July 30, 2011

Crist Rey


最近何をしていたのかと言うと、別に何もしていないけど、2週間ほどバケーションを取っていた。今の身分(語学学校生)がすでに「バケーション」のような状態のくせに、さすがにモチベーションが下がってきたのでちょっと休んでみることにしたのだ。「切磋琢磨」とは、よく言ったもんだなぁ、と思う。決して誰かと競いたいわけではないけど、やっぱり一人きりだとなかなか張り合いがない。まぁ、とか何とか言いながら、自分が怠け者なだけなのだけれど。

最初の一週間は、グアダラハラに行ってきた。行ってきたと言うか、戻ってきたと言うか。さすがに2年住むと、メヒコにおけるホームグランドは絶対にグアダラハラだと断言する。ちょくちょく戻っているので、やはり久しぶり感には欠けるので訪れるたびに変な感じがするけど、ほしいものがどこで手に入るのか、見たいものがどこにあるのか、が分かるのでやはり楽しい。知り合いに会ったり、友だちに会ったり、あっという間の一週間。

さて、グアナファトに戻ってきてからは観光客のようにふら~っとしていた。グアナファト州にSilao(シラオ)と言う町があり、そこにCrist Reyという大きなキリストの像があるというので、足を延ばしてきた。グアナファト市は、鉱山があったために栄えた街なので、丘が連なるところに位置している。その山並みの風景が終わると、今度は平野が広がっている。このクリストレイという像は、そのちょうど境目に立てられている。

グアナファトのセントロからローカルのバスに乗って、丘の間を縫っていくルートでクリストレイを目指した。バスが発車した頃はたくさん乗客がいたあのだが、「え?!こんなところで?」と言うところに村があり、だんだん人が降りていって、結局クリストレイに着くころには独りぼっちになっていた。そこまでの丘が連なってグネグネ行く道も観ていておもしろかったので、気付かなかった。あのあたりは鉱山がたくさんあり、いまだに操業しているのか、廃業したのかは分からないけど、たくさん炭鉱のような建物がみられた。鉱山での仕事は危険を伴うので、そのそばには必ず教会が立てられたり、鉱山で働く人たちの家が近くに密集していたり、採取した鉱物を加工するためのアシエンダと呼ばれる建物が近くにあったりするようすは、学校で習ったとおりだったのでおもしろかった。でも大きな店らしきものは全然見なかったので、降りていった乗客たちはグアナファトまで買い物に行ったり仕事に行ったりしているんだろうと思った。

バスを降りながら、おお、観光客、私だけかいな、と思いながら張り切ってバスを降りようとすると、バスの運転手さんに「ここまで来る人あんまりいてへんから、次のバス何時に来るかわからへんから、45分後に出発するから、それまでに戻ってきて」とのこと。もっとだらだら何もせずに時間を過ごそうと思っていたので、えらい誤算である。でもまぁ、いつ帰れるのかわからなくなるのも困るので、運転手のおっちゃんの言葉に従うことにした。

坂道を歩いて、ビューポイント(というか、360度ビューポイントのようになっている)にたどり着くと、一面に広がる平野!!!!!!360度ぐるりと何もなくて、めちゃくちゃきれいだった。キリストの像自体は、「ああ、なんかでかいな。」くらいにしか感じないのだが、景色はめちゃくちゃきれい。しかも、天気がとてもいい日だったので、雲がぷかぷか漂っている様子もなんとも穏やかで、心があらわれた。

やっぱり、「絶景」に弱いな、あたしは、と思った。


July 23, 2011

忘れていくこと、変わっていくもの、繋がっていること

昨日は、とても長い一日だった。朝の4時45分に起きたので、本当に「長かった」のだ。

またもやカンフーネタになってしまうけれど、私は月曜日と水曜日の週2回、夕方のクラスを取っている。でも、毎朝別の場所でもやっているらしいというのは前に小耳に挟んでいた。聞くところによると、なんと朝の6時かららしく、朝方人間ではない私には厳しい。水曜日の稽古に行ったときに、「先週今週はバケーションをとっていて学校ないねん~」と話していると、カンフー友だちの一人に「え~、じゃあ、今週は朝もおいでよ」と誘われた。別に予定があるわけでもないし、疲れれば昼寝すればいいし、と思い「オッケイ!!!じゃあ行くわ!!」と参加決定。でも、心の弱い人間なので、万が一のために携帯の番号を聞いた。するとまさかの、「あー、おれ、携帯もってないんだよね」と言う返事。

「携帯で簡単に連絡が取れないと、どうしてもその約束を守らないといけなくなるやろ??」

本当にその通り。携帯電話や通信機器の発達によって、約束の重みが軽くなっているのは紛れもない事実。実際、起きれた場合に「待ち合わせにいけるよ!」、でも起きれなかったら「メッセージが届けられないので来ないと思ってください」ということにしようとした私がいる。結局、「相手を待たすと悪い」というのは、いいわけでしかないんだな、と思う。連絡の手段を経たれたことにより、約束を果たさないといけない状況になり(まぁ、約束とは本来そういうものなのだが)、ここちよいプレッシャーを感じながら床についた。おかげで、ちゃんと目覚めることができて、待ち合わせ場所にも遅れずにたどりついた。

真っ暗闇の中を、てくてくと30分くらい歩いた。なんか、高校生くらいのときに無闇に早起きをして始発の電車に乗って、青春18切符で行けるところまで、ひたすら遠くを目指す旅をしていた頃を思い出した。家族に「明日は始発で出かけるから!!」と宣言し、「無理、無理」と言われる中、早起きして彼らが眠っているころにこっそり家を出るという、あのわくわくした感じが好きだったのだ。月がまだ出ていたりして、なんだか得した気持ちになって気分が高まる。

まだ薄暗い中カンフーが始まった。朝の少しひんやりとしたさわやかな空気の中、動き回るのは気持ちがいい。カンフーが終わったら、先生が家に朝食を食べにこないかと招待されて、ほいほいと御呼ばれすることにした。先生の家を見せてもらって、犬にあって、朝食を食べて、一度家に帰った。

天気が良かったので洗濯物をした。手洗いなので、漬け置く時間が長いので、結構時間がかかるのだ。平日の午前中って、何であんなに穏やかに過ぎていくんだろう。天気がいいとなおさら。平日って言うところがポイント。

昼からは、コーヒーを飲みにカフェに出かけた。久々にスペイン語の問題集をしたり、新聞の記事を読んだり、インターネット以外のことをして過ごした。そんなに長くないはずの新聞の記事なのに、わからない単語がわんさか、わんさか……!!!ま、まけるもんか!!!!!結局、コーヒーをおかわりしまくって、だらだら過ごしているうちに、天気がえらく悪くなってしまった。降るか、降らないか、空とにらめっこをしながら家路を急ぐ。結局家の少し手前で猛烈に降ってきて、あわてて洗濯物を取り込んだ。びちょびちょではなかったので、一応セーフと言うことにしておこう。

晩ご飯を食べ終わってすることがなくなったけど、同居人はテレビを見ていたので話し相手がおらず。早起きしたにもかかわらず、この時点ではすこぶる元気で、眠気が全然なかった。暇だったので、昔の日記を開いてみた。パソコンの中のデータなので、結構な量でいい暇つぶしになった。オーストラリアに住んでいたときのものや、ドイツに旅した時の日記など。

私は旅日記を必ずつけるようにしている。理由は、忘れるからだ。忘れない自信があったのだけれど、全てを記憶できないことにあるとき気がついた。まぁ、どうでもいいことを忘れていくのだろうから、全てを記録する必要はないと思うけど、でもそういう情報が残っているのもおもしろいしな、と思っている。

それにしても、オーストラリアの日記を読んでびっくりした。たくさんの名前、たくさんのできごとが記されているのだけれど、あんまり覚えていないのだ。特に、あんなに語学学校の授業が充実していたとはすっかり忘れていた。レンタカーをして旅をしたときも、スピード違反でオーストラリア政府から友だちの日本の実家に罰金の請求書が来たことだけは鮮明に覚えていたけど、レンタカー屋の姉ちゃんがいけずだったことは露ほども覚えていなかった。大学を卒業した年だったので、大学の友だちともとてもまめに連絡を取っていたことも明らかになった。ホームステイの家にはインターネットがなかったこととか、常に眠たかったらしいこととか、ホームステイの家族の印象がそんなによくなかったけど、日記の中では結構お世話になっていることも書かれてあったり、人間の記憶のいい加減さに改めて気がついて、笑ってしまった。

たくさんの人の名前が出てくるけど、そのほとんどの人とはもう連絡を取っていない。あるいは、どういう人だったのかすら忘れてしまった。でも、その中にもいまだに連絡を取っている人もいる。その関わり方は、もちろん当時のままではないけれど、形や手段を変えてもまだ連絡を取っている人たちがいる。いまだに連絡を取っている人と言うのは、たいてい変な人と言うか、私にとってはおもしろくてcoolな人たちなのだけれど。でも、そういう人がいることはありがたいな、としみじみ思う。

今でも、いろんなところへ行ったり見たりするのは好きだけれど、日記を読んでいると、昔の方がもっとそれが激しかったような印象を受けた。(まぁ、文体も話し言葉の関西弁でかかれてあるので、その影響もあると思うが。)今は、いろんな場所に手当たり次第行くのではなくて、その場所にとどまって、暮らしながらいろいろなものを見たいという願望の方が大きい気がする。でも、どちらの私も本質的には変わっていなくて、決してどの文章からも、悲しいかな金銭的な裕福さが感じられない。まぁ、それは置いておいて、していることと言えば、人間観察、カメラ小僧、とにかく道を歩きまくる、そんなところだ。変わったことと言えば、コーヒーを飲む量が増えたということくらいではないか。あと、今のほうがさらに物事を気にしなくなったかもしれない。まぁ、なんとかなるんちゃう、という、楽観的と言うか無責任と言うかなんと言うか。こうして客観的に自分と自分を比べられたりして、いやぁ、日記もつけておくものだなぁと思う。

同居人はテレビを見終わったらしいので、雨の中散歩するべ、と誘ってしとしと雨が降る中をぶらぶら。特に何もなく家に帰ってくると、猛烈な眠気におそわれた。猛烈に眠くて、しんどくて、目もろくに開けていられないくせに、なんかまだ寝たくない。そういう変にハイな状態。もっといろいろ考えたいけど、それをするだけの体力がもう残っていない。「はよ寝ろや」と人は思うかもしれないが、そういう時って、妙に悔しくて、さらに起きておきたい気持ちになる私である。同居人はもちろん前者なので、「そんなにしんどいんやったら、はよ寝たら??」と言ってきたが、私は後者で、しかもそういう気持ちをうまく伝えられないのでだらだらとキッチンに居座っていると、不可解な顔をされた。

そんなぐっだぐだに疲れた状態で寝て起きると、天気は曇りがちでたまにしとしと雨まで降っているといった具合である。アンニュイな午後である。世の中の(特に日本の)忙しくあくせく働いている人たちにしばかれてもおかしくない、私のメヒコの日々である。

July 22, 2011

Paciencia

最近、立て続けに言われた。

"Paciencia"

「我慢」、「辛抱」、「まぁ、あせらずに」と言うわけである。前に書いたけど、今カンフーを習っている。マーシャルアーツは、「arts」と言うだけあって型とかが美しい。カンフーを初めて見に行ったときも、その美しさと、精神が鍛えられる感じが気に入ったのだ。

とはいうものの、見るのとするのは大違い。師範のお手本はめちゃくちゃきれいなのに、悲しいかな、それを真似する自分の無様なことと言ったら……。それを嘆いていたら

"Paciencia"

と言うわけだ。やっぱり、武道は年季だな。じいさんとかの方が経験が長いぶん、かっこいいフォームになっているものな。

もう一つは、やはりスペイン語の件で。なんか伸び悩むなぁ、と嘆いていたら、

"Paciencia"

踏ん張り時だす。ここ2週間は学校を休んでバケーションを取っていたので、来週からはまたがんばろう。

July 11, 2011

Sin luz

土曜日、家に帰るなり同居人に名前を呼ばれた。

「助けて!!」

と言うから、何ごとかと思って台所に行くと、

「バターをちょっと拝借したい」

との申し出。手元を見ると、どうやらお菓子を作っているらしい。

そういえば、この間、ずっと前に買ったらしいブラウニーミックスが棚から出てきた。

「作ろうよ~」

と言うと、「型」がないから無理だと言う。耐熱皿っぽいものを見つけたので、

「これ使えるんちゃう?!」

と言うと、

「無理やろ……。Hecho en Mexico(made in mexico)やん。怪しい」

しつこく「使えるって!!」を繰り返すと、

「あ~、もうわかった。わかったけど、これ絶対無理やから、明日型を買ってくるから。」

との返事。言うことがいつも適当なので、それもその場をしのぐ言い分かと思って気に留めていなかったのだが、どうやらそれは本気だったらしく、型を買ってきて、お菓子作りに挑んでいたのだ。見ると、オーブンもちゃんとあたためられている。やや。本気だな、と思い眺めていると、「卵割って」と言われ、手伝うことになった。型を買ってきていたので、ブラウニーを作っているのかと思いきや、新たにクッキーミックスを買ってきたらしく、クッキーを作っていた。クッキーの一発目をオーブンに入れ、せっかく方があるのでブラウニーも作ろう、とブラウニーミックスも引き続き開封。焼きあがるのを待つ間、ブラウニーと一緒に食べるアイスクリームを近所のtienda(店)に探しに行った。

私もお菓子作りなど普段しない人間だし、同居人とて18歳男子である。へなちょこ2人が「こんなもんかな?!」「たぶん」を繰り返しながら、なんとかクッキーもブラウニーも完成した。食べよう食べよう、と食べ始めたところ、電気が落ちた。この間も、雨が降っていたときに停電したのですぐ復活するだろうと思っていると、どうやら様子が違う。近隣の家は、明かりがともったままなんである。これもたまに起こる現象なのだが、家が古いからなのか、よくヒューズがとんで停電するのだ。ここ2ヶ月でこれで3回目である。建物の中で2軒に分かれていて、ヒューズボックスとやらはもう1件のほうにあるらしいが、お店なので晩は誰も人がいない。

「ちょっと見てくる」

と家を出て行って、ろうそくを持って戻ってきた。隣の家とコンタクトが取れないので、どうしようもないらしく、ろうそくで夜をしのぐしか方法がないらしい。まぁ、仕方ないな、とろうそくの明かりでブラウニーを食べるというムーディーな夜。

「あああ。することない。暇ー」

確かに、暗いとすることがないし、できることもない。何がしたいか聞かれたので、

「その辺散歩しよう!!」

と提案すると、最初は「は?なんで??」と言われたけど、「近所を探検したい」と言うと、「わかった」といって、散歩が実現した。歩いていると、警察がやたらうろうろとしているのが目に付く。パトロールをしているらしい。車に乗った警察や、歩いている警察、結構な数である。

そのうち、歩いている警察の団体が、細い道に向かって何かを投げつけていた。すると、向こうからも石がたくさん飛んできた。その辺にたむろしている少年ともめているらしいのだ。

「な、なにごと?!?!?!?!」

と聞いたけど、早口で言われたのであまり詳しい状況は分からなかったけど、とにかく警察と少年が争っているということだった。女の人が何か叫んでいて、私は状況がよく飲み込めなかったけど、しばしその様子を遠巻きに見学。しばらく物の投げあいが続いて、それが終わると、警察はパトロールの続きで、向こうの方に歩いていった。これで終わりかと思いきや、怒り狂った少年が、石を警察の建物の中に投げつけだした。しまいめには、でかい石を拾って、階段を上って何かを割る音がした。唖然としてその状況を見守っていると、

「これが、メヒコ」

と、同居人。あ、あんた、そんな悠長な、と思いつつ、メヒコに来てはじめてみる光景やなぁ、とぼんやり思ってもいた。

散歩を続けて、犬にほえられえたり、同居人がアメリカの親に電話をしてお金が公衆電話に飲み込まれたりして家に戻ってきた。電気がなかったおかげで、おもしろいものが色々見れた夜だった。でも、夜の一人歩きは絶対にせんとこう、と思った。

怒る

私は、いろいろなことに怒りまくるタイプの人間だ。もっと前は、世の中のほとんどのことに腹を立てて、呪いたいような、絶望したような気分によくなっていた。最近は、まぁ、落ち着いてきたというか、何でもかんでも片っ端から腹を立てるということはなくなってきた。いやぁ、私も大人になったもんだ、ふ、は、は、と思っていたけど、最近立て続けに、中指を立てて、くそぼけ!!!!と叫びたくなるような怒りにかられた。

一つは、mixiでつぶやいたように学校の先生が5日中4日遅刻してきた件である。

もう一つも学校がらみである。折り紙教室をしてほしいという依頼が、学校のスタッフからあったので引き受けた。折り紙が手に入らないので(手に入ったとしても高価なので)、紙から準備しないとな、と思い、何人来るのか、とか、どういう年齢の人が来るのか、とかを事前に何度か確認したところ、「5人くらい」「子どもと大人のミックス」という回答であった。せっかくなので、似たような折方をするものを何度か練習して、後日覚えていられるようにしようと思い、折り紙のサイトを調べたり、案を練ったりしてクラスに向けて準備を進めた。私のスペイン語が怪しいので、視覚的に分かりやすくする必要があったので、それにも配慮した。当日に、「もう一人増えるかも」というアナウンスをされたのだが、いざふたを開けると、その時間になって集まった人数は0人。少し遅れて1人やってきた。メヒコのことだから、時間に遅れるのは想定内なので他のメンバーを待ってみることにして、そのやってきた1人と話をして時間をつぶしていたが、一向に現れる気配がない。ので、その子とマンツーマンで折り紙を教えることにした。マンツーマンだと、少し難しいものにも挑戦できるのでそれなりに、楽しく折り紙ができたと思う。しかし、準備していたものは全て水の泡。大人数でするように流れを立てていたので、用意していたマテリアルの大半は使い物にならなかった。そのクラスを企画してきたスタッフであるが、途中から折り紙教室に入ってきて「わ~、難しいね~」などと言っている始末である。そうじゃないだろう。他の参加者は来れるのか、来れないのか、どうなっているのか、一言何か報告があってもいいのではないかい??これには、さすがにカッチーンと来た。

これは、文化の違いだろうか??私は文化の違いから来るすれ違いにいらっとしたのだろうか??

私はそうは思わない。その人の「仕事の仕方」である。彼の振る舞いには、誠意が感じられない。その点に私は激しく怒りを覚える。折り紙教室のアイディアは気に入ったし、私に手伝えることだったので喜んで引き受けた。引き受けた以上は、ていねいに取り組むべきだと思い、自分のするべきこととできることを準備してきた。その準備をあざ笑うかのような彼の態度には私は、本当に腹が立ったし、失望した。

この怒りのせいで、金曜日はやけっぱちだったが、時間が少し経ったので今こうして分析している。この気持ちは自分の中だけでもやもやさせておくわけにはいかないので、もちろん、学校にはクレームのメールを送った。残念だが、私はその折り紙教室の話を持ちかけてきたスタッフの授業はもう二度と受けたくない旨も伝えた。

信頼関係は、こんなにも簡単に崩れる。築くのは難しいが、崩れるの一瞬である。

冷静になって、この2件の腹の立つ出来事の怒りを覚えるポイントを考えると、「ていねいな仕事をしていない」と言う点である。ここではっとするのだが、私の両親は「ていねいな仕事」をする人たちだ。ものすごい仕事はしないが、しなければならないことはちゃんとしていると思う。私の見る限りではそうである。彼らの背中を見て育ったんだな、と気付く。そして、「ていねいな仕事」をする人間であろうと気持ちを新たにするばかりだ。

全くもって、腹を立てるのは体力がいる。

歩く早さ

一般的に、関西人は歩くのが早いと言われている。そして、私も歩くのが早いと思う。しかし、最近は、わざとゆっくり歩くようにしている。(坂道に限ってだが。)丘の上に住んでいるからだ。平らな道を歩く調子でさっさか歩いていると、すぐに息があがってしまう。他の人を見ると、みんなかなりゆっくり一歩一歩歩みを進めている。郷に入れば郷に従えやしな、と思ってまねしてみるとずいぶんと楽だ。適した歩みの速さというものがあるのだなぁ。フィジカルな歩く動作だけでなく、自分の暮らし(人生)における歩みの速さも存在する。私のそれは、とても遅いと思う。でもこればっかりは、自分の速度でいくしかない。そう考えると、遅いとか速いとかはないのかなとも思える。

今、働いていないのでそれだけですでに「バケーション中」のような身分のくせに、さらにバケーションを取ってちょいと休憩しようと思う。会いたい人にあって英気を養おう。

July 08, 2011

家庭料理

メヒコでは、アパートに暮らしているので家庭料理を食べる機会が非常に少ない私。先日、私の小さな友だちが彼の卒業式後のフィエスタに誘ってくれた。なんだかよく分からないフィエスタで、ホテルでご飯を食べるというもので、着いたときにはもう子どもたちはホテルのプールで遊びまくっていた。「本日はお日柄も良く」や「卒業おめでとう」的なあいさつ、というか、会を進行する人自体がいなくて、時間になると食事が運ばれてきて、食べ終わったら、適当に帰っていくというものだった。クリストフェルくんのお父さんとお母さんとしゃべっていて、メヒコ料理の話になった。

「おまえはメヒコの食事は好きか??」

と聞かれて、「それはもう!!!!」と熱っぽく返事をすると、

「明日、タマーレスを作るから食べにくるか??」

と誘いを受けた。タマーレスは、とうもろこしの粉を使った、日本で言うところの「ちまき」のような食べ物。何も入っていないタマーレスを食べた日本人の友だちが「ゲロの味がする」と酷評した代物である。私自身も、何度かしか食べたことがないけど、そないにおいしいと思ったことがない食べ物の一つだった。しかし、誘いを受けたら、

「ぜひ!!!!」

と調子よく答えてしまうのが、日本人の私である。そして、翌日彼らの家にタマーレスをごちそうになりに行くことになった。

タマーレスの作り方は知らないのだけれど、かなり手間らしい。でもお母さんは料理をするのが好きなので、週末にタマーレスを作って、お家で販売しているんだそう。この日は、近所の人に無料で振舞うことにしていたらしく、私が着いたころにはもうみんな帰った後だった。

タマーレスには、お惣菜タマーレスのようなご飯系のものと、デザート系タマーレスがある。デザート形タマーレスの中には、フルーツが入っているのだが、それがとうもろこしの粉とあうとは思えず、いまだにチャレンジしたことがなかった。でもせっかくなので、全種類のタマーレスを呼ばれてみることにした。

・チレとサルサベルデ(緑のサルサ)味
・豚肉とサルサロホ(赤のサルサ)味
・アスーカル(砂糖)味

の3種類。どれもめちゃくちゃおいしかった。そして、Atole(アトレ)というこれまたとうもろこしの粉を使ったらしい飲み物も入れてもらった。名前は聞いたことがあったけど、飲んだのはこれがはじめて。とうもろこしの飲み物てどんなんやねん、と思ったけど、チョコレートも入っているらしく、ちょっとどろりとしたホットチョコレートと言う感じで、寒い日に飲んだらほっこりしそうなあったかい飲み物で、これまたとてもおいしかった。タマーレスも、なんか屋台で食べるのとは違っておいしかった。デザート系タマーレスに至っては、あまりにおいしくてびっくりした。マサ(生地)の絶妙な甘さと、レーズンがよくあう!!それにシナモンの風味が加わって、メヒコではじめて食べる感じの味だった。チレと豚肉のタマーレスのおいしさはいうまでもなく!!!

なんなんやろう、家庭料理のこの異常なうまさは。友だちや友だちのホストファミリーの家におじゃましたときにポソレ(スープ)などをよばれたことがあるけど、それらもレストランのそれよりもはるかにおいしくてびっくりした覚えがある。やっぱり、家庭の味はいいなぁ。それに比べて自分の作る食事の貧相なことといったらない。……悲しい。

50!!!

この間、同居人としゃべっていたときのこと。彼の話には、よく「従兄弟が」とか「従兄弟と」というフレーズが出てくる。メヒコでは家族がとても大切な集団である。親戚同士がご近所さんとして暮らしている場合も少なくないし、家を出たあとでも週末には実家に帰ってきて家族でご飯を食べたり一緒に過ごしたりするのが語句一般的なようだ。だから、話をしていてよく「おじさん」とか「おばさん」が登場したり、あるいはその子どもの「従兄弟」が登場したりする。

あまりにもたくさんの従兄弟の名前が登場するもんだから、

「従兄弟、何人くらいおるん??」

と聞いてみたところ、

「50人くらいいるんじゃない?!」

との返事。ご、ごじゅうにん?!ものすごい数である。しかし、よく考えてみると、お母さん、お父さんにそれぞれ兄弟が8人とか10人とかいて、その子どもがそれぞれ3人ずついたとすると、これだけでもう48人……。ありえる話だなぁ。でも、50人。すごい。私、父方の従兄弟はたくさんいると思うけど、母方の従兄弟はたった2人である。……50人。いや、すごい数ですやん。

そんなところに見つけたこのニュース。

若者の多民族化進む米国、10州で白人がマイノリティーに:http://www.cnn.co.jp/usa/30003303.html

ヒスパニック系のパワーを感じる。

July 06, 2011

動詞

中学校や高校のときは、英語の「文法」のクラスはあまり好きではなかった。理由は簡単。おもしろくないからである。しかし、今は文法を知るのは好きである。理由は、おもしろいからである。あと、文法を知ることが言語の習得には欠かせないと言うことを肌身を持って感じるからである。しかし、母国語を話すときは皮肉なことに、外国人が必死こいて勉強するその「文法」のことは気にせずにはなしているもんである。「品詞」と言われても「なんのこっちゃ」てなもんだ。

ちなみに、日本語の動詞は-uの音で終わる。食べる・飲む・走る、などローマ字で書くと全ての動詞は「u」で終わる。(taberU, nomU, hashirU)それゆえに、いろいろなことを動詞化することができる。例えば、「メモを取る」ことを「メモる」だの、「グーグルで検索する」ことを「ググる」といった具合にである。この点で日本語はかなりフレキシブルな言語で、言葉遊びがたくさんできる言葉だと思う。事実、外来語をたくさん取り入れて日本語化しているものも多い。しかし、悲しいかな発音まで日本語化してしまうので、取り入れたもとの言語を話す国でその単語を連呼しても通じない。「テレビ」なんて思いっきり外国語なのに、「テレビ!!テレビ!!」と英語圏で言っても、しかも、明瞭に発音すればするほど通じないんである。悲しい。日本語に取り入れるときにもとの発音のまま取り入れてくれればよかったのにぃ~~、と思っても、「ティーヴィー」なんて子音まみれでは日本語にはなじまない。だから「tErEbI」になってしまったのだろう。日本語のさらに悲しいところは、外国語に取り入れられた日本語も外国語化されてしまい本家本元の発音(日本語)が通じないのである。例えば「空手」。もはや世界の共通言語である。それなのに「カラテ」と明瞭に発音すると「??」と言う顔をされたりする。そして百歩譲って「カラティ」と言い直してやっと、「ああ~、Karateのことね!!」となんだか妙に発音のいい感じで言いなおされたりするんである。むっきゃ~~!!!その他、サケ(サキ)、ポケモン(ポキモン)など。メヒコでは、スシがスチと発音されている。まぁ、世界に出ると日本語なんてそんなもんですよね、とやけっぱちにもなるけれど、日本語を自由に操れるのはやはり日本人の特権で、その言葉のあやが私は好きだ。

さて、日本語のおもしろいところを語ったところで、本題。日本語は「u」で終わらせれば動詞化できるといったけれど、スペイン語の動詞は、arかerかirで終わることになっている。そして、日本語のようにいろいろな言葉を動詞化した言葉があることに最近気がついてきた。

例えば、"checar"。これは、元々はスペイン語ではないそうだ。"to check"という英語からきている単語で、以前は辞書にも載っていなかったそうだ。意味はそのまま、「確認する」である。"revisar"という単語が元々は使われていたのだが、"to check"が"checar"となり浸透して、今や立派なスペイン語として地位を確立している。(日本語でも「チェックする」は立派な動詞の一つになりつつある。)この他に使い道のない狭義の意味しか持たない単語は、最近の特徴なのかと思いきや、今日同居人に教えてもらった"tapar"と言う単語。"tapa"は"ふた"のことである。それに動詞の語尾である"ar"をつけて"tapar"。意味は、「ふたをする」である。その反対に「ふたを開ける」は、反対の意味を作る接頭詞"des"をつけて"destapar"になる。そんな狭義の意味の単語があるなんて!!!!!「そのとき」しか使えないという、このアンフレキシブルさ。いいですね~~。ぜひともそれらの単語を使いこなしたいものだ。しかしその反面、それだけたくさんの単語が存在するということでもある。

スペイン語マスターへの道のりは長い……。

July 03, 2011

メヒコの小学校

メヒコにおいて、友だちが非常に少ない私。その少ない友だちは、大体が年下だ。メヒコ人は結婚が早いから、私くらいの年の人はもう結婚して子どもがたくさんいるか、あるいは現在の恋に夢中なので、なかなか同い年くらいの人と出会う機会がないのだ。(もちろん、私が積極的に探そうとしていないというのもあるけど。)

年下といっても、最年少友だちは12歳のクリストフェルくん。学校の近くの広場のベンチで昼ごはんを食べているときに知り合って、カンフー教室を紹介してくれた少年である。他の友達に私のことを紹介するときに「ぼくの友だち」と言っていたから、彼的にも私を友だちとみなしてくれているようだ。

先日も、広場のベンチで休憩していると、その広場の前にある小学校の顔見知りの子どもたちが、

「マイケルジャクソンって中国語(日本と中国の違いがよく分からないらしい)でどう書くの??」

とかなんとか聞いてきたのでしばししゃべっていたけど、そのうちみんな帰ってしまった。すると、クリストフェルくんがやってきて、学校の中を見たいかと聞いてきた。彼は6年生で、もうすぐ卒業を控えているので、6年生の卒業制作のようなものが展示されてあり、見に入っていいんだという。「もちろん!!」と二つ返事で、中へ入れることになった。

こじんまりとした学校で、グアナファトのセントロに位置しているのでとりあえずスペースがない。各学年1クラスずつ、教室の前には学年表がついていた。生徒たちは1時でみんな帰るので、私たちが学校に入ったときには、そうじのおばちゃんたちが各教室やトイレなどを清掃してる最中だった。日本では、掃除も学校の活動の一つだけどメヒコにはその文化はないらしい。アメリカやオーストラリアの学校でも子どもたちは掃除しないので、学校をわりに汚く(ごみをその辺に捨てたり。)使っていたけど、メヒコの学校もおばちゃんがはき集めたごみの塊を見たらお菓子のごみやらがたくさんだった。日本の小学校では落ちていないようなごみなので、それを見るのはなかなかおもしろい。

机とイスは、別になっていて、金属製だった。おもしろかったのが、各学年によって微妙に素材が違っていた点。廊下には、ベニートフアレス(インディヘナ出身の大統領)やその他メヒコの歴史で重要な人の絵がかけてあった。給食を食べる習慣もないので、給食室なるものはない。本当、教室があるだけ、というイメージだった。でも、窓がたくさんあったり光がたくさん入って明るい印象を受けた。そういえば、オフィスは見かけたけど、先生たちの集まるいわゆる「職員室」的な部屋は見かけなかった気が。

たくさん学校があるので、場所によってはスペースがあると運動をする広場もある学校もあるけど、どの学校も制服が立派!!私立だからなのかもしれないけど、ブレザーで登校する日、体操服で登校する日、いろいろあるらしく、どの学校も立派な校章があり胸にワッペンとしてつけられていて、かっこいい。

小さい友だちを持つと、こんなメリットもあるのだね。

◎久しぶりにリンクが増えました。屋久島旅のときに知り合った友だちのページ。さすが写真家。めちゃくちゃええ写真。
いっちゃん★ベイビーフォト」というページです。どうぞいっちゃんの写真に癒されてみてくださいな。

July 02, 2011

おお!!それ!!

最近授業で、「接続法」というのをやっている。日本語で調べたら、「予想・憶測・希望など、事実であると認識していないときに使われる。希望から転じて、弱い命令の意味にも使われる」というものらしい。まぁ、それはどうでもいいのだけれど、難しい。難しいけど、

「ああ~~!!!そうそう、こういう風に言いたかったんですよ!!!!!」

という表現がたくさんある。例えば、

・この街がこんなに暑くなるなんて知らなかったわよ~!!
・昨日、あなたが来なくて残念だったわよ~!!
・友だちが結婚したらしくて、うれしいわよ~!!
・あんたと一緒に映画に行きたかったわよ~!!
・道端にごみほかすやつ、嫌いだわよ~!!

とかである。まだどういうときに使うのは、あやふやなのだけどそういう表現があることを知ったのは大進歩である。そう考えると、今までそういう表現を知らなかったので、日本語を崩して崩して簡単にしたものを、自分のつたないスペイン語に変換してものを言わないといけなかった。(やはり、母国語の言語能力は高いんだと改めて気付いて、妙に感心してしまう。)でも、この接続法と言うやつが上達したら、より自分の日本語に近い感覚でスペイン語をしゃべれると言うことになる。おおお。ふんばりどころ!!!!!

Impuntual

ついこの間、メヒコの音楽の先生について書いたけど、1週間、つまりたった5日間しかないのに、彼は4回遅刻してきたので、私は久しぶりに腹を立てている。55分の授業に10分遅刻してくるんである。なめているとしか思えない。しかも、木曜日に、「今日、授業最後だよね。」とか言ってきたから、「いや、明日もある」と言うと、「うっそ~。ないと思うけど!!」と言う。

今日も10分遅刻してきた。腹が立ったから、オフィスに「あの人こないんですけどねぇ!!!」と文句を言いにいったところに、のこのことやってきたから、たまらず

「自分!!今週で4回目やで!!わかってんの!!!!!」

と人差し指で相手を指しながら日本語で叱ってしまった。しかし、彼の反応は、

「だって俺メキシコ人だもん」

「学校にだけじゃなくて、いつも遅れるのが俺なのさ」

「だって今日は、お前に渡すための音楽のデータをUSBに入れてたんだよ。そしたら遅れちゃったんだよ」

云々。

「まぁ、そう怒らずに、さあ、教室行こうぜ!!」

と腕を組んで歩き出してきたから、さすがの私も閉口してしまった。

メヒコ人が時間にルーズなのは分かっていることだし、私自身も待ち合わせ時間に遅れて行ったりする。だから、相手が遅れてきても腹は立てない。むしろ、遅れてくることを前提にして自分も遅めに行ったりするくらいである。しかし、それは遊びの約束に限っての事で、仕事でもそれをされると非常に困る。本当に。今回それをひしひしと感じた。

「だって、俺、メキシコ人だもん」

は、理由にならないと思う。飛行機や映画は待ってくれない。時間通りに始まる。そして、それにはちゃんと間に合うように行動しているではないか。自分が遅れて飛行機に乗り遅れたらしゃれにならんからね。

時間通りに行動しようと思ったらできるんやんか!!!!それなのにしないと言うことは、なめているとしか思えない。しかも、授業の内容もなんだかひどかった。木曜日まではなにやらワークシートを用意してきていたけど、彼の中では「授業は木曜日まで」と思い込んでいたからなのであろう、今日はメヒコのポップミュージックを教えるぜ、とiPodとスピーカーだけでやってきた。ああああああ。久々に腹立ったのに、その相手はぜんぜん悪びれてもないし、なにを言われても堪えていない。

ああー。のれんに腕押しとはこのことやね。なんともすっきりせぇへん日である。