July 23, 2011

忘れていくこと、変わっていくもの、繋がっていること

昨日は、とても長い一日だった。朝の4時45分に起きたので、本当に「長かった」のだ。

またもやカンフーネタになってしまうけれど、私は月曜日と水曜日の週2回、夕方のクラスを取っている。でも、毎朝別の場所でもやっているらしいというのは前に小耳に挟んでいた。聞くところによると、なんと朝の6時かららしく、朝方人間ではない私には厳しい。水曜日の稽古に行ったときに、「先週今週はバケーションをとっていて学校ないねん~」と話していると、カンフー友だちの一人に「え~、じゃあ、今週は朝もおいでよ」と誘われた。別に予定があるわけでもないし、疲れれば昼寝すればいいし、と思い「オッケイ!!!じゃあ行くわ!!」と参加決定。でも、心の弱い人間なので、万が一のために携帯の番号を聞いた。するとまさかの、「あー、おれ、携帯もってないんだよね」と言う返事。

「携帯で簡単に連絡が取れないと、どうしてもその約束を守らないといけなくなるやろ??」

本当にその通り。携帯電話や通信機器の発達によって、約束の重みが軽くなっているのは紛れもない事実。実際、起きれた場合に「待ち合わせにいけるよ!」、でも起きれなかったら「メッセージが届けられないので来ないと思ってください」ということにしようとした私がいる。結局、「相手を待たすと悪い」というのは、いいわけでしかないんだな、と思う。連絡の手段を経たれたことにより、約束を果たさないといけない状況になり(まぁ、約束とは本来そういうものなのだが)、ここちよいプレッシャーを感じながら床についた。おかげで、ちゃんと目覚めることができて、待ち合わせ場所にも遅れずにたどりついた。

真っ暗闇の中を、てくてくと30分くらい歩いた。なんか、高校生くらいのときに無闇に早起きをして始発の電車に乗って、青春18切符で行けるところまで、ひたすら遠くを目指す旅をしていた頃を思い出した。家族に「明日は始発で出かけるから!!」と宣言し、「無理、無理」と言われる中、早起きして彼らが眠っているころにこっそり家を出るという、あのわくわくした感じが好きだったのだ。月がまだ出ていたりして、なんだか得した気持ちになって気分が高まる。

まだ薄暗い中カンフーが始まった。朝の少しひんやりとしたさわやかな空気の中、動き回るのは気持ちがいい。カンフーが終わったら、先生が家に朝食を食べにこないかと招待されて、ほいほいと御呼ばれすることにした。先生の家を見せてもらって、犬にあって、朝食を食べて、一度家に帰った。

天気が良かったので洗濯物をした。手洗いなので、漬け置く時間が長いので、結構時間がかかるのだ。平日の午前中って、何であんなに穏やかに過ぎていくんだろう。天気がいいとなおさら。平日って言うところがポイント。

昼からは、コーヒーを飲みにカフェに出かけた。久々にスペイン語の問題集をしたり、新聞の記事を読んだり、インターネット以外のことをして過ごした。そんなに長くないはずの新聞の記事なのに、わからない単語がわんさか、わんさか……!!!ま、まけるもんか!!!!!結局、コーヒーをおかわりしまくって、だらだら過ごしているうちに、天気がえらく悪くなってしまった。降るか、降らないか、空とにらめっこをしながら家路を急ぐ。結局家の少し手前で猛烈に降ってきて、あわてて洗濯物を取り込んだ。びちょびちょではなかったので、一応セーフと言うことにしておこう。

晩ご飯を食べ終わってすることがなくなったけど、同居人はテレビを見ていたので話し相手がおらず。早起きしたにもかかわらず、この時点ではすこぶる元気で、眠気が全然なかった。暇だったので、昔の日記を開いてみた。パソコンの中のデータなので、結構な量でいい暇つぶしになった。オーストラリアに住んでいたときのものや、ドイツに旅した時の日記など。

私は旅日記を必ずつけるようにしている。理由は、忘れるからだ。忘れない自信があったのだけれど、全てを記憶できないことにあるとき気がついた。まぁ、どうでもいいことを忘れていくのだろうから、全てを記録する必要はないと思うけど、でもそういう情報が残っているのもおもしろいしな、と思っている。

それにしても、オーストラリアの日記を読んでびっくりした。たくさんの名前、たくさんのできごとが記されているのだけれど、あんまり覚えていないのだ。特に、あんなに語学学校の授業が充実していたとはすっかり忘れていた。レンタカーをして旅をしたときも、スピード違反でオーストラリア政府から友だちの日本の実家に罰金の請求書が来たことだけは鮮明に覚えていたけど、レンタカー屋の姉ちゃんがいけずだったことは露ほども覚えていなかった。大学を卒業した年だったので、大学の友だちともとてもまめに連絡を取っていたことも明らかになった。ホームステイの家にはインターネットがなかったこととか、常に眠たかったらしいこととか、ホームステイの家族の印象がそんなによくなかったけど、日記の中では結構お世話になっていることも書かれてあったり、人間の記憶のいい加減さに改めて気がついて、笑ってしまった。

たくさんの人の名前が出てくるけど、そのほとんどの人とはもう連絡を取っていない。あるいは、どういう人だったのかすら忘れてしまった。でも、その中にもいまだに連絡を取っている人もいる。その関わり方は、もちろん当時のままではないけれど、形や手段を変えてもまだ連絡を取っている人たちがいる。いまだに連絡を取っている人と言うのは、たいてい変な人と言うか、私にとってはおもしろくてcoolな人たちなのだけれど。でも、そういう人がいることはありがたいな、としみじみ思う。

今でも、いろんなところへ行ったり見たりするのは好きだけれど、日記を読んでいると、昔の方がもっとそれが激しかったような印象を受けた。(まぁ、文体も話し言葉の関西弁でかかれてあるので、その影響もあると思うが。)今は、いろんな場所に手当たり次第行くのではなくて、その場所にとどまって、暮らしながらいろいろなものを見たいという願望の方が大きい気がする。でも、どちらの私も本質的には変わっていなくて、決してどの文章からも、悲しいかな金銭的な裕福さが感じられない。まぁ、それは置いておいて、していることと言えば、人間観察、カメラ小僧、とにかく道を歩きまくる、そんなところだ。変わったことと言えば、コーヒーを飲む量が増えたということくらいではないか。あと、今のほうがさらに物事を気にしなくなったかもしれない。まぁ、なんとかなるんちゃう、という、楽観的と言うか無責任と言うかなんと言うか。こうして客観的に自分と自分を比べられたりして、いやぁ、日記もつけておくものだなぁと思う。

同居人はテレビを見終わったらしいので、雨の中散歩するべ、と誘ってしとしと雨が降る中をぶらぶら。特に何もなく家に帰ってくると、猛烈な眠気におそわれた。猛烈に眠くて、しんどくて、目もろくに開けていられないくせに、なんかまだ寝たくない。そういう変にハイな状態。もっといろいろ考えたいけど、それをするだけの体力がもう残っていない。「はよ寝ろや」と人は思うかもしれないが、そういう時って、妙に悔しくて、さらに起きておきたい気持ちになる私である。同居人はもちろん前者なので、「そんなにしんどいんやったら、はよ寝たら??」と言ってきたが、私は後者で、しかもそういう気持ちをうまく伝えられないのでだらだらとキッチンに居座っていると、不可解な顔をされた。

そんなぐっだぐだに疲れた状態で寝て起きると、天気は曇りがちでたまにしとしと雨まで降っているといった具合である。アンニュイな午後である。世の中の(特に日本の)忙しくあくせく働いている人たちにしばかれてもおかしくない、私のメヒコの日々である。

2 comments:

  1. あみちゃんらしい日記やなぁーとにまにましながら読んでしまいました。

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  2. >>EMsさん
    おおお。めっちゃ長く書いたのに読んでくれて、ありがとう~。笑
    らしい、かな?!
    確かに、内容がないくせにこれだけダラダラ書けるのが、あたしらしいかもしれぬ。あはあは。;-P

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