June 29, 2010

ものうり

メヒコでは、物を売っている人、すなわち「ものうり」をよく見かける。彼らは、神出鬼没で本当にどこにでも現れる。歩いていると、道端でお菓子を売っていたりするし、カフェにいてもチョコレートを売りにきたりする。バスが赤信号でちょっと停車したときにおもむろに入ってきて、売りに来る人もいる。

このものうりの人たち、いろいろいるけど自分の中ではもはや「日常の1コマ」化していたのだが、このあいだ友だちとskypeで話したときにそのエピソードをぽろりとすると、「ええええ?!?!」とえらく驚かれて、あ、やっぱり普通(日本の感覚では)じゃないんだな、と再認識させられた。……というわけで、このものうりの中でも印象深いものを少し紹介することにします。

まず一つ目は、空港に向かうバスの中で出会った「チョコレート売りの兄ちゃん」。車内に入ってくるなり、なにやらスペイン語でパラパラパラと話していて、それをほげ~っとぼんやり見ていた。話し終わったかと思いきや、兄ちゃんは箱に入っているチョコレートを乗客のひざの上に置き始めたのだ。「え?!空港行きはこんなお菓子のサービスがあんの?!」と思ったが、その割には車内の空気は重い。どうしていいのかわからなすぎて、変な汗をかいてきたがとりあえず私の指紋をつけたら「アウト」な気がしたのでひざの上に置かれたまま硬直しておくことにした。すると、しばらくしてからチョコレートを回収しはじめた。どうやら、欲しい人はそのままお金を支払い、いらない人はチョコレートを返すというシステムだったようだ。このタイプのものうりには、その後長距離バスに乗ると何度か遭遇した。一度ハンドクリームをひざに置かれて、また硬直して、返すタイミングを見計らっていると、隣に座ったおばさんはなんとお買い上げ。やはり、需要があるからこういう人がいるんだな、と妙に感心してしまった。

二つ目は、普通の市バスに乗っているときの事。赤信号で停車した時におじさんが入ってきた。目が合ったら有無を言わさず売りつけられそうなので、耳だけすますとそれはもう明瞭に「ピカチュウ!!!!」と叫んでいるではないか。そっと顔を上げておじさんを見ると、ピカチュウが15個くらい入ったマシュマロを砂糖でコーティングしたお菓子を手に持っていた。アメリカでイースターとかの時に出回るpeepsとかいうお菓子に似ている。「うわー。ぱくりや。」と思いながらやはり目があったら最後、とおじさんが立ち去るのをじっと待っていると、やはり売れるのである。ううむ、すごい。

しかし、今までで一番驚いたのは、D.F(メヒコシティ)のメトロ(地下鉄)のものうりだろう。D.Fは「危ない」「怖い」と言う評判だったのに1人でメトロに乗る羽目になってしまったことがあった。かなり気合を入れてスリやその他全ての人に警戒心を抱きながら乗っていると、かなりでかいリュックサックを背負った兄さんが乗ってきた。かなり勢いよく入ってきてそれだけで仰天していると、今度はおもむろに手に持っているCDプレイヤーをいじり始めた。ポータブルCDプレイヤーをはだかんぼうで持っている時点で、「は?!何で?!」なのだが、次の瞬間車内に爆音ミュージックが流れ始めた。でかいリュックに見えたのは、実はでかいスピーカーで、CDプレイヤーで再生した音楽がそのまま爆音で流れる仕組みになっていたのだ。これはもうなんというか、想定外過ぎてバックパックを握り締める手にはますます力が入った。その爆音具合も半端なく、曲の一部を何曲か流してそして突如「このCDがなんと15ペソス!!!!」と叫び始め、乗客一人一人に近づいて売りつけ始めたのだ。「頼むから、あたしのところにはこんといてくれ。南無阿弥陀仏!!!」と仏頼み状態でひやひやしていると、運良く次の駅に着いた。プシュウとドアが開くなりそのスピーカー兄ちゃんは勢いよく外に出て行き、つかつかと歩いてもう一つ前の車両に乗り込んでいった。

ほっとしたのも束の間、次のものうりがこの車両にも乗り込んできたのである。今度もまたスピーカー野郎だ。「ああ、D.F。なんてこった……」と思いながらやりすごし、また次の駅についた。スピーカー野郎2もつかつかと出て行ったかと思うと、今度は女が乗ってきた。女は、背の低いおばさんでかごを腕に下げて、片方の手には小さなライトを持っていた。そして、そのライトでいろいろなところを照らしながら、フルボリュームで「シンコペソス!!!!!(5ペソ)」と叫んで乗客一人一人に伺っているのである。シンコペソス!!!といいながら、カッと目を見開いてキッと顔を向けられて、ライトで照らされた時にはもう、D.Fにきてしまったことを後悔し、1人でメトロに乗っているその状況を恨んだ。しかし、スピーカー野郎の経験上一駅我慢すればシンコペソスライトおばさんも去ってくれるはず、とじっと時を待った。

例によっておばさんは次の駅で隣の車両に移っていき、これもまた例によって別のものうりが自分の車両に入ってきたのである。目的の駅までこれの繰り返しだった。このD.Fのものうりが今まで出一番神経をすり減らしたかもしれない。

これだけ書いたけど、他にもいろんなものうりがいるけど、書き出したらきりがないな、とここまで書いてようやく気付いて、やっぱりこれは日本ではありえないことだなあと思った。慣れとは本当に恐ろしいもんだ。

補足だが、いつもものうりにびくびくしているわけではない。お菓子を売り歩いている人から買ったりするときもある。しかし、この場合気をつけなければならないのは、不思議なことに各売り子で値段が違うというところだ。見てくれが「ザ・外国人」なので高めの値段を吹っかけられていることもあるので、買うときは何人かに値段を確認して価格調査するのが大事なのだ。

June 28, 2010

el albergue español


昨日、プラサに行くとCD屋さんが出来ていた。まぁ、どこにでもあるCD屋のチェーン店なのだが、売り場面積が広くて、また、出来たばかりとあって品揃えがなかなかよかった。買うつもりもなく適当に見て回っていたら、「何かお探しですか?」ときかれたもんで、うっかり「はい」といってしまった。そして、私の大好きな映画の一つ【スパニッシュアパートメント(邦題)】を探してもらうことにした。この映画のスペイン語圏での題名がわからず、店員さんを困らせたが、各国のタイトルから原題を検索できるシステムが入ったコンピュータでさらりと検索してくれた。フランス映画で、原題は"L'AUBERGE ESPAGNOLE"。スペイン語圏の題名は、"El albergue español"というらしい。辞書で調べてみると、"albergue"は、学生寮と言う意味らしい。それが英語圏のタイトル「The Spanish Apartment」になり、日本でのタイトル「スパニッシュアパートメント」になったのだ。映画を探すのも、なかなか一苦労である。

この映画のタイトルのつけられ方はなかなか興味深いものがある。以前「おくりびと」を見たと友だちに話すと、英語圏でのタイトルは"Depatures(出発)"で、ドイツでのタイトルは、"Nokan"だと教えてもらってびっくりした。Nokanは、もちろん主人公の納棺師という職業から取られているのだが、ドイツ語には別にNokanという単語は無いらしい。かといって、tsunamiやmottainaiのように日本語として意味が認識されているというわけでもないようだ。なぜ"Nokan"というタイトルになったのか、全く持って謎である。話が横にそれてしまった。

そんなわけで、映画のタイトルは全く変わってしまうことがあるので自分ひとりでは見つけるのは難しいときがある。ひとりでは到底見つけられなかっただろうなぁ、と思うとなんだか買ってもいいような気になってしまい、結局購入した。

この映画は、フランス語、英語、スペイン語、それにドイツ語なども入り混じる。いろいろな国から留学してきた学生たちがコミュニケーションをとるために英語が共通言語として採用されているのだが、この英語を聞くのもこの映画が好きな理由の一つである。なぜって、とにかくなまっているのである。それぞれの母国語によってそのなまり方も一様でなく、それを聞いているとにやけてしまう。日本で見たときはそれに重きを置いて見ていたのだが、「今、この映画を見ると、スペイン語のところも理解できるんだろうか??」、また、「スペインのスペイン語はメヒコのスペイン語とは違うのか?!その違いを聞き取れるのだろうか??」という素朴な疑問がわいてきた。それを確かめるためにも何が何でも見たくなったのだ。しかも、ありがたいことにオリジナル・スペイン語・ポルトガルと言語を選ぶことができる。実は日本でもこの映画のDVDを持っているのだが、それの音声はオリジナルだけだった気がする。だから、リアルにスペイン語をしゃべっているところしかスペイン語を聞けないのだ。しかし、メヒコ版は、全編スペイン語で聞くことも可能である。

今日は、さっそく全編スペイン語で見てみた。ストーリーを知っているとはいえ、これだけでは理解に苦しむので、字幕に英語をつけてみた。英語力も最近弱ってきているので、これはちょうどいい訓練である。一つ目の疑問については、「わかるところもある」という結果だった。日本で見たときは、スペイン語のところは100%字幕の訳に頼っていたけど、今回はなんて言っているのかわかるところもちょくちょくあった。二つ目の疑問については、「ここが!!」というのはわからなかった。でもなんとなく、普段生活の中で聞いているスペイン語と言うより、スペイン語の本についていたCDのスペイン語みたいだなぁ、と思った。

主人公のグザヴィエは、1年間スペインに留学、フランスでもスペイン語を少し勉強していたから始めから結構しゃべるという設定で、映画だからしゃべられへんまま、と言うわけにいかないので1年後には普通にしゃべれるようになっている(ようにみえる)のだが、これが地味にうらやましい。映画だけの設定ではなくて、本当にヨーロッパ人がヨーロッパにおける他言語を勉強したらああやっていとも簡単に自分のものにしてしまうんだろうなあ、と想像してしまうからである。ああ、いいなあ。これを言ってしまっては元も子もないけど、母国語に似た言語があるってうらやましすぎる。せこーい!!!でもだからこそ、日本語って、特別。……そう思って、自分への慰めとしよう。

それにしても、この映画を見ると、Radioheadのno surprisesにいつもぐっと来る。

June 26, 2010

停電

今日は、ものすごい雨が降った。雷も窓が震えるほどごろごろといっていたし、気温もこの雨のおかげでぐっと下がったような気がする。さてそして、仕事が終わって家路。私のアパートのあるCalle(道)に入ったとたん、一帯がなんだか暗い。街灯も民家も真っ暗である。またまた停電である。家につくと、真っ暗け。でも、ガスはつくので、暗闇の中シンクロニサーダを作って食べた。ガスが生きているのはこれ、ありがたい。そうして、ご飯を食べ終えると、もはやすることがないのである。いや、できることがないのである。というわけで、またパソコンの充電に頼ってこうして日記を書き始めた次第だ。

窓から外を見てみると、このCalleは電気が全然きていないらしい。しかし、少し向こうのCalleは停電になっていないらしく、こうこうと電気がついているのが見える。

この間から、勤めている学校では水が出なくなったり、家では停電が頻発したり、ライフラインが日本よりもはるかに危ういんだなぁ、とこうして暗闇の中日記を書いていて感じる。でもまぁそこは、「しゃあないよな」である。暗くなって、できることがなくなって、さて、寝るか……。このライフスタイル、まるで昔の暮らしである。そこにiPodとパソコンが加わって、さしずめ擬似昔の暮らしごっこだ。でも、暗くなると眠くなるという人間の本能には勝てそうも無い。さて、寝るか……。(10:45pm)

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さて、朝になったらもう電気も来ているだろうと目覚めたら、まだ電気はきていなかった。う~ん、長引くなぁ、と思いながらシャワーでも浴びようかと思えば、今度はシャワーのお湯が出ない。むむむ。仕方がないので、お湯を鍋で沸かして行水状態。しかしまぁ、来ない電気を待つのも、出ないお湯を待つのも埒が明かないので、そのまま外出して、朝からゆっくりコーヒー&読書。

昼過ぎに戻ってくるとさすがに電気が回復していた。Todo esta bien!!!

June 23, 2010

手巻き寿司

この間、友だちと手巻き寿司パーティをした。私たちの数少ないメヒコ人の友だちも誘った。不確かだが、彼らはゲイである。実際に「自分ら、付き合ってんねやんなあ??」と聞いたことがないので不確かなのだが、振る舞いや二人の距離を見ていると絶対にゲイだと思う。ゲイの人はかわいいしおもしろいから一緒にいると楽しい。

3時に待ち合わせをしてけど、もちろん時間どおりに現れるはずもなく、でも20分くらい過ぎてから「あと10分でつくから~!!」と言うメールを送ってきた。もちろん、後10分で到着するわけも無く、それからゆうに50分くらい経ってようやくあらわれた。4時過ぎに現れて、手巻き寿司の用意をしてあるのを見て、「それって、朝食~??」と聞いてきた。メヒコ人に合わせて3時にランチを、と思っての準備だったので、その一言には本当に驚いた。そんなあほな、である。

メヒコ人は、しかもこの内陸のグアダラハラの人は、生魚なんか食べるんだろうかと思いつつ、用意したネタは、サーモン・たまご・カニカマ(メヒコでは、surimiと言う名前で売られてある)・レタス・えび・ウインナー・ツナマヨ。それと、メヒコ人ウケがよさそうなアボカド。メヒコでは、キッコーマンの醤油はもちろん、ミツカンの米酢や寿司用の米がその辺の普通のスーパーやドラッグストアで手に入る。だから、手巻き寿司は意外にも簡単に出来る日本料理の一つである。とはいっても、1人暮らしではしないけれど。今回は、友だちが日本から持ってきていたのりを使ったが、のりもその辺のスーパーで醤油とかと並んで簡単に手に入るから驚きである。

酢飯はウケが悪いかもしれないと思い、普通のご飯も用意していたが、抵抗無くパクパクと食べてくれた。卵に砂糖を入れるという意外性や、ご飯にウインナーという組み合わせがかなり不思議だったらしく、妙に食いつかれた。ゲイの二人は、甘くないお茶を飲んだり、食材を見るたびに「だから日本人は細いんだ!!!っていうか、だからメヒコ人は太ってる人が多いんだ!!!」という類のことを連発していた。さすが、体の管理に気を使っている人たちである。

最終的には「このタキート(タコスのかわいい言い方)、めっちゃうまい!!!」と寿司は「タコス」呼ばわりされる始末だった。でも、本当に喜んで食べてくれてよかった。結構たくさん用意したと思っていたのに、ほぼ完食!!!やっぱり、うまいもんは世界をつなぐのだった。

June 21, 2010

あいさつ

「こんにちは」を英語で言うとすると"Hello"、スペイン語なら"Buenas días, Buenas tardes, Buenas noches"。友だちや親しい人に言うときは、それぞれ"Hi, Hey"、"Hola"という単語がある。日本語に訳すと「やあ」だよと教えられたものの、友だちに向かって今までに一度でも「やあ」などと呼びかけたことがあるだろうか。……私は、ない、と思う。友だちと待ち合わせをしていて、出会った。「遅れてごめんー!」とか、「こっちこっち!」と手招きすることはあっても、出会い頭に「やあ!」はない気がする。

メヒコでは、「Hola!  Buenas días/tardes/noches, como estás?(やぁ!おはよう・こんにちは・こんばんは。元気??)」が誰かとであった時の決まり文句のように使われている。それの返事は大体"Bien bien, y tú??(うん、元気元気。君は??)"そして、"Tambien bien, gracias!(うん、元気、ありがとう!)"と続くのである。親しい人とは、これにさらにbesito(ほっぺにチュウ)やabrazo(ハグ)も加わる。この動作は「会えてうれしいよ!!!」を示すためだと思う。日本語に書き直してみるにつけ、やはり違和感を覚えずにはいられない。ましてやほっぺにチュウなんてありえない。少なくとも、ありえたことがない。スペイン語では何の不思議もないのだけれど、日本人の友だちと日本語でこの出会い頭のあいさつのくだりって、しないなぁ、とふと思ったのだ。「久しぶり~、元気??」とか「おはよう」は言うけど、改まってあえて「こんにちは」って言わないなぁと気付いたのだ。

しかし、私はこの一連のやり取りがとても好きだ。というよりは、そのほかの会話がおぼつかないだけに、あいさつくらいスムーズに出来るとうれしいのだ、といった方がいいかもしれない。でも、実際にこのあいさつはリズミカルで、言うと元気になる。前に、"まあまあ"という返事をしたら"そこは、うそでも、いつでもbien bienって言わないと!!"と言われてしまった。

このあいさつ一つを取ってみても、わかるようにメヒコは感情をとても率直にあらわす国だと感じる。感情をあらわにすると言うことは、人間味に溢れている、と言い換えることが出来るかもしれない。人間くさいここの国の人たちには時間がゆっくりと流れていて、何があってもそれを「まぁ、しゃあないんちゃう??」と受け入れてくれる。逆に文句を言うと、それも「まぁ、しゃあないやん。」と返されてしまう。この「しゃあないな」がまかり通ることの心の豊かさ、人間の素朴さがメヒコのいいところだなあと私は思う。このどストレートさが日本語に無いことを、私は残念にも思うし、そこが日本語らしいところだと納得もしている。「やあ!こんにちは!!元気??」という日本語が変に聞こえるのは、訳がおかしいのではなく文化の差異である。それならば、すんなりくるにはなんていえばいいのだろうか。「どうも~、元気してる~??」だろうか。でも、友だちに「どうも~」ってあんまり言わない気がする。だいたい「どうも~」ってなんなのだ。ああ、文化と言語は奥が深い。

June 18, 2010

Copa del mundo

ここ最近は、ここメヒコでもワールドカップが盛り上がっている。今日は、メヒコ対フランス戦がメヒコ時間で午後1時半からあった。午前中は、いつものようにコーヒーを飲みに出かけていて、これまたいつものように1時くらいに家路についた。その頃には、スタバでもいそいそとテレビを設置して、店内で観戦できるように準備が進められていた。メヒコ戦のときは、みんな試合を見るため客足が遠のくから3杯勝ったら1杯無料というキャンペーンまでしている。これは何もスタバだけではなく、結構あちこちで行われているようだ。スタバの客の少なさとは裏腹に、道路はえらく混んでいた。おそらく、みんながこぞって家に向かっているからだと思われる。メヒコでは、試合を見るために仕事を休む人がいるのは当たり前、政府に認可されている学校では「児童・生徒たちがメヒコ戦を見ないという事態が起こらないように」というお達しさえあるらしい。だから私が聞いた中には、メヒコ戦の日は「ワールドカップ休み」と言う幼稚園もあるんだそうな。加えて、日ごろからお昼ご飯をゆっくりと食べる文化をもつメヒコである。今日は午前の仕事を早めに切り上げて、家に帰ってご飯を家族と食べながらメヒコ代表を応援するということだろう。……納得の渋滞である。

ユニフォームを着た人にすれ違ったり、ほっぺたにメヒコカラー(赤・緑・白)のフェイスペインティングをしたいい大人(1人で歩いている)にすれ違ったかと思うと、中央分離帯のところでは、どこから現れたのか、どこから仕入れたのか、メヒコの旗やメヒコからーのブブゼラやらの物売りがいた。「どこから仕入れたかはわからないが、とにかく売られている」と言う不可思議感、なんともメヒコっぽいと感じる。

私も家で昼ごはんを食べながら、前半を食い入るように観戦した。サッカーはあまり詳しくないし、実況解説のスペイン語もよくわからないのだけれど、フランスのコーナーキックが失敗したら「がははは!!!誰もいない!!誰もいない!!!完全に誰もいないところにパスした!!!!」とか、フランスの選手がファウルをすると、もはや名前はどうでもいいらしく「この14番のやつが、ファウルだ!!!!イエローだ!!!」とめちゃくちゃはしゃいでいる様子が伝わってきた。熱いです。個人感情入りまくりです。メヒコです。もちろん、メヒコの選手は「チチャリート!!!(小さい豆の意)」など、愛称で呼びまくっている。ちなみに、チチャリートとは、1点目をいれたハビエル・エルナンデスのことだ。そしてね、私は思ったけれども、メヒコ代表たちは男前が多い。アップで映ると、長いばさばさのまつげやくりっとした目や、あのしっかりした目鼻立ちとか、オットコマエがたくさんいるんである。

後半が始まって5分くらいで、出勤の時間に……。この試合2-0で勝ったのだが、その得点は両方とも後半に入ったのである。つまり、私はこんなにもワールドカップに食いついてみたくせに一番いいところを見られなかったんである。切ない、としか言いようがない。今は、いつされるとも知れぬ再放送をいまかいまかと待っているのである。はあ、不条理。

June 16, 2010

Tortilla

メヒコでは、トルティージャが欠かせない。日本で言うところの米みたいなもんである。スープのときにもトルティージャ。タコスのときにもトルティージャ。何はなくともトルティージャ、である。

それだけ身近な食べ物だから、簡単に手に入れることができる。近所のスーパーでもそこにトルティージャ作りマシンがあって、そこからぽんぽんとできあがって、出来上がりを紙でくるんでそれがショウケースの中に入れられてある。お客はそこから持っていって、レジで重さを量ってもらう。量り売りなので、自分の欲しいだけ持っていけばいいわけだ。何日か放置すると、硬くなってしまうのであんまり大量買いはできない。というか、避けたい。それなのに、「何はなくともトルティージャ」の国なので、包まれてあるトルティージャの量は(一人暮らしものからすれば)異常なんである。5センチとか6センチとかは普通である。1枚のトルティージャの厚さは、せいぜい1~2ミリといったところなので、この「何はなくともトルティージャ」の消費量、推測していただけると思う。

今日も、ものすごい厚さのものばかりだったので店員さんに「もうちょっと少なくしてください」、と頼んだ。もう既に包まれてあるやつから減らされるのかと思いきや、ちょうど新しいトルティージャがマシンからぽんぽんと出来上がっている最中だったらしく、出来立てのものをいい具合にくるんでくれた。手渡されたそれは、あたたくてやわらかくて気持ちがよかった。思わずその包みをほっぺたに持っていって、しばらくほっぺたに当てて「はぁ~、気持ちいいなぁ~」とニヤニヤしながら店内を歩き回ってしまった。本人は気持ちいいが、はたから見れば気持ち悪いこと限り無しである。でも、前にメヒコ人がスープを食べるときにトルティージャ入れからトルティージャを取り出して、そのほかほか感が気持ちいいからなのか、手の中でカイロでも持つかのように転がしているのを見かけたことがある。思わずほっぺたに持っていってしまったのも、その心理と同じなんだと思う。

さて、この出来立てのトルティージャはさすがにおいしい。最近はまっている、というか、単なる手抜きスピードメニュー、シンクロニサーダを作ってぱくついた。シンクロニサーダとは、トルティージャにチーズとハムをはさんで焼いたもので、手軽でおいしい。しかも結構腹にたまる。ハムのかわりにミートスパゲティ用に作ったミートソースをはさんで焼いてみると、むわ~~~、うまい!!!!!!

June 15, 2010

雨季

昨日は、朝早く起きたのが災いし、結局午前中はサッカーをつけながらほぼ観ずに転寝と言うばかげた過ごし方をしてしまった。見えていたといえば見えていた、なんともだらしのない結果である。

午後からは、これではいかん、と近くのスタバにのこのこと出かけてきた。読みかけの本とスペイン語学習セットをかばんに詰め込んで。すると、夕方くらいに(と言うか、着いたのが既に夕方だけれど)風がでてきたなぁ、と思うが早いかごうごうと雨が降り出した。雨季の雨である。日本では、このような集中豪雨のことをゲリラ豪雨とネーミングされているが、ここメヒコの雨季の雨は毎日この「ゲリラ豪雨」並みである。テラス席の道路側にいたら、いよいよ雨が振り込みだしたので、壁際に机ごと移動して様子を見た。おさまる気配もなく、しばらくすると店員がシャッターを半分ほど閉めに回っていた。

それにしても、あれだけ威勢良く降ると気持ちがいいと言うものだ。しばらく降り続け、メヒコ人たちは気にするでもなく、雨の音にかき消されないように自分たちのしゃべる声のレベルを上げて必死にしゃべっていた。私も雨の音がでかいのをいいことに、動詞の活用を声に出して練習していた。雨の音がなかったら、たちまちただの気持ち悪い外国人である。

雨がやむと、一気に気温もクールダウンして、木々も埃を洗い流されて、街の透明度が増した気がした。空もなんだかこざっぱりしている。これはいいや、と思いアパートに戻ってからまたもやカメラを持って屋上に出た。夕焼けがきれいで、赤く染まった空の果てから飛行機が飛んでくるのが見えたりして、さっきまであんなに降っていた雨がうそのように感じた。もちろん、屋上にはでかい水溜りができていた。それなのに、排水溝は見当たらないのである。蒸発するのを待つのみの気の長いメヒコの水溜りと言うわけだ。

June 14, 2010

早朝散歩

せっかく早起きしたので、朝の空気を吸おうと思って散歩をしてきた。近くの水道橋にのぼって、それからはうろうろと気のむくままに。時間帯が違うだけで、いつもと違う顔を見せてくれて、なんだか知らないところへでも来た気分。朝の6時台だったのに、どこかのマンションからは爆音ミュージック。寝てないのか、早起きなのか……。

そう言う私も半袖半パンビーサンにカメラでしかもアジア人。そんなでふらふらと近所を徘徊するというかなりの怪しい出で立ち。まあ、早朝だったので人も少なく、奇怪な目で見られることもなく。セーフ。

最後にはいよいよ調子に乗って、公園でブランコにも乗ってきた。Woohoo!!!

June 13, 2010

本のこと、雷のこと

どうやら、今年も雨季に入ったらしい。というのも、さっきから雷が鳴り響き、雨がざあざあ降っているのと、停電してかれこれ1時間半近く立つ。風が強くなってきたな、と思っているといきなり家中の電源が切れた。今日は一日中猛烈な眠気に襲われて、ダラダラと家の中で過ごしていたので、少しは外の空気も吸ったほうがいいなと思ったので、屋上に行って本を読んできた。

遠くの空は既に真っ暗で、その反対側の空は、夕焼けがきれいだった。変なの、と思いながら、ごうごう風が吹いている中、小一時間読書をした。ゆっくりと黒い雲が近づいてくるのがわかって、本を読むというよりも、空を眺めていた時間のほうが長かったかもしれない。部屋に戻っても、電気は回復していなかった。まぁ、仕方がない。仕方はないけど、することもない。そういうわけで、暗闇の中かろうじで充電の残っているパソコンに向かってこの日記を書き付けているというわけだ。iPodも充電があるので、室内には音楽も流れている。すごいなぁ、電気をためておく技術と言うものは。

でも、電気がなくなったとたんに家の中の機能はほぼ麻痺してしまうのが事実だ。テレビはもちろん、インターネットすら、電気の力を使っているのだから。本当、なくなって改めてその便利さと言うか必要さを痛感してしまう。

昨日、ポストを見ると久しぶりに私宛の手紙が届いていた。少し厚みのある封筒で、それを見るなり差出人を見なくてもあかねちゃんからのものだと確信した。数週間前に、あかねちゃんとSkypeで話しているときに、私に荷物を送ってくれるという。なんでも、カナダにはブックオフがあるらしく、そこで小林聡美さんの本を片っ端から読み漁っていると、その中にメヒコの旅行記があったらしい。その地で暮らしている私にもぜひとも読んで欲しいから送る、と言うわけだ。カナダは、メヒコと同じ大陸だし、郵便なんてすぐに届くわ、と思っていたら大間違い。以前、同じくカナダ在住のクラフトアーティストからペンダントを購入したのだが、その荷物の届かないこと届かないこと……!!!1ヶ月以上かかったのではないか、ずいぶんとやきもきした経験がある。あるいは、アメリカのシアトルから全く同じ条件で(同じ日に同じポストから)投函したという2通のはがきが1週間差で届いたこともある。だからそれ以来、同じ大陸だからと言ってすぐに手紙が届くなんていうことは起こりえないと思うようにしている。そうすると不思議なもので、2~3週間かかったはずなのに、「おお、もう来たのか!!!」という気持ちで受け取ることができた。あかねちゃんに届いた旨知らせると、「やっとか!!」という反応だったので、私の感覚が緩やかになっていることを客観的に示された気がした。


さて、その本のタイトルは「ほげらばり」というもので、そのメヒコ旅行をされたのは小林聡美さんが28歳の時、つまり今の私と同じ歳だったということになる。私は、本を読むときはあとがきや解説があると、どうもそっちから読んでしまうたちで、たまに本編のネタばれ的なことが書いてあってあぶないあぶない、と読むのを止める。この本の解説は歌手の井上陽水氏で、これがなんとも素敵で、本編を読む前に既ににやにやとしてしまった。さすが、言葉を扱う仕事をしている人だなあという感じで、一切メヒコ旅行記についてはふれていなかったけれど、それがなんだか逆に十分すぎるほど本編を解説しているような気がした。旅行記と言うものは、それを体験した人の感じ方や考えを伝えるものだから、その書き手を魅力的に紹介することで、その旅行記の魅力が増すのだろう。

小林聡美さんの書く文章もまた素敵だ。具体的に何がいいのかと言うと、それはやはり自然なところだろう。体験したこと思ったことをそのまま伝えているところがいいなあと思う。特別なところにいったからといって、特別褒めちぎるわけでもなく、感じたことをそのまま。だからよんでいると、小林さんと一緒に旅行をしているような気持ちになった。まぁ、自分の財力では、あんなふうに旅行はできないな……と言う気もするけれど。それでも、同じ目線にたってこの本を読めたのは、彼女によって切り取られた「瞬間」を読む(見る・感じる)ことができたからかもしれない。ある対象を、おもしろいとか、おもしろくないとか、いいとか、くだらないとか、うれしいとか、がっかりだとかいちいち感じ取ることができるその感性が本当に素敵だと思う。

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さて、ここまで書いたところでいよいよパソコンの充電もなくなりさらば文明。残された道は、原始的に早寝。ただでさえ昨日は朝遅く起きたり、転寝をして昼間もうつろうつろしていたのに、夜まで早く寝ることになるとは。一日中寝ていたな、本当。……というわけで、必然的に朝早く目覚めたわけです。今6時半なので、ワールドカップのアルゼンチンvsナイジェリアを見ている。実況は、ほぼ何をいっているか判らないけど、「メッシ」と言うのだけ鮮明に聞き取れる。そして、この実況の人は、メッシを連呼しまくっている。太陽が昇る前から活動するなんて、長い一日になりそうだ。