April 22, 2011

カルチャーショック2

私の場合、大きなショックというよりも小さなことでびっくりすることの方が多い。この間は、バスで驚くことをたくさん書いたが、そういうやつである。

例えば、コンセント。PCを使ったり充電器を使ったりするときにコンセントをプラグにつなぐが、差し込むと、

『カチッ』

と音を立てることに驚いたりする。メヒコのは、基本的に(少なくとも私が住んでいたアパートのものは)、ぐらぐらなので、差し込んでもプラグの重みと重力で斜めに落ちてくるので、カチッとぴったりはまるのは本当に驚いた。

それから、お釣りの件。ドル以下のセントの扱いについてである。メヒコでは、ペソ以下の単位はセンターボといって、ドルで言うところのセントのようなものだ。しかし、例えば"20.31ペソ"のお釣りの表示が出たとしても"0.01"の小数第2位の金額については切り下げあるいは切り上げられる。単純にその単位のお金(1センターボ)がないからなのだが、レシートとの表示と違うし、切り上げるか切り下げるかはキャッシャーの独断である。だから、同じ金額でもキャッシャーによってお釣りが多く返ってきたり少なく返ってきたりする。逆に言えば、小数第2位の金額は、切り下げられたら自分が支払うときには払わなくてもいいのである。しかし、アメリカでは1セントというものがあり、レジに表示されたのと全く同じ金額のお釣りが返ってくる。こ、細かいな~~!!とびっくりしてしまった。

また、街で歩く人をみると、「首コルセット」をしている人を見かけないのも驚きだ。(そういえば、アメリカに来てからまだ一人も見ていない気がする。)メヒコは、運転が荒い人が多いから交通事故が多い。町なかでぶつかって、当事者同士が保険会社を待つ光景もよく見かける。あるいは、「ガシャーーン」と派手に車がぶつかるような音が聞こえてくるときがある。それゆえ、事故による鞭打ちの人が多いようで、首コルセットの人をよく見かける。ひどいときは半日歩いているだけで4~5人は見かけるときがある。しかし、アメリカでは3週間いてもまだ1人も見ていない。す、すごい!!事故関連では、足がない人も見かけない。メヒコでは、事故で複雑骨折をしてしまうとそのまま切断されてしまうケースが多いんだそう。実際、片足がない人を結構見かけたりする。アメリカでは、そのような人はまだ見ていない気がする。

アメリカでもメヒコでも、電動カートに乗っている人をしばしば見かけることがある。メヒコの場合は、店内であったり、老人が乗っているケースが多い。しかし、アメリカでは中年くらいの人も乗っているので、友だちに尋ねると、「肥満すぎる」のが原因なんだそう。太りすぎて、ひざに負担がかかり長時間歩けないので電動カートに乗っているのだそうだ。う~ん、衝撃。そんなあほな!!両国とも肥満人口が多いことで有名だが、全体的にみんなぽっちゃりしているメヒコに比べて(食べ物が原因だと思われる。主食がトルティージャなので、炭水化物の摂取量が多い)、アメリカの肥満の人の肥満っぷりは限度を超えている人をよく見かける。かと思えば、猛烈に走りまくってエクササイズをして細くて健康的な人もたくさんいる。両極端だなぁ、と思いながら両者を眺めている。

あと、アメリカのバスターミナルはこわい。というか、不穏な空気が流れまくっている。メヒコでは、バス(市バスも長距離バスも)は、「市民の足」として使われているが、アメリカでは少し勝手が違うようだ。車社会で車検もないので、日本では考えられないくらい安く中古車が買えるらしい。その「安い車」ですらを持っていない人たちがバスユーザーとなる。学生であったり、車をもてない貧困層であったりする。だから、バスの中やバスターミナルに行くとあまり安全な気がしない。ホームレスの人たちもとてもアグレッシブな気がする。バスターミナルのベンチに腰を下ろろうもんならすかさず近寄ってきて、「金をくれ」と言ってくる。しかもなんかみんな目が据わっていたり、様子がおかしくて嫌な感じがする。昨日、長距離バスに乗ったときに、禁煙であるにもかかわらず車内でタバコを吸った人がいたらしく、途中の駅でおろされていた。そして、発車するバスに向かって罵声を浴びせていた。がーーーーん。である。

いい驚きも、悪い驚きもある。でもそれが現実なんだなぁ、と目をつむらずに見ておこうと思う。

April 15, 2011

国際理解

この間、Skypeのキャンペーンのメールが届いた。何でも、そのクーポン番号を入力すれば、世界の40カ国以上の固定電話に無料で電話が1ヶ月間かけられるんだそう。早速使って、日本にかけてみた。無料ならば、とおばあちゃんの家にも電話をかけることにした。

あまりに久しぶりにかけたので、おばあちゃんも最初私が誰だか分かってなくて、「おばあちゃん??」と連呼しまくって、まるでオレオレ詐欺みたいやな、と思いながら、なんとか誰だかわかってもらうことができた。こっちはインターネットの回線を使って、日本の固定電話にかけられるなんて、便利な世の中になったもんだなぁ、とすっかり感心してしまった。こんなところでも、世界の小ささを感じる。

おばあちゃんと話していると、先日の地震の時に世界各国からすぐに日本に救助隊が送られた話になった。そして、その救助隊の中には、メヒコの救助隊も含まれていた。私がメヒコにいるから、メヒコの人たちがはるばる日本まで助けに来てくれたことにおばあちゃんは感動したんだそうだ。私もそのニュースの画像をインターネットのストリーミングのニュースで見たとき、なんだか無性にうれしくなった。

もし、私がメヒコに来ていなかったら、同じようにニュースをとらえただろうか??

とふと考えてみたけど、もしかすると、そこに「メキシコ」という国名を見ても救助隊を送ってくれた国の一つとしか受け取っていなかったかもしれない。私はメヒコに2年お世話になっているという点で、またおばあちゃんは、孫がメヒコに暮らしているのでその名前を聞くと気にかけるようにしているという点で、メヒコに関心を寄せている。もっと平たく言えば、興味を持っている。

私がオーストラリアにいるときに、バッパーで出会ったドイツ人の友だちが、何年か前に日本に遊びに来て再会を果たし、その時におばあちゃんの家に泊まったことがある。日本語が全く話せないドイツ人の友だちと、ドイツ語も英語も全く話せないおばあちゃん。私が間に入って仲介役を務めた場面もあるけど、二人でいたときもどうにかこうにかコミュニケーションをとっていたようだ。その子がおばあちゃんの家にステイしている間に、ALTとして日本で働いていた日系カナダ人と、南アフリカ人の友だちも晩ご飯をおばあちゃんの家に食べに来た。

「どこに住んではるの??」

の質問に、

「泉佐野」

という予想外の答えが返ってきて、おばあちゃん的にはそれがかなりのインパクトだったらしい。

さて、それ以来、である。ただの世界の国の一つだったドイツやカナダや南アフリカが、「気になる国の一つ」に変わったのである。その変化は意識だけの問題である。実際にその国に足を運ぶとか、そういうレベルのものではない。しかし、この意識の変化こそが、国際理解においてものすごく重要なんだということを、今回おばあちゃんと話していて感じた。

今までなんでもなかった国が、「なんとなく気になる国」になって、その国名を聞いたり見かけたりすると、ちょっと立ち止まってみる、耳を傾けてみる、目を通してみる。そうしてその国のことを気にかけていると、意外なところで自分の国と関わりがあることを発見したりする。例えば、すごく小さなことだけれど、スーパーに行って「メキシコ産」と書かれたアボガドを見つける。「●●のいるメキシコではこんな野菜が育つんだな。買ってみようかな」という風にその国のことを考えるようになる。そうして、その国のことをもう少しって、また少しその国が特別になったり、好きになったりする。そういう小さなことの積み重ねが国際理解と呼ばれるものに繋がるのだと私は思う。無知は偏見にしか繋がらないから、相互理解には、まずは知るところからはじめなければならない。

みんなが他の地域や国のことに「興味を持つ」ことが、「姿を知る」きっかけになり、それがやがて、どういう風に関わるとお互いによいのかを考えさせてくれるのではないだろうか。全ての人が互いを気にかけ、助け合うことができれば、それが理想だ。だからこそ、先日の各国の救助隊のすばやい行動には心を打たれた。

おばあちゃんが、こんな風にメヒコやドイツやカナダや南アフリカのことに興味を持って気にかけているなんて知らなかったから、驚いたけどすごくいいことだなと思った。私がそのきっかけになれたのならそれは光栄だし、そういう風にどこかへ足を運んで、そこの現状をその他の人(身近な人から)に伝える人が不可欠だと思った。その数は、きっと多い方がいい。聞くと見るとでは大違いだから。

そんなことを考えさせられた電話だった。

April 12, 2011

カルチャーショック

その国の文化というものは、やっぱり、離れてみると逆に鮮明に感じたりするものだ。日本から見たら、アメリカもたいてい大雑把ないい加減なイメージがあるかもしれない。しかし、メヒコからやってくると、この国はなんてきちんとしているんだろう、と言うことに驚かされることが多々ある。

例えば、バスがバス停でしか止まらないということ。メヒコでは、とりあえず角っこに立って試しに手をあげてみればバスが止まってくれることが多い。だからバス停のサインもあってないような、なくてあるようなものだと思っていた。しかし、この国ではバス停はバス停で、それ以外のところでは止まってはくれないことに驚いた。

バスについてもう一件。上に書いたことと一緒だけど、少し言い方を変えると、バス停で止まってくれるということにも驚いた。メヒコでは、バス停といわれているところに立っていても「乗りたいんやけど!!!」という意思表示のために手を挙げないとバスは止まってくれない。そのために、いかにかっこよくローカルっぽく手を挙げるかさんざん研究したというのに、この国では、バス停のマークの下にぼけ~っと突っ立っているだけで、何の合図もせずにバスが止まってくれるんである。「あ、バス来たのに手を挙げ忘れてる!!!」と思ったときにはもうウインカーを出してバスが減速して止まってくれようとしているのだ。これには驚いた……!!!

バス関連で驚いたのはバス停だけではない。バスターミナルには時刻表があるし、バスが走りまくって同じ路線のバス同士が抜きつ抜かれつのチェイスを繰り広げることもないし、バスのどこに座ってもお尻は空に浮かないし、バスの運転手は制服を着ている。同じ路線同士ですれ違うときもバスを止めてぺちゃくちゃ話したりしないし、いきなり止まってコーラや昼ごはんを買いに行ったりする運転手もいない。ど、どうなってるんだ?!?!もちろん、流しのギター弾きやDVD売りが入ってきて車内でギャーギャーなることもないし、この子はまだ生まれたばっかりでしょう?!というまさに赤ら顔の赤ちゃんをやわらかい毛布にくるんで乗車してくるお母さんもいない。

うーん。バスだけでこれだけの違いである。まだまだ私のカルチャーショックは続く。

April 08, 2011

どたばたと

メヒコ出国までは、ほんま、ばたばたやった。特に、前日、当日はひどかった。しかも、前日はまさかの睡魔に襲われ、それこそ"mañana(まぁ、明日すればええわ)"の精神で思い切って寝てやった。

朝起きてももちろんパッキングが魔法のように済んでいるはずもなく、朝ごはんよりも先にパッキングに取り掛かった。初めて早々に、全然終わりが見えない事実に、呆然。同じ日に出国する友だちに電話して、彼女も途方に暮れているのを確認して、安心。……したところで状況が変わるわけはないのだけれども……。そうこうしているうちに、約束の時間になった。

その約束の時間というのは、スターバックスで働いている仲よくしてもらっていた店員の一人に、日本のお金を見せに行くというものである。シフトを聞いたら、昼過ぎには終わるというので、それまでに向かわなければならない。

パッキング or スタバ?!

もちろん、スタバを選ぶわけで、行くと、「ナンダコノヤロウ~!!」と出迎えてくれた。彼はなぜか変な日本語を少し知っているのである。日本のお札を見せると、

「すげぇ~~!!」

と、目をきらきらさせて見入っていた。コインは見たことあるらしいけど、お札を見るのははじめてだったらしい。かなり長い時間お札をネタに、ああだこうだと話していて、結局1000円札を、100ペソと交換することになった。「今日の晩遅くにもうグアダハラを出発するんや~」と話していると、同じ時間に働いていたほかの二人とも「さみしくなるなぁ~」とか何とか話していて、結局気がつけば1時間半以上もそこでうだうだとしゃべって過ごしてしまっていた。本当に、このスタバにはお世話になった。メヒコのスタバは比較的どこもフレンドリーなんだけれど、ここのスタバはどこの店舗とも違ういい雰囲気で、ほんまにたくさんお世話になった。グアダラハラに帰ったら、絶対に行こう。しかし、それまでにバイトやめんといてや~~~!!!!

さて、スタバのみんなと別れて向かうは、ブリトー屋さん。ここも世話になったから、店のおっちゃんにあいさつをしたかったのだ。昼は近くの医学生でずいぶんとにぎわっているし、パッキングも終わっていないので持ち帰りで買って帰ることにした。おっちゃんは忙しそうにしていたけど、私の顔を見るや否や、

「おまえ、日本の家族は大丈夫だったか??震災のニュースを見て、ずっとそれを聞きたかったんだ」

と言ってくれた。日本のことをみんなとても心配してくれている。とてもありがたい。家に帰ってブリトーをほおばって、もう一度山盛りの荷物と向き合った。時間的には追い込まれることになったはずなのに、不思議とパワーが沸いてパッキングを終わらせられる気がした。

めどがついて、「絶対に入らない」と言うこともわかった。がーん。となりつつ、友だち二人にアメリカから戻るまで与ってもらえることになった。ふう……。ほんまに助かった。これは感謝してもしきれん。ありがとう……!!!!!!

荷物をつめて、片付けて、床をふいて、取り外していたドアを取り付けなおして……、ちゃくちゃくと家が片付いていった。片付くにつれて、達成感もあるのだけれど、もうここには住めないのかー、と思うと無性にさみしくなった。全部が終わった頃、晩ご飯時になっていた。

「タコス、やってるかなぁ……。」

と真っ先に思いついたのはタコス屋さん。友だちと行こうな~、といっていたけど、結局全員パッキングやらいろいろ忙しくて行けていなかったのだ。一人タコスもなぁ、と一瞬思ったけど、いや、これは食べとかなあかんやろ、と思い直して小銭をポケットにジャラジャラ入れて家を出た。

タコス屋につくなり、お兄ちゃんとおばちゃんが、

「あれ、あんた、友だちは??」

と心配してくれる。メヒコの人たちは、顔見知りになったら本当に親しくしてくれる。家族のことを心配してくれたり、友達のことを心配してくれたりする。そう言うことを当たり前のように気にして聞いてくれるときに、「ああ、アミーゴ(友だち)の国だなぁ」と実感する。別に、今回日本で大震災が起こったからではなく、それが当たり前なのだ。みんなが交わす、

「Hola!  Como estas?」や、「Hola!  Que tal?」

というあいさつがそれをすでに語っている。

「こんにちは、元気??」、「こんにちは、調子はどう??」

相手のことをこんなにもドストレートに気づかえるこのメヒコの文化は、素晴らしい。この国に暮らすことによってそれを学ぶことができたのは、本当に、私の大きな宝物だ。

アメリカの日々

3月の末でメヒコでのビザが切れた。それにあわせてアメリカに来ている。気がつけば、もう1週間も経っているではないか。3月のメヒコもばたばたと過ぎて行って、少し落ち着くためにここにやってきたけど、ここでもなんだかんだと日々過ぎていくのが早い。

久しぶりのスポケンは、寒い。メヒコの3月からやってきた私にはなかなかこたえる寒さである。Tシャツでうろつきまくっていたのが、急に、ダウンを着て手袋をはめてポケットに手を突っ込んで街を歩いている。口を突いて出る言葉も「あっつ~」から「さっむ~」である。ダウンなんか来たのは久しぶりで、耳がちぎれそうに寒いと感じたのも久しぶり。ぴりりと寒いのは身が引き締まるというかなんというか。スポケンには、友だちが働いていたり、ホストファミリーが住んでいたりするから、戻ってくると懐かしい気持ちになる。こんなに田舎やったっけ??と思いつつも、良くも悪くも変わらないこの街で、友だちやホストファミリーや昔習っていた先生たちに、暖かく迎えてもらえてありがたい。そして、ついつい皆の好意に甘えてしまい、甘やかされっぱなしである。

というわけで、せっかくアメリカにいるので、アメリカのことも少しかけたらな、と思う。そして、まだ書けてないメヒコのことも。

April 01, 2011

文化の違い

この間、日本に荷物を送ることにした。増えていないと思っていても、着実に2年間で物は増え続けていたようだ。私は、手作りのイスを買って、それは買ったときからどうにかして日本に持ち帰ると心に誓っていた。

ところが、このイスと言うものは送るとなると、本当に厄介な代物である。重さは問題ないのだが、やはり大きさである。大きさがオーバーなので、郵便では送れないらしく、また、メヒコと言う地理も手伝って、日本の会社のサービスが行き届いてないのも残念。アメリカとかイギリスとかのメジャーな国なら個人向けにも国際宅急便のサービスがあるようだが、メヒコにはあっても法人向けのみの場合が多い。

それならば!!と、世界中にサービスを持っているFedex、DHLなどを当たってみたけど、これがいいお値段。しかも、Fedexに関しては、個人のものを日本宛には送れないかもしれないと言われ、日本のFedexに確認を取るようにいわれた。Skypeを使って日本のFedexカスタマーセンターに電話したら、めちゃくちゃ電話の対応が悪く(しかも、愛想もない!!!)久しぶりに電話越しで切れたろかい、と思ってしまったほどだ。メヒコでなら、「なんでぇよ~~、頼むわ~~!!なあ~~~~!!!」とかなんとか粘るというか、ごねるということができる(たとえそれが通らなくても、そうする価値がある)けど、日本の電話ではそういうことを言うことすら許容されないような雰囲気でしゃべってくる。あ~、おもんない。DHLは値段が高かったが、日本のカスタマーサービスの電話は絶品。めちゃくちゃ好感が持てた。

しかし、結局私が選んだのは、UPSである。セントロを歩いているときにUSPの代理店のようなところがあり、そこで話を聞くと、「送れるよ。イス。」とゲイのお兄さんにあっさり言われたのだ。店の壁にも、

「あなたが送りたいどんなものでも、我々は、世界のどこへでも届けます!!!」

という素晴らしいコピーが掲げてあった。ええやん、ええやん、と思い、「日本へはいくらくらいですかね~」と聞くと、震災の影響で日本へのサービスは休止中とのこと。UPSのホームページを見たら、日本へのサービスも再開と書いてあったから、よっしゃ、と思い2度目の来店。

「あのぅ、日本へは……。」

「あー、今日本へは無理だよ。」

「でも、UPSのホームページにサービス再開って書いてあったよ。」

とここまで粘ってようやく、

「調べてみてやるよ。」

の流れになる。調べてもらった結果は、

「送れるよ!!」

で、当たり前や、UPSがHPでそう言うてたわい、と思いながら、値段を聞いてみる。するとDHLと変わらないくらい高かったのだが(やはり、イスは容積がでかくて、宅急便はたいてい容積で値段が決まる)、家まで無料でとりに着てくれるサービスもあるというので、お願いすることにした。

「じゃあ、明日の朝10時に!!!」と約束して、彼らがあらわれたのはもちろん10時45分。その日のうちに来ただけでも上出来だと思わなければならない。てっきり、家で梱包やらをしてくれるのかと思いきや、私も同行でセントロの店舗に行くのだという。それはいいのだけれど、家でしてくれると思っていたし、がむテープもなかったしで、イスの上にさまざまなものを置いてるだけだった。と言うわけでもちろん、車に積み込んで右折左折、あるいはとぺの上を通り過ぎるたびに荷物がほどけだした。最初はおっちゃんが抑えようとしてくれていたのだがすぐにあきらめて、笑っていた。おっちゃんと、運転手のお兄ちゃんと私で、荷物がひっくり返るたびに爆笑の車内である。

あまりにもひどいので、車が道の端へ停車した。荷物を少しくらい直すのかと思いきや、車内でイスを普通に立てて、おっちゃんが座席代わりに座りだしてしまった。

「よし、これで、安定するぜ!!」

といっていた。まぁ、確かに安定はするけど、あんた、それ、お客のイスでっせ。それはおいておいて、このアジア人の私が、なぜメヒコにいるのかはいつもながらとても興味をもってくれる。最初に学生かどうかを聞かれて、学校で働いているというと、日本語を教えてるのか、といわれ、いや、日本人の子どもとか、父ちゃんか母ちゃんが日本人の子どもたちにだ、と言う定番の流れの話になる。そしたら、兄ちゃんの方が、

「Holaはなんていう??」

と聞いてきたので、「こんにちは。」と教え、メヒコの人たちは、「Hola, como estas?」とセットで使うことが多いので、「Como estas?」は「元気??」と教えた。

「コンニチハ、ゲンキ~??」

と車内ではしゃぎまくって、兄ちゃんもおっちゃんも使っていた。そして、兄ちゃんが

「bonitaは、なんていう??」

と聞いてきた。「かわいい」と教えると、「amorは??」「te amoは??」とおっちゃんも続けて質問してきた。こういうのをすぐに聞いてくるのがメヒコっぽいなぁ、と思いながら「愛」「大好き」と教えておいた。

メヒコでは、道でかわいいと思った人がいると、ピロポスといわれる声をかける。「かわいこちゃ~ん」と言ってきたり、口笛を吹かれたり、車からだとクラクションを鳴らして気を引いてきたりする。

「日本では、なんていうの??」

と聞かれてきょとんとしていると、スペイン語が通じなかったのだと思われ、

「だから~、道でかわいい子見付けた時やん!!ほら!!!」

とすかさず道行く女の子にクラクションを鳴らして合図をしていた。

「あ~、その文化、日本にはないで」

というと、おっちゃんと兄ちゃんは顔を見合わせて、

「そんなあほな!!!!!!じゃ、じゃあ、日本の恋人たちはどうやって知り合うんだ?!?!」

と相当ショックを受けていた様子だった。いやー、そんなこと言われても……。いろいろ話した中で、この話が一番食いついて衝撃を受けていたみたいだから、やっぱり、メヒコは情熱の国だなぁ、と思った。

そのあと、「ゲイってなんていう??」といわれたから「おかまちゃん」と教えると、

「こんにちは、元気??おかまちゃ~ん!!」

と元気よく店番をしているゲイの店員にあいさつをしていた。明るい。メヒコです。