June 29, 2011

学校の話

現在、生徒が私以外にいないという奇跡的な語学学校に通っている。その後、生徒が増えたかと言うと、どうやら現在は私以外にも生徒がいるらしい。でも、私とは違うレベルなので、残念ながら顔を会わせたことはない。(学校の名誉のために一応書いておくが、英語のレッスンのコースもあり、そっちは盛況そうだ。)

あんまり新しい文法ばかりしても使いこなせないしな、と言うことで会話のクラスを多く取ってみたり、文化のクラスを取ったりしている。メヒコの文化のクラスでは、先生の大学の時の専攻が歴史で、しかも高校で歴史を教えていたこともあるというわけで、言うなれば、歴史おたくである。そんな人の授業を独り占めできるとは、これはめちゃくちゃ贅沢。これが大学の講義ともなれば、話を聞いてノートを取ってわからないところがあっても後で質問したり調べたりすることはできてもとりあえず授業中はそのまま流れていく……、ということになるんだろうけど、一人なので好きなときに質問をできて、あほな疑問をぶつけることもできる。文法の授業にしてもそう。このブログにもちょくちょく言葉の話を書いているように、私は語学馬鹿なのでしょうもないことによく引っかかる。「はい~、はい~、そういうもんですよね~」、と受け入れればいいのだろうが、環境もいいので、ついつい質問攻めにしてしまう。その質問がカタコトと言う危うさなのだが……。

中級レベルから、メヒコの文化やら神話やら、文法以外のクラスも受けられるので、せっかくの機会なので今週は「メヒコの音楽」と言う授業を受けてみることにした。月曜日にhorario(時間割)をもらうと、見慣れない名前が載っていた。月曜日にめちゃくちゃ遅刻してきて、しかも次のクラスの時間にずれ込んで終わるという、そして、今日(火曜日)も若干遅刻気味で現れると言う輩である。なんか、クラスの意味がよく分からないのだけれど(歌詞の聞き取りをさせられるのだが、聞き取れなかったら何回もそこばかり聞かされて、通しで聞いたことが、今のところないという……。)、来週は彼の授業を取るべきか取らないべきか、今から懸念している。というのも、彼はたぶんゲイでしぐさがかわいらしく、彼の話を聞く分には楽しいのだ。ただ、たくさんのインフォメーションが書かれた紙を渡されても、授業中には特に取り扱うわけでもなく、授業としては「何をaprender(上達する)するためのものなのかようワカランなぁ……」なのだ。人はいい、授業は微妙。さて、どうしよう。

音楽についてもう少し話すなら、個人的に興味があるのは、「ナルココリードス」という種類の音楽だ。メヒコの文化の授業で、脱線したときに教えてもらったのだが、まず、corridosについて説明しなければならない。メヒコでは、歴史や出来事が歌で伝えられていた歴史がある。例えば、ある人物について、彼はどういう人で、どこでいつ何をした、と言うことが一枚の紙に書かれている。それが歌詞カードとなり、ギター弾きのおっちゃんなどがそれにメロディーをつけて、いろんなところで歌うのである。もちろん全ての歌詞暗記するわけではないが、人々はそれを繰り返し聞くうちにその人や出来事について知った(学んだ)のだそうだ。この文化がなんと今も存在するらしい。それが、ナルココリードスというものである。ナルココリードスの、「ナルコ」とは、もちろんナルコスのことである。(麻薬の密輸グループ)メヒコ治安の悪化の最大の原因に、このいわゆる麻薬戦争と呼ばれているものがあげられる。それについてのコリードが今リアルタイムで存在するとは、驚きである。YouTubeで検索するといろいろでてきて、聞いてみたけど、何を言ってるか聞き取れないから音楽だけ聞いていると、陽気なメヒコの音楽、という感じである。機会があれば、歌詞を検索して、どんなことが歌われているのか、覗いてみたいものである。

メヒコの歴史を勉強しているととてもおもしろい。今も昔も、良くも悪くも、結局何も変わっていないのである。週末などに市が立つ(tianguis:ティアンギス)が、ティアンギスの歴史も長い。アステカ王国の時代にまでさかのぼるのだそうだ。ナルコスの歴史も、さわりだけだが教えてもらったが、これも興味深い背景がある。麻薬戦争は終わってほしいけど、ここまで激化しても尚沈静化を見せないのは、需要があるからに他ならない。全ての問題は、根が深い。そして、理由がある。滞在が短いと、どうしても明るい部分しか見えてこないが、必ず暗い部分もある。それを、こうしてさまざまな角度からこの国を見る機会を持てて、ますますメヒコが好きな今日この頃である。

June 27, 2011

先週くらいから、Guanajuatoも雨の季節に入った模様。今までは、朝起きると、窓の外はいつも青空が広がっていたけど、先週はどんよりと曇りがちな景色。Guadalajaraの雨季は、昼間は普通だけど夕方になると激しい雨におそわれてその辺の道路は水が反乱、そして、夜にはあがっている、という感じだった。グアナファトはどんなもんかね、と思っていると、意外や日本のような雨の降り方だった。もっとも、話を聞くとグアダラハラのように猛烈に降って小道に水が溢れ出しとても歩ける状態ではない、とのこと。

でも、今のところ小道が川のようになるような降り方をしたのは一度きり。外をうろうろ歩き回ることもないので、私としてはどのような降り方をしても、家に帰る頃にあがっていればそれでいい。でも、カフェにいるときなどに、しとしとと言う音を立てて降っている様子を眺めるのは、なんだかいい。とてもいい。雨のめぐみを感じている一瞬だな、と思う。

中学生や高校生のときは、雨が降ると、自転車通学だったのでかっぱを着て雨の中必死でチャリンコをこいで学校に到着する頃には足元はべたべたで、そのまま一日を過ごさないといけないというわけで、雨の日はあまり好きではなかった。大学生の頃も、通学電車は湿気で満たされ、電車のシートが異常に臭くなるので決して歓迎されるものではなかった。

そう思うと、今は結構雨の日が好きである。メヒコにいるからかもしれない。メヒコは1年を通して、デフォルトが「晴れ」なので、空が曇りになったり、雨が降ったりするとなんだかアンニュイな感じがする。やっぱり、何ごともこのギャップが大切やね。そして、雨が上がった日の空は澄んでいてとてもきれいだ。そこにCallejonの電灯がぽつぽつと浮かび上がる。今晩は、そんな夜景が望めるだろうか。楽しみだ。

June 25, 2011

メキシカンアメリカン

言語能力において「環境」が及ぼす影響のでかさを目の当たりしてしばしば打ちひしがれる。日本語にしたって、育ってきた環境で各人それぞれの日本語をしゃべっている。私が驚いたのは、日本語の「標準語」がしゃべれると信じていたのだけれど、どうもできないらしい。精一杯標準語のイントネーションや発音をしているように努力しても、できない。どうしても強いアクセントが出てしまうようだ。母国語でもそうなのだから、外国語でそのアクセントが出てしまうのは当たり前で、しようがない。だから、これは外国語に取り組むときに気にしすぎてはいけない。アクセントが強すぎて通じないときは悲しい思いをしなければならないけど、それもまぁ、仕方ないと割り切るしかない。逆に、なまっているけどなんか一生懸命に話そうとしているぞ、こいつは、と温かい目で見てもらえるときもあるから、デメリットだらけと言うわけでもない。そして、私は言語馬鹿なので、なまった話し方を聞くとにやにや聞き耳を立ててしまったりする。

私の育った言語環境と言うのは、関西に生まれたので関西弁がベースである。そして、他言語はそこに一切介入しない。だから日本語(関西)のみで育った人と言うことになる。ブログにもちょくちょく書いているが、最近はあの謎だった同居人と結構仲良くなってきたので、家にいてもいろいろ話をする。会話のクラスを一緒に受けていると、彼もまた第一言語「英語」のアクセントに悩まされているらしく、よく発音の訂正を食らっている。しかし、彼の語彙力、言い回しの豊富さは歯が立たない。私は語彙力が弱いので、よく先生が何を言っているのか分からないことがあるのだけれど、彼は聞き返すこともなく、全て理解できるらしい。どうやってそんなに上達したのか聞いてみたけど、「映画観たり、雑誌読んだり、曲聴いたり」と言う答えであった。確かに、映画をたくさん見ている様子だけど、たったそれだけであんなになるものだろうか、と常々不思議に感じていた。このあいだ、家族のビデオを見せてもらった時に、その疑問が少し解消された気がする。

子どもばかりが出てくる映像では、みんな英語を話しているのだけれど、大人たち(移民組)がでてくると、そこで飛び交っている言葉はスペイン語であった。メヒコでは、家族・親戚の集まりはとても大切で、また兄弟が多いので家族が大きい。何人いとこ出てくるねん!!というくらいにいとこまみれで驚いた。メヒコ人に限ったことではないけど、移民しても同じ民族でコミュニティを形成されることが多い。いわゆるチャイナタウンとか、日本人街とかができるのは、たぶんそういう理由からである。話がそれたけど何が言いたいのかというと、この「環境」である。彼らにとって、スペイン語が飛び交うのは日常なのだ。

確かに、この環境は子どもたちの言語習得を難しくもする。つまり、英語を学校でしか話さないので英語力が追いつかなくなる場合がある問題もある。その一方で、スペイン語を第二言語として習得しようとしたときには、知らず知らずのうちに基礎が蓄積されているのである。移民を果たした世代(ファーストジェネレーション)の中には、英語をしゃべれない人たちがたくさんいると言うのを聞いたことがある。しかし、その次の世代(子どもたち)はバイリンガルになる確率が極めて高い。私が今まであったメキシカンアメリカンは、全てそうなのではないだろうか。友だちも、その職場の人も全員スペイン語と英語を完全に入り混ぜて話していて、「すごいですね」というと、「2ヶ国語をそんなふうに自分が使っているとは考えたこともなかった」という答えが返ってきてぶひゃーと、驚いた覚えがある。彼らにすれば、それが普通の「環境」なのだろう。

そういう環境にいて、メヒコに住む機会がない人もいるだろう。でも、そこで蓄積されたものは極めてでかい。それを持ち合わせていない私は、正直彼らがものすごおおおおおおくうらやましくなるときがある。だから、自分のスペイン語能力(あるいは英語能力)があほみたいに感じる時があり、本当に、ただ、そういう環境で育った人たちを見ると、「うらやましい……」と羨望のまなざしで見てしまう。……自分の努力不足には、目をつむってしまっているかもしれないが。

June 22, 2011

筋肉痛

グアナファト。かつて銀山で栄華を極め、今は観光客と学生に溢れかえる小さなかわいい街、グアナファト。

……のはずなのに、グアナファトに来て以来、なぜか私には「体を鍛える」機会が多く提供されている。丘の上に住んでいるので、学校やセントロに行くというだけでも坂道を上り下りせねばならず、十分にいい運動である。標高も2000メートルと、グアダラハラのそれよりもさらに500メートルも高いので、高山の気候に離れていると思っていたけど、それでもやはり来た当初は坂道を歩くとぜぇぜぇすぐに息が切れていたものだ。

そんな健康的なウォーキング生活を送っているところへ、訪れる多くの運動体験。まずは、青空空手。学校の会話の先生が、腕いっぱいにあざをこしらえてきたので、

「どうしたんですか??」

と聞くと、空手のせいだと言う。メヒコで空手?!とそのギャップに興味を持って一度のこのこついていった。すると、公園に集まって空手の稽古をしていた。けりの練習をめっちゃさせられて、かなり疲れたので、これは毎日行っている場合ではないな、と思いそれ以来は顔を見せていない。

昨日、授業の合間の休憩時間にいつもの通りベンチに座って昼ごはんを食べていると、近くの学校の子どもたちが話しかけてきた。その中の一人と話していると、その子はカンフーに興味があるのだという。

「へぇ~、すごいねぇ~」

とふんふんと聞いていたのだが、なぜか話の終わりに

「じゃ、4時にここで待ち合わせよう。動きやすい靴できてね。」

と言われた。

「???」

途中で、遺跡の話になって、近くに遺跡があるみたいなことを言っていた気がしたので、遺跡にでも案内してくれるのかと思い、子どもとの約束なので無視してすっぽかすわけにもいかないので4時に指定された場所に行くと、その子もちゃんときていた。

そして、向かった先は、彼の習っているカンフーの道場であった。まさかカンフーをしに行く約束になっていたとは思わなかったので、とりあえず見学でもさせてもらおうと思ってシフー(先生)と話していたのだけれど、なんか知らんが、

「このズボンを貸してあげよう。さあ、着替えてきなさい。」

と言われ、あれよあれよと、列に混じって「お願いします」なんていいながら、ちゃっかり稽古に参加しているではないか!!!その練習内容は、ハードで、とりあえず周りの人の動きを真似てみた。カンフーをするのは初めてだったのだけれど、空手と違って(といっても、空手も青空空手しか経験したことないけど)、より柔軟性を求められる武術だなぁと感じた。体の硬い私にはなかなか厳しいムーブメントが後半特に盛りだくさんだった。一度の休憩を挟んで、稽古が終了。確実に翌日の筋肉痛を予感させるからだの疲れだった。でも、久しぶりに思いっきり汗をかいて気持ちよかった。メヒコで空手にカンフー。なんでやねん。おもろいなぁ。

帰って、同居人にこのカンフー体験を話すと、

「じゃあ、次は一緒にジムに行こうぜ」

と、更なるエクササイズへの誘いを受けてしまった。

運動の街、グアナファトである。
 

June 17, 2011

狭間

「おなかが空いた。ご飯を食べたい。家でゆっくりしたい。」

しかし、これと同時に、

「家に帰る坂道が面倒だ。スーパーに本当は行くつもりにしていたけど、もはや面倒だ。」

が頭の中で戦っている。それを内部で勝手に戦わせているうちに本体は何をしているのかというと、インターネットである。しょうもない。(私が。)いや、このおもちゃは本当に恐ろしいな。30分や1時間があっという間に過ぎていく。日が沈むまで歩くのが暑いから、どうしても家に向かうのを渋ってしまう。

宿題もちょっとしていたんだけれど、インターネットがあると、つい、ついそちらに気が向いてしまう。明日の授業のために、「グアナファトの伝統的な祭り/祝い事」について、今週は町の顔見知りになった人たちに協力してもらって、インタビューをいくつかしたのだけれど、率直な感想は、「メヒコの人は、おしゃべり好きやなぁ」。

質問は、「グアナファトで一番知られている伝統的なお祝いは??」なのに、気がつくと、3つ4つとどんどん教えてくれている。ありがたいけど、どうやってまとめようかなぁ。今夜が山田。

遊び

昨日は、なんだかめちゃくちゃ暑かった。たまっていた洗濯物を手洗いすると、すっかり疲れてしまった。労働したので、近所の酒屋までひとっ走りして、すきっ腹にビールを流し込んでなんか心地よいですねぇ~、と一人でにやにやしながら宿題をしていたところに、同居人が帰ってきた。

「今日、月めっちゃきれいで」

と教えてくれたので、早速屋上に見に行くことにした。すると、きれいな満月。しかも、月光がめちゃくちゃ強くて、雲が透けて見えるくらいだった。屋上に上ると、

「ここからcuetesをするとおもしろい」

と言う。

「クエテスって何?!」

と聞くとジェスチャーで説明してくれて、どうやら「花火」のことらしい。それが分かり、「花火めっちゃおもろいよなぁ~!!」と言うと、

「花火したい??」

と言ってきた。

「え!!!持ってんの?!」

と驚いて聞き返すと、「おうよ、ちょっと待って」と言って、部屋に花火を取りに行った。持ってきたのは、日本で言うところのロケット花火。マッチとそれを持ってまた屋上に上がって、レッツ花火!!

風が強いのでマッチを擦っては消え、擦っては消え、で苦戦したけどついに点火。ロケット花火はぴゅーーーーっとええ音を立ててその辺に消えていった。久々に花火をしておもしろかったのはもちろんのことだけど、驚いたことに花火はイリーガルなんだそう。つまり、「したらあかん」と言うことである。

小さな道が多いので、どこに飛んでいって、誰にあたるかわからないという危険もあることから禁止されているのだそうだ。でも、クリスマスや新年にはあちこちで一日中花火が打ち上げられているらしい。日本だと、花火は夏の風物詩、と言うイメージなので、冬にだけ花火が打ち上げられるのはなんだか不思議な感じがする。でもそういうわけで、この時期には花火を買うことはできないのだそうだ。3発だけ残っていたので3発とも全部打ち上げた。見つかったら罰金らしいので、そそくさと家の中に戻っていった。

どこかに飲みに行く夜遊びもおもしろいけど、この手の夜遊びはスリルがあるからもっとおもしろい。ティーンの同居人を持つのはおもしろい。

June 14, 2011

名詞

日本語の名詞には、男性名詞や女性名詞といった区別、あるいは冠詞がつくこともない。英語は、aとかtheとかの冠詞はあるけど、性別はない。しかし、スペイン語にはある。ドイツ語を大学で第2言語として勉強していたときにはじめて、名詞に性別があるという概念を知ったのだけれど、その時はお手上げであった。その時の先生が、なんかいつもやたらと汗をかいていて、それはもう病的な量で、よく休校になっていたりしたので本当に病気だったのかもしれない。そんな先生だったので、教えるのもなんだかもひとつで、と言えばただの言い訳なのかもしれないけど、ドイツ語はまったく身につかなかった。彼の授業で記憶に残っているのは、「ドイツに行ったらヴィーナーシュニッツェルという料理がおいしいから食べたほうがいい」、と言うことと「ドイツ人に混じって話していてそのほりの深さに慣れてしまい、家に帰って自分の顔を鏡で見たときに、あまりにのっぺらした顔で驚いた」というしょうもないエピソードだけである。

話はそれたが、その「名詞の性別」がスペイン語にも存在するのである。ドイツ語のそれに比べれば、スペイン語のはまだシンプルだと私は思う。例えば、maestro(先生)と言う単語がある。男の人が「わたしは先生です。」と言うときは、maestr"o"になるのだけど、女の先生になると、maestr"a"になる、と言った具合だ。-oで終われば「男性名詞」、-aで終われば「女性名詞」と覚えておけばいい。しかしまぁ、何にでも「例外」と言うものが存在するので、そのルールにのっとっていないものもある。ちなみに、男性名詞の冠詞は"el"で、女性名詞には"la"がつく。

週末に、友だちがグアダラハラから遊びに来てくれていて、callejon(小さな裏通り)を歩いていたときに、

「犬のpopo(フン)に気をつけて!!el popoに!!」

と言うと、

「違うよ、popoはla popoだよ。」

と訂正された。えええ!!!-oで終ってるやん。それなのに、なぜに「LA POPO」?!う~~~ん、納得がいかない。しかも、pipi(おしっこ)もel pipiではなく、la pipiと女性名詞なんだそう。え~~~。なんで~~?!ウンチだのおしっこだのが両方揃って女性名詞ってどういうことなのだ?!友だちに理由を聞いたけど、「分からない」とのこと。ただ分かるのは、popoは絶対に女性名詞なんだそう。

今日ふとそのことを思い出したので、学校で先生に質問してみた。(小学生男子のようなあほな質問であることは百も承知で。)すると、popoは幼児言葉で、「フン」は正しくは「caca」というらしい。その先生曰く、「cacaという響きはなんか汚いから、popoの方が好んで使われる」んだそう。その、「caca」の響きが汚いと言うのは、外国語としてスペイン語を勉強している私には理解しづらい感覚なのだが、日本語で言うところの「うんこ」と「うんち」の与える微妙なニュアンスの違いととらえたらいいだろうか。

だから、正しくは"la caca"なので、「ウンチ・フン」という単語自体は「女性名詞」になるらしい。だから"caca"のかわりに"popo"を使っても、元々が女性名詞なので、そのまま"la"という女性名詞に対する冠詞がつくんだそう。いやぁ、何ごとにも理由があるのだなぁ、と妙に関心。

めっちゃ真剣な顔つきでこの日記を書いているので、周りにいる人は、まさかあのアジア人がうんこについて熱くタイピングしているとは夢にも思うまい。ということで、日が暮れて歩きやすい時間になったので、帰ろう。

June 10, 2011

セニョーラ!!!!

毎週水曜日に、家にそうじをしてくれる人が来てくれる。キッチンとかの共有スペースや、トイレの掃除などををしてくれるのでとてもありがたい。

昨日は、ディエゴリベラの美術館でシネクラブによる無料の映画上映会の日だった。CRASHと言う映画で、遅れて到着したので初めの方を見逃してしまったけど、少なくとも私が見始めてから終わるまでは、こう、なんともいえない負の連鎖と「なぜ?!」の連続のすっきりしない映画だった。なんとも複雑な気持ちになるのは、本当にどこかで起こっている日常を切り抜いて見せてくれているのかもしれないと思うと、非常に重いテーマの映画だった。あとで調べてみると、2時間を切っている映画のはずなのに、ものすごく長い時間見ていたような気持ちになったのもそのせいだろう。

その映画を見終えて、帰宅。晩ご飯を食べて、いつものように宿題をしていて、最後に日記を書いていた。好きなアクティビティの一つで、学校で先生に添削してもらえるので、とてもありがたい。この映画のことをどう書こうかとうなっていたけど、何もでてこないので、カフェオレでも飲んで考えることにした。せっかくなので、お気に入りのカップでのみたいのでエコティアンギスで買ったカップを探していると、柄がないではないか……!!!!誰かが落として割ったんである。

そういえば、朝「がしゃーん」という音が聞こえた。せ、セニョーラ!!!そのあとに会って、あいさつしたのに、その時は何も言ってなかったじゃないか!!!言ってよ、一言!!!!!それに、卵の箱も勝手に捨てられていた。最近は、近所の野菜屋さんでたまごをバラで買っているので、スーパーで買ったときにゲットしたその箱はめちゃくちゃ重宝していたのにっ!!!セニョーラ!!!!

そうこうしているうちに同居人が帰ってきたので、一連のセニョーラの話をすると、

「ああ、俺もいつもやられている」

と言って、オートミールの箱を見せてくれた。そこにはシリアルが入っていた。セニョーラが、残り少なくなっていたシリアルと空のオートミールの箱を見て、「!」ピーンときたらしい。それをみて、「ははは」と力なく笑うしかなかった。セニョーラ!!!おれたち、苦笑いだわよ!!!

セニョーラの働きには本当に感謝しているのだけれど、なんか、家族に余計なことをされた気分がである。

June 02, 2011

前店


昨日は、移民のことがワカラン!!!とほえていたくせに、今日は一転、「前店」の話をしたい。驚きの落差。単細胞なので、いろんなところに気が散るので気になさらずに。

さて、前店と言えば、学校の前にあるから前店と呼ばれていると私は思っているのだけれど、日本だけのものかと思えば、ここメヒコにも存在したのでびっくりした。メヒコらしいなぁ、と思ったのが、前店が「即席」だと言うところ。おばちゃんやおっちゃんが毎日学校が終わる頃にやってきて、木の下などに店を広げている。日本の前店は、小中学生は買い食いが禁止されているので文房具や学用品、体操服を売っているというイメージだけれど、メヒコではお菓子を学校に持っていってもOKなので(近年は、肥満児が増えすぎているので、お菓子を持ってくるのを禁止している学校もあるそうだが。)、前店でも駄菓子を中心にお菓子やら飲み物が売られている。こなれたもので、机の上シートを広げて、その上にお菓子をきれいに陳列して、あっという間に立派なお店になっている。

学校を終わった子どもたちはかばんを、お迎えのお母さんやお父さん、ばあちゃんやじいちゃん、あるいは年上の兄弟に預けて、小銭を持って前店に群がり、好き好きにお菓子を買って、しばらく学校の周りにたむろしている。迎えに来た家族も、しばらく子どもたちを自由に遊ばせている。小さな街なので、学校に運動場はないらしく、石畳の広場が子どもたちの遊び場だ。どの学年も同じ時間に学校が終了するようで、たぶん12時半か1時前後には終わっているっぽい。メヒコの昼ご飯は2~4時くらいに取るのが普通なので、給食は無く、帰ってから家族と一緒に食べるのだろう。基本的に走り回って、何が楽しいのかきゃっきゃと爆笑しているのだけれど、学年関係無しに、小さい子が大きい子と遊んだり、大きい子が小さいこの相手をしてやったりしているのは、いい関係だなぁ、と思う。しばらく観察していると、ルールもコースもめちゃくちゃなリレーごっこをしていたり、ジュースを持って、とにかく走ったりわけが分からなくて、おもしろい。手をつなぐ子もあれば、いざこざでもめている子もいる。メヒコの子どもたちは、いい顔をしているなぁ、本当。目が大きくてまつげが長いからかわいいとか、そういうのではなくて、中から何かきらきらしたものがが溢れている。そうかと思えば、なんかお金がたりなくなったらしく「セニョリータ、ちょっとお金もらえませんか??」と聞いてきたりするからびっくりである。(悪気は一切ないらしい。)

全ての子どもたちがはけるのが大体2時前。その頃には、前店のおばちゃんたちもさっさと店を固唾家て、商売道具を手提げ袋にいれてどこへとも無く消えていく。どこを切ってもメヒコっぽいなぁ、と私は思うのです。

June 01, 2011

移民

たまげた。タイトルの移民問題についてである。

その後、同居人の男の子とは結構しゃべるようになって、驚くべきことに、彼を語学学校に復学させることに成功したのである。メヒコ人の両親を持っているけれど、アメリカで育ったためにスペイン語は彼の第一言語ではない。(とは言っても、私よりはかなりレベルは高い。)しかし、完璧にしゃべれているのかと思いきや、まだまだ修行が必要らしく、基本的に俗に言うSpanglish(スパングリッシュ:英語とスペイン語のちゃんぽん)でしゃべっていることが分かってきた。前にも言ったように、会話のクラスは一人で受けるよりも誰かがいたほうが絶対にいいので、修行が必要だという同居人を巻き込めばお互いにメリットがあると思い、同居人のいとこである学校のディレクトール(一番えらい人)に、「ちょいと彼に会話のクラスを取るように言ってもらえませんかねぇ~」と頼んでみたのだ。言ってから、ちょっとノリで言ってしまった感は拭えないし、普段から「もう語学学校にはもどらねえ」「宿題はしねえ」宣言をしている、言っても18歳の男子である。このアイディアがばれたら本気でしばかれる……!!!とひやひやしたけど、家に帰ってきて宿題をしている私に向かって、

「おい、来週からクラスを取ることになったから!!」

と報告してくれた。

前置きが長くなってしまったけど、そういう経緯で今週から会話のクラスを一緒に受けている。(いつまで受けるのか知らないけど。)昨日は一発目で、お互いに質問をしあう、と言うベタなアイスブレイキング的なレッスンだった。私にしてみれば、「なぜ家族と離れて、メヒコに住んでいるのか?!」というのがとても気になっていたので、質問はそこに集中した。

いろいろ聞いていると、彼はアメリカに不法移民として住んでいたらしいと言うことが分かった。両親は彼よりも長く住んでいるので、いわゆる"Paper"(合法滞在のための書類。ビザ??)があり、妹たちはアメリカで生まれたのでアメリカ国籍だか市民権だか知らないけど、とにかく住む「権利」と言うものが保障されているのだそうだ。問題は、同居人である。彼はメヒコで生まれたので、住む「権利」と言うものがないらしく、15年住んだのでアメリカには住めなくなってしまったらしい。ややこしいことは分からないけれど、また2~3年すれば住む「権利」が復活するらしいのだが、ちょっと、待ってくれよ、である。

ちょっと待ってくれよ、はもちろん、アメリカに対してである。いくら不法で暮らしていたとはいえ、「15年経ったから、もう住めないよ。さあ、国に帰りなさい。」はひどくないか?!そこで生まれた人は何も問題なく住めて、生まれた場所が違う国だからと言うだけで、帰してしまうのはあまりにもひどい。別に不法入国や滞在に賛成しているのではなくて、「そのあと」のことがちゃんと保障されていないところに疑問を感じる。大人になってからではなく、子ども時代の15年は長い時間だ。いきなり、「本国」と言われても、文化も言語も教育も違うところに放り込まれるのと同じこと。そこでどう生活を始めろというのだろう。(大半は家族や親戚を頼っていくのだろうが。)アメリカで高校を卒業していても、メヒコではそれは通用しなくて、例えば大学に入ろうと思えばメヒコの高校を卒業していないとだめなんだそうだ。なんだか、当人にとても不利な条件だらけではないか??ポジティブに考えれば、育った国と違う国で暮らすチャンスととることもできなくもないけど、もしも住む「権利」があったら、どちらか選択できる。選択肢が無く、育った国を離れるのとは雲泥の差である。

ううううううん。

なんだか納得がいかない。別の友だちに、同じくメヒコ人の両親を持っている子がいる。彼女の両親もまた不法移民としてアメリカにやってきたらしい。彼女はアメリカで生まれたのでアメリカ人として問題なく住めるのだが、両親は長いことグリーンカードを取得できなかったんだそう。

不法移民の問題はアメリカでは大きな問題だ。前述の友だちは現在、アメリカに暮らすヒスパニック系の子ども(中学生・高校生)がきちんと学校を卒業できるようにサポートする仕事をしている。残念ながら、ヒスパニック系の生徒たちの学校のドロップアウト(退学)率は、白人系の生徒たちよりも高いのだそうだ。理由の一つに、ここでも「言語」が挙げられる。家やヒスパニック系のコミュニティではスペイン語が話されているので、英語力が追いつかなくなる現実がある。ドロップアウト率が高いのと同時に、高等教育(大学)進学率も低いのだそうだ。これらの現状は、個人で解決できることではないので、国や州など自治体をあげて取り組む必要があると思う。チャンスと機会を提供し、移民のコミュニティ全体をサポートしないと、悪いサイクル(低学力、治安の悪化など)にはまる一方ではないかと私は思う。

だから、である。15年だかなんだか知らないけど、いきなり「住む権利」を剥奪されてしまう現実があることに納得いかない。なぜ??日本人の友だちにも10年以上もアメリカの学校で学んだり働いたりしている人がいるけど、その人もいまだにずっとアメリカに住み続ける「権利」を持っていない。その間きちんと税を納めたり、国に貢献したりしているのにである。そうかと思えば、アメリカ人と結婚すると住む「権利」が簡単に(現実には各種手続きがあって簡単ではないのかもしれないが。)もらえたりする。

わからん。わからんぞ。

全ての人は平等ではないのかい??