December 25, 2010

Navidad

今日は、クリスマスイブ。メヒコでは、24日が盛大に祝われるそう。去年のイブは、バスにひたすら揺られていた。今年は、グアダラハラにいるわけですが、特に予定もなく……。いつものように、昼をダラダラと過ごし、本を読みにスタバに出かけ……。うわ!!!!全くいっつもと一緒やん!!と思ったので、帰りにケーキを買って帰ることにした。一人用ケーキは今日は2種類しかなく、ショーケースはめちゃくちゃでかいケーキで埋まっていた。お客さんも次から次へとやってきて、大繁盛。

「プレゼント用ですか??」

と聞かれて、

「あ、はい。」

とか言ってしまった。ああああ、何の嘘やねん。激しく自分に突っ込みを入れつつ、意味がわからずわらけてきた。すると、店のお姉さんが「Feliz Navidad!(メリークリスマス)」といって、おまけに小さなチョコレートかチョコレートケーキをくれた。

「えええ!!!いいんすか?!」

とますますあほ丸出しで、でもやっぱりうれしくて、にやけてしまった。帰りに、教会をのぞいてみることにした。なにやら教会に足を運ぶ人がたくさん見受けられたから、きっと盛大に祝われているに違いないと思ったのだ。でも、実際には司祭みたいな人が神妙な顔つきで何かしゃべっていて、とても気軽に入って行ってはだめなような感じがしたから、そのままUターンしてでてきた。

何かと物入りでお金が飛ぶようになくなるこの季節なので、帰りに銀行に寄った。すると、銀行の駐車場で子どもがわらわらと1台の車に集まっていた。何かと思うと、男の人が子どもたちにプレゼントを配っていた。子どもたちと言うのは、普段路上で物を売っていたりする子どもたちだった。子どもたちは、うれしそうにおもちゃを抱えてまた路上に戻っていった。

スーパーでも、私のひとつ前のおばちゃんが、袋に品物を入れてくれる人にお釣りを全部渡しているのも見かけたりした。クリスマスをみんなハッピーに迎えるということが、この国では本当に大切なことなんだな、と感じた。私は、ほいほいとお金を上げたり、プレゼントをあげたりすることはできないけど、せめてできることといえば、路上で売っているものを買うこと。まぁ、実際、季節物の商品を扱っていることも多く、そのイベントが過ぎると売っているのを見かけなくなるので、本当にほしいと思うものも多々ある。その収入が役に立つなら、これ幸い、と言うわけです。自分もほしいものが手に入って、彼らの役にも立てば、お互いハッピー。貧富の差をgive and takeという言葉で片付けられるとは思わないが、やはり世の中は持ちつ持たれつなんだと思い知った今年のクリスマスです。

【写真:クリスマスシーズンに見かけるピニャータ。なんか、角の部分が邪気を祓うかなんかの意味があったような気がする。実際に割るサイズのピニャータとして売られているけど、私はそんなでかいものはいらないので、吸盤でその辺につるせる小さいものを路上で購入。バスについてあるのをみて、お、ええやん、と思ったので真似してみた。】

第○言語

新しく言語を学んで習得するのに年齢は関係ない、と言うような記事を読んだことがある。また、母国語と違う言語を勉強することによって、ボケ防止にも繋がるとも書いてあった。

「年齢は関係ない」と言うところを読んでほっとする一方で、じゃあいったい、「習得」とは何を持ってそう呼べるのか、と憤ってみたりする。言語には、これができたからもう完璧、というのがない。それこそ、旅行に行ったときに困らない程度の言語力と、暮らすのに困らない程度の言語力、あるいは仕事をするのに困らない言語力はそれぞれ違う。それぞれのニーズにあった言語力を身につけると、個人としてはそれで事足りるが、では果たして「旅行で困らない程度の言語力」を身につけた人に向かって「もう、完璧やね!」と声をかけて「そう!私の言語力は完璧!!」と言う答えが返ってくるだろうか。答えはおそらく否である。「まぁ、旅行にはこまらへんけど、完璧にマスターはしてない」といわれるだろう。そんな風に、言語は通じると楽しいからとっつきやすい反面、深みにはまるとゴールがないのでいくらやってもだめだ、と言う嫌悪感にもさいなまれやすいものだといえる。しかも、その「伸び」とか「進歩」と言うものは、自分では実感しづらいのが、またそれを助長する。

この間、skypeをつないでいると、ドイツ人の友だちから話しかけられた。彼とは、数年前京都のバックパッカーで知り合ったのだが、その時は、いろいろな国の人がいたから、共通の言語は英語であった。そのドイツ人の子は、その時に始めて日本を訪れたのだが、それをきっかけにものすごく気に入って、また戻ってきたいといっていた。彼のすごいところは、半年後に見事留学生として日本に戻ってくきたところである。半年ほど日本に住んでいて、その間に日本語を勉強していて、ひらがなカタカナだけではなく、漢字もたくさん読めるようになっていったから、すごいなぁ、と思っていた。そして、彼の妹がドイツから遊びに来た時に日本の私の町に遊びに来てくれた。そのときは、彼が日本語を勉強しているから、と言うことで主に日本語でしゃべったように記憶している。それで私がメヒコに行くことが決まってそのことを話すと、なんと彼はスペイン語がしゃべれるということが発覚した。なんでも、スペインに留学していたときがあるらしく、その時に身につけたんだそう。メヒコに行くことが決まったときの私のスペイン語力は、完全に無であった。だから、チャットをしたときにスペイン語をちょっと教えてもらったりしていたくらいだ。まぁそんな友だちが"Hola!  Que tal?"と話しかけてきたのである。スペイン語で話しかけられたので、スペイン語で返事を返していると、そのままスペイン語で話が続けられた。全部をスペイン語にするのは無理なので、英語や日本語を混ぜたりの会話だったが、途中でふと、「おまえ、スペイン語上達したな!!!」と言ってきた。「そんなわけがない!!」と答えると、「いやいや、スペイン語で会話できてたやん!!!」。……おお、そういえば、この人は私がスペイン語をこれっぽっちもしゃべられへんかった時期を知っている、その人が「上達した」といってくれるのなら、もしかすると上達してきているのかもしれないと思うと、なんだか無性にうれしくなった。

英語のときもそうだった。なんか、全然上達しないなぁ、というかむしろ、日本にずっといるからへたくそになっていく一方だ、と思っていたときに、一番はじめにアメリカに行ったときに友だちになった子が「おまえ、めっちゃ英語うまくなったじゃないか!!」と言ってくれて、その言葉にものすごく助けられたことを思い出した。

そして、言語の習得は、自分と他人とを比較して判断するのではなく、自分の中でどれだけ伸びたのかが大事なんだということに、ふと気付かされる。当たり前のことだけれど、深みにはまるとそれを簡単に見失ってしまう。自分で見ることができないから、相手に言ってもらうしかないのだけど、それを相手が何の気なしにふと言ってくれるこの瞬間に、ちょっとだけ自分の言語力に自信がつく気がする。

だからといって、私はたとえ他の言語が上達してきてもその言語だけでしゃべり続けるのは不可能なんじゃないかと思う。その言語だけを使いこなせたら言うことなしだけど、私は自分がそこまで機用じゃないことや、言語は所詮道具に過ぎないということに気がついている。だから相手が英語と日本語を理解するなら、それをミックスしためちゃくちゃな言語を自分で話すだろう。相手がスペイン語しかわからないのなら、スペイン語と日本語とジェスチャーと顔を使って話すだろう。

結局、いつもいっているところにたどり着くのだが、言語はおもしろい。でもそれが全てではない。やっぱり伝えたいという、ガッツとハートが重要だ。それでも言語を上達したいと言う気持ちが起こるのは、コミュニケーションを言語がスムーズにしてくれてもっと楽しくなるというのを肌で感じているからなんだと思う。

ドイツ人の友だちとのチャットの余談。

「一番初めに会ったときは英語でしゃべったのに、次は日本語、そして今はスペイン語でしゃべってる!すごいな~!!ああ~、ドイツ語もちょっとしゃべれたらよかったなぁ。DankeとBitteしか知らんわ。」
「ありがとうとどういたしまして、は最重要単語やからそれ知ってたら十分!!それにしても、5年後くらいには、アラビア語とかでしゃべってたりして?!」
「うん、そうに違いないな。笑」

どうやら、私の周りには言語を、おもちゃのようにとらえて扱っている人が多い。楽しい遊びには、大人も子どもも関係ない。なるほど、言語習得にはやはり年齢は関係ないのだな。

200!!

どうやら、この投稿がmexico no kurashi、200回目の投稿になるらしい。そんなにも書いたのかと自分でも驚く。それだけいろいろ突っ込むところがあるメヒコなんだなぁ、と感じる。ともあれ、気がつけば年の瀬。あと1週間と少しで2010年が終わっていくとは信じられない。

メヒコも冬ですっかり寒いとはいえ、雪が降ったりと言うことはない。グアダラハラでは、10数年前に雪が降ったことがあるそう。でも、学校の事務のおっちゃんにいわせれば、「メヒコ人の身体は雪が降るような寒さに対応できるようになっていないから、寒すぎて亡くなった人もたくさんいる」んだそう。確かに、朝晩こそぐっと冷えるけれど、昼間は気持ちのよいグアダラハラ。私は長袖を着て歩いているけど、街の中にはこの時期でさえノースリーブでうろうろしている人も見かける。そのたびに、そんなあほな!!それはやりすぎやって!!と突っ込んでいる。(心の中で。)

夜になると寒いから、やはり暖かいものが恋しくなる。というわけで、ああ、日本人でよかった!!的メニュー、鍋の出番である。一人で鍋でぱっと作ってつつくだけなので、極めてシンプルな水炊き。でも、ありがたいことに白菜と大根がここメヒコでも手に入るのである。それに鶏肉を入れて、ポン酢で食べれば、もう上等すぎるくらいありがたい鍋になる。ところで、この「白菜」や「大根」は、スペイン語ではなんと言うのだろうと思い、レシートをみてみた。すると、白菜はNapaで大根はNaboだった。ナパとナボって……。寒い冬の夜、あなたもナパとナボと買ってナベでもいかがですか。

December 15, 2010

風邪

風邪は引き始めが肝心、と言う。引き始めだから「お菓子」の力を借りて治そうと試みるのが私の常套手段である。お菓子といっても、ポテトチップスやチョコレートをぼりぼり食べるのではなく、医療系お菓子を服用するのである。まぁ、早い話がのどによさそうなアメちゃんを買ってなめるのである。日本では、ロッテのカリンエキス配合のどぎつい茶色のいろのあののど飴が私にとってのそれである。それとうがいに塩水や紅茶を使ったり、ビタミンCを取るためにやたらとみかんを食べたりして、忍び寄る風邪を追い払う努力をする。こんな一見ばかげたことでも見事に効くときがあるので、あながち馬鹿にもできない。

のど飴で重要なポイントは、「どぎつい、いかにも効きそうな色」をしている点である。見た目にも、なんか、まずそうで効きそうと言うのが暗示の効果にもなっている。(かも知れない。)メヒコでは、日本のようにキャンディの種類が豊富ではなく、風邪の引き始めは、HALLS(ホールズ)に頼っていた。ホールズもなめるとすっきりするのだが、もう一つパンチにかける。やはり、見た目の色が美しすぎるのではないか、と勝手に私は思っている。

いよいよ本当に風邪を引きそうだ、と言うレベルになったときには、ついに薬局でのど飴を買うことになる。あくまでもアメで風邪を治そうという、精神論レベルの対処法なので、「はよ病院行けよ」と思われることはわかっている。わかっているけど、いやいや、もうちょっとあめちゃんの力を信じましょう、と言うのが人情と言うもの。ここで買うのは、日本でもおなじみ、VICKS DROP(ヴィックスドロップ)である。VICKSドロップなら、間違いないという、変な信頼を寄せているので、暗示も倍増である。

いつもは、Manzana Canela(りんごとシナモン)味を買うのだけれど、今回風邪を引いたときはなかったので、「ミント」とかかれた味を買ってみた。あけてみると、これが待ち望んだ「どぎつい茶色ののど飴」だったんである。メヒコにもこの色ののど飴が売ってあったことがうれしくて、また、これがあれば100人力、と心強さすら感じてしまった。

結局、今回引いた風邪は熱は上がるわで、ぜんぜんのど飴は役に立たず、結局薬を飲んで暖かくして寝ると言うやはり古典的な方法で回復に至ったのだが、どこかでのど飴が心の支えになっていたことはいうまでもない。熱も下がり、のどもあんまり痛くなくなったので、VICKSドロップを放置していた。日本のものと違い、個別包装になっていないのがメヒコのVICKSドロップの特徴である。すると、ありがどこからともなくやってきて、そのVICKSドロップに群がっているではないか。白い包み紙だからだめなのだな、と思い、少し残っていたドロップをアルミに包んで、ありが入ってこないようにかばんの中に入れておいた。すると、今日になって、ありが大行列をなして壁を伝っているので何事かと思い、その行き先をたどっていると、なんとその先にはアルミ箔に包まれたVICKSドロップがあった。ありよ、どうしてVICKSドロップを集中して狙うのだ?!仲間が風邪なのか?!やはり、ありものど飴で風邪を治したいのだろうか、やはり、世界のVICKに頼りたいのだろうか。そんなことをふと考えた冬のある日であった。

静電気

私の住んでいるグアダラハラは、高原地帯の気候に属するので乾燥しているのが特徴。日本のじめじめしたあの湿気の悩みとは無縁。ええこっちゃ、ええこっちゃ、なのだが、乾燥しすぎているので、肌がなんかありえないくらいカサカサになったりと、まぁ、弊害もある。それに並んで困るのが「静電気」である。日本でも冬には静電気に悩まされていたけど、こっちにきてもいろんなところでバチバチしまくりの日々が続いている。バスの手すりやら、そこらじゅうどこでもバチバチである。

話は変わるが、私の家には前に住んでいた人が自分で取り付けたチャイムがあるのだが、なんか変わったチャイムで、誰もピンポンを押していないのに勝手に鳴るという若干気持ちの悪い現象が起こるときがある。電化製品を使った時によく勝手になる。例えば、洗濯機を回していて、脱水が終わったときに「ピンポーンピンポーン」と鳴る。コンセントを勢いよく抜いたり差したりしたときにも「ピンポーンピンポーン」、ラジオをつけたら「ピンポーンピンポーン」。なんでやねん、あほか、と思うけど、どうしようもない。おそらく、それまでフルパワーで使われていた電力の消費が急に減ったのが原因だと考えらる。直接繋がっていないチャイムが反応するのは、本当に謎だけれど。

この間、夜中に電気を消して寝ようと思ったら、いきなり「ピンポーンピンポーン」となった。それと同時にバチバチっと指先に電流が走った。どうやら、電気を消そうと思ってスイッチに触った瞬間に静電気が発生して、その電流の流れに反応してチャイムがなったらしいのだ。この乾燥した中で発生する静電気の威力がものすごいのか、それともチャイムが繊細すぎるのか、わからない。わからないけど、ありえない。ありえないので、ちょっと困る。

December 08, 2010

言うてみるもんやな

先月のインターネットの請求額が、なぜかいつもよりも30ペソ多くなっていた。不覚ながら、それに気づいたのは支払った後だった。しかし、「これはおかしい!!!」と気がついたので、もちろんだが文句を言いに行くことにした。もう支払ってしまった後なので、手遅れなのでは……という気持ちは毛頭ない。その場で30ペソを返してもらうあくまで強気な心である。

しかし、やはり一回支払ったものはそう簡単に返してくれるものではないらしく、返金の運びにはならなかった。向こうの言い分によると、「11月分から30ペソ値上げすることになったし、通知も送った」と言うことである。しかし、こちらは通知はもらってないし、30ペソは余分に支払いたくないので、ひたすらそれを訴えた。そのたびに、いろいろ説明してくれるのだけれど、そんなことを言われたって、こちらの答えは「NO」である。しばらく粘っていたけど、11月分はもう支払ってしまったので、どうやら返金してもらえそうにないことが分かってきた。でも、来月も30ペソ値上がりした分を支払わされては困ると思い、

「じゃあ、今月はこれでいいけど、来月は絶対に元の金額に戻るんでしょうね??」

と確認した。すると

「来月は、大丈夫です。あなたは払いたくないんですよね??」

といってきたので、これは、証拠を残さないと、と思い紙にそれを書いてほしいと頼んだ。すると、正式な用紙があるらしく、それにスペイン語でさらさらさらと書き出した。辞書無しでの私のスペイン語は無に等しいくらいへなちょこなのだが、その力で内容を推測するに「この客は、値上がりした分を支払うことを良く思っていない」と言うようなことが書かれていた。しかし「後日返金いたします」だの「次月以降は料金見直し」だのとは一言もかかれていない、ような気がした。ここで友だちに電話して、それを訳してもらうのもまどろっこっしいし、さすがにそこまでするのは気が引けるので、そのまま言うなりに同意のサインをした。てっきり、控えをもらえるのかと思いきや、「控えはない」とはっきり言われたので、これはうまいように勧められては困ると思い、そのサインさせられた内容を写させてもらった。「こ、こいつ……!!!」と思われたに違いないが、こっちだって必死である。それくらいは恥を捨ててさせてもらう。

友だちに後で読んでもらうと、内容は私が推測したことに付け加えて、「次にこの客を対応するときには、この件に注意すること」というようなことが書かれてあった。やっぱり、余分に支払わされた分に関しては、返してくれそうにないなぁ、と言うことだけが分かって、しかも、後日その店員が言っていた「値上げの通知」とやらが届いたのだ。これが届いてしまったら、あれだけ文句を言いに行ったのも無駄に終わったか、と思った。

ところが、である。12月分の請求書が着てそれを開いて驚いた。なんと、いつも払っている分から30ペソ引かれた金額が請求されているのだ。つまり、先月分の払いすぎが解消されて、値上げもなかったことになっているっぽいのだ。

おおおおおおおおおおお。……なんか知らんけど、やった。「はい~、はい~。うふふ~。そうね、値上げなのね。仕方ないわね、うふふふふ。」とわけも分からずに払わなくて良かった。来月は来月の風が吹くだろうから、来月のことはまだ油断がならないのだが、とりあえず、今月と先月分に関しては、問題が解決されたのでよかった。

あの値上げ云々はなんだったのか、と言う疑問は残るけれど、いやぁ~、言うてみるもんです!!!!!!!!

December 06, 2010

インターネット

先週は、途中から急に風邪を引いて、熱は出るわ、しかもそれが下がらんわで、やっぱり体調を崩すのはいやだなぁ、と思いながら過ごした。

あんまり薬にすぐに頼るのもなぁ、と思って、引き始めのときにみかんを食べて早く寝たりしたけど効果がなく……。ぐんぐんあがる体温計の表示をぼ~っと眺めつつ、それでも何か飲んだり食べたりせなあかん。一人暮らしで体調崩すと大変やとはいうけど、ほんまその通りやわと、しみじみ。

しかし、ほんまにインターネットってすごいなぁ、って思う。暖かくしてよく寝るのが一番と分かっていても、わざわざお母さんにメールして「ちょっと熱あんねんけど、何が一番ええかなぁ??」と聞いてみたくなるというもの。それで、わかっていたような答えが返ってきても、なんとなくちょっと安心するというか、「まぁ、お母さんがいうんやから間違いないやろ」というもんだ。

熱が下がっても、安静にしておこうと思って家にこもっていたのだけど、かといって熱が下がってしまっているから一日中眠っておくこともできず、暇をもてあましてしまうのがお決まりと言うもの。本を読むにしても、あんまり頭を使うことはしたくない。となると、何も考えずにぼけ~っと暇のつぶれるものと言うたら、テレビである。ところが、スペイン語のテレビを見ていたら、またこれ、頭を使わないといけないのでやっかいである。しかし、ここでもありがたきかなは、インターネット。YouTubeをひったすら見て、気がついたら、土曜日も日曜日も両日が気がつけば終わっていくではないかーー!!!ガキの使いに、明石家電子台に、漫才に……。ああ、やっぱり、なんも考えんとへらへら笑える番組はええなぁ~。

ひたすら動画ばっかり見て、風邪の症状が変わるにつれてその症状を軽減するために鼻水や足のひえの解消法を調べてみたりだとか、おかゆの作り方をCOOKPADで検索してみたりだとか、ほんとう、インターネットは、もはや風邪を引いたときにすらなくてはならないものなんだな、と感じた。

それでもやっぱり、今回の風邪でもっとも助けられたのは、友だちからの差し入れだろう。熱があって何も作ることができなかったときに、友だちがうどんを差し入れしてくれた。そのおかげで、薬を飲むことができて、熱を下げることができたというもの。それにつけてくれていた手紙がまたうれしかった。電話をくれた人や、その電話の切り際に「何か必要なものがあったら、いつでも電話してきていいからね」と気遣ってもらえることが本当にありがたいなあと思った。

頭を使ってなさ過ぎて、なんか、言いたいことがまとまらないけど、人のやさしさと技術の発達をかみ締めた週末でしたとさ。

November 29, 2010

へスース

この間、メヒコのクリスマス前について書いた。「ナシミエント」云々の話である。その時に、カメラを持っていなかったから1枚も写真と一緒に紹介できなかったけど、今週末セントロに行ったときにとってきたのでそれをちょいと紹介。これで、「ベイビーへスース(キリストの赤ちゃん人形)」のなんか怖さと言うか、気持ち悪さを共有できたらこれ幸い。

 ▲これは、電飾。さまざまな光方、色、長さのものが、安価に売られている。

▲ナシミエント。真ん中に居る寝ているのがキリスト。

▲ナビダーが近づくと、こういう特設の屋台がたくさんできる。

▲近づいてみると、ヘスースいっぱい。ヘスースの下になっている藁を再現するためのなんか良く分からない素材も、いたるところで売られているのを見かける。

▲ヘスース、各種大きさ取りそろえられています。

▲使用方法は、こんな感じ。やっぱり、人形を並べるかわいさ(4枚上の写真)とは違う。やっぱり、リアルで怖い。

▲スペースがなくても安心。小ぶりなヘスースもあります。

▲もはや、売られる場所を選ばない。ダンボールの上だって。


Marionetas gigantes en GDL

2010年は、メヒコでは独立200周年・革命100周年という記念すべき節目の年。というわけで、さまざまなイベントが催されている。11月23~28日は、"Marionetas gigantes en Guadalajara"というわけで、巨大な操り人形が町にやってくるというイベントがあると教えてもらった。話を聞くと、とてつもなくでかい操り人形がセントロを練り歩くのだという。そのために、道路も封鎖されるというのだから、「一体どれほどにまででかいものなのか?!」と興味津々。

金・土・日と3連休だったが、木曜日に徹夜をするという奇行のため金曜日は使い物にならず、土曜日にのこのこと出かけてきた。バスの割引券を買うために午前中から出かけたら、セントロに入ってからバスの進みが急に遅くなった。景色を見ていると、どうもいつもと違うルートを通っているらしい。セントロの中のメイン道路の一つAVE.16 de Sieptembreが閉鎖されているから、迂回をしいられている様子だった。あまりの遅さに、途中でしびれを切らしたおっさんが、何回も降車ボタンを押し、それでも運転手があけないので、「ドアを開けろ!!!」とドアを思いっきりたたいて叫びだした。がーん、険悪な雰囲気。いややなぁ、と思っていたら、「セニョール、外には警察の警備がいるんだ。バス停じゃないところでおろしたら問題になるから、バス停でしかおろせません!!」ときっぱり。いつもなら、バス停はあってないような、なくてあるようなものな気がしていたけど、やっぱりあるんだなぁ、、と妙に感心。

バスのチケットを買って外に出ると、人々が何かを待っている模様。白バイがいったり来たり、なんだかあわただしい様子。私もみんなに倣って沿道にでて一緒にまっていると、遠くから、でかい音楽とともにめちゃくちゃでかい人形がやってきた。


最初にやってきたのは、人形とは思えないくらい妙にリアルな動きをした黒い犬だった。首のふり方とか、寄り道をする様子とか、本物の犬としか思えない動きでびっくりした。リアルすぎて気持ち悪いなぁ、と思ってぼんやりとみていると、その後ろからめちゃくちゃでかい女の子の操り人形がバスの上に座ってやってきた。はじめは、「でかいなぁ~」と思っていたのだけれど、よくよくみると、女の子は瞬きをしていたり、身体も静止しているのではなく、手が動いたりいろんなところがナチュラルに動いているではないか。操り人形だから、各パーツは全て糸(というか、ワイヤー)で繋がっているのだけれど、そのワイヤーの先を見ると、大の大人が思いっきり引っ張ったりなんだりしているのである。なんだか想像していたよりも精巧でびっくりしたからあっけにとられていると、あっという間にこの2体は行ってしまって、後は何も来なくなってしまった。しばらくまったけど、来る気配が無かったので、用事を済ませることにしてカテドラルの方面に歩いていった。



すると、もう一体、でかいのが止まっていた。じいさんの操り人形で、でかい音でぐぅぐぅと寝息を立てていた。しかも驚いたことに、寝息の音が流れているだけではなくて、彼が息をすったりはいたりする音がするたびに胸部が膨らんだりしぼんだりしているのである。おおお。芸が細かい!!!



テアトロデゴジャードの前では、いきなり壁画が登場していた。場所的に、おそらく一時的に展示されるのだと思うけれど、水道橋風のアーチの壁が地面にめり込んでいるのである。しかもなんか、地面がぼこっと波打ったようになっていて、テンポラリーの展示の割にはめちゃくちゃ凝っていてびっくりした。う~ん、やるなぁ、メヒコ人。

 もういとど16 de Sieptembre通りに戻ると、またもや道が閉鎖されていて、向こう岸に渡れなくなっていた。人の数もなんか増えたっぽいので、また何かがある予感。ので、そのまま人の中にまぎれていると、さっき眠りこけていたおっさんのでかい人形が目を覚ましたらしく、立ち上がって行進を始めた。瞬きをして、足を一歩ずつ踏み出して、おっさんはのしのしと歩いてだんだん近づいてきた。このおっさんを動かすためのからくりは、ワイヤーを上から下に引き下げるのだが、これは大人の腕力だけでは到底無理らしく、何人もの大人が並んで、2人ずつターザンロープみたいに思いっきりワイヤーを下げていた。まるで、ガリバー旅行記の世界を見ているようだった。実際はそのちょろちょろした人間がその巨大なおっさんを動かしているのだけれど、おっさんの存在感が圧倒的過ぎて、人間はその周りをうろちょろしているだけにしか見えなかった。う~ん、すごい。


歩いていると、紙を配っていてそれをもらうと、この操り人形についてのことだった。どうやら歴史上にあった出来事だか物語と関係あるらしい。だから、犬と女の子とおっさんの人形なんだそうな。明日からはこの文章を読んで解読することにしよう。ふむふむ。



↑政府のホームページを見たら、Youtubeの映像が提供されていた。こんな感じ。

November 27, 2010

リカちゃん

メヒコに来てから1年半くらい。海外の美容院は、やはりなんかイメージ恐ろしく、未だに足を運べない。メヒコの人は、アジア人のように黒髪の人もいるけれど、なんか、髪質が違うし、カットの仕方も日本のものとは違うので、みょうちくりんにされそうなのでどうもこっちで髪の毛を切ってみる気にならない。というわけで、私の髪の毛は伸び放題である。今までで一番長い。久しぶりにあう人はさぞ驚くだろう、それもまぁ、おもしろいかな、きひひ、と思っているうちに、伸びる一方である。

伸びているだけなら、まだいいのだが、困ったことに髪の毛のダメージが相当ひどい。メヒコの水道水は飲めない。塩素がきついからだと聞いたことがある。その水で髪の毛を洗って、強い太陽にさらされているのである。毛先は、もはやモイスチャーもキューティクルもあったもんではない。この髪の毛、何かに似ているなぁ、と思っていたら、あれである。「リカちゃん人形」である。あれの質感にそっくりで、それに気付いた今、愕然として、悲しみにくれている。美容院、そろそろ行き時なのだろうか……。

徹夜・電話・英語

今、昼の1時半。昨日から寝ていない。

今週末は、3連休なので昨日は友だちの家でダラダラとパスタを食べながらしゃべりまくっていた。すると、あれよあれよと夜が明けて、うひゃひゃひゃひゃ、と楽しくなってきた。こうなれば、あほなことをするついでに、早朝にスタバにいってみたくなった。いつも朝起きるのが遅いので、朝の空気感がめちゃくちゃ新鮮。なんか、ひんやりしていてさわやか。テンションは不気味に上がって朝日のまぶしいのさえ、おもしろいという状況。

コーヒーを飲んでいたら、妙に頭が冴え渡ってきた。気になるのは、航空券の価格である。冬休みに友だちが遊びに来てくれるのだが、なぜか私が住んでいるグアダラハラではなく、カンクンのチケットを取ったらしいので、ユカタン方面まで会いに行くことになっているのだ。カンクンはドリゾートなので、私はあまり関心がないし、カンクンだけに滞在しているとおそらくお金がいくらあっても足りないと思われるので、チェチェンイツァー遺跡の方へ足を延ばして見たいと思っている。

メヒコのおもなホリデーシーズンは、3月~4月のセマナサンタと12月のナビダーである。特にこのナビダーの季節の航空券の値段はえげつない。それを分かっていながら、心にゆとりがなく旅の計画を立てられるよな状況になかったので、つい1週間ほど前に旅の情報を集めだした次第である。行きはバスでユカタン方面を目指して、ユカタンで友だちと合流し、飛行機でグアダラハラに帰ってくるというのが大まかなルートなのだが、この飛行機が非常に高い。

ノーマークだった空港からグアダラハラへのルートがあることを友だちに教えてもらい、これはいいや、とルーティングプランを練り直していると、ある日を境にしてその航空券の値段が激値上がりしたのだ。これには驚いた。やく2倍も値上がりしたんである。ど、ど、ど、どういうこと?!?!倍て!!!あほですか!!!!

飛行機のチケットは値段の変動が激しいので、「もしかしたら近づくにつれて安くなるかも」なんていう淡い期待を持っていたのだが、それが間違いだった。この時期になったら、「おお!」と思ったものは即刻購入。これが鉄則のようである。さもなくば「倍」と言う失禁寸前の事態が訪れる。……そういうわけなので、夜があけた今日の値段が何よりも気になる。気になるんですよ。なので、早朝のコーヒーで冴え渡った頭でちょっくらチケット購入の最終検討をすることにした。

もう一人の友だちも、いろいろとプランを練っていて、2人で「やばいなぁ」「あかんなぁ」といいつつ、iPod Touchの小さな画面に血走った眼は釘付け。これ以上値段が跳ね上がって涙を呑むのはもうたくさんなので、大体の見当をつけてダッシュで家に帰って早速購入することにした。

順調に搭乗者と購入者の登録などをする場面にいき、座席を選び、さぁ、払うぞ、と言うときに問題発生。Tarjeta(カード)がなぜか使えないんである。私は、メヒコの銀行のカードを持っていて、そこにはvisaの標記もある。てっきり、このカードでクレジットのショッピングもできるのだと思っていたら、どうやら私のカードにはデビットの機能しかないらしい。なんど番号やセキュリティナンバーを入れても支払いの画面はエラーが出るばかり。あほか、こんなことをしている間にも、ライバルたちは航空券の購入を我先にと急いでいるのではないのか……!!!と、一人でてんやわんやである。

ええい、これは困った、と私が心の師匠と勝手に思っている世話になっているおっちゃんに電話をして聞いてみた。すると、銀行のカードでインターネットショッピングをする場合は、銀行に申請をしなければならないかもしれない、とのこと。宙ぶらりんの予約は、一体どうすればいいのだ。とりあえず、電話をかけてみて、航空会社に尋ねてみろとのことだった。そして、よく分からなかったりだめだった場合はとりたい便の情報を送ってくれれば、チケットを取る手助けをしてくれるとのこと。

トールフリーの電話番号が載っていたが、携帯からだとおそらくチャージされるので、職場の固定電話を使うべくダッシュ。夜通し起きていた者とは思えない機敏さで、我ながらあほやな、と関心。電話は、スペイン語ではかける前から完全にノックアウトなので、申し訳ないが英語で対応してもらった。でも、"Puede habrar con ingles?(英語で対応してもらえますか)"と聞くと、「英語要員」がいるらしく、その専用回線にすぐにつないでくれた。しかし、英語といっても、私も最近しゃべるほうでは全然使っていないし、怪しさはかなりのものである。しかも、相手方の英語要員は、もちろんメヒコ人で、スペイン語なまりの英語が相手である。これは、結構強敵。向こうも、日本語なまりの英語で「やや、何やつ!!」と思っているだろうが、くせのある英語で、しかも顔が見えない電話で意思疎通を全て行わないといけないのは、結構タフである。

自分が困っていることやしたいことを伝えることや、相手がそれに対して応対してくれるのは、特に問題ないのだが、一番難しいのがスペルの確認である。"B"と"D"が似ていたりするので、そのアルファベットのつく単語を言い合って確認していくのだが、一番苦戦したのが"Y"だった。スペイン語では、Yは、ジャ・ジュ・ジョっぽい発音になる。だから、"Young"は、カタカナ英語では"ヤング"だがスペイン語英語では"ジャング"と言う風に聞こえるのだ。だから、一瞬何の単語か分からず、スペルを確認するはずが、逆に混乱をまねいて「え?!なんて??」「ジャング」「ジャ??ジェイ??」「ノー、ワイ」「えっ??アイ??」というめちゃくちゃなやり取りになってしまう。しかし、スペルの確認は、搭乗者の名前のスペルの確認であったり、予約番号のスペルの確認であったり、めちゃくちゃ重要なんである。だから、お互いが納得するまで根気良く確認を繰り返すのだ。

結局電話のお兄さんと質問やら、購入方法やら、支払方法の変更やらを30分以上話し合って納得の予約にありついた。ここまでくると、頭は冴え渡っている。らんらんとしたテンションのその足で銀行に向かいお金を支払って、再び「支払いが済んだ」を伝える電話。ええい、まどろっこしい。でも、「これであなたの予約は完了だよ!」といわれたときは、ほっとした。この一連の予約劇をスペイン語ではとてもこなせなかった。ああ、英語ちょっと分かってよかったな、と思う瞬間であり、ああ、自分のスペイン語は最悪だ、と思う瞬間でもある。

ともかく、これで、帰り道の飛行機の予約は完了した。よっしゃーーーーー。

November 23, 2010

Navidad

気がつけば、11月ももう下旬。12月までカウントダウン。は?!?!じゅ、じゅうにがつ?!そんなまさか。2010年があともう少ししかないなんて。今気付いた。ガーン。

と勝手に私がショックをうけようが受けまいが、世間は着々とNavidad(ナビダー)に向けて準備が進んでいる模様である。ナビダーは、英語で言うところのクリスマスである。カトリック大国メヒコでは、ナビダーはかなり盛大に祝われる。日本は、宗教もへったくれもなくとりあえず「いえーい、メリークリスマス~!!」となんとなく楽しい感じのする日であるが、メヒコでは様子が違う。

11月2日の死者の日が終わった辺りから、町ではナビダーグッズが出回り始める。家を飾るための電飾とかである。この間の週末にセントロに行ってみると、いたるところで見かけられたクリスマスツリー。そして、「ナシミエントグッズ」。Nacimientoとは、誕生を意味する単語だが、これはすなわちキリストの誕生を意味する言葉でもある。12月25日は、彼の誕生日で、彼は馬小屋で生まれたとされている。それを、彼の生誕の様子をジオラマで作って再現するジオラマを飾るのが習慣らしい。ベイビーへスース(Jesusはスペイン語読みでは「へスース」)は、リアルで結構こわいが、そんなことをいったらきっと怒られるに違いない。でも、いろんなサイズのへスースが売られていて、ちょうど本物の赤ん坊くらいのへスースを片手でぷらぷら持っている人を見かけたりすると、一瞬ドキッとしてしまうんである。

ナシミエントには、ベイビーへスース以外にも、いろいろな動物がいたり、藁やら石とかも結構精巧に再現されたりする。そのためのグッズがこの時期から街頭に並び始め、人々はこぞって購入していくのだ。それにしても、毎年良くもまぁ、あんなに売れていくものだと感心する。日本でもひな祭りなどにはお雛様を飾ったりするけど、1回買えばそれこそ一生もの。しかし、ここメヒコでのナシミエントグッズは使い捨てなのだろうか……??謎は深まるばかりなので、一度調べてみるとおもしろいかもしれない。

November 17, 2010

11月に

ひまわりを道端で発見!!!!なんか、めっちゃ興奮した。もう11月やのに~~~~!!!!

dear deer

セントロの雑な感じも好きですが、もう一つ好きなエリアがあって、そこはグアダラハラきってのおしゃれゾーン。落ち着いた雰囲気で、なんかインディーズな感じがとてもいい。雑貨屋さんも点在しているから散策すればさらに楽しいのだろうけど、お気に入りの店が一軒あって、私はいつもそこばかりに足が向かう。dear deerという名前のお店で、ハンドメイドの雑貨や服、アクセサリー、マガジン、古着も扱っている。一軒家の1階部分を改造したつくりなので、広い。ギャラリースペースもあって、たまに作品が展示されてあったりして、こんな店持てたらよろしいなぁあああああ、とよだれがダラダラ出てきそうな店なんである。(えみこさん、とよこちゃん、夏に連れて行ったけど閉まっていたあの店です。)

何回か、足を運んでいたけどなかなか開いている日に恵まれていなかったけど、今日はばっちり開いておりました。最近、白いTシャツが全部死にかけになってきたので、なんかすごい顔で吼えまくってるねこの(ねこって吼えるか知らんけど。)ものと、相変わらず変な柄のシャツが好きなので変な柄のてろんてろんの素材の古着シャツを購入!!

めちゃくちゃかわいい袋に入れてくれたから(写真)、「これ、めっちゃかわいい~~!!」と言うと、おまけになんかステッカーをくれた。ラッキー!!!

やっぱり、かいもんはよろしいなぁ~~!!おもろいわぁ~!!!

[FYI]
dear deer
>>WEBSITE
http://www.deardeer.com.mx/

>>LOCATION
López Cotilla #1238
Col. Americana
44160
Guadalajara, Jal
México

November 16, 2010

ひとてま

「おいしいものが食べたい」

と思うのは人情。しかし、

「まぁ、腹が膨れればいいや」

と思うのも人の性。

というわけで、私の食生活は基本的に残念である。しかし、今日はちょっと豪華だった。昨日、肉じゃがと鶏肉のフライをもらったのだ。鶏肉のフライは、卵とじを作って丼にしたらおいしいよなぁ、と友だちと話していてその時に、「玉ねぎも入れたらもっとおいしいかなあ」と聞いてみると、「そうだね~。絶対おいしいね」との返事。彼女は、料理がうまい人なので、そう断言されると間違いない。というわけで、玉ねぎを気って入れるという「ひとてま」をかけて丼を作って食べた。

この一見しょうもないひとてまが大事なんだなぁ、としみじみ。う~ん、おいしかった。

喋る

ということが、私の人生の中で重要な活動であることをしみじみと感じる今日この頃。通学路でも授業の空き時間でも、帰り道でも、喫茶店でも、道端でも、主にどうでもいいことしょうもないことをしゃべってきたな、と思う。しゃべりの友だちが多いというのもその一つかもしれないが、おそらくその要素が自分にもあるのだと思う。だんまりを決め込むときもあるし、それを沈黙を共有できる友だちももちろんいるが、おもしろいことも腹の立つこともしゃべり倒して共有することで、おもしろさは2倍、腹の立つのは1/2……とまぁ、数学みたいに簡単に割り切れるものではないにしても、しゃべる・話す・言葉にするなどアウトプットすることで何かが変わる、あるいは、何かが生まれる、それとも何かが残るのか??たぶん、自分の考えていることがクリアになっていくのだろう。たとえ答えが出なくても、自分がどう考えているのかが少し見える気がする。悶々と行き詰った感じだったのが、言葉を交わすことで、聞いてもらうことで、逆に意見を聞くことで、自分の目で見ることで、少しだけ軽くなる。それに安心するのかもしれない。話してもどうしようもないことかもしれなくてもそれにはとことんと向き合いたい。と私は思う。相変わらず何とまぁ、不器用な人間。なんとまぁ、世渡りが下手なんだ、と我ながら感心する。こんなときに顔色を変えずににこにこできたらなぁ、角を立てなければなぁ、とも。でも、それは、なんか、違う。自分的に。だから、問題には正面から挑むしかない。でも、問題点に関しては、さまざまな角度から見れる人にならないと、と思う。

くっそう、いくつになっても悩みや困難にぶつかってばかりだ。世の中おかしなことばかりだ。しかし、おかしいもんはおかしいと言えるような強い心で向き合いたい。って、この性格があかんのかなぁ。わからんけど。でも、これが自分なんやから、しゃあない。

November 13, 2010

新語・流行語大賞

という記事を読んで驚いた(こちら)。1位から60位まで載っていたのだが、2位で既に分からなかったからである。インターネットがあって、日本のニュースも毎日チェックできるし、割りにチェックしている方だと思っていたのに、2位のクロスカップリングと、3位の無縁社会という言葉をみても何のことを言っているのかさっぱりだった。もちろん、日本語なので、その言葉の意味を想像することはできる。でも、なぜ「クロスカップリング」と言う言葉が流行したのか、とか何が何と「無縁」な「社会」なのかと言うところが分からない。

そのことは、ショックだったと言うよりもむしろ、日本語の流動的な面や、言葉はその社会を反映した生き物なんだというのを見せ付けられたな、と言う感じがする。たった1年半日本から離れただけで、このありさまである。言語は日々使われるものなので、変わっていったり流行の言葉ができたりするのは分かる。でも、その流れは文字だけでは伝わってこないんだと言うことが分かった。やはり、その社会で暮らし、肌で感じてはじめてその言葉を使いこなせるんだろう。流行の言葉も分からないとは恥ずかしいやつめ、と言われても別に恥ずかしくはないけど、置いてきぼりを食らったような感じは、確かに、する。いわゆる「浦島太郎」状態である。

そんな太郎さんな状況をものともしないで、未だに「ゲッツ!!」とか言っている人がいる。お父さんの仕事の都合でメヒコに暮らしている私の生徒である。日本に帰るといっても年に数えるほどなので、日本で暮らすと言う環境から離脱してしまっている。だから流行の言葉をアップデートすることができていないのだ。その「ゲッツ」やらの一世を風びしたギャグを聞いて、

「あんた、それ、古いで。」

と、ツッコミを入れている私だけれど、「じゃあ、最新のギャグを言ってください」といわれると、むむむ、となってしまう。ちなみに私が知っていて覚えている一番最近のギャグは、狩野英孝の「スタッフ~!」と言うやつである。ブラマヨの小杉が結婚したらしい、と言うニュースは知っていても、彼の「ヒーハー」と言うギャグがどのタイミングで使われて、なぜそれがおもしろいのかはわからないんである。

「ゲッツ」などは、死語として定着しているので、ある意味流行と言うレベルから脱した新スタンダードの域まで来ているのかもしれない。移り変わりの激しい日本語において、それはもしかしてものすごいことなんじゃないか……、と思ったりしつつ、言語のおもしろさと難しさをかみ締めているのである。がりごり。

November 09, 2010

たこ焼きパーティ

日本からたこ焼き器を送ってもらってからと言うもの、それはもうたこ焼き漬けの日々が続いているわけですが、そのファンタスティック食事についにメヒコ人を巻き込んでみた。そのメヒコ人の友だちと言うのは、前に手巻き寿司を一緒にした友だちで、ゲイカップル+女の子という三人組。一回たこ焼きパーティに誘うと、

「この間、寿司パーティに招待してもらったから、今度はこっちがカルネアサダ(焼肉)に招待するから!!」

と断られ、カルネアサダが向こうの都合が悪くなったり、こっちの体調が悪かったりでなかなか開催されていなかった。するとある日、

「日本食が食べたいんだけど~~!!」

とfacebookへの突然の書き込み。カルネアサダはどうなったのだ?!、まぁ、適当な人たちだから、それよりも「たこ焼きとやら」を食べてみたくなったのだろう。

というわけで、カルネアサダは開催されることなく、日本食を食べる会第2弾「たこ焼きパーティ」が開催される運びとなった。

メヒコは、タコを食する世界でも珍しい国の一つなので、タコが簡単に手に入ったり、また、人々が「タコを食べる」ことへの抵抗もなかったりで、それに加えて、たこ焼きのあの丸いフォルムである。だからウケはいいだろうと思っていたけど、万一受け入れられないことを想定してソーセージとチーズも用意した。

「4時に!!」

と、時間を指定してきたのは向こうなのに4時には一向に現れず、私や友だちも「4時に来るわけがない」と、準備すらしていなかった。4時半くらいにようやく電話連絡があり、まだプラサにいるとのこと。「これからデザートを買っていくから~」、と言う連絡だった。気ままな人たちだ。まぁ、想定内だからいいけど。

女の子がまず一人でやってきて、それからゲイの2人がやってきた。みんなたこ焼き器に興味津々である。たこ焼き粉の絵を見せて、

「これを作るで!!」

というと、

「Que rico!(うまそう!!)」

と上々の食いつき。生地を流し込んで、みんなに竹串を1本ずつ支給。うまくまわせないのもまた、たこ焼きパーティのおもしろいところ。なので、ぐちゃぐちゃになりながらも完成すると、

「これ、うまい!!!!!!!!」

と口々にパクパクと食べてくれた。ソースも抵抗なく自ら進んでかけて食べていた。そして2回目~、3回目~とどんどんたこ焼きを焼いていくのだが、途中から女の子とゲイの片割れは完全にひっくり返すのを放棄して、食べる専門に転身していた。う~ん、らしいぜ、と思いながら、残りの一人と日本人の友だちとでくるくるとひっくり回しまくったのである。そして、できたそばから一番いい形のものたちを、食べる専門の2人がかっさらっていくのであった。

タコも人気だったが、念のため用意していたソーセージとチーズも人気だった。いつもは、一人で1回だけするので気にならないが、何回もして鉄板が温まりすぎると、ひっくり返しにくくなってきた。日本の電圧にあわせて作られてある器械なので、メヒコの電圧では熱くなりすぎていたのかもしれない。

ともあれ、たこ焼きは大成功。たこ焼き屋さん、メヒコでしたらはやるんちゃうか、と言う人気っぷりでよかった。ああ~、たこ焼き屋ENメヒコ。これ、意外にええんちゃいますか~~?!

November 08, 2010

Pan de muerto 7

11月2日死者の日を境に、本当にPan de muertoを見かけなくなった。今年最後に食べたのはPan Alfredoというチョコクロワッサンのおいしいパン屋さん。

小ぶりのものがなく、直径10~15センチのものしかなかったけど思い切って購入。いつもと同じ皿に載せて写真を撮ってみたけど、伝わるかなあ、この大きさ。さすがパン屋さんのパンだけあって、柔らかくておいしかった。ここの死者の日パンは、シナモン風味で、他のものとは一味違っておいしかった。だから、大きかったのにぺろりと完食してしまった。

去年は1つも食べなかった死者の日パン。今年は見かけるたびに買っていたら、なんと7個も食べてしまった。でも、その日が過ぎるとぱたりと見かけなくなってしまったので、やっぱり季節もん・行事もんにはどんどん手を出していくべきやな、と思った。

November 02, 2010

El panteón

11月2日は「死者の日」である。去年は仕事が休みだったのに、今年は休みにならず……。ううっ、泣ける。この「死者の日」ほどメヒコらしい行事もないと言うのに。死者の日と言うとおどろおどろしいけれど、日本で言うところの「盆」のような行事でで、その目的はご先祖様の魂がこの世に帰ってくるので、お祝いしましょうと言うことである。

もっとも違いが顕著に現れるところは、やはり墓場だと言える。日本のお墓はじめじめしていると言うか、なんだかこう、陰気なイメージが付きまとう。しかし、メヒコのお墓は一言で言えば「白い」という形容がよく似合う気がする。そんな白いお墓が、この死者の日にはマリーゴールドの花でオレンジ色に飾られるのである。メヒコの中でも、ハニッツィオ島やオアハカの死者の日は殊に盛大に行われるらしい。かといって、私が住んでいるグアダラハラでは全くかというとそういうわけでもない。

理想としては、11月2日の当日にぜひとも見に行きたかったけれど、調べてみると、墓は11月2日に向けて年間を通してきれいにされ飾られるのだという。ということは、当日でなくても、死者の日の前の週末に墓を訪れればおもしろいものが見られるかもしれないと思いついたので、のこのこと出かけてきた。

予想通り、ちらほらと墓がかざり付けされているところがあり、まさに墓参りといった家族連れもたくさんいた。日本の墓参りと同じく、墓石に水をかけて掃除して、花を添えてきれいにかざりつけがされる。しかし、決定的に違うなぁ、という点は、

その1、家族が墓石に腰を下ろしてくつろいでいるということ。
その2、はげた墓にペンキで色を塗ってきれいにしていると言うこと。

である。日本の墓参りでは、「墓をきれいにする」がメインな気がするが(といっても、あまり日本で墓参りに行ったことない私ではあるが。)、メヒコでは、訪れた家族が故人を偲んで墓に結構長い時間滞在するようだ。そのため、墓石に座って、しばらく家族団らんのように時を過ごしている姿が印象的。また、カトリック大国なので、聖書か何かを読んだりしてお祈りをささげている人もいた。去年見かけた風景では、マリアッチや音楽の演奏もあった。これは、故人を偲ぶためにその人の好きだった音楽をみんなで聴くと言う意味があるらしい。

去年は、死者の日当日に行ったので、見かけることはなかったのだが、今年見かけてびっくりしたのが墓石を塗りなおすと言う行為である。日本の墓石はだいたいねずみ色と相場が決まっている。メヒコの墓は、白い。カトリックの国なので、十字の形のものがほとんどである。最近はどうか知らないが、土葬なので墓石以外にも棺を入れるためのコンクリートの部分がありそこも白い。でも、雨風にさらされているとぼろぼろになるので、それを白く塗り直さなければならないらしいのだ。もう誰もお参りに来てくれることもないような古い墓は、朽ちてぼろぼろになっているけれど、まだ家族がお参りに来てくれる墓は、きちんと白く保たれている。11月といえども、昼間の太陽の光はかなりきつい。そのまぶしい太陽にそんな白い墓石が照らされているから墓地のイメージが「白い」なのかもしれない。

そんな白い墓に、マリーゴールドのオレンジの花があちらこちらにかざられている様子を想像してほしい。これはなかなか、息を呑む光景である。

October 31, 2010

ピンポン

この間、近所のカフェに行ったら、各机の上に「ピンポン」があった。日本で、居酒屋とかファミレスとか、あらゆる食べ物屋さんでポチっと押すと店員が駆けつけてくれるあれである。ここメヒコでみたのは初めてだったので相当驚いた。

つ、つ、ついにメヒコにまでピンポンがやってきたか……!!!

メヒコのレストランやカフェはやたらと店員が多い。その辺をうろうろとよくうろつかれて、食べ終わったらびっくりするくらいに早く皿を下げにやってきてくれる。だから、ピンポンなんて不要なわけだ。しかし、ついに店員を減らしてピンポンを導入する店が出てきたのだ。これは、なんというか、革命的!!!と思ってしまった。大げさかもしれないけど。

ちなみにボタンは3種類。単に店員を呼ぶためのボタンと、La cuenta(お会計。※メヒコは、各席で会計を済ませることが多いため)のボタンと、×印のボタン。×印のボタンは、「あ、やっぱ、いいです」と言うことなのだろうか。ちょいと不明。

Pan de muerto 6

6つ目は、アメリカンスクールで無料で配布されていたもの。

大量生産で袋に詰められていた。味は、可もなく不可もなく、つまりは、普通。スーパーの死者の日パンと同じレベルでした。

Pan de muerto 5

死者の日パン食べまくり大作戦、5つ目のパンは、El Globoというパン屋さん。友だちが食べたらしく「おいしかったよ」とのことだったので、私も早速買いに行ってみた。チョコチップ入りもあったけど、やはりコンペティションやしな、と思い、普通の方を購入。

スーパーのパンコーナーのパンと比べるとやはりさすがはパン屋のパンと言うだけあって、おいしい。しかし、4つ目のGOITIのパンには及ばず。残念!!!

October 26, 2010

得なんだか損なんだか

セントロに、20ペソで日本のDVDを買えるところがあることを友だちに教えると、ジブリの映画を買いたいということになり、一緒に行くことになった。アジア顔は目立つので、何度か足を運ぶと顔を覚えられやすい。例によって、そのDVD屋のおっちゃんにも「おまえ、この間も来たな!!」と顔を覚えられていた。顔を覚えられると、こういう雑多なところではなんだか得をすることが多い。つまり、なんか知らんが安くしてもらえるのである。

友だちが、ジブリの作品を選びまくっていて、私はぼんやりと何気なく「らんま1/2」をなつかしいなぁ、と思いながら手に取った。ボックスセットをコピーしたのか、他のものよりもずっしりと重みがある。

「おまえ、らんま、買えよ~。100ペソにしといてやるから!!」

と勝手に値切ってきて、

「あたしは、それよりもナウシカがほしいんですけど。ないですか?」

と質問すると、

「あ~、ナウシカ今ねぇけど、これあげっから」

と、タイトルの書いていないDVDをくれた。てっきりタイトルがまだ未記入のナウシカをくれたのだとばかり思い、そして、ただでもらいにげもなぁ、と思ったので、その「らんま1/2」も買ってみることにした。決め手となったのは、何語で見られるのか尋ねたところ、

「これはな、スペイン語と日本語で見られるぜ!!」

と自信満々で言われたのだ。なんか知らんが、じゃりん子チエのDVDをもっていると、

「ああ、それ新しく入ったばっかりの、映画じゃなくてエピソードがいっぱい入ったやつだ!やる!!!」

となぜかこれもくれたので、ヒヒ、もうけたもうけた、と思い機器として家に帰ってDVDプレイヤーに入れてみた。

するとまず、「ナウシカ」だと思い込んだDVDはなんか、変な日本のマニアックそうなアニメが出てきた。おそらく店のおっさんの趣味だと思われる。う~ん、せっかくもらったけど今後見ることがあるのかどうかは謎。

つづいて、「シリーズ物だ」と豪語されたじゃりん子チエを入れてみると、思いっきりこの間買ったものと同じだった。……騙された。

そして、らんまを入れると、1ディスクになんと33話収録と言うありえなさ。それが8ディスクもあるんである。どうなっているのだ……。しかし、スペイン語・日本語に切り替えられるというのはどうやら嘘で、いくらボタンを押してもスペイン語でしかしゃべらない。しかし、不備なのかたまに日本語でしゃべるシーンもあるから、わけがわからない。おまけに、たまにでる字幕はなぜか英語なんである。あほかーーー!!と思っても、8ディスクで100ペソで買った代物で、しかもただで他にも3枚ほどDVDをもらった身としては、まぁ、みれるし、スペイン語だけのほうが逆にスペイン語の勉強にもなるしな、と妙になるほど納得で「騙された感」は驚くほどにないのである。まぁ、この値段とこのクオリティ、見合っていますな、と言うわけ。

しかし、じゃりん子チエだけは、同じDVDが2枚あっても仕方がないので、返品しようと思う。おそらくお金は返ってこないと思うので、何か他のDVDと交換になるだろう。その場合、う~ん、何にしよう。迷うなぁ。

October 24, 2010

修行不足

今日はセントロに行ったが、撃沈だった。何がって、言語。発音が悪くて通じなかったり、間違った単語を連呼して意思が伝わらず怪訝な顔をされたり。

「ああ~、もう、何で分かってくれへんの!!!」

と思わず、日本語でぼやいてしまった。

いつも、話している人のやさしさと自分のノリで乗り切ろうとするけど、今日はその両方ともがちっとも働かず、こんなにも伝わらないのかと地味に本当に凹んだ。ので、家に帰って泣いた。のは、嘘。だけど、もっとスペイン語がんばらねば、と気持ちを新たに。

October 21, 2010

たこ焼き

最近気にかけているというか、気にしてばっかりなのはそう、たこ焼きのこと。たこ焼き器を送ってもらってからというもの、たこを常備するようになり、1週間に3~4回たこ焼きをしていると言う具合である。もはやあほと呼ばれても仕方がないし否定もしない。たこ焼き粉も一緒に送ってもらったけど、せっかくおいしくできる魔法の粉は一人のときに使うのは勿体がないと言うもの。友だちとたこ焼きを食べるとき用にとっておくとして、自分で食べるときは専ら「小麦粉」である。

そうさ、たこ焼き粉なんていうものは、所詮近年開発されたニューウェーブ。そんなものがなかった時代にもたこ焼きは存在したはず。と言うわけで、日夜小麦粉で作るおいしいたこ焼きを目指している。そのためには、たこ焼きの歴史なんていうものも学んでおかないとな、と思いつき、インターネットで調べたところ、どの道にもエキスパートはいるもので、詳しいたこ焼きの歴史を知ることができた。

それによると、大阪のたこ焼きの、外はかりっ、中はとろっ、と言うのは、小麦粉を節約するために水の分量を多くしたことから始まったらしい。どけち根性が、あのとろとろのおいしい食感を生み出したのか、とその精神に感動しつつ、同時に思い出したのは、スカイプ越しに叫んでいた大阪出身の友だちのセリフ。

「もっとしゃばしゃばにせな。もっとしゃばしゃばに!!!!」

小麦粉の量を減らして、水の量を増やせば確かに生地はしゃばしゃばである。さすがたこ焼きの町の娘だ。感心。ただ、水の分量が多すぎると、生地が火を通しても固まらず、ひっくり返すのが困難になるという難題にぶつかる。だから、その「黄金比」を見つけ出すことが目下の課題で、それとともに、ひっくり返す技術の向上も求められているのだった。

今日の昼ご飯も例によって、たこ焼きを作ることにした。過日作ったときはあまりに水が多すぎて、散々たるできばえで、それにびびってまたあくる日作ったのは水が少なすぎて、しかもダラダラひっくり返していると、口をパカっとあけたお化けのような気持ちの悪い、そう、またしてもひどい出来なのであった。それが気がかりで、近日中にその中間くらいの水と小麦粉の配合で作らねば、と思っていたのだ。いちいちメモっていないので、結局いつも目分量になるのだが、今日の配分は理想に近い「外カリ・中とろ」で、胸のつっかえが一つ取れた心地だった。

しかも、今日はお好み焼きソースではなく、出しにつけて食べると言う明石焼き作戦に出た。というのも、前述のような異常な頻度でたこ焼きを食べているので、ソースの減りも同じく尋常ではなかったのだ。メヒコにおいては、お好み焼きソースはいうまでもなく貴重な品なので、湯水のように使っていては自分の首を絞めることになる。そこで思い出したのが「出しで食べる」と言うあのアイディアである。だしは適当にこしらえて、まぁ、なんとなくいい感じになった。しばらく浸してやわらかくして食べると、おお、ソースで食べるときとはまた違う新しさ。そして、美味。

これで、たこ焼きはソースがなくなったとしても、たこ焼き粉がなくなったとしてもうまく食べられる。……といいたいところだが、一つまだどうしても解決できていない大問題がある。たこ焼き粉で作ったときは全然こびりつかなかったのに、小麦粉で作るようになってから鉄板にこびりついて、うまくひっくり返せないとうえに、後片付けが大変という弊害まででてきているのだ。

いかん、いかん、早急に解決しないと、と思い、またまたインターネットで調べてみると、世の中には同じようなことで困っている人がいて、それにこたえてくれる親切な人もいるもので、原因はどうやら「油が足りない」と言うことらしい。

試してみるべき解決策がわかると、すぐにでも試してみたくなるのがこれ人情。今晩も、たこ焼きになるのか、さてはて。

October 18, 2010

Leche

Lecheは牛乳のことである。日本では、紙パックが主流で売られている。ビンで売られたりもしている。メヒコでは、ビンにつめられて売られているのは見かけたことがない。その代わりに見かけるのが、袋いり牛乳である。

私はいつも紙パックの牛乳を買うのだが、その理由はプラスティックの牛乳よりも安いからである。一人暮らしなので、朝ご飯のシリアルにかけるくらいなので1リットルくらいがちょうどいい。それでも消費期限以内に消費しきれないときがあるので、最悪無駄になってもいいように安いのを買いたいと思っている。そう言う人が他にもいるのか、牛乳パックのものはたまに売り切れになって店頭に並んでいないことがある。それでも牛乳を買わなければならないときは次の二択を迫られる。

①少し高いプラスティック牛乳を買う
②少し安い袋牛乳を買う

そこでいつも安さに負けて袋牛乳を買ってしまうのだ。しかし、この袋牛乳の困るところは、まずは容器に移さないといけないのだ。袋は、本当にただの袋で、日本の洗剤やシャンプーの詰め替えパックのように一部分が硬く加工されているという気の利いた感じでもない。なんなら、たまに売り場で袋が破裂して漏れているくらいの弱さである。

そんなぶよぶよの袋から容器に移すのはかなりの難易度である。もうコツをつかんだから、難なく入れられるようになった、と書きたいところだが、どうしてもコツがつかめず、いつも牛乳が流し台に垂れまくっている。こんな労力を伴うなら、おとなしくプラスティック入りを買えばいいのだけれど、どうしても安いほうに手が伸びてしまう性分なようだ。いい加減、入れ方のコツを習得して一滴も漏らすことなく移し変えられるようになりたいもんだ。もっといいのは、牛乳パック入りが売り切れにならないことだけれど……。

Pan de muerto 4

今年は、死者の日まで「死者の日パン」を食べまくろうと決めた。今のところ、どれも似たような味だったけど、4つ目の死者の日パンでついに!!!!

めっちゃおいしいやん!!!!!!!!

な死者の日パンに出会った。おいしいお気に入りのパン屋があって、久しぶりに近くに行ったのでよってみると、入り口でパンの試食を配っていた。その試食のパンこそが死者の日パンだったのだ。ぱくりと口の中に入れると、やわらかくて、なんともいえない絶妙な砂糖の甘さが口に広がる。やはりこのやわらかさが決め手。今まで食べた3つはやわらかさにかけていた。しかしこの4つ目の死者の日パンはふっくら!!!!!これは、ぜひとも家に買って帰ろうと思って売り場にいくと、値段を見て愕然。

なんと一つ89ペソもするのだ。

10ペソ7円としても、約600円するのである。いくらおいしいとはいえパンに89ペソはとても払えない……。ということで、その隣にあったフォルムは死者の日パンと異なるけれど、砂糖がかかっていておそらく味は同じであろうパンを購入。

う~ん、うまい……!!!

iPod屋さんにキレる

iPod屋さん、すなわち、アップルストアである。私のiPod touchのバッテリーの減り方が最近尋常ではなかったので、先日みてもらいに行くと、「バッテリーの減り方をみるために2日必要」だと言われた。火曜日に検査の結果を聞くために電話してくれ、との診断だった。

忙しかったので、火曜日には電話できず、水曜日に電話してみた。すると、早口のスペイン語でなんじゃかんじゃと言われて、「あの~、分からないのでもっと簡単に……」ともう一度その内容を言ってもらったところ、どうやら「まだ検査が完了していないから翌日(木曜日)に電話をする」ということだった。

木曜日、待てど暮らせど電話などなく、気がつけばもう日曜日ではないか。また電話では何を言っているのかわからないと思ったので直接店舗に出向くことにした。あまりにも待ち時間が長いため、しかもなんかいけ好かんおっさんに順番抜かしをされ、イライラが募っていた。

そして、ようやく私の番になり、様子を聞くと「異常なし」とのこと。付け加えでいろいろ聞いて、本当に異常がないのか食い下がったが「ない」とのことだったので、故障の件に関してはこれで一件落着。しかし、落着していないのは彼らが「うそをついた」件である。うそをついたというのは御幣があるかもしれないが、期日までに仕事をしていないし、電話して様子を伝えると約束したにもかかわらずそれもなし、このサービスはいかがなもんか。

ということで、これについて「なぜきちんとしたサービスをしてくれなかったのか」と質問した。たらたらと言い訳を並べられたので、その態度にも腹が立ったが、それを全てぶつけるだけの語学力は持ち合わせていない。こんなものは語学力ではないのだ。あほか、なめるな、と態度で「怒り」を伝えてることはできる。しかし、である。態度では示せても、「不快」に感じている理由をきちんと説明できる能力は、できればほしいと思うのが人情である。

負のモチベーションかもしれないけど、「文句を言う力」をつけたい。英語でもよく、だめな場合の状況を想定して頭の中で文句を言う練習をしていたりする私である。日本語でならともかく、日頃から備えておかないと「いざ」のときになかなか母国語以外の言語で文句なんてものは出てこない。語学の力が足りないせいでうまく言いくるめられるのは許せない。それに漬け込んでくる奴はアンフェアで最悪だけど、ちゃんと自分の意見が主張できないのは自分に腹が立つ。今日はその一件で、スペイン語をもっと磨かねば、と再び心に誓ったのである。

October 12, 2010

San Juan De Dioz

今日は、バスの割引券を買うためにセントロへ行ってきた。明日(10月12日)は、民族記念日で休みになるらしく、割引券売り場は今まで見たこともないような長蛇の列。

昼ごはんは、セントロに来たときはお決まりのメルカードコロナにある安くておいしいロンチェ(サンドイッチみたいな食べ物)を食べようかなと思っていたのだが、ふらりふらりとサンファンデディオス(一番大きな市場)に足が向いた。ここの2階には、FONDAと呼ばれる軽食街になっている。マリスコス(魚介類)からメヒコ料理からなぜか寿司まで揃うバリエーションの食堂街である。歩いていると猛烈に客引きにあうので、いつもそこを歩くときは顔がこわばるのだが、歩いているうちにおいしそうな食べ物につられてついついイスに座ってしまうのがオチである。

今日は、久しぶりに「ザ・メヒコ!!!!」な感じのプレートランチが食べたくなったので、メヒコ料理のお店のカウンタに落ち着いた。隣に座ったおっちゃんがいろいろと話しかけてくれておもしろかったので、おっちゃんとおなじメニューを頼むことにした。でかいチレの中にチーズが入っているChile relleno(チレレジェーノ)である。それと付け合せのサラダと、フリホーレス(豆)と、アロス(ご飯)がついたプレートメニューで、もちろんトルティージャは食べ放題。これで30ペソ。安い。トルティージャは、目の前でおばちゃんが練った粉を丸めて、押して平たくして鉄板で焼いてくれる。熱々のふわふわでめちゃくちゃおいしい。おっちゃんはものすごい勢いでトルティージャを食べていたが、私ものろのろとしたペースではありながら調子よく何枚も食べた。トルティージャの皿が空になるたびに「もっといる??」と聞いてくれるので、思わず「は、はい!!」と言ってしまう。最後の一枚に「そんなにでかいのは食べられへんのやけど……」というと、特別に小さいトルティージャを作って焼いてくれた。こういう粋なところが好きだ。

食べ終わった後に、なぞの物体を鉄板で焼いていたから、「これは一体なんですか??」と尋ねると、「いや~、実はよくわかんないんだよね~~!!もらったものの、調理するのははじめてでさ~!!鶏肉の部位らしいんだけど!!」とのことだった。白くてぶよぶよした薄い皮のような物体で、「何でも食べられるらしい」だけでとりあえず焼いてみているのがおもしろかった。店の人も隣に座っていたおっちゃんも話し好きで、いろいろ質問されたり、またスペイン語を教えてくれたりした。「またいつでも食べに来なさいよ!!」と笑顔で送り出してもらって、腹も心も満たされた。

サンファンでは、DVDを買った。この間見つけて気になっていた「じゃりん子チエ」を今日は買ってみようと思っていたのだ。なぜに「じゃりん子チエ」のようなコテコテの大阪下町のアニメがここメヒコで取り扱われているのか不思議で仕方がない。そして、はたしてチエちゃんたちはスペイン語をしゃべっているのか?!それもみてみたい、という興味にかられたのだ。それと、この間はなかった「El castillo en el cielo(天空の城ラピュタ)」もあったので、それも買ってみることにした。

そんなことをしているうちに、あっという間に夕方である。やっぱり、セントロはおもしろい。

ちなみに、家に帰ってさっそく「じゃりん子チエ」をみてみた。残念ながら、吹き替えはなく、字幕がスペイン語になっていた。でも久しぶりに見る「じゃりん子チエ」はおもしろすぎた。声優陣が豪華すぎる。上方のコテコテ芸人ばっかりズラズラと。花井先生の笑福亭二鶴師匠の声とか聞くだけで、「昼ごはんでっせ~」を思い出して笑ってしまった。店の人に、「トトロと同じ監督の映画を出してほしい」と頼んだらなぜかこの「じゃりん子チエ」を出されて、やっぱりメヒコ人からしたらどれも日本のアニメなんて一緒なんだな、と思っていたが、この劇場版じゃりん子チエの監督は高畑勲さんだった。「平成たぬき合戦ぽんぽこ」とかって、確かこの人やんね?!それにしても、メヒコの人たちは、このじゃりん子チエを見ても「おもしろい」と思うのだろうか……。メヒコとじゃりん子チエが結びつかなすぎて、想像ができない。ううむ。

October 11, 2010

Cajeta

メヒコの食べ物に"Cajeta(カヘタ)"と言うものがある。その正体は、ヤギ乳のキャラメルである。カヘタ味のアイスクリームとかもある。今日気付いたのだが、私はそのカヘタがものすごく苦手なようだ。

お菓子の問屋みたいなところへ行ったら、見たことのあるような包み紙のお菓子を発見した。一時仲良くしていたパンチョのおっさんというおっさんにもらったことあるお菓子に似ているな、と思ったのだ。めちゃくちゃおいしかったから、見かけたら買ってみようと思っていたのだが、見かけても高かったり大パックだったりで、なかなか買うチャンスに恵まれていなかった。そこではたまたま1個売りされていたから、試しに買ってみることにした。

そして、コーヒーを飲みながら小腹が空いたのでそのおいしいお菓子を口にほおり込んだ。その瞬間、なんとも言いようのない、とにかくめちゃくちゃに濃いカヘタの味が口の中に広がった。この歳になると、少々まずい食べ物でも何とかがんばって飲み込むと言うことをするのだが、それができないまずさ。おええええええ、である。反射的に口から出して紙に包んですぐに捨てた。もうカヘタのものを食べるのは今後ないだろう。あたしほんまあかんわ、あれ。

地図女

私は街歩きが好きで、地図を見るのも好きだ。今日は、少し離れたプラサまで歩いていってみることにした。そのプラサは、メヒコに着て間もないころ、郵便を出そうと思ってポストを探してさまよっていたときに、親切なおばちゃんに出会ってそのおばちゃんと一緒に行った思い出のプラサでもある。その時は、そのプラサに行くつもりではなかったので本当に闇雲に、そしておばちゃんと合流してからは、「ポストねぇ、確かあっちにあった気がするよ」という曖昧な情報を頼りに歩いたので、かれこれ1時間か1時間半かけてたどり着いた。

……もう2度と歩いていくことはないだろう、と思っていたのだが、この間何気なく地図を見ていると、意外と近そうな気がしてきたのだ。しかも、そのプラサは、あのいつかのおちょけたスタバ店員ルイスくんの転勤先ではないか。

そういうわけで、今日は歩いてそのプラサまで行ってみることにした。行く前に地図でもう一度ルートを確認。特にメモを取るでもなく、こんなもんだ、と頭に入れて出発。すると、なんとたったの30分で着いてしまった。道が分かるとこんなにも簡単にたどり着くところだったなんて。驚いた。プラサを一回りしたけど、日曜日だからか休みの店舗も多く、閑散としていた。ので、本でも読もうとスタバに行った。

ずるずるとコーヒーを飲みながら本を読んでいると、「Ryoko!」と呼ばれたので顔を上げると、ルイスくん……!!!まさか、シフトがどんぴしゃりとは。久しぶりやなぁ、と雑談をした。相変わらずのおちょけた店員だった。ええこっちゃ。

それにしても、30分歩いて買い物に行くことが、今でこそなんだか普通のことのようになってしまったけど、日本にいたときは考えられないな、とふと思った。徒歩で30分かかるところへは、まず、徒歩では行かなかった、気がする。車があると便利だなぁ、と思いつつ、どんどん磨かれていく脚力も大切だなぁ、と思ったりもする。

October 08, 2010

Jugo y galleta

先日、近所を歩いていたらクッキーをもらった。その店の前を通ると、なんか「アミーガ!!何買っていくんだ!!」的な勢いで声をかけてくるから苦手にしていたところである。しかし、この間前を通ると、チーズケーキが売っていて、値段を聞くと10ペソだったので買ってみることに。そして、隣においてあったクッキーがおいしそうだったので何でてきたクッキーか尋ねてみると、とうもろこしの粉だということだった。

「すっげぇ~!!」

と、過剰に驚いていると、「一つやるからくってみろ」とまんまともらったのだ。それにしてもまぁ、売り物をこうもたやすくくれるとは、結構いい店なんじゃないか、と思いながらぱくついてみると、このクッキーのうまいことときたら!!なんともまぁ、素朴な味。見てくれもなんだか、「満月ポン」(日本のこれまた素朴なお菓子)みたいで親近感。本当、市販のクッキーのバターまみれのものに比べたら、味気ないほどに素朴。……う、うまい!!!こういう素朴な味のものに弱い。

というわけで、買いに行ってきた。そしたら、Jugo(100%ジュース)も売っていたので、Tronja(グレープフルーツ)もついでに買って、飲み歩きながら朝の近所をぶらぶら。今週末は、学校で行事があるので、その準備やら計画にてんてこ舞いの今週。普段使わない頭をフル回転させているので、目覚めが悪い。何とか無事に終わって、そして、Jugoとクッキーを何も考えずに買い食いしてふらふらしたいなぁ。

October 07, 2010

Agua

Aguaとは、水のことである。メヒコでは、ただの水のことをさすときと、味付き水のことをさすときがある。メヒコに来るまでは、後者のことはもちろん知らなかったのだけれど、今ではこの味付き水のアグアは、私にとってなくてはならないものになっている。アグアは、私は自分では作れないので(粉末が売っているけど、家で作り置きしたいと思うほどの味ではない)、大体外で買うことになる。

街歩きをしていて、ちょっとのどが渇いたときに買って飲むアグアは最高においしい。昨日は、郵便局に行ったので、ちょうどおいしいアグア屋さん(アグアしか売っていない専門店もある)が近くにあるので、寄って帰ることにした。

そこのアグア屋さんは、サイズが一つしかない。大体Chico(小)、Mediano(中)、Grande(大)位から選べるのだけれど、ここはGrandeのみ。ちなみに、Grandeは1リットルである。そんなあほな、と思われるかもしれないけれど、暑い日にはこれくらいあっさりと飲めてしまう。

アグアはいろいろな味があるけれど、代表的なものは、Jamaica(ハマイカ)、Horchata(オールチャータ)、Limon(リモン)などがある。ハマイカは、ハイビスカスのことだと思う。オールチャータは米のとぎ汁をカネラ(シナモン)と一緒に煮たもの、そしてリモンはライムである。ほかにも店によっていろいろな味があるが、屋台などでよく見かけるものはこの3つが多い。店によって、果汁や砂糖の配合分量が違うので同じ味でも微妙に味が違ってくる。私は、リモンが好きなのだが、このアグア屋さんのリモンは、Limon con chiaといって、チアシード(種)が一緒に入っている。粒粒とした舌触りが癖になる。

しかしこのアグア、中のサイズで約500ミリリットルである。それをカップに入れてもらってあっという間に飲んでしまう。日本のペットボトルのサイズも500ミリリットル。それをキャップを開け閉めちびちびと飲んでいたけれど、今ならあっという間に飲み干せてしまうのだろうか。……恐ろしい。

October 06, 2010

スパイラル

ここ数日で空気の質が変わった気がする。午前中の空がめちゃくちゃに青い。雨季がそろそろ明けたのだろう。

歩くのにも気持ちがいいので、少し離れた郵便局まで足を運んできた。例によって、ぴったりの額の切手がないからと、1ペソ余分に払わされた。切手を買い置きしておこうと思ったけど、これも例によって、「ストックがない」とのこと。こんなことではもはや驚きも腹立たしさも起こらない。そういうものなのだ。「あったらラッキー」くらいに思っておくのがちょうどいい。

行きも帰りも同じ道を歩くのは面白味にかけるので、住宅街を縫うように歩いて帰ってきた。その時に見つけたのが上の写真。いろいろな形にカットされた木を見かけるけど、らせん状のものを見たのははじめてだった。

光る職人の悪ふざけ。

Pan de muerto 2 and 3


今年はやるぞ。ということで、「死者の日パン」の食べ比べ。この間違うスーパーでもPan de muertoを見つけたので買って食べてみた。……食べ比べると言うほどの味の違いはなかった。ただ、砂糖がかかって甘くてうまい、と言うのみ。

今年3個目のPan de muertoは、スタバにて。クリームブリュレラテとの期間限定メニューみたいなものがあったので食べてみることに。写真は撮り損ねたけど、まぁ、例の、あの感じの出で立ち。スタバでは温めてくれたので、パンがやわらかくなっていて、それがいい感じだった。でもまぁ、味は、ええ、同じです。

死者の日までは、まだ3週間ほどあるので、まだまだ食べ比べていこう。そして、「こ、こ、これは!!!」の一個が見つかれば満足。

October 04, 2010

誘惑

今日は起きたら昼を過ぎていた。昨晩日本の友だちと遅くまでスカイプをしていたせいだ。相変わらず元気そうで、どうでもいいことやどうでもいいことをだらだらとしゃべることができて楽しかった。ひとつ、うらやましすぎたのは画面の向こう側で彼女たちが「たこ焼きパーティ」をしていることだった。しかも、具沢山で、めちゃくちゃにうまそうなんである。

おそらくそれを引きずったまま寝たせいで、起きてから「たこ焼き」のことで頭はいっぱいである。先日日本からたこ焼き機を送ってもらったので、しようと思えばできるのだが、「一人たこ焼き」て……。なんか切ないなぁ、と苦笑いであった。しかし、粉もんの誘惑には勝てるはずもなく、1人たこ焼きを決行することにした。たこ焼き粉も送ってもらったからあるのだが、それは誰かとたこ焼きパーティをするときのためにとっておくことにして、今日は小麦粉でもおいしいたこ焼きがちゃんと作れるのかを実験することにした。しかもたこなしで。もはや、たこ焼きなのかなんなのか、よく分からないが。

やはり、作っているとテンションが上がってくるもので、ひっくり返しながら1人のくせににやにやわくわくしてしまった。そこへ、スカイプにカナダにいるあかねちゃんという友だちがオンラインになっているのを見つけたので話しかけた。というか、あたしの1人たこ焼きパーティに付き合ってくれ、というなんともうっとうしいビデオ通話である。あかねちゃんにもたこ焼き機を購入することを散々すすめておいた。いやしかし、たこ焼き機はやはり一家に一台である。これがないと始まらない、と思う。

買い物に出かけると、ケーキの量り売りがしてあった。かなりでかいケーキがずーんと置いてあって、その横には包丁が無造作においてある。「好きなだけ切って持ってくるがよい」と言うことなのだろう。いちごがたっぷりと乗っていて、下はどうやらパイ生地になっている。

「絶対においしいやんか……」

気になりだしたが最後、しまいにはいちごケーキが「こうてくれぇえ~!!」といっているようにしか見えなくなり、買ってみることにした。いい大人が心ときめく量り売りいちごケーキである。私がにやにやとしながらケーキをきっているのを子どもがじっと見ていた。私が包丁を置いてその場を立ち去った後、その子もお母さんに頼んで買ってもらうことになったらしい。どの大きさに切るか真剣に考えているようだった。

食べ物の誘惑に打ち勝つことはなかなか難しい。気がつけば、もう10月。食欲の秋が始まっているではないか。

September 28, 2010

豚パン

昨日に引き続き、「気になっていたパンを食べてみました」レポート。名前は定かではないのだけれど、形がインパクト大の「豚パン」。今まで見たことなかったのに、独立記念日の少し前から見かけだして、独立記念日当日にたくさんでていた食べ物ティアンギスにもちゃっかりいらっしゃった豚さま。またもや食べ損ねて、その存在すら忘れていたのだけれど、今日スーパーに行ったときにたまたま見かけたので、購入してみた。

なんかしらんが、めっちゃうまい。それが感想。日本にもこんな味のパン、あるような。丸ボウロの味に似ているような。でもなんか、他のメヒコのパンの味とちょっと違って、甘みもおさえられていて、なんだか癖になりそうな味だった。

September 27, 2010

Pan de muerto

独立記念日が過ぎて、メヒコの次の祝日と言えば11月2日の「死者の日」である。先週くらいからセントロでは、すでに死者の日グッズがちらほら目に付くようになっていたけど、近所のスーパーでも"Pan de muerto"と見つけた。直訳したら「死人のパン」と言うことになるけど、「死者の日のパン」である。このような季節の限定物のパンがメヒコにはたくさんある。

去年も死者の日の前になるとどこでもやたらと見かけていたので、「いつでも食べられる」と思っていたら、本当に死者の日が過ぎたらどこにも見かけなくなってしまって食べそびれてしまったのだ。そういうわけで、今年はフライング過ぎるけれど、せっかく見つけたので、とりあえず一つ買って食べてみた。何のことはない、ただの砂糖のかかったおいしいパンである。デザインに何か意味があるのだと思うが、今のところ分からない。また調べてみよう。私が買ったのは手のひらサイズの普通のパンのサイズだけど、通常は直径20~30センチもあるようだ。死者の日は、日本で言うところのお盆のような日なので、お墓参りにいくために家族が集まるから、その集まった家族みんなで分けて食べるためだろうか、という気がする。真相やいかに。

Caja Ecológica

何度か書いたことがあると思うが、メヒコのレジには「品物を入れてくれる人」がいる。なので、「袋いりません」と言わないと勝手に袋にどんどん詰められてしまうのだ。その袋に詰めてくれる人たちは、一部のスーパーでは完全にボランティアでやっていて、チップだけが収入源らしいと言うのを聞いてからマイバッグを持っていくことに若干後ろめたさを感じる(彼らの収入源を奪っているように感じるので。)と言う納得のいかない状況に陥っていた。

しかし、ついに、このようなレジレーンが登場した!!!これは、ウォルマートなのだが、「袋入れマン」がいないなぁ、と思いながらいつものようにマイバッグに買ったものをつめて、清算が終わって振り返ってみると、"Caja Ecológica"という表示が。数あるレーンの中でそこだけが唯一のマイバッグ専用レーンだったのだが、これはめちゃくちゃにいい。堂々とマイバッグを使えるし、あの「袋いりません」と言う余計な後ろめたさも感じずにすむのである。

メヒコにも、エコの波、来てます!!!!といっても、ウォルマートはアメリカ資本だから、まだまだメヒコ発信と呼ぶには程遠いけれど、この流れが広まるといいなと思う。

September 23, 2010

笑うこと

「またか、おまえは」と思われるでしょうが、またお腹が壊れた。久しぶりにお腹が痛くて、痛くて、死ぬかと思った。冷や汗、悪寒、吐き気。スプライトを買いに行く余裕もない程である。仕事を早退させてもらって家に帰って毛布に包まってiPod touchでYoutubeをみるのが精一杯である。(←結構余裕じゃないか。いかんいかん。)何が悪かったのか、思い当たるのは昼に食べたお好み焼き……??それに使った賞味期限切れのマヨネーズ??ここ1週間でお好み焼を3回もしているのである。(あほである。)でも、昨日前大丈夫だったマヨネーズがいきなりだめになるとは考えにくい。やはり、最近の寒暖の差の激しい気候のせいだろうか。分からないけど。

まぁ、お腹に優しいものを、と思いにゅう麺を食べて、インターネットをしているとskypeに友だちがオンラインでいるではないか。日本は、今日は秋分の日で祝日だそうだ。時間がありそうだったので、その子と音声で話した。やっぱりメールやチャットの文字で話すよりも、直接声を聞いて、がはははと馬鹿笑いしながらやり取りするのは楽しい。友だちの笑い声や自分の笑い声を聞いていると、なんか元気がもりもりしてきた。お腹の痛みもすっかり引っ込んだ様子。やっぱり、私にとっては笑うことが何よりも効くんだな。そういや、最近馬鹿笑いしてなかったかもな。あぶないあぶない。そういうわけで、「馬鹿笑いで病気を吹っ飛ばせ」、を今秋のスローガンに決定。

September 22, 2010

うしし


やきもきするわぁあああ、と綴った午前。その後無事にあたたかいシャワーをすることができたが、なにか胸騒ぎ。ちんたらしている場合ではないような気がして、私は急いでいた。

すると、予感が的中し、チャイムが鳴る。いつもは、電力の加減でなぜか、洗濯機を回しているときに誰も来ていないのに勝手に鳴るチャイムである。今日のは、完全に誰かに押されてなった様子。下で、"Correo~(郵便で~す!)"とおっちゃんが叫んでいる。髪の毛はびちゃびちゃのままだが、ここで彼を帰すわけにはいかない。いわゆる、必死のパッチでバスルームから飛び出し、"Siiiiiii!!!!"と返事をした。

まってました、の荷物。お母さんがいっていたとおり、アクエリアスの箱に入っていた。中を開けたらでてくる、でてくる。私の好きなもの、リクエストしたもの、気をきかせて入れてくれたもの。ありがたいなぁ、荷物って。むははのうしし。届いてうれしくて、今日はこのままこれをにやにやと眺めていたいと思ったくらい。やっぱり荷物が届くのはうれしい。ありがとう、お母さん。

写真は、弟に頼んで買って送ってもらった魚眼レンズを使って撮ったもの。この間買ったvivicamで使おうと思ったのだが、vivicamでは魚眼の機能が働かず……。5050という機種にしか、どうやら対応していない模様。しかし、広角レンズとしての役割を果たしてくれそう。なので、私のvivicamでは広角レンズとして使う予定。上の写真はちゃんと魚眼に。これは、日本から持ってきた携帯のカメラで撮ったのだ。携帯のカメラとは相性がよく、ちゃんと魚眼レンズとして使えるので、久しぶりに日本の携帯も持ち歩いてみようかな、と思う。

やきもき

昨日からのやきもきしていることその1。

「シャワーのお湯が出ない」

こうなると、だいたい2~3日は出ないのででるまで待つ作戦を決め込んでいたのだが、朝晩が涼しくなっている今日この頃なので、水シャワーは避けたい。かといって、シャワーをしないわけにもいかない。というわけで、ボイラーに点火を試みることにした。

今までにも何度かトライしたのだが、点火の方法が分からずあえなく断念してきた。チャッカマンをやたらむやみにカチカチさせてみるものの、しーーーん、と何も起こらずスペイン語の説明書の字が小さすぎて、しかもちんぷんかんぷんなので、「うん、水シャワーで問題ない。うん、お湯を沸かしてバケツに入れて行水で問題ない。」と言い聞かせて部屋に戻ってくるのがオチだった。

しかし、「今回こそは!!!!」と、googleで調べてみました。「メキシコ ボイラー 点火」。えらいもんで、こんなキーワードでヒットするサイトがあった。2個ほど参考にさせてもらって、そのうちの一つはアメリカのボイラーの点火方法だった。Youtubeの画像つきで説明してくれていたからこれはいいや、と思ってみ始めたものの、おっさんの説明がやたら長くいらっとして、話半分に聞いて、最後は画像だけをさらりと早送りしてみた。

十分な知識を得て(?)、「いざ!!!」である。ガス栓をあけておかないと点火できないという思い込みから今までは、"ABIERTO(開)"というところに合わせてチャッカマンをカチカチとしていたが、よくよく見たら、"CERRADO(閉)"との間に"PILOT"とかいうのがあるではないか。Youtubeのアメリカおっさんがそういえばくどくどと"Pilot"的な単語を連呼していたのを思い出して、"PILOT"というのに合わせてカチカチとボタンを押してチャッカマンを近づけていると、なんだか辺りがガスくさい。

おおおお!!!!ガス、きてる!!!!

後はよく分からないけど、ABIERTOにして、温度のつまみのところもFRIO(冷たい)からCALIENTE(熱い)にぐりぐりまわしてみたら、種火がゴオオオオオオと猛烈に燃え上がった。1年半ここに住んで初めてボイラーの点火に成功。妙にうれしい。これから、冷たいシャワーに悩まされることもおそらくないでしょう……。

そのお湯が暖まるのを待っているわけなのだが、それと同時にもう一つやきもきしながら待っているものが。というわけで、その2。

「日本からの小包」

追跡調査をしたらものすごい速さで日本国内を駆け巡り、18日にはメヒコに到着しているという。「通関検査中」と表示されてから、かれこれもう2~3日。週末やら独立記念日がかぶっていたので、週末に到着はないな、よし、早ければ、月曜日……!!!と、いつもなら朝はそのへんにコーヒーでも飲みに出かけてまったり過ごすところを、家で無駄に待っていたのに、見事にふられた昨日。そうすると、火曜日は硬いな、と今日も朝からスタンバイオーケイ。……もどかしい。

もう今日は来ないと決め込んで、そろそろシャワーに入るべきか。いやぁ~、でもなぁ。その間に来るかもしれへんしなぁ~。と、やきもきしながら今日はYoutubeでブラマヨばかりを聴いている。漫才とかラジオとか、もはや映像いらん。ああ、ブラマヨオモロイ。

September 20, 2010

手を加える


「ええなぁ」と直感的に感じたものは割りと即決で買うことにしている。この間セントロに行ったときにチアパスの工芸品がたくさん売ってあって、その中で気に入った小さな小物入れを買った。新しいカメラを入れる絵が頭にばばばっと広がったからだ。

ウール地に刺繍が施されてあるのだが、なんだかゆるくて、とても気に入った。しかし購入後に一箇所不便なところがでてきた。閉じるためのひもがついているのだがカメラを入れると袋に厚みができるのと、ひもが短いためにうまく結べなくて、なんだか不細工だった。かたむすびにしていざというときに取り出せないのも困る。というわけで、ボタンを買って、下のひもは切り落とし、上のひもだけ残してそのボタンにくるくる巻きつけるようにした。ええ感じですやん。←まだ誰にも見せてないので自分で褒めてみた。

必要に応じて、自分で手を加える。時間がないと意外とできないことかもしれないけれど、こうして自分の好きなように改造していくことで、ますますそれを買ってよかったな、と思える。そう言うものが自分の身の回りに増えていくことは、とてもうれしい。

バランス

"You are always meeting new people. It is part of your exciting and adventurous life."

最近友達にメールで言われた言葉である。友達曰く、「たくさんの人に出会っているから、あなたの人生はおもしろくてわくわくしてるんやなぁ」ということだ。確かに、いろいろな人に出会うことは、私の生活や人生を豊かにしてくれていると思う。道端で、店で、旅先で、出会うところはさまざまだ。そして実際、いろんなところに知り合いや友達がいるのはすごくおもしろい。この町でも、世界のどこかでも。だから、たくさんの出会いやつながりには本当に感謝している。しかし、そう言う一面がありつつ、1人の時間をものすごく必要としている自分がいる。なので、一人で過ごそうとこそこそと行動していたのに不意に誰かに再会してしまったときに、がーん、と思うときがある。なんか、おもてたんと違うーー、という具合である。性格悪いなあ、そんな風に思うとは、と自分でも思うのだが事実なんである。誰かと過ごす時間と一人で過ごす時間のバランスというのは、なかなか難しいものだなと思う。これで、家族とかいて、子どもとかいる人はどうやってこのバランスを保っているのか、謎だ。

そんなわけで、なんか消化不良だなぁ、と思いながら帰路へついたのだが、帰りのバスで「これって、○番のバスですよね??」と運転手に聞くと、「そうだよ。おまえ、スペイン語上手に話すな!」と言われた。この辺りでは珍しいアジア顔の外国人なので、その割りにはスペイン語しゃべるじゃねえか、という意味合いなのだが、なんだかえらく心が温かくなった。おっちゃん、お世辞でもその言葉、めちゃくちゃありがたく受け取ります。

そんなことで一喜一憂していたらだめなのだが、コラソン(ハート)の国メヒコでは、それもまたありなのかな、と思ってみたり。

September 19, 2010

街歩き

久しぶりに1人でグアダラハラの街をほろほろほろほろと歩いてきた。無性にセビーチェが食べたくなり、そういえば、いろいろ買いたいものもあるしなぁ、と向かうはセントロ。

まず向かった先は、問屋街。キャミソールがうそみたいにぼろぼろになって、これ以上着るのは忍びないので問屋街で買うことにした。前にも一度買ったけど、これが意外と丈夫で、メヒコの強い洗濯機にも余裕で耐えてくれているので、これはいいや、と同じ店へ。そして、他のものもふらふらと見つつ、目的地はセビーチェの屋台。土曜日にしか出ていない店なのでいつも行くたびにえらくにぎわっている。一時はあほみたいに毎週通っていたけど、夏休みがあったりなんだりでしばらく来ていなかった。セビーチェとカマロン(えび)のセビーチェを食べた。ああ、うまい。やっぱりここのセビーチェはめちゃくちゃおいしい。そして、なんかよく分からないけど机においてあるラー油みたいな出で立ちのソースをかけると、酸味のあるセビーチェにぴりりとスパイスが加わってめちゃくちゃ美味。1人でもしゃもしゃと食らう。

後うろうろと回ったのは布屋さんとプラサテクノロヒア(電化製品のプラサ)。テクノロヒアは、もう買いたいものが決まっていたので台湾の姉さんとおそらくその夫が営む店舗へ直行。そのお店で既に何度か買い物して顔を覚えてもらっていて、しかもおなじアジア出身のよしみと言うことで、こちらから値切らなくてもスペシャルプライスで提供してくれる粋な店なのだ。そこでこの間買ったカメラの保護フィルムを購入。

布屋さんでは、ジャケットの劣化したゴムを入れかえるための同じような黒いゴム、それからこの間買ったチアパスの小物入れ(カメラケースとして使う予定)を改造するためのボタンを買った。しかもそれらが小売りや何十センチ単位で購入できるからメヒコの布屋さんはすごいと思う。素材王国メヒコは、「あれがこれだけあればなぁ」というニーズにばっちりこたえてくれるのである。だから、何かを作ってみようかなと言う気にさせるし(いや、これは実際に、メヒコの手作り人間人口は恐ろしく多いであろう!!)、壊れたところを修理・修繕しようと言う気にもさせてくれる。この間まで、独立記念日向けに「VIVA MEXICO」な柄の布が多くあったけれど、それらはちょっとばかり隅に追いやられて、台頭してきたのがハロウィン・死者の日柄の布。メヒコではハロウィンは特に盛大に祝われないけれど、流行って来ているようだ。近年の日本での異様なハロウィンの盛り上がり方に似ている気がする。しかし、ハロウィンの3日後の11月2日はメヒコの祝日「死者の日」があり、それも骸骨がメインキャラクター(?)なので、布の柄はどっちゃらでもええわ、という両イベントを兼ねまくっているのである。

セントロの後は、あるプラサでメヒコや中南米の工芸品市のようなものが行われていると言う情報を仕入れたので、それに行くつもりにしていたので、セントロは去ることに。……と思ったら、文房具屋街を通ったら死者の日グッズがもはや売り出されているではないか……!!!骸骨の飾り物もほしいなぁ、と思いながらいろんな店を見てみようと、結局だらだらとセントロに居続けてしまった。死者の日特別ロテリア(メヒコのビンゴゲームみたいなもの)も売っていて、これがめっちゃくちゃかっこよかった。普通のロテリアよりも値がだいぶ張るので今日は保留と言うことにしておいた。

遅くなったがちゃっかり工芸品市にも足を運んできた。メヒコの工芸品は、各地方によってカラーが全然違う。その違いが最近分かってきた。オアハカからもたくさん工芸品が来ていて、木の置物とかテーブルクロスとか去年オアハカに行ったときにたくさんみたので、それらに再びあえてなんだか懐かしさすら感じた。目新しかったのは、まだ行ったことのないミチョアカンの工芸品である。籠の作り方が、ハリスコ州のものとも、この間行ったチワワ州のものとも違っていて興味深かった。作りたての籠は、まだいいにおいがして、そのにおいはチワワの籠と似ていた。チアパスのブースでは、インディヘナの女の子たちが店番をしていて、お互いがしゃべるときに民族の言葉を使っていて、その音があまりにもスペイン語とかけ離れていてびっくりした。チアパス、絶対に行きたい。

充実のEl día del お一人様。

【写真:プラサで入ったトイレ。遠いよな、これ。……紙まで。】

September 18, 2010

刺繍シャツ

独立記念日。いやぁ、めでたい、となぜか日本人のくせに羽振りがよくなってティアンギスで買い物をした。ずっとほしいと思いつつ、買っていなかった刺繍のシャツを買ってみた。お姉さんがちくちくしながら店番をしていて、私が買ったシャツもそのお姉さんが作ったのだと言う。裏を見せてもらってびっくり。ほんまに手縫いです。芸が細かい!!!!!すごい。


そのほかにも、VIVA MEXICOとかいたピンバッヂやら、吸盤がついた小さなメヒコの旗もこうた。完全にメヒコかぶれである。……いいんです!!!!!

新500ペソ札



 
お札が新しくなったらしい。なんと、新500ペソ札にはあのフリーダカーロとディエゴリベラ夫妻が!!!!!!興奮、鼻血ぶー!!!!表のディエゴはなんか、ちょっと不細工な気がするけど、裏のフリーダの肖像かっこええ!!そして、2人の絵までプリントされている。うわああああ、かっこよすぎる!!こんなかっこええお金ははじめてみた!!!!!500ペソ、決して小額ではないけれどこれは、保存版です。使いません。しかもピン札やし。

El día de la independencia

夜が明けて16日。この日がメヒコの独立記念日である。セントロで、パレードがあるというので行くことにした。遅刻すると悪いので、というか、遅刻してしまいそうな予感がしていたから、バス停では待ち合わせず、現地集合にした。そうすると、最悪誰かが遅刻しても現地にたどり着いた人はパレードは見逃さない、と言うわけだ。

しかし、バスが待てども待てども来ない。友達も一つ先のバス停で待ちぼうけを食らっているらしい。1時間近く待ってようやく来たので乗り込むと、思っていたほど込み合ってはいなかった。独立記念日は祝日なので、のこのこ出かける人も少ないのか、はたまた、昨晩家でフィエスタをしたから朝からバスに乗るような人はいないのか、と言うことだろう。

パレードは、遅くとも11時には終わってしまうと聞いていたのだが、セントロに着いたのは11時過ぎだけど、余裕で行われていた。今年は、200周年なので気合が入っていると言うことなのか。それにしても、人が多くて様子なんて見えやしない。少しはなれて様子を伺っていると、マーチングパレードなのかと思いきや、警察や消防の人、軍隊などが歩いているだけだった。予想していたのと少し違うかったので、残念に思いながら、人ごみをかき分けてパレードをみることよりも、パレードを見ている人々を見たほうがおもしろいということになった。


▲ゴミ袋に立って、身長をかさ増しする人たち。

▲マイチェアーで参戦組み。

▲少しでも高いところ、そして陰の下で見たい人々。

16 de Sieptembre通りをはさんだ向こう側に、デゴジャード劇場がありその前の広場にたくさん食べ物のティアンギス(屋台)がでると聞いていたので渡りたかったのだが、パレードが終わらないことにはそれも不可能である。パレードが終わるとすぐに、数台の清掃車もそのあとを通った。馬もパレードに参加していたので、彼らの落し物により道路が汚いのである。清掃車が通り過ぎると、すぐに柵が取り除かれ、人がいっせいに道路の向こう側に流れていく。昨日の花火終了後の人の流れといい、今日のこの人の流れといい、メヒコ人は切り替えが早い。私たちもその波にまぎれてティアンギスを目指した。


何を食べるか吟味していると、見かけたことのないメヒコ料理が。"Burro"といって、その意味は「ロバ」である。ロバの絵が書かれたお店の看板も掲げられている。小麦粉のトルティージャの中に、バルバコア(肉の煮込んだもの)やジャガイモの煮込んだものやフリホーレス(豆)を入れて巻くと言う料理らしい。Burritoに似ているなぁ、と思いながら食べたけど、めちゃくちゃおいしかった。特に、バルバコアのところがめちゃくちゃおいしかった。皮が小麦粉のトルティージャだったので、あっさりとそしてもちもちしていて、煮込まれた具からでるスープと絡んでおいしかった。後で合流した友達に聞くと、Burritoの~itoは、小さいものにつける愛称(例えば、poco(少し)にitoとつけるとpoquitoになって、めっちゃちょっと、と言う意味になる。)で、Burritoは「Burroの小さいもの」と言うことらしい。し、知らんかった!!!しかし、なんで「ロバ」と言う名前の食べ物なんだろう?!と不思議に思ったので、wikipediaで調べてみると(信憑性は知りませんが)、「理由は細く巻いたトルティーヤがロバの耳に似ているからとも、ロバがよく背中に積んでいた毛布や荷物に似ているからとも」と言うことらしい。なるほど。言われてみればそう見えなくもないメヒコのBurroの形。アメリカのBurritoはお米とかも入れたり具沢山でもっと太っていて、最後はアルミホイルで包んでしまうから、あんまり「ロバの耳」っぽくないかもしれない。食べ物も、ところ変わればオリジナルから変化しているんだな、と言うのをこういう些細な疑問をきっかけに気付かされる。

食べ物のティアンギスもたくさんでていたけど、オスピシオカバーニャスの近くのプラサではチアパスの民芸品やウイチョール族の民芸品、手作りアクセサリーなど、雑貨系のティアンギスがたくさん出ていてこちらもめちゃくちゃ堪能した。


最近涼しいと思っていたけど、昼間に外をうろうろすることはあまりないので、昼間の太陽の強さには参ってしまった。子どもたちは噴水で水浴びをしていたけど、まさか大の大人がそんなことをするわけにもいかず……。というか、あの水の中に入って大丈夫なのか、子どもたちよ?!メヒコニーニョスは強い……。だから私は、頻繁にアグアを買って飲んだり、アイスクリームを食べてみたりと水分補給をしてしのいだ。太陽の暑さに体力を全部持っていかれたような。でも、メヒコの独立記念日を大満喫できた一日だった。

El grito

9月16日はメヒコの独立記念日だった。今年は、独立200周年、革命100周年にあたる特別な年だった。日本には「独立」も「革命」もないから、「VIVA MÉXICO!!」と国旗を降って万歳!!なんていうことは考えられない。日本国旗を振りまわって万歳、と言っているとちょっと偏った考えの人かと思われてしまうかもしれない。長い間他の国に侵略され、植民地とされていた時代を持つメヒコ。そこから「メヒコ」として独立した意味と言うのは、植民地化された時代のない日本人には理解しにくいことなのかもしれない。でも、こうして自分の国をでかい声で「ビバ!!!」といってお祝いできるのは素晴らしいことだと思う。

今年は、先にも書いたように独立200周年、革命100周年の年だったので、なかなか政府も気合が入っていたようで、私の住んでいるアパートにも、メヒコの歴史を綴った冊子が入っていたり、友達の家にはバンデラ(国旗)が届けられていたそうだ。私もその国旗、ほしかったなぁ……。

ともかく、そんなめでたい祝いである。メヒコに世話になっているメヒコが大好きなものとして、メヒコの皆さんと一緒にこの日を祝いたい、と言うことで、一連のお祝いにちょこちょこ足を運んできた。

まずは、15日の夜のEl grito(独立の叫び)から独立記念日は始まる。各市の庁舎に市長やらそのエリアで一番偉い人があらわれて(メヒコシティは、大統領。)、バルコニーのようなところに立つ。そして、その下、周りに市民が集まり市長が叫びの音頭を取り、みんなで「VIVA!!」と叫ぶのである。去年は、グアダラハラのセントロのグリートに行ったので、今年は違うところにいくことにした。記念年なので、グアダラハラセントロはさぞ盛大だったのだろう。行きたい気持ちはたくさんあったのだが、違うところをみておくのも面白いだろうと言うことで隣町のZapopan(サポパン市)のグリートに足を運んだ。

グアダラハラセントロよりはだいぶん規模が小さかったけれど、着くと夜店やたくさんの人でにぎわっていた。日本の夜店みたいに食べ物があったり、ゲームがあったりさまざまである。子連れの人もたくさんいたので、本当、お祭りである。メヒコの国旗を持った人や、国旗カラーの被り物をした人、フェイスペインティングした人、メヒコのあのでかいソンブレロ(帽子)をかぶった人、民族衣装を着た人、付け髭をした人、さまざまである。今年は、ワールドカップがあったので、メヒコ代表のユニフォームを着たり、ブブゼラを持っている人も多かったように思う。あの爆音の鳴り物をところかまわずブーブーやっているので、えらい賑わいである。

夜店では、やたらと脂っこいフライドポテトとウインナーのコンビネーションを買った。ケチャップのほかに、チレやリモン(ライム)が置いてあるのがメヒコならでは、である。脂っこいものを食べたら、さっぱりしたものが食べたくなったので、今度はnieve(シャーベットみたいなアイス)を食べることに。買って友達の待つところへ行くと、周りの人が急に「VIVA!」と叫びだしたので、一緒になって「VIVA」「VIVA」叫んだ。12時くらいからあると思っていたのに、その級に叫びだした叫びこそがどうやら本物のグリートだったらしい。私は、本番前の練習かと思いつつも、ひとしきり叫んだ。終わったころに、もう1人の友達がアイスを持って帰ってきた。

「はるちゃん、今のでグリート終了らしいで。ちゃんと叫んだ??」

「……えええええええええ?!?!」

とか何とか言っているうちに、メヒコ国歌が流れ出した。これを、去年1行もうたえずに悲しい思いをした。今年は歌えるように、と少し家で練習しておいたのが功を奏して、一番繰り返される部分はばっちりと歌えた。ふ、ふ、ふ!!!!!!



叫びそびれた友達は放心状態だったので、もっと現場に近づいて様子を見ようとぐんぐんと人ごみの方に近づいていった。すると、どかーーーんと花火が夜空に打ち上げられた。火の粉が落ちてくるほど近い花火である。メヒコカラー(赤、緑、白)の花火が打ち上げられてはみんなの歓声が上がる。

それが済むと、さっさと帰る人たちもたくさんいて、それがなんだかメヒコっぽいなぁ、と思った。ステージでは、続いて記念イベント(もちろん、マリアッチ!!)が始まる。パパパパパ~~とトランペットの音が辺りに広がり、深夜にもかかわらず爆音で演奏が始まった。一緒に口ずさむ人もいれば、音楽があればそこはもうダンスフロアと言うことで、踊りだす人もいて、それもまた、なんだかメヒコっぽいなぁ、と思った。



このまま帰っていくのもなんだかもったいないので、1杯飲んで帰ろうと友達を説得してバーへ。ちょうどライブの生演奏のあるところで、ステージにはバンデラ(国旗)が掲げられて、3人組のおっちゃんバンドが気持ちよさそうに演奏していた。途中、ディスコみたいになったときは、去年グアナファトでであったゲイの姉さまを思い出した。姉さまも、マサトランでグリートを祝っているかなぁ。いや、姉さまはきっとそんなものには足を運ばずに、バーかディスコで朝まで踊っているんだろう。



バーを堪能して、もうどちみちタクシーで帰ることが決定していたので、小腹が空いた腹を満たすべくタコス屋へいった。近所のタコス屋は12時で終わりだけど、夜通しやっているタコス屋もたくさんあるらしく、サポパンで見つけたそのタコス屋はどうやら「夜通し」タイプだった。最近はまっているビステック(いわゆる焼肉)を食べて、満足満足、で家路についた。

▲花火の後に始まったステージの様子を。かなり通りのに、音拾いすぎ!!ということで、爆音具合が伝わればこれ、幸い。笑

September 14, 2010

Plaza

基本的に、街歩きが好きなのでセントロとか、チャプルテペックといった裏路地系のところをうろつくのが好きな私ではあるが、プラサ(いわゆるショッピングモール)にも行くときもある。最近、家のにおいがなんか生活くさくなってきたので、ちょっとでも帰ってきたときによい気持ちになりたいと思っていいにおいのするものを買いにプラサに足を運んだ。

セントロとプラサでは客層が違う。特に、昨日足を運んだプラサは、基本めっちゃお金持ちの人たちが行くようなプラサなので、これは、同じ国なのか?!と感じてしまうほどだ。どうせ用はない、と思って今まで足を運んでいなかったデパートの方にも足を踏み入れてみたら価格設定の高額っぷりに度肝を抜かれてひっくり返るかと思った。

大きい家用の冷蔵庫や、ガス台などの高額具合は、あまり自分に関係ないのでピンとこない。そんなものよりも、コースターやランチョンマットの金額の方がはるかに生々しいのである。トナラというティアンギス(市場)やセントロで買えば5ペソくらいのコースターがデパート価格では15ペソである。さ、三倍!!!10ペソくらいのランチョンマットが49ペソである。ご、ご、五倍……!!!!手にとって見ても、品質に差があるとは思えない。ところ変われば値段が変わるとは、知っていたものの5倍もの差があるのを目の当たりにすると、この国の貧富の差を突きつけられたような気がして複雑な気持ちになる。貧困層がこのような高級デパートで買い物することはないんだろうな、と思うし、富裕層がセントロとかで買い物することもないんだろうなとも思う。なんか、すごく複雑な気持ちだ。正直な気持ちは、どちらにも属していない、両方をある程度楽しめる中流層でよかった、である。

September 13, 2010

Spelling

日本語にLとRの違いがないように、それぞれの言語には独特の音と言うものがある。日本語にあって、スペイン語や英語にない音の一つにrya, ryu, ryoが挙げられる。ないので、音だけで聞いてそれを綴るのは難しいらしい。私の名前は、「リョウコ」なので、日本人以外の人には綴るのも発音するのも結構難しいらしい。大体の人は、耳だけで聞くと「ヨウコ」に聞こえるらしい。(メヒコでは、綴りを言うと、上手に呼んでくれる人が多い。)

今日、バーガーキングに行ったら名前を聞かれたので言うと、上の写真のように綴られた。いくらなんでもJOKOはひどくないかい。ジョウコって……。スペイン語のカ行はca, qui, qu, que, coのように綴られるから、コをkoと綴ってくれているので、外国人の名前と言うことを意識してもらえているけれども、ryoがjoになるのは新鮮すぎる。(ちなみに、ドイツに行ったときは、ryoはdioに聞こえるといわれて、このときも驚いた。)びっくりしたので思わず写真にとってしまった。ちなみに、スペイン語の発音で読むならば、JOKOはホコである。誰やねん。ホコって。