October 21, 2010

たこ焼き

最近気にかけているというか、気にしてばっかりなのはそう、たこ焼きのこと。たこ焼き器を送ってもらってからというもの、たこを常備するようになり、1週間に3~4回たこ焼きをしていると言う具合である。もはやあほと呼ばれても仕方がないし否定もしない。たこ焼き粉も一緒に送ってもらったけど、せっかくおいしくできる魔法の粉は一人のときに使うのは勿体がないと言うもの。友だちとたこ焼きを食べるとき用にとっておくとして、自分で食べるときは専ら「小麦粉」である。

そうさ、たこ焼き粉なんていうものは、所詮近年開発されたニューウェーブ。そんなものがなかった時代にもたこ焼きは存在したはず。と言うわけで、日夜小麦粉で作るおいしいたこ焼きを目指している。そのためには、たこ焼きの歴史なんていうものも学んでおかないとな、と思いつき、インターネットで調べたところ、どの道にもエキスパートはいるもので、詳しいたこ焼きの歴史を知ることができた。

それによると、大阪のたこ焼きの、外はかりっ、中はとろっ、と言うのは、小麦粉を節約するために水の分量を多くしたことから始まったらしい。どけち根性が、あのとろとろのおいしい食感を生み出したのか、とその精神に感動しつつ、同時に思い出したのは、スカイプ越しに叫んでいた大阪出身の友だちのセリフ。

「もっとしゃばしゃばにせな。もっとしゃばしゃばに!!!!」

小麦粉の量を減らして、水の量を増やせば確かに生地はしゃばしゃばである。さすがたこ焼きの町の娘だ。感心。ただ、水の分量が多すぎると、生地が火を通しても固まらず、ひっくり返すのが困難になるという難題にぶつかる。だから、その「黄金比」を見つけ出すことが目下の課題で、それとともに、ひっくり返す技術の向上も求められているのだった。

今日の昼ご飯も例によって、たこ焼きを作ることにした。過日作ったときはあまりに水が多すぎて、散々たるできばえで、それにびびってまたあくる日作ったのは水が少なすぎて、しかもダラダラひっくり返していると、口をパカっとあけたお化けのような気持ちの悪い、そう、またしてもひどい出来なのであった。それが気がかりで、近日中にその中間くらいの水と小麦粉の配合で作らねば、と思っていたのだ。いちいちメモっていないので、結局いつも目分量になるのだが、今日の配分は理想に近い「外カリ・中とろ」で、胸のつっかえが一つ取れた心地だった。

しかも、今日はお好み焼きソースではなく、出しにつけて食べると言う明石焼き作戦に出た。というのも、前述のような異常な頻度でたこ焼きを食べているので、ソースの減りも同じく尋常ではなかったのだ。メヒコにおいては、お好み焼きソースはいうまでもなく貴重な品なので、湯水のように使っていては自分の首を絞めることになる。そこで思い出したのが「出しで食べる」と言うあのアイディアである。だしは適当にこしらえて、まぁ、なんとなくいい感じになった。しばらく浸してやわらかくして食べると、おお、ソースで食べるときとはまた違う新しさ。そして、美味。

これで、たこ焼きはソースがなくなったとしても、たこ焼き粉がなくなったとしてもうまく食べられる。……といいたいところだが、一つまだどうしても解決できていない大問題がある。たこ焼き粉で作ったときは全然こびりつかなかったのに、小麦粉で作るようになってから鉄板にこびりついて、うまくひっくり返せないとうえに、後片付けが大変という弊害まででてきているのだ。

いかん、いかん、早急に解決しないと、と思い、またまたインターネットで調べてみると、世の中には同じようなことで困っている人がいて、それにこたえてくれる親切な人もいるもので、原因はどうやら「油が足りない」と言うことらしい。

試してみるべき解決策がわかると、すぐにでも試してみたくなるのがこれ人情。今晩も、たこ焼きになるのか、さてはて。

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