June 25, 2011

メキシカンアメリカン

言語能力において「環境」が及ぼす影響のでかさを目の当たりしてしばしば打ちひしがれる。日本語にしたって、育ってきた環境で各人それぞれの日本語をしゃべっている。私が驚いたのは、日本語の「標準語」がしゃべれると信じていたのだけれど、どうもできないらしい。精一杯標準語のイントネーションや発音をしているように努力しても、できない。どうしても強いアクセントが出てしまうようだ。母国語でもそうなのだから、外国語でそのアクセントが出てしまうのは当たり前で、しようがない。だから、これは外国語に取り組むときに気にしすぎてはいけない。アクセントが強すぎて通じないときは悲しい思いをしなければならないけど、それもまぁ、仕方ないと割り切るしかない。逆に、なまっているけどなんか一生懸命に話そうとしているぞ、こいつは、と温かい目で見てもらえるときもあるから、デメリットだらけと言うわけでもない。そして、私は言語馬鹿なので、なまった話し方を聞くとにやにや聞き耳を立ててしまったりする。

私の育った言語環境と言うのは、関西に生まれたので関西弁がベースである。そして、他言語はそこに一切介入しない。だから日本語(関西)のみで育った人と言うことになる。ブログにもちょくちょく書いているが、最近はあの謎だった同居人と結構仲良くなってきたので、家にいてもいろいろ話をする。会話のクラスを一緒に受けていると、彼もまた第一言語「英語」のアクセントに悩まされているらしく、よく発音の訂正を食らっている。しかし、彼の語彙力、言い回しの豊富さは歯が立たない。私は語彙力が弱いので、よく先生が何を言っているのか分からないことがあるのだけれど、彼は聞き返すこともなく、全て理解できるらしい。どうやってそんなに上達したのか聞いてみたけど、「映画観たり、雑誌読んだり、曲聴いたり」と言う答えであった。確かに、映画をたくさん見ている様子だけど、たったそれだけであんなになるものだろうか、と常々不思議に感じていた。このあいだ、家族のビデオを見せてもらった時に、その疑問が少し解消された気がする。

子どもばかりが出てくる映像では、みんな英語を話しているのだけれど、大人たち(移民組)がでてくると、そこで飛び交っている言葉はスペイン語であった。メヒコでは、家族・親戚の集まりはとても大切で、また兄弟が多いので家族が大きい。何人いとこ出てくるねん!!というくらいにいとこまみれで驚いた。メヒコ人に限ったことではないけど、移民しても同じ民族でコミュニティを形成されることが多い。いわゆるチャイナタウンとか、日本人街とかができるのは、たぶんそういう理由からである。話がそれたけど何が言いたいのかというと、この「環境」である。彼らにとって、スペイン語が飛び交うのは日常なのだ。

確かに、この環境は子どもたちの言語習得を難しくもする。つまり、英語を学校でしか話さないので英語力が追いつかなくなる場合がある問題もある。その一方で、スペイン語を第二言語として習得しようとしたときには、知らず知らずのうちに基礎が蓄積されているのである。移民を果たした世代(ファーストジェネレーション)の中には、英語をしゃべれない人たちがたくさんいると言うのを聞いたことがある。しかし、その次の世代(子どもたち)はバイリンガルになる確率が極めて高い。私が今まであったメキシカンアメリカンは、全てそうなのではないだろうか。友だちも、その職場の人も全員スペイン語と英語を完全に入り混ぜて話していて、「すごいですね」というと、「2ヶ国語をそんなふうに自分が使っているとは考えたこともなかった」という答えが返ってきてぶひゃーと、驚いた覚えがある。彼らにすれば、それが普通の「環境」なのだろう。

そういう環境にいて、メヒコに住む機会がない人もいるだろう。でも、そこで蓄積されたものは極めてでかい。それを持ち合わせていない私は、正直彼らがものすごおおおおおおくうらやましくなるときがある。だから、自分のスペイン語能力(あるいは英語能力)があほみたいに感じる時があり、本当に、ただ、そういう環境で育った人たちを見ると、「うらやましい……」と羨望のまなざしで見てしまう。……自分の努力不足には、目をつむってしまっているかもしれないが。

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