December 19, 2011

San Juan Chamulaその1



San Cristobal de las Casasから、乗り合いのミニバスで15~20分くらい行ったところにSan Juan Chamulaという街がある。メヒコの高原地帯の町に長くいた私は、サンクリストバルデラスカサスについた時点ですでに、今まで訪れたことのあるメキシコの街の雰囲気の違い(建物や人々の様子)を感じていたけど、この街はもっともっと独特だった。この街については、一つの投稿ではまとまらないので数回に分けようと思う。まず今日は、教会のことを書くことにする。

メヒコには、スペイン人がメヒコにやってきて植民地にした歴史があるが、その際侵略するためにとられた手段の一つに、先住民の人たちをキリスト教に改宗させるというものがあった。そのため、メヒコはいまでも国民の90パーセントをこえる人たちがカトリック教徒なんだそうだ。しかし、その全てがヨーロッパのカトリックと全く同じというわけではない。もともと土着の宗教にあった神さまを、キリスト教の聖人たちにすり替えるということも行われていたそうだ。その中でも特に、この地域は土着の宗教の影響が色濃く残っていて、「教会が独特」というので有名というのを聞いたので、足を運んでみることにした。

教会の中は、神聖な場所なので撮影は完全に禁止であった。他の教会と比較しようとすると、一言で言えば「全部」といってしまいそうなくらいに違う。中に入ると、まずお香のにおいが鼻をつく。「教会の中は薄暗くて、そこにお香の煙がもくもくとしている」、という風に聞いていたのだけど、私が実際に受けた印象は、ずいぶんと明るくて、前情報との違いを意外に思ったほどだった。教会の内部が、妙に広く感じたのは、イスがほとんど置かれていなかったせいだろう。その代わりに、床一面に松がちりばめられていて、白い床に直に蝋をたらしてろうそくを何本も立てている様子も見受けられた。民族衣装を着た人たちがその場に座り込んで、雑談している人もいれば、お祈りをしている人もいる。教会の壁には、みたことがないくらいたくさんの聖人が、両サイドに並べられていた。その周りも、花で飾られたり、ろうそくが並べられたりしていた。

私が行ったときはちょうど、聖人の一人の衣装を交換する日だったらしく、その儀式のために楽器隊なども集まっていた。目にする光景の全てが不思議すぎて、質問したいことだらけだった。しかし、自分たちにとってとても神聖な場所に、こうして興味本位だけで教会に入られたりすることを好まない人もいるということを聞いていたから、なるべく質問したら快く答えてくれそうな人を選んで、声をかけた。質問して教えてもらったのは、次のようなこと。

教会には、聖人がたくさんいるけれど、その中でも特に4人の聖人が大切にされているらしく、それぞれにMayordomo(マジョルドーモ)と呼ばれる人がいるんだそうだ。おそらく、牧師さんの身分の高い人という感じだと思うが、Casa de Mayordomoという家があって、それぞれの聖人をそこに祀って守っているのだそうだ。その日衣装を交換する聖人も、儀式のあとCasa de Mayordomoまでみんなで送ることになっていて、音楽隊はそのために集まっていたのだ。それぞれの楽器は木でできていて、マラカスやギター、アルパと呼ばれるハープなどもあった。これらの楽器の音色がなんとも素朴で、同じメロディが繰り返し繰り返し、ゆっくりと演奏される。その人たちを先頭に教会を出て、Casa de Mayordomoの家までゆっくりと歩いていく。家に着くと、お香がさらに焚き増され、お祈りの言葉がささげられて、家の中は煙とお香の匂いに満たされて、なんとも不思議な雰囲気だった。お祈りの言葉は、スペイン語ではなくて、ツォツィル語というその辺りの言葉で、なにを言っているのか全く分からない。それがなおさら神秘的で、神聖な感じをあたえていた。家の中には祭壇があって、祭壇の周りはみかんの葉で囲われていた。これも、何ヶ月に1度交換されるんだそう。ものすごく貴重なものを間近で見せてもらって本当に感激だった。

December 18, 2011

San Cristobal de las Casas


旅の途中で、一度だけ更新した。メヒコは南部のChiapas州のSan Cristobal de las Casasというところからだった。

サンクリストバル デ ラス カサス。(サンクリストバルの家々)

この長い長い地名が私はメヒコに来た頃(から結構長い間)いうことができなかった。ローマ字で書いて、意味がわかればなんていうことない知名なのだが、カタカナで続けて「サンクリストバルデラスカサス」といわれると、ほげ~、である。言えない。しかし、その地名すら言えない場所に私は行ってみたかった。(くわしくは、前の日記参照。)

この写真は、自分が撮った中で気に入ってる写真の一つだ。サンクリストバルデラスカサスに早朝に着いて、宿探しが終わり、とりあえず街歩きでも、と思ってふらふら歩いていたときに見つけた市場で撮った写真である。

おばちゃんが、ニワトリをまるでバッグかのように、腕からぶら下げて道を往来しているのだ。今まで、ブタの顔が市場に吊るされていたり、ニワトリの足だけが山積みになったり、といった様子を見てきていたので、たいがいのことには驚かないだろうと思っていたのだが、これには面食らった。というか、「ちょ、ちょ、ちょ!!!え??」と自分の目を疑ってしまった。

「今のん、鳥?!」

と思わず、振り返って二度見三度見しておばちゃんが持っているものを確認してしまった。そんな、鳥バッグおばちゃんたちを観察していると、おばちゃんたちから声を掛けることもあるけど、道行く人のほうからおばちゃんに「鳥を見せてくれ」とみんなで鳥をああでもない、こうでもないと言いながら売買されていくのである。

市場の中には、いろいろなお店があり、奥のほうに入っていくと、鳥かごを置いてある店もあったので、おばちゃんたちはどこからともなく来ているわけではなく、その「鳥基地」から数羽見繕い、それをぶら下げてより人通りの多いところにきているようだ。しかし、この状態で鳥を買って、みんな家でさばいているんだろうか。まぁ、そうだろうなぁ。

これがサンクリストバルデラスカサスでみた最初の光景で、その日から私はこの町に約3週間滞在することになった。

久しぶりに



日本に戻って、早1ヶ月半くらいが経ちました。はやいもんです。「mexico no kurashi」を更新するのも久しぶり。日本にかえってくる前にしていた旅のことを全然書いていなかったので、そのことを小出しに書いていこうと思っていたのに、気がつけば放置……。時間があるので久しぶりに何か書こうと思う。時間のある人は、どうぞのぞいてみてください。

【写真】
大阪天王寺で見つけたJacarandaの木。メヒコでは春になったら一斉に紫の花が咲いて、日本の桜のようだった。

November 11, 2011

うぐぐぐ

ほったらかしになっていました、この日記。旅の途中に一回投稿したきり、その後はiPodを盗まれたため旅中は更新できず、グアナファトに帰ってからは、それこそもう、日本にかえるカウントダウンが始まり、「帰りたくなーーーい」、などとわめきまくり、そのままグアダラハラに戻り、そこでもやはり、「帰りたくないーーー」と叫びまくっていたら、私のメヒコへの愛が通じたのか、本来乗るはずだった飛行機が空港に行って見れば「キャンセル」となり、「ついにメヒコがあたしを日本に帰してくれへんか~!!」とか思ったものの、結局それがもとで飛行機のルートからスケジュールまで全てがくるい、各空港で頼みーの、揉めーの、本当、ようやく、何とか、どうにかこうにか日本に戻ってきたのです。

それからは、日本のおいしい料理に舌鼓を打ちまくり、友だちに会えば「声、でかすぎるんやけど。そんなに必死でしゃべらんでも聞こえてるから」と言われたりするものの、久しぶりの再会を楽しんだりしていたわけだけれども、毎日考えるのはメヒコのこと。

メヒコが好きすぎたから、リエントリーショック(いわゆる、逆カルチャーショックと言うやつ)になるであろうことは、予想していた。でも、それとはまた違う気持ち。日本はやはり、細やかだなぁ、と感心している。たまには、過剰すぎるサービスや、便利すぎるそこらの全てものに、ここまでせんでもええのになぁ、と思うときもあるけど、全てをひっくるめて、やっぱり日本はすごい。そして、自分自身も日本語を使えるから、まったく困らないんである。でもなんかそれが、物足りないような気持ちになったりする。そして、恋しいのは、メヒコと言う国が持つ空気感。

日本のことはもちろん好きだけれど、その上で、メヒコがむちゃくちゃ恋しい。もろもろの状況(まぁ、ぶっちゃけると金銭面の話になるが。)を考えると、「わたしは果たしてメヒコにまた戻ることができるんだろうか」と思ってしまうときがある。漠然と。あの2年半がまるでなかったことのように、夢だったかのように感じてしまうときもある。日本でしたいことやしなければならないこともあるので、すぐにメヒコに舞い戻ると言うのは、非現実的である。でも、このままメヒコとの関係が薄くなっていったらどうしよう、という不安があって、実際日に日に自分の中からスペイン語が抜けていくのが分かるから、余計にこわいのかもしれない。

あああ。

September 22, 2011

久々に

現在旅中。始めて2週間くらい経つけど、一か所にとどまっているので、旅というよりまた住んでいるという感じなわけです。

ラップトップを置いてきたから、日記の更新ができない。iPodから長文を打つのはなんか苦手だ。だからつぶやきとかFacebookとかは割に頻繁に更新できるけど、やっぱり日記は腰を据えて書きたいというもの。でも基本的に私は書き魔なので、ブログは書いていないが、原始的に紙にペンで旅日記を書きつけている。人はこれをマメやねえ、というかもしれないが、それは違う。本当に単に書きつけるのが好きなのだ、私は。でも今日は(も)暇なので、久々にブログを更新してみようという心意気。

さて、この旅の始まりは、なんかセンチメンタルだった。グアナファトの居心地が良過ぎたんである。何があるというわけでもないけど、何曜日は何してとか、友だちと会ったりとか、そういうのが単に楽しかったので、わざわざ違うことを始めるのがおっくうだったのかもしれない。でも、そこに自分を無理やり追い込むのも私の不可解な癖なので、いろいろな人に「●曜日に出発しますわ!!」と言いふらしていたので、気がつくとそうせざるを得ない状況になっていた。「旅前最後の来店やろ??」と言うてコーヒー代をただにしてもらったり、「気をつけていってくるんやで!!」と言うてハグをもらったり、そんなことされたらいくしかないじゃあないか!!出発日前日に飛行機のチケットのことをフィックスしとかなあかんかったのにちょっと値上がりしてごちゃごちゃ考えなければならず、スペイン語で問い合わせの電話をしたものの解決せずにいたから、こんな中途半端なまま出発するのも何だか不安だなあと思い、同居人には「もう1日いてもええかなあ?!」と出発を伸ばすようなことを前夜にほのめかしていたのだが、寝る前になってなんか魔女の宅急便のキキが「今夜にするわ!!」的なことをいっていたシーンが頭をぐるぐるまわりだしたから、これはもう出発するしかないのだよ、あたしよ、と思い、当日は朝から同居人を起こして行ってきますを伝えて出てきた。

そんな仰々しく言わんでも、単に予定通りに出発したといえばそれまでなのですがね。ちなみにバスの中はほぼ全道中寝るというリラックスぶり。D.F(メキシコシティー)を経由して、現在も滞在中のチアパス州サンクリストバルラスカサスへ。

チアパス州はどうしてもいってみたいと思っていた州の一つ。と言うのも雑貨がかわいい。変な雑貨を見かけたら、チアパス産と言われることが多かったからこれはぜひ我が目でみたいと思っていたのだ。それに加えて、メヒコ内(引いては世界の中でも)で一番貧困に苦しんでいる地域だということを学校で勉強したのでその現状も見ておきたかった。豊かな自然があり、アルテサニア(民芸品)の独自性が高いのにも関わらず、貧困に苦しんでいるというチアパスとは一体どんなところなのか。

やってきて一番最初に抱いた感想は、「外国みたい!!」だった。グアナファトの街並みもかなり他の街と比べると特殊なのだが、サンクリストバルラスカサスの街並みは何だか全てが低いのだ。高い建物がなくて、屋根には瓦が乗せてあったりする。建物は低いのに、街の高度自体は高いから山を見ると低い雲がかかっていたりするからなんか幻想的。人びとは背が低くて、男の人でも私よりも低い人がたくさん居て、なんか巨人になったような錯覚も抱きつつ、バスターミナルからセントロへ歩いたのだった。

以来、観光案内ブースで教えてもらったホテルの屋根裏部屋みたいなところに拠点をおいている。ドミトリーでもホステルでもないので、旅人と友だちになるチャンスはあんまりないのだけれど、ホテルのオーナーによくしてもらったり、ある日参加した遺跡ツアーで友だちが出来たり、結構快適に気ままに過ごしている。していることといえば、居心地のいいカフェを探したり、近隣の村を訪れたり、スペイン語の勉強をしたり、ひたすら歩いたり。まあ、はっきり言ってしまうと、どの街にいようがしていることが変わらない、やはり自分はどこに居ても自分である、と言うことを再確認している次第である。それがぜいたくな事だということにも気がついている。

しかし、実際に来て見ると新たな発見や、肌や目で感じることも多くやはり旅はいい。サパティスタへの活動や関心が高く、ドキュメント映画の上映会も頻繁に行われていて、とても興味深い。サパティスタのことは日本では知名度的にはどれくらいあるんだろうか。ちょっとわからないのだけれど、またパソコンがある時にこのことについて書いてみたい。

長く更新していなかったから、内容がランダムだけれど、何が言いたかったのかと言うと、楽しんでおります、ということです。それにしても、メヒコは本当にどこに行っても居心地がいい。改めてメヒコが好きなことも感じている今日このごろなのだ。

August 30, 2011

信頼のシステム

メヒコでは、「お釣りないわよ」と言われることが多々ある。今日、パンを買いに行った。7ペソのパンを買いたかったのだが、持っていたお金は500ペソ札。(10掛けで考えると、70円の品物に対して5000円払おう、と言う感じである。)う~ん、これは確実にお釣りないと言われるだろうと思ったので、店のおばちゃんに訪ねてみたところ、返ってきた返事は案の定、

「お釣りないわよ」

だった。しかし、そのあとに、

「あとで小銭ができたときに払いにきたらいいわよ」

とのこと。そのパン屋は、私の行きつけのコーヒー屋の近くにあるパン屋で、最近立て続けに何度か買いに行ったので、多分顔を覚えられたのだろう。まあ、アジア人なので目立つというのもあるが。

このいわゆる「ツケ」のシステムがメヒコではたくさんみられる。Abarrotes(個人商店)でも、お金がなくてもその時は購入でき、あとで1か月分くらいをお金ができてから払ったりする人もいるようだ。この間、友だちの家に行ったときに彼の近くのabarrotesで買い物をしたら、それこそ「ツケ」分を払っていた。そういうシステムがあるとは聞いていたけど、実際に見たのは初めてだったが、ノートに手書きで名前と金額が書かれてあるというシンプルなものだった。

スーパーマーケットではさすがにこのツケのシステムはないけれど、小さな個人商店がいまだにたくさんあるメヒコでは、このツケのシステムがご近所やお得意さんの信頼関係の下普通に存在している。

「信頼関係のシステム」だが、バスでもそれが見られるときがある。グアナファトでは、あまり満員になったバスに乗ったことがないから分からないけど、グアダラハラではあほほど込んだバスに乗らないといけないときがたびたびあった。そういう時は、前からはもう人が乗れないので、後ろの扉が開き、そこから無理やりに乗り込んだりする。そうすると、バスが発車してしばらくすると、後ろからお金が回ってくる。バケツリレーのように乗客の手から手に渡り、最終的に運転手のところまでいく。そうすると今度は、バス代を払った証明のチケットが前から後ろに回ってきて、お金を支払った人の手元に渡る。どさくさにまぎれてキセルでもしたくなるところだが、こういうところはきちんとしているのがメヒコである。

さて、パン屋が閉まってお金が払えなくなっては困るので、そろそろカフェを後にすることにしよう。


August 29, 2011

ラッキー

最近、お気に入りの時計のバンドがちぎれたり、大好きなブレスレットをどこかに落としてしまったりなんか不運だなぁ、と思うことが立て続けに起こっていたりするものの、mixiで、「ある場所が自分にとって特別で大好きなのは、そこに友だちやら大切な人がいるからなんやなぁ」とつぶやいたとおり、全体的には「私はラッキーな奴だなぁ」、としみじみと感じている。

今住んでいる街のこともすごく好きだ。前住んでいた町もすごく好きだ。メヒコ以外にも、私の家がある日本の街も好きだ。行ったことがないけれど、ドイツのドレスデンも、イギリスのオックスフォードも好きだろう。理由は、そこには友だちや家族がいるからだ。

私は、なんかいつも怪しいので、「こいつ、大丈夫か?!」と思われやすいのだと思う。基本的ににやにやしながら街を歩いている。おそらく外国において「わたしはあなたの敵ではないですよ」とアピールせなあかん、と言う気持ちがそうさせるのだろう。それから、単に、街を歩くのがおもしろいので自然に顔がにやけてしまうと言うのもある。そのおかげかなんでか分からないけど、ベンチで座っていると話しかけられたり、知り合いになった人たちからよくかまってもらうことが多い。

土曜日、カンフーの朝稽古に行こうと思っていた。私がカンフーを習うきっかけになった、「amiguito(私の小さな友だち)」がこの8月から中学生になり、夕方の稽古に来ることができなくなってしまったのだ。このままでは、私がこの町に滞在している間にあえなくなってしまう。でも土曜日の朝稽古には続けて通うみたいだったので、私も行くことにしたのだ。待ち合わせ時間に遅れてしまったり、猛烈に胃が痛くてそれ以上歩けなかったので、稽古に行くことができなかった。待たせたり、約束を破ったりして悪かったなぁと思っていたのだが、お昼ごろにメールが来て、「タマーレスを食べにうちにおいで!」とインビテーションを送ってくれた。夕方、待ち合わせて家に行くと、お母さんがつくったタマーレスを振舞ってくれた。近い関係になると、本当に家族のように扱ってくれるのがメヒコの人たちである。Amiguitoのお母さんも私の今後の予定や何やらを親身に聞いてくれて、「この街に帰ったら連絡するのよ」とまで言って、タマーレスとアトーレをお土産に持たせてくれた。

日曜日の朝、だらだらと寝ていると、電話がなった。カンフーの先生からであった。出ると、「今、お前の家の近くまで来ているけど、番地は何番だ?!」とのこと。実は、今住んでいる家の番地を知らないので、「ええっ?!」と思いながら、azotea(屋上)に出てみると、遠くにカンフーの先生とそのパートナーがほろほろ道を歩いているではないか!!道に飛び出ると、昨日朝稽古に行くといっていたのに来なかったから(体調が悪いと言う旨メールを送ったのもあるが)心配して訪ねてきてくれたらしい。そして、昼ごはんでも一緒に、と誘いに来てくれたのだった。カンフー教室の中で、貧相なスペイン語なので理解力が群を抜いて悪く、いつも「眠いです」とか「昼寝をして遅れそうになりました」とか「おしりが筋肉痛です」とか言っているので、まったくこの日本の娘は……!!!と思われているので、何かと気にかけてくれる。でもまさか、家まで訪ねてくれるとは思ってもみなかったのでびっくりしてしまった。そして、ありがたいなぁ、と思った。

そういう人ができると、本当にその街自体が自分にとって特別でかけがえのないものになる。離れていても、私のことを心配してくれたり気にかけてくれている人たちもいる。こんなにも自由でどうしようもない私のことを、本当温かく見守ってくれる人たちがいる。そういう人たちに支えられて私はいるんだなと思う。

壊れた時計は直せばまた使えるし、なくなってしまったブレスレットはまた気に入ったものを見つけたときに買えばいい。でも、私を精神的に支えてくれる大切な人たちに出会うのは、そういうわけにはいかない。私って、ラッキーだな、と思う所以はここにあるのである。この街で過ごす時間が残り少ないからか、エモーショナルな日記になってしまった。このブログをみているのは友だちばかりなので、この際告白しておくけれど、ありがとう!!!!Un beso y un abrazo!!!!


August 23, 2011

久しぶりに、日本の本を借りられる機会があったので何冊か借りてみた。映画に、本に、ああ、なんて文化的な日々を送っているんだ。贅沢、贅沢。

漫画もあったので、ちびまるこちゃんを借りてみた。ああ~、さくらももこ、おもしろいなぁ。にへらにへらしながら猛烈な早さで読んでいたので、周りから見ると、さぞ気持ち悪かったろうなぁ。

他に新書を2冊読んだ。おもしろかったので紹介。

一冊目は、田辺厚子著「ビバ!メキシコ」。17年メヒコに暮らしたという著者が綴るメヒコの様子は、めちゃくちゃ「納得!!」。でも、驚くことにこの本が最初に出版されたのは1984年のこと。今から25年以上も前のことだ。それなのに、古さや時代を感じないのは、作者がメヒコを観る視点の柔軟さや、メヒコと言う国自体が本質的に全然代わってない(良くも悪くも)からなのだろう。一気に読めた一冊。田辺さんは、兵庫県出身の人らしく、それもなんかうれしかった。1968年10月2日に起こったトラコテルコでの政府の弾圧の様子が描かれているのも興味深かった。授業で勉強してそれに関連する映画(Rojo Amanecer: 邦題:「赤の夜明け」)も見たのだが難しかったので、日本語で改めて読む機会が持てて非常にありがたかった面もある。

もう一冊は、山本純一著「メキシコから世界が見える」。メヒコの北と南がかかえる問題を扱ったもの。メヒコ研究家の人がフィールド調査のもと書いたものなので、データがいろいろ載っていて、分かりやすい。まぁ、私はこの本からは世界は見えなかったけれど、メヒコがかかえる南北の問題について、ざっと知ることができた。

この二冊の本に共通して、「著者はメヒコがめっちゃ好きなんやろうなぁ」と感じた。メヒコは、めちゃくちゃなのだ。びっくりさせられたり、悲しい思いをさせられたりすることも多々ある。でも、やっぱりメヒコが好き。国も、文化も、人々も。読んでいて、それがひしひしと伝わってきた。

【FYI】
本:「ビバ!メキシコ/田辺厚子」
本:「メキシコから世界が見える/山本純一」
映画:「赤の夜明け」

August 22, 2011

映画

この秋には、日本に帰る。というか、帰らんとならぬのっぴきならない理由があるのだ。今はこうして、なんとなくメヒコに居座り続けているのだけれど、「●月までに帰らないとだめ」という具体的な数字が出ているせいなのか、ものすごくメヒコへの想いが強くなっている今日この頃なのだ。私が、常々「メヒコはオモロイ」と言いまくり、メヒコを好きなことは、今さら改めていうまでもない。しかし、最近のこの「メヒコが好きだ」という気持ちは、メヒコにやってきた2年前のそれとは確実に変わってきていると思う。

その理由として、学校でメヒコの歴史やら文化を勉強しているということが挙げられる。その先生の専門が(大学の専攻)がメヒコの歴史だったので、かなり深く、そして広範囲のテーマにも精通していて、しかもマンツーマンなので、非常に恵まれた環境で勉強できている。メヒコの歴史は日本のそれとは全く質を異にしているので、興味深い。そして、良くも悪くもありえないことが平然と起こりえるのがこの国の特徴だ。日常生活でも日本では考えられないようなことが普通に起こるけど、歴史とか国家レベルでみても「ありえないことがありえている」のに、国がたくましく歩みを進めていることに驚かされる。

メヒコ国外から見たこの国のイメージは、大きく分けて2つだと思う。

一つ目は、「麦藁帽子、ひげ、ポンチョ、マラカスのおっちゃん、サボテン」というなんだか陽気で怠け者の人たちが暮らしていると言うもの。

二つ目は、「麻薬戦争でたくさんの人が死んでいる」というもの。

どちらも本当だが、それ以外にもこの国はたくさんの顔を持っている。しかし、それらは知られていないと思う。知るきっかけがないのも原因かもしれない。

それはさておき、最近メヒコに関連する映画を立て続けに観る機会があった。「Miss Bala」と「Sin Nombre(邦題:闇の列車、光の旅)」である。「Miss Bala」は、貧しい暮らしをする家族と麻薬組織を扱った映画で、「Sin Nombre」は、ホンジュラスからよりよい暮らしを求めてアメリカ行こうとする移民と、メヒコのギャングのことを扱った映画で、どちらもフィクションである。しかし、観終わったあとに抱く感想はどちらも「うーーーーん、ありえる。これは現実にも起こってるやろうな」であった。

どちらも、ショッキングな内容で、映画と言う娯楽としてみる分には「わ~、よく作られたストーリーだなぁ」と感心してしまうだろう。しかし、メヒコに暮らし、歴史や文化を勉強した今、これをただの「映画」として見ることは不可能に近い。こんなことが起こるなんてとんでもない、とは感じられない。そういう日常が存在しているだろうということを認めざるをえないのだ。そして、認めたうえで、こんなことが起こっていたんじゃだめじゃないかーー!!と言う正義感のような気持ちにかられても、何もできないし、問題があまりに複雑なことを改めて思い知らされるだけなのだ(どうしてそういう状況が存在するのか、歴史や背景を知ると驚くほどにreasonableで納得するしかないのだ)。

むちゃくちゃに暗い。しかし、メヒコのこのダークサイドを見せ付けられてなお、私はこの国が好きだと断言する。メヒコにきたばかりのときにこれらの映画を見せられて、「これ、フィクションやけど、日常に起こってることやで」と言われていたら、私は完全にメヒコにびびってしまうか、あるいは「そんなあほな!!」と思ったことだろう。

知れば知るほど不可解で、知れば知るほど変な国、メヒコ。あと2週間で今通っている語学学校が終了して、そのあとは今のところ旅でもしようかしらん、などとぼんやり思っている。日本行きのチケットもそろそろ調べないとだめなのだけれど、それがどうしてもできない。だからといって、日本にもう2年半くらいも帰っていないので家族や友だちに会うために、そして自分自身が日本人として、今日本がどうなっているのかその空気を感じて自分の中の「日本」をアップデートするために日本に帰りたい気持ちが強い。だから、このままメヒコにい続けるために働き口を本気で探すということもしていない。まぁ、つまりは、何もしてない、のだけれど、日増しに、「メヒコが好きだーー!!」の気持ちが自分の中で妙に高まっている今日この頃なのだ。

日本や、メヒコ以外に暮らす人たちがこれらの映画を見たらどういう感想を抱くんだろうか。とても興味深い。「Miss Bala」は、2010年の映画で日本で上映されるのかDVD化されているのかは分からないけど、「Sin Nombre」は調べてみると、「闇の列車、光の旅」と言う邦題でDVDになっているようなので、興味のある人は是非見てみてください。


【FYI】
・Miss Bala : http://www.missbala.com/
・Sin Nombre : 闇の列車、光の旅

August 13, 2011

満月の夜に

何週間か前から、学校に生徒が増えた。レベルが違うので彼女とは同じクラスを受けることがないのだけれど、日本人だし、唯一の学校の友だちなのでたまにご飯を食べに出かけたりする。私よりも年上の人なのだけれど、旅をしたり留学をしたりとオモロイねえちゃんである。海外で出会う日本人の女の人は、基本的に、変でおもしろい人が多い気がする。

昨日は、昼ごはんを食べてから、ダラダラとカフェでしゃべりたおして、道をぶらぶらと歩いていると、満月なのに気がついた。えらく空がクリアだったので、月の光が普段の何倍も強い感じがして、なんだかわくわくしてきた。

「あ~、月見したらおもしろいやろうなぁ~」

と何気なく、提案ともとれない提案をしてみると、

「いいねぇ~」

と、屋上でビールを飲みながら月見をすることになった。2日連続の天体観測である。その前夜はものすごい雨で、ひょうが降ったり、稲妻が空を切り裂くのを「すげぇ!」「すげぇ!!」と同居人と屋上で叫びまくっていたのである。本当、家に屋上があるって素敵。

近所の酒屋でビールとおつまみを買って、屋上に毛布を広げてお月見。寒すぎず、暑すぎず、ああでもない、こうでもない、とへらへら話をしながら楽しい時間を過ごした。しょうもない話はこんなにもべらべらとしゃべれるのになあ。

友だちを送り届けてから、日付が変わってからと思われるが、なぜか同居人と映画を観ることになった。中国語と日本語と英語が飛び交う、日本人が悪者のカンフーの不思議な映画である。疲れと眠気で完全に字幕(スペイン語)は読めなかった。日本語の部分だけが理解できるという体たらく。

何も特別なものはなかったけど、いい夜だった。きれいな景色と、おいしい飲み物と、楽しい友だち。シンプルだけど、それがあるだけでいい時間を持てることの贅沢さを再確認。

July 30, 2011

Crist Rey


最近何をしていたのかと言うと、別に何もしていないけど、2週間ほどバケーションを取っていた。今の身分(語学学校生)がすでに「バケーション」のような状態のくせに、さすがにモチベーションが下がってきたのでちょっと休んでみることにしたのだ。「切磋琢磨」とは、よく言ったもんだなぁ、と思う。決して誰かと競いたいわけではないけど、やっぱり一人きりだとなかなか張り合いがない。まぁ、とか何とか言いながら、自分が怠け者なだけなのだけれど。

最初の一週間は、グアダラハラに行ってきた。行ってきたと言うか、戻ってきたと言うか。さすがに2年住むと、メヒコにおけるホームグランドは絶対にグアダラハラだと断言する。ちょくちょく戻っているので、やはり久しぶり感には欠けるので訪れるたびに変な感じがするけど、ほしいものがどこで手に入るのか、見たいものがどこにあるのか、が分かるのでやはり楽しい。知り合いに会ったり、友だちに会ったり、あっという間の一週間。

さて、グアナファトに戻ってきてからは観光客のようにふら~っとしていた。グアナファト州にSilao(シラオ)と言う町があり、そこにCrist Reyという大きなキリストの像があるというので、足を延ばしてきた。グアナファト市は、鉱山があったために栄えた街なので、丘が連なるところに位置している。その山並みの風景が終わると、今度は平野が広がっている。このクリストレイという像は、そのちょうど境目に立てられている。

グアナファトのセントロからローカルのバスに乗って、丘の間を縫っていくルートでクリストレイを目指した。バスが発車した頃はたくさん乗客がいたあのだが、「え?!こんなところで?」と言うところに村があり、だんだん人が降りていって、結局クリストレイに着くころには独りぼっちになっていた。そこまでの丘が連なってグネグネ行く道も観ていておもしろかったので、気付かなかった。あのあたりは鉱山がたくさんあり、いまだに操業しているのか、廃業したのかは分からないけど、たくさん炭鉱のような建物がみられた。鉱山での仕事は危険を伴うので、そのそばには必ず教会が立てられたり、鉱山で働く人たちの家が近くに密集していたり、採取した鉱物を加工するためのアシエンダと呼ばれる建物が近くにあったりするようすは、学校で習ったとおりだったのでおもしろかった。でも大きな店らしきものは全然見なかったので、降りていった乗客たちはグアナファトまで買い物に行ったり仕事に行ったりしているんだろうと思った。

バスを降りながら、おお、観光客、私だけかいな、と思いながら張り切ってバスを降りようとすると、バスの運転手さんに「ここまで来る人あんまりいてへんから、次のバス何時に来るかわからへんから、45分後に出発するから、それまでに戻ってきて」とのこと。もっとだらだら何もせずに時間を過ごそうと思っていたので、えらい誤算である。でもまぁ、いつ帰れるのかわからなくなるのも困るので、運転手のおっちゃんの言葉に従うことにした。

坂道を歩いて、ビューポイント(というか、360度ビューポイントのようになっている)にたどり着くと、一面に広がる平野!!!!!!360度ぐるりと何もなくて、めちゃくちゃきれいだった。キリストの像自体は、「ああ、なんかでかいな。」くらいにしか感じないのだが、景色はめちゃくちゃきれい。しかも、天気がとてもいい日だったので、雲がぷかぷか漂っている様子もなんとも穏やかで、心があらわれた。

やっぱり、「絶景」に弱いな、あたしは、と思った。


July 23, 2011

忘れていくこと、変わっていくもの、繋がっていること

昨日は、とても長い一日だった。朝の4時45分に起きたので、本当に「長かった」のだ。

またもやカンフーネタになってしまうけれど、私は月曜日と水曜日の週2回、夕方のクラスを取っている。でも、毎朝別の場所でもやっているらしいというのは前に小耳に挟んでいた。聞くところによると、なんと朝の6時かららしく、朝方人間ではない私には厳しい。水曜日の稽古に行ったときに、「先週今週はバケーションをとっていて学校ないねん~」と話していると、カンフー友だちの一人に「え~、じゃあ、今週は朝もおいでよ」と誘われた。別に予定があるわけでもないし、疲れれば昼寝すればいいし、と思い「オッケイ!!!じゃあ行くわ!!」と参加決定。でも、心の弱い人間なので、万が一のために携帯の番号を聞いた。するとまさかの、「あー、おれ、携帯もってないんだよね」と言う返事。

「携帯で簡単に連絡が取れないと、どうしてもその約束を守らないといけなくなるやろ??」

本当にその通り。携帯電話や通信機器の発達によって、約束の重みが軽くなっているのは紛れもない事実。実際、起きれた場合に「待ち合わせにいけるよ!」、でも起きれなかったら「メッセージが届けられないので来ないと思ってください」ということにしようとした私がいる。結局、「相手を待たすと悪い」というのは、いいわけでしかないんだな、と思う。連絡の手段を経たれたことにより、約束を果たさないといけない状況になり(まぁ、約束とは本来そういうものなのだが)、ここちよいプレッシャーを感じながら床についた。おかげで、ちゃんと目覚めることができて、待ち合わせ場所にも遅れずにたどりついた。

真っ暗闇の中を、てくてくと30分くらい歩いた。なんか、高校生くらいのときに無闇に早起きをして始発の電車に乗って、青春18切符で行けるところまで、ひたすら遠くを目指す旅をしていた頃を思い出した。家族に「明日は始発で出かけるから!!」と宣言し、「無理、無理」と言われる中、早起きして彼らが眠っているころにこっそり家を出るという、あのわくわくした感じが好きだったのだ。月がまだ出ていたりして、なんだか得した気持ちになって気分が高まる。

まだ薄暗い中カンフーが始まった。朝の少しひんやりとしたさわやかな空気の中、動き回るのは気持ちがいい。カンフーが終わったら、先生が家に朝食を食べにこないかと招待されて、ほいほいと御呼ばれすることにした。先生の家を見せてもらって、犬にあって、朝食を食べて、一度家に帰った。

天気が良かったので洗濯物をした。手洗いなので、漬け置く時間が長いので、結構時間がかかるのだ。平日の午前中って、何であんなに穏やかに過ぎていくんだろう。天気がいいとなおさら。平日って言うところがポイント。

昼からは、コーヒーを飲みにカフェに出かけた。久々にスペイン語の問題集をしたり、新聞の記事を読んだり、インターネット以外のことをして過ごした。そんなに長くないはずの新聞の記事なのに、わからない単語がわんさか、わんさか……!!!ま、まけるもんか!!!!!結局、コーヒーをおかわりしまくって、だらだら過ごしているうちに、天気がえらく悪くなってしまった。降るか、降らないか、空とにらめっこをしながら家路を急ぐ。結局家の少し手前で猛烈に降ってきて、あわてて洗濯物を取り込んだ。びちょびちょではなかったので、一応セーフと言うことにしておこう。

晩ご飯を食べ終わってすることがなくなったけど、同居人はテレビを見ていたので話し相手がおらず。早起きしたにもかかわらず、この時点ではすこぶる元気で、眠気が全然なかった。暇だったので、昔の日記を開いてみた。パソコンの中のデータなので、結構な量でいい暇つぶしになった。オーストラリアに住んでいたときのものや、ドイツに旅した時の日記など。

私は旅日記を必ずつけるようにしている。理由は、忘れるからだ。忘れない自信があったのだけれど、全てを記憶できないことにあるとき気がついた。まぁ、どうでもいいことを忘れていくのだろうから、全てを記録する必要はないと思うけど、でもそういう情報が残っているのもおもしろいしな、と思っている。

それにしても、オーストラリアの日記を読んでびっくりした。たくさんの名前、たくさんのできごとが記されているのだけれど、あんまり覚えていないのだ。特に、あんなに語学学校の授業が充実していたとはすっかり忘れていた。レンタカーをして旅をしたときも、スピード違反でオーストラリア政府から友だちの日本の実家に罰金の請求書が来たことだけは鮮明に覚えていたけど、レンタカー屋の姉ちゃんがいけずだったことは露ほども覚えていなかった。大学を卒業した年だったので、大学の友だちともとてもまめに連絡を取っていたことも明らかになった。ホームステイの家にはインターネットがなかったこととか、常に眠たかったらしいこととか、ホームステイの家族の印象がそんなによくなかったけど、日記の中では結構お世話になっていることも書かれてあったり、人間の記憶のいい加減さに改めて気がついて、笑ってしまった。

たくさんの人の名前が出てくるけど、そのほとんどの人とはもう連絡を取っていない。あるいは、どういう人だったのかすら忘れてしまった。でも、その中にもいまだに連絡を取っている人もいる。その関わり方は、もちろん当時のままではないけれど、形や手段を変えてもまだ連絡を取っている人たちがいる。いまだに連絡を取っている人と言うのは、たいてい変な人と言うか、私にとってはおもしろくてcoolな人たちなのだけれど。でも、そういう人がいることはありがたいな、としみじみ思う。

今でも、いろんなところへ行ったり見たりするのは好きだけれど、日記を読んでいると、昔の方がもっとそれが激しかったような印象を受けた。(まぁ、文体も話し言葉の関西弁でかかれてあるので、その影響もあると思うが。)今は、いろんな場所に手当たり次第行くのではなくて、その場所にとどまって、暮らしながらいろいろなものを見たいという願望の方が大きい気がする。でも、どちらの私も本質的には変わっていなくて、決してどの文章からも、悲しいかな金銭的な裕福さが感じられない。まぁ、それは置いておいて、していることと言えば、人間観察、カメラ小僧、とにかく道を歩きまくる、そんなところだ。変わったことと言えば、コーヒーを飲む量が増えたということくらいではないか。あと、今のほうがさらに物事を気にしなくなったかもしれない。まぁ、なんとかなるんちゃう、という、楽観的と言うか無責任と言うかなんと言うか。こうして客観的に自分と自分を比べられたりして、いやぁ、日記もつけておくものだなぁと思う。

同居人はテレビを見終わったらしいので、雨の中散歩するべ、と誘ってしとしと雨が降る中をぶらぶら。特に何もなく家に帰ってくると、猛烈な眠気におそわれた。猛烈に眠くて、しんどくて、目もろくに開けていられないくせに、なんかまだ寝たくない。そういう変にハイな状態。もっといろいろ考えたいけど、それをするだけの体力がもう残っていない。「はよ寝ろや」と人は思うかもしれないが、そういう時って、妙に悔しくて、さらに起きておきたい気持ちになる私である。同居人はもちろん前者なので、「そんなにしんどいんやったら、はよ寝たら??」と言ってきたが、私は後者で、しかもそういう気持ちをうまく伝えられないのでだらだらとキッチンに居座っていると、不可解な顔をされた。

そんなぐっだぐだに疲れた状態で寝て起きると、天気は曇りがちでたまにしとしと雨まで降っているといった具合である。アンニュイな午後である。世の中の(特に日本の)忙しくあくせく働いている人たちにしばかれてもおかしくない、私のメヒコの日々である。

July 22, 2011

Paciencia

最近、立て続けに言われた。

"Paciencia"

「我慢」、「辛抱」、「まぁ、あせらずに」と言うわけである。前に書いたけど、今カンフーを習っている。マーシャルアーツは、「arts」と言うだけあって型とかが美しい。カンフーを初めて見に行ったときも、その美しさと、精神が鍛えられる感じが気に入ったのだ。

とはいうものの、見るのとするのは大違い。師範のお手本はめちゃくちゃきれいなのに、悲しいかな、それを真似する自分の無様なことと言ったら……。それを嘆いていたら

"Paciencia"

と言うわけだ。やっぱり、武道は年季だな。じいさんとかの方が経験が長いぶん、かっこいいフォームになっているものな。

もう一つは、やはりスペイン語の件で。なんか伸び悩むなぁ、と嘆いていたら、

"Paciencia"

踏ん張り時だす。ここ2週間は学校を休んでバケーションを取っていたので、来週からはまたがんばろう。

July 11, 2011

Sin luz

土曜日、家に帰るなり同居人に名前を呼ばれた。

「助けて!!」

と言うから、何ごとかと思って台所に行くと、

「バターをちょっと拝借したい」

との申し出。手元を見ると、どうやらお菓子を作っているらしい。

そういえば、この間、ずっと前に買ったらしいブラウニーミックスが棚から出てきた。

「作ろうよ~」

と言うと、「型」がないから無理だと言う。耐熱皿っぽいものを見つけたので、

「これ使えるんちゃう?!」

と言うと、

「無理やろ……。Hecho en Mexico(made in mexico)やん。怪しい」

しつこく「使えるって!!」を繰り返すと、

「あ~、もうわかった。わかったけど、これ絶対無理やから、明日型を買ってくるから。」

との返事。言うことがいつも適当なので、それもその場をしのぐ言い分かと思って気に留めていなかったのだが、どうやらそれは本気だったらしく、型を買ってきて、お菓子作りに挑んでいたのだ。見ると、オーブンもちゃんとあたためられている。やや。本気だな、と思い眺めていると、「卵割って」と言われ、手伝うことになった。型を買ってきていたので、ブラウニーを作っているのかと思いきや、新たにクッキーミックスを買ってきたらしく、クッキーを作っていた。クッキーの一発目をオーブンに入れ、せっかく方があるのでブラウニーも作ろう、とブラウニーミックスも引き続き開封。焼きあがるのを待つ間、ブラウニーと一緒に食べるアイスクリームを近所のtienda(店)に探しに行った。

私もお菓子作りなど普段しない人間だし、同居人とて18歳男子である。へなちょこ2人が「こんなもんかな?!」「たぶん」を繰り返しながら、なんとかクッキーもブラウニーも完成した。食べよう食べよう、と食べ始めたところ、電気が落ちた。この間も、雨が降っていたときに停電したのですぐ復活するだろうと思っていると、どうやら様子が違う。近隣の家は、明かりがともったままなんである。これもたまに起こる現象なのだが、家が古いからなのか、よくヒューズがとんで停電するのだ。ここ2ヶ月でこれで3回目である。建物の中で2軒に分かれていて、ヒューズボックスとやらはもう1件のほうにあるらしいが、お店なので晩は誰も人がいない。

「ちょっと見てくる」

と家を出て行って、ろうそくを持って戻ってきた。隣の家とコンタクトが取れないので、どうしようもないらしく、ろうそくで夜をしのぐしか方法がないらしい。まぁ、仕方ないな、とろうそくの明かりでブラウニーを食べるというムーディーな夜。

「あああ。することない。暇ー」

確かに、暗いとすることがないし、できることもない。何がしたいか聞かれたので、

「その辺散歩しよう!!」

と提案すると、最初は「は?なんで??」と言われたけど、「近所を探検したい」と言うと、「わかった」といって、散歩が実現した。歩いていると、警察がやたらうろうろとしているのが目に付く。パトロールをしているらしい。車に乗った警察や、歩いている警察、結構な数である。

そのうち、歩いている警察の団体が、細い道に向かって何かを投げつけていた。すると、向こうからも石がたくさん飛んできた。その辺にたむろしている少年ともめているらしいのだ。

「な、なにごと?!?!?!?!」

と聞いたけど、早口で言われたのであまり詳しい状況は分からなかったけど、とにかく警察と少年が争っているということだった。女の人が何か叫んでいて、私は状況がよく飲み込めなかったけど、しばしその様子を遠巻きに見学。しばらく物の投げあいが続いて、それが終わると、警察はパトロールの続きで、向こうの方に歩いていった。これで終わりかと思いきや、怒り狂った少年が、石を警察の建物の中に投げつけだした。しまいめには、でかい石を拾って、階段を上って何かを割る音がした。唖然としてその状況を見守っていると、

「これが、メヒコ」

と、同居人。あ、あんた、そんな悠長な、と思いつつ、メヒコに来てはじめてみる光景やなぁ、とぼんやり思ってもいた。

散歩を続けて、犬にほえられえたり、同居人がアメリカの親に電話をしてお金が公衆電話に飲み込まれたりして家に戻ってきた。電気がなかったおかげで、おもしろいものが色々見れた夜だった。でも、夜の一人歩きは絶対にせんとこう、と思った。

怒る

私は、いろいろなことに怒りまくるタイプの人間だ。もっと前は、世の中のほとんどのことに腹を立てて、呪いたいような、絶望したような気分によくなっていた。最近は、まぁ、落ち着いてきたというか、何でもかんでも片っ端から腹を立てるということはなくなってきた。いやぁ、私も大人になったもんだ、ふ、は、は、と思っていたけど、最近立て続けに、中指を立てて、くそぼけ!!!!と叫びたくなるような怒りにかられた。

一つは、mixiでつぶやいたように学校の先生が5日中4日遅刻してきた件である。

もう一つも学校がらみである。折り紙教室をしてほしいという依頼が、学校のスタッフからあったので引き受けた。折り紙が手に入らないので(手に入ったとしても高価なので)、紙から準備しないとな、と思い、何人来るのか、とか、どういう年齢の人が来るのか、とかを事前に何度か確認したところ、「5人くらい」「子どもと大人のミックス」という回答であった。せっかくなので、似たような折方をするものを何度か練習して、後日覚えていられるようにしようと思い、折り紙のサイトを調べたり、案を練ったりしてクラスに向けて準備を進めた。私のスペイン語が怪しいので、視覚的に分かりやすくする必要があったので、それにも配慮した。当日に、「もう一人増えるかも」というアナウンスをされたのだが、いざふたを開けると、その時間になって集まった人数は0人。少し遅れて1人やってきた。メヒコのことだから、時間に遅れるのは想定内なので他のメンバーを待ってみることにして、そのやってきた1人と話をして時間をつぶしていたが、一向に現れる気配がない。ので、その子とマンツーマンで折り紙を教えることにした。マンツーマンだと、少し難しいものにも挑戦できるのでそれなりに、楽しく折り紙ができたと思う。しかし、準備していたものは全て水の泡。大人数でするように流れを立てていたので、用意していたマテリアルの大半は使い物にならなかった。そのクラスを企画してきたスタッフであるが、途中から折り紙教室に入ってきて「わ~、難しいね~」などと言っている始末である。そうじゃないだろう。他の参加者は来れるのか、来れないのか、どうなっているのか、一言何か報告があってもいいのではないかい??これには、さすがにカッチーンと来た。

これは、文化の違いだろうか??私は文化の違いから来るすれ違いにいらっとしたのだろうか??

私はそうは思わない。その人の「仕事の仕方」である。彼の振る舞いには、誠意が感じられない。その点に私は激しく怒りを覚える。折り紙教室のアイディアは気に入ったし、私に手伝えることだったので喜んで引き受けた。引き受けた以上は、ていねいに取り組むべきだと思い、自分のするべきこととできることを準備してきた。その準備をあざ笑うかのような彼の態度には私は、本当に腹が立ったし、失望した。

この怒りのせいで、金曜日はやけっぱちだったが、時間が少し経ったので今こうして分析している。この気持ちは自分の中だけでもやもやさせておくわけにはいかないので、もちろん、学校にはクレームのメールを送った。残念だが、私はその折り紙教室の話を持ちかけてきたスタッフの授業はもう二度と受けたくない旨も伝えた。

信頼関係は、こんなにも簡単に崩れる。築くのは難しいが、崩れるの一瞬である。

冷静になって、この2件の腹の立つ出来事の怒りを覚えるポイントを考えると、「ていねいな仕事をしていない」と言う点である。ここではっとするのだが、私の両親は「ていねいな仕事」をする人たちだ。ものすごい仕事はしないが、しなければならないことはちゃんとしていると思う。私の見る限りではそうである。彼らの背中を見て育ったんだな、と気付く。そして、「ていねいな仕事」をする人間であろうと気持ちを新たにするばかりだ。

全くもって、腹を立てるのは体力がいる。

歩く早さ

一般的に、関西人は歩くのが早いと言われている。そして、私も歩くのが早いと思う。しかし、最近は、わざとゆっくり歩くようにしている。(坂道に限ってだが。)丘の上に住んでいるからだ。平らな道を歩く調子でさっさか歩いていると、すぐに息があがってしまう。他の人を見ると、みんなかなりゆっくり一歩一歩歩みを進めている。郷に入れば郷に従えやしな、と思ってまねしてみるとずいぶんと楽だ。適した歩みの速さというものがあるのだなぁ。フィジカルな歩く動作だけでなく、自分の暮らし(人生)における歩みの速さも存在する。私のそれは、とても遅いと思う。でもこればっかりは、自分の速度でいくしかない。そう考えると、遅いとか速いとかはないのかなとも思える。

今、働いていないのでそれだけですでに「バケーション中」のような身分のくせに、さらにバケーションを取ってちょいと休憩しようと思う。会いたい人にあって英気を養おう。

July 08, 2011

家庭料理

メヒコでは、アパートに暮らしているので家庭料理を食べる機会が非常に少ない私。先日、私の小さな友だちが彼の卒業式後のフィエスタに誘ってくれた。なんだかよく分からないフィエスタで、ホテルでご飯を食べるというもので、着いたときにはもう子どもたちはホテルのプールで遊びまくっていた。「本日はお日柄も良く」や「卒業おめでとう」的なあいさつ、というか、会を進行する人自体がいなくて、時間になると食事が運ばれてきて、食べ終わったら、適当に帰っていくというものだった。クリストフェルくんのお父さんとお母さんとしゃべっていて、メヒコ料理の話になった。

「おまえはメヒコの食事は好きか??」

と聞かれて、「それはもう!!!!」と熱っぽく返事をすると、

「明日、タマーレスを作るから食べにくるか??」

と誘いを受けた。タマーレスは、とうもろこしの粉を使った、日本で言うところの「ちまき」のような食べ物。何も入っていないタマーレスを食べた日本人の友だちが「ゲロの味がする」と酷評した代物である。私自身も、何度かしか食べたことがないけど、そないにおいしいと思ったことがない食べ物の一つだった。しかし、誘いを受けたら、

「ぜひ!!!!」

と調子よく答えてしまうのが、日本人の私である。そして、翌日彼らの家にタマーレスをごちそうになりに行くことになった。

タマーレスの作り方は知らないのだけれど、かなり手間らしい。でもお母さんは料理をするのが好きなので、週末にタマーレスを作って、お家で販売しているんだそう。この日は、近所の人に無料で振舞うことにしていたらしく、私が着いたころにはもうみんな帰った後だった。

タマーレスには、お惣菜タマーレスのようなご飯系のものと、デザート系タマーレスがある。デザート形タマーレスの中には、フルーツが入っているのだが、それがとうもろこしの粉とあうとは思えず、いまだにチャレンジしたことがなかった。でもせっかくなので、全種類のタマーレスを呼ばれてみることにした。

・チレとサルサベルデ(緑のサルサ)味
・豚肉とサルサロホ(赤のサルサ)味
・アスーカル(砂糖)味

の3種類。どれもめちゃくちゃおいしかった。そして、Atole(アトレ)というこれまたとうもろこしの粉を使ったらしい飲み物も入れてもらった。名前は聞いたことがあったけど、飲んだのはこれがはじめて。とうもろこしの飲み物てどんなんやねん、と思ったけど、チョコレートも入っているらしく、ちょっとどろりとしたホットチョコレートと言う感じで、寒い日に飲んだらほっこりしそうなあったかい飲み物で、これまたとてもおいしかった。タマーレスも、なんか屋台で食べるのとは違っておいしかった。デザート系タマーレスに至っては、あまりにおいしくてびっくりした。マサ(生地)の絶妙な甘さと、レーズンがよくあう!!それにシナモンの風味が加わって、メヒコではじめて食べる感じの味だった。チレと豚肉のタマーレスのおいしさはいうまでもなく!!!

なんなんやろう、家庭料理のこの異常なうまさは。友だちや友だちのホストファミリーの家におじゃましたときにポソレ(スープ)などをよばれたことがあるけど、それらもレストランのそれよりもはるかにおいしくてびっくりした覚えがある。やっぱり、家庭の味はいいなぁ。それに比べて自分の作る食事の貧相なことといったらない。……悲しい。

50!!!

この間、同居人としゃべっていたときのこと。彼の話には、よく「従兄弟が」とか「従兄弟と」というフレーズが出てくる。メヒコでは家族がとても大切な集団である。親戚同士がご近所さんとして暮らしている場合も少なくないし、家を出たあとでも週末には実家に帰ってきて家族でご飯を食べたり一緒に過ごしたりするのが語句一般的なようだ。だから、話をしていてよく「おじさん」とか「おばさん」が登場したり、あるいはその子どもの「従兄弟」が登場したりする。

あまりにもたくさんの従兄弟の名前が登場するもんだから、

「従兄弟、何人くらいおるん??」

と聞いてみたところ、

「50人くらいいるんじゃない?!」

との返事。ご、ごじゅうにん?!ものすごい数である。しかし、よく考えてみると、お母さん、お父さんにそれぞれ兄弟が8人とか10人とかいて、その子どもがそれぞれ3人ずついたとすると、これだけでもう48人……。ありえる話だなぁ。でも、50人。すごい。私、父方の従兄弟はたくさんいると思うけど、母方の従兄弟はたった2人である。……50人。いや、すごい数ですやん。

そんなところに見つけたこのニュース。

若者の多民族化進む米国、10州で白人がマイノリティーに:http://www.cnn.co.jp/usa/30003303.html

ヒスパニック系のパワーを感じる。

July 06, 2011

動詞

中学校や高校のときは、英語の「文法」のクラスはあまり好きではなかった。理由は簡単。おもしろくないからである。しかし、今は文法を知るのは好きである。理由は、おもしろいからである。あと、文法を知ることが言語の習得には欠かせないと言うことを肌身を持って感じるからである。しかし、母国語を話すときは皮肉なことに、外国人が必死こいて勉強するその「文法」のことは気にせずにはなしているもんである。「品詞」と言われても「なんのこっちゃ」てなもんだ。

ちなみに、日本語の動詞は-uの音で終わる。食べる・飲む・走る、などローマ字で書くと全ての動詞は「u」で終わる。(taberU, nomU, hashirU)それゆえに、いろいろなことを動詞化することができる。例えば、「メモを取る」ことを「メモる」だの、「グーグルで検索する」ことを「ググる」といった具合にである。この点で日本語はかなりフレキシブルな言語で、言葉遊びがたくさんできる言葉だと思う。事実、外来語をたくさん取り入れて日本語化しているものも多い。しかし、悲しいかな発音まで日本語化してしまうので、取り入れたもとの言語を話す国でその単語を連呼しても通じない。「テレビ」なんて思いっきり外国語なのに、「テレビ!!テレビ!!」と英語圏で言っても、しかも、明瞭に発音すればするほど通じないんである。悲しい。日本語に取り入れるときにもとの発音のまま取り入れてくれればよかったのにぃ~~、と思っても、「ティーヴィー」なんて子音まみれでは日本語にはなじまない。だから「tErEbI」になってしまったのだろう。日本語のさらに悲しいところは、外国語に取り入れられた日本語も外国語化されてしまい本家本元の発音(日本語)が通じないのである。例えば「空手」。もはや世界の共通言語である。それなのに「カラテ」と明瞭に発音すると「??」と言う顔をされたりする。そして百歩譲って「カラティ」と言い直してやっと、「ああ~、Karateのことね!!」となんだか妙に発音のいい感じで言いなおされたりするんである。むっきゃ~~!!!その他、サケ(サキ)、ポケモン(ポキモン)など。メヒコでは、スシがスチと発音されている。まぁ、世界に出ると日本語なんてそんなもんですよね、とやけっぱちにもなるけれど、日本語を自由に操れるのはやはり日本人の特権で、その言葉のあやが私は好きだ。

さて、日本語のおもしろいところを語ったところで、本題。日本語は「u」で終わらせれば動詞化できるといったけれど、スペイン語の動詞は、arかerかirで終わることになっている。そして、日本語のようにいろいろな言葉を動詞化した言葉があることに最近気がついてきた。

例えば、"checar"。これは、元々はスペイン語ではないそうだ。"to check"という英語からきている単語で、以前は辞書にも載っていなかったそうだ。意味はそのまま、「確認する」である。"revisar"という単語が元々は使われていたのだが、"to check"が"checar"となり浸透して、今や立派なスペイン語として地位を確立している。(日本語でも「チェックする」は立派な動詞の一つになりつつある。)この他に使い道のない狭義の意味しか持たない単語は、最近の特徴なのかと思いきや、今日同居人に教えてもらった"tapar"と言う単語。"tapa"は"ふた"のことである。それに動詞の語尾である"ar"をつけて"tapar"。意味は、「ふたをする」である。その反対に「ふたを開ける」は、反対の意味を作る接頭詞"des"をつけて"destapar"になる。そんな狭義の意味の単語があるなんて!!!!!「そのとき」しか使えないという、このアンフレキシブルさ。いいですね~~。ぜひともそれらの単語を使いこなしたいものだ。しかしその反面、それだけたくさんの単語が存在するということでもある。

スペイン語マスターへの道のりは長い……。

July 03, 2011

メヒコの小学校

メヒコにおいて、友だちが非常に少ない私。その少ない友だちは、大体が年下だ。メヒコ人は結婚が早いから、私くらいの年の人はもう結婚して子どもがたくさんいるか、あるいは現在の恋に夢中なので、なかなか同い年くらいの人と出会う機会がないのだ。(もちろん、私が積極的に探そうとしていないというのもあるけど。)

年下といっても、最年少友だちは12歳のクリストフェルくん。学校の近くの広場のベンチで昼ごはんを食べているときに知り合って、カンフー教室を紹介してくれた少年である。他の友達に私のことを紹介するときに「ぼくの友だち」と言っていたから、彼的にも私を友だちとみなしてくれているようだ。

先日も、広場のベンチで休憩していると、その広場の前にある小学校の顔見知りの子どもたちが、

「マイケルジャクソンって中国語(日本と中国の違いがよく分からないらしい)でどう書くの??」

とかなんとか聞いてきたのでしばししゃべっていたけど、そのうちみんな帰ってしまった。すると、クリストフェルくんがやってきて、学校の中を見たいかと聞いてきた。彼は6年生で、もうすぐ卒業を控えているので、6年生の卒業制作のようなものが展示されてあり、見に入っていいんだという。「もちろん!!」と二つ返事で、中へ入れることになった。

こじんまりとした学校で、グアナファトのセントロに位置しているのでとりあえずスペースがない。各学年1クラスずつ、教室の前には学年表がついていた。生徒たちは1時でみんな帰るので、私たちが学校に入ったときには、そうじのおばちゃんたちが各教室やトイレなどを清掃してる最中だった。日本では、掃除も学校の活動の一つだけどメヒコにはその文化はないらしい。アメリカやオーストラリアの学校でも子どもたちは掃除しないので、学校をわりに汚く(ごみをその辺に捨てたり。)使っていたけど、メヒコの学校もおばちゃんがはき集めたごみの塊を見たらお菓子のごみやらがたくさんだった。日本の小学校では落ちていないようなごみなので、それを見るのはなかなかおもしろい。

机とイスは、別になっていて、金属製だった。おもしろかったのが、各学年によって微妙に素材が違っていた点。廊下には、ベニートフアレス(インディヘナ出身の大統領)やその他メヒコの歴史で重要な人の絵がかけてあった。給食を食べる習慣もないので、給食室なるものはない。本当、教室があるだけ、というイメージだった。でも、窓がたくさんあったり光がたくさん入って明るい印象を受けた。そういえば、オフィスは見かけたけど、先生たちの集まるいわゆる「職員室」的な部屋は見かけなかった気が。

たくさん学校があるので、場所によってはスペースがあると運動をする広場もある学校もあるけど、どの学校も制服が立派!!私立だからなのかもしれないけど、ブレザーで登校する日、体操服で登校する日、いろいろあるらしく、どの学校も立派な校章があり胸にワッペンとしてつけられていて、かっこいい。

小さい友だちを持つと、こんなメリットもあるのだね。

◎久しぶりにリンクが増えました。屋久島旅のときに知り合った友だちのページ。さすが写真家。めちゃくちゃええ写真。
いっちゃん★ベイビーフォト」というページです。どうぞいっちゃんの写真に癒されてみてくださいな。

July 02, 2011

おお!!それ!!

最近授業で、「接続法」というのをやっている。日本語で調べたら、「予想・憶測・希望など、事実であると認識していないときに使われる。希望から転じて、弱い命令の意味にも使われる」というものらしい。まぁ、それはどうでもいいのだけれど、難しい。難しいけど、

「ああ~~!!!そうそう、こういう風に言いたかったんですよ!!!!!」

という表現がたくさんある。例えば、

・この街がこんなに暑くなるなんて知らなかったわよ~!!
・昨日、あなたが来なくて残念だったわよ~!!
・友だちが結婚したらしくて、うれしいわよ~!!
・あんたと一緒に映画に行きたかったわよ~!!
・道端にごみほかすやつ、嫌いだわよ~!!

とかである。まだどういうときに使うのは、あやふやなのだけどそういう表現があることを知ったのは大進歩である。そう考えると、今までそういう表現を知らなかったので、日本語を崩して崩して簡単にしたものを、自分のつたないスペイン語に変換してものを言わないといけなかった。(やはり、母国語の言語能力は高いんだと改めて気付いて、妙に感心してしまう。)でも、この接続法と言うやつが上達したら、より自分の日本語に近い感覚でスペイン語をしゃべれると言うことになる。おおお。ふんばりどころ!!!!!

Impuntual

ついこの間、メヒコの音楽の先生について書いたけど、1週間、つまりたった5日間しかないのに、彼は4回遅刻してきたので、私は久しぶりに腹を立てている。55分の授業に10分遅刻してくるんである。なめているとしか思えない。しかも、木曜日に、「今日、授業最後だよね。」とか言ってきたから、「いや、明日もある」と言うと、「うっそ~。ないと思うけど!!」と言う。

今日も10分遅刻してきた。腹が立ったから、オフィスに「あの人こないんですけどねぇ!!!」と文句を言いにいったところに、のこのことやってきたから、たまらず

「自分!!今週で4回目やで!!わかってんの!!!!!」

と人差し指で相手を指しながら日本語で叱ってしまった。しかし、彼の反応は、

「だって俺メキシコ人だもん」

「学校にだけじゃなくて、いつも遅れるのが俺なのさ」

「だって今日は、お前に渡すための音楽のデータをUSBに入れてたんだよ。そしたら遅れちゃったんだよ」

云々。

「まぁ、そう怒らずに、さあ、教室行こうぜ!!」

と腕を組んで歩き出してきたから、さすがの私も閉口してしまった。

メヒコ人が時間にルーズなのは分かっていることだし、私自身も待ち合わせ時間に遅れて行ったりする。だから、相手が遅れてきても腹は立てない。むしろ、遅れてくることを前提にして自分も遅めに行ったりするくらいである。しかし、それは遊びの約束に限っての事で、仕事でもそれをされると非常に困る。本当に。今回それをひしひしと感じた。

「だって、俺、メキシコ人だもん」

は、理由にならないと思う。飛行機や映画は待ってくれない。時間通りに始まる。そして、それにはちゃんと間に合うように行動しているではないか。自分が遅れて飛行機に乗り遅れたらしゃれにならんからね。

時間通りに行動しようと思ったらできるんやんか!!!!それなのにしないと言うことは、なめているとしか思えない。しかも、授業の内容もなんだかひどかった。木曜日まではなにやらワークシートを用意してきていたけど、彼の中では「授業は木曜日まで」と思い込んでいたからなのであろう、今日はメヒコのポップミュージックを教えるぜ、とiPodとスピーカーだけでやってきた。ああああああ。久々に腹立ったのに、その相手はぜんぜん悪びれてもないし、なにを言われても堪えていない。

ああー。のれんに腕押しとはこのことやね。なんともすっきりせぇへん日である。

June 29, 2011

学校の話

現在、生徒が私以外にいないという奇跡的な語学学校に通っている。その後、生徒が増えたかと言うと、どうやら現在は私以外にも生徒がいるらしい。でも、私とは違うレベルなので、残念ながら顔を会わせたことはない。(学校の名誉のために一応書いておくが、英語のレッスンのコースもあり、そっちは盛況そうだ。)

あんまり新しい文法ばかりしても使いこなせないしな、と言うことで会話のクラスを多く取ってみたり、文化のクラスを取ったりしている。メヒコの文化のクラスでは、先生の大学の時の専攻が歴史で、しかも高校で歴史を教えていたこともあるというわけで、言うなれば、歴史おたくである。そんな人の授業を独り占めできるとは、これはめちゃくちゃ贅沢。これが大学の講義ともなれば、話を聞いてノートを取ってわからないところがあっても後で質問したり調べたりすることはできてもとりあえず授業中はそのまま流れていく……、ということになるんだろうけど、一人なので好きなときに質問をできて、あほな疑問をぶつけることもできる。文法の授業にしてもそう。このブログにもちょくちょく言葉の話を書いているように、私は語学馬鹿なのでしょうもないことによく引っかかる。「はい~、はい~、そういうもんですよね~」、と受け入れればいいのだろうが、環境もいいので、ついつい質問攻めにしてしまう。その質問がカタコトと言う危うさなのだが……。

中級レベルから、メヒコの文化やら神話やら、文法以外のクラスも受けられるので、せっかくの機会なので今週は「メヒコの音楽」と言う授業を受けてみることにした。月曜日にhorario(時間割)をもらうと、見慣れない名前が載っていた。月曜日にめちゃくちゃ遅刻してきて、しかも次のクラスの時間にずれ込んで終わるという、そして、今日(火曜日)も若干遅刻気味で現れると言う輩である。なんか、クラスの意味がよく分からないのだけれど(歌詞の聞き取りをさせられるのだが、聞き取れなかったら何回もそこばかり聞かされて、通しで聞いたことが、今のところないという……。)、来週は彼の授業を取るべきか取らないべきか、今から懸念している。というのも、彼はたぶんゲイでしぐさがかわいらしく、彼の話を聞く分には楽しいのだ。ただ、たくさんのインフォメーションが書かれた紙を渡されても、授業中には特に取り扱うわけでもなく、授業としては「何をaprender(上達する)するためのものなのかようワカランなぁ……」なのだ。人はいい、授業は微妙。さて、どうしよう。

音楽についてもう少し話すなら、個人的に興味があるのは、「ナルココリードス」という種類の音楽だ。メヒコの文化の授業で、脱線したときに教えてもらったのだが、まず、corridosについて説明しなければならない。メヒコでは、歴史や出来事が歌で伝えられていた歴史がある。例えば、ある人物について、彼はどういう人で、どこでいつ何をした、と言うことが一枚の紙に書かれている。それが歌詞カードとなり、ギター弾きのおっちゃんなどがそれにメロディーをつけて、いろんなところで歌うのである。もちろん全ての歌詞暗記するわけではないが、人々はそれを繰り返し聞くうちにその人や出来事について知った(学んだ)のだそうだ。この文化がなんと今も存在するらしい。それが、ナルココリードスというものである。ナルココリードスの、「ナルコ」とは、もちろんナルコスのことである。(麻薬の密輸グループ)メヒコ治安の悪化の最大の原因に、このいわゆる麻薬戦争と呼ばれているものがあげられる。それについてのコリードが今リアルタイムで存在するとは、驚きである。YouTubeで検索するといろいろでてきて、聞いてみたけど、何を言ってるか聞き取れないから音楽だけ聞いていると、陽気なメヒコの音楽、という感じである。機会があれば、歌詞を検索して、どんなことが歌われているのか、覗いてみたいものである。

メヒコの歴史を勉強しているととてもおもしろい。今も昔も、良くも悪くも、結局何も変わっていないのである。週末などに市が立つ(tianguis:ティアンギス)が、ティアンギスの歴史も長い。アステカ王国の時代にまでさかのぼるのだそうだ。ナルコスの歴史も、さわりだけだが教えてもらったが、これも興味深い背景がある。麻薬戦争は終わってほしいけど、ここまで激化しても尚沈静化を見せないのは、需要があるからに他ならない。全ての問題は、根が深い。そして、理由がある。滞在が短いと、どうしても明るい部分しか見えてこないが、必ず暗い部分もある。それを、こうしてさまざまな角度からこの国を見る機会を持てて、ますますメヒコが好きな今日この頃である。

June 27, 2011

先週くらいから、Guanajuatoも雨の季節に入った模様。今までは、朝起きると、窓の外はいつも青空が広がっていたけど、先週はどんよりと曇りがちな景色。Guadalajaraの雨季は、昼間は普通だけど夕方になると激しい雨におそわれてその辺の道路は水が反乱、そして、夜にはあがっている、という感じだった。グアナファトはどんなもんかね、と思っていると、意外や日本のような雨の降り方だった。もっとも、話を聞くとグアダラハラのように猛烈に降って小道に水が溢れ出しとても歩ける状態ではない、とのこと。

でも、今のところ小道が川のようになるような降り方をしたのは一度きり。外をうろうろ歩き回ることもないので、私としてはどのような降り方をしても、家に帰る頃にあがっていればそれでいい。でも、カフェにいるときなどに、しとしとと言う音を立てて降っている様子を眺めるのは、なんだかいい。とてもいい。雨のめぐみを感じている一瞬だな、と思う。

中学生や高校生のときは、雨が降ると、自転車通学だったのでかっぱを着て雨の中必死でチャリンコをこいで学校に到着する頃には足元はべたべたで、そのまま一日を過ごさないといけないというわけで、雨の日はあまり好きではなかった。大学生の頃も、通学電車は湿気で満たされ、電車のシートが異常に臭くなるので決して歓迎されるものではなかった。

そう思うと、今は結構雨の日が好きである。メヒコにいるからかもしれない。メヒコは1年を通して、デフォルトが「晴れ」なので、空が曇りになったり、雨が降ったりするとなんだかアンニュイな感じがする。やっぱり、何ごともこのギャップが大切やね。そして、雨が上がった日の空は澄んでいてとてもきれいだ。そこにCallejonの電灯がぽつぽつと浮かび上がる。今晩は、そんな夜景が望めるだろうか。楽しみだ。

June 25, 2011

メキシカンアメリカン

言語能力において「環境」が及ぼす影響のでかさを目の当たりしてしばしば打ちひしがれる。日本語にしたって、育ってきた環境で各人それぞれの日本語をしゃべっている。私が驚いたのは、日本語の「標準語」がしゃべれると信じていたのだけれど、どうもできないらしい。精一杯標準語のイントネーションや発音をしているように努力しても、できない。どうしても強いアクセントが出てしまうようだ。母国語でもそうなのだから、外国語でそのアクセントが出てしまうのは当たり前で、しようがない。だから、これは外国語に取り組むときに気にしすぎてはいけない。アクセントが強すぎて通じないときは悲しい思いをしなければならないけど、それもまぁ、仕方ないと割り切るしかない。逆に、なまっているけどなんか一生懸命に話そうとしているぞ、こいつは、と温かい目で見てもらえるときもあるから、デメリットだらけと言うわけでもない。そして、私は言語馬鹿なので、なまった話し方を聞くとにやにや聞き耳を立ててしまったりする。

私の育った言語環境と言うのは、関西に生まれたので関西弁がベースである。そして、他言語はそこに一切介入しない。だから日本語(関西)のみで育った人と言うことになる。ブログにもちょくちょく書いているが、最近はあの謎だった同居人と結構仲良くなってきたので、家にいてもいろいろ話をする。会話のクラスを一緒に受けていると、彼もまた第一言語「英語」のアクセントに悩まされているらしく、よく発音の訂正を食らっている。しかし、彼の語彙力、言い回しの豊富さは歯が立たない。私は語彙力が弱いので、よく先生が何を言っているのか分からないことがあるのだけれど、彼は聞き返すこともなく、全て理解できるらしい。どうやってそんなに上達したのか聞いてみたけど、「映画観たり、雑誌読んだり、曲聴いたり」と言う答えであった。確かに、映画をたくさん見ている様子だけど、たったそれだけであんなになるものだろうか、と常々不思議に感じていた。このあいだ、家族のビデオを見せてもらった時に、その疑問が少し解消された気がする。

子どもばかりが出てくる映像では、みんな英語を話しているのだけれど、大人たち(移民組)がでてくると、そこで飛び交っている言葉はスペイン語であった。メヒコでは、家族・親戚の集まりはとても大切で、また兄弟が多いので家族が大きい。何人いとこ出てくるねん!!というくらいにいとこまみれで驚いた。メヒコ人に限ったことではないけど、移民しても同じ民族でコミュニティを形成されることが多い。いわゆるチャイナタウンとか、日本人街とかができるのは、たぶんそういう理由からである。話がそれたけど何が言いたいのかというと、この「環境」である。彼らにとって、スペイン語が飛び交うのは日常なのだ。

確かに、この環境は子どもたちの言語習得を難しくもする。つまり、英語を学校でしか話さないので英語力が追いつかなくなる場合がある問題もある。その一方で、スペイン語を第二言語として習得しようとしたときには、知らず知らずのうちに基礎が蓄積されているのである。移民を果たした世代(ファーストジェネレーション)の中には、英語をしゃべれない人たちがたくさんいると言うのを聞いたことがある。しかし、その次の世代(子どもたち)はバイリンガルになる確率が極めて高い。私が今まであったメキシカンアメリカンは、全てそうなのではないだろうか。友だちも、その職場の人も全員スペイン語と英語を完全に入り混ぜて話していて、「すごいですね」というと、「2ヶ国語をそんなふうに自分が使っているとは考えたこともなかった」という答えが返ってきてぶひゃーと、驚いた覚えがある。彼らにすれば、それが普通の「環境」なのだろう。

そういう環境にいて、メヒコに住む機会がない人もいるだろう。でも、そこで蓄積されたものは極めてでかい。それを持ち合わせていない私は、正直彼らがものすごおおおおおおくうらやましくなるときがある。だから、自分のスペイン語能力(あるいは英語能力)があほみたいに感じる時があり、本当に、ただ、そういう環境で育った人たちを見ると、「うらやましい……」と羨望のまなざしで見てしまう。……自分の努力不足には、目をつむってしまっているかもしれないが。

June 22, 2011

筋肉痛

グアナファト。かつて銀山で栄華を極め、今は観光客と学生に溢れかえる小さなかわいい街、グアナファト。

……のはずなのに、グアナファトに来て以来、なぜか私には「体を鍛える」機会が多く提供されている。丘の上に住んでいるので、学校やセントロに行くというだけでも坂道を上り下りせねばならず、十分にいい運動である。標高も2000メートルと、グアダラハラのそれよりもさらに500メートルも高いので、高山の気候に離れていると思っていたけど、それでもやはり来た当初は坂道を歩くとぜぇぜぇすぐに息が切れていたものだ。

そんな健康的なウォーキング生活を送っているところへ、訪れる多くの運動体験。まずは、青空空手。学校の会話の先生が、腕いっぱいにあざをこしらえてきたので、

「どうしたんですか??」

と聞くと、空手のせいだと言う。メヒコで空手?!とそのギャップに興味を持って一度のこのこついていった。すると、公園に集まって空手の稽古をしていた。けりの練習をめっちゃさせられて、かなり疲れたので、これは毎日行っている場合ではないな、と思いそれ以来は顔を見せていない。

昨日、授業の合間の休憩時間にいつもの通りベンチに座って昼ごはんを食べていると、近くの学校の子どもたちが話しかけてきた。その中の一人と話していると、その子はカンフーに興味があるのだという。

「へぇ~、すごいねぇ~」

とふんふんと聞いていたのだが、なぜか話の終わりに

「じゃ、4時にここで待ち合わせよう。動きやすい靴できてね。」

と言われた。

「???」

途中で、遺跡の話になって、近くに遺跡があるみたいなことを言っていた気がしたので、遺跡にでも案内してくれるのかと思い、子どもとの約束なので無視してすっぽかすわけにもいかないので4時に指定された場所に行くと、その子もちゃんときていた。

そして、向かった先は、彼の習っているカンフーの道場であった。まさかカンフーをしに行く約束になっていたとは思わなかったので、とりあえず見学でもさせてもらおうと思ってシフー(先生)と話していたのだけれど、なんか知らんが、

「このズボンを貸してあげよう。さあ、着替えてきなさい。」

と言われ、あれよあれよと、列に混じって「お願いします」なんていいながら、ちゃっかり稽古に参加しているではないか!!!その練習内容は、ハードで、とりあえず周りの人の動きを真似てみた。カンフーをするのは初めてだったのだけれど、空手と違って(といっても、空手も青空空手しか経験したことないけど)、より柔軟性を求められる武術だなぁと感じた。体の硬い私にはなかなか厳しいムーブメントが後半特に盛りだくさんだった。一度の休憩を挟んで、稽古が終了。確実に翌日の筋肉痛を予感させるからだの疲れだった。でも、久しぶりに思いっきり汗をかいて気持ちよかった。メヒコで空手にカンフー。なんでやねん。おもろいなぁ。

帰って、同居人にこのカンフー体験を話すと、

「じゃあ、次は一緒にジムに行こうぜ」

と、更なるエクササイズへの誘いを受けてしまった。

運動の街、グアナファトである。
 

June 17, 2011

狭間

「おなかが空いた。ご飯を食べたい。家でゆっくりしたい。」

しかし、これと同時に、

「家に帰る坂道が面倒だ。スーパーに本当は行くつもりにしていたけど、もはや面倒だ。」

が頭の中で戦っている。それを内部で勝手に戦わせているうちに本体は何をしているのかというと、インターネットである。しょうもない。(私が。)いや、このおもちゃは本当に恐ろしいな。30分や1時間があっという間に過ぎていく。日が沈むまで歩くのが暑いから、どうしても家に向かうのを渋ってしまう。

宿題もちょっとしていたんだけれど、インターネットがあると、つい、ついそちらに気が向いてしまう。明日の授業のために、「グアナファトの伝統的な祭り/祝い事」について、今週は町の顔見知りになった人たちに協力してもらって、インタビューをいくつかしたのだけれど、率直な感想は、「メヒコの人は、おしゃべり好きやなぁ」。

質問は、「グアナファトで一番知られている伝統的なお祝いは??」なのに、気がつくと、3つ4つとどんどん教えてくれている。ありがたいけど、どうやってまとめようかなぁ。今夜が山田。

遊び

昨日は、なんだかめちゃくちゃ暑かった。たまっていた洗濯物を手洗いすると、すっかり疲れてしまった。労働したので、近所の酒屋までひとっ走りして、すきっ腹にビールを流し込んでなんか心地よいですねぇ~、と一人でにやにやしながら宿題をしていたところに、同居人が帰ってきた。

「今日、月めっちゃきれいで」

と教えてくれたので、早速屋上に見に行くことにした。すると、きれいな満月。しかも、月光がめちゃくちゃ強くて、雲が透けて見えるくらいだった。屋上に上ると、

「ここからcuetesをするとおもしろい」

と言う。

「クエテスって何?!」

と聞くとジェスチャーで説明してくれて、どうやら「花火」のことらしい。それが分かり、「花火めっちゃおもろいよなぁ~!!」と言うと、

「花火したい??」

と言ってきた。

「え!!!持ってんの?!」

と驚いて聞き返すと、「おうよ、ちょっと待って」と言って、部屋に花火を取りに行った。持ってきたのは、日本で言うところのロケット花火。マッチとそれを持ってまた屋上に上がって、レッツ花火!!

風が強いのでマッチを擦っては消え、擦っては消え、で苦戦したけどついに点火。ロケット花火はぴゅーーーーっとええ音を立ててその辺に消えていった。久々に花火をしておもしろかったのはもちろんのことだけど、驚いたことに花火はイリーガルなんだそう。つまり、「したらあかん」と言うことである。

小さな道が多いので、どこに飛んでいって、誰にあたるかわからないという危険もあることから禁止されているのだそうだ。でも、クリスマスや新年にはあちこちで一日中花火が打ち上げられているらしい。日本だと、花火は夏の風物詩、と言うイメージなので、冬にだけ花火が打ち上げられるのはなんだか不思議な感じがする。でもそういうわけで、この時期には花火を買うことはできないのだそうだ。3発だけ残っていたので3発とも全部打ち上げた。見つかったら罰金らしいので、そそくさと家の中に戻っていった。

どこかに飲みに行く夜遊びもおもしろいけど、この手の夜遊びはスリルがあるからもっとおもしろい。ティーンの同居人を持つのはおもしろい。

June 14, 2011

名詞

日本語の名詞には、男性名詞や女性名詞といった区別、あるいは冠詞がつくこともない。英語は、aとかtheとかの冠詞はあるけど、性別はない。しかし、スペイン語にはある。ドイツ語を大学で第2言語として勉強していたときにはじめて、名詞に性別があるという概念を知ったのだけれど、その時はお手上げであった。その時の先生が、なんかいつもやたらと汗をかいていて、それはもう病的な量で、よく休校になっていたりしたので本当に病気だったのかもしれない。そんな先生だったので、教えるのもなんだかもひとつで、と言えばただの言い訳なのかもしれないけど、ドイツ語はまったく身につかなかった。彼の授業で記憶に残っているのは、「ドイツに行ったらヴィーナーシュニッツェルという料理がおいしいから食べたほうがいい」、と言うことと「ドイツ人に混じって話していてそのほりの深さに慣れてしまい、家に帰って自分の顔を鏡で見たときに、あまりにのっぺらした顔で驚いた」というしょうもないエピソードだけである。

話はそれたが、その「名詞の性別」がスペイン語にも存在するのである。ドイツ語のそれに比べれば、スペイン語のはまだシンプルだと私は思う。例えば、maestro(先生)と言う単語がある。男の人が「わたしは先生です。」と言うときは、maestr"o"になるのだけど、女の先生になると、maestr"a"になる、と言った具合だ。-oで終われば「男性名詞」、-aで終われば「女性名詞」と覚えておけばいい。しかしまぁ、何にでも「例外」と言うものが存在するので、そのルールにのっとっていないものもある。ちなみに、男性名詞の冠詞は"el"で、女性名詞には"la"がつく。

週末に、友だちがグアダラハラから遊びに来てくれていて、callejon(小さな裏通り)を歩いていたときに、

「犬のpopo(フン)に気をつけて!!el popoに!!」

と言うと、

「違うよ、popoはla popoだよ。」

と訂正された。えええ!!!-oで終ってるやん。それなのに、なぜに「LA POPO」?!う~~~ん、納得がいかない。しかも、pipi(おしっこ)もel pipiではなく、la pipiと女性名詞なんだそう。え~~~。なんで~~?!ウンチだのおしっこだのが両方揃って女性名詞ってどういうことなのだ?!友だちに理由を聞いたけど、「分からない」とのこと。ただ分かるのは、popoは絶対に女性名詞なんだそう。

今日ふとそのことを思い出したので、学校で先生に質問してみた。(小学生男子のようなあほな質問であることは百も承知で。)すると、popoは幼児言葉で、「フン」は正しくは「caca」というらしい。その先生曰く、「cacaという響きはなんか汚いから、popoの方が好んで使われる」んだそう。その、「caca」の響きが汚いと言うのは、外国語としてスペイン語を勉強している私には理解しづらい感覚なのだが、日本語で言うところの「うんこ」と「うんち」の与える微妙なニュアンスの違いととらえたらいいだろうか。

だから、正しくは"la caca"なので、「ウンチ・フン」という単語自体は「女性名詞」になるらしい。だから"caca"のかわりに"popo"を使っても、元々が女性名詞なので、そのまま"la"という女性名詞に対する冠詞がつくんだそう。いやぁ、何ごとにも理由があるのだなぁ、と妙に関心。

めっちゃ真剣な顔つきでこの日記を書いているので、周りにいる人は、まさかあのアジア人がうんこについて熱くタイピングしているとは夢にも思うまい。ということで、日が暮れて歩きやすい時間になったので、帰ろう。

June 10, 2011

セニョーラ!!!!

毎週水曜日に、家にそうじをしてくれる人が来てくれる。キッチンとかの共有スペースや、トイレの掃除などををしてくれるのでとてもありがたい。

昨日は、ディエゴリベラの美術館でシネクラブによる無料の映画上映会の日だった。CRASHと言う映画で、遅れて到着したので初めの方を見逃してしまったけど、少なくとも私が見始めてから終わるまでは、こう、なんともいえない負の連鎖と「なぜ?!」の連続のすっきりしない映画だった。なんとも複雑な気持ちになるのは、本当にどこかで起こっている日常を切り抜いて見せてくれているのかもしれないと思うと、非常に重いテーマの映画だった。あとで調べてみると、2時間を切っている映画のはずなのに、ものすごく長い時間見ていたような気持ちになったのもそのせいだろう。

その映画を見終えて、帰宅。晩ご飯を食べて、いつものように宿題をしていて、最後に日記を書いていた。好きなアクティビティの一つで、学校で先生に添削してもらえるので、とてもありがたい。この映画のことをどう書こうかとうなっていたけど、何もでてこないので、カフェオレでも飲んで考えることにした。せっかくなので、お気に入りのカップでのみたいのでエコティアンギスで買ったカップを探していると、柄がないではないか……!!!!誰かが落として割ったんである。

そういえば、朝「がしゃーん」という音が聞こえた。せ、セニョーラ!!!そのあとに会って、あいさつしたのに、その時は何も言ってなかったじゃないか!!!言ってよ、一言!!!!!それに、卵の箱も勝手に捨てられていた。最近は、近所の野菜屋さんでたまごをバラで買っているので、スーパーで買ったときにゲットしたその箱はめちゃくちゃ重宝していたのにっ!!!セニョーラ!!!!

そうこうしているうちに同居人が帰ってきたので、一連のセニョーラの話をすると、

「ああ、俺もいつもやられている」

と言って、オートミールの箱を見せてくれた。そこにはシリアルが入っていた。セニョーラが、残り少なくなっていたシリアルと空のオートミールの箱を見て、「!」ピーンときたらしい。それをみて、「ははは」と力なく笑うしかなかった。セニョーラ!!!おれたち、苦笑いだわよ!!!

セニョーラの働きには本当に感謝しているのだけれど、なんか、家族に余計なことをされた気分がである。

June 02, 2011

前店


昨日は、移民のことがワカラン!!!とほえていたくせに、今日は一転、「前店」の話をしたい。驚きの落差。単細胞なので、いろんなところに気が散るので気になさらずに。

さて、前店と言えば、学校の前にあるから前店と呼ばれていると私は思っているのだけれど、日本だけのものかと思えば、ここメヒコにも存在したのでびっくりした。メヒコらしいなぁ、と思ったのが、前店が「即席」だと言うところ。おばちゃんやおっちゃんが毎日学校が終わる頃にやってきて、木の下などに店を広げている。日本の前店は、小中学生は買い食いが禁止されているので文房具や学用品、体操服を売っているというイメージだけれど、メヒコではお菓子を学校に持っていってもOKなので(近年は、肥満児が増えすぎているので、お菓子を持ってくるのを禁止している学校もあるそうだが。)、前店でも駄菓子を中心にお菓子やら飲み物が売られている。こなれたもので、机の上シートを広げて、その上にお菓子をきれいに陳列して、あっという間に立派なお店になっている。

学校を終わった子どもたちはかばんを、お迎えのお母さんやお父さん、ばあちゃんやじいちゃん、あるいは年上の兄弟に預けて、小銭を持って前店に群がり、好き好きにお菓子を買って、しばらく学校の周りにたむろしている。迎えに来た家族も、しばらく子どもたちを自由に遊ばせている。小さな街なので、学校に運動場はないらしく、石畳の広場が子どもたちの遊び場だ。どの学年も同じ時間に学校が終了するようで、たぶん12時半か1時前後には終わっているっぽい。メヒコの昼ご飯は2~4時くらいに取るのが普通なので、給食は無く、帰ってから家族と一緒に食べるのだろう。基本的に走り回って、何が楽しいのかきゃっきゃと爆笑しているのだけれど、学年関係無しに、小さい子が大きい子と遊んだり、大きい子が小さいこの相手をしてやったりしているのは、いい関係だなぁ、と思う。しばらく観察していると、ルールもコースもめちゃくちゃなリレーごっこをしていたり、ジュースを持って、とにかく走ったりわけが分からなくて、おもしろい。手をつなぐ子もあれば、いざこざでもめている子もいる。メヒコの子どもたちは、いい顔をしているなぁ、本当。目が大きくてまつげが長いからかわいいとか、そういうのではなくて、中から何かきらきらしたものがが溢れている。そうかと思えば、なんかお金がたりなくなったらしく「セニョリータ、ちょっとお金もらえませんか??」と聞いてきたりするからびっくりである。(悪気は一切ないらしい。)

全ての子どもたちがはけるのが大体2時前。その頃には、前店のおばちゃんたちもさっさと店を固唾家て、商売道具を手提げ袋にいれてどこへとも無く消えていく。どこを切ってもメヒコっぽいなぁ、と私は思うのです。

June 01, 2011

移民

たまげた。タイトルの移民問題についてである。

その後、同居人の男の子とは結構しゃべるようになって、驚くべきことに、彼を語学学校に復学させることに成功したのである。メヒコ人の両親を持っているけれど、アメリカで育ったためにスペイン語は彼の第一言語ではない。(とは言っても、私よりはかなりレベルは高い。)しかし、完璧にしゃべれているのかと思いきや、まだまだ修行が必要らしく、基本的に俗に言うSpanglish(スパングリッシュ:英語とスペイン語のちゃんぽん)でしゃべっていることが分かってきた。前にも言ったように、会話のクラスは一人で受けるよりも誰かがいたほうが絶対にいいので、修行が必要だという同居人を巻き込めばお互いにメリットがあると思い、同居人のいとこである学校のディレクトール(一番えらい人)に、「ちょいと彼に会話のクラスを取るように言ってもらえませんかねぇ~」と頼んでみたのだ。言ってから、ちょっとノリで言ってしまった感は拭えないし、普段から「もう語学学校にはもどらねえ」「宿題はしねえ」宣言をしている、言っても18歳の男子である。このアイディアがばれたら本気でしばかれる……!!!とひやひやしたけど、家に帰ってきて宿題をしている私に向かって、

「おい、来週からクラスを取ることになったから!!」

と報告してくれた。

前置きが長くなってしまったけど、そういう経緯で今週から会話のクラスを一緒に受けている。(いつまで受けるのか知らないけど。)昨日は一発目で、お互いに質問をしあう、と言うベタなアイスブレイキング的なレッスンだった。私にしてみれば、「なぜ家族と離れて、メヒコに住んでいるのか?!」というのがとても気になっていたので、質問はそこに集中した。

いろいろ聞いていると、彼はアメリカに不法移民として住んでいたらしいと言うことが分かった。両親は彼よりも長く住んでいるので、いわゆる"Paper"(合法滞在のための書類。ビザ??)があり、妹たちはアメリカで生まれたのでアメリカ国籍だか市民権だか知らないけど、とにかく住む「権利」と言うものが保障されているのだそうだ。問題は、同居人である。彼はメヒコで生まれたので、住む「権利」と言うものがないらしく、15年住んだのでアメリカには住めなくなってしまったらしい。ややこしいことは分からないけれど、また2~3年すれば住む「権利」が復活するらしいのだが、ちょっと、待ってくれよ、である。

ちょっと待ってくれよ、はもちろん、アメリカに対してである。いくら不法で暮らしていたとはいえ、「15年経ったから、もう住めないよ。さあ、国に帰りなさい。」はひどくないか?!そこで生まれた人は何も問題なく住めて、生まれた場所が違う国だからと言うだけで、帰してしまうのはあまりにもひどい。別に不法入国や滞在に賛成しているのではなくて、「そのあと」のことがちゃんと保障されていないところに疑問を感じる。大人になってからではなく、子ども時代の15年は長い時間だ。いきなり、「本国」と言われても、文化も言語も教育も違うところに放り込まれるのと同じこと。そこでどう生活を始めろというのだろう。(大半は家族や親戚を頼っていくのだろうが。)アメリカで高校を卒業していても、メヒコではそれは通用しなくて、例えば大学に入ろうと思えばメヒコの高校を卒業していないとだめなんだそうだ。なんだか、当人にとても不利な条件だらけではないか??ポジティブに考えれば、育った国と違う国で暮らすチャンスととることもできなくもないけど、もしも住む「権利」があったら、どちらか選択できる。選択肢が無く、育った国を離れるのとは雲泥の差である。

ううううううん。

なんだか納得がいかない。別の友だちに、同じくメヒコ人の両親を持っている子がいる。彼女の両親もまた不法移民としてアメリカにやってきたらしい。彼女はアメリカで生まれたのでアメリカ人として問題なく住めるのだが、両親は長いことグリーンカードを取得できなかったんだそう。

不法移民の問題はアメリカでは大きな問題だ。前述の友だちは現在、アメリカに暮らすヒスパニック系の子ども(中学生・高校生)がきちんと学校を卒業できるようにサポートする仕事をしている。残念ながら、ヒスパニック系の生徒たちの学校のドロップアウト(退学)率は、白人系の生徒たちよりも高いのだそうだ。理由の一つに、ここでも「言語」が挙げられる。家やヒスパニック系のコミュニティではスペイン語が話されているので、英語力が追いつかなくなる現実がある。ドロップアウト率が高いのと同時に、高等教育(大学)進学率も低いのだそうだ。これらの現状は、個人で解決できることではないので、国や州など自治体をあげて取り組む必要があると思う。チャンスと機会を提供し、移民のコミュニティ全体をサポートしないと、悪いサイクル(低学力、治安の悪化など)にはまる一方ではないかと私は思う。

だから、である。15年だかなんだか知らないけど、いきなり「住む権利」を剥奪されてしまう現実があることに納得いかない。なぜ??日本人の友だちにも10年以上もアメリカの学校で学んだり働いたりしている人がいるけど、その人もいまだにずっとアメリカに住み続ける「権利」を持っていない。その間きちんと税を納めたり、国に貢献したりしているのにである。そうかと思えば、アメリカ人と結婚すると住む「権利」が簡単に(現実には各種手続きがあって簡単ではないのかもしれないが。)もらえたりする。

わからん。わからんぞ。

全ての人は平等ではないのかい??

May 31, 2011

Lost in translation

先週、映画を3本見た。映画を見たのは久しぶりで楽しかったけど、どの映画でも問題が。

まず1本目、Red Social(Social Network)。facebookがどうやって始まったかという、話題の映画である。現在オスカー候補の映画の上映会が開催されていて、そのうちの1本がこれだった。私もfacebookユーザーなので、見てみたいなぁ、と思っていたのだ。英語音声・スペイン語字幕である。これはかなり難しかった。なぜなら、登場人物がみんな早口なのだ。英語の早口、しかも男の人の登場人物が多いので、聞き取りがさらに難しい。リスニングがその有様なので、頼みの綱は字幕である。しかし、あのスピーキングの量に対しての字幕は、かなり高速で、しかもスペイン語なので、完敗もいいところ。終わった時の感想は、ようワカランかったなぁ……。悲しい。

2本目は、Mi nombre es Khan(My name is Khan)。アスペルガー症候群の主人公カーンの物語である。カーンはインド人で、途中から舞台がアメリカという設定なので、言語はヒンドゥー語、英語、字幕はスペイン語だった。ヒンドゥー語に関しては、音で聞いても全く分からないので、これはあやしいけれど字幕頼み。英語はかなりなまっているけれど、話す速度がSocial Networkよりもゆっくりだったのでまだ分かりやすかった。3時間くらいの映画で、盛りだくさんの内容なので疲れるけど、久しぶりに観ている最中や後にいろいろと考えさせられた映画だった。時間があるときに是非。

3本目は、El hijo de la noviaという映画。音声がスペイン語で、字幕は無しである。見始めて10分間くらい、何語でしゃべられているのか分からなかった。ようやくスペイン語だと気付いたけれど、結局最後まで、なんだかよく聞き取れないまま終わっていった。物語の大枠は分かるけど、詳細が全然わからへんという状態。まじでか、スペイン語のはずやのに?!とかなり撃沈したのだけれど、後で調べてみると、アルゼンチン映画だそうで。そのサイトでもアルゼンチンのスペイン語は全然違う、と書かれていて、また、学校の先生に聞いてもアルゼンチンのスペイン語は他のネイティブスペイン語圏の人たちにとっても聞き取るのが難しいそうだ。なので、ちょっと救われた気持ちになった。

今週も引き続き、映画祭の映画やら無料映画上映会があるはずなので、時間の許す限り(と言うか、基本的に許されまくっている。むしろ行って暇をつぶさなあかんくらい。はは。)足を運んでみようと思う。……それにしても、日本語、忘れないなぁ。しかし、通じないなぁ。日本語でぼそっとつぶやいたときに、「え??」と聞き返されたからボソッと言ったから聞き取れなかったのかと思いきや、はっきり発音しても、全く通じなかった。そらそうか。言語の中で迷子になるのは、もどかしいけど、おもしろい。

伝統舞踊

最近、文章ばっかりの投稿が続いていたので久しぶりに写真を。しかし、vivicamで取ったから、やっぱりしょぼいな。

今いる街は、Guanajuatoというとても小さな街。学生と観光客で溢れている。というのも、歴史的に鉱山で栄えたため町全体が石畳になっていて美しい。また、芸術でも有名で毎年10月には国際的な芸術の祭典セルバンティーノが開催される。景観が美しい(まぁ、坂道が多くて、観光客向けの通りを一歩中に入れば、野良犬のうんこまみれやったりするんやけど。笑)のもいいのだけれど、私が好きなポイントは2つ。

1つ目は、街の規模がかなり小さいのでどこへ行くにも歩いていけるという点。そのため、バスに乗る必要が無いから、交通費がかからない。逆に言えば、小さすぎるから人によっては、「そんなところに長くいたら飽きるでしょう??することないでしょう??」となってしまうかもしれない。私は、どうせどこにいても、結局カフェにいってダラダラとコーヒーを飲んで時間を過ごすだけなので、この街のサイズはとてもありがたい。ちなみに、1ヶ月が経とうというのに、この町の中心部を出た(バスとかで)のは、1度だけである。

2つ目は、各種イベントが多く開催されていると言う点。映画祭やらシネクラブによる無料映画上映会、劇場で演劇やダンスなどが多く開催されている。また、Callejones(めっちゃ小さい通り)のフィエスタもたくさんあって、よく教会に向かってパレード(太鼓とラッパと踊りと、ビルヘン(聖母))があるのに出くわしたりする。いろいろあっても、街が小さいので足を運びやすく、また、観光客が多いので、彼らにもわかりやすくするためにいつどこで何が開催されているのかと言う情報を入手するのがわかりやすくてとても助かる。

そんなわけで、先週の土曜日にメヒコの伝統の踊りがテアトロ(劇場)であったので足を運んできた。2時間のショウで50ペソ。その週で学校のクラスを終了していったアメリカ人の二人のGuanajuato滞在最終日と言うこともあり、一緒に見に行くことにした。最初の1時間は、ミチョアカンという州の伝統舞踊だった。私的にかなりツボだったのは、じいさんのダンスだ。じいさんのマスカラ(仮面)をつけて踊ると言うものなのだけれど、つえを突いたよぼよぼのじいさんが、突如めちゃくちゃアクティブに踊りだす。スリッパ(と呼ぶのかわからないけど)で地面をリズムよく踏み鳴らして踊りまくる。この静から動に変わる瞬間が、めちゃくちゃおもしろかった。来る!!来る!!!と分かっていても、いざじいさんがアクティブになると、ほら!!!!!!やっぱり!!!!とにやにやしてしまった。

そのほか、ミチョアカンのダンスのセッションでは、女の人がつぼを持ってその上で踊ったり、いろいろあって1時間くらい続いた。驚愕の長さ。その後は、何幕かに分かれてアステカの伝統的な踊りとか、また別の州の踊りとかがあった。おもしろかったのが、La Danza del Tritoという踊り。踊りと言うか、劇のような感じで、牛といろいろな人物が登場する。農場のオーナー(金持ちの象徴)や、酔っ払いや娘や老人や悪魔や死神などである。いろいろなんだかんだあるけど、最終的には死神に全員殺されてしまうと言う内容である。死は等しく全ての人に訪れると言うメッセージなのだろう。最初の何人かはあっさりと死んでしまうのだけれど、途中から登場人物が客席の方に走りこんできたり、会場全体で盛り上がった。一つ納得いかないのが、死神が微妙に肉付きがよかったところだ。骨のプリントがされた全身タイツを着ていたけど、なんっか、ぽっちゃり感が漂っていて、仮にも、死神なんやから、あんた太ってたらあかんやろ、と思ってしまった。盛りだくさんで、楽しかった。

これから、夏に向かってまた観光客が増えることでしょう。さて、どんな催し物が開かれるのやら。

May 28, 2011

生活

スペイン語、オモロイ。難しいけど。信じられないことに、もう4週間がすぎた。1ヶ月!!早い!!私は、1日4コマのクラスを取っている。今週は、クラスメイトがいたので会話のクラスを2コマと、先週より多めに取った。一人きりと言うのもなかなかメリットがあって、特に文法のクラスは、それぞれつまづくところが違うので、一人で授業を受けていると質問をたくさんできて、とてもありがたい。しかし、会話の授業は一人よりも大人数の方がいい。一人で受けても、先生に間違いを訂正してもらえるからマイナスではないけれど、人数が多いと意見をシェアできるから格段におもしろくなる。国や年齢が違って、いろいろな考え方や意見があることに気付かされる。それと同時に、自分の国がどういうふうに見られているのかということも知ることができる。今週、そして先週一緒に会話のクラスを受けたのは、アメリカ人の40歳くらいのカップルで、とてもおもしろかった。ポートランドに住んでいて、とても「ポートランド」っぽい二人だった。アメリカ人との共通言語が「スペイン語」というのにも、なんだかにやけてしまう。意欲的な二人だったので、断固英語をしゃべらなくて(二人の間でもスペイン語でしゃべっていた)、3人でしゃべるときも英語は本当にどうしようもなくなったときの「最終手段」だった。英語がそういう扱いを受けることはまれなので、私的にはとてもおもしろい。

文法のクラスでは、今週は「直接目的格」と「間接目的格」というのを勉強しているのだけれど、これが難しい!!説明はわかる、しかし、実践するのが難しい!!!そういうやつです。1回出てきた単語を、「それ」といったり「彼」と言いかえなければならないのだけれど、ついつい同じ単語を何度も使ってしまう。だから多分、これを使いこなせないと聞こえがしつこいんだと思う。書いたりするときは文字を見て考えながらできるけれど、話すとなるとスピードが半端ない。瞬時に変換して並び替えて文章にするのが、なっかなかできない。

そのクラスのときは、うぐぐぐぐ……あああっっ!!またっっ!!となっているのだけれど、今日の会話のクラスのはじめに、メヒコのスラングというか、日常よく使われている表現を教えてくれる時間があった。出てきた表現を全部知っていたので、やっぱり、だてに2年住んでないなぁ、と感じた。テキストの表現や文法には弱いけど、calle(道端)のスペイン語になったとたんにすごくわかる。使い方もばっちりわかる。その他の現象として、動詞はあんまり知らないけど、野菜や果物の名前は異常に詳しかったりする。生活するって、そういうことなんだなぁ、と実感する瞬間である。生活に必要な情報、スキルを磨いていく。それが生活。意思疎通をするのは生活力(or人間力??)。それを簡単に、そして豊かにしてくれるのが、知識であり、学びなんだなぁ、としみじみと思う。どちらかが欠けてもあかんのやなぁ、と思う。

May 25, 2011

時間

時間。

やっぱり、時間ってすごいなぁと思い知らされている今日この頃。学校の件に関しても、最初は生徒の数が少なすぎることへの驚きと、「思てたんとちゃうしーーー!!」という状況に泣き笑いのような気持ちだったけれど、3週間が経ち、再び来週には「学校に独りぼっちになるかもしれない」と言う状況を迎えようとしているけど、今は、まぁそんなもんでしょうと思えている。

謎にまみれていた同居人とも、最近徐々にいろいろ話すようになってきた。相変わらず、いつ家にいるんのかとか、生活スタイルは結構謎に包まれているけど、バックグラウンドとか、好きな牛乳のメーカーとか分かってきたので、日々進歩である。でも、劇的に一番「おおお!!!!」と思ったのは、いつも見かけたときに、

「Hola, Comó estás??(元気~??)」

とあいさつしたら、軽く手を挙げて元気ですよ、と示したり、かなり小さな声で「bien...(いいよ)」と言ってくるのが常であった。しかし、今日の朝はじめて、

「...bien...y tú??(うん、元気。自分は??)」

とあいさつが返ってきた。めちゃくちゃびっくりした。

でも、この町の人は全体的に"Como estas??"とか聞いても"bien"としか答えてくれないような気がする。グアダラハラでは、「Estoy cansada(疲れている)」と答えようもんなら、「あほか!!うそでも、元気と言え!!」と言われたりするくらいだったので、"Como estas?-Bien bien, gracias.  Y tu??- Tambien bien!!"は、誰かと会った時の一連の決まった流れのように思っていた。単に、そのあいさつをするほど親しい人がまだいないと言うことなのかもしれないけど、やっぱり、"Y tù??"と聞かれるとうれしいもんだ。

メヒコ人以外(特に友だち)によく聞かれるのは、

「(スペイン語の勉強が終わったら)これからどうするん??」

である。2年間メヒコに住んで出した答えが「スペイン語をちゃんと勉強してみたい」だったから、それをはじめたばかりで、その次のことを聞かれても正直困るのだけれど、まぁ、今さらスペイン語を勉強しておめえ、どうするんだ?!と不可思議に思われるのも分からなくもない。でもその質問は、極めて無意味だなぁ、と思う。なぜなら、時間は繋がっているからだ。昨日が今日まで繋がり、今日が明日に繋がっているのだから、今の時点では答えようがないと思うのだ。私の昨日までが今日にたどり着いたのだから、今日が辿りつく明日やその先の先のことをどうして答えられよう。確かにそれは存在している。あるけど近づいてきたときに(あるいは、こちらが近づいていったときに)、より輪郭をはっきりとさせて現れるだろう。……決して、ふざけているわけでもまじめに考えていないわけでもないけど、時間に追われていないとこんなんになってしまう。

May 17, 2011

同居人

私の今住んでいる家には、同居人がいる。不思議な同居人で、いついるのかよくわからないのだ。彼は、18歳のアメリカ育ちのメヒコ人らしい。とにかく、顔をあわせるときが少ないので、本当にわからないと言うのが正直なところなのだが、少しはコミュニケーションもある。

彼は、アメリカで育ったのでスペイン語のライティングが苦手らしい。そして、あんまり人と話すのが好きではないらしい。最初は、私のスペイン語が怪しすぎるから「こんな奴の相手はいやだぜ」と避けられているのかと思い込んでいたが、語学学校の他の先生に聞いても、誰に対してもあまりしゃべらないらしい。あまりしゃべらないけど、悪いやつじゃあない、と言うのが大方の見解だ。

ある日、シャワーが待てど暮らせど水しか出なかったので、こんな水だけの生活はもうだめだ!!!と、18歳の同居人に尋ねてみた。すると、しばらく経ってから、

「お湯の出し方わかったけど、今教えようか??」

と言って来たので、このチャンスは逃すべからずやな、と思い、

「オ、オネガイシマスダ!!」

とほいほいとついていった。屋上に、湯沸し器みたいなものがあり、それに点火しなければならないのだった。前に住んでいたところにも同じものがあり、実は1回しか点火したことがない。大体他の住人がやってくれていたのだ。しかもその時は、チャッカマンを持っていた。しかし、今回同居人の手を見ると、がっつり持たれているのはマッチ。

メヒコのマッチは、日本のマッチのようにしっかりとしていない。手の後ろのほうを持ってシュッと擦ろうもんなら、頭の部分がポリンと取れてしまう。だから、火をつけるのが非常に難しい。ゆっくりと話しながら、点火の仕方を教えてくれた。そして、

「はい、練習のためにやってみて」

と、マッチを手渡された。そのマッチを操る様子があまりにもどんくさかったのだろう、見るに見かねて、

「……こうするねん。」

と、レクチャーを施してくれた。右手の人差し指(マッチを持つ方の手)を、まさかのマッチの頭のところに添えるというフォームである。こんなところを持って擦ったら、指が燃えてしまう!!!と、半信半疑で彼の言うとおりにすると、力がマッチの頭に伝わるのが擦りながらわかった。ばっちり摩擦してます!!という感じで、あっさりと火がついた。そして、火がついても一気に頭が燃えるわけではないので、下部から上部に火が回るまでに添えていた手を後ろのほうに持ち替えればいいのだ。

「おおー!!!!」

と喜んでいると「はは、よかったな」という表情をされた。

我々の共有スペースは、キッチンである。しかし、前述の通り、避けられているかもしれないのであまり出くわすことはない。先日、珍しく私がご飯を食べているときに部屋から出てきた。すると、

「最近、洗い物ほったらかしでごめん。ちょっと忙しくて」

と言ってきた。

「いいねん、いいねん~~!!ところで、君は牛乳が好きなのかい??」

と聞いてみた。異常な量の牛乳が毎日買い込まれているのを不思議に思っていたので、このチャンスに聞いておきたいと思ったのだ。その量、なんと1日に2~3リットルである。私なんて、1リットルを1週間くらいかけて消費するのに、1日2~3リットルである。水でもそんなにのまへんやろ……、と思っていたので、これはぜひとも本人に聞きたかったのだ。

「……うん。」

「でも、1日3リットルって、多くない?!」

「お前は1週間に1本か??」

「うん。」

「少なくねえ??」

「でも1日3リットルって、多くねえ??」

「……牛乳、うまいぜ。」

彼が牛乳をあんなに買い込む理由は、単に「牛乳がおいしいから」と言うことだった。そして、今から買いに行って来るぜ、といってまた牛乳を買いに出かけた。いくらおいしいといっても、1日に3リットルはなかなか飲めるもんではない。

でも、こうしてたま~にコミュニケーションがあるから、徐々に心を開いてくれているのだろうか、と思いきや、こないだはいきなりドアをバーンと閉められたり、わけがわからない。そうかと思うと、おもむろに冷蔵庫から牛乳1リットルを取り出して、「ちょっと牛乳飲んでくる」といって、外に出かけていったりするから、やっぱり別に嫌われているわけではないんだろう。

住居に関しても、学校に関してと同様、なんか同居人がいてその人としゃべったりしたらスペイン語の練習になるわ~、と期待していたのだけれど、これまた状況が違う。でも、これはこれでなんだか自由な感じでいいなぁ、と思っている。そして、誰もが「ああ~!!あの子はしゃべらないわよ~!!」といいうけど、もうちょっと気軽にしゃべれるようになりたいなぁ、とひそやかに思っている。

今日仕入れた情報によると、彼はプロレスの大会に出たことがあるとか何とか。どうりで、あんなにたくさんのプロテインを日々消費しているわけだ。全く謎の多い同居人だ。

しかしまぁ、「住めば都」とは、よく言ったもんで、自分のとらえ方・過ごし方次第で良くも悪くもなるんだなぁ。

May 14, 2011

reloj

"reloj"とは、スペイン語で「腕時計」のこと。日本人にとって発音が難しいとされている。RとLが入っている上に、Jで終わるからだ。日本語の単語は全部母音(a,i,u,e,o)で終わるから、子音で終わる単語は難しいとされている。まぁ、それはさておき、私はいつも腕時計をつけている。

もう何年も同じものをつけているので、わかる人もいると思うけどFHBというメーカーの文字盤がめちゃくちゃでかくていかついやつだ。その腕時計の秒針が二日ほど前から急に動かなくなった。動くのだけれど、2秒に1回が3秒に1回になり、そして4秒に1回ズババババと一気に動くようになってしまった。一瞬、時計が壊れたかと思ったけど、よくよく考えてみると、買ってから一度も電池を交換したことがないことに気がついた。まだ時間が遅れるということにはなっていなかったので、完全に時計が止まるまで放置しようかなと思ったけど、一軒時計屋さんがあるのをこないだ街をぶらついているときに見つけたので、価格調査までに足を運んでみることにした。

「電池交換できますか??」

と聞くと、

「できるわよ」

とおばちゃん。

「いくらですか??」

と聞くと、みてみないとわからないと言って、時計を手渡すと5秒くらいでぱかっと電池のところを開けて、

「40ペソね」

といった。その手際のよさに妙に感動して気がついたら交換をお願いしていた。でかい文字盤なので、電池の交換自体は簡単だけど、そのカバーを閉めるのが厄介だったらしくてこずっていたけど、ものの5~10分くらいであっという間に直ってしまった。

秒針を見ると、カチ、カチ、カチ、カチとちゃんと1秒ごとに時を刻んでいた。やっぱり、時計はそうでなくちゃいけないと思った。そして、これからはこの時計が時を刻むたびに、あの時計屋のおばちゃんやこの町のことを思い出すんだろう。

2 semanas

さて、学校が始まって2週間。今週は、一人で授業を受けているけど、私のペースで勉強できるから結果的にはとてもよい。そして、同じ日に入学した日本人の二人ともようやくたくさんしゃべる機会ができて、しゃべってみると旅好きのオモロイ二人やった。学生だけど、訪れた国の数は私なんて足元にも及ばないくらい。やっぱり、いろんなところに足を運んで、自分の目で見て、肌で感じてきた人の話はおもしろい。うわべだけのしょうもない話をしていると、日本語と言う言語がその距離をさらに遠くするけど、オモロイ人の話を共有するのに年齢は関係ないなと思った。

二人の話を聞いていて、やはり行ってみたくなったのがラオス。ラオスのことを悪く言う人に今のところ会ったことないから、ラオスへの憧れは募るばかりだ。二人は関西出身で、一人は三重県の子で、しゃべっていると伊勢の友だちのことを思い出して無性に会ってしゃべりたくなった。関西以外のエリアから見ると関西弁とひとくくりにしてしまわれがちだけど、関西弁も各県や地域によって全然違う。その違いを感じられるのはやはり、ネイティブスピーカーならではだなと思う。つくづく言語馬鹿だなと思う。

1週目は、韓国人の女の子がクラスメイトだったのだけれど、彼女のスペイン語はめちゃくちゃ韓国語に引きずられた発音になっている。そういうのを聞いて、自分のスペイン語も日本語にめちゃくちゃ引きずられているんだろうか、と考えてみる。でもそれは、自分ではわからない。前にも言ったことがあると思うけど、英語でもそうだけど、自分の英語やスペイン語を日本語に再翻訳したらどういうふうになるのか(関西弁みたいにめっちゃなまっているのか、それともなんかすまして標準語みたいなのか。)、ほんとう、誰か教えてくれないだろうか。

しかしまぁ、2週間よく頭を使ったので、今週は中盤からふらふらだった。週末なので、ゆっくり休もう。そういえば、心配していた学校に生徒独りぼっちになるかもしれない件は、とりあえず回避された模様。来週、まだ日本人の二人ももう1週間残って、さらに、アメリカの人が来るんだそう。さあ、第3週目は、どうなる。

May 11, 2011

El día de mamá

今日5月10日は、メヒコでは母の日。日本でも、母の日と父の日なら圧倒的に母の日の方が盛大に祝われるけれど、メヒコではその比ではない。なんといっても、母の日は「国民の祝日」で国を挙げてお母さんの日を祝うのだ。

朝、学校への通り道に花屋さんがあるのだけれど、いつも割りににぎわっているけど今日はさらににぎわっていた。赤や白のバラの花やその他いろいろの花を買い求めて、若者も中年も、女の子も男の子もみんな花を買い求めていた。だから、今日は街を歩いていても花束や1輪の花を持った人たちで溢れている。日本では、息子からお母さんへ花を贈ったりする習慣はあまり無いけれど、こっちの男の子は「おかん大好き」なので、恥ずかしげも無く花を買い求めている様子がみられる。

お母ちゃんたちはと言うと、きれいに着飾ってお出かけである。町なかでお互いに、

"Felicidades!(おめでとう!!)"

と声を掛け合っているのも印象的だ。家族でお出かけして、お母さんはきれいな服を着て、プレゼントやら風船を持って歩いている。おかん、めちゃくちゃ甘やかされています。

でも、お母さんはほんまこれくらい甘やかされてもええんとちゃうかな、と思う。メヒコのお母さんたちだけではなく、世界中のお母さんたちのことである。

私もお母さんと離れて暮らしているけど、本当お母さんには頭が上がらない。今の「ありえない」状況を、とりあえず誰かに話したくて、日本が早朝だったにもかかわらずお母さんにメールをすると、少しスカイプをつないでくれた。学校に生徒がいないというよりも、しゃべり相手が皆無なのが物足りないことをぐちぐち話していると、「夜くらいしゃべらへんほうがええわ~。なんか、もの作っといたらええやん。」と、親身になってくれているんだかなってくれていないんだか微妙なコメント。しかしお母さんの言葉は不思議なもんで、「まぁ、それもそうだ」と納得させられてしまう。仕方がないことは分かっているし、誰に相談しても解決策があるわけではないこともわかっている。それでも誰かにそれを「どうしょうもないねんから、しゃあないわ!」と言ってもらいたい気持ちがある。それは、他の誰でもなく、お母さんじゃないとあかんのである。

お母さんとは、誰にとってもそんな「ものすごい人」であるはずだ。だから、少々大げさにでも感謝の気持ちを伝えた方がいいと思う。花より団子のおかんなら、ケーキでも手土産にして、ありがとうの気持ちをケーキに代弁させるといいと思う。

私の友だちにも「母」の人がいるけれど、問いたい。日本の母の日はこの間の日曜日だったけれど、ちゃんと甘やかされましたか??もしも、家族に甘やかされていないのなら、即刻甘やかされるべきだ。

母の日、おめでとう!!!!!!

May 10, 2011

ありえない

ありえないことあがありえる国、メヒコ。しかし、今回の「ありえない」は、私にとって予想外。ああ、でもそれがありえないということか。

何がありえないのかと言うと、今通っている語学学校に生徒がいなさ過ぎるのである。先週の第一週目は、韓国人のクラスメイトがいたのだけれど、彼女は先週で講座を終了していった。なんでも、夏から大学のスペイン語コースに通うんだそう。なので、今週は、クラスには私一人。しかし、学校全体にも他に、旅の途中でスペイン語を勉強している日本人の男の子と女の子がいるのみである。なんて日本語って壁があるんだろう、と感じざるをえないのが彼らと話した感想。つくづく年齢の差を感じさせる言語だなぁ、と思うと少し悲しい。しかしまぁ、彼らも旅の人なので今週でクラスを終了していくだろう……。となると、来週からは全くもって独りぼっちになるかもしれない?!

びっくりして、これはもう、なんというか、わらけてしまう。ありえへんやろう~~~?!と言ってみても、実際にありえているのだからもう、笑うしかない。

学校に行けば友だちできるべ~、と楽観的に考えていたけど、どうもそうは問屋が卸さないようだ。学校は、まぁ、一人っきりでさみしいと言えばさみしいけど、スペイン語を勉強したくてやってきて、それが叶っているので、勉強できること自体はとても楽しい。しかし、学校以外の場所でものを注文するとか、店の人を冷やかすくらいしかしゃべる場が無いのだ。それが、大変。大変というか、「しゃべり足りない」と感じてしまう。家にインターネットが無いから、家に帰ってからは基本的にすることが無いので、ガリガリと勉強しているという状況。

勉強したいと望んでここに来て、その望みは達成されているのに、今度は「しゃべる機会が足りない」とぶうたれている。あああ、一気に全てが叶えられないことはわかっているのになあ。本当、人間はわがままだと感じる今日この頃。

まぁ、街をぶらぶら歩いていると、映画を安く見られる日のインフォメーションをゲットしたり、いろいろ劇場で催し物や映画祭がやっているみたいなので、ぼちぼち足を運んでみようと思う。

May 05, 2011

Vista Hermosa

久しぶりの更新は、またまたフロムメヒコです。なので、"mexico no kurashi 2"といったところでしょうか。2年間の学校での仕事で、微々たる給料をもらいながら、せこせこと貯めていたのです。とは言ってもペソなので、円やドルに換金して日本に持ち帰っても一瞬で消えてしまう。それならば、そのせっかく貯めたお金を、もう少し長い間有意義にすごそうじゃないか!!ということです。完全に道なき道を爆走しているな。

アメリカから帰ってきてからは、本当にばたばたの日々。グアダラハラに帰って、お世話になっている人生の師匠Aさんや友だちに会って、いっぱいしゃべって、道の角で手をあげてバスを止めてにんまりして乗り込んでガタガタとバスに揺られるという、1ヶ月前となんら変わらないことをしている自分がいた。1ヶ月離れただけでは、「懐かしい」と言う感情を抱くには少し短い。でも、やっぱりひさしぶりで妙に興奮してしまった。しかし、昨日までアメリカでダウンジャケットを着ていたのに、半そでなのに寝苦しくてううううとうなりまくって眠れぬでの夜とは、なかなかふり幅の激しい生活の変化である。

さて、新しい生活では何をしているのかと言うと、スペイン語を勉強することにした。今さらスペイン語なんか勉強してどうする、お前!!!という感じもするけど、道端と独学だけで勉強するスペイン語に限界を感じていたから、少しちゃんと勉強してみたらどうなるかしら、というわけである。アメリカでもっと暇な時間があるかと思っていたら、意外と時間がなくて(と言うか、自分にその気がなかったのか)、学校休むところは、間際にばたばたと決めた感が拭えないので、詰めが甘い。甘すぎる。家でインターネットが使えないのも、確認不足。でもまぁ、あるとずっと使ってしまうだろうし、昼間はその辺でwifiの電波でインターネットができるので、まぁ、よしとしよう。

今一番困っているのは、家への帰り方である。今いる街は、なんと標高2000メートルのところにある街で、グアダラハラが1500メートルくらいなので、それよりも500メートルも高い。小さな道が入り組んであり、しかもそれが坂道だから大変だ。私の家は"Vista Hermosa"という小さな通りにある。”美しい眺め”と言う名前の通りである。その名のとおり、とても景色がいい。しかし、いい景色と言うのはだいたいそう簡単にたどり着けるものではない。ものすごい坂道なんである。しかも、2000メートルの標高で、すぐに息切れがする。(あと、おそらく運動不足も手伝って。)教えてもらった道は2~3種類ほどあるはずなのに、1つしか覚えていない。

「帰りはこっちの道に行くと楽だよ」

と坂道の急じゃないほうの道を教えてもらったと思うけど、さっぱりわからない。月曜日から、こっちかな~、いや、あっちやろ、といろいろ道を試しているけれど、一向にたどり着かない。なので、その都度、引き返して、また違う坂道にトライする。そして、結局は見つけられずに同じ坂道を登っている。リュックサックには、パソコンをはじめ、いつも荷物が満タンにつめこんである。これはもはや修行である。平坦な道を歩くのと、坂道を歩くのでは使う筋肉が違うらしく、とりあえず今はおしりの筋肉が痛すぎる。このあとまたあの坂道を登らなければならないと思うとげんなりするけど、ええ運動だと思って、歩け、自分!!!!

久しぶりやったので近況報告のようになりました。みんなは、どこでどんな暮らしをしていますか??

April 22, 2011

カルチャーショック2

私の場合、大きなショックというよりも小さなことでびっくりすることの方が多い。この間は、バスで驚くことをたくさん書いたが、そういうやつである。

例えば、コンセント。PCを使ったり充電器を使ったりするときにコンセントをプラグにつなぐが、差し込むと、

『カチッ』

と音を立てることに驚いたりする。メヒコのは、基本的に(少なくとも私が住んでいたアパートのものは)、ぐらぐらなので、差し込んでもプラグの重みと重力で斜めに落ちてくるので、カチッとぴったりはまるのは本当に驚いた。

それから、お釣りの件。ドル以下のセントの扱いについてである。メヒコでは、ペソ以下の単位はセンターボといって、ドルで言うところのセントのようなものだ。しかし、例えば"20.31ペソ"のお釣りの表示が出たとしても"0.01"の小数第2位の金額については切り下げあるいは切り上げられる。単純にその単位のお金(1センターボ)がないからなのだが、レシートとの表示と違うし、切り上げるか切り下げるかはキャッシャーの独断である。だから、同じ金額でもキャッシャーによってお釣りが多く返ってきたり少なく返ってきたりする。逆に言えば、小数第2位の金額は、切り下げられたら自分が支払うときには払わなくてもいいのである。しかし、アメリカでは1セントというものがあり、レジに表示されたのと全く同じ金額のお釣りが返ってくる。こ、細かいな~~!!とびっくりしてしまった。

また、街で歩く人をみると、「首コルセット」をしている人を見かけないのも驚きだ。(そういえば、アメリカに来てからまだ一人も見ていない気がする。)メヒコは、運転が荒い人が多いから交通事故が多い。町なかでぶつかって、当事者同士が保険会社を待つ光景もよく見かける。あるいは、「ガシャーーン」と派手に車がぶつかるような音が聞こえてくるときがある。それゆえ、事故による鞭打ちの人が多いようで、首コルセットの人をよく見かける。ひどいときは半日歩いているだけで4~5人は見かけるときがある。しかし、アメリカでは3週間いてもまだ1人も見ていない。す、すごい!!事故関連では、足がない人も見かけない。メヒコでは、事故で複雑骨折をしてしまうとそのまま切断されてしまうケースが多いんだそう。実際、片足がない人を結構見かけたりする。アメリカでは、そのような人はまだ見ていない気がする。

アメリカでもメヒコでも、電動カートに乗っている人をしばしば見かけることがある。メヒコの場合は、店内であったり、老人が乗っているケースが多い。しかし、アメリカでは中年くらいの人も乗っているので、友だちに尋ねると、「肥満すぎる」のが原因なんだそう。太りすぎて、ひざに負担がかかり長時間歩けないので電動カートに乗っているのだそうだ。う~ん、衝撃。そんなあほな!!両国とも肥満人口が多いことで有名だが、全体的にみんなぽっちゃりしているメヒコに比べて(食べ物が原因だと思われる。主食がトルティージャなので、炭水化物の摂取量が多い)、アメリカの肥満の人の肥満っぷりは限度を超えている人をよく見かける。かと思えば、猛烈に走りまくってエクササイズをして細くて健康的な人もたくさんいる。両極端だなぁ、と思いながら両者を眺めている。

あと、アメリカのバスターミナルはこわい。というか、不穏な空気が流れまくっている。メヒコでは、バス(市バスも長距離バスも)は、「市民の足」として使われているが、アメリカでは少し勝手が違うようだ。車社会で車検もないので、日本では考えられないくらい安く中古車が買えるらしい。その「安い車」ですらを持っていない人たちがバスユーザーとなる。学生であったり、車をもてない貧困層であったりする。だから、バスの中やバスターミナルに行くとあまり安全な気がしない。ホームレスの人たちもとてもアグレッシブな気がする。バスターミナルのベンチに腰を下ろろうもんならすかさず近寄ってきて、「金をくれ」と言ってくる。しかもなんかみんな目が据わっていたり、様子がおかしくて嫌な感じがする。昨日、長距離バスに乗ったときに、禁煙であるにもかかわらず車内でタバコを吸った人がいたらしく、途中の駅でおろされていた。そして、発車するバスに向かって罵声を浴びせていた。がーーーーん。である。

いい驚きも、悪い驚きもある。でもそれが現実なんだなぁ、と目をつむらずに見ておこうと思う。

April 15, 2011

国際理解

この間、Skypeのキャンペーンのメールが届いた。何でも、そのクーポン番号を入力すれば、世界の40カ国以上の固定電話に無料で電話が1ヶ月間かけられるんだそう。早速使って、日本にかけてみた。無料ならば、とおばあちゃんの家にも電話をかけることにした。

あまりに久しぶりにかけたので、おばあちゃんも最初私が誰だか分かってなくて、「おばあちゃん??」と連呼しまくって、まるでオレオレ詐欺みたいやな、と思いながら、なんとか誰だかわかってもらうことができた。こっちはインターネットの回線を使って、日本の固定電話にかけられるなんて、便利な世の中になったもんだなぁ、とすっかり感心してしまった。こんなところでも、世界の小ささを感じる。

おばあちゃんと話していると、先日の地震の時に世界各国からすぐに日本に救助隊が送られた話になった。そして、その救助隊の中には、メヒコの救助隊も含まれていた。私がメヒコにいるから、メヒコの人たちがはるばる日本まで助けに来てくれたことにおばあちゃんは感動したんだそうだ。私もそのニュースの画像をインターネットのストリーミングのニュースで見たとき、なんだか無性にうれしくなった。

もし、私がメヒコに来ていなかったら、同じようにニュースをとらえただろうか??

とふと考えてみたけど、もしかすると、そこに「メキシコ」という国名を見ても救助隊を送ってくれた国の一つとしか受け取っていなかったかもしれない。私はメヒコに2年お世話になっているという点で、またおばあちゃんは、孫がメヒコに暮らしているのでその名前を聞くと気にかけるようにしているという点で、メヒコに関心を寄せている。もっと平たく言えば、興味を持っている。

私がオーストラリアにいるときに、バッパーで出会ったドイツ人の友だちが、何年か前に日本に遊びに来て再会を果たし、その時におばあちゃんの家に泊まったことがある。日本語が全く話せないドイツ人の友だちと、ドイツ語も英語も全く話せないおばあちゃん。私が間に入って仲介役を務めた場面もあるけど、二人でいたときもどうにかこうにかコミュニケーションをとっていたようだ。その子がおばあちゃんの家にステイしている間に、ALTとして日本で働いていた日系カナダ人と、南アフリカ人の友だちも晩ご飯をおばあちゃんの家に食べに来た。

「どこに住んではるの??」

の質問に、

「泉佐野」

という予想外の答えが返ってきて、おばあちゃん的にはそれがかなりのインパクトだったらしい。

さて、それ以来、である。ただの世界の国の一つだったドイツやカナダや南アフリカが、「気になる国の一つ」に変わったのである。その変化は意識だけの問題である。実際にその国に足を運ぶとか、そういうレベルのものではない。しかし、この意識の変化こそが、国際理解においてものすごく重要なんだということを、今回おばあちゃんと話していて感じた。

今までなんでもなかった国が、「なんとなく気になる国」になって、その国名を聞いたり見かけたりすると、ちょっと立ち止まってみる、耳を傾けてみる、目を通してみる。そうしてその国のことを気にかけていると、意外なところで自分の国と関わりがあることを発見したりする。例えば、すごく小さなことだけれど、スーパーに行って「メキシコ産」と書かれたアボガドを見つける。「●●のいるメキシコではこんな野菜が育つんだな。買ってみようかな」という風にその国のことを考えるようになる。そうして、その国のことをもう少しって、また少しその国が特別になったり、好きになったりする。そういう小さなことの積み重ねが国際理解と呼ばれるものに繋がるのだと私は思う。無知は偏見にしか繋がらないから、相互理解には、まずは知るところからはじめなければならない。

みんなが他の地域や国のことに「興味を持つ」ことが、「姿を知る」きっかけになり、それがやがて、どういう風に関わるとお互いによいのかを考えさせてくれるのではないだろうか。全ての人が互いを気にかけ、助け合うことができれば、それが理想だ。だからこそ、先日の各国の救助隊のすばやい行動には心を打たれた。

おばあちゃんが、こんな風にメヒコやドイツやカナダや南アフリカのことに興味を持って気にかけているなんて知らなかったから、驚いたけどすごくいいことだなと思った。私がそのきっかけになれたのならそれは光栄だし、そういう風にどこかへ足を運んで、そこの現状をその他の人(身近な人から)に伝える人が不可欠だと思った。その数は、きっと多い方がいい。聞くと見るとでは大違いだから。

そんなことを考えさせられた電話だった。

April 12, 2011

カルチャーショック

その国の文化というものは、やっぱり、離れてみると逆に鮮明に感じたりするものだ。日本から見たら、アメリカもたいてい大雑把ないい加減なイメージがあるかもしれない。しかし、メヒコからやってくると、この国はなんてきちんとしているんだろう、と言うことに驚かされることが多々ある。

例えば、バスがバス停でしか止まらないということ。メヒコでは、とりあえず角っこに立って試しに手をあげてみればバスが止まってくれることが多い。だからバス停のサインもあってないような、なくてあるようなものだと思っていた。しかし、この国ではバス停はバス停で、それ以外のところでは止まってはくれないことに驚いた。

バスについてもう一件。上に書いたことと一緒だけど、少し言い方を変えると、バス停で止まってくれるということにも驚いた。メヒコでは、バス停といわれているところに立っていても「乗りたいんやけど!!!」という意思表示のために手を挙げないとバスは止まってくれない。そのために、いかにかっこよくローカルっぽく手を挙げるかさんざん研究したというのに、この国では、バス停のマークの下にぼけ~っと突っ立っているだけで、何の合図もせずにバスが止まってくれるんである。「あ、バス来たのに手を挙げ忘れてる!!!」と思ったときにはもうウインカーを出してバスが減速して止まってくれようとしているのだ。これには驚いた……!!!

バス関連で驚いたのはバス停だけではない。バスターミナルには時刻表があるし、バスが走りまくって同じ路線のバス同士が抜きつ抜かれつのチェイスを繰り広げることもないし、バスのどこに座ってもお尻は空に浮かないし、バスの運転手は制服を着ている。同じ路線同士ですれ違うときもバスを止めてぺちゃくちゃ話したりしないし、いきなり止まってコーラや昼ごはんを買いに行ったりする運転手もいない。ど、どうなってるんだ?!?!もちろん、流しのギター弾きやDVD売りが入ってきて車内でギャーギャーなることもないし、この子はまだ生まれたばっかりでしょう?!というまさに赤ら顔の赤ちゃんをやわらかい毛布にくるんで乗車してくるお母さんもいない。

うーん。バスだけでこれだけの違いである。まだまだ私のカルチャーショックは続く。

April 08, 2011

どたばたと

メヒコ出国までは、ほんま、ばたばたやった。特に、前日、当日はひどかった。しかも、前日はまさかの睡魔に襲われ、それこそ"mañana(まぁ、明日すればええわ)"の精神で思い切って寝てやった。

朝起きてももちろんパッキングが魔法のように済んでいるはずもなく、朝ごはんよりも先にパッキングに取り掛かった。初めて早々に、全然終わりが見えない事実に、呆然。同じ日に出国する友だちに電話して、彼女も途方に暮れているのを確認して、安心。……したところで状況が変わるわけはないのだけれども……。そうこうしているうちに、約束の時間になった。

その約束の時間というのは、スターバックスで働いている仲よくしてもらっていた店員の一人に、日本のお金を見せに行くというものである。シフトを聞いたら、昼過ぎには終わるというので、それまでに向かわなければならない。

パッキング or スタバ?!

もちろん、スタバを選ぶわけで、行くと、「ナンダコノヤロウ~!!」と出迎えてくれた。彼はなぜか変な日本語を少し知っているのである。日本のお札を見せると、

「すげぇ~~!!」

と、目をきらきらさせて見入っていた。コインは見たことあるらしいけど、お札を見るのははじめてだったらしい。かなり長い時間お札をネタに、ああだこうだと話していて、結局1000円札を、100ペソと交換することになった。「今日の晩遅くにもうグアダハラを出発するんや~」と話していると、同じ時間に働いていたほかの二人とも「さみしくなるなぁ~」とか何とか話していて、結局気がつけば1時間半以上もそこでうだうだとしゃべって過ごしてしまっていた。本当に、このスタバにはお世話になった。メヒコのスタバは比較的どこもフレンドリーなんだけれど、ここのスタバはどこの店舗とも違ういい雰囲気で、ほんまにたくさんお世話になった。グアダラハラに帰ったら、絶対に行こう。しかし、それまでにバイトやめんといてや~~~!!!!

さて、スタバのみんなと別れて向かうは、ブリトー屋さん。ここも世話になったから、店のおっちゃんにあいさつをしたかったのだ。昼は近くの医学生でずいぶんとにぎわっているし、パッキングも終わっていないので持ち帰りで買って帰ることにした。おっちゃんは忙しそうにしていたけど、私の顔を見るや否や、

「おまえ、日本の家族は大丈夫だったか??震災のニュースを見て、ずっとそれを聞きたかったんだ」

と言ってくれた。日本のことをみんなとても心配してくれている。とてもありがたい。家に帰ってブリトーをほおばって、もう一度山盛りの荷物と向き合った。時間的には追い込まれることになったはずなのに、不思議とパワーが沸いてパッキングを終わらせられる気がした。

めどがついて、「絶対に入らない」と言うこともわかった。がーん。となりつつ、友だち二人にアメリカから戻るまで与ってもらえることになった。ふう……。ほんまに助かった。これは感謝してもしきれん。ありがとう……!!!!!!

荷物をつめて、片付けて、床をふいて、取り外していたドアを取り付けなおして……、ちゃくちゃくと家が片付いていった。片付くにつれて、達成感もあるのだけれど、もうここには住めないのかー、と思うと無性にさみしくなった。全部が終わった頃、晩ご飯時になっていた。

「タコス、やってるかなぁ……。」

と真っ先に思いついたのはタコス屋さん。友だちと行こうな~、といっていたけど、結局全員パッキングやらいろいろ忙しくて行けていなかったのだ。一人タコスもなぁ、と一瞬思ったけど、いや、これは食べとかなあかんやろ、と思い直して小銭をポケットにジャラジャラ入れて家を出た。

タコス屋につくなり、お兄ちゃんとおばちゃんが、

「あれ、あんた、友だちは??」

と心配してくれる。メヒコの人たちは、顔見知りになったら本当に親しくしてくれる。家族のことを心配してくれたり、友達のことを心配してくれたりする。そう言うことを当たり前のように気にして聞いてくれるときに、「ああ、アミーゴ(友だち)の国だなぁ」と実感する。別に、今回日本で大震災が起こったからではなく、それが当たり前なのだ。みんなが交わす、

「Hola!  Como estas?」や、「Hola!  Que tal?」

というあいさつがそれをすでに語っている。

「こんにちは、元気??」、「こんにちは、調子はどう??」

相手のことをこんなにもドストレートに気づかえるこのメヒコの文化は、素晴らしい。この国に暮らすことによってそれを学ぶことができたのは、本当に、私の大きな宝物だ。

アメリカの日々

3月の末でメヒコでのビザが切れた。それにあわせてアメリカに来ている。気がつけば、もう1週間も経っているではないか。3月のメヒコもばたばたと過ぎて行って、少し落ち着くためにここにやってきたけど、ここでもなんだかんだと日々過ぎていくのが早い。

久しぶりのスポケンは、寒い。メヒコの3月からやってきた私にはなかなかこたえる寒さである。Tシャツでうろつきまくっていたのが、急に、ダウンを着て手袋をはめてポケットに手を突っ込んで街を歩いている。口を突いて出る言葉も「あっつ~」から「さっむ~」である。ダウンなんか来たのは久しぶりで、耳がちぎれそうに寒いと感じたのも久しぶり。ぴりりと寒いのは身が引き締まるというかなんというか。スポケンには、友だちが働いていたり、ホストファミリーが住んでいたりするから、戻ってくると懐かしい気持ちになる。こんなに田舎やったっけ??と思いつつも、良くも悪くも変わらないこの街で、友だちやホストファミリーや昔習っていた先生たちに、暖かく迎えてもらえてありがたい。そして、ついつい皆の好意に甘えてしまい、甘やかされっぱなしである。

というわけで、せっかくアメリカにいるので、アメリカのことも少しかけたらな、と思う。そして、まだ書けてないメヒコのことも。

April 01, 2011

文化の違い

この間、日本に荷物を送ることにした。増えていないと思っていても、着実に2年間で物は増え続けていたようだ。私は、手作りのイスを買って、それは買ったときからどうにかして日本に持ち帰ると心に誓っていた。

ところが、このイスと言うものは送るとなると、本当に厄介な代物である。重さは問題ないのだが、やはり大きさである。大きさがオーバーなので、郵便では送れないらしく、また、メヒコと言う地理も手伝って、日本の会社のサービスが行き届いてないのも残念。アメリカとかイギリスとかのメジャーな国なら個人向けにも国際宅急便のサービスがあるようだが、メヒコにはあっても法人向けのみの場合が多い。

それならば!!と、世界中にサービスを持っているFedex、DHLなどを当たってみたけど、これがいいお値段。しかも、Fedexに関しては、個人のものを日本宛には送れないかもしれないと言われ、日本のFedexに確認を取るようにいわれた。Skypeを使って日本のFedexカスタマーセンターに電話したら、めちゃくちゃ電話の対応が悪く(しかも、愛想もない!!!)久しぶりに電話越しで切れたろかい、と思ってしまったほどだ。メヒコでなら、「なんでぇよ~~、頼むわ~~!!なあ~~~~!!!」とかなんとか粘るというか、ごねるということができる(たとえそれが通らなくても、そうする価値がある)けど、日本の電話ではそういうことを言うことすら許容されないような雰囲気でしゃべってくる。あ~、おもんない。DHLは値段が高かったが、日本のカスタマーサービスの電話は絶品。めちゃくちゃ好感が持てた。

しかし、結局私が選んだのは、UPSである。セントロを歩いているときにUSPの代理店のようなところがあり、そこで話を聞くと、「送れるよ。イス。」とゲイのお兄さんにあっさり言われたのだ。店の壁にも、

「あなたが送りたいどんなものでも、我々は、世界のどこへでも届けます!!!」

という素晴らしいコピーが掲げてあった。ええやん、ええやん、と思い、「日本へはいくらくらいですかね~」と聞くと、震災の影響で日本へのサービスは休止中とのこと。UPSのホームページを見たら、日本へのサービスも再開と書いてあったから、よっしゃ、と思い2度目の来店。

「あのぅ、日本へは……。」

「あー、今日本へは無理だよ。」

「でも、UPSのホームページにサービス再開って書いてあったよ。」

とここまで粘ってようやく、

「調べてみてやるよ。」

の流れになる。調べてもらった結果は、

「送れるよ!!」

で、当たり前や、UPSがHPでそう言うてたわい、と思いながら、値段を聞いてみる。するとDHLと変わらないくらい高かったのだが(やはり、イスは容積がでかくて、宅急便はたいてい容積で値段が決まる)、家まで無料でとりに着てくれるサービスもあるというので、お願いすることにした。

「じゃあ、明日の朝10時に!!!」と約束して、彼らがあらわれたのはもちろん10時45分。その日のうちに来ただけでも上出来だと思わなければならない。てっきり、家で梱包やらをしてくれるのかと思いきや、私も同行でセントロの店舗に行くのだという。それはいいのだけれど、家でしてくれると思っていたし、がむテープもなかったしで、イスの上にさまざまなものを置いてるだけだった。と言うわけでもちろん、車に積み込んで右折左折、あるいはとぺの上を通り過ぎるたびに荷物がほどけだした。最初はおっちゃんが抑えようとしてくれていたのだがすぐにあきらめて、笑っていた。おっちゃんと、運転手のお兄ちゃんと私で、荷物がひっくり返るたびに爆笑の車内である。

あまりにもひどいので、車が道の端へ停車した。荷物を少しくらい直すのかと思いきや、車内でイスを普通に立てて、おっちゃんが座席代わりに座りだしてしまった。

「よし、これで、安定するぜ!!」

といっていた。まぁ、確かに安定はするけど、あんた、それ、お客のイスでっせ。それはおいておいて、このアジア人の私が、なぜメヒコにいるのかはいつもながらとても興味をもってくれる。最初に学生かどうかを聞かれて、学校で働いているというと、日本語を教えてるのか、といわれ、いや、日本人の子どもとか、父ちゃんか母ちゃんが日本人の子どもたちにだ、と言う定番の流れの話になる。そしたら、兄ちゃんの方が、

「Holaはなんていう??」

と聞いてきたので、「こんにちは。」と教え、メヒコの人たちは、「Hola, como estas?」とセットで使うことが多いので、「Como estas?」は「元気??」と教えた。

「コンニチハ、ゲンキ~??」

と車内ではしゃぎまくって、兄ちゃんもおっちゃんも使っていた。そして、兄ちゃんが

「bonitaは、なんていう??」

と聞いてきた。「かわいい」と教えると、「amorは??」「te amoは??」とおっちゃんも続けて質問してきた。こういうのをすぐに聞いてくるのがメヒコっぽいなぁ、と思いながら「愛」「大好き」と教えておいた。

メヒコでは、道でかわいいと思った人がいると、ピロポスといわれる声をかける。「かわいこちゃ~ん」と言ってきたり、口笛を吹かれたり、車からだとクラクションを鳴らして気を引いてきたりする。

「日本では、なんていうの??」

と聞かれてきょとんとしていると、スペイン語が通じなかったのだと思われ、

「だから~、道でかわいい子見付けた時やん!!ほら!!!」

とすかさず道行く女の子にクラクションを鳴らして合図をしていた。

「あ~、その文化、日本にはないで」

というと、おっちゃんと兄ちゃんは顔を見合わせて、

「そんなあほな!!!!!!じゃ、じゃあ、日本の恋人たちはどうやって知り合うんだ?!?!」

と相当ショックを受けていた様子だった。いやー、そんなこと言われても……。いろいろ話した中で、この話が一番食いついて衝撃を受けていたみたいだから、やっぱり、メヒコは情熱の国だなぁ、と思った。

そのあと、「ゲイってなんていう??」といわれたから「おかまちゃん」と教えると、

「こんにちは、元気??おかまちゃ~ん!!」

と元気よく店番をしているゲイの店員にあいさつをしていた。明るい。メヒコです。

March 24, 2011

散歩

今日、めちゃくちゃ楽しい散歩をした。

私の好きなティアンギス(青空市)の一つに、チャプルテペック通りで毎週土曜日に行われるアートティアンギスがある。一部の道路が歩行者天国になったり、ライブステージがあったり、いろいろな手作りアートや古本屋さんの露店が、夕闇の中に立ち並ぶというとてもいい空間なのである。その中で好きな露店の一つに、ウイチョール族のおねえさんがビーズアクセサリーを売っているところがある。

ビザの関係で、メヒコに滞在できる日数が限られているので、ここらでちょいと日本の家族にお土産的なものを買おうかな、と思って先日アートティアンギスに足を運んだ時のこと。ビーズのネックレスやブレスレットはかわいいのだけれど、母親にその話をしたところ「いや~、でもお母さんの歳でそんなんつけてたらあいつあほちゃうか~、ってなるやろう~??」と言っていたので、携帯ストラップとかの方がいいかな、と思い、お姉さんにあるのかどうか聞いてみた。答えは残念ながら「ない」とのこと。しかし、「じゃあ、来週までに作って、今度持って来てあげるわ」という。

すでに何度かその店には通っているので、顔なじみにはなっていたけど、まさかそんなスペシャルオファーが受けられるとは思ってもみなくて、「こういうものを、○個ほしいねんけど~。」と急遽商談のようになって、よくよく話を聞いてみると、お家でも販売をしているらしい。しかも、次週の土曜日は用事があってティアンギスには来れないというので、「水曜日に家に取りに来て」とのことになった。火曜日にセントロに行ったときにたまたま教えてもらった住所の通りを見つけたので、その近くをうろうろ探してみると、あっさりとその家を見つけてしまった。見つけてしまったら、入ってみたくなるのがこれ人情と言うもの。住居のある建物の中で、インディヘナの自然療法の学校があるらしく、そこの生徒さんと思われる人たちが4時からの開門を待っていた。それにまぎれて私も入ってみると、うまい具合にお姉さんと取り次いでもらえた。

「あんた、約束は水曜日よね?!」

といわれたので、

「近くをあるいてたらここを見つけたからあいさつをしに。じゃあ、また明日!!」

と言ってわかれた。そして翌日の今日。のこのことまた同じところにやってきて、また取り次いでもらった。すると、お姉さん(テレ)は、

「実は、まだストラップの金具のところができてなくってね~。」

とのこと。また後日着てくれといわれるのかと思いきや、

「今から一緒に買いに行く??」

と不意に誘われたのでびっくりしたけど、「も、もちろん!!!」と返事して、テレとベビーカーに乗った子ども(三男坊)と一緒に金具を買いに行くことになった。

「いやー、暑くてさ。外に出かける気にならなかったのよ~」

と言いながら、テクテクと歩いていく。テレは、バイリンガルだ。ウイチョール族には、ウイチョール語と言う独自の言語があって、家族内ではウイチョール語を話し、メヒコ人や一般生活で必要なときはスペイン語を使うんだそう。それを自在に使いこなしている。ウイチョール語の文法とかは全然知らないけれど、簡単なあいさつを前にティアンギスで会った時に教えてもらったかぎりでは、発音などは結構スペイン語と違う。そんなバイリンガルの彼女は、とても人懐っこい。そして、寛大だから、私のめちゃくちゃなスペイン語にも嫌な顔をせずに付き合ってくれるし、彼女が話すときはわかりやすく話してくれたりする。

暑い暑いと言いながら、目的地は決まっているらしく、ベビーカーを押しながらずんずんと歩いていく。民族衣装をまとったテレと並んで歩くアジア人。はたから見たら、何の組み合わせや?!と言う感じだろう。歩きながら、いろいろな質問をした。グアダラハラの出身なのかとか、どうしてグアダラハラに住んでいるのかとか、ウイチョールの人たちはみんなビーズや刺繍ができるのかとか、どれくらい作るのに時間がかかるのかとか、それは難しいのかとか。普段聞けない話なので、どんな答えが返ってきても興味深かった。へぇ~、へぇ~!すごい!すごい!!を繰り返しながら歩いていると、目的の店に着いた。

小さな商店である。素材大国メヒコだから、ビーズなんてものはどこにでも売っていると思っていたが、彼女によると、いつもそこのお店で買うんだそう。美しく仕上げるには、ビーズの色や大きさがとても重要なんだそう。だから、そこのお店のビーズを使わないと、いいものができないといっていた。プロだ。さすが6歳の頃から作り続けているというだけある。話を聞いていると、私と同い年なので、もう23年もビーズや刺繍をしているという計算になる。う~む、すごい。幼い頃から、おばあちゃんや家族の人からじきじきに教わるんだそうで、作るときには何もみない。複雑なデザインでも、頭の中にもうデザインが入っているとのことだった。やっぱり、職人はかっこいい。しかし、あんな精巧なデザインのものが頭や体に染み付くとは、ただただ驚くばかりである。技術や伝統がそのようにして脈々と受け継がれて生きた、そしてこれからも受け継がれていくんだな、と考えただけで、ものすごく感動してしまった。だけそ、それを彼らは自然のこととして行っている。そのあまりに自然な振る舞いに触れることができて、めちゃくちゃ得した気分になった。メヒコの民芸は、このような人たちに支えられているのだな。これは本当、尊敬に値する。

買い物が済んで、もう一度家に戻って早速金具を取り付けてくれた。できあがったものを袋に入れてもらって、興奮冷めやらぬまま鼻息も荒くテレの家を後にしたのであった。

テニス

昨日の話の続き。サンファンデディオスを後にして、問屋街に行ったけどこれといったものがなく、せっかくセントロに来たのになんとなく不発だなぁと重いながら、フアレス通りをふらふらと歩いた。フアレス通り沿いには、靴屋さんが多く立ち並ぶ。こちらはお店なので、市場ほどにがんがん売りつけられたりはしない。その安心感も手伝ってぶらぶらと歩いていると、やっぱり気を取り直してスニーカーを買おうかなという気になってきた。

せっかくメヒコにいるので、Hecho en Mexico(メイドインメキシコ)のものを買おうと思った。前から気になっていた、異常に安いPANAMというメーカーのテニスを買うことにした。Tenisとは、スペイン語でスニーカーのことである。PANAMは、他のスニーカーが300ペソとか500ペソあるいはそれ以上する中、なぜか190ペソとかで売られているのである。デザインは、ナイキに若干似ているような気もするが、まぁ、PANAMもここでは立派なメーカーっぽい。そんなPANAMがセールになっている店を発見した。値下げ交渉せずとも、おそらくサンファンで粘るよりも既に安い値段で提供されている。これは、もう、願ったりかなったり。せっかくなので、奇抜なやつをと思い、緑にしてみた。PANAMは、価格帯からも私の中では、なんというかスニーカー界のトイカメラ的な位置づけだったが、実際に買ってみて、まじまじと見てみるとさらにその思いを強くした。

薄っぺらいインソールがめくれかかっていたのでめくってみると、あらわれたのは薄っぺらそうなゴム底。これは、長時間歩いたら、すぐ疲れるやろうなぁ~、と言う感じ。しかししかし、全体的にうすい生地で作られているので、いい感じに足になじむので歩きやすい。

ええやん、ええやん。街歩きの新たなお供として、これから頼むで、テニスパナム!!

March 23, 2011

キィーッ!!

今日は、久々にセントロに行った。あまりに自分のはいている靴が汚いので、ちょっとスニーカーでも見たろかい、とサンファンデディオスにも足を運んだ。

いつも土日などの休日に行くことが多いので、平日のサンファンはなんか、どぎまぎした。買い物客がやはり休日比少ないので、店員が全員だらけているのだ。だらけているのは、まぁ、いつもそうなのだが、それを客がいることで何とかカバーされている感じだけど、客の数が少ないと、店員の態度の悪さと悪ノリが目立つ。

店員は、基本的には私が「ウェイ」と名づけるジャンルの人たちで構成されている。「ウェイ」と言うのは、若者のスラングのようなもので、英語で言うところの"dude"とか"man"と言ったところである。日本語では、特定の言葉が見当たらないが、形容するなら「キヒキヒ」した感じだ。「ちゃんとしゃべれあほ」と言いたくなるようなちゃらけたしゃべり方である。「ウェイ」をつけることにより、ダラダラしていながら、リズムのよい喋りをすることが可能になるらしく、若者(特に男)はよく使っている。そして、これがまた、耳に入ってくるんである。ひどい人は、"Que wey!!"とか言ってる具合だ。ふつうに"Que?(何?)"と聞けばいいものを、ウェイをつけることによってちゃらさ倍増。"ケ・ウェ~イ!!!"て。なんじゃそりゃ。まぁ、そんな「ウェイ」を多用している人たち(10~20代の男子)を私は勝手に「ウェイ」と呼んでいる。

店員はそんな「ウェイ」なやつらだから、基本的に悪ノってくる。容易に足を止めると、なんちゃらかんちゃら言ってくるので、基本的に歩きながら品定め、と言うか、どの店で購入の交渉をするかの店定めをすることになる。歩いていると、かわいいスニーカーがあったので立ち止まっていると、割に対応のいい店員でほっとした。しかし、何人かよるとたちまち「ウェイ」たちの悪ノリが始まるわけで、本当にいらついた。向かいの店のウェイが空手をしていたらしく、日本語で数字を言ってきたから、「すごいですね~」と言ったら話が弾んできたので、ここはいい地帯だ、と思って安心していた。

しかし、値段交渉のときになって、財布の中身では足りない金額を言われたので、

「あー、ほしいのは山々なんだけど、お金がないんだよねぇ。」

というと、

「か、か、金がないーーー!!!!ひゃ~っひゃっひゃっひゃ。」

となぜか大爆笑され、そこから二人の悪ノリの暴走が始まった。「てめぇ、金あるだろ。日本人だろ」みたいなことをおそらく言われ、「いや、そんなん言われても」と思いながら、「いやー、買うつもりなく見てて、いいなぁ、と思ったからいくらか聞いてみただけです。」と言ってももう手遅れ。

「金ねーのに、かいもんに来たって?!ぶーーーひゃひゃひゃ!!」

と、この辺までは完全に馬鹿にされている内容がわかったし、あほの悪ノリだと思うことで勝手に言わせて置こう、と言う気持ちでいられた。しかし、である。

「ツナミで、金も流されんじゃねぇの?!ブヒーーー!!」

みたいなことも多分言われていた。これは、私の語学力が足りてないので、絶対にそういわれたという確信はないが、悪口を言われているときなんて、大体その感じでわかるってもんだ。いくつか知っている単語「テレモト(地震)」や「ツナミ」が聞こえてきたから、きっと私が日本人なのにお金を持っていないこと、さらに私があまり話を理解していないのをいいことに、それをネタにして笑っていたんだろう。

久しぶりに、めっちゃくちゃ腹が立った。その店員にも腹が立ったし、理解できない自分にも腹が立った。ああ、心無い人がいるもんだ。このコラソン(ハート)の国、メヒコにも。もちろん、その店でスニーカーは買わなかった。誰が買うか、ウェ~イ!!!!!!

March 21, 2011

買い食い

最近、おなかが空いてしようがない。

やっぱり、コーヒーを飲まないと1日がぱっとしないな、というわけで、コーヒーを飲みにふらふらあるいていたら、教会の前でエンパナーダス(お菓子のほう)が売っていた。一回素通りしたけど、やはり気になるので2個買った。去年も確かこの時期に教会の前に売りに来ていたような。エンパナーダスは、パイ生地の中に具が入っているという三角のお菓子なんだけれど、この国は基本的にパイ系のものははずれがないから、今日買ったエンパナーダスももちろん美味。いちごのジャムが入っているものと、クリームが入っているものを買ったけど、2つともペロり。あんな砂糖まみれのものを。

そして、帰りにがけに、いつも世話になっている学校の事務のおっちゃんにありがとうカードと一緒にプレゼントを何か、と思い、近所の好きなアイスクリーム(と言うかシャーベットみたいな感じ)屋さんでいちごのニエベを買った。店のお姉ちゃんと話していると、「みかん味、めちゃくちゃうまいわよ!」といって試食させてくれたののが本当にうまいのなんの。というわけで、またもや買い食い。あんな甘いものを。

ああー。おいしいものが溢れているとはなんて幸せなことなんやろう。そして、いろいろなんだかんだつまんでいるくせに、性懲りもなくまたおなかが空く。昨日見たあのでかい月のせいということにしておこう。

区切り

久しぶりのブログ更新。3月は本当に忙しかった。学校も学期末・年度末というわけでばたばたし、卒業式の3日前にいきなり予定していた会場は工事で取り壊しになるから使えないだのなんだの予想外の問題が起こりまくりだったので、本当、無事に卒業式をおこなうことができてよかった。

卒業式は無事に行えてよかったけれど、日本では11日に大震災が発生。1週間経った今でも被害の全体がまだ把握しきれないというものすごい被害で、とてもじゃないけど、卒業式が済んだからといってすぐに「いえーい」という気持ちにはなれず。インターネットのおかげで、情報はできる限り集めようとインターネットの前にそれこそかじりつく日々で、映し出される映像のすさまじさにただただ唖然とするばかり。遠くメヒコからは何もできないんか、と無力感さえただよった。NHKのニュースを見ていると、地震発生数日後、各国から救助隊が到着というニュースがされていて、その中に「メキシコ」からも人々が救助に向かったと聞いて、なんだか無性にうれしくなった。頼むで、メヒコの救助隊の人たち!!

卒業式が終わってからも、学校へ残務処理をするために足を運んでいた。ぼちぼち片付けたり、生理整頓したり、不要なものは捨てたり、その合間に補習の子どもが着たり、本を借りに来たり、なんだり。あっという間に一週間がすぎて、ようやくそれも終わって、特に学校へ足を運ぶ必要は、来週以降はなさそうな感じ。今年は上司に恵まれず、ほんまに頼むから早く終わって自由になりたいと強く思っていたけど、終わってみて、もう学校に来る必要がないというところまでくると、やはりさみしい。そして、やっぱり子どもらがおらへん学校は静かでさみしい。そうじや生理整頓をしながら、大変やったけど、あの学校のことが好きやし、子ども等の成長をもっと見たいなあと言う気持ちもたくさんあることに気がつく。でも卒業式から一週間経って、片付けも終わって、ちょっと肩の荷が下りた心地がようやくしてきた。そう言う意味では、達成感をやっと味わい始めているのかもしれない。

人生は出会いと別れと言うことはわかっているけど、何かを終わらせて、何かを始めるというのはものすごくパワーがいる。でも自分が決めてやってきた道なので、それはまぁ、愚痴るのは筋違いであって、しゃあないというかなんというかまぁ、そういうもんやな。にいつまでもふらふらとしている自分をいつも見守ってくれている家族に本当に感謝。2年間一緒にがんばってきた同僚でもあり友だちでもある二人に感謝。ぶっ飛んだアイディアでいつもわらかしてくれる子どもらに感謝。気遣ってくれた保護者に感謝。こんな遠いところまではるばる遊びに来てくれた友だちに感謝。このブログをみて、あいつは元気にがんばっているんだなと見守ってくれていた友だち、とにかく、あらゆる人に支えられて毎日なんだかやってこれているんだなぁ。

ほんとうに、いつもありがとうございます、みんな。

February 19, 2011

メヒコ人ぽさ

先日出かけたときに立て続けに「メヒコ人らしい」人に出会った。メヒコに来る前の「メヒコ人らしい」人のイメージと言うのは、「ひげをたくわえて、帽子をかぶって、ポンチョでも着ているような」という典型的なあれなのだが、メヒコに暮らすうちに私が感じる「メヒコ人らしい」人のイメージもずいぶんと変わってきた。もちろん、ひげをたくわえて帽子をかぶった人はたくさんいるし、彼らはメヒコ人らしい。しかし、あくまで視覚的な「メヒコ人らしさ」である。

まず、Factura(領収書)を取りにプラサに行った。その2日前に買い物をして、「領収書をください」というと、最初は「できない」といわれていたのだが(この時点で既に、メヒコらしい)、ファクトゥーラを出してもらうときに必要なカードを見せると、「あ~、今日はできないけど、明日できるから、できたら電話するわ~」と言われたので、電話番号を教えて帰った。しかし、翌日になっても電話が来ないので、さらに次の日に直接店に出向いて状況を確認することにしたのだ。店に行くと、初めに買い物したときとは違うおばちゃんがいて、

「あのう~、ファクトゥーラを……」

というと、

「ああ!!!!あんたがファクトゥーラほしい子ね!!」

と話は通っている模様。そして、おもむろにおばちゃんが出してきたのは、白紙のファクトゥーラ!!!そう、まだ書いていないのである。私が来てから書き始めて、5分くらいで書いてくれた。5分で作れるくせに、なんで今まで放置してたんや……。というか、おそらく、直接電話で確かめるなり店に出向くなりしなかった場合は、なかったことにされていたかもしれない。やはり、口約束だけではだめだ。出来上がっておばちゃんにお礼を言いながら、アエロメヒコがこのプラサにあるのかどうかたずねた。あるとのことなので、指差された方向に歩いていくと、無い。

なかったので、その辺にいた違う店の店員に聞くと、

「ああ、アエロメヒコね。あるわよ。同じフロアの少し向こうに行ったところに、アエロメヒコあるから。エレベータ下ったところには、メヒカーナがあるわよ。」

とのことだった。「同じフロアの少しいったところ」と言うのは、私がさっき歩いてきた方向で、少し前に倒産した「メヒカーナ」の看板がかかった空のオフィスがあった。それを覚えていたので、

「そっちって、メヒカーナでしょ??」

と確認すると、

「違うわよ~。それ、アエロメヒコよ~。まぁ、下のほう確認したければ行ったらいいけどさ、あんた、そっちはメヒカーナよ」

とものすごい自信の返答。「ありがとう!!」とにこやかにお礼を言って向かうは、下のほう。……ほら、こっちアエロメヒコやんか!!まったく、あの自信はどこからくるんだか。

アエロメヒコのオフィスに入ったら入ったで、

「A sus ordenes?(御用は何でしょうか??)」

と聞いてくれたので、

「あのですね~、マイレージの件で質問があるんですけどね~。」

と用件を切り出した。切り出したが「マイレージの件」とわかった途端、

「あ、マイレージの件ね!それね、ここのオフィスじゃ無理だから、ここの電話にかけなさい。」

と電話番号を書いた紙を渡された。以前、違うアエロメヒコのオフィスで、会員番号を行ったらどれだけマイレージがたまっているだとか、特典旅行でどこそこへいけるとか、そう言う情報を教えてもらったことがあるので、「絶対にできる」はずなのに……。「ここでそれ言われても、調べられないし、わからないのよ。電話しなさい、電話。」と電話をごり押ししてくる。う~~~~ん……。面倒な仕事は、見事に振り分ける。そして、「ここじゃない」の一点張り。メヒコっぽいなぁ。さらにメヒコっぽさを体感するために、食い下がって「いやいや、前違うところで調べてもらうことできたよ。」とかナントカ言えば、さっきは「できねぇ」といっていたのが「じゃあ、番号言ってみなさい」みたいなことになって、調べてもらえる、ええ!!ほんなら、何でさっきできひんとか嘘ついたね~ん、という展開になることも予想された。しかし、そこまで粘るのが面倒なのと時間がないのでやめにして、「ありがとう!!」とにこやかにお礼を言って、オフィスを後にした。

それから、スーパーに買い物に行った。オススメ商品をなんたらかんたら、とすすめられたけどいらないので「No gracias」と言うと、

「ああ、意味がわからなかったのね」

と言われた。ちょっと悔しかったので、

「わかったけど、その商品はいらない」

と言うと、

「なんだ、スペイン語ちょっとはわかるんじゃない!どこ出身??」

と、初めて会う人と交わす会話パターンに突入した。そして、「日本だ」とかナントカ答えていると、「すげぇ~!!」と日本を褒められて、「あ、どうもどうも」と謙遜。「メヒコは好きなの??」「はい、めちゃくちゃ好きですよ」「ほんとうに!!」「はい。めちゃくちゃオモロイ国です。人は優しいし。」「じゃあ、メヒコの男の人についてどう思う??」「ええと、まあまあです。」「まあまあってあんた!!!それはどういうことよ」「う~ん、なんちゅうか、あの、ジェルがですねぇ、私は好きではないのですよ。」「(爆笑)!!!わかる!!!私も実を言うと、あのジェル頭嫌いなのよ!!」「ですよねぇ。あれ、つけすぎですよねぇ??」「そうよう。つけすぎなのよ!!日本にはジェル無いの??」「つけてる人は、ほとんどいないですね~」「私はジェルじゃなくて、ワックス使ってる人が好きよ」「あ、ワックスの方がいいですよね~」「そうよね~!!」「じゃあ」。

おしゃべり好きだなぁ。メヒコ人。

ところで、伝わっただろうか。私が今感じる「メヒコ人らしい」というポイント。

February 18, 2011

Torito

Toritoで合ってたっけな、名前。うろ覚え。とりあえず、↑の写真の食べ物のことである。

先日セントロのサンファンデディオスという大きな市場に行った。友だちが、マンドリンを買いたいと言うのでのこのこついていったのである。おなかが空いたから、昼ご飯もついでに食べようということになり、前々から気になっていたこの食べ物を頼んでみた。

ブリトーのようなもので、小麦粉(アリーナ)のトルティージャの中に肉がもりもり、野菜が少々(シラントロのような葉の野菜)詰め込まれてある。その上から、辛いサルサがかかっていて、チーズを乗せてオーブンで焼いたという、メヒコらしい炭水化物まみれの一品である。この説明で想像がつくと思うけど、これ、めっちゃくちゃおいしい!!!!!サルサがぴりりと辛いけど、チーズがそれを緩和してくれると言う絶妙のコンビネーション。かなり重い料理だったど、パクパクとあっという間に完食してしまった。

しかしまぁ、一番驚いたのがテーブルに持ってこられたときだった。なんとナイフとフォークをぶすっと本体に突き刺して出てくるんである。これ、日本で言うところの仏箸と言うやつじゃあ……。まぁ、細かいことは考えずに……。

パンの中から

この間、パン(パウンドケーキみたいな)を食べていた。中から石が出てきた。結構な大きさで、びっくりした。どのタイミングで混入したのか。なぜ、あらゆる生産過程で取りのぞかれなかったのか。謎である。

石について、パンから出てくることはさすがに珍しいと思うが、フリホーレス(豆)などにはよく混じっているらしい。そういえば、お米も、殻がついたままのがよく混じっていたりする。だから何ってことはないけど。

February 08, 2011

上下

旅日記、ようやく終わった。ふううう。旅が終わってもう1ヶ月も経つではないか。でもまぁ、旅日記を書いていると、いつも旅を何度もしているような気持ちになっておもしろい。それを、なんとか早急に終わらせたかったのは、書きたいことがあったからである。

この間、家賃、インターネット料金の支払いのため出かけていたときのことである。いつもあほほど込んでいる銀行が、その日はガラガラ。

やった、ラッキー!!!!

と思いながら、おばさんの後ろに並んだ。そこは、本来列を作るところではなかったが、おばはんが待っているのだし、このおばはん以外に待っている人がいないのだから、むしろ正規のところに並ぶと返って変なことになりかねない。まもなくおばはんが呼ばれた。すると、一人のおっさんが正規のところに並んで、あろうことか、おっさんの方が先に呼ばれてしまったのである。私のほうが先に並んでいたのは明らかなのに、おっさんの方が先になるとは何事か。

ウギーーーー!!!!

そんなしょうも無いことでイライラしつつ銀行を後にし、インターネットの支払い。これは、驚くほどにスムーズ。カードで支払い。過去の失敗を生かしてちゃんと金額もチェック。気分がよくなってきて、パンでもこうて帰ったろ、てなもんでパン屋に入店。いやらしくもでかいのを奥から取ろうとしたらパンがトングからするりと落ちて、床に落ちてしまった。しかも、パイ系のパンだったので、上から勢いよく落ちたパンは、きれいに放射状に床にぶちまけられたのだ。

「す、すいません……。」

平謝りで、もちろん会計時にはそのだめにしたパンの代金も課金された。

ズーーーン。

当たり前なのだが、テンションが急落。とぼとぼと歩いていると、以前お世話になった数件先の靴屋のただのおしゃれな人なのか、ゲイなのか、いまだにちょっとわからないけど、めちゃくちゃかわいいお兄さんと目が合い、「Hola!!」と笑顔であいさつされた。

パァアアアア。

なんちゅうか、今日、結局ええ日なんやん??そんな気分になった。

……書きたかったことは、これである。「は?!これ?!何で?!」と思われるかもしれない。一応解説しておく。これ程までに気持ちが上がったり下がったり、しかもそれを客観的に自分で感じられるなんて、おもしろすぎた、それが言いたいのである。……こんなことを考えてばかりいるので、あいつは頭がおかしいと思われるのだろう。

Day7(Last Day): Cancún

連日早起き。気がつけば、私はグアダラハラに帰る日である。メリダからカンクンの空港まではADOの直通のバスがあるようだったので、それで行こうと思っていたけど、それよりもカンクンのバスターミナルを経由して行った方が安いみたいだから、そのルートをとって帰ることにした。そうすれば、まさみとあけみちゃんともう半日一緒にあそぶことができるし、ええこと尽くめである。さっさとバスに乗り込んで、前日買ったパンをさっさと食べて、さっさと寝た。

カンクンのバスターミナルを下りると、早速ちゃらけた感じである。さすがリゾート。さすが観光地。そんな浮ついた雰囲気を縫うように外に出て、まずはまさみたちの宿へチェックインしに行くことにした。受付の兄さんも、もちろん英語ばっちりである。こういうところに「カンクン、ババーン」という威圧感と言うか、圧倒的な観光地魂を感じてしまう。

せっかくなので海を見に行ってみようと言うことになり、宿の人にオススメの場所を聞いた。ホテル街の、ヒルトンホテルの隣のビーチがいいと言うので早速向かった。しかし、降りる場所を間違えて、どうやら兄さんが言っていたビーチとは違うようである。しかし、海を目の前にすると、ちょっとくらい浸かってみたくなると言うのがこれ人情。滞在時間5分で、宿にとんぼ返り。海に入れる格好で再びくることにした。


帰ったついでに私はもうバックパックごと出掛けることにした。腹ごしらえに、とチャイニーズのテイクアウトをしてビーチへ。テイクアウトのチャイニーズは、安くてうはうはだったけど、味はなんだかやっつけ仕事で残念だった。まぁ、そんなもんか。海の水は、プラヤデルカルメンよりは温かい感じ。最初は冷たくて方まで浸かることが出来なかったけど、慣れてくると、浜に近いところは温泉の如きの暖かさ(のように感じた)。プラヤデルカルメンよりも、塩分が濃いのか、海から上がった後にべたべたするのが気になったけど、やっぱり、海はいいなぁ。

セントロに戻って、スーパーに行って、まさみとあけみちゃんはお土産を探し。もう大晦日だと言うのに店のBGMはジングルベルだし、店の惣菜コーナーは七面鳥の丸焼きだらけである。翌日が新年だとは信じられない光景だ。

そんなこんなしているうちに、あっという間にバスの時間になってしまった。ターミナルで、だらだらとしゃべり、そっちに夢中でにアナウンスが聞こえずに、あわや乗り遅れそうになるのは想定内で、人ごみをかき分けて空港行きのバスに乗ったら、がらがらで拍子抜け。まさみとあけみちゃんに見送られて一足先にカンクンを出た。ほんとう、あっという間の旅だった。

グアダラハラに着くと、普段からお世話になっているAさんが迎えにきてくれていた。

「おかえり」

と言ってもらって、めっちゃうれしかった。やっぱり、誰かに「おかえり」といわれたり迎えてもらうと心がほっこりする。迎えに来てもらっただけでもかなりありがたいのに、ブリトーを食べに連れて行ってもらった。Cali-Mex(カリフォルニア風メキシコ料理)のご飯とかいろいろ入った具沢山のごっついブリトーも好きだけど、メヒコ風のブリトーもこれまた絶品。小麦粉のトルティージャの中に煮込まれた具をくるりと巻いて、その上からレイによってサルサやらリモンなどをかけて食べるのだ。鶏肉とレングア(舌)を頼んだけど、これう、う、う、うまい!!!!!

ブリトーをご馳走になって、メヒコの肥満問題について話しながら送ってもらっていると、どこかから花火が上がった。時計をふと見てみると12時半。日が変わって、と言うか、この日の場合、年が変わってもう30分も経っていた。知らん間に年明け。は、は、は。

それにしても、いい一週間だった。まさみやあけみちゃんに会って、そして行ったことのないところに行って、いろいろなものを見て、食べて。こんな風に一年の終わりを過ごせたとは、なんと贅沢な。そして、旅の終わりにはやはり「ありがとう」という気持ちでいっぱいになる。

February 07, 2011

Day6: Chichén Itzá

朝6時半。バスが出発。早起き、がんばりましたよ。トゥルム遺跡に行ったときに、小さな遺跡だったけどみるのにかなり時間をかけたから、それよりも大きな遺跡だから、もっと時間が要るだろうと踏んだのだ。チチェンイツァについてもまだ8時半。入場券売り場に少し列が出来ていて、その日の一番乗りの客の中にまぎれた。


中に入るとまだ人もまばらで、広々とした芝生の上に、写真やほんでみていたあのピラミッドがズーンとそびえ立っていた。朝日を浴びて、その堂々たる雰囲気はめちゃくちゃかっこいい。そして、階段が想像していたよりも急だったのに驚いた。何年か前までは、その階段にも上れていたようだが、今はもう上れないようにされていた。残念……。でも、あの急なのを目の前にしたら、転落事故とかあるんだろうなぁ、と容易に想像できる。

遺跡内は、旧チチェンイツァと言うエリアと、新チチェンイツァというエリアに分かれているらしく、まずは旧のほうから見てまわることにした。何か、人が住んでいたと思われる(あるいは、当時の人々の家の再現レプリカ)家があって、中に入れた。中には祭壇があって、壁は土壁で、屋根はわらぶきだった。ユカタン旅に向けて読んだ「マヤ人の精神世界への旅/宮西照夫」という本に出てきた密林の中の家のことを思い出した。現在のチチェンイツァの敷地内は、密林と呼ぶには程遠いけど、この文明の最盛期には木が生い茂っていて、こういう家々が、ぽつんぽつんとあったのかなぁ、といろいろと想像して、ああでもない、こうでもないとまさみとあけみちゃんと時間の旅を楽しんだ。

旧チチェンのほうで、ひときわすごかったのがCaracol(カラコル)と呼ばれる天文台。マヤ文明は天文の知識がものすごく発達していたらしいが、その天文台は本当に見事だった。現在のものと比べても変わらないくらいだ。ドーム状になったところもかなり大きくて、「地球の歩き方」情報によると、いろいろなものを観測するために窓が開けられているけど、その方角がめちゃくちゃ正確なんだとか。昔にも今にも、頭のいい人と言うのはいるもんやなぁ、とあほのあたしはほんまにただただ感心するばかり。

新の方を見るために、またピラミッドのある真ん中の広場に戻ってきたけど、そのころには沿道にお土産やがびっしりと並んでいた。観光客もずいぶんと増えていた。大観光地で、日本人の観光客も多いらしく、客引きには「10ペソ~」とか、「ビンボウプライス~!!」など、日本語も飛び交っている。一体、誰が教えたんだか。

昼を過ぎると、人も増えるし、気温も上がるし、早起きもたたって結構疲れてきた。でも、人の増え方はものすごかったので、やっぱり早くきてよかったと思った。木陰に腰を下ろして持ってきたパンを食べたり、水分を補給して、しばし休憩。

新チチェンのほうには、いけにえをささげるための台とか、ナントカと言う競技場があった。広い競技場の周りは壁で囲まれていて、結構高い位置に丸い穴みたいなのがあって、それをゴールとして競技が行われていたらしい。ハリーポッターの中に出てくるナントカという競技みたいだな、と思った。ハリーたちは魔法が使えるからほうきで空を飛んでいるけど、マヤ人たちは手を使わずに、足と腰でボールをパスしたりしていたらしい。かなり難易度の高い球技だったと思われる。しかも、勝ってもそのチームのキャプテンは生贄にならないといけないらしい。当時の感覚でいうと、それが名誉なことだったんだろうけど、ゲームに勝ったのに生贄て……。罰ゲームですやん。

聖なるセノテと言うところにも行った。セノテと言うのは、「干ばつや疫病が流行すると、生贄や財宝を投げ入れた泉」のことである。楽しみにしていたものの、いざついてみるともう一つ。水位も低いし、別に水の色もきれいと言うほどでもないし。それよりも目玉が飛び出そうになったのはセノテの近くにある売店のアイスの値段。ありえへんくらいにええ値段。暑いのもあって疲れたから、セノテの見下ろしながら、少しうつぶせになったが最後、いつの間にかそのまま眠ってしまっていた。まさみに起こされて、辺りを見ると「何でこいつ、こんなとこで寝てんねん」と不審げにこちらを見る観光客がいっぱいいた。ほっといてくれい。

夕方までがっつり見るという計算できたけど、2時くらいで終了してしまった。あわよくば、バスの時間を変更しようと思ったけど、あいにく早い時間のバスはもう予約でいっぱい。仕方がないので、バスの時間まで時間をつぶすことに。レストランでポストカードを書いたりしていたけど、おなかが空いたので、ピザを食べた。なんで、チチェンイツァでピザやねん、と言う気もしたけど、これがなかなかおいしくて、ばくばく食べてしまった。そんなこんなで時間をつぶしていると、定刻どおりメリダ行きのバスがやってきた。

晩ご飯にはタコスを探すことにした。そういえば、メリダではあまりタコス屋を見かけない。ホテルの兄ちゃんに聞いてタコス屋を探していると、パン屋を見つけたので、パンを買った。大きなパン屋で、種類も豊富。しかも安いと言うありがたいパン屋で、地元の人たちもひっきりなしにやってきていた。

パン屋に誘惑されたりしながら、なんとか小さな市場を発見。そこでタコスを食べることにしたけど、鶏肉の店しかなかった。グアダラハラや他の地域で見かけるような牛肉や豚肉のタコスは見当たらない。メリダの人は、あんまり牛や豚を食べないのだろうか?!謎。とりあえず、タコスがあるかおばちゃんに聞いたら「ある」とのことだったので早速頼んだ。すると、おばちゃんがおもむろに素手で鶏肉をむしりとり、それを細かく割いてトルティージャの上に乗せた。さらに、トマトとかも乗せてくれた。鶏肉と思っていたが口に運ぶと淡白だったので、あれは多分、七面鳥だな。淡白な味だから、こんな風にいろいろなトッピングをするのかな、と思った。

タコス2個ではおなかが膨れなかったから、エンパナーダスというのを頼んでみた。トルティージャを二つ折りにしてなかに七面鳥を入れて、それをさっとあげてくれる。それにチーズやら、Crema(クリーム)をつけて食べる。エンパナーダスに舌鼓を打っていると、まさみはKIBIとかいうハンバーグみたいなものを頼んでそれに苦戦していた。ものすごい硬いらしい。注文したことを若干後悔しつつ、目の前においてあったおんだから気になって仕方なくて、頼まずにはいられなかったらしい。グアダラハラでは見かけたことが無い食べ物だった。

キビは残念な結果に終わったけど、とりあえず、タコスが食べられてよかったよかった。

February 05, 2011

Day5: Merida 街歩き

メリダ2日目は、メリダ街歩きをすることにした。移動地獄をへてメヒコについたばかりのまさみが体力的にいきなり遠出するのはしんどいやろうし、この雑雑とした街を歩かないのはもったいなすぎる。遺跡は、トゥルム遺跡の例から、おそらく観光地化されまくっていることが予想されたし、プラヤデルカルメンもDEEPメヒコとは程遠かったので、あけみちゃんやまさみに"私が感じているメヒコ"を知ってもらうにはこのメリダ街歩き以外に方法はない!!と思った。

ぶらぶら歩いて、まずは朝ごはん。なにやら老舗っぽい喫茶店に入ってゆっくりと食べた。フリホーレスが、やっぱり黒かった。ユカタンでは、フリホーレスはどこで食べても黒いなぁ。ここも、居座ってしゃべり続けていれば、コーヒーをどんどん持ってこられるので、うれしい反面、それで一日が過ぎていくのももったいないので、切りのいいところで出た。

まずは、州庁舎。2階はギャラリーのようになっていて、大きなキャンバスにユカタンの歴史がでかでかと描かれていた。ユカタン半島は、マヤ文明などの文明が栄えていた反面、スペインの侵略を受けたという歴史も持つ。その様子を伝える絵が多いのが特徴的だった。また、絵の解説のところには、スペイン語と英語に加えてマヤ語(アルファベットでその音を表したもの。)でも書かれてあったから驚いた。

それから、街をふらふらと歩いているうちに、リボンやレースを売るエリアに出た。専門店が立ち並びだすと、まさにDEEPメヒコ。あけみちゃんは、洋裁をするので、そのレースの種類、そして値段の安さにびっくりしていた。そして、2軒ほど見て回って、いろいろ使えそうなものを買っていた。さすが、素材王国メヒコ。その素材に群がる人々。それにしても、この街も人が多くて活気に溢れていて、元気だ。

歩いていると、市場に出た。ここはパストールが有名なのか、パストールの仕込をしているのがよく目に付いた。市場の2、3階は休みの店が多かった。1階の肉コーナーを見ていると、「うおおお~~う」と盛り上がっている声がした。何ごとかと思って近づいてみると、おっちゃんがキーボードを弾きながら歌っていた。そして、それに合わせておばちゃんと、頭に鳥を乗せたおっちゃんが踊っていた。それを見てみんな盛り上がっていたらしい。野菜・果物ゾーンに行くと、目に付くのは「ハバネロ」。グアダラハラの市場ではこんなにハバネロが大々的に売られているのを見ない気がする。こっちの方ではよく食べるのだろうか、などと思いながら、みかんを買った。ハバネロは、買っても使い道がわからへんからな。

さて、昼ごはん。Fonda(軽食堂)ゾーンを歩くと、ものすごい勢いで客引きにあう。それを見てまさみは、

「ほんま、ベトナムとよう似てるわー。」

と言っていた。それは、ついた日からしきりに言っている事だった。私は、過去にまさみとベトナムを一緒に旅したことがあるのだけれど、その時のイメージと、このメヒコがかぶるんだそう。例えば、屋台が多いところとか、そこに並ぶプラスティックのイスとか。あと、色の溢れた感じとか。

結局、Mariscos(シーフード)を食べることにした。まさみはスープ、あけみちゃんはセビーチェ、私はカクテルとタコスにした。飲み物を聞かれて「いらない」というと、

「じゃあ、これをプレゼントしてあげるから、飲んでみな!!」

とおもむろに飲み物を作り始めた。その飲み物と言うのが、貝の入っているポットから、それが浸かっている液体をすくって、ケチャップか何かを入れて味を付けたものだった。コップに並々と注がれて、

「うおお、まじでか!!」

と3人でびびりながら、恐る恐る飲んでみたら、味は思ったほど悪くない。しかし、作る過程を見ていたから、どうも飲む気がわいてこず……。そんな行為をむげにしてしまったのに、帰りぎわに

「ちょっと待って。」

といわれて呼び止められたから待っていると、Tシャツをプレゼントしてくれた。しかも、店のスタッフTシャツ、非売品。店のおっちゃんと同じサイズだから、まさかのXL!!めちゃくちゃでかいけど、すごくしっかりした生地のTシャツで、店のロゴも入っていてめちゃくちゃかっこいい。3人で早速着て、おっちゃんと記念撮影をした。

再び、セントロセントロに戻ってみることにした。途中、お菓子の問屋街があってものすごい数のじいさんのピニャータがあった。あのじいさんのピニャータ、2010年とか何とか書いてあったから、何か意味のあるじいさんに違いないけど、なんだったんだろうか……。数が異常でびっくりした。

晩ご飯は、特におなかが空いていなかったので、昨日ソカロの屋台で見つけて気になっていたクレープみたいなお菓子を食べることに。それなのに、いざソカロに行ってみると、昨日あんなにいた屋台が1台も出ていない。ぴぎゃーとパニックになって、その屋台を捜し求めて、昼間の問屋街辺りまで足を延ばした。すると1台、屋台を出している兄ちゃんを見つけた。Queso y Nutela(チーズとヌテラチョコレート)という、え、合うの、その組み合わせ??と思ったけど、これがなかなかおいしかった。クレープっぽい作り方だったから、もっと生地がしっとりしているのかと思いきや、両面しっかり焼かれているので、ぱりぱりとした食感で、それはそれでおいしかった。

余談だが、まさみは2日目にしてメヒコのおっさんがかぶっているソンブレロに手を出した。遺跡に行くのに、これがないとはじまらへん、と思ったらしい。昼間のリボン屋さんで、メヒコカラーのリボンをちゃっかりと買っていたので、無地のソンブレロにそのリボンを巻きつけて、明日は、いざ、チチェンイツァへ!!

February 04, 2011

Day4: Merida

夜もまだ明けないうちから、「コケコッコーーー!!!」と始まった。それに反応して隣の部屋の赤ちゃんが「ビエーーーーー!!!!」と泣き出す始末。時計を見たら、まだ4時半。にぎやかなこと。しかし、起こされたからと言ってこんな時間に起きるわけもなく、無理やり二度寝。

この日は、プラヤデルカルメンから内陸に4時間ほどバスで行ったところにあるユカタン州の州都「Merida(メリダ)」に行くことになっていたので、カリブの海を見納めておこうと、朝ごはんは海辺でパンをもしゃもしゃと食べた。もっとゆっくり眺めたい気もしたが、曇りがちで風が冷たい。というわけで、早々に引き上げて、コーヒーをなみなみとついでくれる喫茶店へ。減ったらすぐにおかわりを注ぎに来てくれるし、なんていい店なんだ。しかも、店内は、ぬくい。

あけみちゃんとダラダラとしゃべりながらバスまでの時間をつぶしていると、謎の番号からの着信。

「もしもし~??」

と出ると、まさみだった。私をカンクンに誘致した張本人である。カンクンの空港に無事に着いたことを知らせてくれる電話だった。まさみのメヒコ滞在日数も限られていると言うことで、時間を有効に使うためにまさみにはもう一仕事がんばってもらわなければならなかった。それは、いきなりメヒコについて、スペイン語もろくすっぽわからないけど、何とか「メリダ」まででてきてもらうこと。とりあえず、ADOというバス会社のカウンタを見つけて「メリダ!!!」と言うのを連呼すればいいから、というアドバイスをして、メリダで会うことになった。

そうこうしているうちに、プラヤデルカルメンを出発する時間に。バスは相変わらず寒すぎる。バスに乗っている間にもう一度まさみから連絡が入り、彼女がメリダに到着する大体の時間がわかった。私たちよりも少し遅くに着くようなので、先に宿を探しておくと言うめども立った。やっぱり、こういうときに携帯電話って便利やなぁ、と感じる。私がメヒコで使っている携帯の機能はしょぼいから、普段の生活の中では、特に必要性を感じなくなっていたのでなんか新鮮。というか、本来携帯電話ってそういう緊急時にあったら便利なんやろう、という発想で開発されたんだろうな。それが、今や日常必需品みたいになってるからえらいもんやな。

高速を外れてメリダの市内に入ると、プラヤデルカルメンにはなかった「私が思うところのメヒコぽい」町並みに変わった。雑雑とした、埃っぽい感じの。それにうきうきしていたのも束の間、バスは右折左折を繰り返す。ええかんげんにしてくれ、と言うくらいにくねくね走行を続けて、あかん、もう、酔うた、ウエエエエエとなる直前にターミナルに到着。

ターミナルを出てから早速宿探し。日も暮れてきていたので、とりあえず目に入る「HOTEL」的な看板を下げているところには全て当たってみることにした。バスターミナルの近くで2軒ほど部屋を見せてもらったけど、なんと言うか、陰気で窓がなくてかび臭い感じがしたので却下。しかも回りも何もないので、やはりセントロセントロの方へ出てみることにした。ソカロに出ると、人がたくさんいてにぎわっていた。地球の歩き方だよりで、まず1軒当たってみたけど、ドミトリーなのに満杯とのこと。他のホステルを紹介してもらって目指すことにしたけど、そこも空いている保証はないので、「HOTEL」の看板に総当りの作戦は続けることにした。何件か断られたけど(あるいは、こちらの予算オーバー)、まだ中心部に近いところにこざっぱりとしたところがあった。また予算オーバーだろうと思いつつも、しらみつぶし作戦なので一応値段は聞いてみることにした。すると、思ったよりも安く、しかも、こっちが変なスペイン語(というか、メヒコ弁)をしゃべるのでフロントのおっちゃんがおもしろがってくれて、調子に乗って値引きの交渉をしてみると、それにも応じてくれた。

荷物を降ろして、再びバスターミナルへ。するとタイミングよろしくちょうどまさみを乗せたバスが到着したころだった。バックパックを背負って、どうやらカメラをビデオモードにして何かを撮影しているらしい小柄なアジア人の女の子が目に入った。あけみちゃんと、「おーーーーい!!!」と思いっきり手をふった。「タフ」が売りのまさみが珍しく見るからに疲れていた。聞くと、「成田→ロサンゼルス→サンフランシスコ→シャーロット??→カンクン→メリダ」という移動だったそう。なんと言う過酷スケジュール。それだけでもすごいのに、ロサンゼルスで妙に乗り継ぎ時間が永かったのをいいことに、調子に乗って町に繰り出したら、帰りのバスが全然来なくてあわや飛行機に間に合わなくなるかも、と言うミニ冒険を既にしていたようで、「荷物持ったげよか??」の申し出に、さすがのまさみも「頼むわ」と言ってきたので、相当疲れていたんだと思う。

とにかく、無事に全員集合できてよかった。ホテルに荷物を降ろして、ご飯を食べに行くことに。その辺をうろうろ歩いたら観光客だとは思うけど、やたら人の並んでいるレストランがあった。ユカタン料理とか書いてあるし、行列ができるくらいだからおいしいんだろうと勝手に決め込んでそこで食べることにした。店の中で民族衣装を着たおばちゃんがトルティージャを手作りしていた。しかも、そのトルティージャの種を、手で器用に丸くのばしていた。

どれを頼んでいいのやら見当がつかなかったので、適当に頼んでみた。七面鳥や魚を使ったものが多かった。店内を見渡すと、どぎつい緑色の飲み物をほとんどの人が飲んでいた。とてもおいしそうには見えへんな、と無難にビールを頼んで乾杯。おばちゃんの手作りのあつあつトルティージャはやはりうまく、何回も調子に乗っておかわりをした。トルティージャが食べ放題のこのシステム、本当、いいなぁ。

食べ終わって少し街をぶらりとした。オアハカのセントロを思い出した。小さくて石畳で、ソカロのベンチでみんなが夜をダラダラ過ごす様子が似ているなと思ったのだ。