February 04, 2012

Zinacantan1

ある日、Zinacantanに足を運んだ。シナカンタンは、サンクリストバルからコレクティーボ(乗り合いバス)で20分くらい行ったところに行った所にある村である。地球の歩き方や、Lonely Planetにも載っているので、外国人もたくさん訪れている。チャムラは教会が独特で有名だけど、シナカンタンは織物が有名だ。到着すると、標高が高いからなのか、やたらと雲が低かった。天気もあまりよくなかったのだが、逆にそれがなんだか神秘的なムードをかもし出しているな、というのが第一印象だった。

シナカンタンに到着するなり、

「アミーガ!!私の家においでよ!!」

と子どもに声をかけられた。初対面、というか、まだあいさつすら交わしていないのに家に誘ってくるとは、いったいどういうことだ?!と不思議に思い、「あ、いいです」と断ると、

「じゃあ、私の家においでよ!!」

と別の子どもが声をかけてくる。名前を知らない人を呼びかけるときには、"amiga!(友だち)"や"señorita!(セニョリータ!:お姉さん)""señora(セニョーラ!:ご婦人)"などがある。スペイン語には、女性名詞・男性名詞という風に性があるので、これが男性に向かって呼びかけるとなると、"amigo"や"señor"ということになる。そのうちの子どもの1人が私に向かって、

「セニョール!!お金をくれよ!!」

と言って来た。ええっ、あたしセニョール??なんでやねん、と心の中で突っ込みつつ、何だこの村は、と思ったのも、最初の印象である。

しばらく街をぶらぶらと歩き回ってその疑問が解けた。どうやら、彼らの家でお母さんなり女の人が織物をしていて、その作業風景を見学させてくれて最後に、「ねぇねぇ、ちょっと買っていきなよ」というシステムになっているらしいのだ。そのいわば客引きの役目を、子どもたちがしているのであった。確かに、大人に客引きされてのこのこついていくよりは、子どもに「私の家においでよ!」と誘われた方が、「ちょっと行ってみようかしらねぇ」となりやすいのかもしれない。

それを知らないものだから、何も知らずぶらぶらと歩いていると、家の庭で織物をしている女性を発見した。織り機などは使わず、腰のほうに皮のバンドのようなものをして、そこからひもがぐぐぐと伸びていて、その先はなんと木の枝にくくりつけてあった。糸のついた大きな木を器用に操って、縦糸と垂直に通して、織られた布が丈夫になるようにとガシガシとしごく、という作業を繰り返して布を織っていた。かなりの重労働である。私がそれをぼけ~っと道路から見ていると、

「中に入ってみていいよ」

と声をかけてくれた。わ~、わ~!!すごいなぁ~!!と感心しながらみていると、おっちゃんが、「まぁ、ゆっくりしなよ」といすを出してくれた。布を織るのはおばちゃんで、おっちゃんは何をするでもなく、そのそばで自分もいすに座って、私のしゃべり相手になってくれた。

私はどう見ても外国人なので、恒例の「どこから来たの??」という質問に始まった。「日本やで」というと、日本という国のことは聞いたことがあるけれど、それがいったいどこにあるのかというのは見当がつかないらしく、続けて、「どうやってここまできたの??車??何時間くらいかかる??」と聞かれた。メヒコでは、海外旅行は高いというイメージからなのか、国外に旅行をするというのはまだ馴染みがなく (もっとも、広い国土を持ち各地にそれぞれの特色がある国なので、国内旅行をする人も多い。)、ましてや、こんな田舎の街である。こんな質問をするなんて!!と思うかもしれないが、この質問を受けることは意外と多い。私が、「日本は、飛行機で行くよ」というと、「ほおおお」と驚いて、「そしたら、アメリカよりも遠いんかね??」と聞くので、「アメリカは同じ大陸やけど、日本は海のずうっとむこうやで」というと、「何でここにきたの??」と尋ねられた。……もっともな質問である。「チアパス州は自然が美しくて、工芸品が美しいと聞いたからきました」というと、「でしょでしょ??」とうれしそうだった。彼らは、スペイン語も話すけれど、ツォツィル語ユーザーである。ツォツィル語の単語を教えてもらったり、日本語の単語を教えてあげたりしてすごしていた。その間も、おばちゃんは休むことなく一生懸命布を織り続けていた。「これ、大変なんだよ」とは言うものの、この人たちは、ふらふらと迷い込んだ私に、別にものを買えといってくるでもなく、写真をとってもいいよ、といってくれたけれど、逆にそれも申し訳ないような気持ちになり、結局写真は撮らずだった。

乗り合いバスが停車するところには、何軒か観光客を相手にした土産物屋があったが、そこの製品はたぶん機械で作られたような、どこででも見かける粗末な品質のものだった。かといって、小さな街なので店がたくさん並ぶところがあるわけでもない。だから、このように自宅に客を呼び込んで商売をしている人がたくさんいるのだろう。

他にも何件か見て回ったけれど、他のところは結構「売りたい!!」というのが露骨で、私が「あ、いいです」と断ると、「なんやねん」、という顔を露骨にされて、それはそれでなんかちゃうやろ、と思ってしまった。街をぶらぶらして、もうそろそろ帰るか、と思ったときに少年が寄ってきて、

「僕の家においでよ!!」

と言ってきた。「何があるん??」と聞くと、

「え~と、何でもある!!!じゃがいもとか!!」

という、まさかの答え。え?ジャガイモ?!なんかよくわからないけどおもしろいので、見に行って見ることにした。少年の家に着くと、家族が輪になって話したり、女の人は手仕事をしていたりした。私に注がれた視線は、

「ん??何だこの外国人は??なんか用か??」

てなもんである。しかし、客がきた、と理解すると、一家の長老的なおばちゃんがむくりと立ち上がり、「こっちにこい」と合図をしてきた。そして、次から次へと、ウイピルやら刺繍やら、帯やら、スカートやらものすごくたくさんの品々を見せてきた。「服よりも、クッションカバーとか、小物系はないですかねぇ??」というと、奥に案内され(というか、完全に民家)、乱雑に山積になったところから、いろいろなものを引っ張り出してきて「これは?」「じゃあこれは?」「これもある」と次々と見せられた。

その中に、なんだか刺繍の凝ったかわいいウイピルがあったので、

「これ、かわいいなぁ」

と手にとって言うと、おばちゃんはすかさず、

「これはね、あたしの。売りもんじゃあないのよね。」

と取り上げた。う、うける。やっぱり、手のこんだ凝ったやつは、自分用なのね、そらそうか。散々見せてもらって、本当にほしいなと思ったのはかばん1つだったのだけれど、こんなにもいろいろ見せてもらったからそれだけ買うのもなぁ、というか、小銭持ってないから困ったな、と内心思っていた。せっかくなので、何か他にも買おうかなといろいろ物色した結果、テーブルクロスとランチョンマットを買うことにした。しかし、いざ買うとなると、値切りたい魂に火がついてしまって白熱の交渉。しかしこれがいけなかった。

少年の家を後にしてバス乗り場に向かった。すると、少年がついてきて、「お金をくれ」と言ってきた。案内料といったところか。お金の代わりに、鶴を折ってプレゼントしてみると、少し興味を示してくれたがそれはそれとして改めて、「お金をくれ」と言われた。なんだか無性に切ない気持ちになった。

「お金、何に使うん??」

と聞いたら、「お菓子を買う」と言っていた。

貧しい地域ではその場しのぎのお金を渡すよりも、本当に彼らを支援したいならよりよい方法があることはわかっているが、このような場面に遭遇するためになんとも言えない気持ちになる。少年に少しだけお金を渡すと、もらった本人はしれっとしたものである。次のお客を探すために、バス乗り場の方面まで一緒に歩いてきた。

その日、宿に帰って買った品を見ていると、ランチョンマットの枚数が足りなかった。これは、意図的に抜かれたとしか思えない。安くして~!お願い!!と交渉しているうちに、おばちゃんの「ここまでしか無理」というラインを私が無礼にも飛び越えていたのだ。だから、おばちゃんを怒らせていたのかもしれない。

定価がないものを買うときは難しい。交渉は難しい。私たちは対価を払うべきである。彼らは私たちに高い金額を持ちかけてくる。だから交渉することができるのだ。お互いが歩み寄って、満足のいく金額でやり取りしなければならないのに、少しでも安く買いたい、という欲から今回のような悲劇が起こってしまった。私は結果的に、ランチョンマットが入っていなかったことよりも、おばちゃんに失礼なことをしてしまった罪悪感にさいなまれるはめになった。この日はそのことやシナカンタンのうらぶれた様子のことが頭からはなれずに、寝付けない夜を過ごした。このシナカンタン訪問は、いろいろなことを考えさせられた一日だった。

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