December 25, 2010

第○言語

新しく言語を学んで習得するのに年齢は関係ない、と言うような記事を読んだことがある。また、母国語と違う言語を勉強することによって、ボケ防止にも繋がるとも書いてあった。

「年齢は関係ない」と言うところを読んでほっとする一方で、じゃあいったい、「習得」とは何を持ってそう呼べるのか、と憤ってみたりする。言語には、これができたからもう完璧、というのがない。それこそ、旅行に行ったときに困らない程度の言語力と、暮らすのに困らない程度の言語力、あるいは仕事をするのに困らない言語力はそれぞれ違う。それぞれのニーズにあった言語力を身につけると、個人としてはそれで事足りるが、では果たして「旅行で困らない程度の言語力」を身につけた人に向かって「もう、完璧やね!」と声をかけて「そう!私の言語力は完璧!!」と言う答えが返ってくるだろうか。答えはおそらく否である。「まぁ、旅行にはこまらへんけど、完璧にマスターはしてない」といわれるだろう。そんな風に、言語は通じると楽しいからとっつきやすい反面、深みにはまるとゴールがないのでいくらやってもだめだ、と言う嫌悪感にもさいなまれやすいものだといえる。しかも、その「伸び」とか「進歩」と言うものは、自分では実感しづらいのが、またそれを助長する。

この間、skypeをつないでいると、ドイツ人の友だちから話しかけられた。彼とは、数年前京都のバックパッカーで知り合ったのだが、その時は、いろいろな国の人がいたから、共通の言語は英語であった。そのドイツ人の子は、その時に始めて日本を訪れたのだが、それをきっかけにものすごく気に入って、また戻ってきたいといっていた。彼のすごいところは、半年後に見事留学生として日本に戻ってくきたところである。半年ほど日本に住んでいて、その間に日本語を勉強していて、ひらがなカタカナだけではなく、漢字もたくさん読めるようになっていったから、すごいなぁ、と思っていた。そして、彼の妹がドイツから遊びに来た時に日本の私の町に遊びに来てくれた。そのときは、彼が日本語を勉強しているから、と言うことで主に日本語でしゃべったように記憶している。それで私がメヒコに行くことが決まってそのことを話すと、なんと彼はスペイン語がしゃべれるということが発覚した。なんでも、スペインに留学していたときがあるらしく、その時に身につけたんだそう。メヒコに行くことが決まったときの私のスペイン語力は、完全に無であった。だから、チャットをしたときにスペイン語をちょっと教えてもらったりしていたくらいだ。まぁそんな友だちが"Hola!  Que tal?"と話しかけてきたのである。スペイン語で話しかけられたので、スペイン語で返事を返していると、そのままスペイン語で話が続けられた。全部をスペイン語にするのは無理なので、英語や日本語を混ぜたりの会話だったが、途中でふと、「おまえ、スペイン語上達したな!!!」と言ってきた。「そんなわけがない!!」と答えると、「いやいや、スペイン語で会話できてたやん!!!」。……おお、そういえば、この人は私がスペイン語をこれっぽっちもしゃべられへんかった時期を知っている、その人が「上達した」といってくれるのなら、もしかすると上達してきているのかもしれないと思うと、なんだか無性にうれしくなった。

英語のときもそうだった。なんか、全然上達しないなぁ、というかむしろ、日本にずっといるからへたくそになっていく一方だ、と思っていたときに、一番はじめにアメリカに行ったときに友だちになった子が「おまえ、めっちゃ英語うまくなったじゃないか!!」と言ってくれて、その言葉にものすごく助けられたことを思い出した。

そして、言語の習得は、自分と他人とを比較して判断するのではなく、自分の中でどれだけ伸びたのかが大事なんだということに、ふと気付かされる。当たり前のことだけれど、深みにはまるとそれを簡単に見失ってしまう。自分で見ることができないから、相手に言ってもらうしかないのだけど、それを相手が何の気なしにふと言ってくれるこの瞬間に、ちょっとだけ自分の言語力に自信がつく気がする。

だからといって、私はたとえ他の言語が上達してきてもその言語だけでしゃべり続けるのは不可能なんじゃないかと思う。その言語だけを使いこなせたら言うことなしだけど、私は自分がそこまで機用じゃないことや、言語は所詮道具に過ぎないということに気がついている。だから相手が英語と日本語を理解するなら、それをミックスしためちゃくちゃな言語を自分で話すだろう。相手がスペイン語しかわからないのなら、スペイン語と日本語とジェスチャーと顔を使って話すだろう。

結局、いつもいっているところにたどり着くのだが、言語はおもしろい。でもそれが全てではない。やっぱり伝えたいという、ガッツとハートが重要だ。それでも言語を上達したいと言う気持ちが起こるのは、コミュニケーションを言語がスムーズにしてくれてもっと楽しくなるというのを肌で感じているからなんだと思う。

ドイツ人の友だちとのチャットの余談。

「一番初めに会ったときは英語でしゃべったのに、次は日本語、そして今はスペイン語でしゃべってる!すごいな~!!ああ~、ドイツ語もちょっとしゃべれたらよかったなぁ。DankeとBitteしか知らんわ。」
「ありがとうとどういたしまして、は最重要単語やからそれ知ってたら十分!!それにしても、5年後くらいには、アラビア語とかでしゃべってたりして?!」
「うん、そうに違いないな。笑」

どうやら、私の周りには言語を、おもちゃのようにとらえて扱っている人が多い。楽しい遊びには、大人も子どもも関係ない。なるほど、言語習得にはやはり年齢は関係ないのだな。

No comments:

Post a Comment