April 08, 2011

どたばたと

メヒコ出国までは、ほんま、ばたばたやった。特に、前日、当日はひどかった。しかも、前日はまさかの睡魔に襲われ、それこそ"mañana(まぁ、明日すればええわ)"の精神で思い切って寝てやった。

朝起きてももちろんパッキングが魔法のように済んでいるはずもなく、朝ごはんよりも先にパッキングに取り掛かった。初めて早々に、全然終わりが見えない事実に、呆然。同じ日に出国する友だちに電話して、彼女も途方に暮れているのを確認して、安心。……したところで状況が変わるわけはないのだけれども……。そうこうしているうちに、約束の時間になった。

その約束の時間というのは、スターバックスで働いている仲よくしてもらっていた店員の一人に、日本のお金を見せに行くというものである。シフトを聞いたら、昼過ぎには終わるというので、それまでに向かわなければならない。

パッキング or スタバ?!

もちろん、スタバを選ぶわけで、行くと、「ナンダコノヤロウ~!!」と出迎えてくれた。彼はなぜか変な日本語を少し知っているのである。日本のお札を見せると、

「すげぇ~~!!」

と、目をきらきらさせて見入っていた。コインは見たことあるらしいけど、お札を見るのははじめてだったらしい。かなり長い時間お札をネタに、ああだこうだと話していて、結局1000円札を、100ペソと交換することになった。「今日の晩遅くにもうグアダハラを出発するんや~」と話していると、同じ時間に働いていたほかの二人とも「さみしくなるなぁ~」とか何とか話していて、結局気がつけば1時間半以上もそこでうだうだとしゃべって過ごしてしまっていた。本当に、このスタバにはお世話になった。メヒコのスタバは比較的どこもフレンドリーなんだけれど、ここのスタバはどこの店舗とも違ういい雰囲気で、ほんまにたくさんお世話になった。グアダラハラに帰ったら、絶対に行こう。しかし、それまでにバイトやめんといてや~~~!!!!

さて、スタバのみんなと別れて向かうは、ブリトー屋さん。ここも世話になったから、店のおっちゃんにあいさつをしたかったのだ。昼は近くの医学生でずいぶんとにぎわっているし、パッキングも終わっていないので持ち帰りで買って帰ることにした。おっちゃんは忙しそうにしていたけど、私の顔を見るや否や、

「おまえ、日本の家族は大丈夫だったか??震災のニュースを見て、ずっとそれを聞きたかったんだ」

と言ってくれた。日本のことをみんなとても心配してくれている。とてもありがたい。家に帰ってブリトーをほおばって、もう一度山盛りの荷物と向き合った。時間的には追い込まれることになったはずなのに、不思議とパワーが沸いてパッキングを終わらせられる気がした。

めどがついて、「絶対に入らない」と言うこともわかった。がーん。となりつつ、友だち二人にアメリカから戻るまで与ってもらえることになった。ふう……。ほんまに助かった。これは感謝してもしきれん。ありがとう……!!!!!!

荷物をつめて、片付けて、床をふいて、取り外していたドアを取り付けなおして……、ちゃくちゃくと家が片付いていった。片付くにつれて、達成感もあるのだけれど、もうここには住めないのかー、と思うと無性にさみしくなった。全部が終わった頃、晩ご飯時になっていた。

「タコス、やってるかなぁ……。」

と真っ先に思いついたのはタコス屋さん。友だちと行こうな~、といっていたけど、結局全員パッキングやらいろいろ忙しくて行けていなかったのだ。一人タコスもなぁ、と一瞬思ったけど、いや、これは食べとかなあかんやろ、と思い直して小銭をポケットにジャラジャラ入れて家を出た。

タコス屋につくなり、お兄ちゃんとおばちゃんが、

「あれ、あんた、友だちは??」

と心配してくれる。メヒコの人たちは、顔見知りになったら本当に親しくしてくれる。家族のことを心配してくれたり、友達のことを心配してくれたりする。そう言うことを当たり前のように気にして聞いてくれるときに、「ああ、アミーゴ(友だち)の国だなぁ」と実感する。別に、今回日本で大震災が起こったからではなく、それが当たり前なのだ。みんなが交わす、

「Hola!  Como estas?」や、「Hola!  Que tal?」

というあいさつがそれをすでに語っている。

「こんにちは、元気??」、「こんにちは、調子はどう??」

相手のことをこんなにもドストレートに気づかえるこのメヒコの文化は、素晴らしい。この国に暮らすことによってそれを学ぶことができたのは、本当に、私の大きな宝物だ。

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