March 31, 2010

究極のDIY

メヒコは、DIYの国だ。セントロに行けば材料が何でも手に入る。手芸に関しても細分化されていて、布に強い店、糸に強い店、レースに強い店、毛糸に強い店、とそれぞれ使い分けが重要である。材料が手に入るとあらば、素材を見ているうちに、何でも自分で作ってみたく、挙句の果てには、さも自分にもできるような気になってしまうから恐ろしい。

さて、前々から自分の家の壁にに大きな穴が開いているのが気になっていた。粘土のようなテクスチャーで、乾燥したら固まるというような素材があれば買って補修を試みたいと考えていた。友だちが(これまた、彼女もDIY好きなのである。)キッチンに置く棚を作るとか何とかで釘が必要だと言うから、近所の工具屋さんに行ってみた。私が求めるような粘土質の素材はやはり置いていない。その代わりにセメントが目に付いた。セメントを固めに練れば粘土みたいに扱えるのでは?!と言う素人の発想で、本当に可能かどうか店のおじさんにセメントの使い方について尋ねてみた。セメントは前々から気にはなっていたのだが、小売をしているところ見かけたことがなかったので手を出しかねていたのだ。

おじさんはさも簡単そうに「な~に、水を入れてよく混ぜるのさ。そして、このこてで平らにすればオッケイよ!」的なことを言っていた。壁に穴があってそれを埋めたいけど難しいかどうか具体的に聞いても、私の話が伝わったのか伝わってないのか、「俺の説明を聞いて難しいと思ったか??簡単だろう~??」と言うばかり。私たちにしてみれば、セメントなどを扱うのはプロの左官屋さんでもなければ無理な話と思っていたのに、店のおじさんはホットケーキを作る勢いの手軽さで話してくる。レジのおばさんも「よく混ぜれば大丈夫よ」と付け足してきた。



……というわけで、とりあえずセメント1kg購入。独身女子が買う代物ではないよなぁ……、と思いつつも素材がそろえば一刻も早くやってみたいと言うのがこれ人情。


とりあえず、埋めたいのはこの穴と、もう一つの穴。もう一つの方がかなり大きかったのだけれど、写真を撮るのを忘れた。おじさんの唯一の教え「とにかくよく混ぜろ」を頭に置きながら、適当にこなと水をあわせてセメントを作った。始めこそ、垂直な壁にどう塗りつけていいものか苦戦したが、慣れてくると、そう難しい作業ではなかった。そして、ヘラでなでてやると思った以上に仕上がりがきれいで驚いた。


こんな感じで一つ目の穴の補修が完了。


二つ目も完了。少し色の違うところが補修部分。さらに調子に乗って、壁のコーナーが物がぶつかった拍子に割れてしまっていたので、それも直角になるようにセメントを塗って直してみた。(コーナー部分の少し色が違うところがそう。)

あとは、おじさんが昨日言っていたもう一つのありがたいアドバイス「まぁ、セメントを塗ってだな、昼休み2~3時間飯を食べてうちに乾くから」にしたがって、乾くのをぼちぼちまった。


そして今日は、晩ご飯もちゃんと作った。大根とイカの煮物を作ってみたけど、初めて挑戦したわりにちゃんとおいしい味になった。昨日まで猛烈な下痢に襲われていて苦しんでいたので、こういうやさしい味の和食が本当に体に染み渡ってほっこりした。

ここメヒコでは、DIYなんていう言葉は意味をなさない気がした。「壊れたから材料を買って直す」。この国では、当たり前のことなのだ。それは、生きるために毎日ご飯を作って食べるのと同じレベルのことなのかもしれない。自分で一生懸命作った料理がへたくそなりにもおいしいと感じるように、自分で作ったり補修したりしながら生活するのは、純粋に楽しい。

イス


先日、イスを買った。グアダラハラのセントロで見つけたのだけれど、もちろん手作りで、座るところは麻紐を編んで作ってある。「かわいいから」と言う理由よりも、「長く座ると味が出る」というところにほれ込んで買うかどうか迷っていたのである。

後者の理由で買った場合、メヒコ生活の間だけの付き合いはしたくないと言うのが私の気持ちだ。つまり、「もって帰りたい」のである。なにがなんでも。

そんな葛藤も経て、ついに購入に踏み切り、でかいイスを担いで公共のバスで家に運び込んだ。家においてみると、店先で見たよりもさらによくて買ってよかったと早速にやけてしまった。

後日、トナラに行ったときにびっくりするような偶然があった。トナラに好きな店があるんだけれども、そこにもこのイスと似たイスを見つけた。やっぱりいろんなところで作られているものなのか、思っていると、店のおばちゃんがアルバムを見せてくれた。

「気に入ったんなら、他にこんなのもあるよ。あんたたち、メヒコにすんでるんなら、オーダーメイドもできるよ。」

と言うわけである。そのアルバムは、私がこのイスを買ったセントロのお店で見せてもらったのと全く一緒で、驚いておばちゃんに

「私このイスこないだ買ったけど、セントロで!!その店で一緒のアルバム見せてもらった!!」

と言うと、おばちゃんは

「それはよかった!!」

と言ってくれた。そして、何を隠そうこのイスの作り手はおばちゃんの甥っ子に当たる人なんだそう。信じられないほどたくさん店のあるセントロと、トナラの中で、私はこの2つの店が気に入っていたのだけれど、まさか親戚同士だったとは。

世間は、やっぱり広いようで狭い。

Zacatecasの工芸品


サカテカスに関する日記もこれが最後。サカテカスの街では、あまり工芸品を見かけなかった印象がある。お土産屋さんといえば、まぁ、どこにでもあるようなお土産屋さんでさほど魅力的でないものがずらずらと売られているわけだ。

そんな中、唯一いいなぁ、と思ったのがこのビーズのネックレス。これは、民族衣装を着た人たちが路上で売っていたものなのだけれど、その場で実際に作っていたりもしてその繊細な作業に思わず見とれてしまった。

売り子の姉さんと、彼女の子供や知り合いと思われる人たちの間で交わされる言葉を聞いていたら、どうもスペイン語ではない。姉さんに何語なのかと尋ねてみれば、ウイチョールの言葉だと言う。鮮やかな民族衣装をまとって、謎の言語をしゃべり、素敵なものを手作りするウイチョール族の人たち。素敵なネックレスに出会えてよかった。

San Agustin


私たちがサカテカスへ行ったときは、ちょうどカルチャーフェスティバルというイベントが開催されている最中だったらしく、おもしろい催し物をいくつか見ることができた。中でも、この映像ショーはだいぶん驚いた。San Agustinという、かつて(多分2009年まで)教会だったところが、今は内部はホールとして活用されているという建物があった。その建物の中で、無料でピアノ・バイオリンコンサートが開かれると言うので、足を運んだ。

石造りの建物の中は至極寒い。うううう、と震えながらまっていると、コンサートの開始時刻がずれ込むと言われた。その代わりに、建物の外でスライドショウがあるとのことだった。「スライドショー??」と不思議に思いながら他の人たちと外で待っていると、突如映像がもと教会の壁に映し出された。しかも、ただのスライドショーではなく、建物の形全体がスクリーンとして使われているのである。これにはただただ驚いて、次々映し出される映像に釘付けになった。内容は、この教会やメヒコの歴史についてだったはずだが、詳しくはわからない。でも、わからなくても全く問題がない圧倒的な映像技術だった。というわけで、ここからは語るよりも写真のほうが伝わると思うので以下写真参照。

▲浮かび上がるメヒコのバンデラ(国旗)カラー

▲足場を映像で再現

▲マンションみたいにもなったり

▲ステンドグラス風の光る輝く教会に。

▲特大のグアダルーペ

Museo Rafael Coronel


サカテカスで私が唯一行った博物館がここ。マスクのコレクションが半端なくめちゃくちゃ充実していた。驚いたのは、個人のコレクションらしいと言うところ。メヒコじゅうから収集されたもので、実際に使われていたんだそう。

私が行ったときは他にお客がおらず、電気すらついていなかった。私が入ると電気を手動でつけてくれ、私が出て行くとその部屋の電気を消す、と言った具合だ。そんな中、一人で行ったりきたり、かなりの時間を費やしてみて回った。どうしてそれらの仮面が作られたのかや、どういうときに使われたのかなど詳細については、おそらく看板に書かれていたのだろうけど、あいにくの残念なスペイン語力では理解するに及ばず残念。どこで作られたか・使われていたかと言う地名だけがかろうじでわかる程度だった。

特におもしろいなぁ、と思ったのは悪魔の仮面と、死者の仮面。悪魔の仮面は、どの仮面にも漏れずに2本の角が生えていた。日本だったら、鬼と言えば角は1本のものもあれば2本のものもある。しかし、これらの悪魔は必ず2本だった。何か意味と理由があるに違いないから、調べてみるとおもしろそうだ。

死者、つまり骸骨は、メヒコではいたるところでお目にかかるわけだが(死者の日と言うのがあるくらいなので。)、いつも抱く印象として、「全く怖くない」と言うことがあげられる。どれもなんだかニヤニヤしていて友だちになりたい気すらする。「死」と言うものは、一体メヒコの人たちにとってどんな存在なんだろう。骸骨を友だちのように絵に描いたり、工芸品にしたりして自分たちの身近なところに存在させている。この感覚は、日本人にはないような気がする。死んだ人間や、骸骨なんていうものは、住むところが違うという感覚すらあるかもしれない。だから、にやけた骸骨の置物なんていうものは日本では見かけない。この骸骨についても調べてみたらおもしろいだろうなぁ、と常々思っているけど、なかなか実現できていない。


あと、珍しいと感じたのは、この「鏡」がある仮面たち。この写真の仮面のように額についているものもあれば、目に埋め込まれたものもあった。そもそも、仮面は自分以外の誰かになるためのものであるのに、さらに何を映そうというのだろう。とても興味がある。

まぁ、そういうわけであげだしたらきりがないほどさまざまな仮面があるここラファエルコロネルだが、仮面以外にもよかったのが建物そのものだ。昔修道院として機能していたらしいその建物は、デザイン性にとても優れていた。アーチ状にレンガが組まれていたりして、今はひっそりとしたその廃墟っぽい雰囲気の中を歩くのは、とてもわくわくした。風がよく通ってとても気持ちがよかった。ベンチなどもあるから、しばらく腰をかけて休んだり、芝生の上に寝転がって昼寝もいいかもしれない。あまりに気持ちがよかったので、「仮面+散策+昼寝」コースでみて回った。おかげで一人で行ったにもかかわらず2時間半を過ごすと言う贅沢な時間の使い方ができた。

March 27, 2010

El Eden


サカテカスは、マイン(鉱石業)で栄えた街でもある。ということで、鉱山のツアーがあったので行ってきた。鉱山に入れるという冒険な感じが、いかにも私が食いつくところである。しかも、その鉱山にトロッコではいることができると言うのだから、これは行かない理由が見当たらない。

そして、なぜトイレの写真やねん?!と思われるかもしれないが、これ、鉱山の中にあるトイレなんである。めちゃくちゃきれいで、本当に驚いた。なぜこんなにきれいなのかと言うと、この鉱山のもう一つの顔に理由がある。なんと、夜になるとクラブが鉱山内で営業されているのだ。昼間はマインのツアー、夜はクラブ、ものすごい鉱山の活用方法で驚いた。


これが、クラブの入り口である。洞窟風のバーやクラブは世界にたくさんあるかもしれないけど、リアル鉱山クラブはここだけだろう。ちなみに、入店の際にもトロッコを使われるらしい。

鉱山の見学設備もとても新しくて、冒険の感じからは少しほど遠かったけど、入るとひんやりする感じとか狭い感じには少しわくわくした。各グループに必ずガイドがついてくれて、私たちのガイドはスペイン語と英語の話せるガイドさんで、一緒のグループだったメヒコ家族にはスペイン語で、そして私たちのためにまたわざわざ英語に訳して説明してくれてとてもよくしてくれた。バカシオネス(休み)に入るともっと混雑しているそうなので、すいている中をゆっくりと見学したり質問したりできてよかった。そして、帰りにトロッコにもう一度乗るのもOKだったのがうれしかった。トロッコに乗りたいがためだけに、帰りはまた穴の中を逆向きに歩いて遠回りの出口から帰った。メヒコの年配の大グループと乗り合わせて帰ったけど、日本から来ました、と言うと、なぜか代絶賛された。メヒコにおいて、対日感情はどこへ行ってもどの年代でも極めてよくてありがたい限りだ。


食いつくところ


サカテカスの街を歩いていたら、いちごが売っていた。きれいなぁ、と思い写真に撮った。そしてfacebookのフォトアルバムに投稿すると、日本にいる友だちから

「こんな山は日本ではなかなかみられへんよ。」

と言われた。……そういわれてみればそうかもしれない。日本は、きちんとパックに入ってこじんまりと売ってあるんだった。慣れとは恐ろしいもので、これがすっかり普通だと思い込んでいた。

しかし、これにはまだ違和感を感じる私である。↓


ケーキのキロ売り。20キロで1400ペソ……。ケーキ20キロってどういうこと?!?!

Zacatecas


Zacatecas(サカテカス)という街に行ってきたことは、この間からちょくちょくと書いてあるが、一体どんな街なのかと言うことについてまだふれていなかった。サカテカスは、グアダラハラよりバスで北に5時間ほどいったところにある街だ。私が今まで行ったメヒコの街は、コロニアルな街が多いけどこの街もそんなコロニアルタウンの一つである。セントロは石畳がひかれてあり、落ち着いた雰囲気で、観光客も多い。友だちから、「グアナファトを大きくした感じ」と聞いていたが、本当にその通りで、街を一望できる「ピピラの丘」と言うのがグアナファトにはあったが、サカテカスには「ブーファの丘」というところがある。

私たちは、サカテカスに5日間いたのだが、特にこれといったことをしなかった気がする。ブーファの丘でさえ行くことができなかった。行く気はあったのだけれど、風が強くてケーブルカーが動いていなかったのだ。それで一気にテンションが下がり、なんだか行く気持ちが萎えて結局行かなかった。では何をしていたのかと言うと、ひたすらリラックスしていた気がする。坂道を闇雲にうろついたり、公園に行ったりそういうことばかりしていた。幸運にも、訪れたときにちょうどインターナショナルカルチャーフェスティバルなるものが開催されていて、文化的な催し物にただで、あるいは安くで参加することができた。ショートフィルムフェスティバルも開催されていて、2プログラム計13本の映画を40ペソで見ることもできたのも良かった。

ショートフィルムフェスティバルは、アジアの部とメヒコの部を見ることができて、アジアの作品は韓国・台湾・中国のものだった。日本のショートフィルムのみを上映する日もあるらしかったけど、日が合わなかったので見ることができなかった。ショートフィルムフェスティバルとは別に、「おくりびと」の上映も私たちがサカテカスに行く数日前にあったらしい。友だちにDVDを借りてみたらとてもおもしろい映画だったので、メヒコ人や(あるいは他の国の人)は、あの映画をどういう風にみられるのか(笑えるところもたくさんある映画なので、そう言うユーモアは伝わるのかなど)興味があったからぜひ彼らと一緒にみてみたかった。サカテカスに来ていた週に、グアダラハラでもフィルムフェスティバルが開催されていて、それを逃したのが残念だったけど、サカテカスでもフィルムフェスティバルにうまい具合に当たって良かった。

上の写真は、泊まったホステルの屋上から見える風景。屋上がテラスになっていて、イスや机が置いてあったから、そこに毎朝コーヒーと食べ物を持って上がって、朝ごはんを食べたり、本を読んだり、日向ぼっこをしたりした。サカテカスに戻ったら何がしたいといわれれば、案外これが一番したいことかもしれない。そしてそれは、とても贅沢なことだと思う。

March 26, 2010

Asado de boda


Zacatecasについて、ホステルの兄さんにサカテカス料理を食べられるおすすめの店を聞いた。紹介されたのは、La Cantera Musicalというところで、あとで見ると地球の歩き方にも紹介されている店だった。(最近のメヒコのインフレを受けてか、歩き方は09-10年度版に載っていた情報よりもさらに20~40ペソほど高くなっていた。)

ホステルの兄さんに教えてもらったおすすめの料理は、Asado de bodaというもので、結婚式の時に食べられる料理なんだそう。豚肉を煮込んだもので、ソースは甘めでハヤシライスを思い出す感じだった。ご飯も横にちょっと着いているが、もちろんトルティージャと一緒にいただく。トスターダスというトルティージャを上げたスナックも一緒に出てきて、無駄にぼりぼりと手がのびる。

屋台や食堂の料理も安くておいしいから大好きだけど、たまにはこうしてレストランで食べるのもいいもんだ。

▲店内の様子

【La Cantera Musical】
Tacuba No.2, Zacatecas


Gorditas


Zacatecasで一番気に入った食べ物は、「Gorditas」。旅の指さし会話帳でみたことはあったけど、実際には食べたことがなかった。どういうものかと言うと説明するよりも写真を見てもらったほうが早いと思うので、下を参照。


分厚いトルティージャの中に具を詰めてもらって、そして鉄板で焼いてもらうという食べ物で、チーズを一緒に入れてもらったりしたらそれが中でいいくらいにとろけてまた絶品。私たちが通ったのは、Lonchería NORMITAと言う店で店内にカウンタといすがあるだけと言う小さなところ。しかし、いつもお客でにぎわっていて、これはすなわち「おいしい」と言うことで足を踏み入れてみたわけです。

私が特に気に入ったのは、Picadilloというもので、ひき肉とチレが入っていた。分厚いトルティージャの間に具がもりもりと入れられてそれをぐいっと開いて、サルサやワカモーレをいれてかぶりつくと、肉汁がじわりと滴った。同じトルティージャを使った料理といっても、タコスとはまた全然違う風だった。奥が深い、メヒコ料理。

このお店が気に入ったのは、味はもちろんのこと、店を切り盛りする姉さんたちがめちゃくちゃいい人だったこともある。お客さんのことを「hija(娘)」や「hijo(息子)」と呼びかけて(メヒコの人たちは、自分の本当の娘や息子でなくても親しい人に向かって、私の娘、私の息子、と呼びかけてくれる。)いつも笑顔で、その姉さんたちに会いにまた行きたくなる雰囲気なんである。込み合っているにもかかわらず、どれがなにやらわからない私たちにどれが何か一つずつ教えてくれたり、翌日にもう帰ると伝えると、こっそりと店のキーホルダーを袋に入れてくれていたり(友達のに入れたのが最後だったらしく、私は見えのオリジナルペンをもらった)、そういうちょっとした優しさが本当にうれしかった。Zacatecasに行ったら絶対にまた食べに行こうと思う。

▲店の姉さん

【NORMITA】
・Tacos, Gorditas, Burritos, Flautas
AV. Torreon 303
Zacatecas, ZAC

March 25, 2010

Y字路


友だちと一緒に、Zacatecas(サカテカス)という街に行った。うろうろと街を歩いていると、突然Y字路に出くわした。兵庫県の西脇という街にもこんなY字路があったなぁ、とても興奮した。西脇で一緒に遊んだ友だちたちは元気かなぁ、としみじみ懐かしく思う気持ちで満たされた瞬間だった。

March 24, 2010

Bienvenido!!

3月8日から、友だちがカナダから遊びに来てくれた。初の友だちの来訪である。8日の週は、まだ仕事があって、しかも異常に忙しかったからちゃんと相手をすることができず申し訳ないなぁ、と思った。

本当にメヒコは多面性の国だと思う。そして、それは一歩メヒコの外を出るとあまり知られていないのではないかと感じる。海外で扱われるメヒコのニュースは、麻薬組織のニュースだったり危ないイメージを持たれるものが多いからだ。でも実際にこの国を歩いてみると、それだけではない。私がメヒコに来てほぼ1年が経とうとしている。「メヒコがほぼ始めての友だち(彼女は実はメヒコに以前1回来たことあるんだそうな)」と一緒に過ごすことで、この国のまた新たな一面を見ることができたような気がする。友達と過ごしたこの2週間のメヒコは、町並みも、カルチャーも、なんだか新鮮だった。でも、私が1年間で知ったり見つけたりしたメヒコのおもろいところを彼女に伝えたくて、みてもらいたくて、そう思いながら過ごしていたら2週間では伝え切れないほどに私はメヒコのいいところをちゃんと見つけられていることに気がついた。彼女が去ったあとに、机の上にメッセージが置いてあった。その手紙の中に、伝えたかったことを伝えることができたのかな、と感じる一文があって思わずにんやりとしてしまった。得てして、イメージと現実は異なるのである。

"I got to see a side of Mexico that I didn't expect and best of all."

March 07, 2010

Skype

「3月5日にスカイプしよう!!!」

と、日本にいる友だちからオファーを受けた。何回も日付を念押しされて、何かあるのかと思わせぶりな様子だったけど、「ウェブカメラを買ったから、試してみたい」と言うばかり。

指定された時間につないでみると、まだウェブカメラが届いていないからしばらく音声でしゃべろうとしばらくしゃべっていた。メールや手紙で連絡は取っていたものの、声を聞くのは実に、日本にいたときぶり、と言うことで約11ヶ月ぶりだった。途中で、カメラが到着してセッティングしてから改めて、今度は映像付きでしゃべることに。今住んでいる家を紹介するわ~、と順番に部屋の中を見せてくれて、最後にわーーー、とあらわれたのは、他の友だち!!!

なんと、私とスカイプするためにサプライズで集まってくれていたらしい。うう……、ほんま、大学のときの友だちは、こういう愉快なことを企画・実行してくれる粋な子らで、本当にいい友だちを持ったとつくづく感じる。全員で4人いて、みんな相変わらずで、うれしくて私はパソコンの前で狂喜乱舞の勢いだった。日本の様子を聞いていると、ブラックマヨネーズの小杉が「イーハー」と言うギャグでブレイクしているだとか、「トマト鍋」と言うものがはやっているだとか、知らない情報もちょくちょく出てきて驚いた。インターネットがあるから、日本の動きは結構わかっているつもりだったけど、1年近く離れていると、少し浦島太郎になりつつあるみたい。

途中、カナダにいる友だちもスカイプにいたので、奇跡の三元同時通話。すごい……。3ケ所以上になると、さすがに映像はお互いに見られなくなってしまったけど、それでも音声が日本・カナダ・メヒコと繋がったのだ。カナダの友だちはしばらくするとぬけていったので、再び二元でテレビ電話。トマト鍋をパソコン越しに囲んで、あたかも私も鍋を一緒につついているような……、気分になれず。やはり、もくもくと煮立つ湯気を見るとうらやましさと、一緒にその場にいたい気持ちがむくむくと……。やっぱり直接会ってしゃべってへらへら笑うのが一番だけど、このテクノロジーのおかげで、テレビ電話などと言う未来の世界のようなことができる。本当にすごい。スカイプ、ありがとう!!!

March 02, 2010

祈るしかない

メヒコの郵便事情は、あまりよくない。というのも、利用者があまりいないことがサービス向上へ繋がらない理由かもしれない。

先日、冬休みの旅のときに世話になったオアハカの友だちにカードを送った。すると、「生まれて初めて手紙をもらった!!!」とたいそう喜ばれた。用事はほぼメールで済ますとのこと。それなら、メールは今みたいに発達する前はどうしていたんだろう、と疑問に思って聞いてみると、「電話で済ましていた」とのこと。つまり、手紙を書く文化がないことが覗える。日本も、最近はメールで済ますことがめっきり多くなってきたけれど、「手紙を書く文化」はしっかりと残っている。かわいい便箋やレターセットが売ってあるのも、そう言う文化の影響だと思う。ここメヒコでは、レターセットと言うものをほとんど見かけない。カードはよく見かけるが、アメリカ資本のHallmark社のカードなどは、封筒も一緒に売られてあるが、メヒコ製のカードなどは、封筒がついていないものもざらにある。文房具屋に封筒だけが売られていたりもするけど、「カードと封筒はセット」という概念があるからどうしても不思議に感じてしまう。

そんなメヒコなので、郵便がなかなか届かない。現在の郵便物の待ち数、3。いつ投函したのか聞いてないけど、もうとっくに届いていいはずの日本からの手紙と、先日通販をして「もう発送しました」の知らせを10日くらい前に聞いたきり全く届く気配のない荷物と、そろそろ届いてもいいはずのインターネットの支払い票。先月の支払い票は、支払期日をとっくに過ぎてからしれっとやってきたけど、今月はいかに……。友だちの話では、支払い票は遅れてくるくせに、支払期日を過ぎると、サービスを速攻止められるときがあるらしいが……。

そういうわけで、私がアパートのポストを覗く回数は、異常なんである。

March 01, 2010

メヒコのゲイ

昨日、スタバに行ったら客の中に、いつかのプリティボーイがいた。その子は、スタバの店員の友だちで、前に友だちの誕生日パーティに行ったときに知り合った。ゲイがとても多いGuadalajaraなんだけれども、最近は極めて知り合いになったり見かけたりすることが多い。

プリティボーイは、私たちを見つけるなり、手を振ってこちらに近づいてきた。「ちょっと、あんたたち!!久しぶりじゃない!!」と、ベシート(ほっぺにチュウ)とアブラソス(ハグ)をくれた。ハグがめっちゃ強烈。ぎゅううううと、しめつけられた。スペイン語がわからない私たちのためにゆっくり話してくれるし、元気にしてたのか、としきりに聞いてくれるし、本当にやさしくてかわいい。メヒコ人特有の大きな目とくっきり二重と、ばっさばさのまつ毛の顔は、本当に見とれてしまう。そして、おしゃれなんである。日本語に約すと、おそらく「や~だ~~!!」と言うような意味になるフレーズを連発して、屈託なく笑うと、周りは本当に明るくなる。「元気でね!!!またね!!」と手を振って分かれて、「か、かわいいなぁ……」としばし呆然。

今日、ショッピングモールに行ったときに遠くの方にゲイの男の人がいた。仕草でゲイだなとわかったのだけれど、それがあまりにもきれいで、これまた、見とれてしまった。

なにが言いたいのかというと、私は彼らの内面から溢れるビューティに釘付けなんである。ああ、磨かねば、内面ビューティ。