February 19, 2011

メヒコ人ぽさ

先日出かけたときに立て続けに「メヒコ人らしい」人に出会った。メヒコに来る前の「メヒコ人らしい」人のイメージと言うのは、「ひげをたくわえて、帽子をかぶって、ポンチョでも着ているような」という典型的なあれなのだが、メヒコに暮らすうちに私が感じる「メヒコ人らしい」人のイメージもずいぶんと変わってきた。もちろん、ひげをたくわえて帽子をかぶった人はたくさんいるし、彼らはメヒコ人らしい。しかし、あくまで視覚的な「メヒコ人らしさ」である。

まず、Factura(領収書)を取りにプラサに行った。その2日前に買い物をして、「領収書をください」というと、最初は「できない」といわれていたのだが(この時点で既に、メヒコらしい)、ファクトゥーラを出してもらうときに必要なカードを見せると、「あ~、今日はできないけど、明日できるから、できたら電話するわ~」と言われたので、電話番号を教えて帰った。しかし、翌日になっても電話が来ないので、さらに次の日に直接店に出向いて状況を確認することにしたのだ。店に行くと、初めに買い物したときとは違うおばちゃんがいて、

「あのう~、ファクトゥーラを……」

というと、

「ああ!!!!あんたがファクトゥーラほしい子ね!!」

と話は通っている模様。そして、おもむろにおばちゃんが出してきたのは、白紙のファクトゥーラ!!!そう、まだ書いていないのである。私が来てから書き始めて、5分くらいで書いてくれた。5分で作れるくせに、なんで今まで放置してたんや……。というか、おそらく、直接電話で確かめるなり店に出向くなりしなかった場合は、なかったことにされていたかもしれない。やはり、口約束だけではだめだ。出来上がっておばちゃんにお礼を言いながら、アエロメヒコがこのプラサにあるのかどうかたずねた。あるとのことなので、指差された方向に歩いていくと、無い。

なかったので、その辺にいた違う店の店員に聞くと、

「ああ、アエロメヒコね。あるわよ。同じフロアの少し向こうに行ったところに、アエロメヒコあるから。エレベータ下ったところには、メヒカーナがあるわよ。」

とのことだった。「同じフロアの少しいったところ」と言うのは、私がさっき歩いてきた方向で、少し前に倒産した「メヒカーナ」の看板がかかった空のオフィスがあった。それを覚えていたので、

「そっちって、メヒカーナでしょ??」

と確認すると、

「違うわよ~。それ、アエロメヒコよ~。まぁ、下のほう確認したければ行ったらいいけどさ、あんた、そっちはメヒカーナよ」

とものすごい自信の返答。「ありがとう!!」とにこやかにお礼を言って向かうは、下のほう。……ほら、こっちアエロメヒコやんか!!まったく、あの自信はどこからくるんだか。

アエロメヒコのオフィスに入ったら入ったで、

「A sus ordenes?(御用は何でしょうか??)」

と聞いてくれたので、

「あのですね~、マイレージの件で質問があるんですけどね~。」

と用件を切り出した。切り出したが「マイレージの件」とわかった途端、

「あ、マイレージの件ね!それね、ここのオフィスじゃ無理だから、ここの電話にかけなさい。」

と電話番号を書いた紙を渡された。以前、違うアエロメヒコのオフィスで、会員番号を行ったらどれだけマイレージがたまっているだとか、特典旅行でどこそこへいけるとか、そう言う情報を教えてもらったことがあるので、「絶対にできる」はずなのに……。「ここでそれ言われても、調べられないし、わからないのよ。電話しなさい、電話。」と電話をごり押ししてくる。う~~~~ん……。面倒な仕事は、見事に振り分ける。そして、「ここじゃない」の一点張り。メヒコっぽいなぁ。さらにメヒコっぽさを体感するために、食い下がって「いやいや、前違うところで調べてもらうことできたよ。」とかナントカ言えば、さっきは「できねぇ」といっていたのが「じゃあ、番号言ってみなさい」みたいなことになって、調べてもらえる、ええ!!ほんなら、何でさっきできひんとか嘘ついたね~ん、という展開になることも予想された。しかし、そこまで粘るのが面倒なのと時間がないのでやめにして、「ありがとう!!」とにこやかにお礼を言って、オフィスを後にした。

それから、スーパーに買い物に行った。オススメ商品をなんたらかんたら、とすすめられたけどいらないので「No gracias」と言うと、

「ああ、意味がわからなかったのね」

と言われた。ちょっと悔しかったので、

「わかったけど、その商品はいらない」

と言うと、

「なんだ、スペイン語ちょっとはわかるんじゃない!どこ出身??」

と、初めて会う人と交わす会話パターンに突入した。そして、「日本だ」とかナントカ答えていると、「すげぇ~!!」と日本を褒められて、「あ、どうもどうも」と謙遜。「メヒコは好きなの??」「はい、めちゃくちゃ好きですよ」「ほんとうに!!」「はい。めちゃくちゃオモロイ国です。人は優しいし。」「じゃあ、メヒコの男の人についてどう思う??」「ええと、まあまあです。」「まあまあってあんた!!!それはどういうことよ」「う~ん、なんちゅうか、あの、ジェルがですねぇ、私は好きではないのですよ。」「(爆笑)!!!わかる!!!私も実を言うと、あのジェル頭嫌いなのよ!!」「ですよねぇ。あれ、つけすぎですよねぇ??」「そうよう。つけすぎなのよ!!日本にはジェル無いの??」「つけてる人は、ほとんどいないですね~」「私はジェルじゃなくて、ワックス使ってる人が好きよ」「あ、ワックスの方がいいですよね~」「そうよね~!!」「じゃあ」。

おしゃべり好きだなぁ。メヒコ人。

ところで、伝わっただろうか。私が今感じる「メヒコ人らしい」というポイント。

February 18, 2011

Torito

Toritoで合ってたっけな、名前。うろ覚え。とりあえず、↑の写真の食べ物のことである。

先日セントロのサンファンデディオスという大きな市場に行った。友だちが、マンドリンを買いたいと言うのでのこのこついていったのである。おなかが空いたから、昼ご飯もついでに食べようということになり、前々から気になっていたこの食べ物を頼んでみた。

ブリトーのようなもので、小麦粉(アリーナ)のトルティージャの中に肉がもりもり、野菜が少々(シラントロのような葉の野菜)詰め込まれてある。その上から、辛いサルサがかかっていて、チーズを乗せてオーブンで焼いたという、メヒコらしい炭水化物まみれの一品である。この説明で想像がつくと思うけど、これ、めっちゃくちゃおいしい!!!!!サルサがぴりりと辛いけど、チーズがそれを緩和してくれると言う絶妙のコンビネーション。かなり重い料理だったど、パクパクとあっという間に完食してしまった。

しかしまぁ、一番驚いたのがテーブルに持ってこられたときだった。なんとナイフとフォークをぶすっと本体に突き刺して出てくるんである。これ、日本で言うところの仏箸と言うやつじゃあ……。まぁ、細かいことは考えずに……。

パンの中から

この間、パン(パウンドケーキみたいな)を食べていた。中から石が出てきた。結構な大きさで、びっくりした。どのタイミングで混入したのか。なぜ、あらゆる生産過程で取りのぞかれなかったのか。謎である。

石について、パンから出てくることはさすがに珍しいと思うが、フリホーレス(豆)などにはよく混じっているらしい。そういえば、お米も、殻がついたままのがよく混じっていたりする。だから何ってことはないけど。

February 08, 2011

上下

旅日記、ようやく終わった。ふううう。旅が終わってもう1ヶ月も経つではないか。でもまぁ、旅日記を書いていると、いつも旅を何度もしているような気持ちになっておもしろい。それを、なんとか早急に終わらせたかったのは、書きたいことがあったからである。

この間、家賃、インターネット料金の支払いのため出かけていたときのことである。いつもあほほど込んでいる銀行が、その日はガラガラ。

やった、ラッキー!!!!

と思いながら、おばさんの後ろに並んだ。そこは、本来列を作るところではなかったが、おばはんが待っているのだし、このおばはん以外に待っている人がいないのだから、むしろ正規のところに並ぶと返って変なことになりかねない。まもなくおばはんが呼ばれた。すると、一人のおっさんが正規のところに並んで、あろうことか、おっさんの方が先に呼ばれてしまったのである。私のほうが先に並んでいたのは明らかなのに、おっさんの方が先になるとは何事か。

ウギーーーー!!!!

そんなしょうも無いことでイライラしつつ銀行を後にし、インターネットの支払い。これは、驚くほどにスムーズ。カードで支払い。過去の失敗を生かしてちゃんと金額もチェック。気分がよくなってきて、パンでもこうて帰ったろ、てなもんでパン屋に入店。いやらしくもでかいのを奥から取ろうとしたらパンがトングからするりと落ちて、床に落ちてしまった。しかも、パイ系のパンだったので、上から勢いよく落ちたパンは、きれいに放射状に床にぶちまけられたのだ。

「す、すいません……。」

平謝りで、もちろん会計時にはそのだめにしたパンの代金も課金された。

ズーーーン。

当たり前なのだが、テンションが急落。とぼとぼと歩いていると、以前お世話になった数件先の靴屋のただのおしゃれな人なのか、ゲイなのか、いまだにちょっとわからないけど、めちゃくちゃかわいいお兄さんと目が合い、「Hola!!」と笑顔であいさつされた。

パァアアアア。

なんちゅうか、今日、結局ええ日なんやん??そんな気分になった。

……書きたかったことは、これである。「は?!これ?!何で?!」と思われるかもしれない。一応解説しておく。これ程までに気持ちが上がったり下がったり、しかもそれを客観的に自分で感じられるなんて、おもしろすぎた、それが言いたいのである。……こんなことを考えてばかりいるので、あいつは頭がおかしいと思われるのだろう。

Day7(Last Day): Cancún

連日早起き。気がつけば、私はグアダラハラに帰る日である。メリダからカンクンの空港まではADOの直通のバスがあるようだったので、それで行こうと思っていたけど、それよりもカンクンのバスターミナルを経由して行った方が安いみたいだから、そのルートをとって帰ることにした。そうすれば、まさみとあけみちゃんともう半日一緒にあそぶことができるし、ええこと尽くめである。さっさとバスに乗り込んで、前日買ったパンをさっさと食べて、さっさと寝た。

カンクンのバスターミナルを下りると、早速ちゃらけた感じである。さすがリゾート。さすが観光地。そんな浮ついた雰囲気を縫うように外に出て、まずはまさみたちの宿へチェックインしに行くことにした。受付の兄さんも、もちろん英語ばっちりである。こういうところに「カンクン、ババーン」という威圧感と言うか、圧倒的な観光地魂を感じてしまう。

せっかくなので海を見に行ってみようと言うことになり、宿の人にオススメの場所を聞いた。ホテル街の、ヒルトンホテルの隣のビーチがいいと言うので早速向かった。しかし、降りる場所を間違えて、どうやら兄さんが言っていたビーチとは違うようである。しかし、海を目の前にすると、ちょっとくらい浸かってみたくなると言うのがこれ人情。滞在時間5分で、宿にとんぼ返り。海に入れる格好で再びくることにした。


帰ったついでに私はもうバックパックごと出掛けることにした。腹ごしらえに、とチャイニーズのテイクアウトをしてビーチへ。テイクアウトのチャイニーズは、安くてうはうはだったけど、味はなんだかやっつけ仕事で残念だった。まぁ、そんなもんか。海の水は、プラヤデルカルメンよりは温かい感じ。最初は冷たくて方まで浸かることが出来なかったけど、慣れてくると、浜に近いところは温泉の如きの暖かさ(のように感じた)。プラヤデルカルメンよりも、塩分が濃いのか、海から上がった後にべたべたするのが気になったけど、やっぱり、海はいいなぁ。

セントロに戻って、スーパーに行って、まさみとあけみちゃんはお土産を探し。もう大晦日だと言うのに店のBGMはジングルベルだし、店の惣菜コーナーは七面鳥の丸焼きだらけである。翌日が新年だとは信じられない光景だ。

そんなこんなしているうちに、あっという間にバスの時間になってしまった。ターミナルで、だらだらとしゃべり、そっちに夢中でにアナウンスが聞こえずに、あわや乗り遅れそうになるのは想定内で、人ごみをかき分けて空港行きのバスに乗ったら、がらがらで拍子抜け。まさみとあけみちゃんに見送られて一足先にカンクンを出た。ほんとう、あっという間の旅だった。

グアダラハラに着くと、普段からお世話になっているAさんが迎えにきてくれていた。

「おかえり」

と言ってもらって、めっちゃうれしかった。やっぱり、誰かに「おかえり」といわれたり迎えてもらうと心がほっこりする。迎えに来てもらっただけでもかなりありがたいのに、ブリトーを食べに連れて行ってもらった。Cali-Mex(カリフォルニア風メキシコ料理)のご飯とかいろいろ入った具沢山のごっついブリトーも好きだけど、メヒコ風のブリトーもこれまた絶品。小麦粉のトルティージャの中に煮込まれた具をくるりと巻いて、その上からレイによってサルサやらリモンなどをかけて食べるのだ。鶏肉とレングア(舌)を頼んだけど、これう、う、う、うまい!!!!!

ブリトーをご馳走になって、メヒコの肥満問題について話しながら送ってもらっていると、どこかから花火が上がった。時計をふと見てみると12時半。日が変わって、と言うか、この日の場合、年が変わってもう30分も経っていた。知らん間に年明け。は、は、は。

それにしても、いい一週間だった。まさみやあけみちゃんに会って、そして行ったことのないところに行って、いろいろなものを見て、食べて。こんな風に一年の終わりを過ごせたとは、なんと贅沢な。そして、旅の終わりにはやはり「ありがとう」という気持ちでいっぱいになる。

February 07, 2011

Day6: Chichén Itzá

朝6時半。バスが出発。早起き、がんばりましたよ。トゥルム遺跡に行ったときに、小さな遺跡だったけどみるのにかなり時間をかけたから、それよりも大きな遺跡だから、もっと時間が要るだろうと踏んだのだ。チチェンイツァについてもまだ8時半。入場券売り場に少し列が出来ていて、その日の一番乗りの客の中にまぎれた。


中に入るとまだ人もまばらで、広々とした芝生の上に、写真やほんでみていたあのピラミッドがズーンとそびえ立っていた。朝日を浴びて、その堂々たる雰囲気はめちゃくちゃかっこいい。そして、階段が想像していたよりも急だったのに驚いた。何年か前までは、その階段にも上れていたようだが、今はもう上れないようにされていた。残念……。でも、あの急なのを目の前にしたら、転落事故とかあるんだろうなぁ、と容易に想像できる。

遺跡内は、旧チチェンイツァと言うエリアと、新チチェンイツァというエリアに分かれているらしく、まずは旧のほうから見てまわることにした。何か、人が住んでいたと思われる(あるいは、当時の人々の家の再現レプリカ)家があって、中に入れた。中には祭壇があって、壁は土壁で、屋根はわらぶきだった。ユカタン旅に向けて読んだ「マヤ人の精神世界への旅/宮西照夫」という本に出てきた密林の中の家のことを思い出した。現在のチチェンイツァの敷地内は、密林と呼ぶには程遠いけど、この文明の最盛期には木が生い茂っていて、こういう家々が、ぽつんぽつんとあったのかなぁ、といろいろと想像して、ああでもない、こうでもないとまさみとあけみちゃんと時間の旅を楽しんだ。

旧チチェンのほうで、ひときわすごかったのがCaracol(カラコル)と呼ばれる天文台。マヤ文明は天文の知識がものすごく発達していたらしいが、その天文台は本当に見事だった。現在のものと比べても変わらないくらいだ。ドーム状になったところもかなり大きくて、「地球の歩き方」情報によると、いろいろなものを観測するために窓が開けられているけど、その方角がめちゃくちゃ正確なんだとか。昔にも今にも、頭のいい人と言うのはいるもんやなぁ、とあほのあたしはほんまにただただ感心するばかり。

新の方を見るために、またピラミッドのある真ん中の広場に戻ってきたけど、そのころには沿道にお土産やがびっしりと並んでいた。観光客もずいぶんと増えていた。大観光地で、日本人の観光客も多いらしく、客引きには「10ペソ~」とか、「ビンボウプライス~!!」など、日本語も飛び交っている。一体、誰が教えたんだか。

昼を過ぎると、人も増えるし、気温も上がるし、早起きもたたって結構疲れてきた。でも、人の増え方はものすごかったので、やっぱり早くきてよかったと思った。木陰に腰を下ろして持ってきたパンを食べたり、水分を補給して、しばし休憩。

新チチェンのほうには、いけにえをささげるための台とか、ナントカと言う競技場があった。広い競技場の周りは壁で囲まれていて、結構高い位置に丸い穴みたいなのがあって、それをゴールとして競技が行われていたらしい。ハリーポッターの中に出てくるナントカという競技みたいだな、と思った。ハリーたちは魔法が使えるからほうきで空を飛んでいるけど、マヤ人たちは手を使わずに、足と腰でボールをパスしたりしていたらしい。かなり難易度の高い球技だったと思われる。しかも、勝ってもそのチームのキャプテンは生贄にならないといけないらしい。当時の感覚でいうと、それが名誉なことだったんだろうけど、ゲームに勝ったのに生贄て……。罰ゲームですやん。

聖なるセノテと言うところにも行った。セノテと言うのは、「干ばつや疫病が流行すると、生贄や財宝を投げ入れた泉」のことである。楽しみにしていたものの、いざついてみるともう一つ。水位も低いし、別に水の色もきれいと言うほどでもないし。それよりも目玉が飛び出そうになったのはセノテの近くにある売店のアイスの値段。ありえへんくらいにええ値段。暑いのもあって疲れたから、セノテの見下ろしながら、少しうつぶせになったが最後、いつの間にかそのまま眠ってしまっていた。まさみに起こされて、辺りを見ると「何でこいつ、こんなとこで寝てんねん」と不審げにこちらを見る観光客がいっぱいいた。ほっといてくれい。

夕方までがっつり見るという計算できたけど、2時くらいで終了してしまった。あわよくば、バスの時間を変更しようと思ったけど、あいにく早い時間のバスはもう予約でいっぱい。仕方がないので、バスの時間まで時間をつぶすことに。レストランでポストカードを書いたりしていたけど、おなかが空いたので、ピザを食べた。なんで、チチェンイツァでピザやねん、と言う気もしたけど、これがなかなかおいしくて、ばくばく食べてしまった。そんなこんなで時間をつぶしていると、定刻どおりメリダ行きのバスがやってきた。

晩ご飯にはタコスを探すことにした。そういえば、メリダではあまりタコス屋を見かけない。ホテルの兄ちゃんに聞いてタコス屋を探していると、パン屋を見つけたので、パンを買った。大きなパン屋で、種類も豊富。しかも安いと言うありがたいパン屋で、地元の人たちもひっきりなしにやってきていた。

パン屋に誘惑されたりしながら、なんとか小さな市場を発見。そこでタコスを食べることにしたけど、鶏肉の店しかなかった。グアダラハラや他の地域で見かけるような牛肉や豚肉のタコスは見当たらない。メリダの人は、あんまり牛や豚を食べないのだろうか?!謎。とりあえず、タコスがあるかおばちゃんに聞いたら「ある」とのことだったので早速頼んだ。すると、おばちゃんがおもむろに素手で鶏肉をむしりとり、それを細かく割いてトルティージャの上に乗せた。さらに、トマトとかも乗せてくれた。鶏肉と思っていたが口に運ぶと淡白だったので、あれは多分、七面鳥だな。淡白な味だから、こんな風にいろいろなトッピングをするのかな、と思った。

タコス2個ではおなかが膨れなかったから、エンパナーダスというのを頼んでみた。トルティージャを二つ折りにしてなかに七面鳥を入れて、それをさっとあげてくれる。それにチーズやら、Crema(クリーム)をつけて食べる。エンパナーダスに舌鼓を打っていると、まさみはKIBIとかいうハンバーグみたいなものを頼んでそれに苦戦していた。ものすごい硬いらしい。注文したことを若干後悔しつつ、目の前においてあったおんだから気になって仕方なくて、頼まずにはいられなかったらしい。グアダラハラでは見かけたことが無い食べ物だった。

キビは残念な結果に終わったけど、とりあえず、タコスが食べられてよかったよかった。

February 05, 2011

Day5: Merida 街歩き

メリダ2日目は、メリダ街歩きをすることにした。移動地獄をへてメヒコについたばかりのまさみが体力的にいきなり遠出するのはしんどいやろうし、この雑雑とした街を歩かないのはもったいなすぎる。遺跡は、トゥルム遺跡の例から、おそらく観光地化されまくっていることが予想されたし、プラヤデルカルメンもDEEPメヒコとは程遠かったので、あけみちゃんやまさみに"私が感じているメヒコ"を知ってもらうにはこのメリダ街歩き以外に方法はない!!と思った。

ぶらぶら歩いて、まずは朝ごはん。なにやら老舗っぽい喫茶店に入ってゆっくりと食べた。フリホーレスが、やっぱり黒かった。ユカタンでは、フリホーレスはどこで食べても黒いなぁ。ここも、居座ってしゃべり続けていれば、コーヒーをどんどん持ってこられるので、うれしい反面、それで一日が過ぎていくのももったいないので、切りのいいところで出た。

まずは、州庁舎。2階はギャラリーのようになっていて、大きなキャンバスにユカタンの歴史がでかでかと描かれていた。ユカタン半島は、マヤ文明などの文明が栄えていた反面、スペインの侵略を受けたという歴史も持つ。その様子を伝える絵が多いのが特徴的だった。また、絵の解説のところには、スペイン語と英語に加えてマヤ語(アルファベットでその音を表したもの。)でも書かれてあったから驚いた。

それから、街をふらふらと歩いているうちに、リボンやレースを売るエリアに出た。専門店が立ち並びだすと、まさにDEEPメヒコ。あけみちゃんは、洋裁をするので、そのレースの種類、そして値段の安さにびっくりしていた。そして、2軒ほど見て回って、いろいろ使えそうなものを買っていた。さすが、素材王国メヒコ。その素材に群がる人々。それにしても、この街も人が多くて活気に溢れていて、元気だ。

歩いていると、市場に出た。ここはパストールが有名なのか、パストールの仕込をしているのがよく目に付いた。市場の2、3階は休みの店が多かった。1階の肉コーナーを見ていると、「うおおお~~う」と盛り上がっている声がした。何ごとかと思って近づいてみると、おっちゃんがキーボードを弾きながら歌っていた。そして、それに合わせておばちゃんと、頭に鳥を乗せたおっちゃんが踊っていた。それを見てみんな盛り上がっていたらしい。野菜・果物ゾーンに行くと、目に付くのは「ハバネロ」。グアダラハラの市場ではこんなにハバネロが大々的に売られているのを見ない気がする。こっちの方ではよく食べるのだろうか、などと思いながら、みかんを買った。ハバネロは、買っても使い道がわからへんからな。

さて、昼ごはん。Fonda(軽食堂)ゾーンを歩くと、ものすごい勢いで客引きにあう。それを見てまさみは、

「ほんま、ベトナムとよう似てるわー。」

と言っていた。それは、ついた日からしきりに言っている事だった。私は、過去にまさみとベトナムを一緒に旅したことがあるのだけれど、その時のイメージと、このメヒコがかぶるんだそう。例えば、屋台が多いところとか、そこに並ぶプラスティックのイスとか。あと、色の溢れた感じとか。

結局、Mariscos(シーフード)を食べることにした。まさみはスープ、あけみちゃんはセビーチェ、私はカクテルとタコスにした。飲み物を聞かれて「いらない」というと、

「じゃあ、これをプレゼントしてあげるから、飲んでみな!!」

とおもむろに飲み物を作り始めた。その飲み物と言うのが、貝の入っているポットから、それが浸かっている液体をすくって、ケチャップか何かを入れて味を付けたものだった。コップに並々と注がれて、

「うおお、まじでか!!」

と3人でびびりながら、恐る恐る飲んでみたら、味は思ったほど悪くない。しかし、作る過程を見ていたから、どうも飲む気がわいてこず……。そんな行為をむげにしてしまったのに、帰りぎわに

「ちょっと待って。」

といわれて呼び止められたから待っていると、Tシャツをプレゼントしてくれた。しかも、店のスタッフTシャツ、非売品。店のおっちゃんと同じサイズだから、まさかのXL!!めちゃくちゃでかいけど、すごくしっかりした生地のTシャツで、店のロゴも入っていてめちゃくちゃかっこいい。3人で早速着て、おっちゃんと記念撮影をした。

再び、セントロセントロに戻ってみることにした。途中、お菓子の問屋街があってものすごい数のじいさんのピニャータがあった。あのじいさんのピニャータ、2010年とか何とか書いてあったから、何か意味のあるじいさんに違いないけど、なんだったんだろうか……。数が異常でびっくりした。

晩ご飯は、特におなかが空いていなかったので、昨日ソカロの屋台で見つけて気になっていたクレープみたいなお菓子を食べることに。それなのに、いざソカロに行ってみると、昨日あんなにいた屋台が1台も出ていない。ぴぎゃーとパニックになって、その屋台を捜し求めて、昼間の問屋街辺りまで足を延ばした。すると1台、屋台を出している兄ちゃんを見つけた。Queso y Nutela(チーズとヌテラチョコレート)という、え、合うの、その組み合わせ??と思ったけど、これがなかなかおいしかった。クレープっぽい作り方だったから、もっと生地がしっとりしているのかと思いきや、両面しっかり焼かれているので、ぱりぱりとした食感で、それはそれでおいしかった。

余談だが、まさみは2日目にしてメヒコのおっさんがかぶっているソンブレロに手を出した。遺跡に行くのに、これがないとはじまらへん、と思ったらしい。昼間のリボン屋さんで、メヒコカラーのリボンをちゃっかりと買っていたので、無地のソンブレロにそのリボンを巻きつけて、明日は、いざ、チチェンイツァへ!!

February 04, 2011

Day4: Merida

夜もまだ明けないうちから、「コケコッコーーー!!!」と始まった。それに反応して隣の部屋の赤ちゃんが「ビエーーーーー!!!!」と泣き出す始末。時計を見たら、まだ4時半。にぎやかなこと。しかし、起こされたからと言ってこんな時間に起きるわけもなく、無理やり二度寝。

この日は、プラヤデルカルメンから内陸に4時間ほどバスで行ったところにあるユカタン州の州都「Merida(メリダ)」に行くことになっていたので、カリブの海を見納めておこうと、朝ごはんは海辺でパンをもしゃもしゃと食べた。もっとゆっくり眺めたい気もしたが、曇りがちで風が冷たい。というわけで、早々に引き上げて、コーヒーをなみなみとついでくれる喫茶店へ。減ったらすぐにおかわりを注ぎに来てくれるし、なんていい店なんだ。しかも、店内は、ぬくい。

あけみちゃんとダラダラとしゃべりながらバスまでの時間をつぶしていると、謎の番号からの着信。

「もしもし~??」

と出ると、まさみだった。私をカンクンに誘致した張本人である。カンクンの空港に無事に着いたことを知らせてくれる電話だった。まさみのメヒコ滞在日数も限られていると言うことで、時間を有効に使うためにまさみにはもう一仕事がんばってもらわなければならなかった。それは、いきなりメヒコについて、スペイン語もろくすっぽわからないけど、何とか「メリダ」まででてきてもらうこと。とりあえず、ADOというバス会社のカウンタを見つけて「メリダ!!!」と言うのを連呼すればいいから、というアドバイスをして、メリダで会うことになった。

そうこうしているうちに、プラヤデルカルメンを出発する時間に。バスは相変わらず寒すぎる。バスに乗っている間にもう一度まさみから連絡が入り、彼女がメリダに到着する大体の時間がわかった。私たちよりも少し遅くに着くようなので、先に宿を探しておくと言うめども立った。やっぱり、こういうときに携帯電話って便利やなぁ、と感じる。私がメヒコで使っている携帯の機能はしょぼいから、普段の生活の中では、特に必要性を感じなくなっていたのでなんか新鮮。というか、本来携帯電話ってそういう緊急時にあったら便利なんやろう、という発想で開発されたんだろうな。それが、今や日常必需品みたいになってるからえらいもんやな。

高速を外れてメリダの市内に入ると、プラヤデルカルメンにはなかった「私が思うところのメヒコぽい」町並みに変わった。雑雑とした、埃っぽい感じの。それにうきうきしていたのも束の間、バスは右折左折を繰り返す。ええかんげんにしてくれ、と言うくらいにくねくね走行を続けて、あかん、もう、酔うた、ウエエエエエとなる直前にターミナルに到着。

ターミナルを出てから早速宿探し。日も暮れてきていたので、とりあえず目に入る「HOTEL」的な看板を下げているところには全て当たってみることにした。バスターミナルの近くで2軒ほど部屋を見せてもらったけど、なんと言うか、陰気で窓がなくてかび臭い感じがしたので却下。しかも回りも何もないので、やはりセントロセントロの方へ出てみることにした。ソカロに出ると、人がたくさんいてにぎわっていた。地球の歩き方だよりで、まず1軒当たってみたけど、ドミトリーなのに満杯とのこと。他のホステルを紹介してもらって目指すことにしたけど、そこも空いている保証はないので、「HOTEL」の看板に総当りの作戦は続けることにした。何件か断られたけど(あるいは、こちらの予算オーバー)、まだ中心部に近いところにこざっぱりとしたところがあった。また予算オーバーだろうと思いつつも、しらみつぶし作戦なので一応値段は聞いてみることにした。すると、思ったよりも安く、しかも、こっちが変なスペイン語(というか、メヒコ弁)をしゃべるのでフロントのおっちゃんがおもしろがってくれて、調子に乗って値引きの交渉をしてみると、それにも応じてくれた。

荷物を降ろして、再びバスターミナルへ。するとタイミングよろしくちょうどまさみを乗せたバスが到着したころだった。バックパックを背負って、どうやらカメラをビデオモードにして何かを撮影しているらしい小柄なアジア人の女の子が目に入った。あけみちゃんと、「おーーーーい!!!」と思いっきり手をふった。「タフ」が売りのまさみが珍しく見るからに疲れていた。聞くと、「成田→ロサンゼルス→サンフランシスコ→シャーロット??→カンクン→メリダ」という移動だったそう。なんと言う過酷スケジュール。それだけでもすごいのに、ロサンゼルスで妙に乗り継ぎ時間が永かったのをいいことに、調子に乗って町に繰り出したら、帰りのバスが全然来なくてあわや飛行機に間に合わなくなるかも、と言うミニ冒険を既にしていたようで、「荷物持ったげよか??」の申し出に、さすがのまさみも「頼むわ」と言ってきたので、相当疲れていたんだと思う。

とにかく、無事に全員集合できてよかった。ホテルに荷物を降ろして、ご飯を食べに行くことに。その辺をうろうろ歩いたら観光客だとは思うけど、やたら人の並んでいるレストランがあった。ユカタン料理とか書いてあるし、行列ができるくらいだからおいしいんだろうと勝手に決め込んでそこで食べることにした。店の中で民族衣装を着たおばちゃんがトルティージャを手作りしていた。しかも、そのトルティージャの種を、手で器用に丸くのばしていた。

どれを頼んでいいのやら見当がつかなかったので、適当に頼んでみた。七面鳥や魚を使ったものが多かった。店内を見渡すと、どぎつい緑色の飲み物をほとんどの人が飲んでいた。とてもおいしそうには見えへんな、と無難にビールを頼んで乾杯。おばちゃんの手作りのあつあつトルティージャはやはりうまく、何回も調子に乗っておかわりをした。トルティージャが食べ放題のこのシステム、本当、いいなぁ。

食べ終わって少し街をぶらりとした。オアハカのセントロを思い出した。小さくて石畳で、ソカロのベンチでみんなが夜をダラダラ過ごす様子が似ているなと思ったのだ。