June 29, 2011

学校の話

現在、生徒が私以外にいないという奇跡的な語学学校に通っている。その後、生徒が増えたかと言うと、どうやら現在は私以外にも生徒がいるらしい。でも、私とは違うレベルなので、残念ながら顔を会わせたことはない。(学校の名誉のために一応書いておくが、英語のレッスンのコースもあり、そっちは盛況そうだ。)

あんまり新しい文法ばかりしても使いこなせないしな、と言うことで会話のクラスを多く取ってみたり、文化のクラスを取ったりしている。メヒコの文化のクラスでは、先生の大学の時の専攻が歴史で、しかも高校で歴史を教えていたこともあるというわけで、言うなれば、歴史おたくである。そんな人の授業を独り占めできるとは、これはめちゃくちゃ贅沢。これが大学の講義ともなれば、話を聞いてノートを取ってわからないところがあっても後で質問したり調べたりすることはできてもとりあえず授業中はそのまま流れていく……、ということになるんだろうけど、一人なので好きなときに質問をできて、あほな疑問をぶつけることもできる。文法の授業にしてもそう。このブログにもちょくちょく言葉の話を書いているように、私は語学馬鹿なのでしょうもないことによく引っかかる。「はい~、はい~、そういうもんですよね~」、と受け入れればいいのだろうが、環境もいいので、ついつい質問攻めにしてしまう。その質問がカタコトと言う危うさなのだが……。

中級レベルから、メヒコの文化やら神話やら、文法以外のクラスも受けられるので、せっかくの機会なので今週は「メヒコの音楽」と言う授業を受けてみることにした。月曜日にhorario(時間割)をもらうと、見慣れない名前が載っていた。月曜日にめちゃくちゃ遅刻してきて、しかも次のクラスの時間にずれ込んで終わるという、そして、今日(火曜日)も若干遅刻気味で現れると言う輩である。なんか、クラスの意味がよく分からないのだけれど(歌詞の聞き取りをさせられるのだが、聞き取れなかったら何回もそこばかり聞かされて、通しで聞いたことが、今のところないという……。)、来週は彼の授業を取るべきか取らないべきか、今から懸念している。というのも、彼はたぶんゲイでしぐさがかわいらしく、彼の話を聞く分には楽しいのだ。ただ、たくさんのインフォメーションが書かれた紙を渡されても、授業中には特に取り扱うわけでもなく、授業としては「何をaprender(上達する)するためのものなのかようワカランなぁ……」なのだ。人はいい、授業は微妙。さて、どうしよう。

音楽についてもう少し話すなら、個人的に興味があるのは、「ナルココリードス」という種類の音楽だ。メヒコの文化の授業で、脱線したときに教えてもらったのだが、まず、corridosについて説明しなければならない。メヒコでは、歴史や出来事が歌で伝えられていた歴史がある。例えば、ある人物について、彼はどういう人で、どこでいつ何をした、と言うことが一枚の紙に書かれている。それが歌詞カードとなり、ギター弾きのおっちゃんなどがそれにメロディーをつけて、いろんなところで歌うのである。もちろん全ての歌詞暗記するわけではないが、人々はそれを繰り返し聞くうちにその人や出来事について知った(学んだ)のだそうだ。この文化がなんと今も存在するらしい。それが、ナルココリードスというものである。ナルココリードスの、「ナルコ」とは、もちろんナルコスのことである。(麻薬の密輸グループ)メヒコ治安の悪化の最大の原因に、このいわゆる麻薬戦争と呼ばれているものがあげられる。それについてのコリードが今リアルタイムで存在するとは、驚きである。YouTubeで検索するといろいろでてきて、聞いてみたけど、何を言ってるか聞き取れないから音楽だけ聞いていると、陽気なメヒコの音楽、という感じである。機会があれば、歌詞を検索して、どんなことが歌われているのか、覗いてみたいものである。

メヒコの歴史を勉強しているととてもおもしろい。今も昔も、良くも悪くも、結局何も変わっていないのである。週末などに市が立つ(tianguis:ティアンギス)が、ティアンギスの歴史も長い。アステカ王国の時代にまでさかのぼるのだそうだ。ナルコスの歴史も、さわりだけだが教えてもらったが、これも興味深い背景がある。麻薬戦争は終わってほしいけど、ここまで激化しても尚沈静化を見せないのは、需要があるからに他ならない。全ての問題は、根が深い。そして、理由がある。滞在が短いと、どうしても明るい部分しか見えてこないが、必ず暗い部分もある。それを、こうしてさまざまな角度からこの国を見る機会を持てて、ますますメヒコが好きな今日この頃である。

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