September 18, 2010

El grito

9月16日はメヒコの独立記念日だった。今年は、独立200周年、革命100周年にあたる特別な年だった。日本には「独立」も「革命」もないから、「VIVA MÉXICO!!」と国旗を降って万歳!!なんていうことは考えられない。日本国旗を振りまわって万歳、と言っているとちょっと偏った考えの人かと思われてしまうかもしれない。長い間他の国に侵略され、植民地とされていた時代を持つメヒコ。そこから「メヒコ」として独立した意味と言うのは、植民地化された時代のない日本人には理解しにくいことなのかもしれない。でも、こうして自分の国をでかい声で「ビバ!!!」といってお祝いできるのは素晴らしいことだと思う。

今年は、先にも書いたように独立200周年、革命100周年の年だったので、なかなか政府も気合が入っていたようで、私の住んでいるアパートにも、メヒコの歴史を綴った冊子が入っていたり、友達の家にはバンデラ(国旗)が届けられていたそうだ。私もその国旗、ほしかったなぁ……。

ともかく、そんなめでたい祝いである。メヒコに世話になっているメヒコが大好きなものとして、メヒコの皆さんと一緒にこの日を祝いたい、と言うことで、一連のお祝いにちょこちょこ足を運んできた。

まずは、15日の夜のEl grito(独立の叫び)から独立記念日は始まる。各市の庁舎に市長やらそのエリアで一番偉い人があらわれて(メヒコシティは、大統領。)、バルコニーのようなところに立つ。そして、その下、周りに市民が集まり市長が叫びの音頭を取り、みんなで「VIVA!!」と叫ぶのである。去年は、グアダラハラのセントロのグリートに行ったので、今年は違うところにいくことにした。記念年なので、グアダラハラセントロはさぞ盛大だったのだろう。行きたい気持ちはたくさんあったのだが、違うところをみておくのも面白いだろうと言うことで隣町のZapopan(サポパン市)のグリートに足を運んだ。

グアダラハラセントロよりはだいぶん規模が小さかったけれど、着くと夜店やたくさんの人でにぎわっていた。日本の夜店みたいに食べ物があったり、ゲームがあったりさまざまである。子連れの人もたくさんいたので、本当、お祭りである。メヒコの国旗を持った人や、国旗カラーの被り物をした人、フェイスペインティングした人、メヒコのあのでかいソンブレロ(帽子)をかぶった人、民族衣装を着た人、付け髭をした人、さまざまである。今年は、ワールドカップがあったので、メヒコ代表のユニフォームを着たり、ブブゼラを持っている人も多かったように思う。あの爆音の鳴り物をところかまわずブーブーやっているので、えらい賑わいである。

夜店では、やたらと脂っこいフライドポテトとウインナーのコンビネーションを買った。ケチャップのほかに、チレやリモン(ライム)が置いてあるのがメヒコならでは、である。脂っこいものを食べたら、さっぱりしたものが食べたくなったので、今度はnieve(シャーベットみたいなアイス)を食べることに。買って友達の待つところへ行くと、周りの人が急に「VIVA!」と叫びだしたので、一緒になって「VIVA」「VIVA」叫んだ。12時くらいからあると思っていたのに、その級に叫びだした叫びこそがどうやら本物のグリートだったらしい。私は、本番前の練習かと思いつつも、ひとしきり叫んだ。終わったころに、もう1人の友達がアイスを持って帰ってきた。

「はるちゃん、今のでグリート終了らしいで。ちゃんと叫んだ??」

「……えええええええええ?!?!」

とか何とか言っているうちに、メヒコ国歌が流れ出した。これを、去年1行もうたえずに悲しい思いをした。今年は歌えるように、と少し家で練習しておいたのが功を奏して、一番繰り返される部分はばっちりと歌えた。ふ、ふ、ふ!!!!!!



叫びそびれた友達は放心状態だったので、もっと現場に近づいて様子を見ようとぐんぐんと人ごみの方に近づいていった。すると、どかーーーんと花火が夜空に打ち上げられた。火の粉が落ちてくるほど近い花火である。メヒコカラー(赤、緑、白)の花火が打ち上げられてはみんなの歓声が上がる。

それが済むと、さっさと帰る人たちもたくさんいて、それがなんだかメヒコっぽいなぁ、と思った。ステージでは、続いて記念イベント(もちろん、マリアッチ!!)が始まる。パパパパパ~~とトランペットの音が辺りに広がり、深夜にもかかわらず爆音で演奏が始まった。一緒に口ずさむ人もいれば、音楽があればそこはもうダンスフロアと言うことで、踊りだす人もいて、それもまた、なんだかメヒコっぽいなぁ、と思った。



このまま帰っていくのもなんだかもったいないので、1杯飲んで帰ろうと友達を説得してバーへ。ちょうどライブの生演奏のあるところで、ステージにはバンデラ(国旗)が掲げられて、3人組のおっちゃんバンドが気持ちよさそうに演奏していた。途中、ディスコみたいになったときは、去年グアナファトでであったゲイの姉さまを思い出した。姉さまも、マサトランでグリートを祝っているかなぁ。いや、姉さまはきっとそんなものには足を運ばずに、バーかディスコで朝まで踊っているんだろう。



バーを堪能して、もうどちみちタクシーで帰ることが決定していたので、小腹が空いた腹を満たすべくタコス屋へいった。近所のタコス屋は12時で終わりだけど、夜通しやっているタコス屋もたくさんあるらしく、サポパンで見つけたそのタコス屋はどうやら「夜通し」タイプだった。最近はまっているビステック(いわゆる焼肉)を食べて、満足満足、で家路についた。

▲花火の後に始まったステージの様子を。かなり通りのに、音拾いすぎ!!ということで、爆音具合が伝わればこれ、幸い。笑

No comments:

Post a Comment