December 25, 2010

Navidad

今日は、クリスマスイブ。メヒコでは、24日が盛大に祝われるそう。去年のイブは、バスにひたすら揺られていた。今年は、グアダラハラにいるわけですが、特に予定もなく……。いつものように、昼をダラダラと過ごし、本を読みにスタバに出かけ……。うわ!!!!全くいっつもと一緒やん!!と思ったので、帰りにケーキを買って帰ることにした。一人用ケーキは今日は2種類しかなく、ショーケースはめちゃくちゃでかいケーキで埋まっていた。お客さんも次から次へとやってきて、大繁盛。

「プレゼント用ですか??」

と聞かれて、

「あ、はい。」

とか言ってしまった。ああああ、何の嘘やねん。激しく自分に突っ込みを入れつつ、意味がわからずわらけてきた。すると、店のお姉さんが「Feliz Navidad!(メリークリスマス)」といって、おまけに小さなチョコレートかチョコレートケーキをくれた。

「えええ!!!いいんすか?!」

とますますあほ丸出しで、でもやっぱりうれしくて、にやけてしまった。帰りに、教会をのぞいてみることにした。なにやら教会に足を運ぶ人がたくさん見受けられたから、きっと盛大に祝われているに違いないと思ったのだ。でも、実際には司祭みたいな人が神妙な顔つきで何かしゃべっていて、とても気軽に入って行ってはだめなような感じがしたから、そのままUターンしてでてきた。

何かと物入りでお金が飛ぶようになくなるこの季節なので、帰りに銀行に寄った。すると、銀行の駐車場で子どもがわらわらと1台の車に集まっていた。何かと思うと、男の人が子どもたちにプレゼントを配っていた。子どもたちと言うのは、普段路上で物を売っていたりする子どもたちだった。子どもたちは、うれしそうにおもちゃを抱えてまた路上に戻っていった。

スーパーでも、私のひとつ前のおばちゃんが、袋に品物を入れてくれる人にお釣りを全部渡しているのも見かけたりした。クリスマスをみんなハッピーに迎えるということが、この国では本当に大切なことなんだな、と感じた。私は、ほいほいとお金を上げたり、プレゼントをあげたりすることはできないけど、せめてできることといえば、路上で売っているものを買うこと。まぁ、実際、季節物の商品を扱っていることも多く、そのイベントが過ぎると売っているのを見かけなくなるので、本当にほしいと思うものも多々ある。その収入が役に立つなら、これ幸い、と言うわけです。自分もほしいものが手に入って、彼らの役にも立てば、お互いハッピー。貧富の差をgive and takeという言葉で片付けられるとは思わないが、やはり世の中は持ちつ持たれつなんだと思い知った今年のクリスマスです。

【写真:クリスマスシーズンに見かけるピニャータ。なんか、角の部分が邪気を祓うかなんかの意味があったような気がする。実際に割るサイズのピニャータとして売られているけど、私はそんなでかいものはいらないので、吸盤でその辺につるせる小さいものを路上で購入。バスについてあるのをみて、お、ええやん、と思ったので真似してみた。】

第○言語

新しく言語を学んで習得するのに年齢は関係ない、と言うような記事を読んだことがある。また、母国語と違う言語を勉強することによって、ボケ防止にも繋がるとも書いてあった。

「年齢は関係ない」と言うところを読んでほっとする一方で、じゃあいったい、「習得」とは何を持ってそう呼べるのか、と憤ってみたりする。言語には、これができたからもう完璧、というのがない。それこそ、旅行に行ったときに困らない程度の言語力と、暮らすのに困らない程度の言語力、あるいは仕事をするのに困らない言語力はそれぞれ違う。それぞれのニーズにあった言語力を身につけると、個人としてはそれで事足りるが、では果たして「旅行で困らない程度の言語力」を身につけた人に向かって「もう、完璧やね!」と声をかけて「そう!私の言語力は完璧!!」と言う答えが返ってくるだろうか。答えはおそらく否である。「まぁ、旅行にはこまらへんけど、完璧にマスターはしてない」といわれるだろう。そんな風に、言語は通じると楽しいからとっつきやすい反面、深みにはまるとゴールがないのでいくらやってもだめだ、と言う嫌悪感にもさいなまれやすいものだといえる。しかも、その「伸び」とか「進歩」と言うものは、自分では実感しづらいのが、またそれを助長する。

この間、skypeをつないでいると、ドイツ人の友だちから話しかけられた。彼とは、数年前京都のバックパッカーで知り合ったのだが、その時は、いろいろな国の人がいたから、共通の言語は英語であった。そのドイツ人の子は、その時に始めて日本を訪れたのだが、それをきっかけにものすごく気に入って、また戻ってきたいといっていた。彼のすごいところは、半年後に見事留学生として日本に戻ってくきたところである。半年ほど日本に住んでいて、その間に日本語を勉強していて、ひらがなカタカナだけではなく、漢字もたくさん読めるようになっていったから、すごいなぁ、と思っていた。そして、彼の妹がドイツから遊びに来た時に日本の私の町に遊びに来てくれた。そのときは、彼が日本語を勉強しているから、と言うことで主に日本語でしゃべったように記憶している。それで私がメヒコに行くことが決まってそのことを話すと、なんと彼はスペイン語がしゃべれるということが発覚した。なんでも、スペインに留学していたときがあるらしく、その時に身につけたんだそう。メヒコに行くことが決まったときの私のスペイン語力は、完全に無であった。だから、チャットをしたときにスペイン語をちょっと教えてもらったりしていたくらいだ。まぁそんな友だちが"Hola!  Que tal?"と話しかけてきたのである。スペイン語で話しかけられたので、スペイン語で返事を返していると、そのままスペイン語で話が続けられた。全部をスペイン語にするのは無理なので、英語や日本語を混ぜたりの会話だったが、途中でふと、「おまえ、スペイン語上達したな!!!」と言ってきた。「そんなわけがない!!」と答えると、「いやいや、スペイン語で会話できてたやん!!!」。……おお、そういえば、この人は私がスペイン語をこれっぽっちもしゃべられへんかった時期を知っている、その人が「上達した」といってくれるのなら、もしかすると上達してきているのかもしれないと思うと、なんだか無性にうれしくなった。

英語のときもそうだった。なんか、全然上達しないなぁ、というかむしろ、日本にずっといるからへたくそになっていく一方だ、と思っていたときに、一番はじめにアメリカに行ったときに友だちになった子が「おまえ、めっちゃ英語うまくなったじゃないか!!」と言ってくれて、その言葉にものすごく助けられたことを思い出した。

そして、言語の習得は、自分と他人とを比較して判断するのではなく、自分の中でどれだけ伸びたのかが大事なんだということに、ふと気付かされる。当たり前のことだけれど、深みにはまるとそれを簡単に見失ってしまう。自分で見ることができないから、相手に言ってもらうしかないのだけど、それを相手が何の気なしにふと言ってくれるこの瞬間に、ちょっとだけ自分の言語力に自信がつく気がする。

だからといって、私はたとえ他の言語が上達してきてもその言語だけでしゃべり続けるのは不可能なんじゃないかと思う。その言語だけを使いこなせたら言うことなしだけど、私は自分がそこまで機用じゃないことや、言語は所詮道具に過ぎないということに気がついている。だから相手が英語と日本語を理解するなら、それをミックスしためちゃくちゃな言語を自分で話すだろう。相手がスペイン語しかわからないのなら、スペイン語と日本語とジェスチャーと顔を使って話すだろう。

結局、いつもいっているところにたどり着くのだが、言語はおもしろい。でもそれが全てではない。やっぱり伝えたいという、ガッツとハートが重要だ。それでも言語を上達したいと言う気持ちが起こるのは、コミュニケーションを言語がスムーズにしてくれてもっと楽しくなるというのを肌で感じているからなんだと思う。

ドイツ人の友だちとのチャットの余談。

「一番初めに会ったときは英語でしゃべったのに、次は日本語、そして今はスペイン語でしゃべってる!すごいな~!!ああ~、ドイツ語もちょっとしゃべれたらよかったなぁ。DankeとBitteしか知らんわ。」
「ありがとうとどういたしまして、は最重要単語やからそれ知ってたら十分!!それにしても、5年後くらいには、アラビア語とかでしゃべってたりして?!」
「うん、そうに違いないな。笑」

どうやら、私の周りには言語を、おもちゃのようにとらえて扱っている人が多い。楽しい遊びには、大人も子どもも関係ない。なるほど、言語習得にはやはり年齢は関係ないのだな。

200!!

どうやら、この投稿がmexico no kurashi、200回目の投稿になるらしい。そんなにも書いたのかと自分でも驚く。それだけいろいろ突っ込むところがあるメヒコなんだなぁ、と感じる。ともあれ、気がつけば年の瀬。あと1週間と少しで2010年が終わっていくとは信じられない。

メヒコも冬ですっかり寒いとはいえ、雪が降ったりと言うことはない。グアダラハラでは、10数年前に雪が降ったことがあるそう。でも、学校の事務のおっちゃんにいわせれば、「メヒコ人の身体は雪が降るような寒さに対応できるようになっていないから、寒すぎて亡くなった人もたくさんいる」んだそう。確かに、朝晩こそぐっと冷えるけれど、昼間は気持ちのよいグアダラハラ。私は長袖を着て歩いているけど、街の中にはこの時期でさえノースリーブでうろうろしている人も見かける。そのたびに、そんなあほな!!それはやりすぎやって!!と突っ込んでいる。(心の中で。)

夜になると寒いから、やはり暖かいものが恋しくなる。というわけで、ああ、日本人でよかった!!的メニュー、鍋の出番である。一人で鍋でぱっと作ってつつくだけなので、極めてシンプルな水炊き。でも、ありがたいことに白菜と大根がここメヒコでも手に入るのである。それに鶏肉を入れて、ポン酢で食べれば、もう上等すぎるくらいありがたい鍋になる。ところで、この「白菜」や「大根」は、スペイン語ではなんと言うのだろうと思い、レシートをみてみた。すると、白菜はNapaで大根はNaboだった。ナパとナボって……。寒い冬の夜、あなたもナパとナボと買ってナベでもいかがですか。

December 15, 2010

風邪

風邪は引き始めが肝心、と言う。引き始めだから「お菓子」の力を借りて治そうと試みるのが私の常套手段である。お菓子といっても、ポテトチップスやチョコレートをぼりぼり食べるのではなく、医療系お菓子を服用するのである。まぁ、早い話がのどによさそうなアメちゃんを買ってなめるのである。日本では、ロッテのカリンエキス配合のどぎつい茶色のいろのあののど飴が私にとってのそれである。それとうがいに塩水や紅茶を使ったり、ビタミンCを取るためにやたらとみかんを食べたりして、忍び寄る風邪を追い払う努力をする。こんな一見ばかげたことでも見事に効くときがあるので、あながち馬鹿にもできない。

のど飴で重要なポイントは、「どぎつい、いかにも効きそうな色」をしている点である。見た目にも、なんか、まずそうで効きそうと言うのが暗示の効果にもなっている。(かも知れない。)メヒコでは、日本のようにキャンディの種類が豊富ではなく、風邪の引き始めは、HALLS(ホールズ)に頼っていた。ホールズもなめるとすっきりするのだが、もう一つパンチにかける。やはり、見た目の色が美しすぎるのではないか、と勝手に私は思っている。

いよいよ本当に風邪を引きそうだ、と言うレベルになったときには、ついに薬局でのど飴を買うことになる。あくまでもアメで風邪を治そうという、精神論レベルの対処法なので、「はよ病院行けよ」と思われることはわかっている。わかっているけど、いやいや、もうちょっとあめちゃんの力を信じましょう、と言うのが人情と言うもの。ここで買うのは、日本でもおなじみ、VICKS DROP(ヴィックスドロップ)である。VICKSドロップなら、間違いないという、変な信頼を寄せているので、暗示も倍増である。

いつもは、Manzana Canela(りんごとシナモン)味を買うのだけれど、今回風邪を引いたときはなかったので、「ミント」とかかれた味を買ってみた。あけてみると、これが待ち望んだ「どぎつい茶色ののど飴」だったんである。メヒコにもこの色ののど飴が売ってあったことがうれしくて、また、これがあれば100人力、と心強さすら感じてしまった。

結局、今回引いた風邪は熱は上がるわで、ぜんぜんのど飴は役に立たず、結局薬を飲んで暖かくして寝ると言うやはり古典的な方法で回復に至ったのだが、どこかでのど飴が心の支えになっていたことはいうまでもない。熱も下がり、のどもあんまり痛くなくなったので、VICKSドロップを放置していた。日本のものと違い、個別包装になっていないのがメヒコのVICKSドロップの特徴である。すると、ありがどこからともなくやってきて、そのVICKSドロップに群がっているではないか。白い包み紙だからだめなのだな、と思い、少し残っていたドロップをアルミに包んで、ありが入ってこないようにかばんの中に入れておいた。すると、今日になって、ありが大行列をなして壁を伝っているので何事かと思い、その行き先をたどっていると、なんとその先にはアルミ箔に包まれたVICKSドロップがあった。ありよ、どうしてVICKSドロップを集中して狙うのだ?!仲間が風邪なのか?!やはり、ありものど飴で風邪を治したいのだろうか、やはり、世界のVICKに頼りたいのだろうか。そんなことをふと考えた冬のある日であった。

静電気

私の住んでいるグアダラハラは、高原地帯の気候に属するので乾燥しているのが特徴。日本のじめじめしたあの湿気の悩みとは無縁。ええこっちゃ、ええこっちゃ、なのだが、乾燥しすぎているので、肌がなんかありえないくらいカサカサになったりと、まぁ、弊害もある。それに並んで困るのが「静電気」である。日本でも冬には静電気に悩まされていたけど、こっちにきてもいろんなところでバチバチしまくりの日々が続いている。バスの手すりやら、そこらじゅうどこでもバチバチである。

話は変わるが、私の家には前に住んでいた人が自分で取り付けたチャイムがあるのだが、なんか変わったチャイムで、誰もピンポンを押していないのに勝手に鳴るという若干気持ちの悪い現象が起こるときがある。電化製品を使った時によく勝手になる。例えば、洗濯機を回していて、脱水が終わったときに「ピンポーンピンポーン」と鳴る。コンセントを勢いよく抜いたり差したりしたときにも「ピンポーンピンポーン」、ラジオをつけたら「ピンポーンピンポーン」。なんでやねん、あほか、と思うけど、どうしようもない。おそらく、それまでフルパワーで使われていた電力の消費が急に減ったのが原因だと考えらる。直接繋がっていないチャイムが反応するのは、本当に謎だけれど。

この間、夜中に電気を消して寝ようと思ったら、いきなり「ピンポーンピンポーン」となった。それと同時にバチバチっと指先に電流が走った。どうやら、電気を消そうと思ってスイッチに触った瞬間に静電気が発生して、その電流の流れに反応してチャイムがなったらしいのだ。この乾燥した中で発生する静電気の威力がものすごいのか、それともチャイムが繊細すぎるのか、わからない。わからないけど、ありえない。ありえないので、ちょっと困る。

December 08, 2010

言うてみるもんやな

先月のインターネットの請求額が、なぜかいつもよりも30ペソ多くなっていた。不覚ながら、それに気づいたのは支払った後だった。しかし、「これはおかしい!!!」と気がついたので、もちろんだが文句を言いに行くことにした。もう支払ってしまった後なので、手遅れなのでは……という気持ちは毛頭ない。その場で30ペソを返してもらうあくまで強気な心である。

しかし、やはり一回支払ったものはそう簡単に返してくれるものではないらしく、返金の運びにはならなかった。向こうの言い分によると、「11月分から30ペソ値上げすることになったし、通知も送った」と言うことである。しかし、こちらは通知はもらってないし、30ペソは余分に支払いたくないので、ひたすらそれを訴えた。そのたびに、いろいろ説明してくれるのだけれど、そんなことを言われたって、こちらの答えは「NO」である。しばらく粘っていたけど、11月分はもう支払ってしまったので、どうやら返金してもらえそうにないことが分かってきた。でも、来月も30ペソ値上がりした分を支払わされては困ると思い、

「じゃあ、今月はこれでいいけど、来月は絶対に元の金額に戻るんでしょうね??」

と確認した。すると

「来月は、大丈夫です。あなたは払いたくないんですよね??」

といってきたので、これは、証拠を残さないと、と思い紙にそれを書いてほしいと頼んだ。すると、正式な用紙があるらしく、それにスペイン語でさらさらさらと書き出した。辞書無しでの私のスペイン語は無に等しいくらいへなちょこなのだが、その力で内容を推測するに「この客は、値上がりした分を支払うことを良く思っていない」と言うようなことが書かれていた。しかし「後日返金いたします」だの「次月以降は料金見直し」だのとは一言もかかれていない、ような気がした。ここで友だちに電話して、それを訳してもらうのもまどろっこっしいし、さすがにそこまでするのは気が引けるので、そのまま言うなりに同意のサインをした。てっきり、控えをもらえるのかと思いきや、「控えはない」とはっきり言われたので、これはうまいように勧められては困ると思い、そのサインさせられた内容を写させてもらった。「こ、こいつ……!!!」と思われたに違いないが、こっちだって必死である。それくらいは恥を捨ててさせてもらう。

友だちに後で読んでもらうと、内容は私が推測したことに付け加えて、「次にこの客を対応するときには、この件に注意すること」というようなことが書かれてあった。やっぱり、余分に支払わされた分に関しては、返してくれそうにないなぁ、と言うことだけが分かって、しかも、後日その店員が言っていた「値上げの通知」とやらが届いたのだ。これが届いてしまったら、あれだけ文句を言いに行ったのも無駄に終わったか、と思った。

ところが、である。12月分の請求書が着てそれを開いて驚いた。なんと、いつも払っている分から30ペソ引かれた金額が請求されているのだ。つまり、先月分の払いすぎが解消されて、値上げもなかったことになっているっぽいのだ。

おおおおおおおおおおお。……なんか知らんけど、やった。「はい~、はい~。うふふ~。そうね、値上げなのね。仕方ないわね、うふふふふ。」とわけも分からずに払わなくて良かった。来月は来月の風が吹くだろうから、来月のことはまだ油断がならないのだが、とりあえず、今月と先月分に関しては、問題が解決されたのでよかった。

あの値上げ云々はなんだったのか、と言う疑問は残るけれど、いやぁ~、言うてみるもんです!!!!!!!!

December 06, 2010

インターネット

先週は、途中から急に風邪を引いて、熱は出るわ、しかもそれが下がらんわで、やっぱり体調を崩すのはいやだなぁ、と思いながら過ごした。

あんまり薬にすぐに頼るのもなぁ、と思って、引き始めのときにみかんを食べて早く寝たりしたけど効果がなく……。ぐんぐんあがる体温計の表示をぼ~っと眺めつつ、それでも何か飲んだり食べたりせなあかん。一人暮らしで体調崩すと大変やとはいうけど、ほんまその通りやわと、しみじみ。

しかし、ほんまにインターネットってすごいなぁ、って思う。暖かくしてよく寝るのが一番と分かっていても、わざわざお母さんにメールして「ちょっと熱あんねんけど、何が一番ええかなぁ??」と聞いてみたくなるというもの。それで、わかっていたような答えが返ってきても、なんとなくちょっと安心するというか、「まぁ、お母さんがいうんやから間違いないやろ」というもんだ。

熱が下がっても、安静にしておこうと思って家にこもっていたのだけど、かといって熱が下がってしまっているから一日中眠っておくこともできず、暇をもてあましてしまうのがお決まりと言うもの。本を読むにしても、あんまり頭を使うことはしたくない。となると、何も考えずにぼけ~っと暇のつぶれるものと言うたら、テレビである。ところが、スペイン語のテレビを見ていたら、またこれ、頭を使わないといけないのでやっかいである。しかし、ここでもありがたきかなは、インターネット。YouTubeをひったすら見て、気がついたら、土曜日も日曜日も両日が気がつけば終わっていくではないかーー!!!ガキの使いに、明石家電子台に、漫才に……。ああ、やっぱり、なんも考えんとへらへら笑える番組はええなぁ~。

ひたすら動画ばっかり見て、風邪の症状が変わるにつれてその症状を軽減するために鼻水や足のひえの解消法を調べてみたりだとか、おかゆの作り方をCOOKPADで検索してみたりだとか、ほんとう、インターネットは、もはや風邪を引いたときにすらなくてはならないものなんだな、と感じた。

それでもやっぱり、今回の風邪でもっとも助けられたのは、友だちからの差し入れだろう。熱があって何も作ることができなかったときに、友だちがうどんを差し入れしてくれた。そのおかげで、薬を飲むことができて、熱を下げることができたというもの。それにつけてくれていた手紙がまたうれしかった。電話をくれた人や、その電話の切り際に「何か必要なものがあったら、いつでも電話してきていいからね」と気遣ってもらえることが本当にありがたいなあと思った。

頭を使ってなさ過ぎて、なんか、言いたいことがまとまらないけど、人のやさしさと技術の発達をかみ締めた週末でしたとさ。