November 29, 2010

へスース

この間、メヒコのクリスマス前について書いた。「ナシミエント」云々の話である。その時に、カメラを持っていなかったから1枚も写真と一緒に紹介できなかったけど、今週末セントロに行ったときにとってきたのでそれをちょいと紹介。これで、「ベイビーへスース(キリストの赤ちゃん人形)」のなんか怖さと言うか、気持ち悪さを共有できたらこれ幸い。

 ▲これは、電飾。さまざまな光方、色、長さのものが、安価に売られている。

▲ナシミエント。真ん中に居る寝ているのがキリスト。

▲ナビダーが近づくと、こういう特設の屋台がたくさんできる。

▲近づいてみると、ヘスースいっぱい。ヘスースの下になっている藁を再現するためのなんか良く分からない素材も、いたるところで売られているのを見かける。

▲ヘスース、各種大きさ取りそろえられています。

▲使用方法は、こんな感じ。やっぱり、人形を並べるかわいさ(4枚上の写真)とは違う。やっぱり、リアルで怖い。

▲スペースがなくても安心。小ぶりなヘスースもあります。

▲もはや、売られる場所を選ばない。ダンボールの上だって。


Marionetas gigantes en GDL

2010年は、メヒコでは独立200周年・革命100周年という記念すべき節目の年。というわけで、さまざまなイベントが催されている。11月23~28日は、"Marionetas gigantes en Guadalajara"というわけで、巨大な操り人形が町にやってくるというイベントがあると教えてもらった。話を聞くと、とてつもなくでかい操り人形がセントロを練り歩くのだという。そのために、道路も封鎖されるというのだから、「一体どれほどにまででかいものなのか?!」と興味津々。

金・土・日と3連休だったが、木曜日に徹夜をするという奇行のため金曜日は使い物にならず、土曜日にのこのこと出かけてきた。バスの割引券を買うために午前中から出かけたら、セントロに入ってからバスの進みが急に遅くなった。景色を見ていると、どうもいつもと違うルートを通っているらしい。セントロの中のメイン道路の一つAVE.16 de Sieptembreが閉鎖されているから、迂回をしいられている様子だった。あまりの遅さに、途中でしびれを切らしたおっさんが、何回も降車ボタンを押し、それでも運転手があけないので、「ドアを開けろ!!!」とドアを思いっきりたたいて叫びだした。がーん、険悪な雰囲気。いややなぁ、と思っていたら、「セニョール、外には警察の警備がいるんだ。バス停じゃないところでおろしたら問題になるから、バス停でしかおろせません!!」ときっぱり。いつもなら、バス停はあってないような、なくてあるようなものな気がしていたけど、やっぱりあるんだなぁ、、と妙に感心。

バスのチケットを買って外に出ると、人々が何かを待っている模様。白バイがいったり来たり、なんだかあわただしい様子。私もみんなに倣って沿道にでて一緒にまっていると、遠くから、でかい音楽とともにめちゃくちゃでかい人形がやってきた。


最初にやってきたのは、人形とは思えないくらい妙にリアルな動きをした黒い犬だった。首のふり方とか、寄り道をする様子とか、本物の犬としか思えない動きでびっくりした。リアルすぎて気持ち悪いなぁ、と思ってぼんやりとみていると、その後ろからめちゃくちゃでかい女の子の操り人形がバスの上に座ってやってきた。はじめは、「でかいなぁ~」と思っていたのだけれど、よくよくみると、女の子は瞬きをしていたり、身体も静止しているのではなく、手が動いたりいろんなところがナチュラルに動いているではないか。操り人形だから、各パーツは全て糸(というか、ワイヤー)で繋がっているのだけれど、そのワイヤーの先を見ると、大の大人が思いっきり引っ張ったりなんだりしているのである。なんだか想像していたよりも精巧でびっくりしたからあっけにとられていると、あっという間にこの2体は行ってしまって、後は何も来なくなってしまった。しばらくまったけど、来る気配が無かったので、用事を済ませることにしてカテドラルの方面に歩いていった。



すると、もう一体、でかいのが止まっていた。じいさんの操り人形で、でかい音でぐぅぐぅと寝息を立てていた。しかも驚いたことに、寝息の音が流れているだけではなくて、彼が息をすったりはいたりする音がするたびに胸部が膨らんだりしぼんだりしているのである。おおお。芸が細かい!!!



テアトロデゴジャードの前では、いきなり壁画が登場していた。場所的に、おそらく一時的に展示されるのだと思うけれど、水道橋風のアーチの壁が地面にめり込んでいるのである。しかもなんか、地面がぼこっと波打ったようになっていて、テンポラリーの展示の割にはめちゃくちゃ凝っていてびっくりした。う~ん、やるなぁ、メヒコ人。

 もういとど16 de Sieptembre通りに戻ると、またもや道が閉鎖されていて、向こう岸に渡れなくなっていた。人の数もなんか増えたっぽいので、また何かがある予感。ので、そのまま人の中にまぎれていると、さっき眠りこけていたおっさんのでかい人形が目を覚ましたらしく、立ち上がって行進を始めた。瞬きをして、足を一歩ずつ踏み出して、おっさんはのしのしと歩いてだんだん近づいてきた。このおっさんを動かすためのからくりは、ワイヤーを上から下に引き下げるのだが、これは大人の腕力だけでは到底無理らしく、何人もの大人が並んで、2人ずつターザンロープみたいに思いっきりワイヤーを下げていた。まるで、ガリバー旅行記の世界を見ているようだった。実際はそのちょろちょろした人間がその巨大なおっさんを動かしているのだけれど、おっさんの存在感が圧倒的過ぎて、人間はその周りをうろちょろしているだけにしか見えなかった。う~ん、すごい。


歩いていると、紙を配っていてそれをもらうと、この操り人形についてのことだった。どうやら歴史上にあった出来事だか物語と関係あるらしい。だから、犬と女の子とおっさんの人形なんだそうな。明日からはこの文章を読んで解読することにしよう。ふむふむ。



↑政府のホームページを見たら、Youtubeの映像が提供されていた。こんな感じ。

November 27, 2010

リカちゃん

メヒコに来てから1年半くらい。海外の美容院は、やはりなんかイメージ恐ろしく、未だに足を運べない。メヒコの人は、アジア人のように黒髪の人もいるけれど、なんか、髪質が違うし、カットの仕方も日本のものとは違うので、みょうちくりんにされそうなのでどうもこっちで髪の毛を切ってみる気にならない。というわけで、私の髪の毛は伸び放題である。今までで一番長い。久しぶりにあう人はさぞ驚くだろう、それもまぁ、おもしろいかな、きひひ、と思っているうちに、伸びる一方である。

伸びているだけなら、まだいいのだが、困ったことに髪の毛のダメージが相当ひどい。メヒコの水道水は飲めない。塩素がきついからだと聞いたことがある。その水で髪の毛を洗って、強い太陽にさらされているのである。毛先は、もはやモイスチャーもキューティクルもあったもんではない。この髪の毛、何かに似ているなぁ、と思っていたら、あれである。「リカちゃん人形」である。あれの質感にそっくりで、それに気付いた今、愕然として、悲しみにくれている。美容院、そろそろ行き時なのだろうか……。

徹夜・電話・英語

今、昼の1時半。昨日から寝ていない。

今週末は、3連休なので昨日は友だちの家でダラダラとパスタを食べながらしゃべりまくっていた。すると、あれよあれよと夜が明けて、うひゃひゃひゃひゃ、と楽しくなってきた。こうなれば、あほなことをするついでに、早朝にスタバにいってみたくなった。いつも朝起きるのが遅いので、朝の空気感がめちゃくちゃ新鮮。なんか、ひんやりしていてさわやか。テンションは不気味に上がって朝日のまぶしいのさえ、おもしろいという状況。

コーヒーを飲んでいたら、妙に頭が冴え渡ってきた。気になるのは、航空券の価格である。冬休みに友だちが遊びに来てくれるのだが、なぜか私が住んでいるグアダラハラではなく、カンクンのチケットを取ったらしいので、ユカタン方面まで会いに行くことになっているのだ。カンクンはドリゾートなので、私はあまり関心がないし、カンクンだけに滞在しているとおそらくお金がいくらあっても足りないと思われるので、チェチェンイツァー遺跡の方へ足を延ばして見たいと思っている。

メヒコのおもなホリデーシーズンは、3月~4月のセマナサンタと12月のナビダーである。特にこのナビダーの季節の航空券の値段はえげつない。それを分かっていながら、心にゆとりがなく旅の計画を立てられるよな状況になかったので、つい1週間ほど前に旅の情報を集めだした次第である。行きはバスでユカタン方面を目指して、ユカタンで友だちと合流し、飛行機でグアダラハラに帰ってくるというのが大まかなルートなのだが、この飛行機が非常に高い。

ノーマークだった空港からグアダラハラへのルートがあることを友だちに教えてもらい、これはいいや、とルーティングプランを練り直していると、ある日を境にしてその航空券の値段が激値上がりしたのだ。これには驚いた。やく2倍も値上がりしたんである。ど、ど、ど、どういうこと?!?!倍て!!!あほですか!!!!

飛行機のチケットは値段の変動が激しいので、「もしかしたら近づくにつれて安くなるかも」なんていう淡い期待を持っていたのだが、それが間違いだった。この時期になったら、「おお!」と思ったものは即刻購入。これが鉄則のようである。さもなくば「倍」と言う失禁寸前の事態が訪れる。……そういうわけなので、夜があけた今日の値段が何よりも気になる。気になるんですよ。なので、早朝のコーヒーで冴え渡った頭でちょっくらチケット購入の最終検討をすることにした。

もう一人の友だちも、いろいろとプランを練っていて、2人で「やばいなぁ」「あかんなぁ」といいつつ、iPod Touchの小さな画面に血走った眼は釘付け。これ以上値段が跳ね上がって涙を呑むのはもうたくさんなので、大体の見当をつけてダッシュで家に帰って早速購入することにした。

順調に搭乗者と購入者の登録などをする場面にいき、座席を選び、さぁ、払うぞ、と言うときに問題発生。Tarjeta(カード)がなぜか使えないんである。私は、メヒコの銀行のカードを持っていて、そこにはvisaの標記もある。てっきり、このカードでクレジットのショッピングもできるのだと思っていたら、どうやら私のカードにはデビットの機能しかないらしい。なんど番号やセキュリティナンバーを入れても支払いの画面はエラーが出るばかり。あほか、こんなことをしている間にも、ライバルたちは航空券の購入を我先にと急いでいるのではないのか……!!!と、一人でてんやわんやである。

ええい、これは困った、と私が心の師匠と勝手に思っている世話になっているおっちゃんに電話をして聞いてみた。すると、銀行のカードでインターネットショッピングをする場合は、銀行に申請をしなければならないかもしれない、とのこと。宙ぶらりんの予約は、一体どうすればいいのだ。とりあえず、電話をかけてみて、航空会社に尋ねてみろとのことだった。そして、よく分からなかったりだめだった場合はとりたい便の情報を送ってくれれば、チケットを取る手助けをしてくれるとのこと。

トールフリーの電話番号が載っていたが、携帯からだとおそらくチャージされるので、職場の固定電話を使うべくダッシュ。夜通し起きていた者とは思えない機敏さで、我ながらあほやな、と関心。電話は、スペイン語ではかける前から完全にノックアウトなので、申し訳ないが英語で対応してもらった。でも、"Puede habrar con ingles?(英語で対応してもらえますか)"と聞くと、「英語要員」がいるらしく、その専用回線にすぐにつないでくれた。しかし、英語といっても、私も最近しゃべるほうでは全然使っていないし、怪しさはかなりのものである。しかも、相手方の英語要員は、もちろんメヒコ人で、スペイン語なまりの英語が相手である。これは、結構強敵。向こうも、日本語なまりの英語で「やや、何やつ!!」と思っているだろうが、くせのある英語で、しかも顔が見えない電話で意思疎通を全て行わないといけないのは、結構タフである。

自分が困っていることやしたいことを伝えることや、相手がそれに対して応対してくれるのは、特に問題ないのだが、一番難しいのがスペルの確認である。"B"と"D"が似ていたりするので、そのアルファベットのつく単語を言い合って確認していくのだが、一番苦戦したのが"Y"だった。スペイン語では、Yは、ジャ・ジュ・ジョっぽい発音になる。だから、"Young"は、カタカナ英語では"ヤング"だがスペイン語英語では"ジャング"と言う風に聞こえるのだ。だから、一瞬何の単語か分からず、スペルを確認するはずが、逆に混乱をまねいて「え?!なんて??」「ジャング」「ジャ??ジェイ??」「ノー、ワイ」「えっ??アイ??」というめちゃくちゃなやり取りになってしまう。しかし、スペルの確認は、搭乗者の名前のスペルの確認であったり、予約番号のスペルの確認であったり、めちゃくちゃ重要なんである。だから、お互いが納得するまで根気良く確認を繰り返すのだ。

結局電話のお兄さんと質問やら、購入方法やら、支払方法の変更やらを30分以上話し合って納得の予約にありついた。ここまでくると、頭は冴え渡っている。らんらんとしたテンションのその足で銀行に向かいお金を支払って、再び「支払いが済んだ」を伝える電話。ええい、まどろっこしい。でも、「これであなたの予約は完了だよ!」といわれたときは、ほっとした。この一連の予約劇をスペイン語ではとてもこなせなかった。ああ、英語ちょっと分かってよかったな、と思う瞬間であり、ああ、自分のスペイン語は最悪だ、と思う瞬間でもある。

ともかく、これで、帰り道の飛行機の予約は完了した。よっしゃーーーーー。

November 23, 2010

Navidad

気がつけば、11月ももう下旬。12月までカウントダウン。は?!?!じゅ、じゅうにがつ?!そんなまさか。2010年があともう少ししかないなんて。今気付いた。ガーン。

と勝手に私がショックをうけようが受けまいが、世間は着々とNavidad(ナビダー)に向けて準備が進んでいる模様である。ナビダーは、英語で言うところのクリスマスである。カトリック大国メヒコでは、ナビダーはかなり盛大に祝われる。日本は、宗教もへったくれもなくとりあえず「いえーい、メリークリスマス~!!」となんとなく楽しい感じのする日であるが、メヒコでは様子が違う。

11月2日の死者の日が終わった辺りから、町ではナビダーグッズが出回り始める。家を飾るための電飾とかである。この間の週末にセントロに行ってみると、いたるところで見かけられたクリスマスツリー。そして、「ナシミエントグッズ」。Nacimientoとは、誕生を意味する単語だが、これはすなわちキリストの誕生を意味する言葉でもある。12月25日は、彼の誕生日で、彼は馬小屋で生まれたとされている。それを、彼の生誕の様子をジオラマで作って再現するジオラマを飾るのが習慣らしい。ベイビーへスース(Jesusはスペイン語読みでは「へスース」)は、リアルで結構こわいが、そんなことをいったらきっと怒られるに違いない。でも、いろんなサイズのへスースが売られていて、ちょうど本物の赤ん坊くらいのへスースを片手でぷらぷら持っている人を見かけたりすると、一瞬ドキッとしてしまうんである。

ナシミエントには、ベイビーへスース以外にも、いろいろな動物がいたり、藁やら石とかも結構精巧に再現されたりする。そのためのグッズがこの時期から街頭に並び始め、人々はこぞって購入していくのだ。それにしても、毎年良くもまぁ、あんなに売れていくものだと感心する。日本でもひな祭りなどにはお雛様を飾ったりするけど、1回買えばそれこそ一生もの。しかし、ここメヒコでのナシミエントグッズは使い捨てなのだろうか……??謎は深まるばかりなので、一度調べてみるとおもしろいかもしれない。

November 17, 2010

11月に

ひまわりを道端で発見!!!!なんか、めっちゃ興奮した。もう11月やのに~~~~!!!!

dear deer

セントロの雑な感じも好きですが、もう一つ好きなエリアがあって、そこはグアダラハラきってのおしゃれゾーン。落ち着いた雰囲気で、なんかインディーズな感じがとてもいい。雑貨屋さんも点在しているから散策すればさらに楽しいのだろうけど、お気に入りの店が一軒あって、私はいつもそこばかりに足が向かう。dear deerという名前のお店で、ハンドメイドの雑貨や服、アクセサリー、マガジン、古着も扱っている。一軒家の1階部分を改造したつくりなので、広い。ギャラリースペースもあって、たまに作品が展示されてあったりして、こんな店持てたらよろしいなぁあああああ、とよだれがダラダラ出てきそうな店なんである。(えみこさん、とよこちゃん、夏に連れて行ったけど閉まっていたあの店です。)

何回か、足を運んでいたけどなかなか開いている日に恵まれていなかったけど、今日はばっちり開いておりました。最近、白いTシャツが全部死にかけになってきたので、なんかすごい顔で吼えまくってるねこの(ねこって吼えるか知らんけど。)ものと、相変わらず変な柄のシャツが好きなので変な柄のてろんてろんの素材の古着シャツを購入!!

めちゃくちゃかわいい袋に入れてくれたから(写真)、「これ、めっちゃかわいい~~!!」と言うと、おまけになんかステッカーをくれた。ラッキー!!!

やっぱり、かいもんはよろしいなぁ~~!!おもろいわぁ~!!!

[FYI]
dear deer
>>WEBSITE
http://www.deardeer.com.mx/

>>LOCATION
López Cotilla #1238
Col. Americana
44160
Guadalajara, Jal
México

November 16, 2010

ひとてま

「おいしいものが食べたい」

と思うのは人情。しかし、

「まぁ、腹が膨れればいいや」

と思うのも人の性。

というわけで、私の食生活は基本的に残念である。しかし、今日はちょっと豪華だった。昨日、肉じゃがと鶏肉のフライをもらったのだ。鶏肉のフライは、卵とじを作って丼にしたらおいしいよなぁ、と友だちと話していてその時に、「玉ねぎも入れたらもっとおいしいかなあ」と聞いてみると、「そうだね~。絶対おいしいね」との返事。彼女は、料理がうまい人なので、そう断言されると間違いない。というわけで、玉ねぎを気って入れるという「ひとてま」をかけて丼を作って食べた。

この一見しょうもないひとてまが大事なんだなぁ、としみじみ。う~ん、おいしかった。

喋る

ということが、私の人生の中で重要な活動であることをしみじみと感じる今日この頃。通学路でも授業の空き時間でも、帰り道でも、喫茶店でも、道端でも、主にどうでもいいことしょうもないことをしゃべってきたな、と思う。しゃべりの友だちが多いというのもその一つかもしれないが、おそらくその要素が自分にもあるのだと思う。だんまりを決め込むときもあるし、それを沈黙を共有できる友だちももちろんいるが、おもしろいことも腹の立つこともしゃべり倒して共有することで、おもしろさは2倍、腹の立つのは1/2……とまぁ、数学みたいに簡単に割り切れるものではないにしても、しゃべる・話す・言葉にするなどアウトプットすることで何かが変わる、あるいは、何かが生まれる、それとも何かが残るのか??たぶん、自分の考えていることがクリアになっていくのだろう。たとえ答えが出なくても、自分がどう考えているのかが少し見える気がする。悶々と行き詰った感じだったのが、言葉を交わすことで、聞いてもらうことで、逆に意見を聞くことで、自分の目で見ることで、少しだけ軽くなる。それに安心するのかもしれない。話してもどうしようもないことかもしれなくてもそれにはとことんと向き合いたい。と私は思う。相変わらず何とまぁ、不器用な人間。なんとまぁ、世渡りが下手なんだ、と我ながら感心する。こんなときに顔色を変えずににこにこできたらなぁ、角を立てなければなぁ、とも。でも、それは、なんか、違う。自分的に。だから、問題には正面から挑むしかない。でも、問題点に関しては、さまざまな角度から見れる人にならないと、と思う。

くっそう、いくつになっても悩みや困難にぶつかってばかりだ。世の中おかしなことばかりだ。しかし、おかしいもんはおかしいと言えるような強い心で向き合いたい。って、この性格があかんのかなぁ。わからんけど。でも、これが自分なんやから、しゃあない。

November 13, 2010

新語・流行語大賞

という記事を読んで驚いた(こちら)。1位から60位まで載っていたのだが、2位で既に分からなかったからである。インターネットがあって、日本のニュースも毎日チェックできるし、割りにチェックしている方だと思っていたのに、2位のクロスカップリングと、3位の無縁社会という言葉をみても何のことを言っているのかさっぱりだった。もちろん、日本語なので、その言葉の意味を想像することはできる。でも、なぜ「クロスカップリング」と言う言葉が流行したのか、とか何が何と「無縁」な「社会」なのかと言うところが分からない。

そのことは、ショックだったと言うよりもむしろ、日本語の流動的な面や、言葉はその社会を反映した生き物なんだというのを見せ付けられたな、と言う感じがする。たった1年半日本から離れただけで、このありさまである。言語は日々使われるものなので、変わっていったり流行の言葉ができたりするのは分かる。でも、その流れは文字だけでは伝わってこないんだと言うことが分かった。やはり、その社会で暮らし、肌で感じてはじめてその言葉を使いこなせるんだろう。流行の言葉も分からないとは恥ずかしいやつめ、と言われても別に恥ずかしくはないけど、置いてきぼりを食らったような感じは、確かに、する。いわゆる「浦島太郎」状態である。

そんな太郎さんな状況をものともしないで、未だに「ゲッツ!!」とか言っている人がいる。お父さんの仕事の都合でメヒコに暮らしている私の生徒である。日本に帰るといっても年に数えるほどなので、日本で暮らすと言う環境から離脱してしまっている。だから流行の言葉をアップデートすることができていないのだ。その「ゲッツ」やらの一世を風びしたギャグを聞いて、

「あんた、それ、古いで。」

と、ツッコミを入れている私だけれど、「じゃあ、最新のギャグを言ってください」といわれると、むむむ、となってしまう。ちなみに私が知っていて覚えている一番最近のギャグは、狩野英孝の「スタッフ~!」と言うやつである。ブラマヨの小杉が結婚したらしい、と言うニュースは知っていても、彼の「ヒーハー」と言うギャグがどのタイミングで使われて、なぜそれがおもしろいのかはわからないんである。

「ゲッツ」などは、死語として定着しているので、ある意味流行と言うレベルから脱した新スタンダードの域まで来ているのかもしれない。移り変わりの激しい日本語において、それはもしかしてものすごいことなんじゃないか……、と思ったりしつつ、言語のおもしろさと難しさをかみ締めているのである。がりごり。

November 09, 2010

たこ焼きパーティ

日本からたこ焼き器を送ってもらってからと言うもの、それはもうたこ焼き漬けの日々が続いているわけですが、そのファンタスティック食事についにメヒコ人を巻き込んでみた。そのメヒコ人の友だちと言うのは、前に手巻き寿司を一緒にした友だちで、ゲイカップル+女の子という三人組。一回たこ焼きパーティに誘うと、

「この間、寿司パーティに招待してもらったから、今度はこっちがカルネアサダ(焼肉)に招待するから!!」

と断られ、カルネアサダが向こうの都合が悪くなったり、こっちの体調が悪かったりでなかなか開催されていなかった。するとある日、

「日本食が食べたいんだけど~~!!」

とfacebookへの突然の書き込み。カルネアサダはどうなったのだ?!、まぁ、適当な人たちだから、それよりも「たこ焼きとやら」を食べてみたくなったのだろう。

というわけで、カルネアサダは開催されることなく、日本食を食べる会第2弾「たこ焼きパーティ」が開催される運びとなった。

メヒコは、タコを食する世界でも珍しい国の一つなので、タコが簡単に手に入ったり、また、人々が「タコを食べる」ことへの抵抗もなかったりで、それに加えて、たこ焼きのあの丸いフォルムである。だからウケはいいだろうと思っていたけど、万一受け入れられないことを想定してソーセージとチーズも用意した。

「4時に!!」

と、時間を指定してきたのは向こうなのに4時には一向に現れず、私や友だちも「4時に来るわけがない」と、準備すらしていなかった。4時半くらいにようやく電話連絡があり、まだプラサにいるとのこと。「これからデザートを買っていくから~」、と言う連絡だった。気ままな人たちだ。まぁ、想定内だからいいけど。

女の子がまず一人でやってきて、それからゲイの2人がやってきた。みんなたこ焼き器に興味津々である。たこ焼き粉の絵を見せて、

「これを作るで!!」

というと、

「Que rico!(うまそう!!)」

と上々の食いつき。生地を流し込んで、みんなに竹串を1本ずつ支給。うまくまわせないのもまた、たこ焼きパーティのおもしろいところ。なので、ぐちゃぐちゃになりながらも完成すると、

「これ、うまい!!!!!!!!」

と口々にパクパクと食べてくれた。ソースも抵抗なく自ら進んでかけて食べていた。そして2回目~、3回目~とどんどんたこ焼きを焼いていくのだが、途中から女の子とゲイの片割れは完全にひっくり返すのを放棄して、食べる専門に転身していた。う~ん、らしいぜ、と思いながら、残りの一人と日本人の友だちとでくるくるとひっくり回しまくったのである。そして、できたそばから一番いい形のものたちを、食べる専門の2人がかっさらっていくのであった。

タコも人気だったが、念のため用意していたソーセージとチーズも人気だった。いつもは、一人で1回だけするので気にならないが、何回もして鉄板が温まりすぎると、ひっくり返しにくくなってきた。日本の電圧にあわせて作られてある器械なので、メヒコの電圧では熱くなりすぎていたのかもしれない。

ともあれ、たこ焼きは大成功。たこ焼き屋さん、メヒコでしたらはやるんちゃうか、と言う人気っぷりでよかった。ああ~、たこ焼き屋ENメヒコ。これ、意外にええんちゃいますか~~?!

November 08, 2010

Pan de muerto 7

11月2日死者の日を境に、本当にPan de muertoを見かけなくなった。今年最後に食べたのはPan Alfredoというチョコクロワッサンのおいしいパン屋さん。

小ぶりのものがなく、直径10~15センチのものしかなかったけど思い切って購入。いつもと同じ皿に載せて写真を撮ってみたけど、伝わるかなあ、この大きさ。さすがパン屋さんのパンだけあって、柔らかくておいしかった。ここの死者の日パンは、シナモン風味で、他のものとは一味違っておいしかった。だから、大きかったのにぺろりと完食してしまった。

去年は1つも食べなかった死者の日パン。今年は見かけるたびに買っていたら、なんと7個も食べてしまった。でも、その日が過ぎるとぱたりと見かけなくなってしまったので、やっぱり季節もん・行事もんにはどんどん手を出していくべきやな、と思った。

November 02, 2010

El panteón

11月2日は「死者の日」である。去年は仕事が休みだったのに、今年は休みにならず……。ううっ、泣ける。この「死者の日」ほどメヒコらしい行事もないと言うのに。死者の日と言うとおどろおどろしいけれど、日本で言うところの「盆」のような行事でで、その目的はご先祖様の魂がこの世に帰ってくるので、お祝いしましょうと言うことである。

もっとも違いが顕著に現れるところは、やはり墓場だと言える。日本のお墓はじめじめしていると言うか、なんだかこう、陰気なイメージが付きまとう。しかし、メヒコのお墓は一言で言えば「白い」という形容がよく似合う気がする。そんな白いお墓が、この死者の日にはマリーゴールドの花でオレンジ色に飾られるのである。メヒコの中でも、ハニッツィオ島やオアハカの死者の日は殊に盛大に行われるらしい。かといって、私が住んでいるグアダラハラでは全くかというとそういうわけでもない。

理想としては、11月2日の当日にぜひとも見に行きたかったけれど、調べてみると、墓は11月2日に向けて年間を通してきれいにされ飾られるのだという。ということは、当日でなくても、死者の日の前の週末に墓を訪れればおもしろいものが見られるかもしれないと思いついたので、のこのこと出かけてきた。

予想通り、ちらほらと墓がかざり付けされているところがあり、まさに墓参りといった家族連れもたくさんいた。日本の墓参りと同じく、墓石に水をかけて掃除して、花を添えてきれいにかざりつけがされる。しかし、決定的に違うなぁ、という点は、

その1、家族が墓石に腰を下ろしてくつろいでいるということ。
その2、はげた墓にペンキで色を塗ってきれいにしていると言うこと。

である。日本の墓参りでは、「墓をきれいにする」がメインな気がするが(といっても、あまり日本で墓参りに行ったことない私ではあるが。)、メヒコでは、訪れた家族が故人を偲んで墓に結構長い時間滞在するようだ。そのため、墓石に座って、しばらく家族団らんのように時を過ごしている姿が印象的。また、カトリック大国なので、聖書か何かを読んだりしてお祈りをささげている人もいた。去年見かけた風景では、マリアッチや音楽の演奏もあった。これは、故人を偲ぶためにその人の好きだった音楽をみんなで聴くと言う意味があるらしい。

去年は、死者の日当日に行ったので、見かけることはなかったのだが、今年見かけてびっくりしたのが墓石を塗りなおすと言う行為である。日本の墓石はだいたいねずみ色と相場が決まっている。メヒコの墓は、白い。カトリックの国なので、十字の形のものがほとんどである。最近はどうか知らないが、土葬なので墓石以外にも棺を入れるためのコンクリートの部分がありそこも白い。でも、雨風にさらされているとぼろぼろになるので、それを白く塗り直さなければならないらしいのだ。もう誰もお参りに来てくれることもないような古い墓は、朽ちてぼろぼろになっているけれど、まだ家族がお参りに来てくれる墓は、きちんと白く保たれている。11月といえども、昼間の太陽の光はかなりきつい。そのまぶしい太陽にそんな白い墓石が照らされているから墓地のイメージが「白い」なのかもしれない。

そんな白い墓に、マリーゴールドのオレンジの花があちらこちらにかざられている様子を想像してほしい。これはなかなか、息を呑む光景である。