August 30, 2011

信頼のシステム

メヒコでは、「お釣りないわよ」と言われることが多々ある。今日、パンを買いに行った。7ペソのパンを買いたかったのだが、持っていたお金は500ペソ札。(10掛けで考えると、70円の品物に対して5000円払おう、と言う感じである。)う~ん、これは確実にお釣りないと言われるだろうと思ったので、店のおばちゃんに訪ねてみたところ、返ってきた返事は案の定、

「お釣りないわよ」

だった。しかし、そのあとに、

「あとで小銭ができたときに払いにきたらいいわよ」

とのこと。そのパン屋は、私の行きつけのコーヒー屋の近くにあるパン屋で、最近立て続けに何度か買いに行ったので、多分顔を覚えられたのだろう。まあ、アジア人なので目立つというのもあるが。

このいわゆる「ツケ」のシステムがメヒコではたくさんみられる。Abarrotes(個人商店)でも、お金がなくてもその時は購入でき、あとで1か月分くらいをお金ができてから払ったりする人もいるようだ。この間、友だちの家に行ったときに彼の近くのabarrotesで買い物をしたら、それこそ「ツケ」分を払っていた。そういうシステムがあるとは聞いていたけど、実際に見たのは初めてだったが、ノートに手書きで名前と金額が書かれてあるというシンプルなものだった。

スーパーマーケットではさすがにこのツケのシステムはないけれど、小さな個人商店がいまだにたくさんあるメヒコでは、このツケのシステムがご近所やお得意さんの信頼関係の下普通に存在している。

「信頼関係のシステム」だが、バスでもそれが見られるときがある。グアナファトでは、あまり満員になったバスに乗ったことがないから分からないけど、グアダラハラではあほほど込んだバスに乗らないといけないときがたびたびあった。そういう時は、前からはもう人が乗れないので、後ろの扉が開き、そこから無理やりに乗り込んだりする。そうすると、バスが発車してしばらくすると、後ろからお金が回ってくる。バケツリレーのように乗客の手から手に渡り、最終的に運転手のところまでいく。そうすると今度は、バス代を払った証明のチケットが前から後ろに回ってきて、お金を支払った人の手元に渡る。どさくさにまぎれてキセルでもしたくなるところだが、こういうところはきちんとしているのがメヒコである。

さて、パン屋が閉まってお金が払えなくなっては困るので、そろそろカフェを後にすることにしよう。


August 29, 2011

ラッキー

最近、お気に入りの時計のバンドがちぎれたり、大好きなブレスレットをどこかに落としてしまったりなんか不運だなぁ、と思うことが立て続けに起こっていたりするものの、mixiで、「ある場所が自分にとって特別で大好きなのは、そこに友だちやら大切な人がいるからなんやなぁ」とつぶやいたとおり、全体的には「私はラッキーな奴だなぁ」、としみじみと感じている。

今住んでいる街のこともすごく好きだ。前住んでいた町もすごく好きだ。メヒコ以外にも、私の家がある日本の街も好きだ。行ったことがないけれど、ドイツのドレスデンも、イギリスのオックスフォードも好きだろう。理由は、そこには友だちや家族がいるからだ。

私は、なんかいつも怪しいので、「こいつ、大丈夫か?!」と思われやすいのだと思う。基本的ににやにやしながら街を歩いている。おそらく外国において「わたしはあなたの敵ではないですよ」とアピールせなあかん、と言う気持ちがそうさせるのだろう。それから、単に、街を歩くのがおもしろいので自然に顔がにやけてしまうと言うのもある。そのおかげかなんでか分からないけど、ベンチで座っていると話しかけられたり、知り合いになった人たちからよくかまってもらうことが多い。

土曜日、カンフーの朝稽古に行こうと思っていた。私がカンフーを習うきっかけになった、「amiguito(私の小さな友だち)」がこの8月から中学生になり、夕方の稽古に来ることができなくなってしまったのだ。このままでは、私がこの町に滞在している間にあえなくなってしまう。でも土曜日の朝稽古には続けて通うみたいだったので、私も行くことにしたのだ。待ち合わせ時間に遅れてしまったり、猛烈に胃が痛くてそれ以上歩けなかったので、稽古に行くことができなかった。待たせたり、約束を破ったりして悪かったなぁと思っていたのだが、お昼ごろにメールが来て、「タマーレスを食べにうちにおいで!」とインビテーションを送ってくれた。夕方、待ち合わせて家に行くと、お母さんがつくったタマーレスを振舞ってくれた。近い関係になると、本当に家族のように扱ってくれるのがメヒコの人たちである。Amiguitoのお母さんも私の今後の予定や何やらを親身に聞いてくれて、「この街に帰ったら連絡するのよ」とまで言って、タマーレスとアトーレをお土産に持たせてくれた。

日曜日の朝、だらだらと寝ていると、電話がなった。カンフーの先生からであった。出ると、「今、お前の家の近くまで来ているけど、番地は何番だ?!」とのこと。実は、今住んでいる家の番地を知らないので、「ええっ?!」と思いながら、azotea(屋上)に出てみると、遠くにカンフーの先生とそのパートナーがほろほろ道を歩いているではないか!!道に飛び出ると、昨日朝稽古に行くといっていたのに来なかったから(体調が悪いと言う旨メールを送ったのもあるが)心配して訪ねてきてくれたらしい。そして、昼ごはんでも一緒に、と誘いに来てくれたのだった。カンフー教室の中で、貧相なスペイン語なので理解力が群を抜いて悪く、いつも「眠いです」とか「昼寝をして遅れそうになりました」とか「おしりが筋肉痛です」とか言っているので、まったくこの日本の娘は……!!!と思われているので、何かと気にかけてくれる。でもまさか、家まで訪ねてくれるとは思ってもみなかったのでびっくりしてしまった。そして、ありがたいなぁ、と思った。

そういう人ができると、本当にその街自体が自分にとって特別でかけがえのないものになる。離れていても、私のことを心配してくれたり気にかけてくれている人たちもいる。こんなにも自由でどうしようもない私のことを、本当温かく見守ってくれる人たちがいる。そういう人たちに支えられて私はいるんだなと思う。

壊れた時計は直せばまた使えるし、なくなってしまったブレスレットはまた気に入ったものを見つけたときに買えばいい。でも、私を精神的に支えてくれる大切な人たちに出会うのは、そういうわけにはいかない。私って、ラッキーだな、と思う所以はここにあるのである。この街で過ごす時間が残り少ないからか、エモーショナルな日記になってしまった。このブログをみているのは友だちばかりなので、この際告白しておくけれど、ありがとう!!!!Un beso y un abrazo!!!!


August 23, 2011

久しぶりに、日本の本を借りられる機会があったので何冊か借りてみた。映画に、本に、ああ、なんて文化的な日々を送っているんだ。贅沢、贅沢。

漫画もあったので、ちびまるこちゃんを借りてみた。ああ~、さくらももこ、おもしろいなぁ。にへらにへらしながら猛烈な早さで読んでいたので、周りから見ると、さぞ気持ち悪かったろうなぁ。

他に新書を2冊読んだ。おもしろかったので紹介。

一冊目は、田辺厚子著「ビバ!メキシコ」。17年メヒコに暮らしたという著者が綴るメヒコの様子は、めちゃくちゃ「納得!!」。でも、驚くことにこの本が最初に出版されたのは1984年のこと。今から25年以上も前のことだ。それなのに、古さや時代を感じないのは、作者がメヒコを観る視点の柔軟さや、メヒコと言う国自体が本質的に全然代わってない(良くも悪くも)からなのだろう。一気に読めた一冊。田辺さんは、兵庫県出身の人らしく、それもなんかうれしかった。1968年10月2日に起こったトラコテルコでの政府の弾圧の様子が描かれているのも興味深かった。授業で勉強してそれに関連する映画(Rojo Amanecer: 邦題:「赤の夜明け」)も見たのだが難しかったので、日本語で改めて読む機会が持てて非常にありがたかった面もある。

もう一冊は、山本純一著「メキシコから世界が見える」。メヒコの北と南がかかえる問題を扱ったもの。メヒコ研究家の人がフィールド調査のもと書いたものなので、データがいろいろ載っていて、分かりやすい。まぁ、私はこの本からは世界は見えなかったけれど、メヒコがかかえる南北の問題について、ざっと知ることができた。

この二冊の本に共通して、「著者はメヒコがめっちゃ好きなんやろうなぁ」と感じた。メヒコは、めちゃくちゃなのだ。びっくりさせられたり、悲しい思いをさせられたりすることも多々ある。でも、やっぱりメヒコが好き。国も、文化も、人々も。読んでいて、それがひしひしと伝わってきた。

【FYI】
本:「ビバ!メキシコ/田辺厚子」
本:「メキシコから世界が見える/山本純一」
映画:「赤の夜明け」

August 22, 2011

映画

この秋には、日本に帰る。というか、帰らんとならぬのっぴきならない理由があるのだ。今はこうして、なんとなくメヒコに居座り続けているのだけれど、「●月までに帰らないとだめ」という具体的な数字が出ているせいなのか、ものすごくメヒコへの想いが強くなっている今日この頃なのだ。私が、常々「メヒコはオモロイ」と言いまくり、メヒコを好きなことは、今さら改めていうまでもない。しかし、最近のこの「メヒコが好きだ」という気持ちは、メヒコにやってきた2年前のそれとは確実に変わってきていると思う。

その理由として、学校でメヒコの歴史やら文化を勉強しているということが挙げられる。その先生の専門が(大学の専攻)がメヒコの歴史だったので、かなり深く、そして広範囲のテーマにも精通していて、しかもマンツーマンなので、非常に恵まれた環境で勉強できている。メヒコの歴史は日本のそれとは全く質を異にしているので、興味深い。そして、良くも悪くもありえないことが平然と起こりえるのがこの国の特徴だ。日常生活でも日本では考えられないようなことが普通に起こるけど、歴史とか国家レベルでみても「ありえないことがありえている」のに、国がたくましく歩みを進めていることに驚かされる。

メヒコ国外から見たこの国のイメージは、大きく分けて2つだと思う。

一つ目は、「麦藁帽子、ひげ、ポンチョ、マラカスのおっちゃん、サボテン」というなんだか陽気で怠け者の人たちが暮らしていると言うもの。

二つ目は、「麻薬戦争でたくさんの人が死んでいる」というもの。

どちらも本当だが、それ以外にもこの国はたくさんの顔を持っている。しかし、それらは知られていないと思う。知るきっかけがないのも原因かもしれない。

それはさておき、最近メヒコに関連する映画を立て続けに観る機会があった。「Miss Bala」と「Sin Nombre(邦題:闇の列車、光の旅)」である。「Miss Bala」は、貧しい暮らしをする家族と麻薬組織を扱った映画で、「Sin Nombre」は、ホンジュラスからよりよい暮らしを求めてアメリカ行こうとする移民と、メヒコのギャングのことを扱った映画で、どちらもフィクションである。しかし、観終わったあとに抱く感想はどちらも「うーーーーん、ありえる。これは現実にも起こってるやろうな」であった。

どちらも、ショッキングな内容で、映画と言う娯楽としてみる分には「わ~、よく作られたストーリーだなぁ」と感心してしまうだろう。しかし、メヒコに暮らし、歴史や文化を勉強した今、これをただの「映画」として見ることは不可能に近い。こんなことが起こるなんてとんでもない、とは感じられない。そういう日常が存在しているだろうということを認めざるをえないのだ。そして、認めたうえで、こんなことが起こっていたんじゃだめじゃないかーー!!と言う正義感のような気持ちにかられても、何もできないし、問題があまりに複雑なことを改めて思い知らされるだけなのだ(どうしてそういう状況が存在するのか、歴史や背景を知ると驚くほどにreasonableで納得するしかないのだ)。

むちゃくちゃに暗い。しかし、メヒコのこのダークサイドを見せ付けられてなお、私はこの国が好きだと断言する。メヒコにきたばかりのときにこれらの映画を見せられて、「これ、フィクションやけど、日常に起こってることやで」と言われていたら、私は完全にメヒコにびびってしまうか、あるいは「そんなあほな!!」と思ったことだろう。

知れば知るほど不可解で、知れば知るほど変な国、メヒコ。あと2週間で今通っている語学学校が終了して、そのあとは今のところ旅でもしようかしらん、などとぼんやり思っている。日本行きのチケットもそろそろ調べないとだめなのだけれど、それがどうしてもできない。だからといって、日本にもう2年半くらいも帰っていないので家族や友だちに会うために、そして自分自身が日本人として、今日本がどうなっているのかその空気を感じて自分の中の「日本」をアップデートするために日本に帰りたい気持ちが強い。だから、このままメヒコにい続けるために働き口を本気で探すということもしていない。まぁ、つまりは、何もしてない、のだけれど、日増しに、「メヒコが好きだーー!!」の気持ちが自分の中で妙に高まっている今日この頃なのだ。

日本や、メヒコ以外に暮らす人たちがこれらの映画を見たらどういう感想を抱くんだろうか。とても興味深い。「Miss Bala」は、2010年の映画で日本で上映されるのかDVD化されているのかは分からないけど、「Sin Nombre」は調べてみると、「闇の列車、光の旅」と言う邦題でDVDになっているようなので、興味のある人は是非見てみてください。


【FYI】
・Miss Bala : http://www.missbala.com/
・Sin Nombre : 闇の列車、光の旅

August 13, 2011

満月の夜に

何週間か前から、学校に生徒が増えた。レベルが違うので彼女とは同じクラスを受けることがないのだけれど、日本人だし、唯一の学校の友だちなのでたまにご飯を食べに出かけたりする。私よりも年上の人なのだけれど、旅をしたり留学をしたりとオモロイねえちゃんである。海外で出会う日本人の女の人は、基本的に、変でおもしろい人が多い気がする。

昨日は、昼ごはんを食べてから、ダラダラとカフェでしゃべりたおして、道をぶらぶらと歩いていると、満月なのに気がついた。えらく空がクリアだったので、月の光が普段の何倍も強い感じがして、なんだかわくわくしてきた。

「あ~、月見したらおもしろいやろうなぁ~」

と何気なく、提案ともとれない提案をしてみると、

「いいねぇ~」

と、屋上でビールを飲みながら月見をすることになった。2日連続の天体観測である。その前夜はものすごい雨で、ひょうが降ったり、稲妻が空を切り裂くのを「すげぇ!」「すげぇ!!」と同居人と屋上で叫びまくっていたのである。本当、家に屋上があるって素敵。

近所の酒屋でビールとおつまみを買って、屋上に毛布を広げてお月見。寒すぎず、暑すぎず、ああでもない、こうでもない、とへらへら話をしながら楽しい時間を過ごした。しょうもない話はこんなにもべらべらとしゃべれるのになあ。

友だちを送り届けてから、日付が変わってからと思われるが、なぜか同居人と映画を観ることになった。中国語と日本語と英語が飛び交う、日本人が悪者のカンフーの不思議な映画である。疲れと眠気で完全に字幕(スペイン語)は読めなかった。日本語の部分だけが理解できるという体たらく。

何も特別なものはなかったけど、いい夜だった。きれいな景色と、おいしい飲み物と、楽しい友だち。シンプルだけど、それがあるだけでいい時間を持てることの贅沢さを再確認。