December 15, 2009

シャーペンの芯

日本の品物の質はやっぱり高いと思う。特にやはりMADE IN JAPANの文房具などは最高であるとつくづく感じる。

日本で、シャーペンの芯なんかもう何年も買っていなかった気がする。それは単に、減らないからである。あんなに減らないのになぜ40本入りとかなんだろうと不思議に思ったりさえもしていたくらいだ。そんな私とシャーペンの芯なので、ここメヒコでのその「減り」の早さには本当に脅威的である。

「なんでや?!」と考えていると、ノートの紙の質と芯の質の両方があまり良くないからである。まず、シャーペンの芯はHECHO EN COREA(MADE IN KOREA)なのだが、これのよく折れること、折れること。そしてノートはHECHO EN MEXICO(MADE IN MEXICO)で、芯が食い込む食い込む。私は筆圧が強いので、その減り方ったら、折れ方ったらもう異常なんである。鉛筆もよく使うのだが、鉛筆もすぐに先が丸くなってしまう。濃さの薄いものにしたら減りの速度は落ちるが、今度はノートに書いた文字が薄くて見えないということになる。そう言うわけで、HBくらいの鉛筆を猛烈な頻度で削りながら使っている。

これに関してイライラしているのかといえばそうでもない。この質の悪さがとてもこの国らしくて、期待を裏切らない感じがほほえましくすら思える。そしてなにより、鉛筆が減る様子は、なんだかとてもいいんである。つまりはただの文房具馬鹿である。

December 10, 2009

a mano

一人でぼちぼちと歩きながら、セントロセントロまでやってきた。まずは休憩である。私が、メヒコの、というか日本以外の国でいいなと思っていることの1つに、町の中にもベンチがあってそこに腰掛けて休めるということがある。日本では、ふと「外で本が読みたいなぁ」と思っても、なかなかそのへんの公園で、ほな読書でも、と言うわけにいかない。だから私は、海のほうまで行って、テトラポッドの上で一人ぼんやりと読書をしていたりした。

広場にたくさんベンチがあって、それぞれ思い思いに過ごす空間にいるのはとても気持ちがいい。さすがセントロセントロなので、大きな道路がすぐ脇を通っていて、交通量も半端なくて忙しい感じがするのだけれど、それでも、ベンチに座っている人たちのほうに目をやれば穏やかなもんである。読みかけの本を取り出して、本を読んだり、人間観察をしたりして小一時間を過ごした。靴磨きのおっちゃんや、待ち合わせのために待っていて連れがきたときに見せるめちゃくちゃうれしそうな顔や、おそらくゲイだというカップルを見つけてはにやにやとしてしまう。

十分休憩を楽しんだので、たぶんこっち、と勘のみでまたすたすたと歩き始めた。雑雑としたエリアに誘われて、キッチンレリア(台所用品屋さん)や、ベルトレリア(ベルト屋さん)を冷やかしながら歩いていると、やはりこの雑多な感じは、メルカード(市場)に通じていた。市場は3階建てで、まず入ったところがちょうど3階だった。3階は、靴やらDVDやらが売ってある。ものの多さに圧迫感を覚えて、しかもまた「アミーガ!何か探しているのか??」攻撃に耐え切れず、2階、1階へ。1階はもっと観光客向けの雰囲気がして、お土産になりそうなものがたくさん売ってあった。私は、ベルトとかばんがほしかったので見て回ったけど、もひとつピンとくるものがなかった。

せっかくなので、腹ごしらえでもしていくことにした。名前は忘れたけど、おいしいスープを食べた。スープを頼むともれなくトルティージャがついてくる。カウンタに座ると、目の前でそのトルティージャを焼いているのが見えた。生地を手動のプレス機みたいなもので伸ばして、鉄板の上に置く。両面を焼いたら、どんどんとお客の方に運ばれていく。歩き回ってすっかりのども渇いたので、ハマイカのジュースも飲んだ。うまい。私は一人暮らしなので、普段はなかなかメヒコ人がメヒコ料理を食べている姿を見ていない。だから、適当にちぎってトルティージャを食べていたのだけれど、メヒコ人たちは、くるくると巻いて、それをスティック状にして食べていた。……ので、ひそやかにそれを真似して食べてみると、なるほど、食べやすい。スープのときに食べるトルティージャは、巻くに限るな、と妙に納得しながら食べた。

それから、カテドラル(でかい教会)の向かいの広場の地下にあるプラサに行ってみることにした。前、平日に覗いてみると驚くほど開いている店が少なかったのだが、その中にとても気に入ったベルトを売っている店があったのだ。でかい市場の方で惨敗だったので、このこじんまりしたところをみて落ち着こうという魂胆である。しかし、前行った時には「入れ墨」と書かれたタトゥーの見本がおいてあるタトゥーやさんがあって、その前で悪そうなキッズがたまっていたので、カツアゲとかにあったら嫌だなぁ、と思いながら階段を下りていった。

平日よりもたくさんの店が開いていて、市場よりも暗いのだけど、市場のようなあの「アミーガ!!」攻撃がないから、よっぽど落ち着く。店番をしているのも、中学生か高校生くらいの店舗もあって、そんなところをうろついているアジア人は他に見当たらず、ガン見の洗礼を受けるのである。まぁ、そんなことはもう慣れっこなので別にいいし、なにより、こっちのプラサの方が心をくすぐられる手作りの品々が多い。ベルトもやっぱりこの間見つけたやつが一番いい。糸で刺繍をしたものを、皮に縫い付けているのだが、色が鮮やかでとてもきれいなやつである。やはり、手作りのものに魅力を感じる。まだ売れていなかったので、買うことにした。店番の女の子に「何人??」と聞かれたから「日本人やで」というと、「日本語で私の名前を書いて」と頼まれ教えてあげた。代わりに私もスペイン語の単語を教えてもらったり、しばらくきゃっきゃと話した。

かばんも、これまた刺繍のもので気に入ったものがあった。1回り目と2回り目で店番の人が違って、違う値段を言われた。どうやら、1回目に聞いたときはその店のお兄ちゃん(どう見ても10代。)の代わりに店番をしていたから、適当に値段を言ったらしい。だから本当の値段よりも安かったのでお兄ちゃんは不服そうだったが「さっきお姉ちゃんが言った値段にしてください。お願いします。お願いします。」と連呼しているとついに「オッケイ」を出してくれて、まんまとまけてもらった。いやぁ、ええかいもんをした。

ハンドメイド。さあ、次はどんな作品にめぐりあえるのだろう。そのためには、やっぱり街歩きをしないとだめだなぁ、と改めて思った。

レリア

この間の土曜日。待ち合わせをしていた人と、連絡の行き違いでうまく会うことができなかった。いつも週末はだらだらしているから、土曜日の午前中に外出しているというのは極めて珍しい。家に引き返すことも考えたけど、天気もいいことだし、これは一人でのこのこと出かけるのにはもってこいだと思いつくなり、足はそのままバス停へ向かう。

結論から言えば、やっぱり街歩きは楽しいなぁ、と言うことになるけど、その一人街歩きの中で見つけた素敵なメヒコの顔について書こうと思う。まずは、「~レリア」について。

いつもと違うところでバスを降りて、適当に歩き始めた。最終目的地は、メルカード(市場)である。メルカード、行くのは2回目である。あの「アミーガ!!!何を探しているんだ?」「アミーガ!!!帽子買っていかねえか??」と猛烈に声をかけられるのに耐えられず、足がなかなか向かないでいたのである。はっきりした場所はわからないけど、方向はわかっていたから、まぁ、たどり着くでしょうと適当に歩き始めたその道は、「本気紙レリア」エリアだった。

スペイン語で、「~屋さん」と言うのは、~ríaというようで、papelería(papel:紙 + ría = 文房具屋さん)、pescadería(pescado:魚 + ría = 魚屋さん)、carnicería(carne:肉 + ría = 肉屋さん)といった具合である。そう言うわけで、私は「~屋さん」と表現するときには、何でも"レリア(本当なら、リア、をつけるべきだけど、パペレリアの、レリア、をとって)"をつけて呼んでいる。だから、"紙レリア"とは、私のオリジナル単語で、意味は「紙屋さん」である。



紙レリアエリアは、すなわち紙の問屋街のことになるが、紙レリアにまぎれて印刷工場もたくさんあった。昔ながらの機械ががしゃこんがしゃこんと動いている様子を、ちらちらと見ながら歩いた。人通りは特になく、穏やかなもんである。

紙レリアエリアを抜けると、大きな通りに出たのでセントロセントロ(セントロの中心部)を目指して方向転換。メヒコは、専門店の宝庫である。私はそれがとても気に入っている。日本では、最近は何でも総合化してしまい、専門店と言うのが減ってきているように思う。だから、京都の街を歩いたときに「たたみ屋さん」があったり「仏具屋さん」があったり「和紙屋さん」があったりすると、わくわくしてしまう。そこには職人がいて、文化がある。そう感じるからだ。メヒコで見かける専門店は、例を挙げると、糸レリア(糸屋さん)、カレンダレリア(カレンダー屋さん)、お菓子レリア(お菓子の問屋)、布レリア(布屋さん)、カードレリア(カード屋さん)、べべレリア(赤ちゃん商品屋さん)、フィエスタレリア(パーティグッズ屋さん)、ビニールレリア(ビニール商品屋さん)、屋台レリア(屋台に必要なものを売る店)、ピニャータレリア(ピニャータを売る店)……などである。カレンダーだけを専門に扱って大丈夫なのか?!と要らぬ心配をしてしまうほどだが、それらのこじんまりとしたたずまいの店の前を歩くのがとても気に入っている。なんでも合理化してしまってまとめてしまうことが決していいことではないことに気付かされる。

December 07, 2009

dahh!!

今日は、またまた言語についての話。やはり自分が今一番格闘していることの一つだから、どうしてもトピックに選んでしまう。そうして少しでも向き合おうというわけなのだが、最近もっぱら感じるのはフラストレーションである。

もちろん、そればかりでもないから、さきにうれしかったことを上げるならば、この間旅行会社に安いフライトでも調べてもらおうと思って行ったとき、英語に頼らずにいけたことである。夏に同じく旅行会社とエアラインに話を聞きに行ったのだが、そのときはスペイン語がしゃべれなすぎて、英語のわかるスタッフが対応してくれたのだが、今回は、たどたどしいながらもスペイン語とジェスチャーと顔の表情だけで用事を済ますことができた。だから、これは○である。

一方の凹むこと、上げだすときりがないけれど、一番凹むのはスペイン語のわかる友だちのほうに話しかけられることである。そうする理由は簡単、そうしたほうが話が簡単に伝えられるし理解できるからである。四苦八苦して何とか知っている単語や英語で説明しなくても、ポンと一言日本語に訳してもらえれば、あるいはスペイン語でつぶやいてもらえれば、それで「??」は解消されるのだ。そのときに感じる自分の無力さったらない。スペイン語のできる友だちは、日本で4年も勉強していたのだから、自分よりもできて当たり前。わかっている。わかっているけど、同じ土俵で扱ってもらいたいという図々しさが、近頃の私にはあるようだ。厚かましさのほうが勝って悩みと呼ぶには被害妄想が過ぎるかもしれないが、これは地味に本気で凹む。この気持ちのジレンマもあいまって、かなりのフラストレーションを感じているのである。

December 03, 2009

好きな言葉

言語と関わっていると、好きな単語や言葉と出会う。その場合、「意味が好き」なのか、あるいは「言葉の響きそのものが好き」なのかに大別される。後者の場合、ネイティブスピーカーからしてみると、「は?!なんで?!」と思われることがある。

例えば、私の一番好きなドイツ語は「punkt」である。意味は、「点」である。なぜ好きかと聞かれても、響きがかわいいからとしか答えようがない。そう言うくだらない理由で好きな言葉は人それぞれあるはずである。これが結構おもしろかったりするから、日本語を学習している友だちがいると「一番好きな日本語の単語は何??」と聞いてみたりする。ある友だちは、「あばら骨」と言っていた。理由は、「あばら骨」と発音する時の口の動き方がたまらなく気持ちいいらしい。「あばら骨」の発音なんて意識してしたことがないけれど、それを聞いてからゆっくりと発音してみると、破裂音が多くてなんだか言いたくなる言葉かもしれない。

このような「なんか知らんけど好き」と言う言葉に出会うのは、語学の習い始めに多いような気がする。今まで知っている言葉の響きとなんだか違っていて、妙に引っかかるからだろう。前置きが長くなってしまったけど、そんな無性にいいたくなる言葉に今日出会ったので、早速紹介しようかというわけです。

その単語とは、"montón"である。「たくさんの」という意味らしい。モントン、もんとん、モン豚……。後ろの"o"のところにアクセントがあるから、もんんという感じで、なんかわざとなまってみたような感じである。それなのに、"ん"の音が2回もあるから、なんかフランス語っぽさ(ここからはあくまでもイメージ)さえ漂っている気がする。巻き毛のおっさんたちが、コーヒーカップを片手に小指でも立てながら物憂げに「モントン……」とかなんとかつぶやいていそうである。(これは完全に妄想)

明日から、なんとかこの"monón"を使って会話をしてみたいもんである。

November 30, 2009

Gel

メヒコ人の象徴といえば、「ジェル」である。メヒコに来て以来、「メヒコ男性=ジェル」のイメージがすっかり定着した。大人であろうが、子どもであろうが、そして時には女子もジェルでパシッと頭をきめる、それがメヒコの男ってもんでしょうが、と言わんばかりにシャンプー売り場の隣には「ジェルコーナー」が必ずある。それを真剣なまなざしで選んでいるおっさんを見かけることもしばしばである。だからこそ、メヒコには日本で言うところの「ワックス」なんていうものは存在しないと思っていた。ワックスなんぞで毛先を遊ばせるような人たちではないと思っていたのだ。

しかし、スタバの店員とこないだ話していて彼はジェルではなくワックスで毛先を遊ばせていることが判明した。「ほれ、触ってみ」と頭を差し出されたので触ってみると、カチコチしていなくてびっくりした。フンワリしているではないか!!!!(まぁ、見てくれは、遊ばせていると言うよりも、ジェルで髪の毛を立てているのと変わらないのだけれど。)

ジェル以外の整髪グッズがあった事実にメヒコ国内カルチャーショックを受けてしまった。

手のあげかた

これを目下研究中である。何をそんなに日常生活で、手を上げることがあるのか、と思われるかもしれないけど、メヒコではバスを止めるために自分の手を上げて「止まってくれ!!」と合図しなければならない。そうしないと、いくらバス停にいてもバスは止まらずに通り過ぎてしまう。逆に、バス停じゃないところで手をあげてみると止まってくれることもある。(だいたい、未だにどこがバス停なのかよくわからないので、とりあえず角に立って手をあげてみることにしている。)だから、かなりの頻度で手をあげることになる。手のあげ方は、発表する時のようにパーで上げるのではなく、人差し指をピンと立ててあげる。

手をあげても止まってくれない時もあるので、とりあえず「私!めっちゃ乗りたいんですけど!!!」をアピールするために、かなり大げさに、そして張り切ってあげていた。スルーされるときは、てっきり私がメヒコ人じゃないからなめられているのかと思っていたけど、どうやらバスの運転手がお昼ごはんを食べに行きたいとき、早く家に帰りたいときはいくらたくさんの人がバス停で手をあげていても無視視して通り過ぎるようだ。

今までは、止まってほしい一心でピンと腕を伸ばしていたのだが、この間バスを待っていて、メヒコ人の友だちがバスを止めるときのしぐさのかっこよさに肝を抜かれた。もちろん人差し指は立てているのだけれど、その手をあげるしぐさがさりげなすぎたのである。「これでバスは止まる」という自信と言うか、当たり前さがその腕で体現されていたのだ。「うおおおお、かっこえええええ!!!!」と思って、早速一人のときにそれを真似してみたけれど、あっけなくスルーされたので、2台目が通ったときはまたいつもの通り必死でアピールする作戦に戻した。

バスの中から、他の人がどういう風に手をあげているのか観察していると、やはり「ピンと腕を伸ばす」タイプと、「ひょいと適当に手をあげる」タイプの人たちに分けられる。断然後者のほうがかっこいいのである。私も後者の手のあげ方で止まってもらえるように、今から練習に行ってきます。

November 29, 2009

多面性

メヒコ人の名前は、とにかく長い。「ファーストネーム・ミドルネーム・名字・名字」と言う感じで、4つくらいある。名字のところは、母親の名字と父親の名字を取っているようだ。名前が長いくせに、名前のバリエーションが少ない気がする。Luis、Jorge、Gerardo、Jesus、Marco……など、2人以上あったことのある名前を思い出すだけでもこんなにもたくさん思いつく。
ところで、この間友だちとメヒコの人々の多面性についての話になった。いろんな人がいるなぁ、と全体的に見たときにもこの国の人の多面性を見ることができるけど、個人に焦点を当ててみてもその中でも多面性を感じるなぁ、と言うことになったのである。そしてそれは名前の長さに起因してるのではないか、と言うのが私たちの意見である。

名前が長いから、よばれ方はさまざまであるはずだ。ファーストネームでよばれるかもしれないし、ミドルネームでよばれるかもしれない。あるいは、ファーストネームを縮めてよばれるかもしれないし、ファーストネームとミドルネームをくっつけて呼ばれている人もいるかもしれない。それらの愛称・あだ名、特にファーストネームでよばれるかミドルネームでよばれるかは、個人間でというよりもコミュニティごとで異なるのではないだろうか。例えば、家ではファーストネームで呼ばれているけど、友だちのグループからはミドルネームで呼ばれている、また別の友だちのグループからはファーストネームで呼ばれている、などである。これは何もメヒコだけではなく、日本でもよくあることだ。名前で呼ばれるか、名字で呼ばれるか、はたまた何かあだ名をつけられてそのあだ名で呼ばれるか、どのようによばれるかによって、そのコミュニティあるいは集団における「自分」と言うものが多少は違ってくるはずだ。それが個人の多面性だと思うのだけれど、日本人が名字と名前と言う2つの名前しかもっていないのに対して、4つの名前を持つメヒコ人である。特に、下の名前(given name)が2つと言うのは日本人にはないことなので興味深い。しかもその下の名前が同格なんである。そのいずれで呼ばれるかは、何によって決まるんだろうか。例えば日本人の名前で、花子・由美という2つの名前があるとする。花子と言う名前に抱く印象と、由美と言う名前に抱く印象はそれぞれ異なるはずである。それがもしも一人の人につけられていたらどっちで呼ぶのであろうか。一方で花子と呼ばれている自分がいて、また他方では由美と呼ばれる自分がいる状況は、自分にどのような影響を与えるのだろうか。その人本人は一人なわけだから、別に何もかわらないと考えられるかもしれないけれど、もしもそれが多面性を与える要因になっているならば、「名字で呼ばれるか、名前で呼ばれるか」による多面性とは異なった多面性がみられるのではないか、と想像する。

そんな風に考えていると、名前って不思議なもんだなぁ、と思う。生まれてきた本人は選べないのである。名字なんてものは代々と祖先から受け継がれて、名前もつけてもらう。それでも、誰かの名前を聞いたときに「ああ、○○っぽいなぁ!!」と妙に納得することが多々あるからだ。

まとまりがなくなってきたので、この話はこの辺にて。

November 26, 2009

ヘドロ

最近、洗面台の水の流れがよくなかった。配管とシンクをつなぐモノはプラスティックでできていて、それは恐ろしいほどに汚い。なので、爪楊枝やらめんぼうやら布やらで、その汚れと言うか、にちゃにちゃした部分をとってみた。すると、そのにちゃにちゃした部分が要だったのか、ある日水漏れしだした。えらいこっちゃ、と思い、補修剤で修理を試みた。DIYである。そんないかにもつくりの甘そうな洗面台である。流れが悪くなるのもなんとなく想定の範囲内の出来事だと言える。

流れの悪さは、顔を洗っているだけでシンクの上から水が溢れそうになるくらい詰まり、結構重症である。もしかしたら、補修剤が管の中にも入り込んで、水の通り道を狭めてしまっているのかもしれない。とりあえずわからないなりにも、洗面台の下に座り込んで、その「プラスティック」のモノを触ってみた。相変わらず汚い。がしかし、上下左右に動かしているうちに水漏れがひどくなり、幸いにもそれがきっかけで、プラスティックのものをパーツごとに離すことに成功した。

……中から出てきたのはヘドロである。もちろん泥なんかではないことはわかっている。しかし、こんなものはどぶ川だ。こんなものが詰まっていたのか。そりゃ流れも悪くなるはずだ。予想以上のハードコアな代物が出てきたけど、途中でやめるわけにもいかず、ヘドロ処理をするはめになった。家の中にアリがどこからともなくやってきたり、ヘドロが出たり、電気を使いすぎたら呼び鈴が勝手になったり、全くこと欠かない家だ。優雅な一人暮らしとは未だ程遠く、サバイバルな毎日である。

あ、でも、ひとつ。このアパートには屋上があるのだけれどそこで日向ぼっこをしながら空や風景を眺めながら、コーヒーを飲みつつ読書をするのが最近の楽しみでもある。なかなか日本ではできないアパートの暮らし方かもしれない。だから、ヘドロが出てもこのアパートに住みたい気持ちは揺るがない。

言語

最近専ら恐怖に感じていることは、英語力の低下だ。自分でもびっくりするくらいにその能力が落ちていくのがわかる。かといって、スペイン語がめちゃくちゃ上達したかといわれればそんなことはないのである。困った。

低下している原因として考えられるのは、まずなんといっても十分に使っていないということ。やっぱり言語は生き物だから、使わないことには失うことは簡単なのだ。メヒコの人々は、英語がさほど得意ではないらしく、こちらのスペイン語が怪しいのがわかるとすぐに「英語しゃべれる??」と聞いてくるが、結構めちゃくちゃで、結局気付けばスペイン語で話されていたりもする。それに加えて、「はい、英語少しわかります」と答えておきながら、私はかたくなにへたくそなスペイン語でその人たちと会話を続けようとしている。

じゃあ、スペイン語が上達するのでは?!と思われるかもしれないが、蓄積された「基礎」は皆無に等しい。英語のように学校で一から文法を教わったようなスペイン語の基礎が、私にはない。それを独学で同時進行しているが、流暢なコミュニケーションと言うレベルには程遠く、がっくりする毎日だ。しかし、幸いにも読むこと調べること知らないことばかりなので、「オモロイ」と思いながらスペイン語に取り組めているから、英語力の低下ほどの悲壮感はない。これは地道にするしかない。

そして、日本語である。さすがは母国語。全然忘れそうな気配がない。少しくらい忘れてもいいからスペイン語が上達したいと願えども、しっかりと私に身についている。……と思っていたが、先日から三島由紀夫の短編を読んでいて、それを読むにつけ自分の日本語の稚拙さを思い知らされている。漢字も読めないし、熟語の意味もわからない。ちょっとちゃんと読んでみようと、電子辞書を片手に読んでいる。それらの初めて知る言葉の意味のなんと美しいことか。「いや~、三島さん、すごいなぁ。」と、これまたあほのような感想しか出てこないのである。

言語とは一口に言ってみるものの、奥が深い。難しいけどおもしろくて、知っているようで知らなくて、わかったようなわからないようなまったく憎い奴だ。これを何とか操りたいと思うのが、これ人情である。

November 19, 2009

エコバッグ

私は、いつも買い物をするときにエコバックを持っていく。お母さんに作ってもらったお気に入りのやつである。ところが、メヒコのスーパーでエコバックを持っていくと、少しだけ気まずい思いをする。(私が思っているだけかもしれないけれど。)

メヒコのスーパーでは、買うものをどんどんとベルトに載せていく。そしてレジでピッとやってもらう。その先には「商品入れ係り」がいて、袋に詰めてくれる。そして、支払いを済ませてから彼らにpropina(チップ)を渡す。だから、エコバッグを持って行って、「No necesito bolsa(袋要りません)」というのは彼らの仕事を奪うことになるので、いつも少し「悪いなぁ」と思う。でも、日本人の感覚だと、他人にぼんぼんと袋詰めされるのは余計なお世話とも感じてしまうのも事実だ。買ったものくらい自分で入れます!!と思うのだけれど、いかんせんそんなスペースは設けられていないのである。

ところが、この間から3回程エコバッグを持っていくのを忘れてしまった。家に帰って唖然としてしまった。たった3回の買い物で(しかも一人暮らしの)、「袋何ぼほど使うねん?!」という量なんである。スーパーの袋には、「燃やしても有害な物質は含まれていません」と言うような文句が書いてあるのだけれど(たぶん)、質があまり良くなくて重いものを入れるとすぐにちぎれそうになってしまう。だから、商品入れ係たちはわりに小分けに袋に入れてくれるのだ。いくら有害な物質を使っていないといっても、どうせ家に帰ればそのほとんどがごみになってしまうのはいかがなもんか……、と私は思ってしまう。そして、次回からは、エコバッグを絶対に忘れずに持っていこうと心に誓うのであった。(これは余談だが、以前、ある人がレンジで物をあたためるときも、ふたのついた耐熱容器を使うといっていた。そうすればアルミホイルやラップを使わなくて済むし、ごみだって減る。「おおおお!!!ええこと尽くめやん!!!」と、それ以来保存はタッパー、あたためるのは皿、ラップもアルミホイルも買っていない。困ると思うこともさほどない。)

その一方で、ハンドメイドショップでは手作りエコバッグが売られているのを見かけたこともある。エコの時代は、この国にも訪れようとしているのだなぁ、と思いつつ、今後の様子が気になるばかりだ。

November 17, 2009

メヒコの太陽

「メキシコって、一年中暑いイメージやわ~。暑いんやろう??」

と、日本にいる友だちからよく言われる。は、は、は!!!それは、所詮イメージですよ、あなた、最近は長袖なんてものを着ていますからね、と、やはりイメージと実際に住んでみるのでは違うなぁ、と思っていた。

実際、朝晩は冷えるし、昼間も家の中にいて風が吹いたりするとひんやりと感じたりしていたので、メヒコもめっきり秋になったもんだ、と過ごしやすい気候を楽しんでいた。

ところがどっこい、やはり、メヒコの太陽は強かった。週末2日ほど半日くらい外で過ごさなければならないことがあった。じりじりと暑い。肌を刺すようである。しかし、その威力の本当のすごさを感じたのは、翌日である。耳が帽子からはみ出していて、首回りに日焼け止めを塗るのを忘れていたばっかりに、みごとに軽いやけどをしていた。耳も首もずっと熱を持っている。目もなんだか乾いて痛い。完全にメヒコの太陽に皮膚が負けた模様だ。さっきから首にひえぴたをしているのだけれど、明日には引いてくれるのを祈るばかり。

いやぁ、メヒコの太陽はすごいわ。

ご飯の時間

昼ごはんが遅いメヒコ。 レストランが混みだすのは2時とか3時とか。12時くらいにのこのこ出かけても、一応オープンはしているみたいだけれど、準備中を前面に押し出しているので、なんとなく入りづらい感じも漂っていて、店員と思われる人たちが思いっきりまかないを食べていたりもする。

家にいる時は、私は日本タイムで12時とか1時とかにお昼を食べたりするのだけれど、今日は起きてから朝ごはんを食べて、そうじをして、インターネットをしながらばりぼりと「Cacahuates estilo Japonés(日本スタイルの豆)」を食べていた。ピーナツが硬い殻でコーティングされた代物である。日本では見かけないが、商品名は「Karate」といっていかにも日本から来ましたよ、と言う感じである。醤油を使った味付けだから日本ってことにしとくべ!!という安易な発想で「ジャパニーズスタイル」などとうたわれているに違いない。Karateのみならず、数社がこの豆を発売していて、こぞって「ハポネス(日本)」とパッケージにプリントされてある。しかし、なんだかんだ怪しんでもけどうまいので、ちょくちょく買ってはぼりぼりと食べている。珍しく友だちがオンラインだったので、うだうだしゃべっていると、友だちとの待ち合わせの時間が迫っていた。自分で時間を指定しておきながら、すっかり忘れていた。

ややや、昼ごはん、豆しか食べていない……。

とは思いつつ、悪いのは自分。バス停で友だちと合流して、セントロで別の友だちと合流した。誰もその時点で昼ごはんを食べていないことが判明し、結局、そこから昼ごはんを食べることになり、ケンタッキーに行った。時すでに、午後4時である。それなのに、ケンタッキーは鬼のように混んでいて、皆肉をうまそうにもりもりと食べていた。午後4時、これがれっきとした昼ごはん時間である。小腹が空いたからではなく、早めの晩ご飯を食べているわけでもないらしい。ちなみに、ファストフードのハンバーが屋は、ケンタッキー、マクドナルド、バーガーキングとあるが、ケンタッキーが一番安い。日本では、ケンタッキーは高いイメージだけど、どういうわけかここメヒコでは、一番お得感がある。(マクドの曜日別日替わりセットも安くていい。月曜日は、ワカモーレ(アボガドのソース)とトマトがはさんでアルシンプルなものだけれど、日本にはなくておいしい。)それから公園に行って遊んで、帰りに友だちと閉店時間までスタバでダラダラと過ごした。外にいる間は、遅い昼ご飯のせいで、ちっともお腹が空かないのだ。しかし、家に着いたとたんにやはり腹が減る。

……小腹は空いているけど、今から晩ご飯を食べる気にも作る気にもならない。というわけで、残りのジャパニーズスタイル豆をぼりぼり食べている。ああ、豆……。

November 09, 2009

Cambio

メヒコでは、「え~、おつり(cambio)ないよ。」と言われることがしばしばある。

先日郵便局に行って、200円分くらいの切手を買おうとして、1000円くらいの札を出したら、そう言われてしまった。……800円の釣りがないとはどういうことや?!?!と思ったが、急いでいたので「じゃあ、また後日に来るから。」と郵便局を後にした。

そして数日後、またまた同じ手紙を持って郵便局に行った。今度も小銭はなかったのだが、今度は200円に対して500円くらいの紙幣で支払いを試みた。すると、まさかまさかの

「え~、おつりないよ。」

であった。300円の釣りがないって、あなた、どういうことですか?!?!仮にも、あなた、ここ郵便局ですよ!!!

これにはさすがに、「え~、困る。」と顔で訴えて、そして、受付はいつもの兄ちゃんで日ごろより「あたし家が遠いんです。」とアピールしているから、2回も同じ理由で帰らすのははさすがにだめだと思ったのか、同僚の人に細かいお金がないか聞いてくれた。すると、その同僚も「ない」とか言うではないか。……今度こそ、「また来てくれ」と言われる、と覚悟したその時、同僚に何か指示したかと思うと、同僚は奥から小銭がいっぱい入った袋を持ってくるではないか……。

おい!!!!釣り、腐るほどあるやんか!!!!!!!

恐るべし、メヒコ人の口からでまかせ。

November 03, 2009

Dia de muertos.

今日11月2日は、メヒコでは「死者の日」という祝日である。祝日なのかどうか実はよくわからないけど、私は休みであった。死者の日は、日本で言うところの「お盆」のようなものらしく、京都の元田中にあるメキシコ料理屋さんでみた本の中の写真が頭にこびりついていて、楽しみにしていた祝日の一つである。

その写真は、お墓の写真でオレンジや黄色い花できれいに飾りつけられているというものであった。墓地と言うと、日本のあの薄暗い感じのイメージだったので、こんなに派手で華美なお墓があるのかと、その時にカルチャーショックを受けたといっても言い過ぎではないかもしれない。人様のお墓を好奇心だけで見に行くのもどうかと思ったけど、せっかくメヒコに実際にいるのだから、これは見に行っておきたい、と思っていたのだ。

そういうわけで、のこのこと墓地に足を運んできた。墓地へは、電車で向かった。メヒコに着てから電車に乗るのは、実ははじめてである。値段は均一らしく、まず専用のコインを購入する。それをゲートに入れて入場するのだ。そのゲートと言うのが、電車と言うよりは、なんだか動物園にでも入場するような感じで、変な感じだった。でも、ホームは電車のホームで、乗り込むと、やっぱり電車で、なんか日本にいるような気分になった。途中から地下にもぐるので、大阪の中央線を思い出させる感じである。帰りは、混んでいたので御堂筋線を思い出した。それにしても、どうして人は自分の知っているものやところと似ていると結び付けたがるのだろう……。

さて、墓地に着くとかなり広い墓地だった。さすがお盆と言うだけあって、「入口」「出口」がしっかりと分けられてあった。混雑を防ぐためだろう。墓地入り口付近では、骸骨グッズを売っているおじさんがいて、メヒコ感がむんむんと漂っている。すでに、そのことに対して違和感も感じないけれど、日本に置き換えて考えてみると相当ぶっ飛んでいる。先祖の墓参りに行って、その墓地の前でしゃれこうべのキーホルダーが売っていたら、どう思うだろうか……。

中に入ってまず驚いたのが、各墓のでかさ。最近はメヒコも火葬らしいが、もともとは土葬だったようで、墓石のふもとには、人の大きさほどの四角いスペースが各々あった。国民の9割はカトリック教徒と言うだけあって(外務省HPより。)、墓石の大半は十字架であった。中には、「家ですか、これは?!」と言うくらい大きなものもあったり、そうじ道具入れのような形のものもあった。私の想像では墓場全体が花まみれになっているのかな、と思っていたけど入り口付近はそうでもなかった。それもそのはず、亡くなった日付を見てみると相当前だ。お参りに来る家族もいないのかもしれない。


▲一面を花で囲まれた墓。私の予想では、全ての墓がこんな風にデコレーションされていると思っていた。


▲こんなバージョンのもあり。紙でデコレーション。花は少しだけ飾ってあるだけ。


▲「お父さんへ、愛を込めて」というメッセージつきの花でできた十字架。真ん中にはグアダルーペ。


▲家族で集まって、死者を偲ぶ。マリアッチをその周りで演奏している家族もいた。死者が生前好きだった曲を演奏してあげるのだそうだ。それにしても、他の人の墓をイス代わりに……。罰当たりではないのか?!


▲花。黄色やオレンジのダリアや菊が主流だった。中には、造花をかざっているところもあった。


▲墓の上に人が乗れないように「危険」のテープをはっているところがあったのだけれど、これはいいのか?!首に巻きつけて、やっぱりなんか、罰当たり感が満載……。


▲注)墓場です。


▲小さな祭壇を作って飾ってある墓も。パンや、砂糖菓子や、ミニチュアのお供え物のオブジェを飾ってある模様。

今日は、ここ最近の中では特別天気がよくて、しかも日差しのきつい日だった。そんな青い空とまぶしい太陽に白い墓石が照らされて、やしの木が揺れて、遠くからマリアッチが聞こえてきたりカラフルな花やコーラが供えてあったり、どれをとっても日本とは異なる様子で興味深いものだった。ところ変われば、墓場もこんなに違うのか、と肌で感じることができた。

Camion

バスの運転が激しいここメヒコ。今日は、ついに友だちが被害者になってしまった。いつも空いている路線なのに、今日は平日と言うこともあってか混み気味。友だち2人と乗り込んだものの満席だったので、手すりにつかまって立っていた。

「いやぁ~、今日もまた激しいなぁ~。」

と友だちと話しながらバスの横揺れ、縦揺れにに耐えていた。そうしたら急に、つかまっていた手すりががくんとなってこちらに倒れてきた。びっくりしたなぁ~、と顔を見合わせていると、一人様子がおかしい。

「は、歯が欠けた……。」

と友だちが目を真ん丸くして言った。見ると、前歯が欠けていた。かける言葉もなく、「欠け具合がちょっとやから大丈夫やって……!!」というのが精一杯だった。

歯がこんなにもろいもんだとは知らなかった。揺れが激しいからと手すりに必死につかまっていたけど、今度からもそれもよそう……。手すりじゃなくて、いすの方をつかむようにしよう……。

空いてきたので、降りるために(降車は後ろからなので)後ろに移動したら、そこがまた揺れがすごい。ブレーキを踏まれるたび、曲がるたび、本当、飛ぶかと思った。

November 02, 2009

馬鹿はどっちだ。

昨日、友だちと公園に行った。私たちの間で、最近ラルクアンシエル(昔の)がなぜか流行っていて、友だちはギターが弾けるので、ちょいとストレス発散もかねて公園で歌おう、と言うことになったのだ。

10月の最終週にDay Light Saving(いわゆるサマータイム)が終わったので、日が暮れるのがすっかり早くなった。だから、公園に着いた8時くらいはすっかり日が落ちていた。そこでギターをかき鳴らしてもらって、でかい声で3人で歌っていた。ひとしきり歌ってから、いやぁ~、でかい声で歌うのは気持ちがいいもんだ、としゃべったり、ギターをひけもしない私がギターを持ってじゃかじゃか弦をかき鳴らしていると、突然頭の上から何かが降ってきた。何のことやらわからず、「わーーー!!」と声を上げていると、白いTシャツの若い男が走って逃げていった。そして、連れの車にどんくさく乗り込むと、さっさかと逃げていった。

男が去ってから、我々は、炭酸のジュースを掛けられたことに気付いた。髪の毛はもはやねっちゃねちゃである。

何のために?!?!
なぜ?!?!

怒りもこみ上げてくるところだが、謎の曲を謎の東洋人が日も沈んだあとの公園で演奏している状況を加味すると、なぜだかどちらが悪いのか自分たちでもよくわからなくなってきた。

しかし、髪の毛がにちゃにちゃになるから、ぶっ掛けるなら、せめて水にしてほしかった。

ブリトー

メヒコに暮らすことになるのが決まって楽しみにしていたメヒコ料理の一つ「ブリトー」がある。ブリトーは、皮の中に肉やらご飯やら野菜やらが入っているという、日本で言うところの手巻き寿司のような食べ物である。オーストラリアでもアメリカでもこの「ブリトー」はメヒコ料理としてでかい顔をしていた。

アメリカに行ったときに、友だちにWhole Foodsというオーガニックスーパーマーケットに連れて行ってもらい、「ブリトー」を買って食べた。いろいろ入れてもらって、アルミホイルで包んでもらうと、「これはダンベルですか?!」というくらいの重量級食品で、これがめちゃくちゃうまい。メヒコのお隣の国アメリカでこのうまさなんだから、本場はもっとうまいに違いないと期待に胸を膨らませてやってきたものの、どこにもこの私の知っている「ブリトー」とやらは見つからない。

これはきっと、「カリフォルニアロール」的なもんで、ベースこそ日本だが他国でアレンジされて幅を利かせている代物なんだな、とブリトーが食べられない無念さに折り合いをつけて過ごしていた。そして、夏に友だちの結婚式のためにアメリカに行ったときに、「何か今回の滞在で遣り残したことはない??」と最後に聞かれて「ブリトーが食べたい……!!!」をリクエストして連れて行ってもらった。

ところがところが、ついにこの恋焦がれた「ブリトー」にここメヒコにて再会できたのである。この間タコスを食べて帰ろうとしたら、その日はもう店じまいとのことで、代わりに気になっていた軽食堂へ行ってみることにした。いつ見てもがらがらのくせに、ある日貸切でフィエスタ(パーティ)をしていたなんとなく気になっていた店である。人々がほおばっているのは、ブ、ブリトー!!!まさかこんな近くにブリトーを食べられるところがあったなんて、灯台下暗しもいいところだ。店の人はみんないい人だったが、やたらと物を落としまくっていた。おばちゃんは、フォークやらボールやらをがちゃこーんと落としていると思いきや、おっちゃんは鍋を落としていた。しかもその中にブリトーに入れる用の米がはいっていた。どうするのかと思いながら見ていると、米を作り直すでもなく普通に手際よく作っている。そして、

「ちょっと今日は米が少ないけど、今度来たときは米いっぱい入れてもっとうまいからな!!」

と、米をこぼしたことに悪びれる風でもなく持ってきてくれた。(その辺の陽気さはザ・メヒコ。)そのかわりに、肉をたくさん入れてくれたらしく、ボリュームは抜群で、あのずっしりとしたダンベル感もあって私としてはにやにやがとまらなかった。しかも、めちゃくちゃうまい!!!サルサ(ソース)も小皿に入れて盛ってきてくれて、それをつけながら頬張った。それも辛すぎず絶品。メニュー(壁に1枚画用紙で書かれたのが張ってあるのみ)をみると、「カリフォルニア風」と書かれていた。どうやらやはり、ブリトーと言うものは、伝統的なメヒコ料理ではないようだ。でも、おいしいので、どこの何でもいいのだ。近くにブリトーを食べられる店があるということがわかってめでたし、めでたし。


とりあえず、忘れずに写真を撮ってみたものの、本文に差し込む場所がなかった……。

October 30, 2009

モチベーション

語学学習のモチベーション。純粋に「習得したい!!!」というだけでは十分ではないのかもしれない。いや、できる人もたくさんいると思うけれど。でも、最近の私のスペイン語に対する学習意欲は結構高いと思う。とはいっても、独学なので進歩の速度はのんびりしたものだけれど。そのきっかけになっているのが、今回の場合は「他人のがんばりを目の当たりにする」である。日本語を勉強している友だちがいるのだけれど、その子のがんばりっぷりは本当に、目を見張るものがある。そうして、ぐんぐん吸収してのびていく様子を見ていたら、なんだかこっちもがんばらねば、と言う気になってくる。そして、自分の無力さが恨めしい。もっとわかりたい。もっと伝えたい。

辞書と、動詞の活用本と、日本から持ってきた語学書と、ノートとにらめっこの日々はおもしろい。わからないから調べているはずなのに、さらにわからないことが出てきて、どんどんと深みにはまっていっているだけのような気になる。それでも、なんかにやける。語学学習は、楽しい。本当に。あたしは根っからの文系野郎である。原動力は「おもろい」と思う気持ちだ。

デング熱

新型インフルエンザが発見されたというわけで、大騒ぎになったメヒコ。領事館からのメールで情報を見ていると、緩やかになっていた感染率がここへ来て感染者の数がまた増えてきている模様。これは秋~冬に向かっているという季節の理由によるものだと思われる。

新型インフルエンザともう一つ、猛威を振るっているのがデンゲこと「デング熱」。これは、蚊を媒体として感染する病気で、感染してしまった人から新たに誰かにうつるということはない。しかし、恐ろしいことに「蚊に刺されないようにすること」しか対策がないのだ。例年は、沿岸部で多く感染者が出るらしいのだが、今年は内陸部でも大流行しているようだ。

「デング熱ねぇ~……。」

とのん気にかまえていたら、職場の掃除のおばちゃんが感染してしまった。有給で休むためには、診断書を提出しないといけないらしく、昨日まだしんどい体を引きずってやってきた。普段めちゃくちゃ元気なおばちゃんなのに、昨日のあのしんどそうな様子を見てデング熱の恐ろしさを目の当たりにした。

デング熱の恐ろしさもさることながら、もう一つ驚いたことはメキシコの雇用環境。有給で休むためには医者からの診断書がいることはさっきも書いたが、もしもそれが提出できない場合は無断欠勤となるらしく、それが続くなら(続かざるを得ない状況でも)、解雇と言うことになってしまうらしいのだ。病院は病院で、少しいい加減なところがあるようで、おばちゃんは2回目の診断書をもらおうといったのだが大混雑で、長時間待たされた挙句ろくな診断もされなかったうえに診断書はおろか、薬すら処方してもらえなかったというのだ。病院もちゃんとせぇ!と思うのだが、雇用側の処理もなんだか事務的で、そこに人情はないのか?!?!となんだか暗い気持ちになってしまった。

October 27, 2009

パンの中身

書き始めていつも、「ああ、また写真がないなぁ。」と思う。このブログは、本当に彩りにかけているから、今度こそ写真を、と思いつつ、こうしてまた忘れて、結局文字まみれになるんである。まぁ、それはさておき、この間、「トルタスアオガーダス」を昼ごはんに食べに行った。

トルタスとは、メキシコのサンドイッチのような食べ物で、アオガーダスは、ahogar(溺れる)という意味で、直訳すると「溺れたサンドイッチ」と言うことになる。フランスパンのような皮の固いパンの中に肉を細切れにしたものをもりもりとはさんだパンに、自分で好きなだけソースをかけたりたまねぎをいれたり、ライムを絞ったりして食べる。そのソースが、ソースと言うよりもスープみたいにしゃばしゃばで、それをパンが溺れるくらいにかけるので、「溺れたサンドイッチ」と言う名前がついているらしい。ハリスコ州の名物でもあるそうだ。ふにゃかしたパンごとスプーンで食べるから不思議な感じはするけど、とてもおいしい。

しかし私が気になるのは、そのおいしさ云々よりも、タイトルにもつけた通り「パンの中身」なんである。肉は、手でわしづかみにしてめいいっぱい入れてくれるのだが、パンを二つに切っただけでは、あんなにたくさんの肉を入れることができない。だから、店の兄ちゃんたちの動きを見ていると、パンを二つに切った後に、パンの中身をぐいっと掘り出しているんである。そうすることによって、よりたくさんの肉を挟むことができる。そして、そのパンの中身はぽいっとどこかに投げつけていた。きっとその先には袋なり何なりがあるんだろうけど、そのパンの中身は食べずに捨ててしまうようなのだ。……も、もったいない!!!!!!!しかも、パンの一番柔らかいところだというのに!!!!!隣にそっと付け合せてくれたら食べるのになぁ……。そんなことを考えながら、そのパンの中身の行方が気になるばかりなのだった。

October 26, 2009

4人

これは、私が昨日見た首にコルセットをした人の数である。日本では、街なかで首にコルセットをした人なんて、そうそう見かけるものではない。しかし、ここメヒコではたった一日、いや、半日街を歩いただけでこの数である。ちなみに、今日も家から10分ほど離れたスターバックスへ行く途中に1人見た。

これは、おそらくこの国の交通事故の多さ、あるいは交通マナーの悪さが反映された結果だと思われる。交通ルール自体も、歩行者ではなく車が優先なので、歩行者はうかうかできないんである。車間距離は狭いわ、クラクションはすぐに鳴らすわで、ドライバーもイラチの人が多い。バスがバス(もちろん、同じルートを走っているバス同士)を抜かしていくときもある。私がこの間乗っていたバスは、割りに小さめの曲がり角を曲がっている別のバスを追い越そうとして、見事にぶつかった。普段なら10分くらいかかる道のりを、5分くらいでついてしまいそうなくらいに飛ばしていて、内心ひやひやしていた矢先に衝突である。曲がり角だったのでお互い速度が遅かったため、「ゴキュゴキュ」と車体が擦れ合ったというくらいで済んだからよかったものの、速い速度でぶつかっていたらと思うとぞっとする。バスでさえそんな運転をするくらいだから、凹んだ乗用車を見るのは日常茶飯事で、事故が多いんだろうなと言うことも容易に想像できる。

コルセットをしている人たちは、きっと事故に遭って鞭打ちかなんかになっているんだろうけど、それにしても多すぎる。街中にある医療器具店のショウウインドウにコルセットをしたマネキンがおいてあることもざらなんである。コルセットをしてなお、運転している人もいる。……う~ん、強い。

October 24, 2009

Yuka

私はお好み焼きが好きだ。だから、ここメヒコでもお好み焼きをよりおいしく食べたいと切に願っている。お好み焼きのふわふわの決め手は「山芋」なのだが、この「山芋」のような物体をまたまたスーパーで見かけた。以前Jícamaという野菜を買ってみたのだが、これは買ってからインターネットで調べたところ、梨のような食感だということが判明した。山芋独特のとろとろ感が皆無だということがわかり、そうなるとただの怪しい食材と言うことで、捨ててしまった。土の中で育ったというだけで、そういえばフォルムはまったく山芋とは違ったんである。

しかし、今回見つけたこの"Yuka(ジュカ)"という野菜は、山芋感満点なのであった。あの長細い感じといい、中身が白い感じといい。インターネットで調べてまた興ざめしてはいけないので、それは控えた。ところがこのYukaとかいう野菜、袋に入れたまま放置していると驚くほど腐敗が早い。気がつくと、なんだか黒っぽくなってきているではないか。これは早急にすりおろさねば、と言うことで、急遽お好み焼きが晩ご飯のメニューに相成った。

すりおろし始めると、白いには白いのだけれど、とろとろ感は微塵も感じられない。黒い小さな斑点もあるし、怪しい雲行きである。メヒコで腹を壊すと、なかなかしつこいので、そうなるのもいやだ。そして何より、「お好み焼きをうまく食べたい」の気持ちが、そのすりおろした怪しげな物体を眺めていると大きくなっていく。それに反して、この素材で試してみたいという気持ちは萎えて行く。

……お好み焼きをメヒコの素材でおいしく食べたい大作戦第2回も、第1回と同じく棄権試合で幕を閉じた。おとなしく、日本から送ってもらった「お好み焼きの粉」を使っておいしいお好み焼きを食べたいい夜だった。

October 22, 2009

Sitio y concierto

ある日、南アフリカ人の友だちから「メキシコにMONOという日本のバンドが来る。めっちゃいいから、見に行くべきだ。……日本人として彼らをサポートすべきだ」と言うメールが来た。その数日後、今度はイギリス人の友だちから「メキシコにMONOがくる。めっちゃおすすめ。場所は……。」というメールが来た。日本人ではない友だちから、日本人バンドのメキシコツアーの情報をほぼ同時期にもらったので、なんだか行かないといけないような気になってしまい、10月20日という日にちがずっと私の頭の中で点滅していた。

そして、10月20日を迎え、のこのこと出かけていった。

メヒコに来て3回目のライヴ参戦である。メヒコに来て、と言うより、ここ2ヶ月間で3回目のライヴ参戦、といった方がいいかもしれない。1回目はMEW、2回目はMONOのたった2日前にTHE HORRORSというイギリスのバンドに行ってきたばかりなのだ。3回目なので、大体ライヴの雰囲気はわかってきた。開場して、しばらくするとオープニングアクトがある。そして、開場してから1時間半だか2時間位してようやっとメインのバンドが出てくるという流れだ。

シティオ(タクシー)を捕まえて、会場へ向かう。3回目ともなれば、この辺は手馴れたもので、スペイン語がしゃべれる友だちに値段交渉などをしてもらう。昨日乗ったシティオは、今まで乗ったシティオで一番新しそうな車体だった。運転手の好みに改造されていて、「どこに行くんだ?」と聞かれたので、「ライヴです。」と答えると食いついてきて、「どんな音楽が好きなんだ?」と聞かれたので「ロックです。」というと、BGMをNIRVANAに変えてくれた。やたら音がいいと思ったら、いいスピーカーを積んでいた。爆音NIRVANAでライヴ会場についた。

前回2回は同じ会場だったのだが、今回は間逆の方向で普段も行ったことがないエリアだったので、シティオが最後に曲がったとおりの薄暗さに少々の不安を抱えつつ……。到着すると、すでにたくさんのお客さんが列を成していた。1回目はライヴの前日、2回目はライヴの前々日にチケットを買ったが、今回はついにチケットすらかわずに、とりあえず行くか!!と完全に勢いだけできたが、バーとライヴハウスが一緒になったようなその小屋にはあっさりと入ることができた。

中に入ると、友だちと思わず、おお~~~、と歓声を上げてしまった。天井から赤い牛のオブジェがぶら下がっていたり、謎のマネキンがいたり、えがいろいろかけてあったり、スーパーのショッピングカートを改造したイスが置いてあったり、さらば日常!!のワンダー空間が広がっていたのだ。ライヴのステージは思っていたよりもずっと小さくて、大人の背丈よりも高いところにステージがあった。

2階もあって、そこからステージが見下ろせるようになっていた。行くにはドリンクを買わないとだめらしく、ビールを注文して上に上がった。ソファーやら、いろいろなイスが置いてあって、ステージがすぐ下に見下ろせる。

すきっ腹にビールがさらにまったりとした気分にさせてくれる。サウンドチェックのおじさんたちが出てきたかと思いきや、サウンドチェックにしては本気で演奏しすぎている。……彼らこそが前座のバンドだった。MONOはインストゥルメンタルと聞いていたけど、前座のバンドもそうだった。ギター、ベース、ドラムの3ピースバンドで、ギターの人がめちゃくちゃ気持ちよさそうに弾いていたのが印象的だった。演奏するだけして、あとは自分たちでさっさと片付けてコンパクトに帰って行ったのもなんだかよかった。

MONOが出てくるまでステージの後ろの白い布に日本の景色がスライドショウで流れた。紅葉とか、厳島神社の大鳥居とか、枯山水の庭とかの写真を見ると、日本いいなーーーー!!!日本ちょっと行きたいなーー!と思った。

だんだんとフロアが人で埋め尽くされて、いよいよMONOがでてきた。メキシコと言う国で、MONOという日本のバンドの知名度がこんなにあるんだというのを目で見るとびっくりしてしまった。セッティングも自分たちでして、またすっとはけて行って、そしてまた出てきて、演奏が始まった。はじめの音を聴いた瞬間ドキッとしてしまった。うまくはいえないけど、なんだか音が3Dのように感じられた。奥行きを感じたと言うか、立体に見えたというか……。それを感じた瞬間、上から見るなんてありえない!!!という気持ちでいっぱいになって、後ろでもいいからフロアで体感したくなった。上から見るのも、ステージ全体が見られるし普段見えない角度から見えるというのはおもしろかったけど、やっぱりフロアがいい。音を体全体で感じることができて、本当に心地のよい空間だった。

ライヴが終わると、もう午前1時で、とりあえず大きな通りまで出てまたシティオを拾うことにした。普段はあんなに交通量の多いメキシコだが、真夜中ともなると車もまばらでシャドウを普通に歩けてしまうほどだ。24時間営業のコンビニoxox(オクソ)の前で待っていたけど、ライバルが多い。……というわけで、反対車線のバス停で待ってみるも、一向にこない。

同じようにタクシーっぱぐれた人がこちらにやってきて話してみると、違う州からMONOのためにやってきたという。す、すごい。同じライヴを楽しんだ同士として、タクシーに見放された同士として、妙に親近感がわいて「いやぁ~、タクシー来ないねぇ~」と午前1時半の妙な結束間。さすがカバジェロ(紳士)の国と言うだけあって、彼らは「次来たタクシーは君たちが乗っていいからね!」と言ってくれ、心強い。

ようやく1台やってきたと思ったら、青年がもう一人やってきて「ど、どこまでかえるの?!」と聞いてきて、私たちの住んでいる地区の名前を言ったら、「僕もその近くに住んでいるので、一緒に乗ってもいい??」といってきた。なぬ?!適当なこといってるんじゃないだろうな?!と思いつつ、勢いに押されてとりあえず相乗りすることに。話してみると、彼は、本屋で働いているらしく日本の本も読んだことがあるらしい。よしもとばななさんが好きだと聞いてびっくりした。いやぁ、君、いいやつじゃないか!!とすっかり彼を怪しむ気持ちは薄れた。やっぱり、自分の国の文化が尊重されているのを感じると、素直にとてもうれしい気持ちになる。

そういえば、この帰りのシティオのおじさんも、「BGMはこれでいいか??」と曲を流してくれた。なんだか、行きも帰りも音楽の好きな運転手にうまいこと当たったもんだ。

October 20, 2009

スラング

昨日、友だちが遊びに来た。10歳も年下のその友だちは、私のlangage exchangeパートナーで、お互いにしゃべっていて、「そういえばこれは日本語/スペイン語でなんて言う?!」という疑問を持ったときに質問しあって、それぞれの言語を勉強している。

その子はとても熱心に日本語や漢字や日本文化について勉強しているので、その日本語能力に比べたら私のスペイン語は無に等しい。無に等しい私に対して、ついつい普段のしゃべっているスピードやら言葉でしゃべってくるので、私はいつも「……。mas(もっと) ゆっくり por favor(お願いします)。」を連呼している。何を言っても聞き取れないので、「え??」「え??」と食いつく言葉の中には、感嘆の言葉でそれが粗野な言葉だったりする。日本語で言うところの「すげぇ!!」を汚くいった感じ。「めっちゃくそかっこええやん!!」とかそういう感じなのだが、日本語にうまく訳せない。英語のF-wordとかそんな類の言い回したちである。そんな面白い言葉に私が食いつかないわけがなく、いろいろおもしろい言葉を仕入れている。しかし、いつも「これ、使わないでね。」とくぎを刺される。心配しなくても、それを使って会話できるほどの能力はない。とほほ。

教えてもらったものの中から一つ。

No mames esta bien perro!!

これで、「げ!!めっちゃすげぇ!!」という意味らしいが、直訳とは全く違う。mameは「乳を吸う」、esta bienで「めっちゃ」、perroは「犬」というのが本来の意味らしい。ううむ。若者言葉は聞き取るのも、使うのも難しい。

やっぱり、生きた言葉はおもしろい。スラングに嬉々として食いつく自分を客観的にみて、高校の時に、英語の授業が面白くないからと、教科書の代わりにスラング辞典を読みふけっていた私の本質は、今も変わっていないとしみじみ感じるばかりである。

October 19, 2009

Comida japonesa

友だちと、近所にある日本食レストランに食べに行ってきた。そのレストランの名は、"murakami"。妙に高そうな雰囲気を漂わせているので、私たち向けではないな、と足を運ばずにいたレストランである。すると、友だちが先日食べに行ってみたところ、意外とリーズナブルだったという感想。それでは、ちょいと行ってみますか、とのこのこと足を運ぶことにしたのだ。

入店すると異常に照明が暗く、メニューがよく見えない。照明は不安定で、ついたり消えたり。それにいちいちつっこみを入れているのは、私たち日本人だけで、ほかのメヒコ人は悠然としたもの。巻き寿司の種類がめちゃくちゃ多くて、日本では見かけないようなものばかり。私は、その中から「メヒコロール」、友だちその1は「鉄火丼」、友だちその2は「鳥肉のてんぷらと巻き寿司のハーフサイズ」を頼んだ。

海外の巻き寿司らしく、のりで包まれていないという出で立ちで堂々と登場したメヒコロールは「赤・白・緑」のメヒコフラッグカラー仕様になっていた。赤はサーモン、白はクリームチーズ、緑はアボカドである。真ん中の柄は、ウナギで大胆に表現されていた。味よりも、見た目に力を入れた感じで、感想は、「ああ~、違うのにしたら良かった」。

鉄火丼は、登場した時点で「ややや??」と怪しい雲行き。何かとマグロが和えられているらしく、オレンジ色をしている。食べるとスパイシーな味になっていて、結論を言うと「これは、鉄火丼と名乗ってはいけない」。

てんぷらは、予想以上にでかい皿できた。見た目が「盆とかで親戚が集まった時におばあちゃんが大量に作ってくれるてんぷら」にそっくりだった。その衝撃の庶民派の見た目に対して、味は一番あたりだったのことで、見事に予想を裏切ってくれた。

メヒコロールだけではなんだか物足りず、大量のてんぷらに囲まれた友だちとともに味噌汁を頼んだ。味噌汁なのに、白い四角いお皿に碗が乗ってきて、その横にはレンゲが添えられていでみょうに仰々しい雰囲気での登場だ。碗のふたを取ると、マロニーちゃんのようなものが入っていたけど、妙にやさしい味で落ち着いた。変なところで予想を裏切ってくれることが連発だ。

まぁ、なんだかんだとつっこみながら楽しい食事ができたのでよかった。しかし、ここに食事に来ることはもうないだろう。……デザートはおいしかったから、気が向いたらお茶くらいはしにこようかな。

October 05, 2009

みんな大好き

昨日、バスに乗ったときに見つけた落書き。



「うんこ」「おしっこ」ネタは世界共通。そして、この落書きのうんこの形といい、顔をかかれて擬人化されたところといい、必然的に日本を思い出してしまった一瞬。

September 30, 2009

What A!!

今日驚いたこと。メヒコで、「わた」のことは「WATA」と言うらしい。スペイン語をしゃべれる友だちが"algodón"という単語を使ったのだが、私たちが欲しいものを説明していくうちに、それは"wata"だといわれた。その人は、学校の事務のおじさんなので日本人相手に長年仕事をしているうちにおもしろい日本語を覚えて知っているのだとばかり思って話を進めていると、本当にメヒコでも"wata"というらしいということがわかった。

思いもよらない日本語の単語が、外来語としてスペイン語で使われていたものでついつい、絶叫してしまった。

「わ~~~た~~~~~!!!!!!!!!!」

September 28, 2009

メヒコのオタク

ラジオをきいていると、「マンガ・アニメのイベントがグアダラハラであります!!」みたいなことを言っていた。他の部分は全然聞き取れないので、そんなイベントがあるんだなぁ、と思いながら聞き流していた。しかし、やたらとこのコマーシャルが流れるそのうちに、どこであるかと言うことが聞き取れてきた。「エキスポ」というところらしい。さらに何回も聞いていると、今週末に開催されるということがわかった。そして、「日本の」と言っているのが気になった。海外でも日本のまんが・アニメ文化が広く受け入れられているのは、もはや言う必要がないこと。しかし、それを生で見たことはない。

……というわけで、のこのことそのイベントに繰り出してみることにした。もしかすると、日本に興味のある人がいて友だちができるかもしれないとも思ったのだ。



と、その前に、バス停に向かう途中で見つけたビリー隊長。彼のエクササイズがメヒコにも上陸していたことに驚いた。

さて、ここからは、聞くより見たほうがわかりよいと思われるので、写真にて。


▲まず見つけたロリータファッションの女の子。源氏名もあるらしい。バニラちゃん。


▲寡黙なダースベーダー。身長は、私(164cm)よりも低かった。


▲ワルイージもいた。みんな、カメラを向けると、そのキャラクターっぽいポーズをとってくれる。



▲濃い、濃い、濃いいいいい!!!



 ▲ナルトのゲジマユとサスケ。ナルトキャラクターが本当に多かった。インフルエンザ騒動で日本に一時帰国したときにナルトを読んだおかげで、どのキャラクターかわかったからおもしろかった。この二人は特に完成度が高かった……!!!!


▲「変態」Tシャツ兄ちゃん。「変態、意味わかる??」と日本語で尋ねたら「わかるわかる!!」とうれしそうに言っていた。彼は日本語をしゃべるらしく、変な意味の漢字Tシャツをきていることが「日本語ユーザー」にしかわからないと言うことを楽しんでいるらしい。ハイレベル。


▲「つづく」Tシャツ。


▲会場をあとにしようとしたときにあらわれたビジュアル系コスプレの兄さん。ただでさえ身長が高いのに厚底のブーツを履くもんで、推定身長は195cm。

メヒコ人にもこんなオタクや、日本文化崇拝者がいるのを間近でみることができて、なかなかおもしろい体験ができた。私と友だちが日本人と言うだけで「写真を一緒にとってください」と言われたのには正直驚いた。日本の文化が好きだけど、なかなか「本物の」日本人に会う機会はないと言うことなんだろうか。集まっている人たちもよく見るといろいろな人たちがいる。

まんが・アニメが好きな人、ゲームが好きな人、ビジュアル系が好きな人、ロリータファッションが好きな人、日本の音楽が好きな人、日本語を勉強している人……。日本だと、原宿はロリータ、秋葉原は電気・アニメ・まんが、のように細分化されて、それぞれが別物として存在している気がする。しかし、ここではそれらがごった煮のように混ざって存在しているからなんだか不思議な感じがする。しかし、彼らには共通して「日本が好き」と言う気持ちがあってそれが伝わってくるから、日本人としてはなんだかありがたいような気持ちで彼らを見てしまった。

それにしても、濃いイベントだった。ああおもしろかった。

September 25, 2009

メヒコデザート



「ソーダを煮るとはなにごとや?!」と、作り方を教えてもらってからすっかり気になっていたメヒコのゼリーのデザートを、早速作ってみた。

【材料】
・レモン味のソーダ(スプライト) 1リットル
・ゼリーの素 1袋
・クリーム 500ミリリットル



ソーダをどぼどぼと鍋に入れて火にかけると、なんだかわらけてきた。それにどぎつい色をしたゼリーの素を入れたら、ぶくぶくと泡立ち始めてあせった。そして、火を止めてからさらにクリームを加えるんである。派手な橙色がクリームで中和されていく。料理と言うよりは、もはや絵の具でも混ぜて新しい色を作っている気分。

そうしてできたこのゼリーは、……やっぱり、うまい。

September 22, 2009

Tlapeño

料理のレパートリーが少ない私。「食べ物」をネタにすることがどうにも多いなぁ、と感じるが、それほど「食ありき」で毎日の生活が成り立っているんだ、と言うことで、今日も「食べ物」の話。

ある日、なぜか「スープを作れたからかっこいい気がする。」と言う気持ちが沸いてきた。そして、スーパーをうろついていると入れるだけでオッケイみたいな、スープのもとを発見した。

昨日それをついに、 作ってみた。作るにしても、まずは手順を訳さないとな、とパッケージを見るとなんとたったの2工程。

①沸騰させた水に、スープの素を2個と鶏肉と、野菜と、米を入れる。
②5分煮込む。

どんな野菜がいるとも、米の量も何も書いてはいない。写真から想像して、にんじんとたまねぎとアボガドを用意した。アボガドは、メヒコに来てから食べられるようになった。あのきみどりがどうにも受け付けなくて、敬遠していたのだが、メヒコではワカモーレというアボガドのソースがよくでてくる。タコスに、辛いサルサをかけても、そのワカモーレも一緒にかければ、辛さが中和されてとても食べやすくなるんである。だから、固形で食べるのもさほど抵抗がなくなってきたので、今回入れてみることにしたのだ。

とりあえず、カレーを作るのと同じ要領で、肉と野菜をいためて水を入れてあくを取ってみた。そして、いよいよキューブを入れますよ、というときに始めてそれがオレンジ色のチリカラーのスープになることに気がついた。おお、どんなスープができるのやら、とまったく完成図を頭に描けないまま、しかし、レシピに忠実に(と言うほど親切なレシピでもないが。)作った。米も、「こんなもんか??んんっ??もうちょい??もうワカラン!!」とザバザバ入れてみた。



そして、完成図がこちら。これが、なかなか、いや、かなりおいしくてびっくりした。まぁ、味の全ては、あのクノールのスープの素さまがつけてくれたんだけれど。オレンジ色の料理が作れると、なんだかメヒコ料理を作れるようになった気分だ。そうなると、調子付いてトルティージャをほいほいとあたためて、いただいた。 スープご飯で、野菜も取れるし体もあったまるし、これからも世話になりそうなメニューだ。

家庭料理

メヒコにいるものの、家庭料理と言うやつになかなかお目にかかれない。一人暮らしをしているから仕方ない。そんな私についに「メヒコ家庭料理」を食べる機会が訪れた。

先日グアダラハラにて開催された、第16回インターナショナルマリアッチフェスティバルでできた友だちの家にメヒコ料理を食べに行くことになったのだ。その前に、私と友だちが日本のカレーを振舞ったから、そのお返しに、と言うわけである。



まずは、メスカルというオアハカの地酒をいれてもらった。ハリスコ州は、テキーラで有名だがオアハカ州は、このメスカルが有名なんだそう。原料は一緒なんだそうな。カルーアみたいな甘いお酒で、ショットグラスにいれてもらって、ちびちびと飲んだ。そういえば、まだテキーラにテキーラツアーに出かけていない。誰か飲むのが好きな友達が来たら、ぜひとも繰り出さねば。

 


大きい鍋でなにやら作ってくれたのが、これ。何回名前を聞いても結局覚えられずに忘れてしまった。牛肉とたまねぎとシラントロとトマトを煮込んだもので、シンプルでとてもおいしかった。ご飯には、とうもろこし(日本のとうもろこしのように味はしっかりついていない)と何か葉ものの野菜が混ぜ込んであった。これと、あたためたトルティージャを一緒に食べるのだが、めちゃくちゃおいしい。「トルティージャは何でも使える。」と聞いたので、一度自分で買ってみたけど、「何でも」と言われても実際何と食べていいのやら……、というわけで、結局食べきれずに捨ててしまったことがある。友だちに聞くと、本当に何と食べてもいいらしく、日本人には驚きだが、ご飯すらおかずにしてトルティージャで食べてしまう。そして、これが慣れれば病み付きになる。パクパクと、調子に乗って何枚食べたことやら……。
 


そして、最後にデザートまで用意してくれていた。レモンゼリー。今まで食べたどのメヒコデザートよりもおいしかった。作り方を聞いたら、ソーダを煮るだのでかなり驚いたが、今度自分で作ってみようと思う。飲み物の方は、オールチャータと言う飲み物で、米のとぎ汁から作られているそう。オールチャータはメヒコでは一般的な飲み物だそうが、外で飲んだことのあるそれはかなり甘くてあまりおいしいとは思わなかった。しかし、友だちに出してもらったこのオールチャータはものすごいおいしかった。米のとぎ汁に、シナモンを入れて煮込むらしい。外で飲むものよりも、甘さも控えめで、さっぱりと飲みやすかった。

やっぱり、家庭料理はいいなぁ。やさしい味がする。友だちに感謝感謝のフードエクスチェンジ大会。

Yoshida

私の家にはテレビがない。物理的にはあるが、アンテナがないので見ることができないのだ。このテレビのない生活も特に苦にならないので、別にアンテナを買ってきて見られるようにしようと言う気も起こらない。

そんなわけで、ラジオをよく聞いている。何を言っているかはよくわからないけどさっきからやたらと「ハポン」だの「ヨシダ」だの言ってるなぁと思っていると、三味線の音色が聞こえてきた。おお!!吉田兄弟!!!日本のテレビで見た吉田兄弟の三味線は、こう、二人で掛け合いながらべべべべベンと激しくかき鳴らすイメージだったけど、今さっきラジオでかかっていたのは、他の楽器とコラボレーションしていて、しかもゆったりとした曲調で、とてもよかった。

メヒコで聞く三味線のあの渇いた音は、妙に心に響く。

September 21, 2009

Jícama

私の好物はお好み焼きだ。お好み焼きは簡単で、しかもおいしいという神様のようなレシピだ。決め手はもちろんソースということになるが、これは日本から送ってもらったり、アメリカに行ったときにアメリカのダイソーで買い込んだので、当面は大丈夫である。

さらにおいしく食べたいのはこれ人情で、こうなってくるとやはり「山芋」を手に入れたくなるというものだ。山芋を入れるだけで、生地はふっくら柔らかになる。母から、「お好み焼き名人」という魔法のような粉を送ってもらい、これで山芋入りのようなおいしいお好み焼きを食べていたのだが、本物の山芋を入れたいと常々思っていた。

すると、先日スーパーに行ったときに、見た目は全然山芋ではないけれど、山芋と同じく土の下で育ったと思われる土っぽい食材を見つけた。



名を、「Jícama(ヒカマ)」というらしい。早速、家に帰って何者なのかを調べてみた。すると、とろとろとしているのかと思いきや、「通常、生で食べられる」と書いてあるではないか。食感は、梨に似ているらしく、サラダに入れられたり、フルーツ盛りに入れられたりするものだと言う。それがわかったとたん、一気に「うまいお好み焼きを……!!!」熱は下がった。熱が下がると、急激にこの食材に対する興味も薄れてしまった。

さらに、友だちにJícamaについて聞くと、「ああ、それ、うまくないよ。」とばっさりと切られた。そういうわけで、未だにどうすることもできず、台所に転がっている。

September 20, 2009

VIVA MEXICO!!!

9月16日は、メヒコの独立記念日だった。その前日の9月15日の夜、Grito de la independencia(独立の叫び)と言うのがあるということで、セントロ(町の中心)まで見に行ってきた。

前日大使館から来ていたメールでは、前年にモレリアで独立記念祝賀イベントの際に手榴弾が投げ込まれた、と注意を喚起するメールが来ていた。夜のセントロは危ないと聞いていたので、お金も最低限だけを持って行くことにした。マリアッチフェスティバルのときに友だちになったメヒコ人の友だちと夜のセントロで待ち合わせ。人が多くて、屋台もたくさん出ていてなんだかお祭り気分。フェイスペインティングをしていたり、さまざまなメヒコグッズを持っている人や売っている人がいた。まずは、腹ごしらえに、とタコスを食べることにした。



トルティージャが2枚重ねになっていて、 溢れんばかりに具がはさまれてある。

 
セボージャ(たまねぎ)、サルサ、シラントロ(香草)、リモン(ライム) を好きなだけトッピングして食らいつく。メヒコのタコスは本当においしい。どうして日本ではメヒコ料理を見かけないんだろうと、本当に不思議になる。日本人、好きな味だと思うのだけれど。

腹ごしらえもすませて、「叫び」の会場へ。州庁舎のバルコニーから夜の11時に州知事が何かを言うらしい。全身をメヒコカラー(赤、白、緑)でそろえている人や、旗を持っている人、ビバメヒコのソンブレロ(帽子)をかぶっている人など、いろんな人がいてにやにやがとまらない。じろじろとそんな人たちを見つめてしまうけれども、メヒコ人からしてみればアジア顔の私たちのほうがよっぽど珍しいらしく、なぜか「一緒に写真をとってくれ!!!」と次から次へと頼まれた。



▲シナロア州から来ていた女の子。



▲ソンブレロに、ポンチョ!!

11時ちょうどに聞いていたとおりにバルコニーに州知事が出てきて、何かを言っている。何を言っているかはさっぱりだが「VIVA!!!!!!」と叫ぶところは思いっきり「ビバ~~~~~!!!!」と叫んだ。叫びが終わると、今度は花火が始まった。




こ、これは、花火と言うよりも火災に近いのでは、と言うくらいにものすごい勢いであたりから閃光が炸裂した。そして、VIVA MEXICOという文字がメヒコ色で現れると、会場からはものすごい歓声が上がった。




そこからの花火は、まさに「乱れうち」という言葉がぴったりだった。飛ぶ、飛ぶ。そして、一番驚くべきは、その花火との距離の近さ。火のついたまま地面に落ちてきそうなほどに近かった。カテドラル(教会)と花火のポストカードを見かけたことがあったけど、あまりに花火がでかいからてっきり合成写真か何かかと思っていたら、その映像がまさに目の前に広がっていて、「すごい!!!!」の一言に尽きる。た~まや~、なんて風流なものではなく、その激しさは増すばかり。

 

これは、もはや花火と言うか、なんと言うか……。あっけにとられていると、謎のオブジェだと思っていたものにも火がついて、人の顔が現れた。彼こそが、革命の父と歌われるドローレスイダルゴ。しまいめには、イダルゴさんの顔の部分がくるくると回りだして、もうどうにでもして、状態。



今まで見た花火の中で、一番すごかった。見に行って本当によかった。危ないといわれていたけど、やはりなんでも自分で足を運んでみてみないと本当の姿は見えない。細心の注意を払うのはもちろんだけれど、注意をしすぎて大切なものを経験しなかったり、見逃してしまうのは惜しすぎる。日本には、独立記念日がないから、日本にあるどの記念日とも違った雰囲気でおもしろかった。メヒコ人はメヒコが大好きなのがすごく伝わってきた。唯一びっくりしたことといえば、言われていた時間ぴったりにイベントが始まったという点。こればっかりは、メヒコタイム(遅れる)では済まされないようだ。


September 15, 2009

años

año(アニョ)とは、スペイン語で「年」。メヒコでは、しばしばこの"año"が表記された製品を見かけることがある。

同じ製品でもいろんな会社が作っていて、それが店頭に並ぶのはどこの国も同じ。どれを買っていいのかわからないからとりあえず安いのを買ってみるか、と言うのがこれ人情。しかし、笑ってしまうほどそれがまずい時がある。マーガリンがそうだった。スーパーで買ってきて、プラスティックのふたを開けると、そこには工場のチューブから出されたと思う黄色いマーガリンがででんと居座っている。ふたと製品の間の、あの銀色の密閉素材みたいなものはない。まぁ、いいかと気を取り直してそれを食べてみるも、くさい……。

食べ物が臭いというのは、結構凹む。メヒコは、食パンがあまりおいしくない。日本の食パンのように大きくもなければ、ふっくらともしていない。見てくれはアメリカの食パンと似ている。日本のあの奇跡的な食パンを食べなれた日本人には食パンがまずいのはちょっとした事件である。賞味期限がやたらと長いと思ったら、防腐剤がたくさん使われてあるからとのこと。一人暮らしなので、一斤の長い食パンの賞味期限が長いのはありがたい。しかし、防腐剤がいっぱい使われているから、食パンもなんだか臭い。そして、日本の食パンのようなふっくら感はもちろん、ない。生で食パンを食べるなんて、とてもそんな気にはならない。

そんな食パンと、あんな臭いマーガリンの組み合わせは、本当に凹む。だからと言って、まずいから捨てるというもったいないこともできず、臭いマーガリンの日々を過ごしていた。 どの製品も臭いのか?!メヒコ品質なのか?!と思っていると、レストランに出てくるマーガリンやバターには臭くないものもあることがわかってきた。すぐに消費してしまうものでもないので、少々高くても、今度はうまいやつを買おうと心に決めていた。

友だちと、マーガリン・バター売り場で片っ端からくんくんとにおいをかいで、どれを買うか会議を開いた。フィールドワークである。そこに"100 años"と書かれた黄金のバターを見つけた。つまり、「100年愛されているバター」と言うことである。

漂白剤を買う時も、スーパーで片っ端からキャップをあけてくんくんとしてみた。花の香りのする漂白剤があったり、一体どれを買っていいのかわからない。タイルを洗う洗剤は、恐ろしくにおいがきつく、ただの洗剤のはずなのに、ゴキブリにふりかけるとイチコロという殺傷能力を持ち合わせているんである。だから、適当に買うとにおいにこっちがやられてしまう恐れがある。そんな中、"60 años"と書かれた他の製品とは違う堂々としたたたずまいの製品を見つけた。しかも、60アニョスはふたがパッキングされてあり臭いをかぐことができないようになっていた。しかし、なんと言っても「愛されて60年」である。それを買って帰ると、日本の漂白剤と同じにおいがした。店でにおいまくった他の漂白剤にはなかった臭いである。

おお、アニョス!!!!!!

というわけで、「●●年」という製品に絶大な信頼を寄せている。「愛されて100年」バターも、めちゃくちゃうまい。あんな製品が作れるくせに、他の製品の品質の低さときたら……。なぜなんだ。やはり、伝統ある製品には理由があるのだ。それを、身をもって、いや、舌と鼻を持って実感した。これからも迷ったら、メヒコ人に長年愛されてきたという、信頼と実績の「愛されて●●年」をアピールしている商品を買おうと思う。

September 14, 2009

スタバ

スターバックスの回し者のように日本にいたときはスタバに通っていた。本をもって行ってひたすら読んだり、手紙をひたすら書いたり、ひたすら友だちとしゃべったり。スタバにはとりあえず「ひたすら」時間を使いにいっていたような気がする。そしてここメヒコでも、スタバが近所にあるのでちょくちょく足を運んでいる。

メヒコでもスタバはそこらじゅうにあるけど、私の近所のスタバはかなりゆるい。客の平均滞在時間が長すぎる。それを知っている私の滞在時間もかなりのもの。週末は、5~6時間平気で居座っていることも。何をするわけでもないけど、友だちとしゃべり倒し、そして人間観察。この場所ほど人間観察のしがいのあるところはないのでは、というくらいに面白い人たちがたくさんいる。滞在時間が長居と言う原因のひとつに、医学部の学生がいつも勉強している。いわゆるかしこマンズ。そして、神経質に新聞を読んでいる人や、パソコンの画面をにこにこしなが見つめているおっちゃん(多分、チャット)、店の椅子を自分の家のようにアレンジしてすっかりくつろぐ青年、インターネットだけしに来ていると思われる少年など、目が離せないんである。

それに加えて、このスタバは店員がゆるい。通っていると、顔を覚えられて、いつも私の顔を見たら笑ってくる店員やらもいる。その中の一人にLuisという店員がいる。Luisはいつにも増してご機嫌で、カップに私の名前を書いてくれるのかと思いきや、「ETOO」と書いてきた。これは、私がいつも注文するときに「え~っと~、えっと~」と言っているかららしい。「さては、私の名前忘れたやろ?!」と尋問すると、笑ってごまかされた。でもこのLuisくんは、「グリーンティラテのエスプレッソ追加」という私の好きなメニューをきちんと作ることのできるレア店員なのだ。前に違う店員に頼んだら、危うくTAZO TEAの緑茶にエスプレッソを入れたものを作られかけた。そんな気持ちの悪いもん、普通に考えたら違うって気付けよ!!と心の中で突っ込みつつ、Luisは働きっぷりこそゆるいけど、わかってくれるいい奴だなぁ、としみじみしてしまう。この日は指さし会話帳を持っていてえらく食いつかれて、他の店員ともしばらくこれをネタにしゃべった。店員3人が指さし会話帳に夢中になっていろいろ質問してきているその間、レジのほうはどうなっているのかと言うと、一人が黙々と働いているのであった。

日本のスタバではありえないというようなことが起こる(むしろ、ありえないというようなことしか起こらない)このスタバは、愛すべき行きつけの店だ。

September 13, 2009

mew

金曜日、二つの「はじめてのこと」を経験した。

まず一つ目は、「シティオ(タクシー)に乗ること」。タクシーは、ぼったくられそうで怖い、との理由から今まで避けていたけれども、今回はどうしても乗らなければならない事情があり友だちと乗った。いつもは黄色い車体のシティオは腐るほど走っているくせに、いざ必要な時には全然見当たらない。しかも夜なので、止めたい側も、運転している側も気付きにくいのだ。何とか車を止めることに成功したものの、運転手は私たちの目的地を知らないと言う。急いでいるのに、しょうもないのをとめてしまった……、と思いながら断ろうと試みるも、「まぁ、いいからとりあえず乗れ!!」と運転手のおっちゃん。こうなれば、もうどうにでもなれ、と私たちも折れていざ乗車。走り出すと、おっちゃんは他のシティオを見つけるなりクラクションを鳴らして運転手の注意をこちらに向けた。窓はもともと全開で走っているので、他のシティオと併走しながら「おい!○○って、知ってるか?!」と聞いている。この見切り発車に不安になりつつも、もう乗り込んでしまったが最後。「ノープロブレム」と言い張るこのおっちゃんに託すしかない。2台目に聞いた運転手さんが知っていたようで、おっちゃんは「そこならわかるぜ」と車を走らせてくれた。

二つ目の初体験と言うのが「メヒコでライヴに行く」という試み。見に行ったのは、デンマークのmewというバンド。名前は知っていたけど、CDをちゃんと聴いたことはなかった。インターネットを見ていると結構いろんなバンドがグアダラハラに来るらしいことがわかり、さすがメヒコ第2の都市、と感心していた。10月に日本のバンドもツアーで来墨するらしい。同時期に二人の友だちからその情報をもらって、一人には「お前は日本人として彼らをサポートするべきだ」と言われるし、もう一人にも「めっちゃおすすめ。絶対に行くべき!!」と言われていた。それまでに何か一回行ってみるのも面白いかも、と友だちと話していたら、あれよあれよとのりで「行こう!!!」と言うことになったのだ。チケットマスターにチケットを買いに行ったり、前日に必死でCDを聞いてみたり、これのために今週一週間をがんばったといっても過言ではない。だから、これに遅刻するわけには行かなかったのだ。仕事が終わるのが8時半。ライヴの開始は9時。会場は隣町。どれくらい遠いか見当がつきにくい。しかもはじめてのシティオ。間に合いたいけど、ぼったくられるのも絶対いやだ、と結構プレッシャーまみれ。でも、ライヴにいけるという興奮はおさえきれない。

運転手のおっちゃんにちゃんと値段を確認して、意外と安くいけることがわかって「初シティオ乗車」は無事に成功。さて、会場に着くとそれらしき人がたくさんいた。というか、普段見ているメヒコ人よりも、おしゃれさんが多くてびっくりした。「メヒコとデンマーク」というのがあまり結びつかないし、マリアッチ以外の音楽を好むメヒコ人がこんなにもいるのか!!!!!(これは偏見か?!)と、その人の群れを見て目を丸くしてしまった。身分証明にわざわざパスポートを見せるのが少し面倒だったけど、腕にリストバンドをつけてもらってご入場!!!

ちょうど開演時間の9時くらいだったけど、まだたくさんの人が外にいた。それでちょっとほっとして、ほっとしたら腹が減ってきたから、ホットドックで腹ごしらえをした。ソーセージだけがぽんと乗ったホットドックを手渡されて、自分でたまねぎとトマトをこんもりトッピングして、ケチャップをかける。このホットドックがうまいんだ。会場に入ると、オープニングアクトとして他のバンドが演奏していた。ああ~、生の音楽!!!!やっぱりいいなぁ、と気分がとてもよくなってきて、そのバンドをビール片手に観賞。最高だ。

前座がはけて、mewまではしばらくセッティングの時間。徐々に前の方に詰めていく。つめていくうちに友だちと結構場所が離れてしまった。会場に私たち以外アジア人の顔立ちの人は見当たらない。ということで、相当目立つのか、一人でまっていると4人組のメヒコ人に声を掛けられた。日本人だと言うと、「鋼の錬金術師が好きだ」と教えてくれたり、日本語で自己紹介をされたりした。本当、対日感情がよくてとても助かる。日本人だといって怪訝な顔をされたことは、今のところまだないと思う。ホットドックを買ったときに前にいた兄ちゃんがたまたま近くにいて「お前、連れはどうした?!」と聞かれたから「あっちらへんにいると思う」と言って友だちに「おーい」と声をかけると、モーゼの話のように人がずざざっとスペースを開けてくれて、また合流することができた。ライヴなんてどうせ途中ではぐれるから、別に気にしていなかったのに、他の人たちが気を使ってくれてびっくりした。そういえば、やたらカップルできている人たちを見かけた。必ずといっていいほど、彼女の後ろに彼氏がいて、他の群集から守りながら観ている、と言う感じだった。

mewが出てくると、会場のテンションも一気に上がった。私はCDを間際にちょこっときいただけのにわかファンだったけど、音楽にあわせて体を動かすのはやっぱり楽しい!!!!!めちゃくちゃ気分がよくて楽しかった。あんまり予習していってなくて、バンドをはじめてみて、それがいいバンドだった時、「あああああ、もっとちゃんときき込んでおけば良かった」と思うが、今回もそうだったので無知すぎて行ったことを少し後悔。会場では、多くの人がシンガロングしていたことに、とても驚いた。デンマークのバンドのうたを、メヒコ人が、英語で一緒に歌っている。なんか、普段の生活上で見るメヒコ人からは想像もつかなくて、とても意外に感じた。

それにしても、金曜日のライヴは最高だ。一週間を締めくくる日な上に、次の日は土曜日で休みなのだ。思う存分遊べる。結局、mewのライヴが終わったのは日が変わったころ。日本のライヴは開演も早いので、10時くらいには終わっていることが多いから、日付が変わるころまで楽しい時間が続くというのは私にとって新鮮で、終わってからもにやにやが止まらない。

帰りのシティオは、深夜料金とかで高い値段を吹っかけられたけど、「安くしてくれ」と値切り交渉で行きしなの値段と200円くらいしかかわらないくらいで走ってもらえることになった。今まで歩いているだけで「おい、乗らないか?!」と声をかけられたり、かなりびびっていたシティオだけど、そんなにびびることはないかもしれない。ちゃんと交渉して支払う額を明確にしておけば、日本でタクシーに乗るよりもずっとずっと安くて、車を持たない私たちにとってこんな便利なものはない。

 ああ、やっぱりライヴは楽しい。夜に出歩くのは楽しい。

September 11, 2009

日本食材

日本食レストランがその辺にごろごろとあることに驚いた。名前もさまざま。TOKAI、HOKKAIDO、NAMI、MORI、TERIYAKI SAN、ASAHI、MURAKAMIなど。MORIの漢字が「森」ではなく「盛り」だというのには驚いたけれど。ちなみに、このうちのどれにも行ったことはない。名前は忘れてしまったが「闘魂」と言うはちまきを巻いたメヒコ人が鉄板で何かを作っている日本食レストランを見かけた。思わずじいっと見入っていると、闘魂おじさんと目があって気まずい思いをした。ははは、と乾いた愛想笑いをするのが精一杯だった。

これらの日本食レストランの完成度と言うか、本来の日本食にどれくらい近づいているのか、それともメヒコ人の舌に合わせた日本風料理なのかは、食べたことがないので未知数だ。いくら私が日本で自炊をしていなかったからとは言え、、それらのレストランよりは自分の舌に合う「日本食」を作ることができると自負している。(……と言うよりは単に、せっかく作ったものを捨てるようなどと言う粗末なまねはできないので、食べている、だけかもしれない。それこそ乾いた声で笑われても仕方ない。)

海外にも、日本食材を扱う店はたくさんある。 一般的な輸入食材店や、日系、あるいは日本人が経営していると思われる日本食材店。この間、値段を見に行ったら凹んだ。カレーのルーが日本円にして約1300円。……もう泣くしかない、と友だちに話すと、なんと!!!そのうちの1人が日本からカレールーを送ってくれた。しかも2種類のルーを送ってくるという気の利きっぷり。粋な友達に感謝。カレーが手に入ったうれしさとは別に、わざわざ手間をかけて手紙を書いてくれたり、荷物を送ってくれたその心が届いたのがうれしすぎた、木曜の夜。

 
 
カレーパーティ、いつにしようか、ふふふ。

ハラペーニョ

昨日、カナダで暮らしている友だちとチャットをした。彼女は最近ポテトチップスにはまっているらしく、そんな話をしているうちになぜか「ハラペーニョってメヒコのもの?!」という話になった。あまり考えたことがなかったけれど、言われてみれば、確かによく見かける。

調べてみると、ハラペーニョはメキシコを代表する唐辛子のひとつなんだとか。どうりでよく見かけるはずだ。 マクドナルドへ行っても、ケチャップと一緒にハラペーニョソースももらえるし、ドミノピザにいっても、ハラペーニョソースがもれなくついてくる。




メヒコでは、ハラペーニョに限らずソース(サルサ)がたくさんある。「サルサ」と言うのは「ソース」のスペイン語だそう。私の中で「サルサ」と言えば「辛いソース」と思っていたので、それを知ったときはびっくりした。来て間もないころに、お買い得のケチャップを見つけたのだが、それに「KETCHUP SALSA DE TOMATE(ケチャップ・サルサトマト)」書いてあって、買うのかずいぶんと悩んだことがある。日本人の中には、「サルサ」と聞くと必然的に「辛いソース」のことを指すと思っている人は意外と多いのではないだろうか。

私も友だちも、ケチャップは欲しいけど、辛いケチャップだと困るから頭を抱えてしまった(そんなケチャップがそもそもあるのか謎。)。友だちが店員を捕まえて聞いたところによると「これは辛くないらしいから、試しに買ってみる!!」と、ケチャップひとつで賭け事のように意を決してレジに持っていったくらいだ。あとでスペイン語のできる友だちに聞いてみると、「サルサ」は単に「ソース」という意味らしい。じゃあ、「サルサソース」と言う言葉は一体?!「ソースソース」ということになってしまうけれども……。でも「サルサソース」、確かに利いたことのある言葉だと思うのは、私だけだろうか。

September 10, 2009

郵便局

今日、郵便局に行ってきた。メヒコに来て驚いたことの1つに、郵便局あるいはポストの数が極めて少ないと言うことがあげられる。来てすぐに、ポストを求めて歩き回ったり、郵便局を探し回ったりしたものだ。血眼になって探していると、「メヒコの人は、手紙なんて書かないよ。電話すれば済むじゃないか」と言われた。確かに電話も便利だし、メールも便利な世の中。でもだからと言って、郵便システムがあまりにも軽視されてやいませんか。それとも本当に手紙を書くと言う文化がこの国にはないんだろうか。それはそれでさびしい気がすると同時に、そんなことで街の郵便局とポストの数が少ないのは非常に困る。ポストは場所がわかってきたけど、郵便局は歩いていける距離のものは未だに一箇所しか知らない。

その郵便局まで歩いて20~30分。だから行く時はなるべくたくさんの用事を携えていく。そして、切手もまとめて買っておくようにしている。この間、せっかくせっせと足を運んだのに、まさかの「切手品切れ」で涙をのんだ。だいたい、郵便局のくせに切手を切らすとは何事だ、しかしこの怒りを伝えられるほどの語学力は持ち合わせておらず、ひたすら「ナンデ?!」を繰り返し「ないものはない」とあっさりと切り捨てられたので、のんだ涙は2倍増。

この間友だちが行ったら、切手はあったけど、こんなものを買わされたと見せてくれたのが7.5ペソの切手。「これを2枚はれば日本に届くって言われた」といっていたが、日本までは14.5ペソ。7.5ペソ×2枚は15ペソ。……50センターボ、多く払わされることになっているけど、これはいったい……?!大は小をかねる、と言うことだろうか。……不可解。

そんなことがあったのも聞いていたから、今日はしっかりと「あたしは14.5ペソぶんがほしい!!!」と伝えようと鼻息も荒く意気込んでいくと、郵便局にはいつものあの兄さんがいた。まずは、すでに書いた手紙の手続きをする。カードがでかすぎるからと、1通追加料金を払わされた。重さは大丈夫だったのに、大きさで引っかかるとは意外だった。もう1通は切手を貼っていなかったので、通常料金を支払うとわざわざ切手を出してきてくれた。いつもは、味気ないシールの値段をはるくせに。もしや、この間行った時に欲しい金額の切手がなかったので、その他の種類を見せてくれと頼んで、「いいね~、いいね~」を連発していたのを覚えていたのだろうか。「あのアジア人、切手に妙に喜ぶな」と思われていたのだろうか。それならそれで、ありがたい。いつも「ちょうどの額の切手がないから」と2枚のコンビネーションで買わされるのだが、今日はぴったりの金額の切手を出してきてくれた。しかも、通常版とは違う大きなサイズの切手。「新しい切手??」と聞くと、「そうだ」と頷いた。「おお、いいね~」と喜ぶと、郵便局の兄さんも、心なしかうれしそう。

この兄さんは、基本的に愛想がないけれど、今日はうれしいことに「おまえ、スペイン語ちょっと上達したな!」的なことを言ってくれた。切手もたくさん買えたし、予期せぬ一言ももらえたし、スキップでもして帰りたい気分になった。

September 06, 2009

パーティモンスター

近所に、パーティモンスターの住む家がある。少し前まで、おそらく家族で住んでいたと思われる家があり、家族が引っ越して行ったあと「入居者募集」の幕がかかっていたのも束の間、新しい人たちが入居した。彼らこそがパーティー怪獣で、2週間に1度か、毎週末の頻度でパーティが繰り広げられるようになった。

大体夜中12時を過ぎたあたりから、爆音で音楽を流し始め、奇声や叫び声が聞こえてきて、2時~3時くらいには収まる、と言うのが定番だったけど、昨日のパーティはすさまじかった。10時半くらいから何かしらは始まっている様子。いつもよりもにぎやかで人数も多い様子で、そのパーティはなんと明け方の5時か6時くらいまで続いたのだった。

爆音ミュージックは、ダンスミュージック風にアレンジされた曲が延々と続き、謎のコール、雄たけび、黄色い声、なんでもあり。普段なら、「うるさいなぁ」くらいでいられたのかもしれないが、強烈な下痢に襲われていた私は、聞きたくもないダンスミュージックとパーティの奇声にうんざりしながら、しかも腹まで痛いと言う最悪の状況。結局パーティが終わる明け方まで眠りにつくことができなかった最悪の一夜だった。

それにしても、騒音にこの国は寛容な気がしてならない。この手のパーティは若者パーティだけど、家族でのパーティでマリアッチの演奏を呼んで、近所中にマリアッチの楽器と声が響き渡っていることもあれば、空気を入れて遊ぶビニールの遊具が駐車場に設置されていると思いきやそれで子どもが夜遅くまできゃっきゃと遊んでいることもある。昼間は昼間で、けたたましいクラクションの音がそこらじゅうで鳴り響き、謎の鐘の音がなったかと思うとアイスクリームを売り歩いている人がいたりする。そんな音にあふれた中、誰ひとり音にびっくりすることも怒ることもなく暮らす人々が、ここにいる。

アラチェラ

アラチェラとは、牛の肉の部位の名前で、「横隔膜」のことらしい。メヒコに着いたその日に、迎えてくれた人たちにわけもわからず連れて行かれたレストランで、

「肉、いっときますか~!!アラチェラいきましょう~!!!」

と、やけに張り切って「アラチェラ」と連呼されたものだから肉そのもののイメージよりもその人のイメージが強くて、なんとなく食べるのを敬遠していた。

近所に、いつもやたらと混んでいる小ぶりなレストランがあって友だちといってみようということになった。メヒコ人の昼食は日本よりもかなり遅く、2時くらいからはじめるのが一般的。いつもそのレストランの前を正午くらいに通ると決まってスタッフたちがまかないを食べているし、3時くらいに通ると行列ができているしでなかなかいいタイミングに恵まれていなかった。今日は、2時前くらいに足を運んでみるとお客さんがまばらにいて、それでいてまだこみすぎていないと言うちょうどいいタイミング。

狭い店内に、所狭しとテーブルが並んでいて、店員の数がやたらと多い。店員の数がやたらと多いのは、メヒコではどこに行っても感じる。アイスクリーム屋で暇そうな店内に、バイトくん5人くらいが集まって雑談をしている風景などをみるにつけ、こんなにたくさん店員いるんだろうか……と疑問に思うことがある。それはさておき、壁にかかってあるメニューをみると、ハンバーガとトルタス(フランスパンっぽい皮の固いパン)がここのメニューらしい。病み上がりのくせに、「アラチェラ」という単語を見た瞬間、なぜか頭の中で、

「肉、いっときますか~!!!!」

のあの言葉が響いた。スープやおかゆなどをしばらく食べていたから、「肉、ついに解禁してもいいじゃないか……!!!」という誘惑に負けて、「病み上がりに肉」を決行する事にした。しばらくしてそれは、パンにトマト、たまねぎ、レタスがはさまれてあって、例のアラチェラがパンからはみ出した様子で運ばれてきた。この見た目だけでもにやにやとしてしまうのに、一口かじってみると、肉の味が口の中いっぱいに広がって、さらに笑みがこぼれた。結構なボリュームで、半分を食べると、もうおなかいっぱいになってしまった。

でもここで泣く泣く残して帰らずにすむのは、「パラジェバール」というサービス。メヒコでは、レストランで食べ残したものは何でももって帰れるのだそう。「パラジェバールお願いします」と言うと、サンドイッチでもスープでもとにかく何でもお持ち帰りの状態にしてくれる。ありがたいことです。

アラチェラを堪能したわけですが、その後起こった下痢が「病み上がりに肉」という暴挙の結果であることは、否めません……。

September 02, 2009

返金

この間スーパーに行った。すると、ケチャップが安くなっていた。メヒコに暮らすのも初めてなら、そもそも1人暮らしが初めてなので、最初は物の値段と言うものが本当にわからなかった。やはり、数をこなすことは大切で、しょっちゅうスーパーに足を運んでいると「これはお得や!!」というのが最近わかってきた。そこで見つけたこのケチャップ。

支払いが済んでレシートを何気に見ていると、値段がどうも違う。しかも「安い」と飛びついてにやにやしながら買ったケチャップの値段が違うのだ。メヒコのスーパーは、リュックサックや手提げ袋を持って入店できないことになっていて、出入り口で預けなければいけない。そこがサービスコーナーのようにもなっているから、そこで値段が違う旨を伝えて、差額を返金してもらおうことにした。

まずは、預けていた荷物をなんなく返してもらって、レシートを見せながら「ネダン、チガウ、ナンデ??」と知りうる限りのスペイン語で言ってみる。すると、買い物カードがあるかどうか聞かれて手渡すと、なにやらピピピッと機械を操作して買い物カードを返された。肝心のケチャップを返してくれるそぶりがないから、「アノ~、ケチャップ??」と催促してみた。何を言っているかは推測だけど、「返品したいのかと思って返品手続きをした。現金じゃなくて、ポイントに換算して返品しておいたから!!」と言っていた。「ケチャップ、カイタイ、ホシイ、ヒツヨウ」と言うと困った顔をされて、お互いにどうしたものか、と言う雰囲気に。安いと言っても普段から30円くらい安いくらいだから、あきらめたらよかったのかもしれないけれど、なんか、これでいいことにしてしまってすごすご帰るのも、何かかっこ悪いなぁ、と思ってジェスチャーやら日本語交じりのスペイン語(「あ~、これ、イル!!ワタシ、これカウ!!」)で交渉していると、偉い人がやってきてパラパラパラパラ~とスペイン語で説明してくれた。「えーっと、イマ、このネダンムリ??チガウヒカラ??」とこうなれば、徹底抗戦でジェスチャーやら顔の表情やらフルに自分の機能を使って、ケチャップを取り返してあわよくば返金してもらうことにした。

メヒコで驚いたのは、英語をしゃべれる人がとても少ないと言うこと。英語をしゃべる人も、スペイン語なまりの英語なので、聞き取るのがめちゃくちゃ難しい。でもここはメヒコ。英語に頼るのは筋違いなので、極力ポンコツスペイン語で勝負することにしている。でも、向こうも私のスペイン語があまりにひどいから、これは共通の言語があった方がお互いが助かるかもと思い、英語をしゃべるかどうか確認して見たけど、二人とも「ノー」とのことだった。こうなれば、頼むぜ、私のジェスチャー!!!(すでに、スペイン語は役立たず。)

「ワタシ、コレ、ホシイ!!ヤスイ!!ダカラ、カウ。デモ、レジ、ネダン、チガウ!!ナンデ~~!!デモ、ホシイ!!」多分、日本語に訳せばこんな感じの片言をもこえた片言にお姉さんも根気強く付き合ってくれて、結局百聞は一見にしかずなので、「ココデス、ココデス!!」と売り場に一緒にみにいってもらった。

一回ポイントに換算して返金すると言う処理をしてしまっていたので、やたらとサインをさせられたり、住所や名前や電話番号を書かされたり、とややこしい手続きをするはめになったけど、三個目のサインを書いたあとにようやくケチャップと差額が手渡された。……おお、あきらめなくてよかった!!!なんか、ものすごく迷惑をかけた気がしたけど、笑顔で対応してくれたあの姉さんたち、優しいなぁ……。まぁ、間違えた値段の返金は、当たり前と言えば当たり前だけれど、この対応が妙にメヒコにしてはばか丁寧で親切だったものでびっくりしてしまったのでした。

ブログ開設

メキシコに来て、気がつけば早5ヶ月が過ぎた。5ヶ月の間に、インフルエンザ騒動があったりで、日本に帰ったりもしたから、「いつまでも着たばっかり感」があったけど、冷静に一番初めにメヒコに上陸してから数えたらそう、早5ヶ月なのです。……そ、そんなあほな!!!!

メヒコに来てから、メヒコのイメージがずいぶんと変わった。と言うよりも、メヒコのことを何も知らんかったなぁ、と言ったほうが正しいかもしれない。

・タコス
・サボテン
・麦わら帽子みたいなのをかぶったおっさん

こんなイメージしかなかった。実際にきてみてわかったことは、

・タコス→アメリカで食べたことあるタコスとはずいぶんと違うと言うこと。
・サボテン→グアダラハラではそんなに見かけない。
・麦わら帽子みたいなのをかぶったおっさん→これは、まれに見る。それよりもメヒコっぽいおっさんと言うか男の人とといえば、ジェル。

こんな風に、日常レベルでの発見は、暮らしてみてならではなのかなぁ、と思うととりあえず気付いたことを書いておこうと、そう思ったわけです。というわけでブログを立ち上げてみました。