材屋さん大国でもあるメヒコにおいて、「こんなん作ったらオモロイやろうなぁ」というものを実際に作ってみることは、そう難しくない。だから、さまざまなタイプの雑貨に出会うことができる。そういう点においても、メヒコ雑貨は、伝統的なものも現代におけるものも両方目が離せない。

まぁ、そんな私なので、日本の雑貨屋にメヒコの雑貨が大集結しているのは鼻息の荒くなることなのだ。先日、母親と雑貨屋に行ったときに、「これはな」「あれはな」と熱っぽくなった。グアテマラにも少しだけ足を延ばしたが、グアテマラの雑貨は、メヒコの雑貨とはまた少し毛色が違う。もっとも、メヒコの南部にいくにつれて、グアテマラの雑貨と似てくるのだが。チチカステナンゴという大きなマーケットが開催されることで有名な街があるのだが、そこで見つけたのと同じデザインの、ウイピルを加工したポーチを見つけて驚いた。こんなものも置いているのか!!!すごいなぁ、と。そういうわけで、雑貨屋にて、メヒコを感じて懐かしい気持ちに浸ってしまった。

品質よし、値段もまぁまぁよし。

しかし、それらの雑貨よりも、何年も売れていなくてほこりをかぶったメヒコで手に取った雑貨のほうに思いを馳せている自分がいる。

January 27, 2012

友だち

先日、弾丸で東京に行くことになった。それまでは結構テンションの針が暗い方に振り切れていて、どうしようもなかったので、本来なら数日かけてもう少しゆっくりと東京訪問を楽しみたかったところ、1泊2日というスーパー弾丸の日程になってしまった。まずは、東京へ行くかどうか迷っていた中、モーニングでコーヒーぐびぐび飲みながら私の負の針が振り切れるところまで追い詰めてくれた友だちに感謝しておこう。嫌味ではなく、本当に。

「いやぁ~、シンプルが一番ね」

などと、旅をしている時にはこれを心底実感して旅日記で叫んでいるのだが、実際には、「せっかく東京に行くのだから、そこにいる友だちにできる限りたくさん会いたい」と思うのもこれ、人情。というか、私ときたら、一度も東京に住んだことがないくせに、気がつけば結構な数の友だちが東京にいるんである。誰とも東京では知り合ってすらないのにである。

今回の限られた時間の中であった友だちは、6名。少し長くなるが、その6人について少し語ろうと思う。

まず、初日の晩に会った3人のうちの2人。数年前に、JETプログラムで兵庫県の田舎に来ていたときに友だちになったのだが、そのうちの、なんと2人が日本に戻ってきているのである。そのうちの一人にかつて質問したことがある。

「せっかく日本にいるのに、もっと頻繁に旅せぇへんの?」

日本に来ている外国人は結構たくさん旅をしている。日本国内や、近くて安いという理由からアジアの国々など、である。私の質問に対して、彼はこう答えた。

「日本に住むためにきてるから」

他愛のない会話だったので、本人は覚えていないだろうが、私はこの考えに激しく感動したのを覚えている。旅をしながら見る風景と、暮らしながら見る風景は違うのだ。当たり前のことだけど、「暮らす」ことに重きを置いた中で見る風景は、ぼんやり過ごしたり、休みにする旅を心待ちにあくせく働いたりすると、ただの日常でしかないけれど、外国人として暮らす場合は旅をするよりも毎日がアドベンチャーとカルチャーショックに満ちている。(あるいは、異文化に暮らすという考えで暮らせば、外国人である必要すらないかもしれない。)

もう1人は、一緒に陶芸に行ったり、ピニャータを作ったり手作りが好きだという共通点を持っていたので、 よく一緒に何かを作って遊んだ仲である。また、私がメヒコに行くにあたって3つのフレーズを覚えていった。(というか、その3つだけを引っさげてメヒコに乗り込んだのである。)その3つのフレーズとは、

"Hola!"(こんにちは)
"Dónde está el baño?"(トイレはどこですか?)
"No tengo dinero."(私は、お金持ってません!)

である。馬鹿みたいなフレーズなので、少しスペイン語がしゃべれるようになったころには、つかみとしてこの3フレーズの話をよくしたものだ。そのフレーズを教えてくれたのが、彼女である。スペイン語フレーズブックみたいなのを持っていて、他にもいろいろ教えてくれたが、あほのあたしが覚えていたのはこの3つだけだったのだ。

そしてもう1人は、オーストラリア時代に友だちになった子である。私がオーストラリアの田舎の町の小学校で日本語やら日本の文化を教えるというプログラムに参加した時に彼女は、私より数ヶ月前にその町にやってきていた。

「いやー、ストレスすごくてさ、こっちきて太った」

旨を初対面の時に、いきなり言ってきて驚いた覚えがある。2人とも、無報酬のプログラムでやってきていたので、とにかくお金がなかった。そのくせに、あのでかい国を旅していた。各々に計画を立て、かぶった場所は一緒に旅をして、旅先で別れて、またどこかの町で再会、というようなことをしていた。旅先ではなにか観光したりしないと!!と思って走り回るのが日本人の常なのだが、旅先で別に何もしない、というぐだぐだした旅をするようになったのは、このころからかもしれない。

時間の都合で、前者2人と後者1人は面識がなかったが、「まぁ、ええやろ」とまとめて会うことにしたのだ。

晩ご飯が済み、皆散り散りに分かれた後、私はもう1人の友だちと合流した。メヒコ2年間、苦楽をともに一緒に働いた同僚である。スタバでどうでもいい話をひたすらしたり、旅の帰り道、最強に疲れているのに雨に打たれながら犬の死骸を横目に無言で歩いた仲である。私のスペイン語のお師匠さんでもある。

翌日は、屋久島に行ったときに鹿児島のバッパーで知り合って、屋久島島内でも一緒に旅をした2人と会った。そのうちの1人は、私を訪ねて、私のもう1人のオモロイ友だちMとメヒコまで遊びに来てくれた子で、もう1人は、私がメヒコに行っているあいだに赤ちゃんが生まれて、赤ちゃんと一緒に現れた。

1ヶ月ぶりに会う人もいたけど、大半は「何年かぶり」の再会であった。それなのに、そのうちの誰と会っても「久しぶり」感がうすかった。「東京で」というシチュエーションには驚くのだけれど、「会っている」のは至極当然のような気がした。一緒に過ごした時間は、今までだってそう長くない人たちなのに、なんなんだろうか、この居心地のよさというか、会っているのがふつう、という感覚は。会ってなかった時間が長かったから、いろんな共有することがあるはずなのに、しゃべっている内容は、案外身近な出来事だったりする。そしてまた、彼らと話をしているとめちゃくちゃわくわくする。それぞれ、していることややりたいことは違うけれど、丁寧に真剣に取り組んでいる。のが、伝わってくる。話の内容はしょうもない馬鹿話が多いのだけれど。あかんぞあたし、と思う。がんばらなあかん、と思う。つまりは、元気が沸いてくるのがわかる。そういう友だちがいるって、めっちゃありがたいなぁ、と思う。そのホクホク感とともに東京から帰ってこれたのは、非常に、よかった。

ありがとう、ありがとう。心はぬくいが、足が冷えてきたので、もう寝よう。

January 10, 2012

旅番組

旅日記、止まっているうえに、メヒコネタでもないのですが久しぶりに書き込みをば。

立て続けに、撮り溜めていた旅番組を見た。一つ目は、ブラックマヨネーズの結成15周年記念でマレーシアに行った旅。二つ目は、千原せいじが中国は上海を訪れた旅。三つ目は、旅猿東野と岡村がハワイに行った旅。

どれもそれぞれ違った形態の旅でおもしろかった。テレビ番組なので、もちろん視聴者に「見せる」ように作られているのだけれど、やっぱり旅をする人のカラーがでていて、そここそがおもしろい。こんなことに感動するんやなぁとか、こういう目線でものごとををみているんやなぁとか、と旅に焦がれる人の気持ちでみてみたり、複数で旅してたらそう言う感情になるよなぁとか、旅人を自分に入れ替えてみたり。

旅をしている時も、今の状況も、たくさんの時間があって自分と向き合えるという条件は同じのはずなのに、旅先の方が自分と真剣に向き合っている気がする。今何も考えていないというわけではないけど、ホーム(家という意味であったり、本拠地という意味であったり)にいると、どうもお尻が重くて、しかもなんだかんだと理由をつけて、自分の弱さが全開というかなんと言うか。そういうのが腹立つけれども、甘んじているのも自分かい、と思うと情けない。

というわけで、部屋の掃除でもしてみようと思って部屋の掃除をした。ものを捨てないとはじまらん、ということで机の引き出しを開けたら大学生の時に使っていたメモ帳が出てきた。自分の好きな映画のフレーズを複数の友だちと書きまくっているページがあって懐かしかったけど、相当あほやな、と思った。

「おもしろきこともなき世におもしろく」

というフレーズが100万回くらい書かれてあった。今でも覚えているが、これは当時、JRの宙吊り広告の関門海峡の写真に添えられていた高杉晋作の言葉である。

「To the next step!!」

とも引用されていた。(引用元が、映画アメリカンパイなので説得力には欠けるけど。笑)やっぱり、焦がれているだけでは駄目なのだ。前に向かって走るしかないのだなぁ、人生は。